togetter『為末大「人を喜ばせる為に生きてやいないか」』を読んで思ったこと。
ブコメに書こうとしたけれど、長くなりそうだし、自分の思考まとめのためこっちに書いておこう。
内容をまとめると
・褒められる・認められる・評価されるためだけに生きていると、自分ではなく他人の望む人生になってしまう
・そんな他人依存症で生きるのは苦しい。一度じぶんと向き合って、自分の好きな方へ進むのがいいよ
「苦しんだことはないなー。やっぱり他人からの期待が大きい人だからこそ感じる悩みなんだろうな~」
というのが感想。
ただ2回目読んで、自分の仕事の現状に当てはまる部分があると気付いたら、色々と内容が心に入ってきた。
今。「起業する!」という上司を手伝うため、別の会社に移って半年。今は「何とか実績を!」という状況。
仕事は雑用含め、やりたいこととは違う方向に向かいつつある。会社の先行きは不透明。
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>もし誰かに期待されていたら早めにがっかりさせておいた方がいい。ほっておくと人生がいつの間にか人が期待する方向に向かい始める。
期待というか、この状況における、自分のすべき仕事・役割はわかるので、それをやっている。
すべきこと=上司や会社から望まれていること≠自分のやりたいこと という現状。
まぁ…確かに人生というか、仕事は周りの望む方に向かっている感はあるな。
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>人を喜ばせる為に生きてやいないか
これはなー…。
まず「人生≠仕事」なので一概に「そのとおりだ!」とは思わない。
仕事以外の部分では、そこまで他人(家族も)の望むことを自分の行動基準にしていないのか。
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>自分が幸せになる為に人を幸せにしている事と、人の評価を高める為に人を喜ばせる事は違う
いや、どうかな…
何のために「人の評価を高め」ようとするのか。褒められて、認められて嬉しいからだな。あと仕事も来るし。
てことはやっぱり後者だ。仕事に関しては評価依存・役割依存だな。でも仕事ならばそんなに悪いことか?
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>すごいと言われたい症候群も、がっかりされたくない症候群も、バカにされたくない症候群も、つまり他人にコントロールされている。
がっかりはされたくないな!
がっかりされるのは嫌だし、相手だってがっかりしたくないだろ。私も他人も嫌なことだと思うから、避けようとはするさ。
「すごいと…」「バカに…」はそこまで思わない。
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>人を喜ばせる為に生きている人は誰しもがそれ自体を幸せと感じられているわけでなく、むしろがっかりされない為に無理をしている場合が多いのでは
まぁね。「喜ばせる=仕事で期待以上のパフォーマンスを発揮する」だったら、多少の無理は。
やっぱり「仕事」という人生の一部のみでは当てはまらない部分も多いんだろうな。
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ここまで書いて思ったこと。
私は仕事を「食うための手段」だと完全に割り切っていて、そこまで心を入れていない。
いや、ベストな結果になるよう心血を注いでいるし、楽しいことも多い。けれど、人生と天秤にかけられるほど重きをおいていない。
以前は「仕事≒人生」だと思っていたし、「本当にやりたいこと」「自分の成長できる仕事」とかを求めて邁進していた。
ただ、邁進した結果「現実とのギャップ」とか「給料や仕事量との釣り合わなさ」の壁にぶち当たり、心のバランスを崩した。
今は、仕事と心をやや切り離して、仕事に色々望まないようにしている。
さて、では「人生」全体に関して…
生きているのは「生まれた惰性」と、子孫を残すため、あと死を恐れる本能だと思っています。
目的がなくても生きる意味は何かしらあると思う。いや、意味はなくても生きていけると思う。
わからないけれど…
誰しも、好きなこと・やりたいことが明確に自分の中にあるものなのか?
ああ、結局まとまらなかった。
人を叩くこと以外に生きがいがないのだろうな・・・