2010-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20100523025636

いわゆる死生観の話。

ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。

http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので

自分なりの解釈を書いてみようと思う。

"魂"は肉体が生む「状態」でしかないからだ。障子に映る影絵のように。

自分もその通りだと思うし、共感する。でも、

人間死んだら終わり。ただ無になるだけ。あなたの親も、恋人も、あなた自身も」

そう言われて心穏やかにいられる人は少ない。

だから昔の人々は「死後の世界」というお話を考えた。

「死んで肉体は滅びても、魂は死後の世界へ行くのだ。決して無くなりはしない」

そう言って、人々を安心させるために。

ところが近代以降の社会は、日常生活から死を追放した。( 死生学 - Wikipedia

そのため「生きること」や「死ぬこと」について考える機会が減ってしまい、

身近な人や自分自身の死に直面して初めて、大きく悩んでしまう人がいる。

だから「生きること」や「死ぬこと」について

分かりやすくて安心できる「考え方」は相変わらず必要とされている。

昔ながらの「血縁」を中心とした「考え方」は、

生物の基本に忠実なので、実感を伴っていて分かりやすい。

「人は死んでも子孫達の血の中に存在し続ける」という考え方だ。

一方、「人格」に重きをおいて

「人生」を「生きている間に何を考え、何を遺したか」と定義する考え方もある。

こちらの方が一人ひとりの「自分らしさ」を出しやすい反面、

「何を遺すか」は一人ひとりが考えなければいけない。

「人は死んでも他者の記憶の中に存在し続ける」という考え方だ。

もともと答えはない。多くの人の共感を得たミームが後世に残る。

ただそれだけだ。

"魂"は継がぬ、というなら構わない。
が、そうでないならやるべきことはあるはずだろう。生涯や生とはなにか、と問うまえに。

「生涯や生とはなにかを問う」ことは、

「魂を継ぐ」にはどうすれば良いかを考えるための、第一歩なんじゃないだろうか。

記事への反応 -
  • ある作家の話だ。作家の親は痴呆を患った。親は脳を病んで、"魂"を失っていったのだ。 脳を病む前、"魂"は健やかであった。脳を病んだのち、"魂"は失われていった。"魂"を壊したのは...

    • いわゆる死生観の話。( 死生観 - Wikipedia ) ずっと昔から多くの人が考えてきた。いまだに答えは出ない。 http://anond.hatelabo.jp/20100523025636 が秀逸だったので 自分なりの解釈を書いてみよ...

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