はてなキーワード: 腫瘍とは
私は生まれつき背中〜肩〜腕にかけて大きな痣がある。歳を追うごとに濃くなってきてる…と気づいたのはこの前の暑い日のこと。自分の背中なんてめったに見ることもないけどふと鏡で診たら酷い色をしていたんだ。そして両肩だけ皮膚が違う。
数年前からは変な出来物?みたいなのができていたんだけど見て見ぬ振りをしていた。医者に何か言われるのが怖かったのかもしれない。
良性の腫瘍ですねとのこと。うちは数年前に母が癌で亡くなってるから今後皮膚癌や他の癌に転じる可能性は大いにある。根が深いため治すには大きな病院にあるレーザー治療しかないらしい。すぐに紹介状を書いてもらうことになった。先生は口にしないものの焦ってるようにみえた。明日、これますか?と聞かれ、急だなあと思いつつはいと答えた。
明日の採血はアレルギーの検査も兼ねて。既にある金属・ハウスダストに加えて何が判明するのかなー。
ここ数年すごく肌荒れするようになってずっと悩んでいたけど医者が冷淡な口調で「あーこれは遺伝だから仕方ないですね」って言ってきてなんだかスッとした。何しても無駄みたいだ。父と母の悪いところばかり吸収してるなぁと思ったらすごく笑えてきた。
肌やアレルギーは遺伝、生まれつきのもの。仕方ないとわかっていても暑くても長袖、海も行けない、肩が見えるたびみんなに驚かれる…だから夏が嫌いで醜い身体が嫌いで10年以上ずっとコンプレックスだった。
「結婚式どうしようね」「こんな身体に産んでごめんね」って母に泣かれたときはひどく悲しかった。今でもうなだれた母のその姿を覚えてる。わたしはしょうがないよ、と声をかけて励ました。そんな母ももういない。
でも今日は記念すべき一歩を踏み出せた日。
これから少しでもよくなるかなぁ。よくなるといいなぁ。
ひとりで大きな病院に通うのはへこたれそうだなぁ。
でも、頑張ろ。何年かかってもきっときれいになる。
いつか腕を出せるように。自分のためにがんばろ。
検査薬で陽性が出て喜んで向かった病院で告げられたのはおそらく陽性と思われるが腫瘍があり、出産は難しいだろうとのこと。
そしてその言葉の通り、一ヶ月も経たずしてお腹の子は育つことを諦めてしまった。
ちょうどその頃、手術で落ち込んでいるわたしの耳に流れてきたのは彼女が卵巣腫瘍の手術で活動休止するとのニュースだった。
それまでは単なる1ファンとして彼女の音楽を楽しんでいたのだけど、それがきっかけで親近感が深まったのも確かだった。
当時わたしより8つも若い19歳だった彼女にとっても、それは女性としての将来に大きな不安だったに違いない。
その時彼女はまだ独身で、だからといって辛いことに変わりはないのだけど、わたしにはそれが彼女にとってせめてもの救いのように感じられたのだ。
そんな彼女の復帰はアルバム「Deep River」の発売とともに伝えられた。
SAKURAドロップスやtraveling、FINAL DISTANCE、光などどれもヒット作が並び、彼女の作るアルバムはいつでもベスト盤みたいなものだ。
でも今回はちょっと違ってた。
アルバムのタイトルにはそれまでヒットした曲を選ばず、全くの新曲である「Deep river」を選んでいた。
そしてその曲はそれからわたしを何度も泣かせることになった。
点と点をつなぐように
線を描き指がなぞるのは
私のきた道それとも行き先
線と線を結ぶ二人
怖くないけれど
この歌い出しに、わたしは自分の誕生と妊娠をイメージし、そして全てが辿り着く先を思った。
お腹のこどもはたまたまわたしより先に辿り着いてしまったけど。
Oh Oh 何度も姿を変えて
小さな血の塊みたいだったけどたしかにわたしのこどもは存在した。
あのまま育っていたらどんな姿をしていたのだろう。またわたしのもとに舞い降りてくれる日は来るのだろうか。
わたしはその時、そんなことばかり考えてはこの曲を繰り返し聞いていた。
この歌は、「潮風に向かい鳥たちが今飛び立った」という言葉で締めくくられる。
わたしにはそれが、渡り鳥のように次の場所を目指して飛んでいってしまった自分のこどもを強く思わせた。
テレビに何度も流れたこの曲のPVでは、彼女は浜辺で静かに横たわりながら歌っていた。
その姿は、それまで前向きに考えようと強がっていたわたしにそうやって静かに悲しむこともできるんだと教えてくれた。
そんな曲を聞いたばかりだったわたしは、うれしいと思いながらちょっとだけ不安にも思った。
その後の彼女が発表する曲が「Be My Last」「誰かの願いが叶うころ」と続くと、その不安はさらに強くなった。
なにか消化しきれない悲しみを抱いているような、そんな彼女を見るのが辛くなってきてしまった。
ライブにも足を運んだけど、大きな衣装から顔だけだして歌っている彼女を見て、もうわたしが好きだった彼女はいなくなってしまったのかもしれないと思った。
その反動で今度は彼女の曲があまり好きではなくなってしまったんだ。
その後は全米デビューとか離婚のニュースとか断片的に聞こえてはいたけど、正直そんなに興味はなかった。
なんとか彼女にも明るいニュースがあればいいなと思っていたけど、おかあさんが自殺したニュースが流れた時にはその不遇さに少しだけ同情した。
並外れた才能をもってしまうと普通の生活はできないのか、もっと当たり前の幸せが彼女に訪れてくれればいいのに。
そうなんだ。ちょっとだけ境遇が似ていたからって、わたしなんかが心配するような人生ではないんだ。
そんな中、そうして先日の出産とアルバム制作中の発表があった。
妊娠の発表もせずに、ちゃんと生まれてから発表したのはきっと生まれるまで不安だったからなんだ。
アルバムの制作を発表したのも、きっと世に出してもいいって彼女が納得できるものができあがったからなんだって。
それに比べて、わたしはちょっとだけあきらめていた。
もう失う悲しみを味わいたくなかったし、自分の人生を肯定しようと必死にもがいているような彼女をすこし軽蔑していたのかもしれない。
でも、そんな風に考えていたのはわたしだけだったんだって。
そうやって月並みに自分が傷つくことから逃げようとしていただけなんだって。
そうして久々に聞いたDeep Riverには、当時聞き逃していた歌詞があった。
全てを受け入れるなんてしなくていいよ
私たちの痛みが今 飛び立った
そうなんだ。
もう痛みはとっくの昔に飛び立っていたんだ。
なんであの時に気づけなかったんだろう。
そう思うと、あの時よりも涙が止まらなかった。わたしはどれだけ無駄に悲しみを貯めこんできてしまったのだろう。
今も昔も、わたしは彼女にささえられてばかりなんだ。
呼んだ?呼ばれた気がしてここに降臨
古来、ケツの穴の小ささは心の狭さ、器の大きさに比例するという
大腸がん検査、それは「便潜血検査」、大腸がんとウンチョの細い太いには関係ない
ちなみにウンチョがのり佃煮(今、桃屋の「ごはんですよ」食べている人すまん)は胃の出血が原因だから胃潰瘍
便潜血検査は成人病検査の項目だ、つまりオッサン、40才以降毎年だったかな、必須科目だ
何をするかというと、自分のウンチョを目の前に持って来て、その表面をスティックでなぞるのだ
いつもは”こと”を済ませたら永訣のレバーをひねるだけだ
説明書にはトイレットペーパーを幾重に折って「受け止めろ」と書いてある
産まれ出る我がコを受け止めろとな
そうそうできる体験ではない
長い一本グソをすると手のひらのトイレットペーパーからはみ出るから肛門様に力を入れてねじ切る
ケツの穴の小ささは、その時にだけ役立つな
そして「我がコ」の表面をスティックでなぞるのだ
トイレットペーパー越しとはいえずっしりと感触がある我がコを目の前にする
まあ目の目に持ってこないと作業ができないが
その表面をスティックでなぞる、スティックには溝がありその溝にウンチョが均等に付着するように
便潜血検査の趣旨は、大腸をウンコが通るときに腫瘍から出ている血液が付いているかを調べることだという
テクニックはウンコの表面を撫でる、ウンコにぶっ刺してはいけない、撫でるようになぞるのだ
ここまで書けば十分だろう
嫌が応でもそのうちあなたも、朝からウンコを”こねる”日が来る
私はコネラーでは無いし、そのいわゆるスカトロジー的な思想も無い嗜好も無い
朝からウンコをこねた日は一日ブルーだ、見た目、手の感触、ひと肌のぬくもり、そして「臭い」
有休を使ってその日は休もうと思いたくなるが、理由が「ウンコこねた」では世間体が悪い
わかるな、皆まで言わすな、何も考えずに冷蔵庫に入れよう、考えるだけ苦悩が続く
呼んだ?呼ばれた気がしてここに降臨
そんなに見たいの?そんなこと言ってるようじゃ、まだまだ若いね、若気の至りだね
イヤでもマジマジと見なければならない日が来るから、それが和式でも洋式でも
成人病検査の項目だ、つまりオッサン、40才以降毎年だったかな、必須科目だ
何をするかというと、自分のウンチョを目の前に持って来て、その表面をスティックでなぞるのだ
いつもはあなたが言う通り済ませたら永訣のレバーをひねるだけだ
説明書にはトイレットペーパーを幾重に折って「受け止めろ」と書いてある
産まれ出る我がコを受け止めろとな
そうそうできる体験ではない
長い一本グソをすると手のひらのトイレットペーパーからはみ出るから肛門様に力を入れてねじ切る
そして「我がコ」の表面をスティックでなぞるのだ
トイレットペーパー越しとはいえずっしりと感触がある我がコを目の前にする
まあ目の目に持ってこないと作業ができないが
その表面をスティックでなぞる、スティックには溝がありその溝にウンチョが均等に付着するように
便潜血検査の趣旨は、大腸をウンコが通るときに腫瘍から出ている血液が付いているかを調べることだという
テクニックはウンコの表面を撫でる、ウンコにぶっ刺してはいけない、撫でるようになぞるのだ
ここまで書けば十分だろう
嫌が応でもそのうちあなたも、朝からウンコを”こねる”日が来る
私はコネラーでは無いし、そのいわゆるスカトロジー的な思想も無い嗜好も無い
朝からウンコをこねた日は一日ブルーだ、見た目、手の感触、ひと肌のぬくもり、そして「臭い」
有休を使ってその日は休もうと思いたくなるが、理由が「ウンコこねた」では世間体が悪い
わかるな、皆まで言わすな、何も考えずに冷蔵庫に入れよう、考えるだけ苦悩が続く
http://anond.hatelabo.jp/20150204110623
(2)を書いたすぐあとに病院から連絡があり、週末から入院、週明け即手術の打診があった。
断ったら次はまた空きが出るまで待つことになると言われ、2つ返事でOKする。
その直後から入院までの3日間、連日深夜帯まで仕事をし、各種調整と、
どうしても終わらせたい仕事だけは何とか終わらせて、病院に飛び込んだ。
勿論そんな感じであるから入院の準備をする余裕は全く無かったので、
全て妻に頼ってしまった。
【手術日前】
CTとレントゲン撮影、保護テープの邪魔になる為髪の毛を剃る、
【手術日】
手術着に着替え、点滴をされ、出番を待つ。
呼ばれたら歩いて手術室の方に向かいまして、
起きたら手術が終わっていて、ICUで寝ていて、体のあちこちに管が繋がれていた。
…続きはまた。
http://anond.hatelabo.jp/20150204110623
診断されてから2か月、手術待機に入って1カ月が経過した。
最近は身の回りの人間に「歩き方が変」と言われるようになってきた。
実際、足の太ももの内側あたりに筋肉痛のような症状が出ていて、
あと、寝る時に横になると痛い。
どうやら横になると腫瘍が圧迫されるらしい。
また、同僚の席にあった握力を鍛えるグッズが、腫瘍の影響が出ている右手では
途中までで止まってしまい、握りきれないようになっている。
降りれないくらいになったら連絡してこい」と言われたきりだ。
このままだと来月くらいにはそうなっているかもしれない。
不安が募るばかりだ。
背中から腕まで痛いので医者に行ったら、即座にMRIを受けに行けと言われ、
その結果を見たらすぐ大学病院を紹介された。
大学病院では、既に腫瘍が脊髄管の半分を超えていて、
腫瘍を取らなければ、脚がふらつくようになり、
排尿排便が困難になり、最終的には全身動かせなくなると言われた。
腫瘍を取る為には首の骨に穴を開けて、脊髄の膜を切り、
中にある腫瘍を取り除くらしく、問題があればそれはそれで
障害を残すらしい。
今は手術を依頼して、順番待ちをしている状態。
なるべく早く切って欲しいが、麻痺などが進んでいない為、
そこまで緊急ではないのだそうだ。
足元がふらつき始めている気がするので、
できれば早めにやって欲しいなとは思う。
仕事にも、どうにも身が入らない。
id:sabacurry さん ブコメありがとうございます。
>そうそう脊椎に異常があると腕痺れたりするらしいよね。
>うちの奥様は第何頚椎だかのヘルニアって診断されてた。
>整体行かずに病院行くようにしよう。
そうですねー!整体で楽にならない時は、整形外科の受診が良いようです!
「子供は?」
「は?いらんわ。いらないし、今の生活してる限り無理だわ。
まず仕事。
朝七時から夜十時か九時まで夫婦ともども帰ってこないんですよ?
仕事やめろ?
まぁたしかに主婦になってきちんとお金節約したら何とかなるんだろうけど?そんな生活したくないし。
仕事続ける限りはアレルギー薬飲まなきゃいけないから尚更無理。知ってると思うけどこの薬飲むと胎児に腫瘍ができるよ。
あと根本的に二人分の家事すら出来てないのにどうやって子育てするの?
たぶんニートとかになって老後頼れないと思う。
私自身親の面倒なんて超近所に住んでるけど葬式以外一切見る気ないし。
今時点ですでに父親が軽い介護状態らしいけど一度も面倒見たことないでしょ?
老老介護?まぁ無理になったら施設に入れるでしょ。年に一度くらいなら見舞いに行くよ。
で、死んだら連絡くれればいいわ。
実際子供がいて親子関係悪くなくてこれなんだから、いたって意味ないよ?
で、子供作れって?
」
たいてい黙るのでとても便利。
数年前になりますがキャッスルマン病と診断された20代後半の人です。
キャッスルマン病がどんなものかはぐぐってもらえればなんとなくわかるかと思います。
病気自体が稀なものっぽく、ネットで検索してもあんまりでてこないので、ログとしてここに残そうと思いました。
ちなみに私は「1つのリンパ節が腫れるHV/限局型」の方で、現在は切除して何事もなかったかのように過ごしています。
発覚まではだいたい半年くらいかかりました。
健康診断のレントゲンに不穏なものが移ってるところからはじまり、そこで東京の虎ノ門病院を教えていただき、いろいろな検査を受けて発覚にいたりました。
最終的には不穏分子っぽい腫瘍の一部を気管支鏡検査的なもので採って検査する、という方法で発覚しました。
(ちょうど器官の近くにあったのでそれで採ることでできました)
ちなみに原因は、不明です。
普段生活している中ではとくに自覚症状や病気を疑うところもなかったかと思います。
最初に病名を聞いてぐぐって調べた時は、これから長い時間をかけて治療生活がはじまるのかと絶望していましたが、
冒頭にも書いた通り私は問題のある1カ所を切除するだけで治るということでしたので、切除する手術をうけることになりました。
ただ問題のある部分に血管が通っていてそのまま切除すると大量出血の可能性があったため、事前に血管を塞ぐという処置も行うことになりました。
血管を事前に塞ぐのは、小さい穴から血管を通って該当部分をコイルで塞ぐといったものでした。
術後は特に痛みはありませんでしたが、夜くらいに結構な熱が出てきて数日続いたのは辛かったです。
最初熱とは全然気づかず、何故か手足が痺れてきたのはすごく怖かったです。
何故か辛くて寝れない時に手足が痺れたらきっと熱の所為なので、氷枕3つくらいで頭と脇を冷やすといいと思います。
切除の方は問題の部分は胸部にあったので、胸を開く手術をするのかと不安に思っていましたが、
胸腔鏡手術という比較的傷口が小さく、骨を傷つけたり縫ったりする必要のない手術で切除することができました。
大きさによっては全部取り出すことが難しいかもしれないとのことでしたが、数時間の手術の末、無事すべて切除することができました。
術後すぐは動けないので寝たきりでしたが、麻酔の力もあり死ぬ程痛かった記憶はないです。
次の日くらいにはもうご飯も食べれた気がしますし、数日したら歩けるようにもなりました。
ただ胸の横から管がでているので横を向くのが難しかったり、横を向こうとすると痛かったような記憶はあります。
ですが一番不自由を感じたのは手の甲の点滴でした(腕は血管が細いかなんかで無理だったっぽい)
利き手じゃなくてもあのわりと使えなし動かすのが怖い感じは不便でした。
帰りは自分で入院の荷物もったり電車で帰ったりできるくらい動ける感じになってました。
若いてすごいですね。
退院後は若干痛みはありましたが、薬飲めばある程度収まりましたし、無理して体動かすとかしなければわりといつも通りな生活を送ってた気がします。
手術した時の糸は溶ける糸だったので自然に消えたっぽいです。糸残ってるな、という感覚もそんなになかった気がします。
血管止めたときのコイルはずっと残り続けますが、磁気とか電波とかの影響もないし普通に運動しても問題ないやつらしいので生活に支障はまったくないです。
脂肪が増えてたくらいです。
その後も定期検診に通ってますがとくに何ともない状態が続いています。
神経痛とか傷口が痛い気がするみたいなものは天気悪かったりするとたまにありますが、動けなくなる程じゃないので問題ない感じです。
傷口は1cmくらいの小さなもので、肉が付いたからか体質か肌が弱いからかわからないですが、ちょっとふっくらしてしまいましたが今はあんまり気にしてません。
気になったら皮膚科にいけば平にしてくれるんじゃないかと思います(以前別の場所がふっくらした時に何かの注射でだいたい平な感じにしてもらった)
発見してくれて別の病院を紹介してくれたお医者様、検査や治療や説明をしていただいたお医者様、優しくしてくれた看護婦さんや同じ病室の人、
世話してくれたり助けてくれた身内の人達、休んでる間よしなにタスク調整してくれた会社の人、
皆さんに支えられて精神的に病む事もなく頑張ることができました。
すごく珍しい病気だったにも関わらず、早期治療であまり苦しさも感じず後遺症もなく元気に過ごせています。
以上、キャッスルマン病と診断されたけど限局型で切除して元気でやってます。という人もいるよ。というログでした。
この先どうなるかは未知ですが、今は元気でやってます。
自覚症状もないし原因もわからないしどこにできるかもわからないし判別も困難な難しい病気ですがほっとくと恐ろしい病気なので、
脳に腫瘍ができたとかじゃないといいけど。
姉の旦那が死んだ。
二つ上の姉と、姉と同い年の旦那。
癌だった。
3、4年前に喉のリンパに腫瘍が見つかり、検査?で摘出したところ、癌と判明した。
治療を進めていたが、その後両方の肺に転移が見つかり、手術不可能と言われたらしい。
身近な人の死。
自分の親の死の時もショックだったが、年の近い人の自然な?死は、予想以上に ショックだ。
子供のころに、同級生が腸重積で亡くなった時もショックだったが、
死んだらどうなるんだろう位にしか感じなかった。
でも今、身近な人の死に 今までにない喪失感というのか
哀しさというのか、寂しさと言うのか、恐怖と言うのか、
なんなんだろー。
自分よりも、姉がショックだったろう。
差し迫った伴侶の死を感じながら、看病の日を送った事だろう。
その気持ちを察することは、俺にはできない。
なんなんだこの感覚は
うん。
「約束を破らないでください」っていうのは、
「約束を破らないで済む方法があったはずなのにそれを取らずに破った」人に向けてるフレーズだもの。
破らざるを得なかった事情を誰よりも身近にいて知ってるはずなのに、まるで破りたくて破った人にかけるのと同じ言葉って、責めたい気持ちがあるからでしょう。
責めるのは勝手だけど死者を責めるのはお門違いじゃん。殺人だったら犯人を責めるところを「犯人」が体内の腫瘍だからその持ち主=被害者を責めるって話がおかしいじゃん。
逆にどこが「責めてない」のか説明してほしいんだけど。
みんな質問ばかりで誰も指摘に応えないよね。
あなたもそうなん?
あなたは内に溜め込む性格だとか抱え込む性格だからストレスが溜まるんだとかいわれることがある。
でも溜め込まずに吐き出してみてストレスを溜めずにすんだ事は殆どなく、吐き出した事に対する相手の反応を見て失望したり不信の芽に水をやる結果にしかならず、より大きなストレスを感じる事が多かった。
私が口下手なのがその一端ではあるけれど、私が私なりに分析して辿り着いた結果だ。
そういう訳で、私の性格上不満を内に溜めない事にメリットを感じないから日頃から溜め込むという選択をしている。
多分、強姦加害者や痴漢が文句を言わなさそうな相手を選別しているのと同じように、理不尽をぶつける人たちもこういう相手を選んで理不尽をぶつけているのではないかと思う。
直ぐに不満を周囲の人間に触れ回り弁が立つ相手には理不尽はぶつけない。理不尽だと心の中で分かっているからだろう。
昔、良性の卵巣腫瘍が出来た事があり摘出した腫瘍を見たという母から言われた事を要約するとこんな感じ。
「まるであなたの抱えているストレスが腫瘍となって現れたみたいだった。長女だからってたくさん我慢させてごめんね。あなたはなんでも我慢しすぎるから、何でも抱え込んでは駄目」
ああ、私に理不尽をぶつけているという自覚はあったんだ。
そうだろう。だって私より年上の長男には理不尽をぶつけているところをここ数年はあまり見ていない。
兄は、冷静に物事を考える能力があり、親相手でも理詰めで話したり理不尽な話を正したりできる人間だ。
母が兄に理不尽をぶつけていたのは、私が見た限りでは兄が中学・高校くらいまでだった。
弟1は精神障害がある。弟2はとても優しいけど追い詰められると友達の家に逃げるなどしてしまう。末の妹は理詰めというタイプではないけれど非常にサバサバしていて筋の通らない要求は親から来たものでも受け流せるタイプ。
殴ったら心が折れてしまうほど弱い子を攻撃できるほど鬼畜でもないし、かといってのれんに腕押しタイプの人間に殴りかかったところで涼しい顔で受け流されたらスカッとしないだろう。
私のように、正面から受け取ってしまってちゃんと傷ついてくれる上で理不尽を呑んでくれるような者が理不尽をぶつけるのに最適という訳だ。
ツイッターで流れてる、「女性はホルモンの関係で月4回性格が変わる」とか、「生理痛はこんなにつらい」的な画像を見ると、世の中にはなんて愚かな女が多いんだろうと思う。
鎮痛剤を飲めばやり過ごせる程度の痛みならともかく、吐いたり、起き上がれなかったりするのは明らかに異状。
すぐ婦人科行け。
実際、私の友人は卵巣に腫瘍が出来ていて、片方摘出することになった。
それから、「月4回性格が変わる」とか言うけど、それだってコントロールは可能だ。
もちろんデメリットもある。そんなの、調べればいいだけのことだし、お医者だって説明してくれる。
メリットとデメリットを比べたら、明らかにメリットのほうが大きいと思うけど。
たいていの女は、数十年、生理と付き合っていかなきゃならないんだよ。
対処のしようがあるのに、それをせずに、「こんなに辛いんだからお前ら譲歩しろよ!」って声高に唱えるのは恥ずかしいでしょ。
無知であり続けるのは、恥ずかしいことなんだよ。
「しかもそれにはふかァ〜いワケがあるんだよぉ〜ん」って言っとけば
恨むことが許可されて批判は免れるとでも思っているのか?
いつも自分を殴る奴の腕が折れればいいってのはまだわかる、執拗に追いかけ回してくる奴がギプスか車椅子の要る羽目になればいいのにってのもわかる
性格のねじ曲がってる奴は脳に腫瘍ができて人格ぶっ壊れればいいし口の悪い奴は舌がんか口腔がんあたりになってうまい飯も食えずまともに物も言えない人生になるってのもアリだ
そんな大げさな話にしなくても奥歯の一本も虫歯で神経腐れば眠れないわ食えないわおまけに口が臭いわでマジで精神病むし簡単に人生詰む
そういう理屈を敷衍して考えるに子宮と乳房に攻撃を加える理屈ってのはないわけだ
産むための器官と育てるための器官はおよそ人を害しようがない、器官っていうかほぼ内臓だし逆レイプとぱふぱふによる窒息以外に加害方法は無い
逆レイプ被害者でもない限り、これらの内臓に害を望む輩は概して
「頼んでもいないのによくもとんでもない世の中に産み落としてくれやがったな死ね」か
「何で俺にはハメさせてくんねェんだよハメたいハメたいハメたい俺を拒むな拒むくらいなら死ね」に大別できる
いずれも単なる逆恨みでありどこまでも浅はかなバカだ
膵内分泌腫瘍の発覚したジョブズは、スピリチュアルに依存した結果、手術を9ヵ月遅らせた。
その愚かな、本当に愚かな選択が、あと30年はあったであろう彼の寿命を8年に縮めてしまった。
ジョブズらしい、とこの行為を評する向きもある。そんなバカなことがあるか。
癌治療の選択という一点においては、彼はスイーツ女にも劣る判断力のなさ、思慮の浅さを露呈し、醜く死んでいった。
死屍累々の試行錯誤を、統計学の力を借りてなんとか学問らしくしているだけにも思える。
それでも高度な教育を受け論理的思考を身につけた多くの学者が、
最も有効と思われる方法を探そうと暗闇の中に日々努力した結果が今の医学なのだ。
いち人間やいち集団の唱える民間療法とは情報の質において一線を画す。
今人類が手にしているちっぽけな医学上の証拠は、名もない数百万、数千万人の命の上にできている。
それを軽んじて良い結果が出ると思うほうが、誤りなのだ。
飼い猫を先日安楽死させました。
6月下旬に顔の腫れに気がついて動物病院に連れて行った所、上顎に悪性の腫瘍があってもう手遅れだと言われました。
下顎ならば切除することももしかしたら出来たかもしれない、と言われたけれど、そんな事を言われてもどうしようも無い事だと家に帰って泣きました。
悪性な上に進行が恐ろしく早い癌で、半月程経った頃には顔の半分が変形して常に口からはヨダレが流れ腫瘍が腐って部屋中が酷い匂いになりました。
何件もペットショップやホームセンターを周り食べられる餌を探し、少しでも食べてくれと祈るような気持ちで何個も何十個もパウチを開けては捨てる毎日を続けました。
見るからに痩せ衰えた猫は、それでも私が帰宅するとフラフラと玄関までやってきてか細く喉を鳴らすのです。
夜も眠れず流れ落ちるヨダレと涙を拭ってひと月ちょっと。
ある日帰宅すると猫の頬に穴が開いていました。
その穴から黄色い血膿が流れ出て猫の顔は真っ赤になっていました。
抱きかかえると猫はいつものように小さく喉を鳴らしじっとこちらを見つめていました。
もう猫の体は骨と皮になっていて、子猫よりも遥に軽く薄っぺらで、私はわんわん泣きました。
タオルにくるんで抱きかかえ病院へ連れていき安楽死をさせて欲しいと先生に頼みました。
「先生、安楽死はつらくないですか。猫は苦しみませんか」と私が聞くと先生は「つらくない、眠ってそのままだよ」と言いました。
安楽死の準備は時間がかかるのかと思ったのですが、あっけないほどすぐに始まって、あっけないほどすぐに猫は死にました。
処置室から出てきた猫の目には明らかに光りが無く、呼吸は止まっていました。
と言われて抱きかかえると確かに僅かに心臓が動いていました。
何度も名前を呼んで撫でてみてもやっぱりもう猫は入れ物みたいになってしまっていて、私は人目もはばからず待合室で泣きました。
目を開けたまま死んでしまったので、泣きながら目を閉じさせてやると、本当に眠ったようにキレイな姿でした。
あれだけ苦しんでいた面影がすっかり消えてしまったのが不思議なくらいでした。
安楽死をさせた事を私は後悔していません。
ただ私は猫が苦しんでいるのを知っていたしこれ以上苦しめる事は出来ませんでした。
猫が死んで二週間が経ちました。
もう平気と思っていても猫の名前を口にするだけで鼻の奥がつんと痛くなるし、これを書きながらもう顔は涙と鼻水でひどいものです。
もっとああしてやればよかった、こうしてやればよかったと悔やむことは多々あります。
でもそれは結局二度と叶わない事です。
その叶わない願いの中で最たるものは「もう一度だけ猫に会いたい」と言う事。
もう一度だけ撫でて抱いてやりたい。もう一度だけあの喉を鳴らす音を聞かせて欲しい。
無理だと分かっていても願ってやまないのです。