はてなキーワード: 「人生」とは
金持ちの街で暴れんのよ
金持ちムカつくし、あきらかに貧乏人を舐めてるじゃない イヤじゃない?バカにされて搾取され続けて、「人生」「世界」は苦しいと思い込んで死んでいくのってさ
人生は本来もっと輝かしいものだし、世界だって捨てたもんじゃないわけ
別に子供の頃から毎日自己研鑽してスキルアップして常に時代を見て柔軟に生きたりしなくたって、みんなコンビニとかスーパーで値段を気にせずに買い物することくらいはできるべきなんだよ
やつらがスーパーカーを年に二台も買う金を庶民に回せって話だよ
でもな、そんな再分配はいまのシステムでありつづける限りは起きっこない 貧乏人はバカで雑魚で、唯唯諾諾と働いてくれる都合の良い駒でしかないんだ このままだとね
だから暴動だよ アメリカを見ろ あんな風に生きたくはないか?
俺はやらないけど
私は通り魔に殺された。
突っ伏した私の肉体の傍にはあどけない少年がおもちゃのような拳銃を手に持って立っていた。彼と出会った時、少し危ない気配を感じないではなかったが、まさかこんな子供にいきなり後ろから撃たれるとは予想だにしなかった。
妻と2人の子供を残して旅立つのはなんとも心残りだが、そうなるべくしてなったのなら致し方ない。不思議と怒りも恐れもない。
見上げると、夜空は魂で満たされていた。肉体の目では決して見ることのできなかった大きな流れと波が光り輝いて世界を満たしていた。輝きを目にした私は、突然殺されたばかりだと言うのに大きな安らぎを覚えた。妻に「悲しむ事はない」と、子供たちに「恐れる事は無い」と、今すぐ伝えたいが、時が来れば彼らにもわかることでもある。
私の精神はまだ肉体を持っていたときの形を保とうとしていたが、手のひらからとても小さな光の粒が漂い出て、大きな魂の流れに飲まれていった。なるほどこうして私はそのうち小さなバラバラの光の粒になって、流れとともにこの星で、この美しい世界でまた、生きること、愛すること、死ぬことを繰り返すのだ。
なんという安らぎだろう。目立った不幸のない、どちらかと言えば幸せな人生だったが、この安らぎを知らずに肉体に繋がれて生きる事は、大きな苦しみと悲しみを伴っていたと言わざるを得ない。私が生前に考えていた「人生」とは、その半分でしかなかった。こうして肉体の寿命が終わり、精神だけの存在になって初めてそのことがわかった。まだ肉体を持って生きている家族、友人に、この世界の真の豊かさを伝えるすべはないだろうか?
と、突然頭が痛み出した。そんな馬鹿な。私は光の粒になって大いなる流れに還るのだ。なぜ肉体を持っているかのように痛みを感じなくてはならないのだろう。
私の頭の中で小さな金属の欠片が脈打っていた。あの少年に打ち込まれた銃弾の破片だ。精神だけの存在である私がなぜそんなものに影響を受けるのだ。
ふと気がつくと閉ざされた扉の前に私のような何かが立っていた。少年に命を奪われた時にすら感じなかった猛烈な嫌悪と恐怖が、全身を駆け巡った。今すぐここから離れなくては。しかし、その思いとは裏腹に私はその薄気味の悪い私のような何かにどんどん引き寄せられていった。頭の中の銃弾の破片が強く輝き脈打ちながら、じりじりと私を引っ張っていくのだ。見ると、まがい者の私の頭部にも2つ、鈍くしかし強く輝く何かが見えた。やはり銃弾の破片だ。頭の中の銃弾同士が強く引き合っているのだ。全力で抵抗したが、どうやらその力に逆らえそうにない。
私はじりじりと引き寄せられながら、私のまがい物を観察した。
光の粒で満たされた精神だけの私とは正反対に、どす黒いぬめりが渦巻いてできているようだ 。
粘り気のある真っ黒いうねりの渦の中からかすかな悲鳴が時折聞こえてくる。
「許してくれ…」「来ないでくれ」「…助けて…」「もう来ないで…」
あの少年の声だった。
なるほど、人を殺すと眠れなくなると言うのはこれだったのか。
罪の意識が、慙愧の念が、自分が手にかけた被害者の姿で昼夜を問わず本人を責めさいなむのだ。
少年の黒い悲鳴は強烈だった。どうやらやはり彼は人を殺して何も感じないような根っから狂った人間ではなく、むしろ本来殺人などと言う極端な行為からは程遠い、周囲から押さえつけられ続けた人物のようだ。そのことを実感した途端光の粒である精神だけの私は、私の形をした少年の真っ黒な妄念に完全に飲み込まれた。
私のまがいものを形作っている少年の思いは、「私を殺したこと」の周りをぐるぐると回っていた。
「ざまぁみろ…」「お前があそこにいたのがいけないんだ、お前が僕の言うことを…僕の話を聞かないからだ」「偉そうにしやがってふざけるな…..」「僕を大切にして僕を大切にして」「僕の意思を尊重しないのならお前を殺して僕も死ぬ」「ごめんなさいごめんなさい許して……」
なんと身勝手な、そしてなんと汚らわしい。
苦しいのはわかるがこれぞ自業自得だ。しかしその苦しみも肉体の命が尽きるまでのほんのひとときのこと。せいぜい悩み悶え給え。同情はするが、私の肉体の命を奪った者のために、なにができるわけでもないし、こんなところに閉じ込められる謂れもない。
私は目の前の黒い波を両手でぐっと押し広げて出口を開こうとした。少年の悲鳴がひときわ大きくなった「助けて………!!」
申し訳ないが、私には関係のないことだ。少年よ、君も肉体を失えば今の私のように光になってより大きな光になるのだ。それまでの我慢だ。
しかし私の頭部の痛みはますます激しくなり、力が入らない。なんとも暗黒のうねりが分厚くて、それお押し広げて外に出ることができない。恐怖を感じた。このままなのか?自分を殺した相手の妄念に、時の終わりまで囚われなくてはならないのか?
ひょっとして、この少年が、真っ黒に汚れた自分の想念に苦しめられたまま肉体の命が尽きると、精神だけになっても黒い渦に飲み込まれ、永遠に苦しみ続けてしまうのではないだろうか。
私が閉じ込められている私のまがい物の遥か下方に、膨大な闇がうごめいているのがその証拠だ。少年の肉体と精神をからめ取ろうと手を伸ばしてきているではないか。
閉ざされた扉の中には少年がいて、膝を抱えて泣いていた。その少年の肉体の周囲を、おぞましい鎖のような黒い渦が取り巻いていた。
少年は自分の行為をひどく悔いていた。「殺したひとが毎晩訪ねてくるなんて知らなかった……..」「助けて……助けて…..いやだ…..見たくない」「怖い怖い怖い」「あの人達と別な形で出会いたかったのに……」「もう一度、僕のファンとして僕の目の前に現れてくればいいのに……….」
私に肉体が有った頃、酒に酔って妻子に暴力を振るい続け、当然のように妻子に逃げられたがしかし、復縁を熱望している同僚がいた。私は不思議で仕様がなかった。絶縁の原因は自分なのに、なぜそれを忘れたかのような態度で復縁を熱望するのか。
自分のしでかした事は無かった事にしてやりなおしたい。それが、肉体に繋がれた魂の弱さなのだ。
私がそう思った途端に、わたしを拘束している黒い渦の力が弱まった。私に触れている部分が、光になったのだ。
ふむ。
ならば、是非もない。私がこの場所に呼ばれ、私の形をした妄念に閉じ込められた理由がようやくわかった。
少年は私の頭に銃弾を打ち込むことで私に助けを求めていたのだ。
彼が身勝手な妄念に苛まれたまま死ねば、その魂はどす黒く汚れた渦になりこの美しい星を汚す。そんなことはさせない。私の妻と子どもたちが、まだ長い年月ここで生きるのだ。 精神だけの存在になっても、私は夫であり父親である。
さらなる少年の悲鳴が、漆黒の鎖となって、私をぎりぎりと締め付けてくる。
「僕を褒めて…….僕を認めて……」「生まれ変わるために勉強したんだ……僕が歪んだのは資本主義の学校教育がいけないんだ……..」「…….僕が人殺しになったのは、僕を三回捨てた母ちゃんのせいだ…..」「僕が殺した人たちは、僕のファンなんだ……支持者なんだ…….毎晩ここに来るのは、僕をちやほやしに来るんだ……..」
私に肉体があったら、馬鹿なことを云うな、と叱り飛ばしているところだろう。しかし今の私は、少年の悲鳴と嗚咽でできた黒い妄念に囚われの身。私の形をしたまがい物に、私自身が閉じ込められていて、どうにも抜け出せない。
少年が作ったわたしのまがい物は「なぜ私を殺した?」「私がいったい君に何をした?」「罪を償え」「死を持って贖え」「肉体の寿命ギリギリまで苦しみ続けろ」と、少年を毎晩責め苛んでいた。少年自身の罪の意識がそうさせるのだ。
その苦しみに耐えきれず、私が彼のファンになる、などいった荒唐無稽な逃げ道をも見つけてしまった。
では、戯言にこそ寄り添おう。
実際の私は、通り魔である少年に殺された犯罪被害者だが、彼の希望通りに、彼のファンとして彼の前に現れよう。
以前は、天国と地獄、という考え方が全くピンとこなかった。今はよく分かる。肉体がなくなった時、光として大いなる流れに還ることが天国、死してなお自意識という牢獄につながれたまま生を呪い続けるのが地獄。肉体につながれたまま地上を生きるのは、さながら煉獄の日々だ。
ならばわたしは、少年にとっての、煉獄の炎となろう。私という光で、彼の妄念を内側から焼き尽くし、肉体の寿命が尽きたときに、私と同じような光であるように、少年をきちんと導こう。
たとえどんなに酷いことでも、起きたことは全て最善なのだということを伝えなければ。
私のまがい物と、そこに囚われた私は、依然、閉ざされた扉の前に立っている。扉の向こうの部屋では、少年が膝を抱えてすすり泣いている。
待っていろ、今助けてやる。どんなに時間がかかっても。
私は、私を包むまがい物を動かし、扉を開けてこう言った。
〇〇の同級生が今はこうだとか、昔人気だったけどなにかしらの事件やらトラブルで消えたタレントが、女優が、芸人が今どんな暮らしをしてるかとか。
この辺少し無知で申し訳ない、それはいわゆるドキュメンタリーというやつなのかもしれないが
「自分ではない」「この世界で生きている一個人の」「人生」をネタにする番組が多いなあと、ぼんやりテレビを見ながら別に良いとか悪いとかではなく純粋に思った。
私はついていれば観るが、ついていなければ別に自分からは観ない。
けれど、上記の類いのものは何故かうちの父親のお気に入りのようで高頻度でチャンネル選択されている。
(他にもいろいろ好みはあるようだが、得てしてどれも大変不快である)(原因はほぼ父親にあるが)
最近のテレビはつまらない、と言う意見を見かけたり見かけなかったりするが、まあ地上波はあんまり面白くないなとは思う。
正直やること何もないんじゃね?とかも思ってる。
改編期が来るたびに番組が消えて、また生まれて、その度にネタはどんどん消費されていく。
その頻度がますます上がって、似たり寄ったりのネタやテーマしか無くなってきて、結局同じようなことをやっているか、
冒頭のドキュメンタリー(仮)に落ち着いてる。
私自身、アイデアを出すとかネタを作るとかそういう、発想力があまりにも乏しい人間なのはもう悲しいくらいに理解しているので、
最初にそういう番組が増えてきたときは「あーなるほどな、他人の人生ってもうそこにあるし、寸分狂わず同じ生き方してる人間なんていないし、こりゃ考えずして無数のネタゲットじゃん。ある意味考えたな」
で、まあそういうのが嫌いでも不快でもその原因は父なので、番組内で題材になってる人に関しては何の罪もなくて。
人生経験の“じ”の字もあるんだかわからない底辺の私はこれまた意外と真面目にすごいなとか思いながら観てたり聞いてたりするんだわ。まんまと制作側の意図に嵌められている。
その流れでなんとなく思ったんだが、私の生きてきたしょーもない数年でも文章に起こせば暇つぶしの読み物くらいにはなれるんじゃね?と思った。
私はメンタル的にちょっとだかかなりだか知らないが病んでいるやつで、時々上向きになるものの、今はかなり悪化してきた状況だ。
しかも何でかってさあ、フォロワーとちょっとトラブルがあった(ちな2件くらい)とかそんなかすり傷みたいなことでよ?
まあそのうちの1件について話すけど、こっちがちょっと不快だったことをちらつかせたら向こうが察してすぐごめんって謝ってきたけど、
どうにも謝る気がなさそうな取り急ぎの謝罪文でこっちがカチンときて、キレ気味で返したら向こうが私だって実はこうだった、ああだった、あの時もそうだったなどと後から出してきやがって、こりゃ水掛け論になる埒があかねえなと思い、謝らずに話を進める方法は無いものかと考えてたら死にたいほどめんどくさくなったという話。
このめんどくさいが意外とやる奴で、つまり面倒がくさすぎて幸い死にたいとまでは思わないがその辺ももしかしたらこの数年に起こしたことに関係あったりするかもしれない。
ノートに書いて置いておいても見るのは私だけで、結局完結しない自己完結みたいになるので、多少まとまったらまた書いてみようかと思う。
重ね重ね本当に申し訳ないけどとりあえずドキュメンタリー系多すぎ。あと外国人が〜とか◯百景とか遠い異国の地で暮らす日本人探しに行く系とか秘境の家訪ねにいくやつとか、あの類いの番組は本当に観るほど不思議。純粋に。
予算削減かつ制作コスト(これは何回か書いたけどアイデアとかネタの部分)削減でスタッフがロケ敢行してるのはまあ良いけどじゃあワイプに映ってるスタジオゲストって要るか???????
茶の間でテレビ見てるワイらとたいして変わらんやんけ。コメントさせるためならコメント求めてやれよ。
「自分以外の誰かの人生ってものすごく良質なネタだよね」と言うことをまずクソデカ大声で言いたかったんだが、そこからの派生が思ったより長くなってしまった。
僕の20歳は、「人生」っていうバンドをやりながら東京で一人暮らしをしてて、医療系の専門学校を中退した年ですね。臨床検査技師の勉強をする学校だったんですけど、1年目の途中であんまり行かなくなって、2回目の1年生の夏に、ドラクエ のやり過ぎで辞めたんです。辞めたからといって地元の静岡に帰っても仕方ないし、仕送りを止められたので、バイトとバンド活動に明け暮れてました。あ、明け暮れてはいないですね。バイトをそこそこやりながら、あとは遊んで暮らしてました。すいません、ちょっと自分を良く言おうとしちゃって。お恥ずかしい。
このころは幡ヶ谷のワンルームマンションに住んでました。いまもバンドを一緒にやっている(石野)卓球が笹塚に住んでいて、ちょうどその中間地点に練習スタジオがあったんです。当時はインディーバンドブームで、僕らも雑誌に取り上げてもらったりして、幾らか知名度はあるインディーバンドっていうようなポジションでしたかね。
仲の良い友達と始めたバンドだから面白かったですけど、僕は部活みたいな感覚でやってましたから、とうていそれで食っていくってことを思いつくはずもな く、とくに将来のことも考えずに基本毎日ぷらぷらしてたんです。夢中でガチャガチャをやり過ぎちゃったり、CDをジャケ買いして失敗したのが痛いとかで、 明日の晩ご飯代がないみたいなことはありましたけど、そういう無目的な若者でもなんとかやれる土壌があったというか、都市の遊びの部分に上手くハマってたんだと思いますけどね。
ただ21歳になるころ、インディブームからバンドブームみたいなものに変わっていって、僕らのバンドでやれることも飽和していたので、「人生」は解散したんです。
当時はちょうどテレビで深夜放送が始まったぐらいのころで、よくバンドのPVが流れてました。「人生」を辞めて僕はもうバンド活動はしないと思ってたから、それを見て、PVの監督になりたいなぁと思ったんですね。それで知り合いが紹介してくれて、バイトで四谷三丁目にある小さな映像制作会社に入ったんです。
そこは、地方のCMや企業の宣伝用の映像とか、そんなにメジャーじゃないバンドのPVを作ったりするような会社でした。20歳そこそこの小僧が見る世界としては、高価な機材とか目新しいものがいっぱいあるし、撮影の現場で「本番!」みたい な感じがすごく面白かったですね。ただ会社が小規模なので、現場に付く下っ端が僕一人しかいないんですね。教えてくれる人もいないのに、現場はどんどん進んでいくわけですから、とにかくしんどかったです。辛くて泣きましたもん。夜中に帰って、当時一緒に住んでた彼女に「仕事が辛い」つって「うぇーん」って 泣いて、その45分後には「仕事行かなきゃ…」って言ってたりとかね。
そこで働き始めてしばらくしたら、卓球から連絡があって「こんど電気グルーヴっていうユニットを新しくやろうと思うんだけど、お前もやんない?」みたいなことを言ってきたんです。なんでまた俺を誘うのかなと思ったんだけど、「良いよ。でもこれは完全に趣味で、部活みたいにやっていこう」って言って、電気グルーヴの活動を始めたんです。
それで2回目か3回目のライブを見たソニーの人から声をかけられて、呼び出されて新宿の寿司屋に行ったら「君たち、プロでやる気はないの?」って言われたんです。そりゃ、やりますよね。だって、部活でお金くれるんですから。とは言っても、条件は月給10万円。ザッツオール(笑)。
ただこのとき、僕は、制作会社の人たちにはお世話になってるし、少人数の制作体制で自分が抜けることの意味が分かってました。かといって二足のわらじはとうていムリですから、最終的には上司に「こういう話があって、すごく迷ってるんです」って切り出したんですね。そうしたら、「若いんだから、絶対音楽の方に行った方が良いよ」って背中を押してくれて、それでデビューすることに決めたんです。僕個人としては「どうせこんなバンド、ポシャるだろうから(笑)、 まあ、3年ぐらいプロのミュージシャンの世界を見てきても、いま21歳だから24歳。まだいけんな」っていうのでデビューしたみたいな感じでした。だからプロになったっていう自覚はあんまりなかったんですけどね。
すぐにレコーディングだってことで「マンチェスターとニューヨーク、どっちがいい?」って言われたんです。「さすがソニー。金持ってんなぁ」みたいな感じでマンチェスターに行くことにしました。昔から好きだったニューウェーブとかギターポッ プみたいなものはマンチェスターのやつが多かったですからね。向こうに2ヶ月ぐらい滞在してファーストアルバムを作りました。当時「マッドチェスター」っ て言葉があって、マンチェスターが狂ってた時期の後半で面白かったですね。ライブを見たりクラブに行ったりすると、イギリス人にもゆるいやつとかメチャクチャなやつがいて、刺激はいっぱい受けましたね。まあ、こちらは21歳でなんも考えてないですからね。それはねぇ、そんなやつを自由にそういうところに行かせたら、やっぱり何色かに染まりますよね(笑)。
電気グルーヴはふつうのバンドと違って、主要な旋律はだいたい機械が出してくれるわけですよ。だから練習よりは、ライブの日のテンションの方が大事だったりするタイプのバンドだったんです。僕は楽器をやるわけじゃなくて、たまにマイクを持ってがなったり、まあ歌ったり、歌を間違えたり、歌わなかったりとかもしますけど、ほとんどステージに出てフラフラしてるだけなんです。バンドって遊びの側面があるじゃないですか。僕の感覚としては、その遊びみたいなことをずっと続けてるのに近かったんですけどね。まあ客の盛り上がり加減を見ては「今日はもうちょっともっていけたのにな」って思うことはあったけど(笑)。だいたい、僕を見てるとは思ってなかったですもん。みんな卓球とかを見てて、たまに見られてる箸休め的な感覚でやってましたから。
中高生の時は学生ズボン+制服ワイシャツで寝ていたし、大学以降(社会人時代含む)はスラックス+ワイシャツで寝ていた。
その理由は「夜寝るときに着替える」というシチュエーションに激しい性的興奮を覚えるからだ。
中学の頃一度パジャマで寝ようとしたことがあるが、「自分はパジャマを着ている」というシチュエーションに激しく興奮して勃起し続けて眠れなくなった(制服に着替えたらすぐに寝落ちした)。
パジャマのデザイン(余談だがボタンがないタイプの場合、キッチュな英字プリントがあればシコリティは非常に高くなる)、肌触り、着ているときの感触…それらは自分を性的に興奮させる。
パジャマはくつろぐ時や寝る時に着るものだが、そういうことを想起させる「夜寝るときに着替える」というシチュエーションには、性的興奮を覚えて当然だろう。
自室には性的欲求を満たすためのパジャマが何着も存在する。パジャマが載っているカタログやチラシを見ても性的に興奮する。
深夜アニメで登場人物がパジャマ姿のシーンが出てきても興奮する。「人生」ってアニメのパジャマパーティーのシーンは非常に興奮した。
あまり聞かない名前なので情報がとても少ないが、悪化した人の統計データによると
なのであと15年ほどで自分の寿命がくるものと思って、ここ数年間生きてきた。
子供の頃、20歳はとてつもなく遠いところにあるものと感じていた。
30歳、40歳が今は遠くに感じているが、きっとあっという間なのだろう。
自分は人生に対して何かストーリーを求めていたのかもしれない。
他人から見て素敵だなとか、尊敬してもらえるような、そんなストーリーのある人生を作っていくことを無意識に想像していた。
世界史は高校時代の授業で年間の90%以上を爆睡して過ごしていたが、この世界について知りたければ世界史は必然と必要になると言うことを知った。
世の中は知らないことだらけだ。働きながらではあるが、少しずつ身につけていきたい。
人生にストーリーを求めてしまうのは、「人生」というものが自分に何かを起こしてくれるんじゃないか、とか、そんな甘えの気持ちがあるのだろう。
もう一度あの増田を読んでみよう。
紅 | 松尾衡 | 「夜桜四重奏」「夏雪ランデブー」「革命機ヴァルヴレイヴ」 |
かのこん | 大槻敦史 | 「れでぃ×ばと!」「もっとToLOVEる」「WORKING'!!」「ToLOVEるダークネス」「白銀の意思アルジェヴォルン」「BanG Dream!」 |
イタズラなKiss | ヤマザキオサム | 「薄桜鬼」「タイムトラベル少女〜マリ・ワカと8人の科学者たち〜」 |
マクロスF | 菊地康仁 | 「IS インフィニット・ストラトス」「武装神姫」「コメット・ルシファー」 |
あまつき | 古橋一浩 | 「将国のアルタイル」 |
xxxHOLiC◆継 | 水島努 | 「ケメコデラックス!」「おおきく振りかぶって 〜夏の大会編〜」「侵略!イカ娘」「よんでますよ、アザゼルさん。」「BLOOD-C」「Another」「じょしらく」「ガールズ&パンツァー」「げんしけん 二代目」「ウィッチクラフトワークス」「SHIROBAKO」「監獄学園」「迷家-マヨイガ-」 |
ネットゴーストPIPOPA | 木村真一郎 | 「ファイト一発!充電ちゃん!!」 |
絶対可憐チルドレン | 川口敬一郎 | 「にゃんこい!」「SKET DANCE」「まよチキ!」「お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないよねっ」「みなみけただいま」「ドラゴンコレクション」「人生」「ファンタシースターオンライン2」「ナースウィッチ小麦ちゃんR」「おしえて!ギャル子ちゃん」「フレームアームズ・ガール」 |
D.C.II S.S. | 岡本英樹 | 「戦国乙女〜桃色パラドックス〜」「えびてん 公立海老栖川高校天悶部」「このはな綺譚」 |
アリソンとリリア | 西田正義 | - |
ドルアーガの塔 the Aegis of URUK | 千明孝一 | 「ドルアーガの塔 〜the Sword of URUK〜」「ラストエグザイル-銀翼のファム-」「ラクエンロジック」 |
秘密 The Revelation | 青山弘 | 「ウルヴァリン」 |
純情ロマンチカ | 今千秋 | 「のだめカンタービレ 巴里編」「花咲ける青少年」「うみねこのなく頃に」「おとめ妖怪ざくろ」「世界一初恋」「アルカナ・ファミリア」「魔界王子」「ゴールデンタイム」 |
|カイバ
|隠の王
|遊戯王5D's
真面目に答えず、出来る限り嘘と虚構を織り交ぜて答えていきたい。
いい質問だ。
だが、ゴールではない。
何が言いたいかというと、“どういうプログラムか”という認識の話さ。
例えば「婚活」というプラグラムならば、結婚をゴールと定めることは何ら不自然ではない。
だが、「人生」だとか「結婚生活」というプログラムならば、結婚はゴールではないだろう。
「結婚はゴールじゃない」というのは、トラックレースで「まだ周回残っているぞ」みたいな話なのさ。
でもトラックレースなわけではないから、そのあたりで認識の差が生まれるわけだね。
そりゃあ、最終的に走者が決めるべきさ。
でも観客だっているから、望もうが望むまいが多少の声援なり冷やかしはあるだろうね。
とはいっても主役は走者だし、ガヤをいちいち気にしたって仕方がないだろう?
実は私も知らない。
もしかしたら、言っている本人すら知らないのかもしれない。
そもそも存在するのかも怪しいが。
だが、少なくとも“そこ”にはないんだろう。
「それどこ大賞」の審査員の末席をつとめさせていただいたのですが、
http://srdk.rakuten.jp/entry/2016/12/22/110000
実は当初、審査コメントの文字数このくらいでよろしく、という指示をすっかり見落としてしまい、最初に間違えて書いたロングバージョンがありまして、せっかくなのでここに公開しておきます。受賞者のみなさんおめでとうございます。
http://aonbo.hatenablog.com/entry/2016/10/12/220000
「買い物で人生が変わりました」と言われても「それはまあそういうこともあるだろうな」としか思わないかもしれません。「買い物がテーマのブログコンテストなのだから、一番ど真ん中だよね、あざといよね」と穿った見方もできるかもしれません。けれど20年にわたる人生の変化と、その中心にあった買い物とをこれほど簡潔に描き、心から「ああ、買い物で人生は変わるのだなあ」という感慨をもたらしてくれる記事は、これを除いてほかにありませんでした。
「45で買ったストラトキャスター」という素っ気ないタイトルの「45」。その〈価格=45万円〉を表すようにも読めなくはないけれど、冒頭2行ですぐ、筆者にとっての「45」が〈年齢=45歳〉であることがわかります。「35で転職。37で離婚。/それから8年が経っていた。」。そして3行目に「子どもと妻がいなくなった生活。」と続きます。わずか2~3行に濃密な行間を含み、 id:aonbo さんの10年間のほんの一部が明かされます。
10年前、臨時収入を手にした、ゲームが趣味の45歳。「(うーん、このお金で何か自分にごほうび?)」の「自分にごほうび」という表現も、ちょうど10年前っぽい気分です。そんな中、とあるきっかけが id:aonbo さんに「(そうだよな。もうオレ45だよ。ゲームはそろそろやめようかな。)」と小さな一歩を踏み出させ、そこから一本のストラトキャスターを買うことによって、物語がはじまります。こうやって生きていけるのだな、と思いました。この記事は、ひとつの小さな人生賛歌です。
ところでこの記事、読後感は「ああ、人生」という感じなのですが、実は「人生」ということばは一度も出てきません。一貫して「生活」と書かれているところにも、ご本人のパーソナリティが感じられます。ぜひ賞金の30万円で、また次の10年の「生活の楽しみ」になるような買い物をしてください。おめでとうございます。
http://akasofa.hatenablog.com/entry/2016/10/19/182759
つい「買い物」だけで満足してしまうことも多いですが、あくまで「買い物」はスタート地点で、使いこなせるようになっていく歓びこそが醍醐味なのだと感じさせる記事でした。「上達」を言葉で伝えるのはむずかしいですが、「カメラの上達」を伝えるのにブログというメディアはぴったりですね。
親バカ目線と子どもの目線がちょうど交わるところに結果としての写真がある、という感じもほほえましかったです。親が「美大生」とか「サブカル」とか評するにつれ、「最初は美大生も、子どものような純粋な好奇心のもとにシャッターを切るんだな」ということにあらためて気づかされたりしました。
子どもの視点からしか写せない写真の魅力というのもありますね。子どもに使い捨てカメラを渡して撮られた写真だけを集めた『Childlens』(リトルモア、2003)という写真集があります。このまま id:akasofa さんのお子さんのカメラの腕がさらに上がっていってついにプロの写真家になったりしたら、その上達していく軌跡をまとめた写真集をぜひつくってください。ぼくは買います。
http://walking-gourmet.hateblo.jp/entry/2016/10/15/164806
『買い物』することを一番最初に楽しいと感じたのはいつだろう」というストレートな書き出しから、その「楽しさ」のルーツとして、子どものころの買い物の記憶、それと結びついた場所の記憶を辿る旅なのですが、行き先がまさかの「屏風浦」。id:s06216to さんがご存知かどうか定かではないですが、「赤い電車」を歌ったくるりのもうひとつの京急ソングとして、その名も「屛風浦」という隠れた名曲があります。ぼくの「屛風浦出身という人もいるのだなあ」というどうでもいい感想は本当にどうでもいいのですが、ノスタルジックな主題からしてもBGMとしてこれほど最適なものはないので、よろしければぜひ「屛風浦」を聞きながら読んでほしい記事です。
迷いながらも、風景をたよりにこっちかなと進んでいく感じ、「久しぶりすぎてどっちに行けばいいかすら怪しいけれどぼんやりとした記憶を頼りに歩き始めた」という感じが、写真もとてもきれいで、鮮やかに描かれています。ぼくも久々に自分が通っていた駄菓子屋に行ってみたくなりました。住んでいた部屋や遊んだ公園はなくなっていた、そして、探しものも見つからなかった、という話で終わるのかと思いきや……というところもよかったです。ちなみにぼくは、一枚20円のころでした。
<<まとまらない気持ちを落ち着かせるために書いていたもののままで、誤字とか文体とか滅茶苦茶だと思います。>>
12/25 「作品」という言葉を遣うが、箇所によっては「人生」と置き換えてもらってもいいです。
「この世界の片隅に」を見た。
終わった後、とりあえず泣いていた。
どいう感情だったのか分からないし、数時間経った今でも分からない。
普段接するものとは違う、何か特別なものを感じ取ったのだろうか。
ただ特別なものに出会ったというのを演出して気取りたいだけなのだろうか。
本当に分からない。
僕はこの作品から何を感じ取ったのか。ずっと、ぼやっとしたままで。
ぼやっとではないかもしれない。鮮明なんだけど、全ての色が違ってまとまらない。
得意でもないのに表現者ぶって下手に表現しようとすると陳腐になる。
この作品に対して失礼極まりないな。書きながら自分に対して嫌悪する。
ふと思うことは、良かった。
良かった、と思っている自分がいる。
ただ、僕はこの作品に対して、良かったという感情の言葉で表してはいけないと思っている。
心底思っている。
良かったという言葉で片付けていいものではないから。そう思っている。
彼女は表には出ない芯の芯、彼女も気付かない強さで生きていた。
その強さにも、尊敬の念を抱いた。
当時を生きた人は僕なんかが想像するより確実に酷く辛い思いをしただろう。
そんな時代を生きた彼女に、僕なんかの物差しで気持ちを共感しようだなんて
なので、同情や尊敬といった感情を持ってしまい、分かってる風になる自分が嫌でたまらない。
そんな彼女が生きたこの作品を、良かった、なんかで表現してはいけないのである。
ハッピーエンドだったのか、
(戦争にハッピーなんてものは無いのは当然だが(これも当時を生きていない僕が口にするのもおこがましいが))
それすらも分からないし、哀しいこともたくさんあった。
これが本当に分からなくて、ずっと考えていた。
何故なのだろうかと。
良かったと。
ふと気づいた。どう気付いたかは忘れたが気づけた。
ずべて附に堕ちた。なるほど。
これは本当にそうだ。
見終わった後、嬉しいのか哀しいのか楽しいのか、
この作品に出会えて良かった。というのは本当の本当の気持ちである。
「この世界の片隅に」は自らすすんで、人にお勧めするようなものではないと思っている。
興味が無ければ当然観なくていい。観ないと人生を損するなんて全く思わない。
ただ、ただこの作品に少しでも興味があるのなら是非見て欲しい。見て欲しい。
素の状態で見て欲しい。
僕が実際そうだったように。
期待して観るものでは無いと思う。
期待という言葉がふさわしくない。
少しでも興味がある→見る。それだけでいいと思う。
みんなの見終わった後の感情を知りたい。
ただ、「この世界の片隅に」と出会えて、本当に本当に良かった。
彼女の生を遠くから遠くからだけども、少しでも見ることが出来てよかた。
これが僕の生にどう影響を及ぼすかとは無いかもしれない。
ただ今は出会えて良かったと本当に思える。
僕は基本的に好きだと思ったものは、設定や携わった人について調べてしまう質である。
しかし、この作品に関しては、それはいけないという気持ちになってしまう。
誰が作って誰が声をあてていたなんてどうでも良いのだ。
僕は彼女の生を見た。見た全てが全てなのだ。純粋に見たものだけを心に宿したい。
そう思わせてくれてありがとう。
また時間を置いたら、色々考えが変わるかもしれないが、今はこ初めてで不思議な気持ちである。
人に映画どうだったって聞かれたらなんて答えようかな…笑
何というか我を忘れてという状態になったことがない
何もかも忘れて何かに没頭したためしがない
ここまで書いて痛々しい中二病だなと思ったけど
そういう気恥ずかしさや自嘲気味な感情すら沸いてこない
「終わったな自分」
そういう状態がずっと続いている
「終わった自分」が誕生したのはいつからだろうか、その原因もハッキリとは覚えてないと思う。
その終わった自分になる前は、高校1年生には既に「どんな人間もいずれ死ぬのになぜ必死になって頑張らなければいけないのか?」
という疑問を持つようになった。
今もそれに対して明確な答えは持ち合わせていないし必死に頑張ることによる成果の意味というのは無いと思っている。
過程にこそ意味があれ、成果は結果として名実ともにただの結果であり意味はないと考えている。
単に命という過程の通過点にすぎず、真の結果とは個人の死だと考えているからだ。
先ほど死は約束されていてすべての結果は個人としての死に繋がると言った。
そしてそれが少なからず無感動なもうひとりの自分を生成してしまった一因であると考える。
考えをまとめるまでは自分が体験する事やこれから歩む人生はオリジナルなものだと思っていた。
誰もが見たことの無い体験をしていくのだと。
しかし歳を重ね勉強を重ねるにつれて、自分がこうやって成長していくのに対して、
社会の歴史、世の中の歴史を振り返ると成熟していくどころか定期的に逆行でもしているかのような
退行を周期的に繰り返していることに気付いた。
なぜ、過去から学べる過ちを何度も人の世は繰り返しているのかに疑問を持つようになる。
それは集団としてもそうだし人生の教訓が生まれるだけ同じ過ちを個人レベルで繰り返してきたことの根本的な疑問でもある。
考えた結果
人間は膨大な情報を吸収してもそれを子孫に正確にフィードバックしていくことができない。
学問のような人間主体ではなく徹底的な数値化や平均化をされた分野であるのならば逆戻りすることはないだろう。
人生は個人によって幸せの基準も違うし可能な選択肢もそれぞれ全く異なってくる。
幸せという結果を導き出すための方法は個々で違うのであるし、あるとしてもそれを知る余地はない。
そのため、振り返りでしか反省や教訓を残すことができないのだ。
しかもこの反省にしても人によりけりという強烈な主張の前には霧散しがちだ。
適応することが可能でも逃げ口上に使われて、この言葉の持つ力の強さに払いのけられる場合もある。
ともかく、人間は例え人生において経験値を積み重ねたとしても生物としての終局を迎えることで
その経験を永遠にロストし、なおかつそれを正確に後世に伝えることができていない、
そのために同じ過ちを人の世は何度も繰り返してきたという結論に至った。
自分もその大きな渦の中で溺れるように巻き込まれた者の一人であり、
ろくに正確に引き継ぐこともできずに経験と一緒に闇に帰るだろう。
例え、学問においては足跡を残したとしても、それは自分でなくても良かったことであり、ただの早いもの勝ちに過ぎない。
そしてそれが正解だと歴史が証明するのにもまた自分の死後いくらか経ってからでなければ正確には判断できない。
学問が本当に貢献できたかどうかを疑う余地のないくらい信じることができる瞬間は恐らく生きている内には訪れないだろう。
もし1つの発明や研究が認められただけで心から喜ぶものがいたとしたら
手品をやってお客を喜ばせたほうがまだ幸せな人生を送れるはずだ。
そして生物的な幸福として子供を産み育てるという欲求が用意されているが、
これこそまさに自分の死が約束されているからこそ必然として設定された欲求だろう。
子どもは生まれる前はこの世にいないし産んでくれと頼みもしない。
望まれた子どもたちはすべからく親の寂しさや侘しさや欲望を受け止めるため、
親に利用されるためにこの世に生まれてきている。
その子でさえいずれは老いて死ぬというのに、それを遺伝子に命令されて続ける奴隷として命がある。
それのどこが尊いと言うのだろうか?
ペットを欲しがるということ、自分の子どもを欲しがるということ。
そこに何の違いがあるというのだろう?
人は死ぬということ。
人の世は成長しないということ。
他にも理由はあるかもしれないが、
ただただ虚しくなった。
なのに人の世は成長しない。
虚しくなった。
俺がこの先歩く道が誰かが歩いた道で
俺が歩いた道はこの先誰かが歩く道で
同じことの繰り返し
同じことのくりかえし
人が本当に人として自立できるようになるためには、不死が必要だと考える。
同じことを繰り返さずに進化し続けるためには不死が前提であると考える。
過去の偉人の誰も達成できなかった偉業は不死によって物語は完結されるだろう。
超人が生まれた瞬間にこそすべての人類が生まれ、死んで来た意味があると考える。
俺の感動は俺の虚無感から来ている。
俺は夢をみて眠りにつく。
そんなん、「恋愛」でも同じ。たとえば1年付き合ったらもう「最初のトキメキ」みたいなものは相手から得られなくなるでしょ。それだったら「一生風俗に行っとけや」という話ですよ。結婚ってそうじゃない。一生かけるってのはそーゆーことじゃない。So you?
「一生かける」ってのはね、「一生を懸ける」という時間的な意味だけでなく文字通り「一生を賭ける」って意味でもあるんだよ。ギャンブル? ノンノン。1,000円、2,000円を取り合うような小バクチの話じゃない。一生が懸った「何か」を賭けるとき、ソレはもう「人生」になるんだなあ。想像もできないだろうが、まあ想像してみ。「カイジ」とか読んだことないか? 明らかに自分が一生かかっても稼げない額の金をやり取りするとなると、面白いとかスリルとか通り越して、そこにはその人の「人間そのもの」みたいなモンが姿を現してくるんだよ。そうなってからが本当の「賭け」だ。リアルな「賭け」なんだ。そして、そーやって自分の一生を掌に載せて「賭ける」とき、それはもう「人生」なんだ。イッツイークォールトゥユアオウンライフ。リアルライフ,オーケー?
受験もそう、就職もそう。誰だって「自分の一生」ってやつをタネ銭として、一生賭けて何かを選ぶときがあんだろ。そのとき「このあとどうなるんだろうなあ」とかそんな牧歌的なこと、呟いてるひまがあるわけねーの。そんなのどーでもいいよ。そのときその一瞬、いっときがすべてなんだよ。そこに人生があり命の燃焼ってやつがあるだろ? 「結婚」もそれと同じなんだよ。こいつ!って相手と出会って結婚するまでの怒涛の流れってのは、もうまったくそんな感じ。それに比べたら「トキメキ」とかそんなお子様の快楽なんて、遊びだし余暇だよ。余暇。
たとえば、パチンコばっかやってる奴は「パチンコ楽しー」って思ってるだろうし、実際暇があって金が無いときはパチンコも楽しいしそれが人生かけたギャンブル?みたいな気分にもなるよ?でも10億握って自分の人生賭けて投資してる奴からしたら、鼻で笑われるような「遊び」に過ぎない。悪いけどな。大げさだけど、お子様の恋愛と結婚ってヤツとの違いってのは、まあそんな感じだ。「ステージが違う」んだよ。そんなレベルで勝負してないんだよ。人生賭けてんだ。まして万が一子供ができたりしたりなんかしちゃったら、その子らの人生まで賭けることになるんだぜ? うひゃー!ってヤツだ。
まあパチンコで10,000すっただけでうちのめされる程度の子チンコには、まだ早ぇー話だがな。まずは自分の人生賭けた大勝負の一つもこなしてから出直してきなさいってこった。
ずっと放置してたんだけど、先週ついに「そろそろ返して」と言われたから仕方なく読んでる。
読まずに返すのも悪く無い?
で、今40pなんだけど、すっっっっごく苦痛。
そもそも作者が裕福な家庭っぽい。
そして、歯科医師をやっていて、そのために努力もしてきたそうだ。(※ただし恵まれた環境)
忙しくもあり、仕事と自己啓発系活動で休みは年末年始ぐらいらしいが、やってることは全て好きなこと。
一度「素直に頷きながら読んでみよう!」って思ったけど、無理。5秒で無理。
アドバイスに見せかけた自分語りだろ、それ! 自慢と言ってもいいレベル。
「こういう苦労をして、こう頑張りながら、ここまで来ました! 今は全部楽しいです!」ってのならわかるんだけど、そんなんないし。
恵まれた環境で育って、バックアップの中で努力して、一番目に就いた職業で成功し、その職業が好きな人間が「人生」について語るってジョークだろ。
「充実した人生を求めて多くの人が努力しながら満たされていない。私はそのことに愕然としています」みたいな文が本冒頭にあるんだけど、こっちが愕然とするわ。
こちとらそんなイージーモードじゃないの!
まあ、苦労もあったのかもしれない。
辛酸も舐めてきたのかもしれない。
でも、そこを書かないで自慢できるような部分しか書かないのは腹が立つ。
それはただの自慢だから。
書いてあることは、割りと真っ当ではある。
でも俺は「そりゃそうだろ。それが簡単にできないから、思えないから皆大変な思いしてるんじゃないの」と思う。
それで擦り切れていってる中で、こういう本を手に取って「頑張ろう」って思えるもんなの?
こういうのを読める人は素直ってことなんだろうか。