はてなキーワード: 貴族とは
改めて読んだ。
そうだよね。研究開発ベンチャーってやっぱアカデミックでしかやっちゃならんのだよね。
アカデミックの人が優秀であるとかいうのじゃなくて、アカデミックポストもち以外は開発資金と期間が取れないんだよね。
まあ、アカデミックポストもちがそのまま行ったら研究費が少なくなる程度で安泰ではあるのに、こんなばくち誰がするんだと思うが。
起業しかこの技術を実現する手段がないと思ってた。事実、そうだろう。開発だけはできているし、時間があればとも思う。
だけど、貴族(アカデミックポストもち)と平民(それ以外)みたいなもので、平民が貴族の嫁さん(研究開発ベンチャー)なんか狙っちゃならないんだよね。
金が余ってたり働かなくて良かったり自由になる時間がたんまりあったりする状態になる必要性があると思うの
過去そういう状態になってた人って奴隷をこきつかってた貴族あたりだと思うんだけど
ロボが奴隷になるの?そんなわけないでしょ?
いかにマッチョな歴史上の偉人たちも隆盛を極めた後は没落していく
それが組織だとしてもだ
アメリカが弱体化してきたように
GoogleもアマゾンもYoutubeもアップルもいつか没落していく
世界支配構造の頂点であるロスチャイルド家でさえ内部抗争が起き始めている
俺は誰を参考にすればいいのか
ここで知能指数が人並みに低ければ病気となり宗教に逃げることができた
だが宗教が答えのようで単にサイコ商法なだけなのは承知している
あの秘密結社と言われたイルミナティがどんな恐ろしいことをしているのかと思ってたら
自分ら金持ち集団のための宗教を作って仲良しこよししてる同人サークルでしかなかった
いやービックリした
要するに死の恐怖から逃れようとすると宗教でラリるしかなかったり
物欲に満たされすぎてきた虚無感をアイデンティティの杖にするしか答えがないってことだ
エリートでさえ
貴族でさえ
話がそれた
俺を救うために早くこの世に現れてくれ
くだらない重箱を突かせないでくれ
俺の想像を圧倒してくれ
「お前は間違っている」
膝をつく俺は何も言えずに黙るしかなく
夢を見るのはそればかり
同性婚かどうか以前に、婚姻制度自体が庶民含めた全ての国民に対して法制度化されたのは明治からなので。歴史はそんなに古くない。
一般庶民にとっては、結婚ってのは、ある程度お金のある人しかできない、というのが、明治中ごろまで続いたところらしい。
夫婦ものの落語にでてくる、「結納を取り交わした間柄」か「仲人なしのひっつきあい」か、というくだりが出てくるけど、
前者が「比較的余裕がある庶民の結婚」で、後者がそれ以外の一般庶民という感じ
当時の庶民でも、商家や農村なんかは、家同士のやりとりで「働き手」「財産の跡継ぎ」を求めて結婚をするというパターンがあった。
やっぱり現代式の結婚というよりは、家と家の結びつきなんだろうなぁ。
偏見だと主張してた側が
実際にマイノリティがマイノリティ特有の問題・実害を発生させても
その点について反論は一切しないか一部の人間という極論扱いで逃げる
極論でもなんでもなく発生する問題がそのコミュニティの文化に由来しててもこれで逃げ切ろうとする
コミュニティはその文化こそが自己を構成するものなので全力で抵抗する
おかげで偏見は残り続ける
NWOに乗っ取って全ての文化を破壊し、冨による貴族社会を再形成すればこの問題は無くなる
もう散々言われてると思うが一般に流通するウニはミョウバンの味だから
あれをウニの味と認識したままなのが、新鮮なウニ食った事ないんだなって意味になってる
そんでもって本物のウニの味を知るなら、高い金を出さないとアクセスできない
それが不可能な時点で貧乏人向けのウニにしかアクセス権を持ってないということになる
高いウニにアクセスしても不味いという感想なら「ウニ」が嫌いというのに説得力がある
「安いウニは嫌い」なら使ってもいい
それなら同意を得られる
あとは別に上等だからといって料理としての価値が下がるわけじゃない
ハンバーガーが提供しなければいけない粗暴な味付けが表現できない
だからジャンクフードとしては下級食材で作ったバーガーに軍配が上がる
完全な間違い。同意する人が多くて驚く。
古典的自由主義と左派の自由主義(リベラル)は全く別物であって、古典的自由主義の発展型ではない。根本が違う。
左派リベラルの原型にとって絶対王政は敵ではなく、むしろその原型。
左派リベラルの敵は封建制。貴族の力が強く王といえどもその自治権に逆らえなかった。
その絶対王政の「王」の権力を「人民」が所有することによって、
つまり人民(の総体)が権力になることによって自由が得られるという考え
だとするなら民主主義体制で選ばれた政府を批判するのは自分自身を批判してるようなもので矛盾しているが
左派リベラルが政府を批判するのは「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る」ためではなく
リベラルっていう用語は今では多義的になっちゃって拡散しているんだけど、源流をたどると「絶対王政などに見られる巨大な権力者に対して個人の自由を守り社会を安定させ豊かにしていく思想」があるよね。国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある。古典的な自由主義としてのリベラル。
いま日本では、リベラルが退潮とか危機とか言われているけれど、どう考えても歴史上もっともリベラルが花開き成果があるのが現代だと思う。古典的な自由主義者が目指した自由と繁栄の国が、いまの日本だよ。
もちろん、リベラルという語の示す意味合いは歴史によって徐々に変わっていった。いま死のうとしているのは、後発の変化した後のリベラルなのだ、という指摘は正しい。
しかし、でもだとするのであれば、その主張方法も変えていくべきだったのね。一番古典的なリベラルは上記のように「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る!」というものだったから、その主張手法は「だから、権力者(日本の場合首相とか与党とか政府)を厳しく監視してそれを咎めていかなければならない」であるわけ。日本の野党が国会で、やたらに与党に噛み付いたり、「安倍政権が九条を変更すると即座に戦争を開始してしまう!けしからん、断固打倒!」というのは、たしかに、古典的リベラルの主張としては正しいわけ。なにせ彼らは「巨大な権力者の恣意的な権力乱用から市民と市民の自由を守る」が主張なのだから。
でも最初に述べたように、古典的リベラルが憂いていた社会問題――たとえば王様が個人的鬱憤やら貴族の内輪もめで戦争を開始して農民の命がゴミのように消費されるとか、身分差の下位の側が奴隷としてなんの自由も選択権もなく酷使されるとか、餓死するとか――そういうのは、現代日本においてほぼ解決された。こういうことを言うと顔を真赤にして「現代のブラック労働問題が!」とか叫ぶ人はいるけれど、少なくとも法的な側面ではかなりのケアが進み、運用側の問題へと問題は進んでいる(日本の生活保護の捕捉率はたしかに大問題だけど、運用の問題ではある)。
つまり古典的な自由主義者は、打倒すべき問題の殆どを失ってしまった。日本の社会で言えば、1970年代の公害訴訟あたりの時期で、社会的使命を一旦果たした。そこで寿命を迎えたと思うのね。
もちろんそこで社会問題がなくなったという話じゃないんだけど、それらを指摘して解決していくためには、リベラルは名前を変えるか、名前を変えなかったとしても少なくとも主張方法は進歩させるべきだったわけ。なにせ古い主張とその手法は、古い問題に最適化されているわけだから。「安倍政権が九条を変更すると即座に日本は戦火に包まれる」なんて主張を、現代日本国民の誰がどれだけ信じている? 1%もいないとおもう。現代日本人の殆どは「政権を監視して非難すれば問題が解決する」なんて、もはやファンタジックなおとぎ話だと感づいているんじゃないかな。
現代に残る社会問題は、格差にせよ人口減にせよ、少数の絶対悪者が陰謀の結果日本に振りまいた災厄ではなく、すべての日本国民が利害関係者として今まで行ってきた選択の結果起きた、避けえない出来事であって、誰か少数者をリンチしてスッキリしたとしても、解決なんて出来はしないって気づいているんじゃないかな。
にも関わらず、いわゆるリベラルと言われる組織や政治家が懐古的な「邪悪な政府の陰謀論」を卒業できないのは、本当に卒業できないわけじゃなく、そういう手法を卒業しないことで利益を得ていた既得権集団だっただけなのだ。そういうことがほとほとわかっちゃった。そういうのがこの数年の政治状況じゃないかな。
いま日本でリベラルに愛想を尽かしたり、叩いたりしている国民も、一番最初に述べた「国の命令で、一般的な民間人の生命やら財産やらが奪われてはならない。思想や発言には自由があるべきだし、職業や結婚相手を強制されるべきではない。個々人は個々人で自分の人生を生きる自由がある」という意味では、立派なリベラリストなわけね。それらは当たり前にいつでも手に入る無価値な宝物ではなかった。たとえば北朝鮮ではそういう社会が実現されてないもの。
だからその部分は歴史に対して胸を張っていいとおもうのだ。そして同時に、自分たちがそういう意味ではリベラリストなんだから、リベラルを必要以上に憎むべきではない。少なくとも歴史のある時期、それらは社会に必要で、現代の豊かで平和な社会につながる重要な役目を果たしたわけだから。
一方で、そういう言う意味では、リベラルという看板は役目を終えたし成仏すべきだと思う。現状、Webやらマスコミで「リベラル最低だ」っていってるのは、かなりの程度死体蹴りだ。「リベラルという少数悪が邪悪だったので社会が悪くなった」というのは、まさに駄目なリベラルがすがりついていた思想そのものだよ。すがる側も、嫌悪する側も、もうリベラルから卒業しても良い時期だ。
貴族はいつから貴族になったのか、というと、 これは鶏と卵の話ではない。
出自をどこまで遡っても貴族というのは変だから、どこかで貴族になったご先祖様がいるのである。
一言で言えば経歴詐称であり、名だたる旧家は脈々と経歴詐称を受け継いでいる。由緒正しい家系図も初代は詐称であり、あくまで家系図の捏造から貴族になったのである。
「自分は貴族の生まれ」と経歴詐称したインチキな先祖が必ずいるわけだ。本来なら土牢に繋がれ囚人番号で呼ばれるのが似つかわしい連中が嘘に嘘を重ね立派な家名を手にしたのである。
土地の実効支配の問題を考えると地元のヤクザが貴族になるのかもしれないが、ヤクザがやたらと高級ブランドを好むのも興味深いところである。
全身を高級ブランドで固めたセレブにはどこかしら胡散臭さがあり、詐欺師と同じ瘴気を発している。
ナメられたら終わりという貴族の感覚は要するにヤクザであるし、高貴であるはずなのに卑しさが付き纏う。
すべての貴族は、実際の自分を偽ろうという卑しさが根底にある。高級ブランドの正規品とその模造品は、根底の発想が同じなのである。
「実際よりよく見せたい」という禍禍しい卑しさは通底しており、正規品の高級ブランドを身に着けていても、粉飾決算と似通ったものである。
虚栄心も人類の脳に組み込まれている観念であろうし、特に女は高級な虚栄の世界に憧れる。
ネットで経歴詐称してるのはだいたいが人格障害者であるが、ああいうのが「初代貴族」の実態なのだ。
彼らはとても卑しいのだが、「実際よりよく見せる」ことに取り憑かれた悪魔である。
平気で嘘をつく人格障害であり、見栄を張るためなら何でもやるわけである。
ああいうネットの詐欺師はどうにかなるとしても、遠い昔のことはどうにもならない。
癲狂院の鉄格子の中の出来事ではなく、史料を平気で捏造するゴットハンドなひとたちが人類のルーツとなり、歴史そのものに組み込まれているのであるし、その由緒正しさにわれわれもお付き合いしているのだが、大元まで辿れば病的な嘘つきだらけなのが人類である。