はてなキーワード: 「人生」とは
人がよく使う愛だの才能だのやたら便利でなんにでも使えるしどうとでもいえる言葉を、もっと狭くて不便な言葉にどう言い換えるかをよく考える
そう考えると「俺には才能がない」なんて、恥ずかしくていえないしいいたくなくなるね
まあね、能力ってつまりそれまでやってきたことに由来してると思うんよ
こういうと才能には努力ではどうしようもない部分があるからと言われることもあるだろうけど、あんまり問題じゃないんじゃない?
プロ野球選手が事故で手足を失ったとしても、人生が消えたわけじゃない
それまでの人生を発揮する手段を失っただけ。手を失っても足や口で絵を描く人もいる。もちろん容易なことじゃないけど、それまでの才能は無意味じゃない
同じように生まれつき手足がない人も、才能を上手く発揮できないとしても、才能自体を持てないわけじゃない
そしてどんなに才能があっても、身体的な制約で越えられない壁もある。シビアだけど事実だからしかたない
「才能」だけじゃなく「努力」も「人生」に言い換えてもそんなに支障はないんじゃないかな
だから才能と努力はだいたい同じもの。議論になるようなものが、結局ほとんど同じものでしかないってことは割とよくあると思う。似てるから区別しようとするわけだしね
ほら、きのことたけのこも大して変わんないし?
https://twitter.com/Ryuichi_Kimura/status/566305674406023168
https://twitter.com/Ryuichi_Kimura/status/566307830597029888
https://twitter.com/Ryuichi_Kimura/status/566309120299384832
これでもだいぶ気を付けたんだろうけど、かなりアラが多い。
エロティシズムという観点では、例の広報担当まっPもかなり露骨な表現を慣習的に用いている。
「エロ」の差す範囲が不明な以上、いわゆる「健全絵」を上げている人間も慌てなくてはならない。
「個人の趣味」というのも疑心暗鬼を起こしやすい言い方で、「金銭等の目的でない」という意味なら言葉が悪い。
「過激な画像」がこの文章の中でどのような意味を持っているのか不明。
「エロ」すなわち「過激」、という意味なのか、「過激なエロ」という意味なのかがはっきりしない。
法令基準なのか木村氏判断なのか、画像を上げる側の自己規制なのかも不明。
そもそもアイカツに関係ない「過激な画像」もアイカツのファンアート関係者は上げてはいけないということにもなり、こうなるともはやわけがわからない。
つまりこれは「Twitterに『エロ絵』を上げている人間は子供たちのことを気にしていない」ということになる。
「主たるお客さんの子供たちのことは気にしてあげてね」というなら最初からそういうべきであって、「エロ」という表現内容の例に触れて「止めて欲しい」と言った後でこれを出すのは「と言うだけ」では済まない。
監督である木村隆一氏の「ツイートが見えない」のはかなりの不便だと思うのだが、「人生困る事は何もない」らしい。
まあ仕様上本当に「見えない」わけではないのだが、アニメのファン活動が「人生」に含まれない、と言っているに等しい。
意味不明。
https://twitter.com/Ryuichi_Kimura/status/566313491271655424
だから何。
結局男女2:2の旅行中にここしかないという最高のタイミングが訪れ有機を振り絞って告白したのですがその場で保留 その後旅行が終わって「今は彼氏作る気がない」といわれて恋が終わりました。
http://anond.hatelabo.jp/20141213174541
>ピンクモードでない状態のとき、たとえば仕事の関係で親しい相手から妙なオーラを送られたりしたら、第一印象は「あ、煩わしいな」だったりする。それは「好き、嫌い」じゃないんだよね。
まさにこの通りでした。
告白した後の旅行中の二人きりの時はそんな感じで接されました。他の人もいると気を使って結構話してくれたり目を合わせてくれたんですが、二人きりだとこっちが会話を振っても反応が告白する前より明らかに薄いし、目を合わせてくれないし(これは最初照れてるのかな、と思ったのですが旅行から帰ってもう一度全トラックバックを観直してみて気づきました)
>ただ、人間関係って流れやタイミングというものが大きいので、そこを取り違えると残念なことになるんじゃないかな。
取り違えました。 完全に頭がどうにかしてました。 旅と疲労と恋が重なると人の心を狂気に変えますね・・・
>増田が求めてるのは、そういうもんなの? そうじゃなくて、相手の「人生」と付き合って、自分の「人生」をかけてこいつと付き合っていきたい、そういう、それなりにマトモな何かじゃないの?
>もし、ふわふわでよいなら、いろいろとアドバイスの飛んでる「恋愛テクニック的な何か」とか「タイミングを見計らった告白」とかを試みてみたらいいと思う。でも、もし、もっとマトモな何かなら、これも誰かがアドバイスしてたように「相手はどういう人生をこれから送りたいのか、そして自分は、その相手の人生を尊重しながら、自分自身のキャリアとか人生を幸せなものにしていくことができる将来像をもって>いるのか」みたいなことを、少し落ち着いてまじめに考えてみるべきだと思う。そういうものをもってない相手に、大人は軽々に重い「Yes」を返せるものじゃないですよ。
本気で結婚したいて思えるほど素敵な女性でした。自分本位で身勝手な告白しちゃったけど、今からでも間に合うかなあ・・・
>「私女だけど」さんが言ってる「フラグ」って、思わせぶりな挙動とか下心とかじゃなくて、そういうさらっとストレートな「言葉」みたいなもんじゃないかと思いますが、どうでしょう? そういう「言葉」を投げながら、相手の行動の変化とか様子とか見て、その上で少しずつ信頼関係をつくりつつ相手の中へ踏み込んでいく、そういうのが長い人間関係を作るコツってもんじゃなかろうかと思います。
「私女だけど」さんも含め皆様本当にアドバイス有難うございました。 残念ながら恋は叶わなかったですが、今後自分を高めて、相手のことを第一に考え尽くした上でしばらく友達として交流を深めた後に再チャレンジシたいと思います。
http://xevra.hatenablog.com/entry/2014/12/22/132058
まともな人間なら、自分の「人生」は目的、「ビジネス」はそのための手段、と分けている。
しかし、他人にとってはその「人生」こそが「ビジネス」の対象だから、奪い合う。
「ビジネス」とは、損得勘定で他人の「人生」を解体して、自分の富を増やすこと。
その逆もしかり。
「ビジネス」においては、他人の「損得勘定」で、自分の「人生」が切り刻まれる。
それがはっきりわかっていればいい。
最悪なのは、自分の人生が奪われているのに、他人の「損得勘定」を内面化して、自分の「人生」を他人に明け渡してしまうことだ。
ってことかと。
個人的な感想だけど、彼女の方は「付き合う」という人間関係を、今のところ求めてないんじゃないかという風に見える。つまり、好き・嫌いは別問題として、「付き合ってください」と言われたら「No」という答しか返せないんじゃなかろうか。あくまで印象だけど。
確かに、20代って性欲ももてあましてるし人間関係にも意欲満々だし無駄に体力があまってるし、誰でも多かれ少なかれ常時頭がピンクなモードだと思うんだけど、誰しも一生頭がピンクモードってわけでもない。ピンクモードでない状態のとき、たとえば仕事の関係で親しい相手から妙なオーラを送られたりしたら、第一印象は「あ、煩わしいな」だったりする。それは「好き、嫌い」じゃないんだよね。自分がそういうモードでそういう相手を求めてるときに出会ったら「OK!」かもしれない相手でも、自分がそういうモードでないときに「個人的に付き合って」と言われたら、やっぱり「それは無理です」しかない、ってこともある。
こんなことを書いてるのは、「私女だけど」さんが言ってる「しっかりフラグを立てて」という言葉のニュアンスが、ちゃんと伝わってるかなあ、と横から見てて思うから。
相手の人は、たぶん増田のことをもちろん嫌いとかはなくて、たぶん「そういうモード」で付き合う流れになれば、うまくそのまま付き合う未来がもちろんあるんだろうなと思う。そこは自信をもっていっていいんだろうと思う。ただ、人間関係って流れやタイミングというものが大きいので、そこを取り違えると残念なことになるんじゃないかな。
相手についての話を見て思うのは、たぶんそんだけアクティブに活動する人なら、他人との間に、恋愛を軸とした個人的な人間関係を作る余裕はないだろうな、と。だから、たぶん、その系統のアンテナからの入力を普段は意識的に遮断してるんじゃないかな、という感想だった。そうでないと、たとえば、付き合ってもない男性と旅行に行くなんてできないんじゃないか。「それはYesって意味じゃないんですか」と言われれば、たぶん違う。普段のやり取りで、そんな回りくどい「Yes」やら「No」やらの意思表示をする人じゃないんでしょう? じゃあ、たぶん旅行OKなのは、「男とか女とか意識してないから」が正解だと思う。「男女とか関係なしに一緒にいて楽しいお友達」というのが、今の増田のポジションじゃなかろうか。
で、それがダメかっていうと別にダメじゃないし、長い目で見ればそういう関係を続けてるうちに相手がふっとピンクモードになって、あれあれという間に付き合うことだってあるのかもしれないけど、そうでない可能性もあるし、どっかの旅行先でふっと相手がピンクモードになって南米で出会った外国人の人と現地で勢いで結婚しちゃったりするのかもしれない。だけど、そういう「付き合う」は、とても不確定なふわふわしたもので、それなら、極論言えば仮にたまたま「付き合え」ても、3か月後には「やっぱ別れよう」ってなるかもしれない。だよね? まさに「大学生の恋愛」的な。
増田が求めてるのは、そういうもんなの? そうじゃなくて、相手の「人生」と付き合って、自分の「人生」をかけてこいつと付き合っていきたい、そういう、それなりにマトモな何かじゃないの?
もし、ふわふわでよいなら、いろいろとアドバイスの飛んでる「恋愛テクニック的な何か」とか「タイミングを見計らった告白」とかを試みてみたらいいと思う。でも、もし、もっとマトモな何かなら、これも誰かがアドバイスしてたように「相手はどういう人生をこれから送りたいのか、そして自分は、その相手の人生を尊重しながら、自分自身のキャリアとか人生を幸せなものにしていくことができる将来像をもっているのか」みたいなことを、少し落ち着いてまじめに考えてみるべきだと思う。そういうものをもってない相手に、大人は軽々に重い「Yes」を返せるものじゃないですよ。
だから、やっぱりいま「付き合ってください! Yes or No?!」とか言われたら、相手は困るんじゃないかなーっと思う。それよりも、単に、増田がここで言ってる「ほんと最近〇〇さんのことが好きすぎてつらいです(笑」とか、そういうフレーズを伝えておけば、相手もそれなりに考えたり悩んだり、少し意識した付き合い方になったりしてくれるんじゃなかろうか。「私女だけど」さんが言ってる「フラグ」って、思わせぶりな挙動とか下心とかじゃなくて、そういうさらっとストレートな「言葉」みたいなもんじゃないかと思いますが、どうでしょう? そういう「言葉」を投げながら、相手の行動の変化とか様子とか見て、その上で少しずつ信頼関係をつくりつつ相手の中へ踏み込んでいく、そういうのが長い人間関係を作るコツってもんじゃなかろうかと思います。
当たり前の事ではあるが、現実はドラマのようには美しく出来てはいないし、努力が必ずしも良い結果に結びつくかどうかは
わからないのも当たり前であり、才能溢れる者の周りにはいくつもの才能はあるが上手く開花できずあぶれた者やそもそも才能すら
持ち合わせていなかったもの、途中で挫折した者達の屍が横たわっているのが現実というものであり、何の才能もない者が突然
誰かに可能性を見出されて、半端な努力で功を成すなどというのは稀有な物語にすぎない。
大抵の人間は何の才能もなく、平々凡々である。あるいは低能のどちらかである。だから大抵の人間はドラマのように「夢を追う」
ような生き方をしても、報われず、そればかりか平々凡々に生きる者や人並みの幸せに並々ならぬ嫉妬心を抱いてしまうばかりで、
不幸になるばかりである。
かといって現実は悲劇の物語よりも残酷であるか、悲劇的であるかといえば、そうではない。
もしそうだと客観的にみえるのであれば、それは大抵は本人の気質の問題(思考の癖や家庭環境、経済状況その他)からくる
様々な問題が絡まって本人をピアノ線で体を軋ませるようにがんじがらめにさせているだけであって、あるいは社会環境が
本人に悲劇の物語をもたらしているだけである。だから悲劇の物語のような「人生」は現実には存在しない。
もし存在していたとしても、それは本人の気質的問題や社会的問題が未解決となって本人を苦しませて、そして悲劇の物語…
ひいては悲劇の人生を本人に歩まざるをえないようにしているだけであって、大抵の人間は平々凡々であるから、悲劇の物語の
主人公になる事すらできない。
では、もし自分が悲劇の物語を歩んでいるとすれば(そう感じているとすれば)、それをどう打開し、より良い人生を歩むように
舵を修正していくかについてであるが、それは悲劇の人生の因子となる事柄を一つ一つ解決してけば良いのである。
本人の気質的問題であれば、心理学的アプローチに頼ってみるもよし、家族や自分ともう一度向き合ってみるもよし、それこそ
モラトリアムや空き時間をどうにか捻出して、自己の内面的性質を今一度認識しているのも有効な手立てと言えるだろう。
社会環境が悲劇の人生の因子であれば、その問題やその類の問題に対して先人がどのようなアプローチでそれらを解決したり、
どう現実を折り合いをつけていったかを学ぶべきであろう。あるいはデモ等を参加、企画する等して社会に対して直接訴えかけて
みるのも問題解決の糸口になるであろう。
そうやって直面している現実的問題と向き合い(何も一度や短期間でそれらに全て向き合う必要はないが)、一つ一つ解決への
アプローチを探っていけば必ず悲劇の物語の人生からは脱却できるであろうし、きっと幸せを手にすることができる。
幸せと一口に言っても種類は様々ではあるが。であるが、本人が幸せと感じればそれは紛れもない幸せである。
自分の幸せと思う感情を、他人の推量によって「それは不幸せだ」と言葉を殴りつけてもいい理由等一つもない。
我々は幸せに生きるべきである。幸福を、いや、楽しさをもっと追究すべきである。そうすればこの国はもっと精神的に豊かに
なるだろうし、その大人の背中を見た子供は、その背中から教科書には載っていない「本当に自分を幸せにする生き方」を
学ぶ事ができるだろう。そうなればこの国の未来は明るい。
いや、明るくないかもしれない。だけれどもその背中を見た子供達は、きっと幸せな未来、社会を築きあげることができるだろう。
だから書を捨て、町へ出よ。町へ出て、現実と人生の楽しさにもっと向き合うべきだ。そして家に帰れば、本を読むのもよし、
インターネットを介し顔も知らない者と交流するもよし、拙いながらも自分の作った料理に舌鼓を打ったり、母や恋人の作る
料理に愛情を感じるもよし。そうして夜になれば、やりきれない者はぽつりぽつりときらめく星空に自分を重ね、涙し、明朝の
空の美しさに明日への希望を見出す、そんな人間的で感情的な生活を、我々人間はもう一度取り戻すべきである。
いや、取り戻すべきなのだ。
半生の「半」は半分の半じゃなくて、ターニングポイントの「半」。
それは「ターン」。ベクトルが逆にむくところ、折り返す「半」
自分の人生を作る視点から、省みる視点に移ったときに見える人生風景が「半生」。
早くにそれが来ることもあるだろうし、ほとんど終わってからというタイミングもあるんじゃないかな。
自分の人生評価なんて自分では正直わからないよ、と問うのが半生。
いろんな人生を並べて自分のはどうだったかなと比べてみたくなるタイミング。
盆栽でもいじりながら庭先でお茶しながら語る、そんな雰囲気のものなんじゃないかな。
On Goingな実感を比べてみたいと思ってるならそれは人生ってやつのほう。
自分の人生、それを他人と比較したりするのは「人生」の視点からだとちょっと時期尚早というか、方向性に他人の人生を引き合いに出そうとするのは傲慢が過ぎると思うゾ★
だから、元増田は「0ないし2人」を助けるための資源として1年に799年かかってるという計算にしてるでしょ?
でもそれは頭が狂った人間の所業なんだって今まで散々説明してきたよね?
1年間に799年時間資源が使えるという発想が狂ってるし実際に使われる労働資源にしても救助活動への資源で計上するんだって言ってるよね?
元増田は799年を10人分の「人生」って言ってるんだから最初は労働資源じゃなくて時間資源と認識していたことは明白なんだよ?
お前は途中まで時間資源と労働資源の区別もついてなかったくせにここまで指摘されてやっとわかったからって阿呆なのを開き直るなよ?
論点はそこじゃねえとかいうけど最初から論点はここだったし結論も元増田の計算はオカシイってことでFAだったよ。
コストベネフィットで考えるなら、生かすための失われる延べ時間と、助かったことによって得られる人の残り寿命の延べ時間を比較するのは、妥当だろ。
生かすために失われる延べ時間て799年の事か? 残り寿命とやらは多くて2人死ぬんだから6993374人、平均寿命80年だから概算で559469920時間つまり63,866年ってことか?
こんなお買い得な話があるかよ。
「人生の目的」 について思いを巡らせてみました。人生の目的ってなんでしょう? あるいは生き甲斐とは?という命題でもいいかもしれません。以下、思考ゲームみたいなもので役には立ちませんのであしからず。
さて。「人生」の目的ってなんだろうと考えたとき、僕はいったん「人」 を横によけて「生」について考えます。生命にとっての生きることの目的です。
哺乳類も鳥もゾウリムシでもウイルスでも、生物全般に当てはめられる「生きることの目的」とはなんでしょうか。その答えを探すと、「種が存在し続けること」 ではないかと思います。言い換えれば、種が絶滅しないことです。最初は「種の繁栄」が目的かと思いましたが、必ずしもそうとは限らないようです。人間以外の生物を見ると、無闇に生存圏を拡大したりはしませんし、繁殖に対して自ら規制をかけて間引きする生物もいます。そこから考えると、生物というのは過度な種の繁栄・拡大は望んでおらず、あくまで絶滅しないように継続して存続し続けられることを目的にしているのではないかと思います。
存続の基盤は「個」ではなく、「種」だと思います。個体が死を避ける仕組みは生物の本能に組み込まれていますが(例えば痛覚は死を防ぐための機能)、種の存続はしばしば個体の生存より優先度の高い本能として存在しているようです。自ら海に飛び込んで生産調整するレミングや、巣を守るために命をかけて戦う(針を刺すと死んでしまう)ハチとか。
ここまでをまとめると 、「生の目的とは種を存続させること」ということになります。では、人の生の目的とはなんでしょうか?
順当にいけば「人という種を存続させること」になるのかもしれません。では、人類を存続させるとは、具体的にどんなことでしょうか。例えば、食糧を生産することは種の存続にとって有効な行為ですし、子供を産み育てることも重要なことです。一人一人が「自分の人生の目的」を考えたとき、今挙げたような食糧生産や育児に目的や意義、あるいは生き甲斐を感じるのはごく自然なことなのだと思います。
しかし、人生の目的はこれだけにとどまらないでしょう。人類が存続するという観点に合致する行為はほかにもたくさんあると思います。例えば、人類は自らの存続のために環境を変えていく技術を身につけましたが、その点でいけば、土地を人類が住みやすいように開拓する、建物を作る、環境開発の研究をする、といったことも人類の存続に役立つことだといえます。また、人間社会を運営する政治活動も、治安維持も、存続のためには重要なことです。あらゆる技術、文明の進化を支えるのも人類の存続性を高めることにつながります。さらにいえば、娯楽を提供したり音楽や絵画を作ることも、「今の人類が人類らしく存続する」という点で大切なことではないでしょうか。
こうして考えると、おおむねほとんどの仕事が、人生の目的になり得ると思います。具体的な行為はいろいろあれど、人類への貢献こそが人生の意味だといってもいいのではないでしょうか?
遠回りしてきましたがそろそろ結論です。「貢献」、これが僕の考える人生の目的です。仕事の話をしましたが、仕事をまっとうすることだけが「貢献」ではありません。もっとミニマムなことをいえば、誰かに貢献する行為のすべてが、まわりまわって人類の存続に役立つのだと思います。誰かを楽しませる、誰かに役立つ情報を提供する、小さな親切をする、こうしたことが相手の存続性を高め、みんながみんなに貢献することで、人類は存続性を高めていくのだと思っています。
「誰かに貢献することが、人生においての目的」、いろいろとこねくり回したわりに結論はごく当たり前です。
しかし、思考の末にたどり着いたことで、この結論は僕にとっては極めて整合性の高い「人生の目的」になっています。つまりは、しっくりきます。
なるべく誰かに貢献できる人生を送りたいな。と、そう思っている僕です。
日本人は議論が苦手、のような話題でも同じことが主張されるが、「すべてを否定された」と思い込んでるわけではなく、「一部を否定された」あげく「晒し者」にされたから感情的になっているのだ。
この国では「少しの穢れ」が「すべての穢れ」に直結している。
これは人に限らず、モノも同じ。傷がついたテーブルは定価では売れない。
定価では売れないどころか必ず最後まで売れ残るし、クレームの元。たかが傷ひとつで全てが変わるかのような応酬がこの国にはある。
返品とかワロス。おめー箱一度開けたんだろ。
また新しいスタートラインに立ってやっていけばいいのに。
傷物になった人間に新しいスタートラインはありません。穢れや傷を消すには新しい「人生」をはじめるほかないのです。我が国においては毎年三万人を超える方々が新しい人生を始めています。
「人生」とは、いったい何だろう。そんなことを思ったことはありませんか。
私なりに考えをまとめましたので、読みたい人は読んでください。
まず、日が出て沈み季節が変わり桜が咲いて散るように
全ては無常であり
壊れないものはなく、「人」も1秒もすれば、1秒前とは違う人間になっている
生まれたら死に向かって進んでいきます。
よくお葬式で泣いている人がいるが
人が死ぬのはあたりまえのこと。死んでも悲しむ必要はないです。
殺さず盗まず他人に迷惑をかけず
欲を出しすぎず、怠けず。
生きるためには食べ物が必要なので
そして誰か知らない人も、嫌いな人も。人だけでなく
そういう気持ちで瞬間瞬間を生きていき、やがて死ぬ
でも、人は欲が大きくあれがほしい
どうすればいいのか、その答えを書きます。
いま、この瞬間にやっていることが
「今やるべきことだ」と強い確信を持っていたら
GTDというやり方があるのでググってみてください。
これを読んだあなたが
何故これがわざわざ分かれているのか意味不明。各カテゴリからのホッテントリが集積したもの。
新聞の三面記事から国際記事、文化記事まで扱っている場合もあり。また2chまとめサイトが数多く見られノイズ化。
一般的な政治ニュースや国際政治ニュースから企業不祥事、ビジネス、仕事関連のTipsまで。ここも2chまとめによるノイズ多し。
いわゆる生活の知恵的な間違った意味でのライフハック、まとめになっていないまとめ記事、VIPの告白スレや発言小町、Pouchなどのネタ記事など雑多な状態。
ここはほぼカテゴリ名通り
いわゆる自然科学関連ばかりで、人文科学・社会科学(現状何故か「社会」で扱われる傾向)、芸術関連がない。
技術系、デジタルガジェット系、ネットコミュニティ、炎上見物などが混在。
ここはほぼカテゴリ名通り。
はてブ一番の問題。ほとんどが2chまとめサイト。しかも同じ話題を複数のサイトで扱っていて、ほとんどワンパターン化している。他にエロサイト、ネタ系ネットニュース、Togetterなど。SPAMも多く見られる。
はてなブックマークニュースに統合。各カテゴリのホッテントリ抽出ではなく、人力編集。
「グルメ」「衣食住」「人生」「ライフハック」に分割。ここで言うライフハックは本来の意味とは違うけど敢えて(ある意味隔離?)。
「スポーツ芸能」と「芸術文化」に再編。芸術文化では音楽や読書などを扱う。
「医療」「自然科学」「人文科学・社会科学」に再編。人文科学・社会科学では経済学・社会学・政治学・歴史などを扱う。
「IT・WEB技術」「デジタルガジェット・モバイル」「ネットウォッチ(事実上の隔離)」の再編。
そのまま
「おもしろ」「2chまとめ」「画像」「R-18」に。一部は「ネットウォッチ」に。R-18は生年月日によってフィルタリング。
というか、この古いカテゴリ分けで一体何年やってるんだろうか。他のCGMサイトなんかカテゴリ再編を割りと時代に合わせてやってるのに。
togetter『為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」』を読んで思ったこと。
ブコメに書こうとしたけれど、長くなりそうだし、自分の思考まとめのためこっちに書いておこう。
内容をまとめると
・褒められる・認められる・評価されるためだけに生きていると、自分ではなく他人の望む人生になってしまう
・そんな他人依存症で生きるのは苦しい。一度じぶんと向き合って、自分の好きな方へ進むのがいいよ
「苦しんだことはないなー。やっぱり他人からの期待が大きい人だからこそ感じる悩みなんだろうな~」
というのが感想。
ただ2回目読んで、自分の仕事の現状に当てはまる部分があると気付いたら、色々と内容が心に入ってきた。
今。「起業する!」という上司を手伝うため、別の会社に移って半年。今は「何とか実績を!」という状況。
仕事は雑用含め、やりたいこととは違う方向に向かいつつある。会社の先行きは不透明。
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>もし誰かに期待されていたら早めにがっかりさせておいた方がいい。ほっておくと人生がいつの間にか人が期待する方向に向かい始める。
期待というか、この状況における、自分のすべき仕事・役割はわかるので、それをやっている。
すべきこと=上司や会社から望まれていること≠自分のやりたいこと という現状。
まぁ…確かに人生というか、仕事は周りの望む方に向かっている感はあるな。
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>人を喜ばせる為に生きてやいないか
これはなー…。
まず「人生≠仕事」なので一概に「そのとおりだ!」とは思わない。
仕事以外の部分では、そこまで他人(家族も)の望むことを自分の行動基準にしていないのか。
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>自分が幸せになる為に人を幸せにしている事と、人の評価を高める為に人を喜ばせる事は違う
いや、どうかな…
何のために「人の評価を高め」ようとするのか。褒められて、認められて嬉しいからだな。あと仕事も来るし。
てことはやっぱり後者だ。仕事に関しては評価依存・役割依存だな。でも仕事ならばそんなに悪いことか?
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>すごいと言われたい症候群も、がっかりされたくない症候群も、バカにされたくない症候群も、つまり他人にコントロールされている。
がっかりはされたくないな!
がっかりされるのは嫌だし、相手だってがっかりしたくないだろ。私も他人も嫌なことだと思うから、避けようとはするさ。
「すごいと…」「バカに…」はそこまで思わない。
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>人を喜ばせる為に生きている人は誰しもがそれ自体を幸せと感じられているわけでなく、むしろがっかりされない為に無理をしている場合が多いのでは
まぁね。「喜ばせる=仕事で期待以上のパフォーマンスを発揮する」だったら、多少の無理は。
やっぱり「仕事」という人生の一部のみでは当てはまらない部分も多いんだろうな。
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ここまで書いて思ったこと。
私は仕事を「食うための手段」だと完全に割り切っていて、そこまで心を入れていない。
いや、ベストな結果になるよう心血を注いでいるし、楽しいことも多い。けれど、人生と天秤にかけられるほど重きをおいていない。
以前は「仕事≒人生」だと思っていたし、「本当にやりたいこと」「自分の成長できる仕事」とかを求めて邁進していた。
ただ、邁進した結果「現実とのギャップ」とか「給料や仕事量との釣り合わなさ」の壁にぶち当たり、心のバランスを崩した。
今は、仕事と心をやや切り離して、仕事に色々望まないようにしている。
さて、では「人生」全体に関して…
生きているのは「生まれた惰性」と、子孫を残すため、あと死を恐れる本能だと思っています。
目的がなくても生きる意味は何かしらあると思う。いや、意味はなくても生きていけると思う。
わからないけれど…
誰しも、好きなこと・やりたいことが明確に自分の中にあるものなのか?
ああ、結局まとまらなかった。
みんな意外とペーパーテストを信頼してるんだね。というよりも性悪説なのか。
試験や単位なんて本来は勉強のためのインセンティブに過ぎないはずなのに。
「勉強のための試験」が「試験のための勉強」になってる。本末転倒な気がする。
大学以上で学問することにとって(高校以下でも本当はそうだけど)、試験なんて必要ないと思うよ。
テストでいい点とっても、いわゆる「教養」とか「学力」とかとは関係ないのに。
大学は資格をとるために勉強するところなの?数値化して保証してもらわなきゃ不安なの?
大学での試験なんてあってもなくてもいい点とっても悪い点でもほとんど意味ないのに。高得点マニアの人とかは別として。
せっかく数値化の極地である大学受験が終わったんだから、点数で測れない学問に取り組むべきだし、そういったことに興味ない人は他のことやってればいいし。
どうせ大学で学ぶことなんて「社会(会社)」じゃ役に立たないよ。その証拠に就職活動が始まるのは3年の半ばからだ。
ほとんど実利的でない。無駄。でも、その無駄を追究できるのが大学ってところなのに。
カンニングは「やっちゃいけない」って決まりになってるからやっちゃいけないんだと思う。
日本では禁じられているから大麻をやってはいけない、レベルの問題だ。
そこに「人生」も入れて語ってくれ
いわゆる死生観の話。
ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。
http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので
"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。
「人間死んだら終わり。ただ無になるだけ。あなたの親も、恋人も、あなた自身も」
そう言われて心穏やかにいられる人は少ない。
「死んで肉体は滅びても、魂は死後の世界へ行くのだ。決して無くなりはしない」
そう言って、人々を安心させるために。
ところが近代以降の社会は、日常生活から死を追放した。( 死生学 - Wikipedia )
そのため「生きること」や「死ぬこと」について考える機会が減ってしまい、
身近な人や自分自身の死に直面して初めて、大きく悩んでしまう人がいる。
だから「生きること」や「死ぬこと」について
分かりやすくて安心できる「考え方」は相変わらず必要とされている。
昔ながらの「血縁」を中心とした「考え方」は、
生物の基本に忠実なので、実感を伴っていて分かりやすい。
「人は死んでも子孫達の血の中に存在し続ける」という考え方だ。
一方、「人格」に重きをおいて
「人生」を「生きている間に何を考え、何を遺したか」と定義する考え方もある。
こちらの方が一人ひとりの「自分らしさ」を出しやすい反面、
「何を遺すか」は一人ひとりが考えなければいけない。
「人は死んでも他者の記憶の中に存在し続ける」という考え方だ。
もともと答えはない。多くの人の共感を得たミームが後世に残る。
ただそれだけだ。
"魂"は継がぬ、というなら構わない。 が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。
「生涯や生とはなにかを問う」ことは、
「魂を継ぐ」にはどうすれば良いかを考えるための、第一歩なんじゃないだろうか。
それこそ、地道なLv上げでは焼け石に水なくらいに。
しかも実際のクソゲーよりも厄介なのはゲームのようにリセットすれば
最初のプレイ時と初期ステータスが変わるかどうかも分からない。
そもそもリセットしても再びこのゲームの電源が入るかも全く分からない。
恵まれなければ苦労してもLvは上がらないし、
初期ステータスの一部の状態異常もゲームオーバーまで治らない。
中盤以降ではほとんどジョブチェンジはできない。
こんなクソゲーをプレイすることは拷問以上の何物でもないという人も
決して少なくはない。だが、一度切りのゲームでリセットが効かないために
だから、途中で自ら「自殺」することでゲームを終了する人も多い。
だけど、ちょっとこのゲームを終了させるのは待ってみないか。
これらの「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」を一通り試してみる
価値はあるのではないだろうか?
本来想定されているこの「ゲームの面白さ」を無くしてしまう。
でもこのクソゲーに面白さが感じられないのなら
せっかく一度だけでもプレイできるのだから、例えゲームバランスを
崩してしまうことになっても、新しい「面白さ」の発見に賭けてみる
というのもありなんではないだろうか。
「隠しルール」や「裏技」や「バグ技」はどうすれば知ることができるか?
そこはフツーのゲームと同じ。「とにかくいろいろやってみる」ことだ。