はてなキーワード: 勘違いとは
お互い性欲を解消することを目的とした関係性を築きたい。恋人を作るよりも簡単そうなくせに難しい。
男の人は、自分に好意を抱いている(しかし自分にとってはどうでもいい)女をセフレにしているパターンが多いのだろうか?
ワンナイトからセフレ関係に持っていこうとしても、男性側から好意を向けられたり「この女は俺のことが好きだろう」と勘違いされたり、面倒な人間関係が発生してしまう。どうしたら、お互い体目当ての関係性が築けるのだろう。
■右折入庫車両がそろそろウザいので斬りたい
彼らの動きは非常にワガママなことが多く、また右折入庫がどこでも通じると勘違いしている人間も見かけるようになった。
右折入庫OKとも書いていないパーキングに入ろうとしてクラクションで威圧的に警備員さんに注文をしているのも見かけた。
無理やり入庫ざまに「してやったぜ」とニヤリと笑われたりもした。
右折入庫禁止なのにしてくる車両の動きを見ていると、やたらとセカセカとしている。左折で堂々とできないストレスを発散しているかのようだ。それを見て萎縮している歩道通行者たちを見るのも哀しい。
自分は右折入庫全体について言っているのではない。「右折入庫禁止なのに無理やり入庫してくる変人」のみを指している。彼らは道交法を守って来ているのではない。
「自分がヤクザになったかのように傍若無人に振る舞っても許されて、しかもやり遂げた感などは保たれているし、自分だけが違反しているわけじゃない」という自分に酔っていると思っている。
正直排斥したい。打壊しというのはこういう気持ちから起こったのではないかという心持ちだ。
今のところ警備棒で打撃しようなどとは思っていないが、ときどきこれがレーザーサーベルだったらと思うときがある(これは冗談)
自分は交通誘導が少しできるので彼らの顔の表情を見ることができるが、警備員をバカにしている者をときどきみる。警備員は全員が反撃ができないとナメているのかもしれない。
彼らは観光地やショッピングモールに多い。本当に歩道通行者や自転車を避けない。自分が彼らを捌いていると「歩道通行者を確認していない運転免許保持者もいるのか」と仰天したような挙動をする。常にいて本当に危険である。
絶対にクルマが止まるとおもっている歩行者や絶対に衝突せず避けて走れるとおもっている自転車のように振る舞っているクルマが多い。
道交法を厳守する立派な運転者が堂々と振る舞っているならともかく、ただクルマがあるというだけで道交法もへったくれもない危険運転者にデカい顔をさせてこちらをヒヤヒヤさせている現状に腹が立つ。
街を歩いていると外人が非常に多くなってきた。
彼らの動きは非常にワガママなことが多く、また英語がどこでも通じると勘違いしている人間も見かけるようになった。
英語OKとも書いていないレストランに入って英語で威圧的に店員さんに注文をしているのも見かけた。
すれ違いざまに「fuck」や「jap」と言われたりもした。
外人の動きを見ていると、やたらと堂々としている。母国で堂々とできないストレスを発散しているかのようだ。それを見て萎縮している日本人たちを見るのもうざい。
自分は外国人全体について言っているのではない。「外人」のみを指している。彼らは日本が好きで来ているのではない。
「自分が貴族になったかのように傍若無人に振る舞っても許されて、しかも清潔感などは保たれているし、治安が安全な国」という天国のような場所に来ていると思っている。
正直排斥したい。尊王攘夷運動というのはこういう気持ちから起こったのではないかという心持ちだ。
今のところ倒幕しようなどとは思っていないが、ときどき斬り殺してやろうかと思うときがある(これは冗談)
自分は英語が少しできるので彼らの話の内容を聞くことがあるが、日本人をバカにしているのをときどき聞く。日本人は全員が英語ができないとナメているのかもしれない。
彼らは観光地や東京に多い。本当に道を避けない。自分が道を歩いていると「道を避けない日本人もいるのか」と仰天したような挙動をする。常にいて本当に邪魔である。
立派な人間が堂々と振る舞っているならともかく、ただ金があるというだけで礼儀もへったくれもない外人にデカい顔をさせてヘラヘラさせている現状に腹が立つ。
本人いわく刊行前に炎上し、刊行後も批判ばかりで正当な評価がされていないという、みの『にほんのうた:音曲と楽器と芸能にまつわる邦楽通史』。「議論のきっかけに」「集合知を歴史観につなげたい」と言いながら誰が何を言っても「村社会」「リンチ的」としか言わないのは正直どうなのかと思う。絡むのと晒し上げられてめんどくさいし下手をすると訴訟とか言い出しそうだから匿名で自分が気になったことを書いといてあげよう。
これは複数人から指摘されている「どこが地の文でどこが参考文献の主張なのかわからない」問題と同じだが、歴史の設定や「音曲」というワードなど、この本の全体をつらぬく視点と前半の記述に既視感しかない。上積みやひねりがあるのかと思ったら、ない。これには何も言いようがない。「数百冊」音楽書を読んだのなら、先行する言説をどう扱うかくらい身につくと思うのだが、それもまったくない。自分では十分に言及しているつもりなのだろうが、複数の人から複数回同じようなことを言われているということは文章として失敗しているということです。
どこの世界でも誰かになにかを教えてもらうときには礼儀も対価も発生する。「有識者の今後のご活躍を待つ状況です」じゃなくて、自分が聞き手になるなり、間違えていてもいいからたたき台を作るべき。だれも「ぼくはみなさんの成果物だけかすめとります!」と宣言されたらいい気分はしない。
リスナーには毎度コメント欄で褒めちぎられ、レコード会社にはSNS向けのちょうどいいインタビュアーとして使われ、DJイベントに呼んでくれる老人からは若いのに頑張ってると褒められていると妙な勘違いをしてしまうのはわかるが、もうすこし謙虚になったらどうなんだろう。わざわざ見に来ている自分のリスナーが知らないだけで、世の中の人の知識量を舐めないほうがいい。すでに知っている情報に人は興味を持たない。あなたより若くて物知りで頑張っているライターもミュージシャンもたくさんいる(YouTuberにいるかは知らない)。
この本を出して、参考文献にあげた人たちから一切言及されていないということが何を意味しているのかもう一度考えるべきでは。
揶揄しているようなコミュニティは残念なことに存在していない。そもそも儲かっていないから利権の取り合いもない(一部御用ライターのようなものもいるにはいるが、そういう賢い人はSNSをやっていない)。だからといってこれまでの批判を貧乏人からのやっかみや人気者への嫉妬のように感じているのだとしたら、性格が歪んでいるので直したほうがいい。硬直化した、一般の人を置き去りにした議論に風穴を開ける!という構図に魅力を感じるのはかまわないが、現状認識が幼稚すぎる。これは『土偶を読む』と似ている。しかしそもそも数百冊の音楽書を読んでいるのならこういう考えに至らないと思うのだが…
ついにしびれを切らして「定員20人時間2時間」という議論の場を設けたようだが(これに来ないのなら口を出すなというような姿勢も見えるが)、この設定では誰一人として十分に話ができない。議論やシンポジウムというものをしたことがない、見たことがないのだろうか。結局ファンミーティングになるのが目に見えているし、そりゃ誰も来ないでしょ。本当に議論したいなら自分から頼んで声をかけましょう。
結局のところ「日本すごい」が言いたい本なのだと思うが、そこに大半の人が乗れていないように見える。ジャンルが外国から規定されることへ嫌悪感があるのだとしたら、その意識自体が現在の音楽をとりまく状況や、あなた自身の偏った認識を示唆しているように思う。そこを客観的に見れないなら「歴史」を書くのは無理。筋が悪すぎて箸にも棒にもかからない。『日本国紀』じゃん。本人は枝葉末節を批判されていると勘違いしているようだが(枝葉末節にこだわってる人もいるが)、根本が厳しい本だと思う。だから批判するのにもコストがかかるし、結果的に無視をするようなかたちになっている、ということくらいはわかってほしい。
しかしもともと雑誌や本に書かれていた評価評論ランキングをそのまま垂れ流す動画を作っていて、どうしてこんな本を書いてみようと思ったのでしょう。なにかコンプレックスがあるようにも思えないし(あるの?)、出版社に焚きつけられたのだとしたらちょっとかわいそう。実際のところ、自分でもあんまりよくなかったんじゃないかと思い始めているでしょう?
がんばってとは思わないけれど、恥ずかしいことはしないほうがいいよ。もう少し本を読んでからがいいと思う。数百冊は読んだそうだからたぶんあと3冊くらい読めばいいんじゃないかな。
アジャイルがどうの、ドメイン駆動開発がどうの、マイクロサービスがどうのと、開発プロセスについての情報が巷にあふれている。
しかし勘違いしないほうがいい。あなたの現場にとって最適な方法を追求できるのは、あなたの現場の人間だけだ。
外の世界の「これがうまく行った」論は、文脈を無視しては話にならない。企業Aの文脈と企業Bの文脈が全く別のものであるなら、開発プロセスの成功法則に再現性がないのである。
「開発でこういうことが困っている」ということがあれば、それを列挙するところから始めるべきだ。現場の人間は「問題」がはっきりすれば解決策を考え出すだろう。
「モジュールの独立性について困っている」という話をしているときに、「マイクロサービスとして独立させよう」という情報がググって出てきたら疑ったほうがいい。
経済の本質は実は資源で、資源から財を作って売っている。そこに価格をつけて売っているので、需要供給で完全に価格と貨幣価値は決定される。
ところが「(金額などが)多いほどいい」の論理で金の価値を考える輩が生まれて、下方硬直性が生じた。
これにより、賃金などが一度上がると下がりにくくなる状態が生じる。
返信もらっていたのに気がつかなかった。ごめん
ワイは常に非表示にしてるブクマカで☆だけは思うままつけてるけどそれの何を勘違いしたのかスター工作垢とか勘違いされてユーザーページをブクマされたことあってかなりイライラして増田で反論エントリも書いたけど
あーー これ読んだなぁ。たいへんだったね。
日本では、育児のために時短勤務や熱が出た時にすぐ休める仕事に転職してる男親はどれくらいいるの?
女親が親権を持つんじゃなくてお前が主体として育児することができないから妻に親権がいくんじゃん
実態通りの運用がなされるだけなんだから何の問題もなくね?妻一人では子は育てられるけどお前1人では無理なんでしょ
じゃあ実態通りじゃん
共同親権を根本的に誤解してる奴らが共同親権を望んでも何の説得力があるんだろうか笑
子を1人で育てられない人間が親権を欲しがる意味がわからん。こういう人に親権を渡しても、自分じゃ育てられないから他人に任せるんでしょ?
育児や監護と親権は全く別の概念ですよ?親権と、子供を育てたり会ったりすることはイコールではありませんよ?
親権ってのは育児の義務責任を任せられる人が持たないといけない
どちらかが負担しても不完全な履行として認められず、義務者の全員が完璧に負担しなければならないのが共同親権。
共同親権は、
「自分と妻の双方が常に『同時に』親権者として子の育児を完全に任せられ義務を背負い常に『同時に』行使が必要」となる制度だよ
どちらか1人が履行すればいい、ではなくなる。
義務者の全員がそれぞれ完全に履行することが必要となる制度だよ。
というか1人で育てるよりも2人で必ずやらなければならないことが増えまくるので負担がどんどん倍増する制度だよ。
ワイは事案によっては男親が単独親権取得することには賛成だ。男だろうが女だろうが育児実績があり育児にふさわしい方が親権をとるべきだから。
単に現実の日本の男親が育児実績を持ってないから認められないと言うだけにすぎない。
離婚しても2人で子供とそれぞれ関わりつつ、お互いに適度なペースで育児をすることにも、双方が子供と連絡を取り合い離婚後もどちらも親子として睦まじく暮らすことにも賛成だ。
共同親権になるなら、婚姻が大きなリスクになってしまう。絶対にやらない方がいい。子供が欲しい人の大半が事実婚しかしないだろうね
もう一回言う
バカなら黙っとけよ
そして、その自信は勘違いではなかったと思う。
十中八九、大谷は一平が支配していた口座のことなんて忘れていたし事件が起こらなければ忘れたままその生涯を終えていたことだろう。
生成AIが生み出されて以降、多くの絵師が自分たちの価値観を絶対であると考え、「AIを使って絵を出力している人間はクリエイターに嫉妬している」「何者かになりたいという欲求は手で描かないと満たせない」というような事を言っている。
断言するが、世間の人々はネットでキモオタ共のオカズになる為の絵を描いている人間をおおよそ気持ち悪いと思っており、シコ絵を描きたいと思うことはないので、そこに嫉妬する要素は無い。
(キモオタに持ち上げられてシコられると、シコ絵を描くことがよほど素晴らしいことに思えるらしい)
そして、世間の人々は家族、友人、職場、趣味等で自己実現し、絵なんて描かなくても何者かになっている。
(絵を描くことしか出来ないと、絵を描かなければ何者にもなれないと思い込むらしい)
そういった世間の人々が、日常生活の中で使用するのが、「なんか絵が生み出せる生成AI」である。
それらは家族同士の会話のネタや、友達同士のバカ話、職場での資料作り、趣味の補強に使われる。
そこに絵師に対する嫉妬もなければ、何者かになりたいという欲求もない。
今回の件、偏向報道によって問題が過剰に大きく扱われているように思える。
まず状況を整理しよう。
まずここだ。
メディアの卑劣なる印象操作の爪痕は未だに深く、多くの人が「いなばに今年入った全ての社員の9割が辞めている」と誤解していることだろう。
まあ確かに「9割の人間が入社を辞退するような職種があった」というのは間違ってないとは言える。
だが、それを「いなばの今年の新入社員の9割が」と誤解させるような書き方をメディアが繰り返しているのはどうかと思う。
これは憎むべき偏向報道の一種であり、いなばがこの17人に対して行った行為がどれほど卑劣であろうとなかろうと、それが偏向報道をしていい理由、鵜呑みにしていい理由にはならないはずだ!
これはね、マジでよく起こるんですよ。
女性ってのはコミュニティ内のノリを優先するもんだから、どうしても一度方向性が決まったら自分だけ反対とはしにくくなる。
総合職の人達と比べると、「特別この会社で働きたい!」みたいなのがないというかね、「楽にお金が貰えるならぶっちゃけどこでもいいかな。でもちょっとキラキラしたいかも」「ぐらいの動機で何社何社も思いつきみたいに面接を受けて、たまたま大手の所に通ったらそこに入るって感じなんですよ。
軽いんですよね会社選びのノリが。
だからグループチャットのちょっとしたノリとアッサリ天秤にかけることが出来てしまう。
信念がないんですよ。
ネコ様のために美味しいちゅ~るを作ろうみたいな情熱がないから、別にはごろもフーズでシーチキンを作ろうが地元の山崎パンで片親パンを作ろうが、そこそこの業務時間でそれなりに給料が貰えたらどうでもいいと思ってるわけですね。
ボロ家の修繕について、当時入院中の副社長から決裁が下りなかったことで業務が滞っていたことについて、もっとやりようがあったのではないかという批判が集中している。
では聞きたいのだが、どうすればよかったと考えているのだろうか?
1 副社長に社宅の全権を委ねているため社宅の実情を全く分かってない社長が変わりに決裁を承認する
2 社宅業務の担当責任者である副社長から許可を得ることなく業務を進めてしまう
これがどちらもそれなりのリスクがあることは流石に分かるよね?分かるかな?わかってほしいんだけどわからない人に説明する自信はないからお母さんにでも聞いてね
そもそもこうならないように常に代理決裁者を用意しておき、複数人のブレーンを用意するのが理想だろう。
だが代理決裁というものは多用すればどの決裁者も自体を正確に把握することがないまま事業が進んでしまうリスクがある諸刃の剣だ。
イナバが副社長に社宅の全権を集中させたのは、トップがキチンと状況をコントロールした上で社宅管理をしようという意思があったからなのではないだろうか?
それをさも「社宅をないがしろにしていたから、たかがジジイが1人病気で死にかけているだけで仕事が止まっていたんだ」と報道するというのは、目先のセンセーショナルを追求し過ぎではないか?
総合職22万円・一般職19万円で提示されていた給料を勘違いして3万円下がったと思っただけ。
うん、これで攻められるのは可哀想。
たとえばだ。
『コーヒー スモール100円(ミディアム 200円)』とメニューに書いてあったとしよう。
それに対してこんなクレームがついたらどう思う?
クレーマー「コーヒーが100円だと思ったから注文したのに200円取られた。なんか注文時にゴニョゴニョとサイズを聞かれたから「普通で」と答えたらこうなった。よく読んでないお前が悪いと言われたから怒って返品しようとした店員から「は?」って顔された!許せん!分かりにくいんだよ死ね!」
おかしいよな?
俺はおかしいと思う。
うんこの話はこれで終わり。