はてなキーワード: 白人至上主義とは
欧米出羽守が何でも欧米の人権感覚が正義って主張するのは勝手だけど、アメリカやイギリスのポリコレって特に極端かつ矛盾だらけなんだよ。
同じような疑問、つまりレイシズムを人権主義でカモフラージュしてんじゃないのか?
って今回も思い浮かんだ。
毎回行き当たりばったりで、しかも「白人様はポリコレで黒人様や女性を守ってるのに、そういう倫理観に欠けたジャップはクソ」みたいな何重にも入り組んだレイシズムをぶつけてくる。
https://togetter.com/li/1086546
まあ見てみろよ、この白人至上主義者の目、異文化の人間に対してレイシズムを隠そうともしない歪んだ表情…と言ったら、ジェンダー系のポリコレに違反するだろう。
じゃあ色んな黒人文化やイスラム文化にも同じノリで突っかかって行くのかと思ったら、何故かそっちの方は文化の簒奪とか言って悪気ない白人が民族服を試着することすら止めにかかる。
性的消費に対してイスラムばりに厳しいのは分かったから、じゃあどんな性犯罪者も徹底的に糾弾するのかと思いきや、今度は少女を暴行した難民が国外退去になりかけてたのをポリコレ派の人達がむりやり止めに入る。
まあ矛盾するのはポリコレ実践家とはいえ人間、仕方ないと思う。
でも異質な他者に対する攻撃性はもうちょっと抑え気味にならんかねぇ。
そらこんな文化圏で生きてたら、チューリングも自殺に追い込まれるよ。
当時は同性愛者がポリコレの管轄外だったから彼は徹底的に攻撃されただけで、今でも当該国ではまだポリコレ外の別のマイノリティが徹底的に攻撃されてると思う。
日本社会が男尊女卑であることを認めない、認めてるけどま何が悪い?と開き直ってる人が嫌いな私のお気持ち
性的な表紙のマンガの売り場を分けましょうって言われたり、ノーベル賞の解説でおっさんに説明させてへそ出した女の子のキャラに""バカで若くて可愛い女の子"の役割させてるのを指摘されたりしたら、
フェミだ〜!ポリコレ棒〜!ま〜ん(笑)って大はしゃぎして女のみならず白人至上主義団体とかムスリムとかあらゆる民族・思想をおもちゃにして、俯瞰した気になってるけど
本気でこれを指摘してるのがフェミ(笑)ま〜ん!だけだと思ってるんだろうか
その理由も ワタシが不快だから弾圧するわよ!だと思ってるんだろうか
日本国内で指摘されてるうちは、フェミ様や、ま〜んに媚びた騎士が言ってるだけ!「私が嫌いだからやめろ!」って叫んでるに過ぎない!女は感情的!はい論破!、ってやって毎日過ごしていけばいいと思うけど、女性外相の会合におっさんだけ参加したり、飴舐めた女性議員をおっさんが集団いじめしたのが海外でもニュースになったりしてるわけで、そろそろ悪い意味で知られ始めてることに気づいた方がいい
オリンピックもあるわけだけど、同じ国の女に指摘されたら毎度毎度、アメリカの言い始めたポリコレになんで我々が配慮しないといけない?ここは日本なんだが?はい論破!女は感情的!日本から出ていけ!って突っぱねて勝った気になってる人達が国際社会に対してもその態度貫けるのか楽しみになってる
これエントリーしたら絶対おっさんとか言って中年男性を差別してますよね?とかコメつくと思うけど、一生そうやって相手の粗探しして、自分に対してされた指摘は全部感情的!お気持ち!って一切聞く耳持たずに生きていけばいいよ
いまネットで国内のリベラルま〜んサヨク相手にやってるみたいに、世界からの批判に対しても頑張ってください
あと男女で明らかな賃金格差があってジェンダーギャップ114位なのにひたすらに女は優遇されてる!優遇されてる女達が俺たち弱いオタクを弾圧しに来たぞ!表現(特に未成年の胸や尻)を守れ!って奮い立ってるオタクは何が見えてるの?
ソースとか事実とか好きなのに賃金格差やジェンダーギャップだけは無視し続ける謎
ジェンダーギャップを決めてる組織のような世界の価値観には従わないぞ!ってこと?
頑張ってください 勝てるといいね
はいどうぞ
https://www.telegraph.co.uk/news/2018/10/01/japanese-politician-kicked-meeting-sucking-cough-drops/
最初につくコメント、ま〜んかおっさん差別!だと思ってたけど「なんで腐女子って〜が〜な話ってタイトル付けるの?」だった
出た! 本題と関係の無いところに突っ込んでマウントを取ろうとするオタク 冷静な分析 目の付け所が違うわ
その調子で頑張ってください
猪突猛進。いや、猪突盲進。いやいや、猪突盲信。
もう無条件で信じ込む様の滑稽なこと滑稽なこと。
あの汚職の数々を目の当たりにしてまだ支持率が40%近くあるんだぜ?
判断能力なさすぎて、アメリカで白人として生まれていたら無能ゆえアイデンティティーを示そうと白人至上主義者になっているイメージ。
多分当たってるけど。
増税に次ぐ増税、それでも尚忠実なF欄安倍の犬となるか、ネトウヨよ。
もし日本に法が、倫理が、誇りが、国家としての実質的な機能が残っているのであれば。
でもネトウヨは言うんだ、今安倍が退陣して、誰がなるんだって。野党の誰が可能なんだって。
日本の政界、少なくとも60歳超えた老人に未来を考える力もなければそもそも意思もない。あるのは保身だけだ。
最低でも、これだけ国民の年金が崩壊しかかっているにもかかわらず、議員年金だけ残ってりゃわかるだろ。
日本が世界一政治家をAIに置き換えることに意義があると思う。
政治力なんてそもそもいらないんだよ、必要なのは合理性だけでいい。
以上
フェミニストが乳製品を摂ることは矛盾か、という議論が喧しい。
https://togetter.com/li/1194767
http://sutaro.hatenablog.jp/entry/2018/01/29/162209
http://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2018/01/30/152800
はじめに言っておくと、わたしはヴィーガニズムやアニマルライツには明白に反対である。しかし、それらを一部のバカによる寝言だとは思わない。むしろヴィーガニズムは正しいと思っている。いや、より正確に言うならば、ヴィーガニズムは正しすぎるがゆえに問題なのだ。
ヴィーガニズムへの反対に理屈をつけようとすると、かなり高い精度でブーメランとなって戻ってくる。人間と動物は違う! 白人と黒人、男と女を代入して同じことが言えるだろうか? 人間は他の動物より賢い! 男が力強いことを男性が優越していることにしたい性差別主義者は、古今東西どこにでもいる。人間が動物と違うのは社会の常識だ! アメリカ南部の奴隷主たちも、同じことを思っていただろう。
10年ほど前、はてなで「本当の本当に大切なことには、理由があってはいけない」というフレーズが話題になった。まったくその通りだ。「同じ人間を差別してはいけない」にも理由はない。理由はないが、道徳律とはそういうものだ。差別はいけない、なぜならそれは差別だからだ、という主張は空虚だが、しかしその正しさを疑う人はいないだろう。差別は正しくない、これは自明です。
ところで、「同じ動物を差別してはいけない」という主張は、「同じ人間を差別してはいけない」と論理的に同型である。空虚である。空虚であるが、ではそれゆえに正しくないと主張することは可能だろうか?
人類の平等への闘いは、「同じ○○」の範囲を広げてゆくことだった。「同じキリスト教徒を差別してはいけない」という議論に対して異教徒が声を上げることは必要だった。「同じ成人男性を差別してはいけない」という主張では、無産階級の男性のことは救えても婦人参政権は実現できなかった。ようやく今、人種差別や性差別が「同じ人間を差別してはいけない」として斥けられる時代になったのだ。
しかし牛や豚からすれば、その「人間の平等」は、「白人のなかでの平等」や「男性のあいだでの平等」と寸毫変わらぬであろう。
それがヴィーガンやアニマルライツの訴えの核心である。これを安易に「人間と動物は違うんです。以上」で切り捨てることは、安易に「だって男と女は違うじゃん」と切り捨てることと、いったいどこが違うというのだろうか? このふたつの主張をまったく別物だと切り分けること、それ自体が彼らの批判する種差別なのだ。
何でフェミニストにばかりそういう要求や追及がなされるのか? と疑問を呈する人もいる。断言するが、それは最悪の戦略である。
第一に、ヴィーガン界隈を見ればわかるが、彼らは一般人に対しても肉を食ってさえいれば無差別にマサカリを投げつけている。それが今回たまたま件のフェミニスト氏に向けられただけであり、構図としてはセクシーな萌えキャラの出てくるポスターをフェミニストから批判されたオタクが「何でオタクばっかり叩くんだ?」と過去の女性運動の蓄積も知らずに愚痴っているのと寸分違わない。やめておいたほうがいい。
第二に、差別に反対する運動の中で別の差別が行われていたとき、それを厳しく追及してきたのはフェミニストたちだったではないか。人種差別に反対する運動の中で性差別が起きたとき、人種差別だけでなく性差別にも反対すべきだ、そうでなければ真の反差別とはいえない、という主張はそれなりの説得力をもって受容されてきたように記憶している。であるとすれば、性差別だけではなく種差別にも、という主張が向けられることは自然な話であろう。
つまり、既存の反差別運動の側は、迂闊にヴィーガニズムを揶揄しているとブーメランが帰ってくるわけだ。反差別、正確には、反人種差別および反性差別を支持する者として、味方がブーメランに撃ち抜かれて斃れていくのを見るのはやるせない。
ではどうするか? わたしはまず、敵対関係を認識すべきだと主張したい。
フェミニストは男性優位社会の敵である。奴隷解放論者は南部社会の敵であり公民権運動の闘士は白人中心主義社会の敵である。それと同様に、ヴィーガンは人類社会の敵である。
このことは、現在のヴィーガニズムの支持者が全員人類であることと何ら矛盾しない.家父長制と闘う人びとの中には男もいた。奴隷を逃がしたり黒人とともに座り込みに参加した白人もいた。そして彼らは、男でありながら男性中心主義の敵であり、白人でありながら白人至上主義の敵だった。ゆえにヴィーガンが、人類でありながら人類社会と敵対するのは何ら矛盾ではない。
わたしたちにはふたつの選択肢がある。ひとつめの選択肢は、敵が提示する平等のテーゼを受け入れることであり、つまりはジャイナ教徒のように虫の一匹も殺さぬようマスクをし箒で道を掃きながら歩く生活を選び取ることだ。もうひとつが、平等と敵対することである。種差別の何が悪い、人間は動物とは違うんだ、人間の都合で動物を搾取することは当然だ、と傲然と言い放つことである。
最悪なのは、この敵対性に対して目を瞑ることだ。敵を「なんか頭のおかしい人たち」として片付けることだ。そうではない。彼らは正しいのだ。彼らは正当な抗議者として、つまりはわれわれの敵として扱われるべきなのだ。
この敵対性を隠蔽してしまったら、他の敵対性が隠蔽されることに抗えなくなる。それは平等への闘いの自滅だ。敵対性がそこにあることを明るみに出すことは、常に闘いの出発点なのであるから。
なのでわたしは宣言する。肉うめぇ。これはヴィーガニズムが提示する平等への敵対だ。朕はたらふく食ってるぞ、汝畜生食われてろ。数百年後、あの世代は動物差別と動物大虐殺を何とも思っていなかった民度の低い連中だ、人類の進歩を阻害してきた、と糾弾されるかもしれない。それでもわたしは、種差別を正しいと信じる。人間は動物とは違っており、この差別は当然だと主張する。未来の子供は、わたしのこの言明を醜悪なスピーシシストの声明として読むかもしれない。ユダヤ人は劣等だと言い放ったちょび髭の指導者や、女は男よりも劣った生き物なのだと公言してきた家父長たちが扱われるように、動物を殺して恥じなかった我々現代人も扱われるかもしれない。ひょっとすると数十年後に革命が起きて、人道に対する罪で訴追されるかもしれない。自己批判を強要されるかもしれない。それでもわたしはヴィーガニズムに敵対する。この差別は正しい差別だからだ。
さあ、みんなもそう叫ぼうじゃないか。種差別は必要だ! 種差別は正しい! 今ここで種差別を! 明日も種差別を! 永遠に種差別を!
別にどちらもダメではない。面白いと思う人もいれば、不愉快だと思う人もいるという話。
インターネットを通じて、「不愉快だ」と発信できるようになった。
保毛尾田保毛男はゲイを揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
浜田の黒塗りも黒人を揶揄するように見え、それを不愉快だと思った人が声をあげる。
同じようにキングスマンで大虐殺された「白人至上主義者」が、不愉快だと声をあげることもあるだろう。
あげられた声に対して、当事者でない人がその声に共感できれば、その表現は差別認定される。
共感できなければ音沙汰なし。
今後はもしかしたら俺、そいつ死ぬほど嫌いなんですなぜなら……という論法で笑いが作られるかもね。
そして表現もそうなっていくかもしれん。