はてなキーワード: レビとは
バラエティ番組にも報道番組にもクイズ番組にも。ほぼバラドルじゃねーか。
このままだと戦隊モノにも出るんじゃねーの。昔みやむー出てたけど。
ナレーションに声優呼んで読ませてるの見るとこっちがオタクなのになんか「イタタタタ」ってなる。
まる見えも「あの人気声優が登場!」って。海外映像吹き替え全部違和感しかなかったぞ。個性出しすぎて映像と合わなかったな。
國府田マリ子の声の良さ再確認したわ。最近アニメ出てるか知らないけど。
15年前なんてマスメディアサイドはミヤザキの時みたいに「犯人はオタクで~」とかやってただろ。伝わらないかもしれないけどヤギ被告の時そんな感じだったよな。
あいつ結局オタクじゃなかったし。何が「段ボール箱を封印する際のテープの型がネウロと一緒」だよ。というかネウロ見てるからオタクって凄い偏見だな。
あの頃たまにバラエティに声優呼んだと思ったら「○○の声やってよw」→伝わらず変な空気に って流れが多かったよな。
逆に今はオタクにしか分からないようなアニメキャラ演じさせて「皆知ってますよ」的な空気出すときあるよな。
あれ嫌だわ。家族と飯食ってるときに「この人知ってる?」だって。あまりにも声優がバラエティでやっている事が恥ずかしすぎて「知らない」って答えるけど十分知ってるわ。
今の声優は実質アイドルだしそいつらのファンもアイドル追っかけと同じ。
だから視聴率取るためにただ何も考えず起用する。ファンはそいつらがデレビに出たら「認められた」と思って喜ぶ。
オタクは金になるのは分かるけどオタク叩くかオタク持ち上げるかの2択しかないのか。テレビ業界はバランス加減もうちょっと考えろよ。
キャラデザは続投だから制作手塚プロでもひどい絵面にはならないだろうと油断してたら監督変更の影響か脚本部分がつまらなくなっていた
1期の村野佑太監督のおかげで原作以上に面白く感じていただけで2期が現実なのかもしれないが
女の子はかわいかったけどやはりあだしまの癖が残っているように見えた
ディアヴロはかなり顔変わったが1期の方が好みだった
少しでも興味があればネタバレ見ないうちに視聴したほうがいい
序盤を見ておっさんが若者に物申す系の説教臭いアニメはちょっと、と思うかもしれないがそこは全く本筋ではなく、ジャンルとしてはかなりしっかりミステリーである
全ての要素が伏線で裏で繋がっており、終盤に向けて丁寧に回収されていく
一部の声優に芸人が起用されているがキャラは全員動物なので棒だとはあまり感じなかった
キャラが人間だったら声優的にはもちろんストーリー的にもビジュアル的にも見れたものじゃない作品だったかもしれない
背景や車の作画に3DCGが用いられているのだが、走行中の車のタイヤがアップになったときのホイールの省略表現が良かった
ゴジラはシン・ゴジラすらまともに見たことがなくほとんど知識がなかったがそれなりに楽しめた
SFということで小難しい話が続いたが最後まで見ると意外と単純な話だった
カドっぽいという感想をちらほら見たが、人に勧めるなら圧倒的にカド
ゴジラのラストは全くカドではなくSFとしてはゴジラのほうが面白いのでそこは安心してほしい
未視聴だったので視聴
基本的に百合アニメだと聞いていたがおねショタもBLっぽさもあって要素が多い
それにしても急に2人養うことになっても大丈夫なほど収入あるって小林さんすごい
原作未読
2期やらない前提での改変があったそうで、終盤は確かに急な感じはしたが約ネバほどの違和感はなかった
ケイト様とエミリコのフィギュアが出るそうだがこの作品ならドールの方が欲しい人多いのではないかと思う
約15年前のゲームを今になってアニメ化するということは相当面白いのだろうと思っていたが期待していたほどではなかった
声優がこの作品以外で声優をしていないシキ役も含め基本的に全員原作から続投されているのは地味にすごい
1期はとにかく勢いで押す作品だったが2期はその勢いが足りなかった
待ちに待ったゆうぎり回もゾンサガらしさという点では微妙
面白くなかったというほどではないが1期が完璧だったせいでかなり見劣りする
グリッドマンと比較すると要素を詰め込みすぎで回収しきれてない印象
よくある男子高校生スポーツものアニメかと思いきやコミカライズ連載誌が少女マンガ誌のデザート
好きっていいなよ。やとなりの怪物くんが連載されていた雑誌である
現在デザートではレビュダン!という男子高校生がミュージカルをする漫画を連載しているそうで孤立はしていなさそうなので少し安心した
キャラデザも普通に女向けコンテンツっぽい雰囲気だったので気付かなかったがとなりの怪物くんの作者が原案を担当していた
そしてこういうコンテンツなら必ずBL人気を意識しそうなものだが、BL要素は恐ろしいほどない
惡の華や少年ハリウッドなど手描きのイメージが強いゼクシズだがバクテンの新体操演技シーンは3DCG
でも演技シーン以外のちょっとした新体操カットは手描きで丁寧に動いており、日常動作も力が入っていて非常にゼクシズらしさを感じた
ゼクシズは久しぶりに見た気がしたので最近の仕事を調べたら2020年はシャドウバースにつきっきりだった模様
主人公が男装女子ということで女性向けかと思ったが恋愛要素は全然なかった
アニメキャラデザは原作絵からほどよく癖が落とされておりとても見やすくなっていた
和楽器アニメということで真っ先にこの音を連想したが、どちらも少女漫画家による青年誌連載作品らしい
正直言ってつまらなかった
とにかく画面が楽しい
融資のシーンはどちらかというと余計派
作品の軸のズレを感じた
見なくてもよかった
ヴァニタスの手記1話を見たが今後もこのレベルでアクションシーンがあるようなら視聴継続したい
制作はボンズだが監督がシャフトで仕事していた人なので妙に画面がシャフトっぽくてボンズらしいアクションとの組み合わせが面白かった
タイトルは半分釣り。劇場版シン・エヴァンゲリオンの感想をいくつか書く。
・一番印象的だったのは、シンジを支え、見守るのは、旧来の命令や強制しかしないオトナ達ではなくて、セカンドインパクト後に生まれた、かつての同世代の若い世代だったという事だ。
農村部の描写は、安野モヨコのマンガ・アニメの「大きなカブ(株)」と重なると思うけど、今、庵野秀明を支えているのはエヴァを見てた若い世代なんじゃないかなと思った。現在向精神薬を飲んでいる自分としては、動けないシンジの代わりに、アヤナミレイ(仮)(そっくりさん)が農村で人間性を取り戻していく過程がリアルに感じられた部分。シンジの回復とそっくりさんの消滅もそういう事かなと。
・裏宇宙でのゲンドウとシンジの描写が、急に安っぽい特撮のような背景になるのは、あそこで物語の位相が庵野秀明の内面描写に移ったからかな、と思った。今回、絵コンテを使わずにプレビズでレイアウトを決めてた辺りも、庵野秀明がパンツを下ろして内面を語る為には、従来のアニメ描写の仕方ではなく、実写映画(というかドキュメンタリー)の手法を使いたかったんじゃないかな。
だから終盤のキャラを見送るシンジは、プロデューサーの立場で、25年に渡って苦労をかけてきた各キャラをねぎらう立場だったんじゃないかな。元々は24年前のEoE(旧劇場版)で消費されてしまう筈だったキャラ達は、その後もスタッフ・キャスト・観客の中で生き続けてきたから、それを演じてきた(という体で)各キャストに見せ場と居場所を最後に与えたような気がする。それがこの作品が卒業式のように感じられた理由かもしれない。
・マリエンドは、個人的にはもうEoEと貞本版マンガでアスカエンドはバッドエンドもグッドエンドも見てしまったので、第3の終わり方としてよかったと思う。
・個人的に残念だなと思う点を上げれば、いくつかの戦闘シーンは大雑把に見えたこと。物量と情報量を上げればものすごい物が見えるわけではなく、逆に大味になってしまった気がする。
でも最初のTV版から見続けて26年経って、こんな作品を見られて本当によかったと思う。エヴァンゲリオンという作品とシンジとアスカとレイとカオルは、アニメの歴史に刻まれたと思うし、今後も神話にはならなかったとしても伝説にはなるんじゃないのかな
物理的な暴力だけじゃなく、文化面で現代的な技術を教えてつええするタイプの話って、人間が潜在的に持つ庇護欲とマウント欲と共有欲求が混ざったもんだなって思う。
特によくある描写で、向こうの住人が「こんな食べ物(異世界では)見たことありません、ほぉー」みたいにやたら文化の高さに感動する。異文化バカにしてんのかなと。江戸に来た耶蘇教の宣教師みたいな鼻持ちならない感じを受ける。とにかく現代に比べて文明も文化も低いのだから現代人が圧倒的にマウントして当然という発想は白人至上主義そのものだなこれ。
むしろ疲れていた現代人が異世界に触れて癒やされる、みたいな物があんまり見受けられないのがネット的というか。価値で全てが測られる世界に生きてんだなという実感を強くする。というより、個人的にも価値こそが評価されるのは紀元前からの歴史だとは思うけど、異世界に対する価値がはっきりと提示されてない感じがするんだよね。オリエンタリズムというか、その文化に触れてびっくりみたいな。その文化に対峙したときにまず俺達より劣っているから文化伝授してやろうという描写そのものが現代人の感性の稚拙さではないかと。こういうのって宮崎駿とかから言わせると、チコの実等未見の食事が出てこないのは何なの、ということになる。土着文化に触れて異邦人が恐縮する感じもない。さながら厚切りジェイソンのようにホワイ、日本人ココガオカシイヨー、とかずけずけやってるわけで。
そこで出てくるのが対立軸。あの異邦人が鬱陶しいからやっちまおうぜみたいなガジェットもたくさん出てくる。しまいに主人公は力量差を明示して屈服させたあと和解という。違うでしょ。お客さんはあんたであって、あんたがむしろマレビトなわけです。そこでなんで力押ししてんだと。そしてその後現代的なものを伝播させて文化破壊と。
健康番組で蛭子能収さんがレビー小体型アルツハイマーと診断されていて、そのときに「死ぬのが怖い」と言っていたのが印象的だった。
へらへらして冗談ぽくいるいつもの様子とは違い、心底から恐怖と拒絶が湧き上がってるといった様子で、
蛭子能収みたいにそれなりに成功してあの年齢まで人生を十分やりきってるなら思い残すことなさそうだなぁ〜とか勝手に思ってたけど、死ぬのが怖いそうです。
自分は今日明日にいきなり隕石で頭吹き飛んで死んでも別になんとも思わないんだけど、何が違うんだろう。
もちろん100歳までは生きる想定だし健康維持のために運動したり食事生活気にかけてたりするけど、寿命が前後したりいきなり明日死んでも特になんとも無い気がする。
60超えて死んでも、まぁそういうもんだと納得出来るし、俺なんて生きてても死んでても世の中に対してなんの影響もないし、俺が死ぬとかどうでもいい気がする。自分が死ぬの悲しい?
痛いとか苦しいとかは嫌なのまぁわかるけど、死ぬこと自体にはそんなに拒絶感あんまりないんだよなぁ。
ブコメとかだと60までに死ぬとか訳知り顔でのたまってるコメントいくつか見かけたけど、こういう人って蛭子さんみたいに現実の死を眼前に突きつけられると狼狽えて、同じように死を拒絶しそう。
自分の生き死にをコントロール可能なものと捉えている感じが、浅はかと言うか、現実見えていない。
もちろん60までに死ぬ可能性十分あるけど、日本人の寿命みてどのぐらいの寿命が想定されるかとか、確率計算して人生設計するだけなのに、そういうことやってないひと多そう
不確実なものを恐怖するのはまぁ本能として理解も出来るけど、人間は不確実性を上手く把握して捉えることの出来る生物になったんだから、いつまでそうやって類人猿みたいなメンタルで生活するつもりだよ!