それに気付くまでは楽しんでやれていたのに、気付いた瞬間(まあ遅すぎだけど)血の気が引いて退会することしか考えられなくなった。
妬ましい。羨ましい。悔しい。
この際率直に言ってしまうが、身内の幸福(特にイラストにまつわる)が全て妬ましくて仕方がない。羨ましい。苛々する。
単に描いたものがよいものだというだけなら素直に感動が出来るのに、それに何らかの社会的評価や物理的な結果、今後への布石が見えてくると、幸福を祝う気持ちは雲散霧消し、妬み嫉妬憎悪に心が塗りつぶされる。匿名掲示板に晒しあげられて炎上すればいいのに、などと思うことさえよくある。恐らく私にプログラミングの素養があったら荒らしのためにスクリプトを組んだかもしれないし、Vipperならばヘイト記事を乱立したかもしれない。実際はそのどちらでもないので、自分の布団の中にうずくまってうーうー言うだけであるが。
こういうことに激情を発するということから顧みるに、こういうことにコンプレックスないしは過度な憧れがあるのは確かだろう。
私は他人からの評価のために絵を描いている(というより、他人から評価されるためのツールのひとつが絵である)節があるので、それも道理であると言える。こうした考えは酷く幼稚であろうし、非生産的だし、何より生きづらいので辞めた方がいいとは知ってはいるのだが、奈何せんうまくいかない。もうずっとこういう気持ちで生きているからだ。私は自身に対して過度に卑屈(であると同時に、自意識過剰)なので、他人の評価に依存しなければやっていけないのである。
その一方で、最近痛感していることとして、私は他人から評価されるタイプの人間ではないようなのである。例えば評価されたとしても、持ち前の卑屈と自意識過剰で以て、その評価を分不相応――"二重の意味で"――に感じ、素直に受け止めることが出来ない。自身の中で納得感や達成感を得られない仕事というのを人間は続けられないので、そうして貴重なチャンス(あとから思えば)を沢山棒に振ってきた。
具体的には絵を仕事にはできないし、趣味でも納得できそうにない。
いい大人にもなってこんなに拗らせているとは、もうどうしようもない気がしてもいる。成功はしなくても幸福にはなれるだろうが、私の価値観では幸福と成功はイコールであるし、そしてもう成功はおそらく無理なのである。
悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい 悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい悔しい 畜生ああああああああ...
経緯としては、某ゲームのプレイを辞めようと思い退会した。 理由は大学の後輩が絵師の中にいたから。 それに気付くまでは楽しんでやれていたのに、気付いた瞬間(まあ遅すぎだけど...
むしろひたすら拗らせてわが道を進めば 死後評価される かも
これだと仮に成功しても叩きに耐えられそうにないし 諦めて他の道探すしかないんじゃないかと