はてなキーワード: 中毒とは
正直、心配か心配でないかは怪しいが、他の家族が不思議がるほど冷静である。
ここ、数年自分の就職活動など、たしかに心労は多かったかもしれないが、
酒乱、ニコチン中毒であればよかったのだが、ついにここ数日は睡眠薬に手を出し始め、
最悪の事態も覚悟はしている。
だが、思うのが10年ほど前にも、20年ほど前にもうちの血縁関係。
というより、それぞれおば、母親と「プッツン」寸前の行動を起こしている。
こうなってくると、何かの家系なのではないかと思うことが多い。
母方の祖母、母親、おばと宗教、あるいはアイドルと大幅に生活を乱すまではいかないものの
わたしは・・・。
そうなってくると、なおさら、今後は適度な依存状態で社会的にまともな状態を維持したい。
妹、弟といるが、何を考えているのかはわからん。
ま、大馬鹿なのではないので、そのへんの暗い事実も分かっていることは分かっているはずであろう。
とりあえず、寝るか
子供時代のコロコロコミックに始まり、沢山の漫画やSFに時代小説と、私の人格の7割を形成してきた本屋が潰れた。
末期は雑誌を棚に並べて、返本して棚に並べての繰り返す毎日だったそうだ。
話題の本は話題になってから仕入れても、問屋流通が時代遅れの伝言ゲームに勤しむようで、届く頃にはブーム後、ブックオフに半値以外で並んでるのを、本好き以外は買わないよ。。と嘆いていた。
全体を把握する店員が居なくなって、バラバラにかつあちこちに並べられ、なかなかたどり着けないレイアウト
やたらと待たせるレジ待ち。ものすごく雑に文庫カバーをかける等々。。
たぶんマーケティングの結果や、人件費的な都合で、そうしているんだろう。
短期的には数字出るかもしれないけど、あんな状態なら二度といかないリストに載るということに気付かないんだろうか?
今はまだ、Amazonから届くのに早くて1日かかるから、発売日にどうしても読みたいという中毒者が仕方なく来ているけども、予約すれば発売日に届くシステムをAmazonが作ったら、もう勝ち目ないよ?
否、リブロ潰れればいいのにって話ではない。
本に触れる場がなくなるのを危惧している。
そんなことはない、結果はもう見えているでしょう?読むに値しない、宣伝費をつぎ込んで、みんなが読んでるよ!というのしか、目につかなくなる。
個人的にはこの春・夏は以下のアニメがおもしろかったな。趣味が同じ人、期待できる秋アニメ教えてください。
14話あたりまで何の話だか知らずにスルーしてた。途中から見はじめたが、群像劇の触れ込み通り、いろいろな(まぁ、カリカチュアされているとはいえ)青春の思惑のすれ違いが何とも言えず心地良い。また、絵作りもさすが京アニと唸らせる。しかしまぁ、あれは原作も良かったではないかと、原作にポロロッカして思った。人が死なないミステリ、っていう領域は面白く作るのは難しいと思うのだけど、原作はそのへんも含めて大変自分の趣味に合う。例えば森博嗣なんかも好きなんだけど、簡単に人が死んでる割に、それをあたかも「単なる文章問題」であるかのように扱うミステリの雰囲気には違和感を感じるのだよな。
原作を平行して読みながら、「心あたりのある者は」の絵作りに唸り、最終話が「遠回りする雛」になったときは正直たまらん気分になった。でも、一番好きな作品は「二人の距離の概算」だったりする。
これも青春群像劇モノ。すみません男子校育ちだったので、こういうものに免疫がありません…。特にヒトランダム編は、「プロ声優ってすげぇ」と思わせてくれる構成がたまらんかった。後で、音響監督がチャック亀山と知って二度びっくり。いや絶望先生の隠れた逸品ぶりはチャック亀山先生の声優さばきにあったと思うのですが、うーん、さすがです。また、沢城みゆきの演技が物語を支えてると思う。ただ、全体のストーリーの方は、氷菓の方が好み。
こちらは原作から入りました。これをSFと呼べるかどうかは自分の中で結論が出ていないのですが、独特の雰囲気の原作を上手にまとめている。しかし、話の順序がぐちゃぐちゃなわりに原作通りなので、原作を知らない人は混乱したのではないだろうか。一話に内容を詰め過ぎてたので、もうちょっとスケジュールに余裕を持たせて、二期に分けてやってくれてもよかったのになぁ、というのが正直な感想。でも学校編をやってくれたので満足です。Yの腐った所がたまらん … これも沢城みゆきか。
OPもEDも作風と合ってる上に中毒性があってヤバい。エンディングはCD買った。
原作を雑誌で読んでるので新鮮味はないが、これも楽しみで見てはいる。
アポ役と「せりか」さんがちょっと出てくる回で、沢城みゆきが「アポ」でクレジットされていて激しくずっこけた。ココロコネクトと同時に日曜午前に見ることが多いので、落差が激しい。
初代OP(ユニコーン)のほうが今のOPより好きだったのだけど、わりとさっくり変更されてしまった。
世界観を理解していないのだけど、のっけからの鬱展開に引き込まれた。これ2クール作品なの? 今後も期待。
原作の噂は聞いていたが、R18と聞いて手を出してなかった。PS3に全年齢版で出るなら手を出してみるか。
まあ、これは順当な出来。菌どもが動いてるだけで8割勝利、というある意味ズルい作品 (もちろん他のスタッフ・役者さんも良い仕事してます)。
EDが耳に残る。
久米田先生大好きです。Bパートの私服パートがなんだかほっこりする。あと、地味にオチを掘り下げてるのが良い。
これもEDが耳に残る。ももクロは(モーパイの時の仕事がなんか雑だったので)好きになれなかったが、こういう曲であればマッチしてるね。
MMORPGを、UOからEQ、RO、FF11と渡り歩いてきて、ネットで各ゲームで毎回毎回廃人と晒され、数年前ようやくオンラインゲーム中毒から脱却出来たのだが。
ドラクエXの流行を見ていると、今までのMMOと大きく違う事象として、メジャータイトルかつ一般ゲーム機での発売(FF11はPCだったのでここが違う)なのでカジュアル一般層が多く、リアルの友達などと始めている人がすごく多い。それこそ社会人などが同僚、上司、取引先と。よく見る光景。
廃人だった私から言わせると、それはすごく危険なことに思える。
リアルでの関係から開始すると、いざそれを止めようとしたときにそれが足枷になる。「もう興味が無くなった」という理由だけで止めることが難しくなる。特に仲の良い人がハマってたりするとなおさらだ。毎日のように「今日何時ぐらいにオンする?」。今ではツイッターなどで仲良い集団でそのやりとりを良く目にする。基本無料で、わざわざ「止める」必要がないソーシャルゲームとは違う。月額課金をしないとキャラクターは消える。今までの全ての蓄積が消える。そのリアルで仲良い人との、少なくともゲーム上での関係を、自主的に消去することになる。
私がオンラインゲーム中毒から脱却出来た理由の一つに、そういったリアルで繋がりのある人がゲーム上にいなかった、というのがある。基本ゲーム上で知り合って仲良くなって。そこからリアルに会ったりした人もたくさんいたが、基本的にはゲーム上で親密な関係だ。リアルを晒したりはほとんどしていなかった。そのお陰でリアルに戻れた。
ドラクエXがもたらした一般層への「オンラインゲーム(MMORPG)」の影響は今後深刻になっていくんじゃないかと心配する。「ドラクエ疲れ」。俺達大人は言う、「たかがゲームじゃないか」と。だがそこにリアルでの人間関係が絡むと「たかがゲーム」ではなくなる。
「たかがゲーム」にそんなに人生を持ち込むぐらいなら、もっと別の何かで親睦を育むことをオススメする。一緒にご飯に行こう。一緒に酒を飲みに行こう。一緒にスポーツをしにいこう。一緒に山登りに行こう。
そちらのほうがよっぽど「冒険」だぞ。
はまっていた頃は、意味もなく嫌韓だったりXboxは失敗したハードとか思ってたりしていた。
処女でない女性はダメだと本気で思っていた。それは論理的かつ倫理的に正しいと本気で思ってた。
アニメやゲームや声優を貪るように摂取した。ボカロの中二的世界観に浸ったりした。
中毒みたいになって、空き時間のほとんどをネットで過ごすようになった。
大学のサークルにしか友達がいなかったが、その友達もオタクばかりだから何も気にならなかった。
皆同じような時間の過ごし方をしていた。こいつらがいるから自分はぼっちではないし、非リアでもないと思っていた。
屁理屈や偏った思想を意識の高さと勘違いして、いい気になっていた。
知人が、音楽とかメイクとか洋服とか、料理やスポーツの話をするのを、ファッションだと思っていた。
本気なわけがない。この人はファッションで料理だのスポーツの話をしているだけのにわかだと思っていた。
そういう人達が海外旅行とかインターンとか美術館とかデートとかに行ってても、リア充爆発しろwwwとネット上とかサークルで言い合っていればよかった。
それでよかった。
将来のことを考えだしたら急に、ネット社会が色あせてきた。
ネットで強気に振る舞う現実の自分は屁理屈で、何ら建設的な意見をろくに持っていない、ムダ知識ばかり豊富で
何の経験もしていない、うすっぺらい人間だってことに気づいてしまった。
特に世紀の名作でもないのだろうけど、アニメばかり見ていた自分には面白さと表現が桁違いだった。
あれほど神聖視してた深夜アニメの多くが、偏った欲望をその場だけ満たすファーストフードみたいなものだと気づいてしまった。
まとめブログとニコニコをお気に入りからはずした。まったく見なくなった。
ぬるま湯に浸かっていたから苦しい作業だったけど、アニメやまとめブログで憂さ晴らしをして得られる快楽の数百倍、楽しく建設的で創造的でさえある体験が続いてる。
といっても怠け癖は常に自分の中にあって、今度は自己啓発商法とかに絡め取られそうになったこともあった。
有料メルマガとか有料言論プラットフォームを無駄にフォローしかけた。
ちょっと賢くなった自覚があるバカがよく陥る罠だと思う。
自分はSNSではなく、ネットゲーム(FF11)にはまっていた。
子供が生後8カ月くらいで、子育て主婦の多くが肉体的にも精神的にも追い詰められているという時期の話。
自分が会社から帰って真っ先にやることは、PCの電源を入れること。
軽く2ちゃんのスレを確認したのち、すばやく飯を口に放り投げ、ネトゲの世界に旅立つ。
子供が覚えたてのつかまり立ちで近づいてきても、その手を払いのけてネトゲ。
そうなるとネトゲ以外のことは、すべて興味が無くなる。
家族のことであっても例外なく。
嫁さんが何を考えているのかなんて、これっぽちも興味が無い。
今の状況が子供の成長にどんなに悪影響かなんてことも、興味が無い。
お前のやってる家事なんて楽なもんだろ?
「なんでお前みたいなヤツが結婚したんだよw」って思いますよね?
ここまでの重症者は希少かもしれないけど、似たような旦那は多いんじゃないかな。
SNSやネトゲだけじゃなく、パチンコや競馬、その他もろもろの趣味の中毒者で。
人ってのは変われるもので、ネトゲを捨て家族中心の生活になった。
子供が泣いていたら抱っこでヨシヨシ。
子供と一緒にご飯を食べる。
子供がご飯や飲み物をひっくり返したら「どうせないかんかね~?」と考えさせる。
子供が近づいてきたら頬ずり。
嫁さんとケンカしたら、聞き役に徹する。
嫁さんは泣かせない。
嫁さんとの会話が増えた。
(だがセックスレスw)
ネトゲ中毒からの転機になったのは、仕事で認められるようになってきたことかなと、今になって思う。
それから少しずつネトゲから遠ざかり、最終的にはアカウントを削除した。
仕事中毒になり、時間が無くなったからネトゲを捨てたのではない。
ネトゲへの執着が薄れていった感じ。
最近考えてたのは「なぜあそこまでネトゲに執着していたんだろう?」ってこと。
たぶん誰かに「自分を認めてほしかった」んじゃないかと思ってる。
家庭ではATMとして、それなりの地位があった。
だけど仕事は、ペーペー真っ盛りの頃で「オレって何の役に立ってるんだろう?」っていつも思ってた。
その気持ちをネトゲの世界に求めてしまっていたんじゃないかと。
人の持つ承認欲求てのは、家族とかの身近な存在からだけじゃ満たされなくて、自分の所属する集団とか世間一般からも求めようとしてしまう、欲深くて厄介な存在。
世の中から認められず、時間をかければ簡単に「仮想の承認」を得られるネットの世界に逃げてしまう。
ネトゲを捨ててからは必然的に家族と関わる時間が増えていき、育児や家事をやるようになって気付いたことがある。
主婦に対するイメージは、午前中に家事を軽く終わらせて、昼ドラを見て、子供と昼寝をして、ストレスの無い羨ましい身分だった。
これが全然違う。
たまに嫁さんが用事のあるとき、自分が仕事を休んで子育てと家事をやるんだが、半端なく仕事量が多い。
通常の家事だけでも大変だが、役所の手続きや料金の支払いなんてのがあると、軽く午前中はとぶ。
さらに子供は予定外のことばかり起こしてくれるので、午後の時間さえもあっという間に無くなるってこともあった。
これらを嫁さんは、バグの無いプログラムのごとき正確さと計画性でこなしつつ、予定外の処理もマルチスレッドでこなしてしまう。
どんなに完璧に家事をこなしても、誰にも誉められないし、認められない。
それどころか、少しの落ち度でもあろうものなら、非難の的にさらされてしまう。
おもちゃが散らかっている。
Yシャツシワがある。
「買っておいて」と頼んでいた物を買ってない。
がんばっていることは見向きもせず、ミスばかり指摘する。
嫌な上司の典型例w
上でも書いたけど主婦って超忙しいから、人と会う暇も話をする機会も少ないから、本当に孤独だと思う。
友達とランチなんてのは、時間が無いこともあるが、何より子供がいると周りへの気疲れに悩まされるので、まさに幻想。
子育て主婦は、世間から孤立するっていうニュースをよく聞くけど、まさにその通りだと思う。
子供以外の誰とも関わらず1日が終わる。
誰にも気にされず、誰にも認められずに。
1年や2年なんて短期的な話じゃない。
主婦である限り「誰にも認められない」なんて悲しいことが半永久的に続く。
行きつくのは「自分の存在って何なんだろう?」っていう感情じゃないかな。
マンガやドラマで沢山使われすぎてて安っぽく感じられてしまうフレーズだけど、これを思わない子育て主婦はいるんだろうか・・・?
「誰かに認めらたい!」って切望する旦那も、嫁さんの承認欲求には気づけない。
それは致命的な間違い。
そんな社会から隔離された絶望的な状況で耐えている嫁さんの精神力はすごいと思った。
それを素直に嫁さんへ伝えると、嫁さんは号泣した。
オレもつられて泣いた。
増田さんの旦那にとって、twitterやFacebookは仮想空間ではないってことです。
他人には何の価値もない「家族サービスでお出かけなう」や「きたくったー」なんてコメントでも「いいね!」してくれる変な人が沢山いて、「良い父親」「仕事を頑張ってきた」っていう旦那さんの承認欲求は満たされるから。
「人に認められる」
例えばニコチン中毒の人にゴールが無いように、いじめにもゴールは無いと思う。
ニコチン中毒の人は、最初は格好つけのためとか色々あるだろうけど、途中からはニコチンの補充のためにタバコを吸う。
(肺ガンになりたくて吸ってるわけじゃないから、肺ガンがゴールってことはないよな)
いじめだって、対象が集団から排除されればやめるかもしれないけど、それがゴールってことはないんじゃないか。
飽きてやめる場合もあるだろうけど、やめない場合(社会人になっても、中学生のような露骨な形じゃないことが多くなるけどいじめのような行為はある)というか、
形を変えて、そういう体質のまま生きていくケースも多いんじゃなかろうか。
もちろんタバコをやめられる人もいるように、いじめによる快楽から抜け出せる人もいる。軽度の人と重度の人ってのがいるんだろう。
軽度の人の場合、愛する恋人がタバコをやめてと言った/いじめの対象が集団から排除されたタイミングで、やめることができたりするかもね。
ただ、それはゴールじゃなくて、単なるきっかけなんだと思う。