はてなキーワード: 夜逃げとは
毒親から逃げ出してきた友人が、我が家に居候している。娘が検討している歯列矯正の案内書を見つけて「許さないよ!」とか言ってビリビリ破るような親から突発的に夜逃げし、行く宛がないのを気の毒に思って、1LDKの狭い部屋に受け入れたのだ。
あれから二ヶ月ほど経過して、友人はなんだかワガママになった。先程も私が洗面台を使っていると、「私は7時出発なんだから、洗面台を占領するのやめて」と言ってきて我が耳を疑ったよね。いやアンタ家賃入れてない居候ですやん……
当初、最長でも三ヶ月の約束で居候することになったが友人は一向に仕事もバイトも家も見つからない。コロナだから……と言っているが、なんだか眉唾だ。近所のホムセンやスーパーには相変わらず求人票貼ってあるし、新聞には求人広告も入る。
仕事が決まってなかったら約束の三ヶ月を延長しても良いと言おうと思ったけど、無理だったわ。今すぐ追い出すほど非情ではないので、期限いっぱいまでは居候を許可するけど。良い友人だったのがなんだか嫌な感情を持ってしまうし、後悔しかない。
20年くらい前。
その頃、俺はよく渋谷に行っていた。あてもなくね。なんとなく、群がりたかった。
「3月16日 CD 買えず。出直し」「4月11日 友達と打ち合わせ」と、簡単なことが書いてあった。
無論覚えてなどいない。もしかしたら、うっすら記憶しているものはあるかもしれないが。
それで群がりたかったのは、単に東京が好きだからだ。渋谷もその中のひとつで、身近だから。
若かったから、そんな匂いを汲み取りたいって気持ちがあったんだ。
忘れてることも多いけど、これだけは忘れられないって出来事がある。
夏になり、いつも会ってた友達と渋谷で飯を食べた時のことだ。ひどい雷雨の後の夜で、ガラガラになったから話しやすかったんだろう。
「一回東京を出てみたい」
当時の俺や友達なんて、渋谷をフラつく男だったのに、それがいきなり遠出したいだなんて。
「家もあるのに、それじゃ家出だよ」
そう言ってみたが、勝手に準備を進めていたらしく、荷物は部屋の押入れにあるとか。
でも俺は、理由が知りたかった。あんなに好きでやってた俺との東京での関係をどうして断ち切りたいのか。
俺は東京を出るつもりなんてあるわけないから、簡単には察せなかった。
「東京を出てみたい。上京できないなら、逆のことをしてみたい」
確かに地方の人が東京にどんなイメージを抱いているかはよくわかることだが、東京に育った人は地方へのイメージがイメージの域を出ないんじゃないか。
友達の悔しそうな目が、なんだか変だった。東京にいるのが嫌というくらい、強い意志があったらしい。
友達は夏休みの終わらぬうちに東京を抜け出した。ある夜、不眠だった俺に携帯をしてきて、近所まで来てるとのことだった。
しょうがないので会うと、友達は夜逃げ同然のような家出を決め込んでいた。
ちょっと話したよ。今なら夜遊びで済むとか、付き合ってやるとか。嫌になったらすぐ帰れよとも言った。
いつのまにか人に寄り添う風になってしまって、彼も居づらかっただろうに。
数日後ら彼の親御さんは俺のことを知っていたから、手がかりを求めて問い詰められたさ。
隠すことでもなかったから、家出のことを伝えると諦めたみたい。彼の日常も見ていたから、親がそういう自覚を得たことがハッキリわかった。
その夏のうちに、俺は東京の見方を変えたね。夜の空に光る向こうのビルの大群が窓から見えるんだ。
眠れずにイライラしていてどうしようもないとき、俺をどうにか押さえ込んでくれた景色。
彼の感情が、俺の不調とともに浮かび上がっていた。
なぜ今東京の街を出て行く?そんな気持ちが、共感に変わってた。
それから何年かして、俺が所帯を持った頃のことだ。知らない番号からの電話があって、それが彼だった。
どうやら東京にいるらしいので、会ってみた。
「東京に来たくって。やっぱ、ここを見てるのがいいんだよな」
彼はすっかり痩せて、格好も綺麗とは言えない。
なけなしのような帰京が、皮肉にも今度は彼を今東京に向かわせたのだろう。
暮らしぶりを尋ねると、有り余った安いアパートに住んでいたらしい。
戻るところがあるやつ。理由もなく、東京がますます好きになっていたよ。
それから彼は家族のもとに迎えられた。その後、ひとりの男として東京に生き続けてる。そういえば、彼と一緒に買ったCDが出てきた。中古CDサイトを覗いたら、結構高い。
こんなものにハマってたのか。
子供時分に商店の倅だった者だが、コロナ騒ぎを見ていて、またいくつかの店が飛ぶ
と思うと胸が痛い。こういうことになると、だいたいギリギリでやってたところが、
卸との間に支払いが滞ったのか、棚がどんどんスカスカになっていった。主人は
確か脱サラした細身の男で、東京六大学を出たとかで、田舎にしてはしゃれた柄物
のブラウスとか扱っていたが、最後空っぽのガラスケースに囲まれて、家賃も
払えなくなっても、店の真ん中の椅子に座り込んで、立ち退こうとしなかった。
なんか最後、何人かスーツ着た男の人が来て、連れていったそうだ。
・手を広げて夜逃げした贈答品店
中元歳暮や婚礼などの進物を扱う店で、郊外のロードサイドにも店を出すなどして
羽振りが良かった。倅が小学校の同級生だったので、家に呼ばれてよく遊んだ。
おやつに皿に乗った紅茶が出て、ブルボンとかの透明な袋に入ったお菓子が添えて
あるのが衝撃だった。ある日突然店が閉まってスッカラカンになった。親父に聞くと
手を広げすぎて、以前から経営は良くなかったらしい。自慢のキャラクター付きの
自転車が店の前に放置されていたのが生々しく、記憶に残っている。学校の噂で
大阪の方に行ったと聞いた。
これはうちも迷惑を被ったので、よく覚えている。親父も、工事の代金を踏み倒されて
あの野郎と、怒りまくっていた。以前から、支払いが渋いことで商店連中の間では有名
だった。小さい娘とその弟がいて、店のカウンターの端っこで二人並んでよく勉強してた。
ある時、地元のチンピラともめたのか、普通の定食屋だったのにガラの悪い連中が入り
びたるようになった。そんで一気に客足が遠のいて、潰れた。問題は潰れる直前に取込み
詐欺みたいなことをやって逃げた。高価な食材や機器、家電などを馴染みの店に注文し、
届くと同時にドロンした。親父は大家と一緒にシャッターをこじ開けてなかに入ったが、
めぼしいものは持ち去られた後で、残っていた子供の目覚まし時計を持って帰って
「親の期待」を言い訳にする人の残念な共通点 | 非学歴エリートの熱血キャリア相談 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準 https://toyokeizai.net/articles/-/324611
「幸せになるために生きている」というのはキレイゴトとしか思えません.
私は親が幸せそうに見えません.有名大手企業で40年間勤め上げた父親が理想とする地位や環境を手に入れられなかったこと,仕事が原因で鬱病になったことを知っています.世間体ばかり気にして生きている母親も理想を手に入られていません.何より彼らの仲はとても悪い.彼らは互いの欠点を非難することを25年間続けています.彼らのようになりたくない.だから私は結婚を望みません.
なぜ彼らはそれでも有名大手企業への就職に執着し,結婚に執着するのですか?理解できません.
私は今実家暮らしなので,彼らから独立したい.今行う選択に対して,今納得できていればそれでいい,未来のことは未来で対処すればいい.それが今の私の望みです.
「やる気が出ないのは責任転嫁しているから」と気づけたことに対しては感謝しています.ありがとうございました.
コメント欄の意見に対しても不満があります.意志薄弱なのは認めます.でもこの文章のどこから「意志薄弱」さが汲み取れるのかが分かりません.自分が意志薄弱でないということを強調して書いたつもりなのに,反対に読み取られてしまうことが悔しいです.
安井様のご回答にもありますが,家出したときは自分が考えていることをレポートにして親に送りました.そのとき内定があったのに留年したのは母親が「留年してもう一回就活をやり直して欲しい」と涙ぐんで訴えてきたからです.親を説得する能力が無いから,その結果就活に失敗したのだという主張はその通りです.しかし,口が下手だから文章にしても理解してもらえないのです.「内定をもらったことを隠しておいて夜逃げする」くらいしか今の私には方法が思いつきません.
「親の期待」を言い訳にする人の残念な共通点 https://toyokeizai.net/articles/-/324611
安井様
大変有難いご回答ですが,今の私にはキレイゴトとしか思えません.
幸せになるために生きているって,本当ですか?
私は親が幸せそうに見えません.有名大手企業で40年間勤め上げた父親は「会社に感謝している」と言っていますが,彼が理想とする地位や環境を手に入れられなかったことは知っています.過去に仕事が原因で鬱病になったことも知っています.今は彼の隣の部屋に住んでいますが,正直彼のような人生を歩みたくないと思っています.
中流階級に人気がある住宅地に一軒家を買わせ,修理にいちいちカネがかかる外車(中古ですけど)にこだわる母親も,理想の環境を手に入れているわけではありません.見栄ばかり気にして生きている人間だと私は思っています.
何より,彼らの仲はとても悪いです.私が生まれてきてからというものの,両者共に非があるのに互いの欠点を非難することを25年間続けています.そもそもなぜ結婚したのか分かりません.だから私は結婚を望みません.
なぜ彼らはそれでも有名大手企業への就職に執着し,結婚に執着するのですか?理解できません.
私は今実家暮らしなので,彼らから独立したい.今行う選択に対して,今納得できていればそれでいい,未来のことは未来で対処すればいい.それが今の私の望みです.
コメント欄の意見に対しても不満があります.意志薄弱なのは認めます.でもこの文章のどこから「意志薄弱」さが汲み取れるのかが分かりません.自分が意志薄弱でないということを強調して書いたつもりなのに,反対に読み取られてしまうことが悔しいです.
安井様のご回答にもありますが,家出したときは自分が考えていることをレポートにして親に送りました.そのとき内定があったのに留年したのは母親が「留年してもう一回就活をやり直して欲しい」と涙ぐんで訴えてきたからです.親を説得する能力が無いから,その結果就活に失敗したのだという主張はその通りです.しかし,口が下手だから文章にしても理解してもらえないのです.「内定をもらったことを隠しておいて夜逃げする」くらいしか今の私には方法が思いつきません.
最後に,散々に書きましたが,「やる気が出ないのは責任転嫁しているから」と気づけたことに対しては感謝しています.ありがとうございました.
永戸
チラシ裏レベルだが書き起こしておきたくなった。
私は25歳、都内で働く普通の会社員。日々の仕事がつまらない以外はこれと言って問題なく暮らしている。
私は、私の家族に少しばかり問題を抱えている。父と母が数年前に離婚した。超のつく田舎で自営業をする父と公務員の母は私が幼い頃から仲が悪かった。父方の祖父母は実家のすぐそばに住んでいて、私がいえを出るまでは半ば二世帯住宅状態だった。両親がもめたときには祖母が父の肩ばかり持っていた。母は理解のない祖母にいびられ続け、父にないがしろにされながらも、家事を一手に引き受けて、働きながら私たち兄弟を育ててくれた。子供が皆進学を期に実家を出た時に、両親はその時を待っていたかのように、呆気なく離婚した。母は夜逃げ同然に実家を飛び出し、今はボロの木造アパートで独り暮らしをしている。
問題は、父親だ。彼は酷く独善的で、理詰めでは話ができない。彼が生まれてから、祖母の贔屓がもう60年も続いているせいか、自営業の社長をし続けたせいか、あるいはこの両方か、彼は子供の言うことなど聞き届けることはない。
もちろん、大学院を出るまでの資金を出してくれたことには感謝している。だがそれ以上のものはない。
父は、母を実家から追い出し、祖母に甘えて生きている。それでいてなお、「休みには実家に帰ってきて、家族を大切にしろ」と臆面なく私たち兄弟にのたまう。
イカれてんのか、と私は思う。
前述の通り、私の現状は父と全く異なる。生まれてから60年間、家に帰れば両親がいた父。もう二度と、実家に両親が揃うことの無い25歳の私。私の育った家を、家事などひとつもできない父は完全に持て余していて、常にホコリだらけの状態だ。私の育った家は今や実家と名のついた空き家なのだ。
父はこの空き家に"帰って"きて、父と祖父母を大切にしろという。それが私の「大切にしなければならない家族」なのだという。
私にはわからない。
私は父に従わなかった。実家に帰ることを避け、父の家族に関する要求をできるだけ感情的にならずにすむように、否定した。
その結果、私は勘当された。
葬式の便りも私には出さないというから、もうどうにもならないだろう。
私は子供として、十分に良い姿をしていたはずだ。公立学校へ通い、浪人もせず国立大へ進み、大企業で働いている。友人に囲まれ、私を悪人だと呼ぶものには出会ったことがない。父を除いては。
・他の人もいってるけど後見人か保佐かの手続きを裁判所ではやくやっちゃおう
・賃貸は早めに退去していいんじゃないの もどってきても段差とかトイレとか使えないでしょ
・ということは退去作業に人手がいるけど母方はこないだろうから
便利屋さんとかのチラシ+貸し倉庫コンテナくらいでいいんじゃない
なんなら生意気な部下は声大きそうだから暇そうならバイトっつって連れだしてやったら手なづけられつつ引っ越し指示なんとかなるかも
・賃貸踏み倒すなら夜逃げになっちゃうけどそのあたりどうしてるのかはさすがに知らないけど
24時間営業で時給は昼間深夜も800円。
バイトだったから最初は勤務時間は夜の9時から何時間かだけだったと思うが、いつしか社員と同じような時間で12時間働いてたと思う。
働くといっても仕事は来客者やお客さんの要望に応じてアツシボ(温かいおしぼり)やツメシボ(略)を出したり、お客さんにドリンクを運んだり(ソフトドリンクは無料だった)、客の代わりに出前を注文したり、卓や牌を掃除したり。
あとは、お客さんがトイレの時などに代わりに打ったり、お客さんの人数が足りない時に混じって打ったり(本走)した。
本走は自腹でもちろんゲーム代も取られるが、半分は給料時にバックされた。
しかし、本走は毎回財布からお金を出すのではなくて店のお金で打って給料で精算だった為、実質ほとんどの社員、バイトが給料から本走代を引かれていて、本走のマイナスはゲームバックを上回る金額が多かったと思う。
従業員はメンバーと呼ばれていたが、メンバーのみに特別なルールがあって、もろ引っ掛けリーチの禁止、のみ上がりの禁止、着順の変わらないあがりの禁止、あがりに向かわないアンカンの禁止、などがあった。
2年くらい働いたと思うがトータルで毎月プラスだったのはひとりだけだった。
あとは手取り35万の新聞広告などにつられて、得体の知れない中年〜初老の人達が、入っては飛び、入っては飛び、といった感じだった。
本走から少しずつ抜いて(店に戻す時に少なく戻してお金をポケットに入れたりして)給料日前に飛ぶ人、ある日突然いなくなる人など。
みな、寮(と言われていたが、実際は大きめの一軒家)に住み込みで、全国各地からの流れ者のような人達で、変わり者が多くて楽しかった。
そこで働いてたバイトの先輩に設定1でも勝てるクランキーコンドル、やら羽根モノのぱちんこの勝ち方を教えてもらった(しかし、実際は負けまくってた)
赤ウーピン2枚入りでどちらもイーハン扱いプラス500円。
一発、裏ドラ500円。
あと細かいのは忘れた。
赤ウーピンの価値が凄くて赤ウーピン2枚とドラ2枚あれば手役なくても鳴きまくってツモれば赤赤ドラドラ千円オールとかいう変なあがりが普通にできた。
赤のみでもツモれば500円オールなので、泣きまくって三本5本の赤だけ、とかいう大ひんしゅくなあがりも普通にあった。
あと、先ヅモがひどくて下家の捨て牌をポンしたら上家まで盲牌済んでいたりとか普通だった。
そこではお客さんもまた面白くて今でも当時の客の名前とか特徴、麻雀の打ち筋を覚えてたりする。
立地も入りにくい場所だったのもあって、常連さんばかりで一見さんは滅多に見ない店で、一見さんが来ても社長(オーナー)の紹介で来た人でなければこのめちゃくちゃなルールプラス三味線の嵐で毟られていなくなってしまうという事が多かった。
社長は見るからに悪人面で、得体の知れない迫力があり、ヤクザの人たちから金を借りていたりした(後にこれが引き金で夜逃げする羽目になったんだと思う)
そんな社長も客の一人として打っていたし、お客さんの中には小指がない人とか、見るからに成金みたいな人とか、美女はべらしたホストみたいな人とか、深夜までやってる飯屋のおばちゃんとか、タクシー運転手とか、まあいろいろでとてもスリリングだった。
僕はまだ学生で若かったので、社長からもママ(社長の女)からも可愛がってもらえたし、ほとんどのお客さんからもいろんな意味で可愛がってもらえたと思う(小指のない人にはずっと嫌われていたが)
本当にこの時が一番楽しかった。
気が向いたら、その時の客の事とかメンバーの事とか続き書こうと思う。
父が兄からの暴力で硬膜外血腫になり救急車で運ばれ、そのまま手術、入院したのを機に
両親が地域包括支援センターに虐待事案として保護される形で兄と隔離。
そのまま兄に所在を知らせないまま夜逃げ状態で老人ホームに引越した。
(貴重品やら何やらは火事で燃えたと思って諦めろと言われ、取りに行けず終い)
(精神保健福祉士が週1、2回様子を見に行っている)
うちは増田の家みたいに財産やら名士としての立場はなかったから
それでもなかなか踏み切れず、父は入院してもなお地域包括支援センターの介入を嫌がっていたほどだ。
失うものがうちより多い増田親がなかなか覚悟を決められないのも分かる。
また別居しているせいで、地獄が日常化していない分危機感も薄いのかもしれない。
でもはっきり言って共依存状態の増田家族だけで解決するのは絶対無理。
警察や行政は何もしてくれないと言うが、全てを捨てる覚悟がなければ警察も行政も動きようがないのではないだろうか。
そして姉を助けているようで、結局増田親は姉の自立の芽を片っ端から摘んでいる。
とにかくまず増田が実家管轄の地域包括支援センターに行って相談してみよう(姉管轄の自立支援センターではなく)。
老人への虐待事案として地域包括支援センターが介入していると分かると関係機関の対応もだいぶ違う。
何度も呼べば警察の認識も変わるし、増田姉への抑止力にもなる。
できればセコムなどの緊急通報サービスに加入しよう(通報が間に合わない事態回避のため)。
増田姉が暴れて多少なりとも増田親が怪我をしたら、親を大袈裟でも入院させよう。
そして姉には面会制限をつけよう(夜逃げの算段をする物理的時間的余裕ができる)。
そして多くの親は覚悟を決められず地獄から抜け出せずにいるから。
そういう事例を地域包括支援センターは多く扱っていて、解決のノウハウも持っているから。