はてなキーワード: ひきこもりとは
と言われましても、精神障害でひきこもり・ほぼ寝たきりのナマポは結婚できないし、もし天文学的な確率で結婚できても、病気と貧困を次の世代に繋いでいくだけ。
子供を作るってのは金持ちの道楽であって、毎日死なないことだけに全精力を注いでる人間には過ぎたおもちゃなんだよ。
じゃあどうすればいいのかって?そうだね!死ぬしかないね!社会の寄生虫はさっさとありとあらゆる権利を引き剥がして離島にでも隔離しておけば良いんだね!
これが俺がナマポでありながら、ナマポを含むありとあらゆる社会保障を廃止することを求める理由だ。自殺はできないが、国家の意志として「お前らは死ね」と言われれば従わざるを得ない。
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そして『自己愛性』のパーソナリティ傾向です。「私は特別、私はすごい」という思いが前面に出るパーソナリティ傾向のことですが、
こうした万能的な自己像が損なわれることを恐れて、対人関係を回避する、試される場を回避するといった受身的な形で表れる
自己愛性の高さもあります。ひきこもりの背景要因となる自己愛性とはこの傷つきやすく受身的・回避的な自己資性パーソナリティ傾向だと思われます。
これは、甘やかして育てら れた人、傷つくことなく育てられた人のパーソナリティ傾向と誤解されがちですが、
実際 には健全な自己愛の展開を阻まれたり踏みにじられたりした経験を通じて、
特に思春期青 年期のある局面で均衡を欠くほど高い自己愛性を顕わにするという形成過程を持つのが普通です。
だから自己愛性パーソナリティ障害の人は、自分が特別であるということにこだわりながら、傷つくことを非常に恐れているのです。
なお、ひきこもる中でこうした自己愛性が二次的に高まっていく心理過程もありうると思われます。
両親から与えられた資質と環境から考えられる、ごく普通の幸せな人生を実現してきた。
地方都市に生まれ地元の公立小中高を卒業し、親元から若干離れた駅弁大学を出て東京で就職した。20代後半には伴侶となる異性と出会い30前に結婚、そこから5年の間に2人の子を授かった。共働きでの育児は大変ではあったが、夫婦それぞれにおおよそ年代別平均程度の年収があること、義実家が近く手厚いサポートを受けられることなどを活かして生活を組み立ててきた。子どもらは突出した資質こそ持ち合わせている様子はないが、健やかに朗らかに育っている。今後の教育費や老後の資金についても結婚時から続けている貯蓄と運用で十分まかなえる見込みだ。
偏差値50の幸せ、と自負していた。私にとってだけでなく家族にとっても、おそらくはそうだろう。代々受け継がれてきた幸せのバトンを、次の代にも受け渡しつつある。
だがもうだめだ。
20代中頃から発症していた鬱病が年々悪化し、今年自殺未遂を犯すまでになった。入退院を繰り返して心をすり減らし、ついに治療のための努力はおろか生活すべてに対するモチベーションを失ってしまった。もう何もできない。何も考えられない。次の自殺にむけてAmazonで買った首吊りロープはまだダンボールの中にあるし、もやい結びは動画を見ても理解できない。会社への休職手続きは途中で止まっている。社会のどことも関われず無気力に一日中布団で過ごす私は、配偶者から見るともはや子どもの教育に悪い存在らしい。家族と会話する気力もなく、ひきこもりのような生活になっていった。一人でいる時間、何を考えているのか自分でも整理がつかない。生きたいのか死にたいのかの選択、どのようにその選択を実現していくのか、支離滅裂に考えが錯綜している。
今、いつもより少しだけ頭が冴えているのでこの文章を書き殴った。合理的に考えれば生きるにせよ死ぬにせよ他にやることはある。ただ、少しだけ誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。
現在、VTuberグループのにじさんじが、幕張メッセを3日くらい使って、グループあげてのオフイベントであるにじフェスというのをやっている。
盛り上がっているようだし、スタッフもVTuberも力を込めているようである。
が、俺はにじさんじを活動スタートの頃から追ってるオタクのくせに、いまいちそれにノれない。
地方に住んでる上にひきこもりだから東京のオフイベに行けないというのもあるが、そもそも、肉体接触でみんなで盛り上がるというのが猛烈に苦手なのである。
「にじフェスはまるで文化祭みたいだ」というのはVTuber自身がちょくちょく口にするのだが、実際まあそういう盛り上がりであり、そして俺の苦手意識も、文化祭や体育祭がキツかったことに近い。
中学高校の文化祭は人のいない場所に逃げ込んで時間を潰していた。修学旅行も苦痛だった。
そして俺の厄介な所は、イベントに参加するのは苦痛なくせに、悠々自適なひとり学生生活に満足しているわけでもなかったということだ。
ワイワイやっているクラスメイトのノリが嫌いだったが、しかし楽しそうなそいつらを見てルサンチマンや疎外感や不公平感は強く覚えるのだ。
にじフェスについても同じだ。にじさんじ、ないしいちからが成長するのはよいことだし、マクロかつ客観的にはオフイベは成功してほしいが、ミクロで主観的な俺は、ひたすら置いてきぼり感がある。
月ノ美兎は言うまでもなくにじさんじのメインどころの一人であり、ここしばらく私生活の事情で休止していたが、にじフェスでもライブを二本もこなすように、しっかり箱イベントにコミットしている。
だが彼女は、今回のイベントのイメージソングである、じんが文化祭をモチーフに作詞作曲した『Hurrah!!(フレー!!)』という曲を紹介する時に、こんな風に言っていた。
「この曲のいいなって思うのが、明るいんだけど、陰の感じもあるの。私はそう受け取ったの。文化祭ってやっぱ、一部のお祭りになったりするじゃん。でも、なんか、救いがあるんだよね、この曲」
じんはこの曲にそのような救いをこめたのかもしれないし、そして、それを感じ取って明言してくれる月ノ美兎は俺のような人間にとって救いである。
月ノ美兎は今までのグループイベントを楽しんでいるようだし、彼女自身のプライベートでの文化祭も楽しむ側だったことは、何となく伝わってくる。
だがそれでも彼女は、彼女の人生で疎外感が発生した経験や、主流の生き方をできなかったときのキツさを覚えているのだと思う。
(そもそも彼女はVTuberとしても特殊だ。活動初期は3D動画勢がVとして当然であり、2Dで生配信のにじさんじは邪道的であった。その後彼女たちの活躍によって生配信系Vが大きなブームとなるのだが、ゲームや長時間配信を得意としない彼女はやはり特殊だった。ぱっと見は脚光を浴びているのに、主流派やマジョリティとしての振る舞いができない、「ステージ中央にいる異端」として5年間活動しているのがVTuber月ノ美兎である)
そしてにじさんじが、あるいはVTuberが、ネットが、オタク文化自体がメジャーになり陽キャやアイドル的になりキラキラした「マトモな人間達」のものになっていっても、「マトモに生きられないし他者と関われないので、一人で部屋でオタクコンテンツを摂取することでしか生き延びられなかった人間」の存在を認識してくれていて、どんどん派手で幸福そうになっていく界隈の賑やかさの中で、たまにモールス信号のように、あるいはradiko以前の深夜ラジオのように、月の光のように、彼女から俺たちへ密かにメッセージを送信してくれているように感じる。
それは相互理解なんかではなく一方通行の送信であり、それどころかそもそも月ノ美兎はそんなメッセージは意図しておらずオタクにたまたまそう聞こえただけの偶然のノイズなのかもしれないが、とにかく、俺はそう受け取っているのである。
俺はひきこもり始めて五年目で今年二十歳になった。
ひきこもりにも程度があると思う。コンビニとか余裕で行ける人もいれば、自室にこもって風呂にも入らず数年姿を見せないとか。
俺の場合、やむを得ない事情でもない限り玄関のドアから一歩も踏み出せない。ただ、家に自分の部屋がないおかげか、親とは毎日顔を合わせるし風呂にも入る。でも、会話(というか返事)は月に数回だけ。
やむを得ない事情というのは具体的にいうと、気胸になって一週間入院したとか、中耳炎になって耳鼻科に行ったとか。
本題だけど、人(社会)との関わりを維持したほうがいい理由は、死にたくなるから。文字でもいいから人と会話しないと頭がおかしくなる。
ひきこもりというと、一日中MMOやっててフレンドたくさんいるとか、ネット上にはたくさん友達がいるって思ってる人もいるかもしれないけど、俺の場合、気軽に会話できる人ってこの世に一人もいない。
ひきこもって1、2年のころは、かろうじて小中学校の友達数人とTwitterのDMでやりとりしてたんだけど、一人は普段のツイートがインセル丸出しでそれがキツくてブロックしてしまった。もう一人は積極的に話しかけてくれてたんだけど、それにどう返事したらいいのか全くわからなくて放置してたら、連絡も途絶えるようになってしまった。
なにも考えなくていいから5ch見るのが好きで、嫌儲板とか専門板でレスバして会話してる気になったりしてたんだけど、最近の5chは書き込み規制が厳しくて固定回線では書き込めなくなった。ニートだから浪人(5chの課金)も買えないし、固定回線より規制が緩い携帯回線も持ってないし。
そうやって、5chでのレスバも出来ない友達もいない意味のない人生を送ってたら、今月の頭くらいに孤独感がひどくなって本当に死にたくなって、とりあえず気分転換にアニメでも見ようと思ったら全然頭に入ってこなくてやばいと思った。
だから、とりあえず自分の好きなゲームのVCとかコミュニティに参加してみようと思って初めてDiscordインストールした。けど、書き込むのが怖すぎて未だに「よろしくお願いします」の一言しか書き込めてない。
引き出し屋特集とかしてた頃と違って、最近のメディアは優しくて「逃げてもいい」とか「不登校でもやり直せる」系の記事が多い印象だけど、あらゆることから逃げてきたダメ人間としては、我慢できそうなら我慢したほうがいいと思ってる(後悔してる)。もちろん、死ぬくらいなら逃げたほうがいいに決まってるけど。
というのも、レールから外れると元に戻ることなんて出来ないから。どうにかしがみついているのと完全に脱線してるのとでは、軌道修正のコストが違いすぎる。
あなたが不登校児の親なら、とにかく子供と社会との関わりを保ち続けることにリソースを割いたほうがいいと俺は思う。それは通信制の学校に通うとか、自助グループに参加するとかいろいろある。あと、ひきこもりがちなら外に連れ出せるうちにメンタルクリニックに通院したほうがいい。通院でも散歩でもいいけど習慣化は重要。
あなたが当事者なら、とにかくプライドと恐怖心を抑え込んで、何でもやってみる(努力する)のが重要だと思う。人前に出たらバカにされるかもとか考えるとたしかに怖いけど、ひきこもりなんてバカにされて見下されて当然だし、そうは言っても暴言吐かれたり殴られたりするわけでもないんだから。
それと、令和に入ってから厚労省や地方自治体がひきこもり支援を推進しているし、とくに未成年か氷河期世代が対象の支援は多い印象だから積極的に活用したほうがいい。
で、俺は、支援窓口に電話する勇気もないし外に出るのは相変わらず怖い。メンタルクリニックにも行ったことなくて、ひきこもり五年目に突入して行けるとも思えない。そもそも親になんて言えばいいのかもわからない。住んでる地域にひきこもり専門のメンタルクリニックっていうのがあったんだけど、どうやら未成年限定らしいし、もうどうでもいいや。