はてなキーワード: うずくとは
今まで自分はものすごい変態、性欲魔人だと思ってた。思春期をとっくに過ぎても、頭の中は恥ずかしいくらいにスケベなことでいっぱいで、自分をしっかり持ってないと狂ってしまうのじゃないかと心配するほどだった。ブサメンだったので童貞喪失が遅く、こじらせに拍車をかけた。暇さえあれば快感を求め一日中工夫を凝らした自慰をし、彼女ができようものなら、女の子を疲弊させきるほどやりまくった。本当にごめんなさい、猿かよ、と自分でも思う。
そんな僕だが、仕事で中間管理職のようなポジションに昇格し、鬼のように忙しくなった。給料はドン!と上がったが、自分のミスじゃないことで上司には常に怒られ、かばってるはずの部下には舐められる。残業時間も3ケタに膨れ上がり、家に帰れば体がスライムのようになってしまい、泥のように寝るしかできなかった。
オナ禁なんて昔は考えられなかったが、気が付いたら、あ、何日も抜いてないな…ということが頻繁に。一度だけ奇跡に奇跡が重なり女の子と寝る機会があったのだけれど、疲労がすごすぎて気持ちは興奮しているのに全然体がおっつかず、終始ダルダルな動きになってしまうわ、息子は元気なくなるわで、なんだかホント申し訳ないけど面倒くさいな…とすらと思ってしまった。童貞のころの僕が見たらぶっ殺されるようなセックスをしてしまい、相手の人にも悪かった。しかし、あんなにすごかった性への情熱が、今は干からびてしまったように感じてさびしくなった。あの腹の底からうずくような性欲は、いのちの根源のようにも感じられた。
そんな暮らしを一年ぐらい続けていたら、先日ストレスがたまり血糖値がとんでもないことになりぶっ倒れ、二週間入院し栄養指導を受けた。朝6時には起こされ、9時には消灯。規則正しくご飯を食べ、昼間はかわいい看護婦さんとマンツーマンで栄養指導。ノンストレスで暮らしていたらみるみる元気になった。すると、あんなに干からびていた僕の性欲も水を得た魚のようにむくむく湧き上がってきた。本っ当にバカみたいなことだけど、なんだか涙が出るほどほっとした。アア、いつもの僕に戻ったと。
会社には僕がぶっ倒れたのがおおごとのようになっていて、違う課に異動になった。新しいことを覚えなきゃいけないので苦痛だが、定時で帰れるし、そこそこやりがいもある。危惧していたほど給料は下がらなかった。人に自慢できる肩書はなくなったが、あの生命がやせ細っていく感覚はもう味わいたくない。あんな猿みたいな僕でも、ハードワークからの性欲減退って本当にあるんだなと思った。
わたしが小さい頃、母はわたしをこうやって諭したり慰めたりした。
「世の中にはこんなに不幸な人がいるんだよ。それに比べてあなたは恵まれてるのよ。」
テレビでアフリカの貧しい人が映った時、湾岸戦争の時、駅の柱の下にうずくまっていたホームレス…。
わたしの家は貧しかった。父はわたしが生まれた直後に亡くなり、母はわたしを女手ひとつで育ててくれた。そのことは、本当に感謝している。何の技能も持っていない女が、社会に出てお金を稼ぐことの難しさを、わたし自身も社会人になってから身に染みて実感することができた。何度も心がくじけそうになったのだろう、そしてその度に母は上の言葉を自分にも言い聞かせていたのだろう。今ではそれがわかる。そうやって自分を奮い立たせ、わたしを育ててくれたのだ。
でも、当時のわたしはその言葉を聞きたくなかった。辛く悲しい気分になったからだ。自分より下の人間を見て、自分の幸福を噛み締める。では、もしわたしよりも恵まれている子(クラスの大抵の子はそうだった)が、わたしを見て同じことを思っていたら?
わたしに向けられた強烈な蔑みの目に、その架空の目に幼いわたしは怯えざるを得なかった。
「レナードの朝」という映画がある。原題は「Awakenings」といい、嗜眠性脳炎という不治の病を扱った実話にもとづく映画だ。数十年間昏睡状態にあり、石のように固まってしまった嗜眠性脳炎の患者たちに、新薬のL-ドーパを与えたところ一時的に意識を取りもどすが、次第に薬に対する耐性ができてしまい、また昏睡状態にもどってしまう。L-ドーパによって数十年ぶりに朝を迎える患者たちの”目覚め”と、この平凡で退屈な世界に対して驚き感動する患者たちが、周りの人達に与えた”目覚め”、この二つの”目覚め”が原題の複数形たるゆえんだ。
わたしはこの映画そのものはとても好きなのだが、ふたつ目の”目覚め”が言わんとするメッセージに、どうしても違和感を覚えてしまう。自分より不幸な人を見て気づか”された”幸せは、本当の幸せと言えるのか?もし幸せという状態があるとするならば、それは相対的なものではなく、絶対的なものでなくてはいけないはずだ。
2年前に早くして亡くなった母へ。
あなたの人生が、他の誰にも邪魔されることなく、幸せなものであったのなら嬉しい。だってわたしは、あなたの娘であるというだけで幸せなのだから。
排尿の欲求が高まる際によく固くなる事は認識していたが、最近は業務時間中や通勤電車の中でも不意に固くなってしまい、しかも物凄く固くなるものだからスラックスに擦れて、その度に直腸の奥に切ない感触を覚えるようになっていた。
ある時、満員電車で目の前に女性が立ち、私と密着する姿勢になった。それほど珍しい事ではないのだが、この日、私のおちんちんは何故かそれまでにないくらいに固くなってしまった。
おちんちんが固くなっている事がバレてしまったら、恥ずかしい――私はおちんちんのずきずきとした痛みとお尻の奥のキュンっとした切ない感じに耐え、何とか私は降りるべき駅に到着できた。
私の身体はどうしてしまったのか――電車を降りてもおちんちんの怒張は収まらなかった。
何とか会社に行こうと思ったが、歩く度にパンツにおちんちんが擦れてしまってキュンキュンしたお尻の奥の切なさは増すばかりだった。
私の胸はキュンキュンした事はないが、いまお尻の奥がキュンキュンしている…キュアハートは何か大きな間違いをしているのではないか。
その時だった。
お尻の奥のキュンキュンが、シュワァッと身体の上に昇ったかと思うと、ドクンドクンドクンと脈打ち始めたのだ。
「らっ」
思わず私は声をあげ、その場にうずくまった。私の身体はその脈打ちに支配されてしまい、暫し立ち上がる事ができなかった。
道行く人たちが私を怪訝な眼で見ては通り過ぎていくのが見えた。
時間にすれば20秒くらいだろう、しかし永遠とも思えるその短い時間。
気が付くと私は四つん這いになって涎を垂らしていた。道行人たちの冷たい眼。
私は我に返り、立ち上がると会社へと全力で走りだした。
何とか定時に間に合い、一息つくと先ほどの出来事について思案した。
いったい私の身体には何が起きてしまったのか。異常があったのだけは確かだ。
冷静になると、私はパンツの前が冷たい事に気が付いた。これは…濡れている。
慌ててトイレに駆け込むと、フルーツのような私のおちんちんの先端から白いものが出て、パンツ一面を濡らしていた。
尿ではない…やはり私の身体には異変が起きている。
しかし、これを誰かに言うには憚れる…私は濡れたパンツのままコンビニに行き、替えのパンツを購入した。
コンビニの店員が、くすくすと笑っているような気がした。
それ以外には、身体の不調がなかったので会社の業務に就き、その日は定時で退社する事にした。
誰に相談したらいいか解らなかったが、何の気なしに私は実家に連絡を入れていた。
事情を説明すると、母は「事情はわかりました。今日はこちらに帰ってきなさい。夕食を一緒に摂りましょう。遅くなっても構いません」と言った。
幸い週末だったので、二時間半かけてK奈川県の実家に帰省した。
食卓には、既に夕食の準備ができていた。
しかし、和食が多かったわが実家の食卓には見慣れないものが並んでいた。
母は私のそんな様子を見て、「今日の夕食は、ミルク粥とチーズフォンデュです。おめでとう」と言った。
何がめでたいのかは解らなかった。
あなたは普段隅っこのほうにうずくまって眠りこけていたでしょう
それが、今日はいつもの席を大学生二人組に取られたからといって、愚痴をこぼさないでください。
あなたの隣に不運にも座ってしまった男の人が可愛そうで仕方がありませんでした。
まさしくゴミとしか形容できない臭いだけでなく、無理に話しかけて迷惑をかけるのですか。
そして、先の大学生に聞こえるように、「こんなとこで勉強する奴の気が知らん。気合があれば、どこだってできるじゃないか。
蛍雪って言って、昔の大学生は外でだって勉強できたんだ。今の学生は甘っちょろくて、どうしようもない。だから、日本は駄目なんだ。この国も終わりだ」
などと言うのは嫌味ったらしくて、吐き気がするほどでした。
あなたこそ、24時間営業の恩恵を受ける一人ではありませんか。あなたの嗄れた声を聞きたくなくて私は帰宅しました
またその店に、真夜中になると姿を現すのでしょう。
私自身もそうですが、喫茶店に長居する事自体が迷惑ではありませんか。
せめて、お互いに居心地のよい空間を作り、店員さんに申し訳なく思いつつも、とはいえ、居場所のない私たちですから、せめて追い出されないように振る舞いませんか。
会社では真面目なふりをしてる。
いわゆる真面目系クズというやつ。
真面目なふりをしているから、たくさん本を読んだり
色々な音楽や国や地理のことからExcelのテクニックとか豆知識とか
そういう話ばっかりしている。
本当は
「寄せてあげたおっぱいに挟まれて窒息してみたい」とか
そういうことしか考えていない。
でも真面目なふりをしなきゃいけないから
耐え切れなくなると、非常階段のところで
小さい声で「おっぱい揉みたい」「おっぱい揉みたい」ってずーっと言ってる。
よーし帰りにおっパブ行っちゃうぞー!とか場所とか値段とか調べても
真面目なふりしてるから、主婦の皆さんと電車が一緒になっちゃったりして
どこそこのスーパーがやすかったとかインターネットでみて試して美味しかったレシピとか
そういう話とかしてるけど
本当は超おっぱい揉みたい
全力で楽しんでる。
夏はいいなぁ!
夏は貧乳の皆さんのパカパカのブラが上から見るとコンニ乳首してるのが
モロ見え。
今年の収穫は5人だった。
みんなどうやって解消してるんだろう?
あーあ、なんで独身サラリーマンがいっぱいいる会社に入社しないで
おっパブ行ってみたいけど、おっパブ行ったら恋人を裏切ったような気持ちになっちゃうから
一歩踏み出せない。
踏み出せないし、全く知らない人のおっぱい触るのに失礼があったらいけないから
やっぱり行けない・・・。
優しくソフトに触ってるつもりなのに嫌がる。
わかんないけどおっぱい揉みたい。
知り合いの、日本で生産されてないサイズのブラジャーを日常的に付けてる女性の
はー。
おっぱい欲しい
おっぱいマウスパッドをドキドキしながら買ったら物凄く小さかったし
床がおっぱいになればいいのに。
電車にひかれそうになった男性を助けて亡くなった女性の行動については、自分もすばらしいことだと思うけれども、この件を単に女性の勇気をたたえる美談としてとらえるだけでは、彼女の供養にはならないのではないか。
たしかに女性はおおいに称賛されるべきだし、政府の授与についてもまったく異論はないが、生きながらえた男性のことについても、みんなもっと目を凝らすべきだと思えてならない。
高齢の男性がなぜ電車にひかれそうになったのかは詳しく伝わっていないので推測するしかないものの、もし自殺をしようとしたと仮定するならば、高齢の男性が線路にうずくまらなければならなかった理由はいったい何なのか、どうして彼はそこまで追いつめられたのか、今回のことをどうにかして防ぐことはできなかったのか、救われた命を今後にどう生かせばよいのか等々、考えるべきことはたくさんあるはずだ。
もし男性が認知症等の病気をかかえていたと仮定しても同様である。
なんども言うように、もちろん女性のことを褒めたたえる報道はとうぜん必要なことだし、政府による感謝状や褒章なども良いことだが、もっと大切なことは、男性が置かれざるをえなかった状況に対して皆で真剣に心をくばって考えてみることだと思う。
みずからの命とひきかえてまで他人を救った女性が今の状況をどう考えるかを想像してみれば、自分ではなくあの男性のことをもっと思いやってほしい、という願いではなかろうか。
それに気付くまでは楽しんでやれていたのに、気付いた瞬間(まあ遅すぎだけど)血の気が引いて退会することしか考えられなくなった。
妬ましい。羨ましい。悔しい。
この際率直に言ってしまうが、身内の幸福(特にイラストにまつわる)が全て妬ましくて仕方がない。羨ましい。苛々する。
単に描いたものがよいものだというだけなら素直に感動が出来るのに、それに何らかの社会的評価や物理的な結果、今後への布石が見えてくると、幸福を祝う気持ちは雲散霧消し、妬み嫉妬憎悪に心が塗りつぶされる。匿名掲示板に晒しあげられて炎上すればいいのに、などと思うことさえよくある。恐らく私にプログラミングの素養があったら荒らしのためにスクリプトを組んだかもしれないし、Vipperならばヘイト記事を乱立したかもしれない。実際はそのどちらでもないので、自分の布団の中にうずくまってうーうー言うだけであるが。
こういうことに激情を発するということから顧みるに、こういうことにコンプレックスないしは過度な憧れがあるのは確かだろう。
私は他人からの評価のために絵を描いている(というより、他人から評価されるためのツールのひとつが絵である)節があるので、それも道理であると言える。こうした考えは酷く幼稚であろうし、非生産的だし、何より生きづらいので辞めた方がいいとは知ってはいるのだが、奈何せんうまくいかない。もうずっとこういう気持ちで生きているからだ。私は自身に対して過度に卑屈(であると同時に、自意識過剰)なので、他人の評価に依存しなければやっていけないのである。
その一方で、最近痛感していることとして、私は他人から評価されるタイプの人間ではないようなのである。例えば評価されたとしても、持ち前の卑屈と自意識過剰で以て、その評価を分不相応――"二重の意味で"――に感じ、素直に受け止めることが出来ない。自身の中で納得感や達成感を得られない仕事というのを人間は続けられないので、そうして貴重なチャンス(あとから思えば)を沢山棒に振ってきた。
具体的には絵を仕事にはできないし、趣味でも納得できそうにない。
いい大人にもなってこんなに拗らせているとは、もうどうしようもない気がしてもいる。成功はしなくても幸福にはなれるだろうが、私の価値観では幸福と成功はイコールであるし、そしてもう成功はおそらく無理なのである。
女は子供が好き。他人の子であっても赤ん坊を見れば自分も子供が欲しくなる。
老人は子供が好き。
女は子供が好きというのも、赤ん坊を見れば無条件に子宮がうずくというのも全てそれと同じ言説に過ぎない。
時効だと思うのでそろそろ書いておく。あれは高校の2年の時だったか。クラスですごく嫌なやつがいて正義感の強いボクはなんとか締め上げたいと思っていた。
相手は体格がごついが俺も割りと身体がガッチリしてるほう。しかも筋トレで鍛えてる。ある日体育で野球をやっていてたかし君のチームと当たった。
たかし君というのはぶっ飛ばしたいくらいムカつくやつの名前。たかし君はクラスの人気者だったが人間性に少し難があった。
女遊びが荒いので有名であった。ムカつくのでゴール前の小競り合いになった時にエイヤッとばかりに思いっきり彼の弁慶の向こうずねを蹴り上げてやった。
たちまち声にならない声をあげてうずくまるたかし君。俺はざまあ見ろと思った。サッカー部の彼にとって脚は商売道具と言って良い。
そんな脚を負傷して彼は部活でも活躍できなくなった。彼はのちに暴走族仲間に襲撃されて片目の失明を含む大けがに遭ってトドメを刺されることになる。
数奇な運命で俺と同じ大学になったたかし君だが、当時の華やかさは今の彼にはない。大学卒業して今はフリーターしているようだ。
たまにたかし君の近くの薬局でばったり出くわして気まずい思いをする。ひょっとして俺が彼の人生を壊したのだろうか。まさかな。
だが彼に人生を壊された人間の数を思うとこれくらいの報いは受けて当然である。それは断固たる信念だ。声を大にしてここに書き記しておく。
誰かひとりだけそのおっさんに声をかけていたけれど、周りのひとと同じように自分も関わらないようにその横を降りていった。一旦は。
おっさんの声が聞こえてくるところから察するに、ただの酔っ払いのようだった。
あぁもう!
近くの自動販売機でペットボトルの水を適当に買って、さっきのおっさんがいた階段まで戻った。
さっきのひとに助けられてもういませんようにと祈りながら。
かろうじて回っているろれつで、だいじょうぶですだいじょうぶですとひたすら繰り返すおっさん。哀れなり。
なんかもういいやと思って手にペットボトルの水を握らせてその場を去った。
ああ、自分はこんなことをする人間ではなかったのに。最初から他のひとのように放置するのが自分だったのに。
今日凄いのを見た。
俺は満員電車に乗っていた。電車は大きな駅にさしかかり、俺を含む乗客の殆どは毎日そこで降りるのだ。
駅のホームで、ドアのど真ん中で待っている男性が目に入った。そんな所にいたら乗客の流れに押し流されて危険なのは明白だった。
そしてドアが開いた。案の定、男性は電車から降りる乗客に押し流されてしまったのだが、男性は「どいてー!どいてー!あけてー!あけてー!」と絶叫しながらも、流れをかき分けようとしていたのだ。
しかしたった一人の腕力でどうにかなるはずもなく、男性は転んでしまった。
「なんでどかんのー!?なんで-!?」男性はその場でうずくまって号泣していた。そうこうしているうちに乗客の殆どが電車を降り終え、目の前には入り口がぽっかりと開いた。
しかし男性はその場に座り込んでめそめそと泣くばかりで、乗りたいはずの電車に乗ろうとせず、手荷物をあちこちに投げつけるだけだった。
電車はそのまま発車した。俺は改札へと向かった。
ダブル・バインドの罪。子供を怒るということ : あぱかば・ブログ篇
でも欲求が満たされないとわかると 泣かなくなるのです
はてなブックマーク - 乳幼児が施設養育で損なわれる危険性-EUにおける乳幼児の脱施設養育施策の理論と方策-(PDF)
なぜ怒鳴りつけたのでしょうか? - reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)
あいつは人生のどっかで人を怒鳴るってことを覚えちまったんだな
無力と放棄態度を、スカタン上司に調教され、そして再び以下ループ、か。
「低気圧が近づくと古傷がうずくんです、、、クックック」くらい言ってやればよかったのに。
どうにもならない気分での帰り道
治安が悪い地域でバスも無い 電車も無い タクシーも通りかからない 荷物は重い
夜遅く柄の悪い場所を重い荷物抱えて徒歩でとぼとぼ帰らなければならない
怖いから気を紛らわす為に「ショルダーバックで首吊り」という詩を作りながら歩き
なんとかタクシーを捕まえた 運転手とこの地域の治安の怖い話についてのトークで盛り上がった
乗ってくるやばい人は最初は多言だけどだんだん口数が減ってくるとか それ怖い
ここまで昨日の日記
今朝早くスーパーで買い物して帰ろうとしたら雑誌コーナーに人がうずくまっていて「座り読みかな」
と思ったら70過ぎぐらいのおばあちゃんが、虫眼鏡で雑誌『求人案内』のページを一生懸命顔を近づけて
読んでた
増田は半ねぼけ状態で歩いて通り過ぎて店出たところで「よく思い起こせばさっきの光景切なくないか」と
思った
熱が出続け早五日。
昨日、ようやく病院に行って点滴を打ってもらった。
一瞬だけ熱が下がり、まるで健康体の時のように世界がクリアに見えて、
やったー治ったー、と喜んだのも束の間
今朝になったらまた38度越え。
思い返せば木曜の午後の打ち合わせ、
あれが悪かった。
私はエアコンが苦手で、でも会議室には私のほかには寒がってる人などいなかった。
オジサマはあの冷え冷えした部屋で、扇子をパタパタしていたから
あれでもきっと暑かったのだろう。
で、
金曜日の朝に喉が痛み出して、その夜には38度5分。
熱で朦朧とする頭でふらふらとしながらその説明会を受けてきた。
なんせ私、母子家庭やってるもんで。
こういう時に代打が出せないのが辛いんだなーと、
わざわざ夫婦で来てる人たちを眺めながら思ったりもした。
日曜日になっても熱は下がらず、一日寝て過ごせば治るだろうと
9割方の時間を布団の中で過ごした。
月曜日、目が覚めて体温を測ると36度5分だったので、
多少よたよたしている気もしたけど会社に向かった。
会社の医務室で熱を測ったら37度5分。
強制送還された。
と言われた。
待合室で座るなり、涙がこみあげてきて、もうどうしても止められなかった。
母親なのに、こうやって風邪をひいてまわりに迷惑を掛けてしまうこと。
こんな身体では体力を使う仕事は無理だと言われたこと。
自分が母親になったのに、まだ自分の母親に世話になってしまっていること。
情けなくて、悲しくて、止められなかった。
待合室のベンチでうずくまっていたら、
ベッドに寝かせられた。
計った体温は39度だった。
今日になってようやく、熱が落ち着いてきた。
ママ、こんなんでごめんね。
http://blog.livedoor.jp/news23vip/archives/3992852.html
これを読んで、昔カーチャンに言われた話を思い出したから書く。
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生理痛っていうのはめちゃくちゃ簡単に言うと「子宮が超絶筋肉痛になる」という痛みで、
内部に溜まった血を一生懸命排出しようと子宮がこれでもかと伸縮を繰り返すから起こる。
この時点で
・どれくらい痛いのか
・なぜ個人差がもの凄く大きいのか
という、男なら誰でも抱く疑問が大体解決(?)する。
子宮は赤ちゃんを支えられるレベルの筋肉のカタマリだから、そんなのが全力で運動して腹ん中で筋肉痛を引き起こしたら
だけど知っての通り、筋肉痛には個人差がある。走り回った翌日けろっとしているヤツもいれば、動けないヤツもいる。
そして生理痛は、脳みそ的には筋肉痛というより内臓の痛み(胃痛とか下痢痛とかと同じカテゴリ)で認識される。
だからあの、「ぐぬおおおお痛い痛い痛い痛いけど痛い部分は身体の中だからどうしようもないんじゃボケエエエエ!!!」
って感じの痛みだし、女性ホルモン(これまた個人差が大きい)の影響も出る。
色々書いたけど、つまり「生理痛が重い人」(あくまで重い人)の痛みを言い換えると
立って歩けないような筋肉痛がそのまま内臓にやって来たレベルの腹痛
当時サッカーやっててしょっちゅう筋肉痛になってた俺は恐怖に戦慄した。
このことをまくしたてる母親の形相にも戦慄した。
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よく言われる、金玉蹴られた痛みと比べてうんぬん~ より「筋肉痛」の方が
男も女も知ってる痛みだし不毛な議論になりにくいんじゃね?と思ったので、書いてみた。
生理痛の原理なんてよく知らないし、ホントのところは分からないけど