20年くらい前。
その頃、俺はよく渋谷に行っていた。あてもなくね。なんとなく、群がりたかった。
「3月16日 CD 買えず。出直し」「4月11日 友達と打ち合わせ」と、簡単なことが書いてあった。
無論覚えてなどいない。もしかしたら、うっすら記憶しているものはあるかもしれないが。
それで群がりたかったのは、単に東京が好きだからだ。渋谷もその中のひとつで、身近だから。
若かったから、そんな匂いを汲み取りたいって気持ちがあったんだ。
忘れてることも多いけど、これだけは忘れられないって出来事がある。
夏になり、いつも会ってた友達と渋谷で飯を食べた時のことだ。ひどい雷雨の後の夜で、ガラガラになったから話しやすかったんだろう。
「一回東京を出てみたい」
当時の俺や友達なんて、渋谷をフラつく男だったのに、それがいきなり遠出したいだなんて。
「家もあるのに、それじゃ家出だよ」
そう言ってみたが、勝手に準備を進めていたらしく、荷物は部屋の押入れにあるとか。
でも俺は、理由が知りたかった。あんなに好きでやってた俺との東京での関係をどうして断ち切りたいのか。
俺は東京を出るつもりなんてあるわけないから、簡単には察せなかった。
「東京を出てみたい。上京できないなら、逆のことをしてみたい」
確かに地方の人が東京にどんなイメージを抱いているかはよくわかることだが、東京に育った人は地方へのイメージがイメージの域を出ないんじゃないか。
友達の悔しそうな目が、なんだか変だった。東京にいるのが嫌というくらい、強い意志があったらしい。
友達は夏休みの終わらぬうちに東京を抜け出した。ある夜、不眠だった俺に携帯をしてきて、近所まで来てるとのことだった。
しょうがないので会うと、友達は夜逃げ同然のような家出を決め込んでいた。
ちょっと話したよ。今なら夜遊びで済むとか、付き合ってやるとか。嫌になったらすぐ帰れよとも言った。
いつのまにか人に寄り添う風になってしまって、彼も居づらかっただろうに。
数日後ら彼の親御さんは俺のことを知っていたから、手がかりを求めて問い詰められたさ。
隠すことでもなかったから、家出のことを伝えると諦めたみたい。彼の日常も見ていたから、親がそういう自覚を得たことがハッキリわかった。
その夏のうちに、俺は東京の見方を変えたね。夜の空に光る向こうのビルの大群が窓から見えるんだ。
眠れずにイライラしていてどうしようもないとき、俺をどうにか押さえ込んでくれた景色。
彼の感情が、俺の不調とともに浮かび上がっていた。
なぜ今東京の街を出て行く?そんな気持ちが、共感に変わってた。
それから何年かして、俺が所帯を持った頃のことだ。知らない番号からの電話があって、それが彼だった。
どうやら東京にいるらしいので、会ってみた。
「東京に来たくって。やっぱ、ここを見てるのがいいんだよな」
彼はすっかり痩せて、格好も綺麗とは言えない。
なけなしのような帰京が、皮肉にも今度は彼を今東京に向かわせたのだろう。
暮らしぶりを尋ねると、有り余った安いアパートに住んでいたらしい。
戻るところがあるやつ。理由もなく、東京がますます好きになっていたよ。
それから彼は家族のもとに迎えられた。その後、ひとりの男として東京に生き続けてる。そういえば、彼と一緒に買ったCDが出てきた。中古CDサイトを覗いたら、結構高い。
こんなものにハマってたのか。