はてなキーワード: 白人至上主義とは
某鉄腕ダッシュとかで在来種を守ろう!外来種は撲滅だ!とかいって好意的に取られているけど、やってることって白人至上主義と同じじゃないか?
元から住んでいる方を優遇して、後から来たほうは排除しよう。で、住んでいるところは元々別だったんだから、分けて住もうってことをいっているって点では言っていることは一緒だよね。
要するに、外来種排除を行っている奴らは、黒人差別している奴らとやっていることは同じだってことを自覚したほうがいいってことですね。
黒塗り規制反対派です。
彼らは嫌だからやめてくれって文言だけど、実質は「差別と決まったから止めろ」だよね。
黒人と白人の間で決まった決まりごとを持ち込んできて、俺たちの決まりに従えときてる。
黒人と白人の間で問題があったことは知ってるし、歴史も文脈も知ってる。その上でそうなるのは当然で、白人社会でやっちゃいけないのは理解してる。
でもここは日本だよ。
寧ろめちゃめちゃ日本人向け。
そこから黒人を差別していこうなんてそんなお馬鹿な運動が起こるわけもない。
そんな日本に対して黒塗り批判はルールだから!以上の理屈がない。
なのに困ったことにこれに同調して長いものに巻かれろ、タブーだからと馬鹿の一つ覚えでごり押しし、挙げ句従わない奴はレイシストとまで言い始める輩が出る始末。
こっちは要は文脈がないって言ってるだけなんだから、らしい文脈を考えたり、どこまで許されるかお話しなりしてすり合わせなりすればいいんじゃないですか?
日本の文化も歴史も文脈も意向も無視して、いきなり海外からタブー導入して守らない奴はレイシストとか言ってなんの条文でもないのに強制力働かせようなんて、いくら悲劇から生まれたルールにしたってこっちは不意打ちでポリコレ棍棒で殴られてマウント取られた図にしかならんよ。
日本には黒人差別がないんだから、反黒人差別を導入したいのであればそれなりのすり合わせは必須でしょう。
そもそも黒塗りっていうのが広義すぎなんだよね。
その意味も文脈も考慮されず、不快という理由を付けてデザインでアウトとか言っちゃうやつ。
何故アウトなのか、どこまでがアウトなのか、是が非でもアウトとか言う前に日本人と黒人はよく話し合う必要があると思う。
例えば日本人が黒人に扮してアウトならアニメとかで黒人が出てきて日本人が声を当てるのもアウトになるかもしれない。
もしくは同じ白人至上主義からの被差別者同士、話した結果許せるラインが互いに下がるかもしれない。
個人的には他種族、多民族と変わらず黒人とも対等で居たいし扱いたい。
もちろん日本人の扱われ方も然り。
アジア人のエンジェルもいいとはおもうけどなぁ。アジア人モデルが入ることで、VCの路線ががらりと変わるなら反対だけどね!
ブラとか、ルームウェアとかフレグランスとかもわりと手ごろ。ショーはファンタジーだけど👼
私たちが欧米人のルックスに憧れや美をみるように、あちらもアジア人にはエキゾチシズムは感じてると思う。
「太陽の下の18歳」旧い映画でも、ちょっとそういう表現あるし。
普通に黒人のモデルさんもいるよね。顔立ちはアメコミ顔。白人至上主義というより、美形のるつぼ的、なんでもあり。
多様性を云々というのもあろうし、こないだ中国でショウしてたし、市場開拓の意味合いでも、アジア系のモデルいてもいいと思う。
身近にそんな人いないだろ!ってくらい手足の長いスタイルの美女揃いであることに変わりはないでしょ。
ファッションイラストレーションから抜け出てきたようなエンジェル達がランウェイを闊歩するショウは一度は見てみたいけれど
批判されようが、黒人モデルを使っても売れない以上黒人モデルが使われる事はない
実際日本人の白人至上主義的傾向は遥か昔から批判されてるけど変わらない
ビヨンセみたいに黒人でも日本で大人気な人が出てくれば使われる事はあるだろうが
それはポリコレの為ではなく売り上げの為だ
元増田の言う通り「昔は白人至上主義で白人にしか売らないブランドだった」と勘違いしてるのが多いだけでは
実際は違うようだけど→https://anond.hatelabo.jp/20171121101451
日本人は白人フェチ多いから、海外のものが日本で紹介される場合に白人ばっか紹介される、ってのはよくある事で
そういうので勘違いしたのかな
ヴィクトリアズ・シークレット歴代『エンジェル』モデルまとめ【Victoria Secret】
多様性ってのはさ、白人至上主義も黒人至上主義も世の中にはあっていい、不愉快なものの存在も許容していこうぜっていうことであって、あらゆるものが白人と黒人を平等に扱うべきっていうことではないと思うんだ。
人種によって公的な社会参加の機会が制限されるのは良くない。それは差別だ。
でも下着ブランドは私的なものなんだから、黒人やデブがモデルになれなくたっていいんだ。
そのことが気に入らないなら、黒人やデブを重用するブランドを立ち上げればいいだけのことなんじゃないかな。
まぁでもアレだね。
外圧に負けてブランド価値を曲げたんじゃなくて、そうすることがブランド価値の向上に繋がると判断したんなら、別にいいけどね。
ヴィクトリアズシークレット(めんどいので以下VS)という有名下着ブランドがある。その有名モデルはとくに「エンジェル」と呼ばれていて、かのミランダ・カーさんもここのエンジェルとして有名になった。VSのモデルは、もともと白人だらけだった。白人の健康的で美しく、セクシーな女性を芸術的に飾り立てるブランドだった。有色人種モデルも中にはいたが、もちろんごく少数で脇役だった。なんというか、同じものだと飽きるのでたまにスパイスを入れることで引き立たせるみたいに使われていた。
VSは毎年恒例のファッションショーをやっていて、今年は上海で行われたのだが、これが本当にがっかりだった。人種多様性を軽視することが命取りになりかねない昨今アメリカでは、白人至上主義的な世界観はなりを潜め、モデルには黒人とアジア人が前より多く登場するようになった。私はこれが本当にショックで、VSは死んだと思った。もちろん間違っているのは私である。VSはアメリカの有名企業で、人種多様性を肯定する社会的な義務があるし、お客さんは白人だけではない。世間は、VSは「良い方向に」生まれ変わったと評価するだろう。おまけに、一流ファッション誌までが、人種多様性に加えて、昨今話題の「プラスサイズ」(大きなサイズ。ぽっちゃりサイズ)が盛り込まれたらもっとクールだよねみたいに言い出した。冗談じゃないとおもった。それはもうVSのショーではなく、ただの下着ショーだ。H&Mの下着ラインのショーとかそういうのでやればいいじゃないか。VSに来ないでほしい。VSという特殊な世界では、細くて背が高い女性だけを美とする空間でいいじゃないか!と。
私は間違っている。私は白人至上主義のVSが大好きだった。地上の楽園、夢のような世界で、憧れそのものだった。率直にいうと、黒人もアジア人もそこにはいてほしくない。美しくないしかわいくもないとおもう。恐ろしいほどの人種差別だ。私もアジア人で、しかも普段はリベラル思想に共感して、美の多様性を積極的に肯定しているのに。それなのに、VSが白人至上主義でなくなったことを心から嘆いている。本当に意味がわからないし混乱している。
分からないと答えるだけだったという
映画にもなってる虐殺器官にて、内乱で虐殺を繰り広げてる将軍がなぜ自分がこんなことをしてるのか分からないと嘆くシーンがある
それに似ている気がした
差別の場合も人の中に生得的に差別する器官が備わってたりするんだろうか
いや、備わってると考えていいだろうな
日本の場合は、宗教や人種の違いは少ないけど差別がないわけじゃない
なぜかそういうものでも差別だったり差別じゃないと言われるものがあったりで不思議だが
そう考えると生まれてこの方差別してこなかったやつなんて一人もいないだろうな
親権者とか法的な保護義務者じゃないなら、黙って追放したらいいだけ。
そもそも殴る権限って無いでしょ。ルールに従えない人は粛々とその場から排除する。
いろんなニュースを見ていて、結構単純な結論にたどり着いて、「権限を持つにふさわしくない人に権限を与えたら、ろくなことをしない」ってことに行き着く
東芝やカネボウなんかが傾いたのは無能な人を即時解雇・追放することが出来なかったからで、地位にふさわしい能力を持ってない人が蔓延する組織はだいたい衰退するか滅ぶ。
「権限を持つにふさわしくない人」は権限濫用や逸脱行為が多いので、わりとすぐにわかる。
世の中なんでも表裏一体で、多様性を認めるほど管理する側のリスク管理のコストが上がって、排除を強めるほどディストピアだとか独裁だとか言われる。
人道支援や平等主義がちょっと強くなりすぎて、「権限を持つにふさわしくない人に権限を与えたら、ろくなことをしない」弊害が日本の日常生活から世界中の国々の幅広いところに至るまで強くなってきている。
その弊害の結果、排除の風潮が強まってきた。リスク管理をやりやすくするには、多様性を管理可能な水準まで落とすだけでいい。リソースがないときは、そうしないと自分たちまで死ぬから。
みんな殺されたくないから生きていて、宗教だ歴史だ人種だというのは後付けの理由でしかない。
絶滅危惧種を保護する活動する人だって牛丼や豚肉のしょうが焼きは食べてるんですよ。生きていくための商売として絶滅危惧種を題材に使ってるわけで牛や豚の命は割りとどうでもいいわけです。
あの人を排除する、あの会社を排除する、あの学校を排除する、あの人種を排除する、あの国を排除する。「排除する」は「死なせる(広義の意味で)」に置き換えても成り立つ。
管理する側の理屈としては、殴って言うことを聞かせるのも風評リスクが発生するだけなのだから、あのトランペッターさんは黙って子供を会場から出せばよかっただけです。
アメリカの大統領が最近日本に米軍駐留費全額負担だとか言い出したり、アメリカで白人至上主義団体が暴れだしたりしてるのは、単にカネがないから。
アメリカの人々および国が衣食足りるようになれば以前のようなアメリカに戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。
アメリカがお人よし的に世界の警察やお節介やってるおかげで存続できて、自力では国家維持できない国がある。代表的なところでは日本だけど。
天然資源も石油も取れないし、近隣に核武装してる上に強固な軍隊を持っていて、領土と資源が豊富な国連常任理事国が近所に2つもあるのに日本国が存続しているのはアメリカが何らかの目的があって日本を生かしているからで、アメリカがロシアと仲良くしだす、アメリカがロシアと日本の接近を黙認するというのは日本を死なせることにしたということ。
お友達も増えるほど維持やトラブル回避するための関係管理がめんどくさい。アメリカがロシアと、あるいはアメリカと中国が仲良くなるんなら日本と朝鮮半島は不要なわけで・・・
本質は意外と単純なものかもしれない。複雑な問題は解けるレベルまで単純化すればいいだけで、これはまさしく経済学のやり方であるらしい。
https://anond.hatelabo.jp/20170830204145
「わたしを殺すな」という主張ならばわかりやすい。そこには倫理も正義もない。死に抗うあらゆる生物の剥き出しの本能である。これが他者も含め「どんなことがあっても殺しちゃだめなんだよ」と拡大されると途端に気持ち悪くなる。
食用、素材、害獣駆除、スポーツハンティング等。人の都合であらゆる動植物の命を奪っておきながら人は殺すなという。それは人間至上主義である。今話題の白人至上主義との違いは何か?どこで線を引くかだ。「白人とそれ以外」なのか「人間とそれ以外」なのか。
人間至上主義結構、白人至上主義結構。エゴ丸出しで生きるのもいいだろう。不利益があっても批難されてもそれが貴方の主義であるならば貫き通せばいい。それを絶対的な正義・正論であるかのように主張するから気持ち悪いのだ。
人は人を殺しても構わない。群れにとって不利益であるから群れの理屈によって処罰されるだけのことである。善悪の問題ではない、損得の問題なのだ。そこを履き違えて正義を気取るからおかしくなる。
自分の恋人が韓国人に寝取られるというなんじゃそらな性癖だけど
アメリカのKKKみたいな白人至上主義の原動力にblack rapistっつーのがあって
つまり黒人はチンコでかいから妻や恋人が寝取られちゃうみたいな
ジェシーワシントン事件とか、白人の強姦殺人事件の黒人容疑者が白人に集団リンチされて焼き殺される事件も起きてる
まぁ割と切実にビビってるのかなと思ったり
リー将軍は地元への愛着と義理で南軍の総大将を引き受けたものの、個人的な意見としては南部政府の理念や奴隷制度には反対だったんよ。性格も温和、集権制よりも分権制を嗜好する人だったらしい
そのへんをすっとばして、南部の将軍だったというだけで白人至上主義者たちが持ち上げ始めたので、そんな雑な扱いするなら、もう象徴としての看板は下ろそうか、という雰囲気になっていたという話があるみたい
たぶんこの話題はシャーロッツビル衝突事件以来の一連の騒動から来てるんだと思うけど
白人のトランプじゃなく我々が「オルタナ右翼とカウンター集団、どっちもどっちだ!」と言ったところで白人至上主義者から歓迎してもらえるわけなくて、口汚く罵倒されるのがオチだよ
日本のネットで一番よく見かける反朝鮮人系の人達に関して言うと、彼らは自分の気に食わない意見があるとそれを言った人を証拠もなしに朝鮮人認定始める(人が目立ってる)じゃん
朝鮮人かどうかって、批判対象か否かを決める判定なんだから一番慎重にやるべき所なのにだよ?
つまり、いつ定義が勝手に拡張されて、自分も含めて差別されるかわからないんだよ
これ反差別を唱えてる人達自身が自覚してないかもしれないけど、彼らは自らを無謬の人として、高みから差別を批判してるんじゃなくて、
白人至上主義者のトランプ大統領が治めるアメリカより、有色人種である日本人は有色人種である中国や朝鮮と手を組んだほうが良いぞ
https://anond.hatelabo.jp/20170816113637
まったく同じ感想を持った。あの動画で男を叩いてる女は人格障害と断言できる。
もしくは男が憎くて殺したくてたまらない白人至上主義者みたいな女性様至上主義者(だいたい外見も心もブスばかり)か。
どっちにしてもろくでもない。
あの事件、先進国の格差問題の中心がむき出しになった感じあるよね。
白人至上主義者っていうその呼称や翻訳がもうあんまりよくないと思うんだけど、とにかく集会を主催した(表向きの)トランプ支持者たちは、おそらくほんとうの意味での貧困ではない。ピックアップトラックに乗って集会に駆けつける程度の財は持ってるってのもそうだけれど、世界的な基準で見れば、アフリカの飢餓者のような意味での絶対的な貧困ではない。下手をすれば、地球規模で見た場合、彼らの生活の裕福さは上位10%以内に入っている可能性すら有る。アメリカに住んでいて、家があって、公共教育を受けていて、健康で、職があるというだけで、人類の幸福な上位陣であることは間違いない。
彼らは彼らの狭い視界の中で無視されていると感じていて、もうその、感じていると言うだけで、彼らの内面世界では真実なのだから、他人がそれに対してできることはあんまりにも少ない。彼らの嘆く貧困はおそらく地球規模で見たら取るに足りないもので、飲水にも困っている荒廃国家の児童のほうが確実に救いを必要としているけれど、彼らはもうそういう比較にはうんざりしている。
でも、彼らがそういう児童より先に救われなければならない倫理的な理由(正義)は、ない。
それは彼らもわかっているから、闘争で(選挙も多数派を押さえて自分たちの意見を優先させようという、ある種の闘争だ)自分たちの意見を通そうとしたし、それはある意味成功した(事に少なくともいまはなっている)。つまり「俺が殴られるのは絶対イヤなので、俺は他人を殴る。他人の気持ちは俺にはわからんし、おまえに何か言いたいことがあれば俺を殴ればいい、俺のほうが強いけどな」という宣言だ。
そこに有るのは、「他民族主義」vs「白人主義」みたいな今見えてる対立よりもっともっと根深い、「数比べ(選挙)だろうが実際の武力闘争だろうがテロだろうが、手段は何であれ、勝ったほうが正しいという世界観」vs「彼我の立場を交換しても成立する倫理を守り最大多数の納得を追求する世界観」という対立だ。その対立こそが分断なんだと思う。