はてなキーワード: 強気とは
昼を食べていたら携帯に掛かってきた
本当に何について話してるのかさっぱりだった
ソフトバンクだけは分かったけど、何のセールスなのか分からなかった
テレビ見ながら聞いてると、こんな内容だったはず
NTT光の回線そのままで、ソフトバンクと契約すれば携帯代が月500円安くなる
NTT契約はそのままなので違約金は払う必要がない、4年前からやってるサービスだから安心しろ
安心するのはいいけどあなたはどこのどなた様なんでしょうか、名前すら名乗っていませんよね、会社名すら名乗っていませんね
そんな相手の電話で安心しろと言われて、安心する人なんていないと思いますよ
相手の女性は強気一辺倒で、このまま契約すればいいみたいな話しぶりだったので、今のままでいいですと断ってあげました
事実、脅迫事件の被害者という本来同情されてもいい立場のはずなのに荻野由佳へのバッシングは止まらない。つまりそういうことだよ。もうアイドル引退したらいかがかな
こいつとあと二人がクソみたいなことを実際喋ってた証拠を。何が事実に反するだ、バカにするな。
https://twitter.com/kuzukutabareYo/status/1130583688876400640
妄想でここまで人に殺意を向けられるって異常性癖だなあって思う。
心の広い狭いで何かが解決するのか?今の時代に生きてるのかあなたは?
https://twitter.com/kuzukutabareYo/status/1116643618222043146
SNSとかで強気にコメしてる人はいるけどさ、実際に声を出して特定民族排斥のために活動してる人、ほぼいないよな。口だけの奴らが過剰な投稿などして活動してる私たちの足を引っ張ってることに気づいて欲しい。
https://twitter.com/kuzukutabareYo/status/1104660757197684736
平成も終わろうとしている今日、今敏監督作品「パーフェクト・ブルー」を昨日視聴した。
私は、今敏監督作品では「パプリカ」が一番好きでパーフェクト・ブルーは二番目に好きなのだが、やはり名作である。
パーフェクトブルーという作品は当時(1997年)には珍しいインターネットやストーカーを題材としたサイコホラー作品なのだが、その恐怖は今でも、いや今だからこそ色濃く感じる。
「あなた、誰なの?」
パーフェクトブルーを象徴する台詞の一つだ。この台詞は主人公の未麻がテレビドラマの撮影中に放つ台詞である。その目線は画面の向こうの観客を捉え、こちら側に訴える。
「あなた、誰なの?」それはもはやインターネットが当たり前になった世の中では忘れ去られつつある感覚かもしれない。ツイッターを開けば私達は毎日画面の向こうにいる他人の呟きを見て、世界の何処かにいる誰かの喜びに共感したり、怒りに賛同したりする。
近年思う。インターネットに居る「誰か」というのは、勿論現実に生きている人ではあるが、現実での人格とは別にインターネットの中でのみの人格を形成している人が多いのではないかと。
ツイッターで多く見られる旦那への愚痴アカウント、これらはほぼ匿名であり、現実の旦那への怒りのガス抜きとして利用しているのだろうが、共感できるツイートには多くの賛同コメントがつく。
毎日息をするように呟かれる旦那の愚痴だけを見ると、あたかもその人の旦那は酷い人物のように見えるが、画面の向こうで実際どのような生活をしているのかは誰も分からない。もしかしたら、子どもも旦那も、その人が作り出した妄想上の産物である可能性もあるのだ。
そのようにインターネットでは、誰も知らない「誰か」がいとも容易く作り上げられてしまう。現実では弱気な人がインターネットでは強気な意見をしたり、性別を偽ったり、実際の生活水準より上に見せた生活に見せたりと、枚挙にいとまがない。
インターネットの書き込みは今や「便所の落書き」ではなく、何気ない一言で人生を変えるほどの現実である。だが、インターネットでは毎日のように人を攻撃し、楽しむ人もいる。
「叩かれて当然のことをしたから」この風潮があまりにも蔓延しすぎているのもあるが、一番に忘れられているのが「実際に画面の向こうには生きている人間がいる」という事実である。
インターネットでは、相手をどれだけ殴ろうが、叩こうが、血は流れないし痛みも感じない。だが、画面の向こうでは血は流れなくとも確実に傷ついている人間がいるのだ。
死ねとクソリプを送る人は、生身の人間を前にして同じことを言えるだろうか。本当に相手が死んでしまったら、死んで当然だと遺族の前で言えるのだろうか。
10年以上フォローしているフォロワーでも、本名も知らない一面も多くある。インターネットで見られる誰かの一面は、その他の面を一生知ることがないままが大半だ。
平成は終わり、令和という新しい時代を迎えれば、インターネット技術は益々発達し、それこそ今敏監督の作品のように夢と現実が交錯するような世界もあながち妄想でなくなる日が来るのだろうか。
そういった世界を前にしてこそ、インターネットという空間において「あなた、誰なの?」という感覚を持っていることは、大切だと感じる。
ジェンダーバイアスの解消を目指すのは全くもって良いことだとは私も思う…のだが、
私がそれを目指すのが難しいと思う一番の理由は、「そもそもジェンダーバイアスとは何なのか」
…もうちょっと分かりやすく言えば「男らしさ」「女らしさ」の定義のコンセンサスが取れない、ということだ。
『いやそんな複雑な話じゃないだろ?男は強くたくましく、女は家庭的に、みたいなヤツだろ?』とお思いかもしれぬが、
そう単純な話でもないのだ。
たとえば今日日、「俺は気が弱い。俺って女みたい…」と言うような男がいれば、
「今どき強気な女なんていくらでもいる。気が弱いことは女らしさではなくて単にお前がお前だからだよ!」と侮蔑の対象となるでしょう。
また、女性の化粧の話でも「女性は世間の女らしさの抑圧により化粧をさせられている」
と言った単純な話でもなく、
「私は女だから化粧をしているのではなく、自分の表現のため化粧をしている」
と主張する女性も散見されます。また、昨今は化粧をするような男も多くなっているようで、
「化粧=女らしさ」という定義が難しくなっているとしか思えないのです。
要するに、ジェンダーバイアスの解消を目指すのはとても良いことですが、
果たしてそのジェンダーバイアスとは具体的にどのようなものなのか?
その解消すべきジェンダーバイアスを定義すること、それ自体がジェンダーバイアスに影響されてしまう、
という自家撞着を避けることが、私は非常に難しいと思うのですよ。
「◯◯は男(女)らしさだ!なくすべきだ!」
↓
「◯◯は男(女)らしさではない!そういうお前自身がジェンダーバイアスに侵されてるんだ!」
…といった具合に。
いや私はジェンダーバイアス解消なんて無駄だしやめろ!なんて言う気はありません。
タイトル通り、困惑している。ウッソだろお前っていうビックリと、そこまでやるのかっていう唖然と、そんな事しなくてもお前ならやってけるだろっていうツッコミと、そこまで深刻に悩んでいたのかもしれなかったことに気がつけなかった悔しさ等々、色んな感情が渦巻いて、困惑している。
ハッキリと書いてしまおう。私は障がい者に対して差別感情を抱いてしまっている。好きとか嫌いとかいう生理的なものでは無い、人生で数少ない経験の積み重ねから、障がい者と接する事がとても怖くなってしまっている。心の中に、所謂健常者との垣根のようなものがしっかりと出来てしまっている事を差別と称するのならば、私は差別心を持ってしまっている。
本題からはちょっと逸れるが、障がい者の事を恐怖に感じてしまっているかの理由を説明する為に、幾つかのエピソードを紹介したい。身バレは回避したいので、ある程度はフェイクやぼかしを交える。それでもバレるかも分からないけど、少なくとも生理的嫌悪だけでこの感情を持ってしまった経緯は説明しておきたい。
私が通っていた小学校には当時、特殊学級というものがなかった。当時カーストも低くぼっちになりがちだった私は、2人組で知的障害を持った生徒と組まされる事が多く、しまいにはその生徒にまでタゲられてしまった。
体育の授業の時に鳩尾を彼に思い切り蹴られたその日、遂に耐えきれなくなって、そのダウン症の彼に罵詈雑言の限りを浴びせてしまった。
その日のうちに我が家に連絡が言ってしまったらしく、夜にブチ切れた父親に「弱いものいじめとは何事だ」一方的に罵倒され、「捨てるぞ」と最寄りのPAまで連れてかれ、最後は大泣きしながら電話で母親に謝罪して話は終わった。
そんな役回りにさせられた当時の自分にも問題大ありだが、己の心に明確に憎しみが生まれてしまったのはこの頃である。この感情が恐怖に変わったのはもっと少し先である。
とある趣味のサークルで知り合った女性。所謂OD常習者の薬ソムリエ。この女性にクレジットカードをスキミングされ、ネットで買い物をされた。丁度口座に金が入ってなかった時と引き落としのタイミングが一致し、買い物された金額が口座から落ちなかったことから発覚した。
商品の受け取り先から大体犯人が分かったが、本人はこれを強く否定。細かい過程は書けないが、結果的に一緒に戦ってくれた恩人が大打撃を被ることになってしまった。
後処理はカード会社に一任したので細かい事は追っていないが、証拠は固まっていたのに障害を理由に不起訴となった。その証拠に用いられたのが障害者手帳である。
この時から私は「障害者なら何やっても許されるのかよ」と叫ぶ人々の一人になった。
このエピソードはちょっと毛色が違う。私の知人が遭遇した被害である。
この知人、とある資格のスクールをしている方である。精神疾患者はこの知人の元友人である。
精神疾患者が「社会復帰したい」と知人に打ち明け、知人も「そういうことなら」と指導を引き受けた。もちろん受講料も大幅に割引き、この資格を受けるには最低限の費用での指導となった。国内に多数存在する資格と呼ばれるものの例に漏れず、その資格も受験に至るまでは規定量の授業を受け、規定量の熟練が必要となる。
本人の体調や精神状態も考慮しながら、ゆっくりと確実にやっていこうという段取りで話は決まり、指導が始まった。実際に指導を休むことも多く、講習の進みはかなりスローペースであったらしい。
しかし、ある時突然「いつまでも試験を受けさせないとはどういうことだ、金だけ取って何もしないつもりか、差別だ!」と詰問されたとのこと。その人が受けた授業時間と試験を受けるに足る規定量には倍近い差があるにも関わず、である。
知人がその旨を何度も伝えたが、伝わることは無く、最後はその資格を統括している団体にクレームを入れられてしまった。当初は知人が差別を疑われたが、その団体に粘り強く当時の状況を説明した結果、指導する講師を知人からチェンジする事で事なきを得た。
この頃から障害者に恐怖を感じ始めた。彼らはやり方によっては理不尽に健常者を蹴落とすことが出来るのだ、と。
長々と書いたエピソードもこれが最後です。どうか辛抱していただければと思います。
これは私と先述の知人が絡んだちとめんどくさい話なので、この話だけはフローチャートで。この難病患者の方は元々私の知り合いで、知人と面識はありません。
↓
確か「悪用する人も多いから、それを減らす為にも啓蒙は大事」みたいなことを私が書いた
↓
それに対して難病患者の方がコメントを入れた(消されちまって覚えてない) ↓
それに対して知人が「(私)はヘルプマークの事をよく理解していますよ」的なコメントを打った
↓
難病患者の方、唐突に「怖いコメントが来たから消した」と打ち込む
ここまでは良かったが、難病患者の方は何が気に入らなかったのか、仲間を募って知人にメッセージで暴言をひたすら投げまくった。知人が謝罪をすると無言でブロック、これを20人近くにやられたらしい。
先述のエピソードの話に対処してる最中の出来事だけあって、知人のダメージも相当大きいものだった。というか難病患者の方も元々私の知り合いだから、ただひたすらに知人申し訳ない気持ちが強い、今でも。
同時に、気に入らなかったのならせめて私に一言入れてくれれば、とも難病患者の方に対して感じてしまった。
ここに来て本当に障害者の方々と関わるのが怖くなってしまった。それまでは知的障害だったり精神疾患だったりと、理不尽な目に遭ってもまだ己を納得させるだけの何かがあった。
しかし、この難病患者の方は、罹患に至るまでは無難に社会人として企業に勤め、情熱を持って一心に仕事に打ち込み続けた人である。むしろ病魔に負ける事をよしとせず、回復と復活を心に誓っていた方である、少なくとも知る範囲の中ではという話だが。私と「障害を持っている人」という概念の関係に完全に亀裂が入った瞬間である。
随分と長くなってしまったが、これらの出来事を経て、私は障害者に対して強い恐怖心を持ってしまった。関わったら最後、何をされるかわからない、健常者は健常者であると言うだけで被害を訴えることも許されない。運が悪かっただけかもしれないが、金銭的被害スレスレの話に連発して遭遇してもなお平常で居られるほど勇敢であることは出来なかった。
街中で白杖をついている人を見ても手を差し伸べられなくなった、ヘルプマークを付けている人を電車で見かけたら車両を変えるようになった。ただ私が臆病で、恐怖を感じるからだ。
妄言一つで彼らは何の咎を背負うことなく我々を罪人に出来るからだ。弱者なんて嘘だ。彼らは強い、理不尽なまでに強い。私にはその理不尽を被る強さがない。だから近寄りたくないのだ。
そんなことを考えている人間の友人が、障害者手帳を取ることになった。本当に仲良くしている友人だ。同じ趣味を持ち、強気に見せて実は脆い、でも人に対しては誰よりも誠実な友人が障害者手帳を取る。
私が己を弱いと形容したのは、彼と積み上げてきたものを脅かしかねないほどに、障害者に対する恐怖心が強いからだ。障害者手帳であろうが何であろうが、友人であるからには心を許し、信用するのが友としての正しい在り方であるのに、それが揺らぎかける程に弱いからだ。この弱さに腹が立つ。何故友人は友人であると断言できないのだろうか、己よ。
誰にも吐き出せず、でも我慢しきれずに辿り着いたのがここだった。数々のエントリーを読み漁っているうちに、いつか自分も書くことになるのだろうかなんてうすぼんやりと考えていたが、その機会は思った以上に早かった。
願わくば、私がこの恐怖を乗り越えて彼と今まで通りの関係を続けていきたい。そして、彼が私や知人を襲ったモンスター障害者になってしまわないように心から強く願いたい。
モンスター障害者なんて言葉を使う時点で差別なのかもしれない。しかし、未だに弱い私はこの恐怖感を拭いきれない。
私に強さをください。
キャリアアップのため転職サイトを使って転職活動をしているんだけど、ヘッドハンターの冷たさ・レベルの低さにがっかりしている。
現職で追い込まれての転職活動ではないので、転職するならばこれくらいの条件はほしいという強気の条件を掲げているというのはあるけれど、
最初はものすごい勢いで食いついてくるけどすぐにフェードアウトしたり、ピントが外れたお勧めしかくれないというのが多い。
【A氏】
かなりマッチする求人を勧められ、企業側との面談の調整をしてもらっていたが、土壇場で別の人に決まったとのことでキャンセル。
その後は全く連絡も紹介もなし。
【B氏】
その後はぱったり連絡が止まり、こちらからコンタクトしたら申し訳程度に求人を渡してきたが完全にミスマッチなものだった。
1社落選してから目に見えてやる気が下がっていて不愉快だった。
【C氏】
転職サイトで最初にコンタクトを取ったのはこの人で、会社の他のヘッドハンターを含めてマッチする求人を勧めてくれるとのこと。
だからこの人が積極的に勧めてくれる必要はないかもしれないが、面談で「その会社は条件にあわなさそう」という話になった一社を勧めてきた上、それ以降は推薦なし。
ちなみにこの人の会社の他の人からはちらほら求人がくるが、条件にあわないものや合うかどうかわからないものが多いので、
条件にあうか企業側に確認を取った上で、条件にあっていると添えて勧めてくるようにしてほしいとお願いし了承されたが、
一向にその約束は守られずに、条件に合わなかったり合ってるかわからない求人が送られてくる・・・
【D氏】
C氏の会社の人で、こちらの希望条件に合うかどうか確認したら合っていると回答されたので面接に行ってみたら、条件に合っていなかった・・・
勢いとか適当に回答するのはやめてくれ。
条件に合わない以上、採用が成立しようがないし、先方も自分も完全に労力の無駄だ・・・
【E氏】
C氏の会社の人で、お勧めの会社があるのでこの時間に電話でお話したいと連絡を受けたが、
その時間は都合が悪かったので「こちらの時間なら電話できますがどうでしょうか」と返したが、それ以降は音沙汰なし・・・
【F氏】
この人は現職への転職活動の時に利用したヘッドハンターだが、わざわざ面談に行ったが提示できる求人はないと言われた・・・
そんなにだめだと思うレベルなら、サイトに登録した情報の段階でわかるやろ・・・
ヘッドハンターとのやり取りに疲れてきたので、
あとは企業からの直接オファーに対応して、その範囲で折り合うところがなければ今回は転職見送りにしようという気持ちになってきてます。