はてなキーワード: 立場とは
かつてこれ
https://anond.hatelabo.jp/20231107155841
”感情では熊絶滅してくれたらいいのにと思う派だけど、集落襲撃と違って、人の娯楽(山菜採り渓流釣)のために熊駆除するのは違うと考える。私はソロ登山やるから切実だけど、運が無かったと思う事にする。”
このブコメが傲岸すぎて泣いちゃった。
”投稿者がいみじくも書いた、山菜採りと釣り。その延長線上で、熊の親子は駆除される。釣り合いますかね? まぁ、山菜と魚を絶滅させれば問題解決だが。”
は単にマジでなんもわかっとらんのやな思うだけやからええけど山登りしとる人が自然と人間との関わりとしての正解のように書いてまってるように思えてまったのがごめんやけどなんやひっかかってまった。
いや違うな、ワイは娯楽で死ぬ覚悟はできとるけどこのまとめの人らは娯楽でやっといてそれができてへんのやね、いう文意やろか思てムッときてまったんやな。
”田舎生まれの人は分かると思うけど、こういうとこ通らないと生活できない地域も普通にあるし、山菜取って食うのも文化だし、そう簡単に「人間の領域」と「熊の領域」の切り分けはできないよね。”
もしかしてワイが非表示にしてるコメの中にヒグマなど皆殺しにすべし、いうような過激なことを書いとる人がいて、その人に向けて書いとるブコメならごめんやで。
でもそうやないとしての話やが、このブクマカさんがどこに住んどってどんな暮らしをしとるかはわからんけどこの書き方からしてきっと山からそれなりに離れた都市部の人やと思う。違たらほんますまんやで。
そうでなければ襲撃されることが稀である「集落」と人間が分け入ってはいけないクマの領域「山間部」が離れていて「生活」と「娯楽」が切り離されている前提で話さないやろうと感じるからな。
きっとブクマカさんがソロ登山をするときには何かしらの交通機関もしかしたら自転車やらかもしれんけどそれらを使って山へ行って、そこからさあ登るぞってことを月に数回とかするのやろか、と想像するのやけど(違ったらごめんやで。)、そういう感じやと普段の生活に山やクマの息遣いというのは入ってこないんやろから仕方ないんやけどヒグマに遭遇するような暮らしをしとる北海道民の多くは「家のすぐ裏・ちょっと歩いたとろにヒグマがいる山や森がある」って感じの人が多いと思うねんな、いうかワイがそうなんやけど。
そんなのよっぽど田舎か山間の方の話でしょ?wて思うかもしれんが、田舎どころか政令指定都市である札幌市においては南区・西区・中央区・清田区は本当に山がちな地域が多くそのすぐ裾野までびっしりの住宅街が連続しとるいう感じやって都会においてすら北海道ではほんまにヒグマの問題は身近でありかつそこに代々暮らしとる人間にとっては「山菜取り」は文化以前に普通に生活なんよね。
これらの区を繋ぐ道は件の林道よりはそれは都会的ではあるけどや、鹿も通れば狐も通りヒグマも横切る山の中の道でこれを遊びで通る以外の人の方が多いことは市内、どころか北海道民ならだいたい当たり前にわかっていることやと思んやね、生活ですよほんまに。それ以外のなにもんでもなく。釣りはようしらんからごめんやで。やらんからな。
ワイはヒグマ怖いから絶対山に入らんけどワイの前の世代、その前の世代はあたりまえに春になれば山菜取りが生活の一部である人が大勢おり、それを知らん人が自分の知っている自分と山との距離感を当てはめて娯楽といってのけるのはなんとも…やし、そういう地域の住人がのべつまくなし被害に先んじて山林にいるヒグマらの駆除を望んでいるかといえば全然違うんよね、やからヒグマにおびえながら被害に遭わないよう気を付けて暮らしているわけですわ。
例に出しとる行為と同列のものとしてご本人さんが出しとるから「娯楽」と書いてええと思うけど、そうやって度々のソロ登山をたしなむ人が「生まれたときから毎日家の真裏にヒグマのいる山がある」立場の人のなにを判断できるのだろう、後者の人は前者の人より命を落とすかもしれないことへの覚悟がキマってない、いうふうにとれる物言いはほんまにになんやちょっと…傲慢やない?と居住民としては感じてしまったわ。
去年はエサ不足(竹の花が咲く周期とも関係あるとも言われてるけどどうなんやろな?)でヒグマは例年以上に札幌市内のあちこちに出没しとって、もちろんそれ以前も普通に出没しとって周辺に住んでいる人間はみなそれを警戒して暮らしとるよ。
山の近くの小学校に通う子はたまにランドセルに鈴つけとる子もおる位や。
https://www.city.sapporo.jp/kurashi/animal/choju/kuma/syutsubotsu/
この地図
https://www.google.com/maps/@43.1620553,141.1140322,9z/data=!4m2!6m1!1s1IdKI30huZBf56kXAdzwugZ-JcN5Y35QH?authuser=0&entry=ttu
をずいっと拡大してもらうと、いかに市街地と山が隣接していてその境目が曖昧であるかということがわかってもらえる思う。
一歩下ればすぐ車通りのある車線の多い大通りいう民家の前の道に親子のクマが出没して防犯カメラの映像に捉えられニュースになり、「遊びで山に入」らなくても本当にヒグマとの遭遇は日常的なものだという恐れやら覚悟を新たにしたとこなんよ。
山間部やない東区の住宅街にも出没し住民がケガを負ったこともあるしあれも決してその年だけの特殊な状況ともこれからは言えんと感じるわ。
本州の方も良く知っとるやろう藻岩山や朝日山大倉山、定山渓の周辺なんぞまさにクマのメッカのようなとこやしおなじみ白い恋人パークからほんのちょい南に上った山裾の住宅街にもヒグマはたくさん出よるねん。
ほんでそれは多くの住民のすぐ「家の裏」なのであり、生活の場の中いうか一部に内包されとんねん。
札幌市では来年度から山の際の市街地に箱わなを設置するとのことやが
https://www.fnn.jp/articles/-/686749
山から出てしまったヒグマに対する措置やろないうとこやし実際どれだけのヒグマが箱罠にかかるものかというところで、前述のような住環境において住民の命を守るためには決して積極的ではない対応やとワイは思うわ。
札幌は田舎やんかw言われてしまえばそれも間違いないんやけど田舎に限らずヒグマの脅威というものは常に隣にあるもんで、命を失う覚悟もなく甘々の環境で暮らして遊びほうけとるもんでもなく「運が無かったことにする」では済まない毎日があるいうこと少しだけもしここへ住んどったらどうやろワイ・・・て想像して考えてみてほしいんやで。
その上で誰も積極的にはヒグマなどみな死んで滅んでしまえばええねんとも思ってないいうことは特に書いておきたいのや。
そう強く感じとる人間がようけおったとして内心はブクマカさんも書いてるような気持ちと同じやとしても、結果として出力されとらんとこはワイらも同じやねん、たとえブクマカさんより遥かに遭遇する確率が高い日常を送ってたとしてもや。
前述の増田の通りワイはヒグマが怖すぎて泣きそうやからまだ引っ越し資金をためとるで。
そして今これを書いてから泣きながら家に帰るところや。
大昔の職場で人によって態度を変える人がいたなー。
私は酷くされる側だった
何か私が気に触ることでもしたのだろうかと気になったり、考えても何も思い当たることがなく、その冷たい態度を思い出しては悲しく辛くなり、家で泣いたりしてたw若かったから。
お互いに同じような仕事上の身分で私の方が少しだけ早く入職しており一応先輩という立場で、でも先輩ぶってるつもりはなく、こちらは普通に対等に接してた。
挨拶無視したり、話しかけても目を見ずにぶっきら棒に小声で返したり、何かしてあげた時にもお礼も言わないなど。機嫌がいい時は、明らかに声のトーンが違い、そういう時はお礼を言ってくれるけど、機嫌わるそうな時は、連絡として⚪︎⚪︎しといたよって声かけても、無視。絶対聞こえてるのに。仕事で使う書類や物を、バンッてワザとものすごい音立てて机に置いたりするので、私もその子より下の後輩もびっくりしたなあ
いわゆるきょうだい児の私からしたら、植松がやったことは「法的・倫理的には許されなくても心情的・実利的には悪くない」と思う。事件当初から思ってて、今も思ってる。
前提として、きょうだい児全員がこんな優生思想を内面化したやべーやつだとは思わないでほしい。同時に、きょうだい児全員が「私は障がいのあるきょうだいが大好きで誇りに思います」とか宣えるわけじゃないことだけは叫ばせてほしい。
事件のことを知った時、私は率直に「植松が姉のいる施設を襲ってくれてたらよかったのに」と思ったのを、今も覚えている。植松が姉を殺してくれていたら、私は「被害者遺族」という圧倒的「正義」の旗印をもらった上で、姉という重荷から解放されたのに、と。
姉が障害者でいいことなんか一つもなかった。マジのガチで一つもなかった。私はきょうだい児界隈の中ではとっても恵まれた立場(姉とは違う学校、姉のことでいじめられた経験無し、親から姉の介護を頼まれた経験無し、姉のことを知った上で結婚してくれた人がいる等々)だから、どの層からも「お前ふざけんな」って言われそうだし、私の生きづらさの8割は私自身の特性のせいだからアレなんだけど、やっぱり姉には早く死んでほしい気持ちがある。ずっとある。
きょうだいの話を振られるたびに嘘をついたりごまかしたりするのは疲れる(この感覚は例えばセクシャルマイノリティの人がパートナーの有無や『好きな異性のタイプ』を聞かれた時の気疲れに似てると思う)。姉がいるのに「普通のお姉ちゃん」がいたらできることは何もできない、のに私よりずっと何もできないIQ25未満のきょうだいを「お姉ちゃん」と呼ばなければいけない。家族で出かけるたびに周りの目が気になって、歩くだけで恥ずかしかった。その一方で、姉を施設に預けたまま姉抜きで旅行や外食に行くことに罪悪感もあった(けど姉がいたら絶っっっっ対にできないことがいっぱいできて楽しかった!)。あと、私は知的には問題なかったけど発達障害の傾向があったから下手したら姉以上に面倒な子どもで、両親は姉より私によっぽどお金も時間も手間もかけてくれた。それは本当に本当にありがたいんだけど、私は20歳そこそこで施設に入れられて無為な生活を送らされてる姉の人生って何なんだろうなってよく思う。
施設での姉の様子はよく知らないけど、片道1時間かけて送迎してる父いわく「家に帰る時はテンション爆上げで施設に戻る時は顔が死んでる」らしい。でも私は姉が家にいるとテンション爆下げだったし両親も大変そうだった。そのうち送迎も家での介護もできなくなるから姉は近い将来一生施設で暮らすようになる。それは気の毒だけど、私は姉を引き取れと言われたら絶対に拒否する。むりだもん。結婚で逃げれて本当に良かったと思ってる。
中学生になるかならないかのころに、ダニエル・キイスの『アルジャーノンに花束を』の存在を知って、読んで、チャーリイ(が受けた手術)がむちゃくちゃうらやましかった。もしそんなことが叶うのなら、姉に「頭が良くなる手術」を受けさせて、ほんの一時でもいいから「普通のお姉ちゃん」と姉妹でいたかった。正直、この願いは今も捨てきれていない。
あと、これは私の勝手な想像なんだけど、姉の一番の被害者は母だ。母は仕事が大好きで自分の仕事に誇りを持ってたけど、姉が障害児だったせいで育休後も職場復帰できずに専業主婦になって、それっきりずっと家にいた。姉が健常児だったら母は何らかの形で仕事を続けられていたのは間違いない。この点に関しては本当に母が可哀想だと思っている。そんなこと言ったらマジギレされるから言わないけど。
とにかく、私にとって姉は(一般的なきょうだい児に比べれば笑えるほど軽いけど)重荷でしかなくて、可能なら両親が元気なうちに死んでおいてほしいと思っている。私は姉が死んだら普通に泣くだろうし普通に悲しむだろうし自分がおぞましいことを考えていたと後悔するだろうけど、でも心のどこかでホッとするだろうなと確信している。だから、もし植松が姉を殺していたら、私は「被害者遺族」として世間から気の毒がられながら、ちゃっかり重荷から解放されて(部分的には)ラッキーとさえ思ったかもしれない。
私がここまでクズいことを書いても、読み手の何%かは共感すると思う。植松が言ってた「役立たずは死ぬべき」という価値観は、私を始めとした現代日本人の結構な割合に浸透してて、というか多分人間の本質として「人権」とかいう後付理論で矯正しない限り、障害者は殺したり座敷牢に入れたりするし、高齢者は姥捨するし、子供は使い捨ての労働力にするし、役立たずはバンバン殺すと思う。そして「じゃあ貴方は自分が『役立たず』になった時に死を受け容れるんですか?」と聞かれた時、少なくとも安全圏にいる時点では「もちろん死にます」って言い切っちゃう人間は少なくないと思う。まあこれは私が反出生主義入ってる生粋のネガティブクソメンヘラだからそう思い込んでるだけかもしれない。もしくは著しい想像力の欠如かな?
まずオタクというのが元々キモくて冴えない連中に対して貼ってるレッテルだから
自分の能力を鼻にかけてるのがよく分かる文章でプライドも物凄く高そうで、地方差別も露骨だしリベラルやフェミニストになるのも納得
なんだけど、もう一つは北海道在住の俺の実家は男側より女側の方が立場強かったな土地柄の違いなんかね
家でなにか決める時も父親の意向が反映されることはほぼなく、母が決める
なので、気分転換したい時は実家に寄り付かないで外で適当に時間潰したりするよね
でも祖父は家父長制っぽいけど、陰で大分馬鹿にされてたから威厳もないよね
俺は妹に学生時代3万円盗まれても奴は親に叱られなかったし金も帰ってこなかったし謝罪もなかった
逆だったら俺は家から追い出されて北海道の真冬の中で4時間ぐらい彷徨う事になってたな(実際にTシャツとジャージの部屋着と裸足のまま外に放り出された事は度々有り、足の指が壊死しかかった)
表に出せない話ではもっと色々あるけど……
歪んだ視点のコメントばかりで何となく聞いてるだけの視聴者が歪んだ解釈をすることになるんだよなあ
展示会プランの最終goサイン出すのがくっせえじじいだからしょうがねえんだよ
展示会に様子みにきてお土産もってきたっつってケーキとか買ってきたっていったのに、
ってアホかしねころすぞとおもったわ
モテない男がモテないのって特に具体的な好きな女がいないのも理由としてあるよな
容姿年齢問わず自分を受け入れてくれる人なら誰でもいいからって、一見自分の立場を弁えてて素敵なように思えるけど、それ誰のことも興味がなくて好きじゃないのと同じだからね
宮崎駿も新海誠もセカイ系作品ばっか作ってるけど構造が単純で直感的だから人気出るんだよ
モテるとかいうワードが悪い。俺らにあるのは、むしろ少子化解消して社会の未来を支える責任を積極的に背負い込もうとする心意気なんだよ。積極的に責任を求めるからこそ上司の立場や政治家に立候補するんだ。社会を変えるための理系の科目をより好む。それが証拠。
柄本明が死ぬときの謎のおっぱいポロリとか、???な演出がいくつかあったけど、終盤で瑛大の頭をスコーンってしちゃった女性のことがすごく気になってしまった
初登場シーンから、「あれ、この人っていわゆる朝鮮半島から来た人の顔だよね?」と思ったから、スコーンってしたときはてっきりその後に「実は自分も朝鮮人で、立場が危うくなる前に我先にと手を下した」とかいう演出が入るのかと思ったんだけど、まったくそんなことなくて普通に亭主がのんびり帰ってきて膝から崩れ落ちるってかんじで終了
出演者を見る限り、製作者側がそういう意図もあってキャスティングしている感もあるんだけど、その女性のことだけはあまりよくわからないかんじで
もしかしたら自分が見つけられていないだけで、そのことに触れてるインタビューとかあるのかもしれないけど、とにかくなんか腹落ちしないかんじのモヤモヤが残ってしまって消化不良
父からLINEが来て、ゴールデンウィーク中、アパートに泊めてくれないかとのこと。
事情を聞くと姉(40代氷河期無職メンヘラ)がフェミにはまり、
その影響を母(70代専業主婦)が受けて、
父が在宅の時は常にぐちぐちと責め立てられるらしいようになったらしい。
姉は元々、氷河期でろくな就職ができなかったことを逆恨みして、
母は…まぁ学のない人で、高卒で入った会社で父と会って寿退社。
そのままずっと専業主婦やってきたような人なので、
フェミによる女性の役割の解放と言うのは魅力的なのかもしれないね。
でもさ、あんたら産まれてから、結婚してから、ずっと父に経済的に100%頼ってきたじゃん。
卒業できなくて家で引きこもった後は、ずっと父に養ってきて貰ったのに、
70後半に差し掛かりそうにもなってお前らの為に働き続けている父に対して、
今更関わりたくないとは思うんだけど、父の置かれた立場は黙認していいものでもないと思う。
どうしたものか。
入った会社がクソだったと気づいたとしても、研修中に辞めるんじゃあない。
研修ってのは金がかかる。
そんな金食い虫のくせに研修中に辞めるだなんてとんでもない。
手間と金をかけた研修が終わり、先輩について学び、仕事を任されるまでに成長し、可能であれば多少なりとも頼られる立場になって…それから辞めるんだ。
確実にダメージを与えろ。
君ならやれる。
安倍ちゃんは既にできあがっている組織のお飾りのトップと言う立場だから輝いただけで、個体としての能力はむしろ低い方だし、病気によるデバフも無視できないし、異世界転生してもモンスターですらない鹿あたりに倒されそう。王侯貴族の子供に転生すれば無双もあるかもしれない。
「正しさ」は社会が定義する、という話。いわゆる共同体主義っぽいな。
そういう立場があるのは理解するが、欠点もあるやり方だね。どんな残酷で無茶な結論であろうと共同体の結論であれば無謬である、という、ありえん結論を導いてしまうので。
君のAIの話は、むしろ共同体主義の欠点を顕にする例え話の類に思えるね。
サンデル教授に、反証の一種として、お前の言う通りならこういうことになるが、どうやねん、と突きつけたりするための。
俺の考えとしては、やはり人や共同体の外部に、真の正しさは存在する。
世界は人の精神の外にもあり、正しさは世界から導かれるからだ。我々と我々の共同体=集合知は、そのプロセスを読み取ったり間違えたりするだけだ。
よくある意見が、正しくないこともあるのなら、それは正しくないこともある意見であり、正しい意見とは違う。よくある意見に特権地位を与える理由はない。