はてなキーワード: 何だかとは
仕事場で素っ気ない態度をとった増田氏。それに静かにキレたお局。女性社員を集めてなにやらヒソヒソやっていた。
その日から女性社員がよそよそしくなった。仕事の連携もスムーズにいかない。俺もイライラしてきて、お局に直談判。
「なんで無視するんですか?」
「…え?なんのこと?笑」
「とぼけないでくださいよ。業務連絡を無視されたら仕事が進まないじゃないですか。」
「うーん、何だかよくわからないけど、それは増田さんが仕事が出来ないからじゃないかしら?笑」
「はあ。もういいです。よく分かりました。」
なんなのあいつら。
真に兄や姉への愛を訴える弟や妹に
と言ってるが、そもそも結婚は本来愛で行うものではない。これこそ家制度のシステムの一つなわけで。
んで日本の家制度では兄弟姉妹婚なんてのは元々認められていない。
逆に家制度なんてくそくらえという人にとっては結婚自体が意味がない。精々配偶者控除くらいだろうがこれもそろそろ無くなりそうだし。
(日本は何だかんだで家制度が根強い故に結婚する人が多い国だが、世界的には結婚制度がオワコンになりつつある国も多いし
日本もいずれはそうなるだろうと思われる)
同性婚希望者は家制度とは別の所で(というか同性婚な時点で日本の家制度に組み込むのは無理なんだが)
同居だの相続だの保険の受取だの病院の面会だのの権利が欲しいと言うのを理由にする人も多いが、
何だかんだで毎週楽しみにしていたアニメ、プラメモが終わってちょっと悲しい
振り返って見ると、脚本家が締切間際に「もうどうにでもなれえ~」と言いながら滅茶苦茶にして書いたような脚本だったな
プラメモのストーリーは「難病美少女の闘病と死(アンドロイド版)」というテンプレ以上でも以下でも無いというのが残念
脚本の構想10年なんて言うことも言われていたらしいが、これって丁度セカチューくらいの時代だったな
内容もどことなくその時代の雰囲気を醸し出しているし、もしかしたら、セカチュー辺りに触発されて書いた脚本なのかもしれないと思う
企画段階では、バトルものだったらしい。だったらそっちを見たかったよ。序盤の雰囲気から期待して、徐々に裏切られていく感じはここから来てたんだなと納得
話数が進むごとにゴリゴリと俺の中の期待値(と満足度)が下がって行ったわけだが、ここでその理由を振り返ってみる
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こんな条件を満たすSFって言うのはなかなか貴重なワケで、おまけに前評判として「シュタゲの林直孝が脚本」というのを全面に出して宣伝してたから期待していた
だった
シュタゲは面白かった。シュタゲに有ったもので、プラメモに無かったものは何だろう?
そう、
というワクワク感だろう
プラメモのなかでシュタゲの「改変した過去を戻せ」に匹敵するような問題解決の姿勢は見られない
つまり、シュタゲの名前を出して煽っていた割に、出てきたものは全然違うものだったわけだ
例えるなら、「銀座有名寿司屋の板前が作る創作料理」という謳い文句でトンカツやフレンチが出てくるような期待はずれだったのだ
なんか、いっそのこと、怒りに燃えるソウタ君vsアイラちゃんの方がよっぽど見たかった。プラメモガンとかプラメモソードを活用してガシガシバトルしてほしい
あるいは、アイラの寿命が近いことを知った主人公が東奔西走して、解決方法を探るというようなアクティブな話が見たかったんですけお!!!!
これまでのネットにおいては「左が世論を支配していて、それを右が攻撃する」という構図があった。
右のほうが攻めなので、サヨクをタイプで切り分けて「こういうサヨクはこう攻撃すればいい」「このサヨクならこうだ」とマニュアル化されていった。
また、極端な意見を持っている奴らが標的にされやすいので、ウヨクの中のサヨクはそういう極端なイメージで固まっていった。
っていう名残りがあって、右は左をステロタイプに捉えすぎていると思うよ。
サヨクだってもちろんネトウヨをステロタイプにとらえているけど、それは「何だかよく分からん奴らが出てきた」からの「こういう奴らなんじゃね?」というものなので、そのあたりちょっと違う。
すぐに取り変えてもらってバリバリ食べてた。店員さんは気を遣ってもう一品用意してくれた。
いいですよーって言いつつ、ラッキーと思い皆で全部食べた。
会計の時も店員さんは頭を下げてたので、全然大丈夫ですよーと言ってお金を払おうとしたとき
一緒にいた経営者の方が、「いやいや、金を払う必要ないでしょ」とか言い出した。
えええええ!取り替えてもらえば十分でしょ!しかも一品までつけてくれたんだし。
自分は何か申し訳なかったので、その場は自分が払った。経営者の方も少し出してくれた。
帰り道、その方に言われた。「金持ちになりたかったら払っちゃダメですよ」
えー、金持ちってそうなの?ブラックカードを持つ人ってこうなのかな。
というモヤモヤしたことがあったので。
めっちゃ分かるわ。
同じ空間に住んでるのに全く別の時間軸に生きてるいくつかのグループに別れてるってのは意識しだすと何だかモニョモニョしてくる。
学校で共同生活して卒業後は普通のサラリーマンになると周りに多少の夜型人間はいても全然別のライフスタイルで生きてる人間が極端に少ない状態がかなり続くもんな。
CTC → A社の発注が 5000万で、B社に丸投げだったら、2500万くらいだろう。
A社のCTCへの見積もりは、見積単価が 120万/人月(ちょっと安いか?)で、40人月くらい。
A社の原価率を85% として、原価が 34人月。
B社の単価を 80万/人月としたら、マックスで 2720万。
多少駆け引きがあって、2400~2500万ってところが妥当では。
・ニトリは内製っぽいけど...
ニヨニヨするとか言われてたページには、こんなコメントが入ってる。
<!-- Customize for NITORI start-->
<!-- Mod for Nitori End -->
WebSphere をミドルウェアに決めたときに、カスタマイズも発注してたことは十分考えられる。
「これは仕様通りです」とかなんとか、そんなやり取りをいっぱいしたんだろうな...
・ベータ版なんて作らない
ウォーターフォールで一直線。
ニトリ社のレビューというか、受け入れ試験があったとして、そこで出されるのは
完成品、もしくシステムテストがある程度残っている本物。
リニューアルオープンが延期したのは、本当に間に合ってないだけ。
6月1日が延期したのも、ろくに動くようなものじゃなかったんじゃないか。
リニューアル後の性能問題も、何だかんだで一週間で復旧できたわけだし。
・表に出ないだけで...
ふわっとした仕様書を杓子定規に実装した、というよくあるパターンな気がする。
別ウィンドウで表示される「リニューアルオープンの遅れに関するお詫び」にまで販売サイトのヘッダ、フッタがきっちりと表示されている。
http://www.nitori-net.jp/store/ja/ec/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B6%E6%9C%8823%E6%97%A5
この硬直さもウォーターフォールっぽい。
css がど真ん中に挿入されているのも、さもありなん。
人間の知能の尺度が学歴で測れるかどうかは別として、大学のレベルをある程度の知能の目安として考えたら、日本人の普通レベルの学歴ってどれくらいなの?個人によって色々とあると思うけどざっくりと考えて。
調べてみて驚いたんだけど、ネットではだいたい旧帝一工以外はFランみたいな感じがあるけど、国公立大全体の進学者数でも同年齢人口の数パーセントしかないんだよね。
大学全入時代といっても、大学進学者数は同年齢人口の半分くらいしかないから、日本人全体の普通レベルの学歴は大学に行くか行かないかぐらいの底辺私大・専門学校レベルになんのかな。
一般的な普通の日本人の知能が、底辺私大・専門学校レベルだと考えたら何だかなーってなるなぁ。
まあ、はてなーの平均的な学歴を、MARCH関関同立駅弁レベルと考えても、知能レベルで言えば日本の上位層の人たちがうんこ漏らしただのプリキュアだのなんだのやってるから、それも何だかなーってなるけども。
日本は独身男性の不幸度が既婚男性と比べてやたら高い、女性は大して変わらない、って話もあったけど、
男性は「結婚さえすればデフォで幸せになる」と言う認識の人が多いよね。結婚して不幸になる可能性を考えてない。
ネットのミソジニー男もいくら口では結婚は墓場とか言ってても、本当は「墓場」な結婚にリアリティを感じてなくて
そんなのは極一部の運の悪い奴だけだと思ってるんだろう。
だから「妥協して結婚しても何だかんだで幸せになるんだから」と考えているように思える。
(勿論不幸になると分かっていて強制したがる気合の入ったミソジニーもいるだろうが)
昔から腐女子の間ではごくごく普通に語られている理由だよそれ。
女攻め男受けが少ないのは、男が受けてるのは見たくても女が攻めは嫌、って女が多いからだろうね。
嫌な理由は「攻めるような性格の女キャラが好きじゃない」「(二次の場合)そもそもそんな性格の女キャラが原作にいない」
「女にやられる男は情けなく感じて魅力がない」「やっぱちんこ無いと」とかは聞いた事が。
凌辱系だと「女だと何だかんだでご褒美っぽくなるし、ご褒美になり得ないような醜女は見たくもない。
攻めの見た目が見苦しくないのに受けが本気で嫌がってるって状況を成立させるには攻めが男だと都合いい」ってのも。
ドームは、コンサートを見るにしては会場が大き過ぎる。マイケル・ジャクソンの東京ドームのコンサートに行ったことがあるが、もはや本人がそこにいるのかどうかも確認できない。アリーナ席にいる人間が全員がサクラをやって、影武者がステージに立っていてもばれない。
近年は工夫して、ステージをドームの中央にしたり、本人がスタンド席の近くまで来てくれるようになったけど、それでもそのときだけで、あとはずーっとカメラで映したスクリーンを見ているばかりになる。ドームみたいな巨大な会場か、でなきゃ無名の人が1000人も入らない小さな会場でやっているか、という感じになっている。ふだんからファンクラブに入ってないとチケットが取れない。テレビで見ている歌手は、最後までテレビの中のままになった。いまは不景気の時代なのに、どうしてオレみたいな、たまには歌手をナマで見たいと思うような者のために、歌手本人が確認できる距離感で、県民会館みたいな会場で、チケットを手に入れやすい感じでやってくれないのかな。クラシックのコンサートは、当日席があるのが当たり前だよ。
コンサートに持ち歩く設備機材がバブル時代のままで、トラック数台分とかになってるんじゃないの。ドームのコンサートですら、カラオケと一部ナマ楽器の組み合わせになってて、コストもかからないようになってるじゃん。県民会館でカラオケでコンサートすれば、人員も少なくなってコストも減るはずだよね。クラシックのコンサートに比べれば、圧倒的にコスト安。なのに何でいつもコンサートのチケットは品薄状態のままなんだろうな。売れなくなって昔の人になってから見てもしょうがないんだから。
ちなみに、クラシックのコンサートは、単独で黒字になるものがあまりない。経費の多くをスポンサーが出してくれている。コンサートの看板に『▲▲プレゼンツ』と企業名が書いてある。チケット代収入はコンサートの経費の半分くらいだろうか。だからチケット売り切れ状態にして、コンサートを供給不足状態にしなくてもいい。ポップス業界の興行人は、観客と演者が近くなるための仕組みづくりには取り組んでいないか、取り組んでいてもあまり成功はしていないように感じる。
コンサート見るほうが買主で、興行するほうが売主とか企業で、トラックバックやコメントのアドバイスを見ると、売主や企業の立場にそってコメントしているのも何だか変だと思うよ。服でも食べ物でもクルマでもなんでもいいが、売っている企業の立場を重んじててどうする?みたいに思うんだよね。あいつらに儲けさせてやるべきだというテイストのコメントって、なんか意味があるかな。
とある人口数万の地方都市で育った。20代後半。2人兄弟の長男。
小、中学生の頃なんかは、クラスに気になる女子はいても、普通にクラスメートでいられたらいいという感覚だった。ここまではよくある話だ。
中学卒業間際で、後輩の男の子に恋愛感情のようなものを感じてしまった。相当悩んだあげく、隠すことに耐えられなくなり、高1の夏に大々的にカミングアウト。
法には触れないまでも、当時は非常識なまでの暴走ぶりだった。ゲイというだけでなく、その暴走ぶりも噂は広まり、完全にそういう人と認識された。
だからといっていじめられることもなく、同級生も皆、変わりない関わりを持ってくれた。多少の後ろめたさはあったが、何だかんだで高校までは楽しかった。
他県の大学に進学した。キャンパスライフへの憧れとやらとは無縁で、大学生になったからと、特別やりたいこともなかった。
むしろ、たまに地元に戻って、プチ同窓会のごとく、久しぶりに会う友人が楽しみだった。
成人式を迎えた頃には、むしろゲイという自覚でもなくなっていた。かといって、彼女が欲しい理由もなかった。
都会に出たい理由はなかった。長男だし、親のことを気にかけられる距離で生きていくことがずっと望みだった。地元にいたほうが、昔からの友達とも関わりやすいはずと考えた。
だから地元で就職した。仕事に追われたり、ちょっとヲタク趣味にのめりこんだりしているうちに、30が目の前に見えてきた。
そろそろ真剣に相手を探そう! そう思ったが、現実は甘くはなかった。
友人とのかかわりは想定外に希薄になっていた。同窓会には呼ばれるけど、個人的に会うことはほぼ無くなっていたし、用もなく連絡を取るほどでもなくなっていた。
会社ではある程度の位置には居るが、お酒がほとんど飲めないということもあり、飲み会等は本当に「つきあい」程度。
女性社員の少ない職場。ちょっと前までは相手を探す意識もなかったし、まぁ手を出せる雰囲気ではない。
田舎ゆえに婚活イベントの類は少ない。あっても知り合いがいる可能性が高い。高校時代の話を蒸し返されるのではないかというのが、一番の懸念だ。
かといって、せっかく地元で得た今の仕事も捨てたくない。近場の大都市で出会いがあったとしても、そのあとが現実的ではない。
気がつくと、どの方面でも、数少ない可能性に賭けるしかなくなっていた。
最近、ドッジボールが野蛮だから禁止すべきだ、とか、ドローンが危ないから規制すべきだ、とかいうネタをよく見る。
何だかすぐに規制・禁止の方向に持っていく考えには自分は反対なんだが。
そんな事言うんだったら、よくアクセルとブレーキを踏み間違って店に突っ込んだりしているオートマチック車の方がよっぽど危険だ。規制・禁止すべきだ!
左手・左足での操作が不要で、運転に集中するどころか、携帯・スマホ・化粧(←通勤中見てると結構いる)をしながら運転も多いから、オートマチック車は規制・禁止すべきだ!
アレだろ? オートマチック限定免許ってのは「動き出すための動作=右足を踏み込む」のと「停止させるための動作=右足を踏み込む」という相反する動作をさせるために同じ操作をさせる安全上おかしい動作を状況に応じ完璧に使い分け、間違わないよう特別な訓練を受けた者が所持出来る免許なんだよね?