2019-04-21

ジェンダーバイアスについて語るのが難しい理由

ジェンダーバイアスの解消を目指すのは全くもって良いことだとは私も思う…のだが、

私がそれを目指すのが難しいと思う一番の理由は、「そもそもジェンダーバイアスとは何なのか」

…もうちょっと分かりやすく言えば「男らしさ」「女らしさ」の定義コンセンサスが取れない、ということだ。

『いやそんな複雑な話じゃないだろ?男は強くたくましく、女は家庭的に、みたいなヤツだろ?』とお思いかもしれぬが、

そう単純な話でもないのだ。

たとえば今日日、「俺は気が弱い。俺って女みたい…」と言うような男がいれば、

「今どき強気な女なんていくらでもいる。気が弱いことは女らしさではなくて単にお前がお前だからだよ!」と侮蔑対象となるでしょう。

また、女性の化粧の話でも「女性世間の女らしさの抑圧により化粧をさせられている」

と言った単純な話でもなく、

「私は女だから化粧をしているのではなく、自分表現のため化粧をしている」

と主張する女性散見されます。また、昨今は化粧をするような男も多くなっているようで、

「化粧=女らしさ」という定義が難しくなっているとしか思えないのです。

要するに、ジェンダーバイアスの解消を目指すのはとても良いことですが、

果たしてそのジェンダーバイアスとは具体的にどのようなものなのか?

その解消すべきジェンダーバイアス定義すること、それ自体ジェンダーバイアスに影響されてしまう、

という自家撞着を避けることが、私は非常に難しいと思うのですよ。

「◯◯は男(女)らしさだ!なくすべきだ!」

「◯◯は男(女)らしさではない!そういうお前自身ジェンダーバイアスに侵されてるんだ!」

…といった具合に。

いや私はジェンダーバイアス解消なんて無駄だしやめろ!なんて言う気はありません。

しかし、そういう運動をするにあたって、「ジェンダーバイアス定義の難しさ」は絶対障壁になると思うんですよね。

いやむしろそれこそが最大の課題なのでは?と思うレベルで。

  • ああいうのうるさいのに限って結局自分に都合のいい男らしさだけは温存しようとするのバレてるからなあ

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