はてなキーワード: 帰省とは
小学4年の春休み、爺ちゃんの骨を墓に納骨するため家族で田舎に帰った
俺には初めての帰省だった
田舎では親戚の家に泊まった
次女は、ショートヘアーで少し陽焼けした丸顔のくりっとした目の可愛い系
とにかく美人の3姉妹で、子供ながらにかなりテンションが上った
俺の1歳違いの妹だ
妹は同い年ということもあって次女ちゃんとめちゃくちゃ仲よくなった
年の近い異性のきょうだいなんてどこもそうだと思うけど、子供の頃、俺と妹は毎日のように喧嘩していた
次女ちゃんと2一人だけで喋っているところを見つかりでもしようものなら、妹に弱みを握られることになる
同じ屋根の下で寝起きし、飲食も共にしているのに、近づくことさえできないのは酷すぎる
俺は悶々としながら日々を過ごしていた
そんなある日、妹が次女ちゃんと近所の高台にある神社に行くから増田兄(にい)も付いて来きてと言い出した
今日は長女さんも三女ちゃんもいなくて、次女ちゃんと私と2人だけだと危ないし、頼りないけどいないよりマシだからと妹は言った
相変わらず失礼な奴だし、妹が俺と行動を共しようとするなんてあり得ないし、きっと何か企んでいると思った
しかし、次女ちゃんと話ができるかもしれないという誘惑には勝てなかった
南国の3月は午前11時を回ると少し汗ばむくらいだったが、鬱蒼とした木々に覆われたその高台への階段は思いの外ひんやりしていた
階段を上る途中、妹は突然駆け始め「ちょっと先に行ってるから」と言った
思いがけず、次女ちゃんと二人きりになり、俺は舞い上がってしまいドギマギして、思うように言葉が出なかった
神主も巫女もいない無人の神社で、お参りする人も俺たち以外にはいなかった
立て札を読むと、ここには龍神様が祀られていて、龍神様は縁結びの神様でもあると書かれていた
あまりの偶然、そして半分願いが叶ってしまっていることに驚き、俺はお参りしながら龍神様にこっそりお礼を言った
3人でお参りを終えると、妹が写ルンですを取り出して、「あ、フィルムが1枚だけ残ってる」と言った
そして、「そうだ、撮ってあげるから、2人でそこに並んで」と言った
動揺したのと、後で妹にその写真で強請られると思った俺は「いいよ、俺がお前と次女ちゃん撮ってやるよ」と慌てて言った
すると妹は、「私は、この前ここで、次女ちゃんとは撮ったからいいの」と言った
前にも来たのにまた今日も来たのかよ、もしかしてこいつ、好きな男でもいるのかと思った
俺と妹のやり取りを見ていた次女ちゃんが「私が2人を撮ってあげるよ」と言った
妹が「ああ、それは無理。次女ちゃん、せっかくのチャンスじゃん、早く早く」と次女ちゃんを急かし
そう言われて次女ちゃんを見ると、顔を少し赤らめ下を向いていた
次女ちゃんに申し訳ないと思い、妹の言葉に従って俺は横に立った
妹が「はい、2人ともこっち見て、増田兄顔が怖い、笑って、次女ちゃんも笑ってー、はい、チーズ」と言ってシャッターを切った
写真を撮り終えた妹は、「私、トイレ行ってくる」と言って、また俺と次女ちゃんを残して、公衆トイレの方へ走っていった
2人だけで所在なく高台を降りる階段に座り、何を喋っていいかわからず無言でいると、次女ちゃんから話しかけてくれた
唯一共通の話題である妹のことを話しているうちに、いつの間にか学校やテレビの話で盛り上がった
木々の葉の合間からキラキラと陽が差し、たまに吹いてくる海風で微かに葉擦れの音がするくらいで、本当に静かで世界が二人だけになったようだった
夢中で話していると、ふと気づくと、30分も経過していた
急に妹のことを思い出し、心配になった
次女ちゃんは、「あ、そうだね。私、見てくる」と言って立ち上がった
俺は「いい、次女ちゃんはここで待ってて。何かあったら人を呼んできて」と言うと立ち上がり、トイレへ走って向かい、外から妹の名前を大声で叫んだ
「何してたんだよ!」と俺が怒ると
「もう、うるさいな。あっちのベンチで海見てたのに。あれ、もしかして私のこと心配してくれた?」と俺をおちょくるように言った
癪だったのと腹が立ったのとで、「心配なんて全然してねえよ」と俺が言い、「あっそっ」と妹が言い返し、いつもの口喧嘩になりそうになった
すると次女ちゃんが横から「増田くんって、妹想いの本当にいいお兄さんだね。妹ちゃん、今日は本当にありがとうね」と言って頭を下げた
次女ちゃんの言葉に完全に毒気を抜かれ、2人ともバツが悪くなって喧嘩をやめた
「あそこから海見ると、本当にきれいなんだよ」と言うと、次女ちゃんは1人ベンチへ向かった
「鈍感男!」と妹が言って睨みつけ、俺を残して次女ちゃんの後を追って行った
そこから望むと、木々の葉の濃い緑の向こうに雲一つ無い青空と紺碧の海が広がっていた
その絶景を見ていると、さっきまで妹と喧嘩していたことなんてどうでもよくなった
さらに強さを増しつつある陽射しと、海からの涼風を同時に感じながら、しばらく3人で無言で海を見つめていた
次女ちゃんが「本当楽しかった。2人ともありがとうね。もうすぐお昼ご飯だし、そろそろ帰ろっか」と言った
妹が「うん、お腹空いたから私先に行ってるね」と、また一人で先に階段を駆け降り始めた
次女ちゃんと2人だけでまた話すことができた俺は、この時だけは妹に感謝した
結局、次女ちゃんとゆっくり話すことができたのはそれきりだった
大阪の家に戻った翌日の日曜日、妹が写真を1枚持ってきて「これあげる」と言った
写真には、嬉しさ半分困惑半分でぎこちない顔の俺と、はにかんだ次女ちゃんが写っていた
妹が冷やかしの言葉でも言って来るかと身構えたけど、何も言わずに行ってしまった
その時、俺ははようやく全てを悟った
あれ以来、俺は妹から「鈍感男」と呼ばれている
原裁判所は2月1日において、原告が直接、民事2部に来所し、そこに必要なものをすべて出している。それにもかかわらず、原裁判官が、一週間後等ではなくて原告が帰省した後に
2月15日という2週間後に疎明資料の要請をする資料を郵便で送付すること自体が不合理という他ない。
それ以外にも原裁判官は、原告の収入が推測できないというが、前記の要求の送付の仕方もおかしい上、原告の収入状況は用意に推測できたと認められる。
コミュニケーションにおいてお土産というものは効果を発揮すると経験的に体感している。
もちろん、どこかに遊びに行って…という形でお土産を渡していいのだがそれにはひとつ問題がある。
それはお土産を渡した人に、「こいつは何処かへ楽しく旅行してきやがったんだ」ということへの妬みの感情を引き出してしまうかもしれないからだ。
世の中、孤独な人は多い。
私自身も10数年前までは一人ぼっちで人生を送ってきて無駄に他人を妬むことが多かった。
そして、そのことに自分では気づけない。
そういう人は私以外にもいるだろう。
「いやあ親が帰ってこい帰ってこい孫の顔見せろとうるさくて」
みたいな雰囲気(あくまで雰囲気、実際に言葉にするわけではない)を醸し出し義務としての帰省を消化した、その副産物としてのお土産ということにしたいのだ。
ただ、この方式の欠点はたまに私のイマジナリー田舎と同じ出身地の人に接するときだ。
一応、現地には実際に行ったことがあるし日々情報を仕入れて(いっときは爆サイなどもチェックしていた)知識をアップデートしている。
それでも不意をつかれるとボロが出かねない。
原決定の理由を次の通り訂正する。
(1) 法6条1項による受給者 → 基本事件は、生活保護受給者の
(2) 原裁判官は、令和3年6月9日のケース診断会議で101万8877円の預貯金があるが、これ以降の時代の預貯金の推移が分からないので疎明資料の提出を要請したが
回答がなかった。 →
受給者は、令和4年6月8日にアパートに転居し、その際に、敷金礼金引っ越し費用などを自ら支出した影響で、令和5年に入ってから、前記のように、
101万円~115万円を推移していたのははるか昔の話で、SNSの記録などによって明らかであり、本件裁判官は、諸般の事情から、原告の預貯金が既に、39万~53万円の
間を推移していることは明らかである。このような状況下に疎明資料を求める必要性はないという他ない。原裁判官は、原告が支払えるかどうかの可能性が分からないというが、
推測できているはずで採用できない。疎明資料の提出は、原告に徒労を求めるもので、不合理であって認められない。
(3) このほかに、原裁判所は、 原告が帰省している間に、誰かの命令で、回答書を意図的に送付している形跡があり、極めて悪質である。この点からも認められない。
本件の令和6年(行ク)第27号と呼ばれる書面は、その主催者が極めて残酷な集団によってなされ、その集団およびそこに記載されている内容について、暗に多くの者によって
燃やされているのが現実であり、美しくないものは死すべきと言う独善的な考えによって作成されており、一般人はおよそ記載されている内容を信じていないから、検討する価値を見出す余地はない
付言するに一件記録によると、申立人が疎明資料を提出できなかった経緯は次のとおりである。
① 申立人は、2月10日に、新幹線で、宮崎県延岡市に一時帰省し、郵便物を受け取ることができないような状態にした。
② 当裁判所は、2月15日、2月29日までの回答で、3月14日に再度、回答書を送付したが、申立人は、遠隔地にいるため、これらの郵便物は、配達されないか、もしくは
③ 当裁判所は、 3月25日付で、申し立ての却下決定をしたが、申立人は、本件決定がなされた当時、延岡市の自宅におり、3月9日、3月16日に門川市で女性に会うなど
し、3月25日は、同市方財町231の16番地の所在する、令和5年9月27日付で、佐藤まりんに貸していた3万円の取り立てに行っていた日と認められる。すなわち、
申し立て人の3月25日における行動は、その夜間に、まりんの母親に会い、これと話をした後に、懐中電灯で付近の海岸を照らしていただけという事実が存在する。
④ 上記において使用していた懐中電灯は、 申立人がした3月27日にした演説に激怒した、 大貫町5丁目に住んでいる今井雅之が、28日午前2時に、窃取し、
⑤ 申立人は、3月30日に、上記の女性と今一度会った後に、4月4日に電車で東京に帰ることに決定し、4月4日、23時12分に東京駅に到着し、 5日、0時12分に、東京の住所に徒歩で到着した際に、当裁判所が送付した書類一式が郵便受けに入っているのを発見し、中身を確認したと解される。
⑥ 当裁判所が要請を求めた疎明資料の一部は、板橋区蓮根に存在するセブンイレブンから当裁判所に送付されている。今回、当裁判所が特別送達郵便で送付したのは、
青森県津軽地方の老農家の夫婦。年齢は100歳近いが、自分たちで立てた家を守り、2人暮らしを続けていた。
大きな病気はあったものの、それを2人で乗り越え、暮らしている。
団塊の世代に当たる3人の子どもは、高度経済成長を続ける東京に向かって送り出した。当時はそうするのが当たり前で、地方が発展から取り残されていると思ったからだ。
そうして子ども達は首都圏で家を持ち、子を産み、後期高齢者にさしかかるくらいであった。コロナ禍もあって、最近は帰省もなくなっていた。
りんご農家はそれなりに収入を得ることができるし、お得意様もいる。出来るうちはやっていこうと夫婦で決めていた。
そんなある日、なんと孫夫婦が青森県で暮らしたいと言い出した。勤めている会社にて異動が認められ、青森県に越してくる事になったと言う。
さらに、二人のひ孫が、なんとりんご農家を継ぎたいと言い出した!?
もう、後は自分たちが暮らす分だけをやっていけばいいと思っていた夫婦だったが、ひ孫になんとかりんごの圃場を残したい
そんな思いに答えるように、夫婦が始めて植えた木の生き残りに、金色に輝くりんごがみのる。
それを食べた夫婦は、何と新婚当初(21歳と17歳)に若返っていた!?
大学を休学し農業大学校に通い始めた上のひ孫と、地元の高校に入学したひ孫の2人もやってきて、若返った夫婦は地域を巻き込んで大騒ぎ!
しかし、どうやら上のひ孫が農業継ぎたいと言い出した理由は、どうやら純粋に農業をやりたいと思ったからではなさそうで……?
今、80年ぶりの青春がはじまる
先日帰省した際についに実家のPCと、両親のスマホにadblockを入れてきた。
事件があったのは少し前。両親とはよくやりとりをしていたので、たまに電話がかかってくることはあり、そのときもいつもどおり電話がかかってきた。「パソコンがおかしくなった」なるほどまたか……。で、話を聞いてみると
あーこれは完全に詐欺ですわ。これは詐欺である、お前は詐欺に引っかかった、というようなことを説明し
を伝え、パソコンは電源をぶち抜いて次に俺が行くまで放置させた。
ややこしいのが、パソコンを買った段階ではMcAfeeがプリインストールされていた。見慣れたものなので、疑いもせず更新してしまった。ただし、この事件があった段階ではプリインストールのMcAfeeのライセンスは切れていたはずなのだが、そのことは忘れていたらしい。
これはもう潮時かということでadblockをインストールしてきた。
親がどんなサイトを見ていたのかは知らないが、それにしても昨今のインターネット広告は70越えた老人にフィルターなしで見せられるものではなくなっている、と思う。
adblockを使っていると、「広告表示を許可してください」のようなadblockブロッカーをいれているサイトにたまに出くわす。が、そのサイトが広告収入で成り立っているアピールされても、そんなことはどうでもいいんだよ。表示される広告が危険なのでブロックしているのであって、許可してほしいなら「表示される広告をちゃんとチェックしていて、有害な広告が表示されないので」というレベルまでやってくれないと、信用できたものじゃない。だって結局アドネットワークで配信されるものだから、何が表示されてるかなんてサイト管理者も知らないわけでしょ?それで詐欺に引っかかるわけだから、自衛するには全部ブロックするしかないわけですよ。
これが表示されるサイトは、今回みたいな詐欺広告がでる可能性もあるので、もう存在しなかったものとして即刻立ち去れ、と言い残してきた。そもそも自分でadblockを入れたわけでもない親が、ページ別にadblockを解除できるはずもないが。
40代1馬力年収700万で世帯貯蓄5000万はかなり優秀だなあ。
もっとも、子供がまだ小学生みたいだからこれから大きな支出があるけど、それでも貯蓄が半減することはないだろう。
運用を継続すれば子供が独立結婚する時点で同額程度を維持できるんじゃないか。
ワイ40代前半のときは1馬力年収900万で世帯貯蓄は1500万ぐらいだったけど、それから約10年で倍になった。
旅行は家族旅行が年1回、一人旅が年3回。家族旅行はそれなりの宿に泊まるけど、一人旅はYHや車中泊。夫婦ともに親なしだから帰省費用ゼロ・将来の介護費用ゼロというのが地味に効いてる。
同級生や友人との飲みは月1回。
車は15年20万キロ乗って、オーバーホールを推奨されたら乗り換えている。いまは軽自動車。
住宅ローンは意図的に60歳まで払うようにしている。条件はあるけど稼げなくなったらローン支払い免除なので、借りているほうがメリット大きいと考えた。
・(自己認識では)絵に書いたような中流階級。困窮はしていないが、決して上流階級ではない。
・都内に家は買えないので、ベッドタウンにローンで一軒家を買う。
・物心ついた頃から、毎日ニュース7を見る、比較的(多分)ニュースには関心がある家庭。
・両親とも完全なネット音痴ではないが、スマホより本の世代の人。LINEやGoogle Map、食べログを中心に使っており、SNSはやっていない。
※俺は、もう社会人になってしばらく経つが、一人暮らしなので、新聞は取っていない。
本題の通りだが、この前実家に帰省したら、新聞の購読をやめていた。
結構衝撃だった。まあ、改めて思えば家族で時事ネタを議論するでもなし、仕事でニュースが必要なわけでもなし、確かに新聞なんて読まなくても全く困らない生活はしている。
でも、スペックに書いたとおり、ニュースを日常的に確認するのが当たり前だった実家で、新聞がないというのは、かなり新鮮だった。
理由を訊いてみると、なんとなく朝日新聞の報道の質が、年々下がっているような気がしていて、遂に購読料金を払うに値しなくなってきたと思ったから、だそうだ。
輪をかけて衝撃だった。両親とも、スマホは使うものの、簡単な調べ物程度で、Twitter(X)もやってなければ、当然増田なんて読んでるわけもない。そんな両親が、購読をやめたのだ。
ちょっと、俺自身は、もうしばらく朝日の紙面を読んでないから詳しいことは言えないけど、ちらほら記事を見かけるに、ぶっちゃけ別に相変わらずじゃないか?って気もする。
もちろん依然イデオロギーは強いが、それは、もう朝日のカラーであって(俺は好きではないが)、新聞とはそういうものだと思うし、「報道の質が下がった」というほどのことではない気がする。
正直、俺は別に、新聞に対して、公正無私な報道を求めてるわけじゃあない。もちろん、限度はあるが、通信社のようになってもらっても困るし(役割が違う)、党派性が出て然りだと思うしね。
ただ、強いてこの感じを表現するならば、なんというか自己認識が歪んでるというか、過去の高級紙としての栄光を捨てきれず、党派性結構強い紙面なのに、自分たちが公正で正統だというブランディングをしてる感じがする。
質が下がっているかはともかくも、信頼度が下がっているというのは、肌でも感じる。
https://square.umin.ac.jp/massie-tmd/nonewsppr.html
まぁあと、もちろん、少なくとも報道の質が上がってきているという雰囲気はないし、朝日は定期的に、やってはいけないレベルの誤報を繰り返している。
https://www.financepensionrealestate.work/entry/2023/07/09/115839
ここでもわかるとおり、朝日は、事業規模ベースならともかく、営業利益ベースでは、本業が不動産デベロッパーになりつつあり、もちろん発行部数減少については自覚しているだろう。
ただ、やばいのは、そもそも「朝日新聞」というブランドが、傾いていることだと思う。経営陣は、それに気づいて、本気で対策を打ってるだろうか。
出羽守みたいであれだが、英米の新聞は、もうそもそも、党派性がある前提でみんなが購読してる気がするし、だからオンラインでも成功してるところも多いんだと思う。
その党派性の範囲内で、専門性を際立たせて、調査報道とかも組んでる感じするし。地方紙は軒並み死んでるけどね。
そういえば、高校生のとき、社会科(政経)の先生が「五大紙全て購読し、可能な限り毎日、全てに目を通している」と言っており、自分も将来はそういう「知識人」になりたいと思ったことを、今書いていて思い出した。けど、社会人になった今、そもそも新聞を取ろうと思いさえしない。時間に余裕がないからとかではなく、そもそも新聞媒体にそこまで魅力を感じてないなと思う。
そういえば旅行好きにしばしばみられる行動として、訪問場所の事前チェックがある、とふと思った。
旅行に行く前の準備行為として、絶対に逃すべきではない場所や食べ物を入念にチェックする。
現地でセルフィを撮って、インスタなどSNSで送る、という行動がみられる。
最近では、インバウンドで来日する外国人にとてもよくみられる光景だ。
映え写真をとっては、憧れのいかにもNIPPON!な光景に興奮して即座にSNSで送る。
旅行好きの人たちにみられるこれらの行動は、スタンプラリーとほぼ同じ意味を持つ。
日常との差異の体験やよその世界とちょっとだけ繋がったりできたことの証明と自己顕示が欲しいのだ。
その意味で、他の人のインスタと同じ構図で撮影することが現地に到達したことを証明するうえでとても重要。
このような形で消費される、「日常では手に入らない新しい体験」は、要するに、「ごっこ」であり、エコツアーにしてもアグリツーリズムにしても何しても、
現地との関係性を一瞬だけ体感できる、という意味で、旅行者が憧れていた「日常との差異」や「関係性」を消費する行動なんだろうな。
さて、それが近年の傾向なのか?というと恐らくそうではなく、これは、かつての絵葉書を送るというスタイルから変化した形で、
東海道五十三次の時代からそうであっただろうし、男女にも差がなく、古今東西それほど大きな違いはなさそうだ。
日常との差異を消費し、疑似的な関係性に癒されるというのは、昔からあったのだろう。
ところで、僕は男性で、わりと旅行好きというか、仕事柄、年がら年中、スーツケースをころがしている。
そんな男性の立場からみて、女性のほうが傾向として強く、逆に男性に弱いことでひとつだけ思い当たることがある。
それは、旅先で一時的に体験する関係性を、その後も持続させようとする傾向だ。
旅先で知り合った人とその後も連絡を取り合ったりとする傾向は女性のほうが強い気がする。
「おもいでぽろぽろ」というジブリの高畑勲監督の映画(1991)がある。
都会育ちのOL女性が田舎暮らしに憧れる、というところからスタートするこの物語は、農家体験をしてゆくうちに気持ちが変化し、
この映画の場合、旅先の地に女性を迎え入れる男性やその家族という存在があるが、
いろいろふりかえってみると、必ずしも現地にそのような迎え入れるひとや団体がなくとも、旅先で憧れた現地に、そのまま飛び込んでいく女性というのをしばしばきてきた。
アジア、アフリカ、中南米で。かつて、「なんでこんなところに日本人」という世界の片隅で暮らす日本人を紹介するテレビ番組があったが、その番組で紹介しているのも、若い女性の活動が目立っていたように思う。
「男女差」という視点で、いろいろ参考情報をみていくと、例えば
海外留学の男女比も女性のほうが10ポイントくらい高いのだそうだ。
また、男女管理職別で見ると、男性は自社内のキャリアアップの意向が高いのに対し、女性は男性よりも転職でのキャリアアップ意向が高いのだという。
男性は女性よりも保守的で、外に関心がない、という傾向はそこから見て取れるのだが、
だが!しかし、、、、
果たして、そんなふうに男女差を単純に断じていいのか?とも思う。
それでも確証はないけれども、これらの数字が出ている以上は、それにむすびつく何かしら男女差のような背景はありそうだ。
まずは、男女共同が叫ばれつつも今をもって日本は男性社会であるという事実から出発してちょっと考えてみる。
突飛な発想かもしれないけど、1970年代初めごろの歌謡曲で「瀬戸の花嫁」という歌を思い出した。
瀬戸内海の小島へ嫁が嫁ぐ様・心情と、新生活への決意が歌われている。
「あなたの島へ お嫁にゆくの 若いと誰もが 心配するけれど 愛があるから 大丈夫なの」
当時、女性が他の家に嫁ぐということは、程度の差こそあれ、この歌が表現しているように、
ホームからアウェイに飛び出してゆくことであり、その後一生アウェイで暮らす覚悟が必要だった。
ドラマ「おしん」(1983年)も思い出す。朝の連ドラとしては異例の一年間の長編ドラマとなった「おしん」。
そこでは、さらにもっと幼少のころから嫁ぎ先へとひたすらアウェイで過酷な人生が描かれ、しまいには終戦時に夫が自殺し、どん底な半生が半年くらい描かれている。物語の後半では、敗戦後、残された子供を抱えて女手ひとつで小売店を立ちあげ、自立してゆき、やがて息子へ引き継いでゆく姿が描かれ、多くの女性の共感を呼んだ作品だった。
孫までいるおばあちゃんとなったおしんだったが、おしんのドラマは、事業を引き継いだ息子が無謀な事業拡大を始めたことで経営リスクに直面し、育て方を間違えたと自信を喪失したおしんが過去を振り返るために旅に出るというシーンから始まっている。一年近いドラマの終盤300話くらいから、その伏線を回収し始めるという、息の長いドラマで、橋田壽賀子、すげえという感じしかない。
アウェイな世界でたくましく生き抜くおしんとは対照的に、登場する男性はどいつもこいつもダメな男ばかり、というのも印象に残った。
「嫁ぎ」に象徴されるように、簡単に引き返せないような事柄に身を投じるエネルギー、勇敢さ、芯の強さは、男性社会のなかで女性に文化的に育まれたものなのかもしれない。
昨今では、結婚を就職になぞらえる向きもあるけれど、かつての日本社会はいったん他の家、姑の支配下に入ったら最後、そんなに生易しい現実ではなかったはずだ。
男性は芯がないくせに保守的で臆病だからこそ外の世界を渡り歩いていて、仮に失敗してもギリギリホームにもどってこれる、みたいに何か安全弁のようなものを男性社会そのものがもっていた。ふるさとの家業を継ぐなんて選択肢が30代くらいの人生の岐路に用意されているとかね。
一方、女性は嫁ぐにしても出戻るにしても自分の居場所を確保するには厳しい世界。
「嫁ぐ」という習慣、因習、宿命から生まれた、抑圧される女性の生きるエネルギーが、むしろ社会を変える力になってゆく。
これはなかなかパラドックスだと思った。
翻って、旅行好きの女性について思うことは、ホームグラウンドからアウェイな世界に飛び込むという意味で
かつての日本によくみられた嫁ぐという宿命と旅は似たところがある。嫁ぐ行為が違うのは、それが片道切符であり、二度と戻れない覚悟が必要だということだ。
若い女性にとって、日常空間から飛び出す、という旅行体験は、やがては「嫁ぐ」という運命が現実世界で待ち構えていた時代には、疑似的に自分の覚悟や能力を試す場としてより大きな意味があったかもしれない。
希望がもてなければ、いずれにしてもアウェイな世界で生きる宿命ならば、
いっそのこと、旅先の現地でとどまって残りの人生を過ごすことも選択肢としてはあり、くらいの感覚が深層心理にあるのではないかと妄想する。
一方で、男性のほうは、ホームグラウンドである故郷というものが概念として存在していた時代(都市に何世代も定着した人口が急増したここ四半世紀より前の20世紀)は、旅というのは、違った意味を持っていたと思う。
かまやつひろしの歌で「どうにかなるさ」というフォークソングがある。
「見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ」
この世界観は、瀬戸の花嫁のようなアウェイな世界で生きる覚悟は感じられない。アウェイでもどうにかなると思っているのだ。
なおかつ、ホームグラウンドを出て行ってもなお、温かい視線を旅人である自分に向けてくれていると信じているのであり、「男はつらいよ」のフーテンの寅さんとほぼ同じ世界観だ。
そういえば、寅さん映画も、旅先での関係性を持続できないということがひとつの大きなテーマになっていることに気がついた。
民俗学者の宮本常一は、故郷を捨てて放浪する旅人を考察した文章のなかで、そうした旅人が
地元を去って放浪した末に、やがてひょっこりと故郷に戻ってきて、旅先で得た経験や新しい知識を広め、地域の活性化に寄与する機能を果たしていたことを、
世間師というのは、故郷側の人間が出戻りの人間に対して名付けた呼び名で、一種の敬意が込められている。
嫁ぐということが待ち構えておらず、ゆくゆくは地域社会でリーダーシップをとっていかなければならない男性の潜在的な意識として、旅は武者修行であったり、広く見聞を広め、世の中の解像度を上げるための行為だったのかもしれない。会社組織が全国各地の赴任経験を重視しているのも同じ価値観といえる。
かつて東南アジアへのセックスツアーなどがあったように、赴任先、旅先で恥をかき捨てるのも主に男性だ。
男の旅というのは、ちまちましたもので火遊びのようなもの。家から離れて外の空気を吸いたいというものだ。近所のスナックだったり、家庭が壊れないようにという不安があるからあまり大きなことはできないが、脇が甘いから夫が捨てたラブホテルのマッチを妻がゴミ箱から発見してしまう。やまだ紫の「しんきらり」という漫画では、そんな情景が描かれていたのを思い出した。
しかし、この四半世紀、女性の社会進出や、結婚観は大きく様変わりし、嫁ぐということを前提としない将来像を女性が模索する時代になった。
テレビドラマも、90年代以降、女性の社会進出を反映して、トレンディドラマに代表されるように、キャリアウーマンがオシャレなレストランで食事する、みたいなシーンが増えた。
東京ラブストリーとか。憧れのロールモデルが描かれるようになったということだ。ドラマの世界にあこがれる、ということが90年代まではあり得た。
しかし、現実の女性の社会的地位はどうだったかというと、総合職課長以上に登れるのは一握りで、相変わらず賃金格差があり、お茶くみやらと男性社会における旧態依然とした女性の役割が押し付けられていたのが現実だ。その現実を90年代のドラマ「ショムニ」でよく表現されていたように思う。
しかし、時代は変わって、憧れの東京に向かって、急速に人が流入しつづける時代は終わりつつあり、受け入れるキャパもなくなってきた。
中長期的には東京一極集中のトレンドは変わらないものの、それは不動産価格のトレンドに連動したもので近隣県から流入が中心。一方で、田舎というベースをもち帰省が必要な人というのは減っているのではないか。首都圏の人は首都圏で世代を重ねるし、地方の人は地方で価値を見出し、仕事をみつけ、結婚し、次世代を育てる、という人口流動の安定期になってきたようにも思う。帰省という形でつながっていた地方(ふるさと、ホーム)との関係が途切れてきているといってもいい。
そうなると、都会の人間が地方に見出す価値というのものというのは、失われた関係性そのものに重きがおかれるようになるのは自然なことだ。
その結果、その後に続くドラマの傾向としてみても、女性の理想像ではなく、もっと実態に即した現実を映し出す、自分探しのようなドラマが増えていったように思う。
一昨年のドラマ「ファーストペンギン」とか「ユニコーンに乗って」なども、スタートアップ企業をテーマに女性の自画像を模索した作品で、近年の傾向を象徴しているように思えた。
「ファーストペンギン」のように地方移住をテーマにした作品は、アウェイな環境で女性のポテンシャルを試そうとするという意味では、「嫁ぎモデル」の延長線上にあるような気もするが、都会との関係性が交錯しながら物語が進むところに、考えるヒントを与えてくれるドラマではあった。
そんなことをおもった。そもそもの旅行の話からはかなりズレてしまったけれど、女性が旅に何を見出しているのか、というのは女性の人生観ということと絡めて考えてみると、興味深いテーマだとは思う。
とりとめもないメモです。
ずっと誰にも言ってなかった話、インターネットだからこそ打ち明けると、高校生の時にお父さんと喧嘩して以来一言も喋ってなくて、そのまま27歳に突入した。
10年経ったわけだしそろそろ雪解けの時期かと大人になってから初めてお父さんに向けたお土産買った。
今度帰省する時渡すつもりだけど、10年以上話してない家族ともう一度話すにはどこから始めたらいいのだろうか?
前に祖母の葬式で会ったのが最後で、その時にコース料理の最後に出てきたデザートを私に渡そうとしてきたのが印象に残っている。たぶん私が喜ぶと思っての行動。断ってしまったけど、不謹慎だがこのまま私かお父さんのどっちかが死んだらこのことをずっと後悔する気がする。断られた時の切ない顔が忘れられない。
人を一概に嫌うことは正直どうかと思う。
躁鬱の人はその人なりに苦しんでいるのだろうし、改善しようとしている、人もいる。
だから自分は、せめて嫌悪を表に出さないように、面倒だ嫌だと口に出さないように努めている。
ただ、自分と受け入れられない立場の人はどうしても居る。嫌だと思うに足ることもある。
だから、躁鬱の人が嫌いだと思うことを許して欲しい。
たまたま話をしている最中に話題に出たから知ったのだが家が近い。
だから時間が合えばご飯も行く、映画を見に行ったりショッピングしたりもするようになった。
こうして実際に対面して遊んでいる時は楽しいのだが、問題は繋がった理由でもあるTRPGをする時のことである。
(追記)
人によって症状が様々なものであり、類似した病気の症状や、友人の性格が重なって躁鬱の症状だけではないだろう、いうことは承知している。
以下に記載する具体例にもこれは躁鬱が理由ではないとなる箇所があるかもしれない。
書いている人のただの知識不足のため、不適切な文があればご指摘いただければと思う。
先に言っておくが、これを書いている人はCoC
・野良の人とやると、誰が聞いてもヤバい人によく当たる。セクハラとかダブルブッキングとか...
・上記のため、それなりに信頼できる人としかプレイしないようにしている。
である。
クラシックや野良勢とは毛色が違う、有り体に言えば最近よく見るTRPGプレイヤーの愚痴だと思って欲しい。
(以下、主語が大きくなりそうな箇所は『セッション』と記載する。全部のTRPGシステム、CoC卓でこんなふうになる訳ではないだろう。)
話は戻るが、この友人やたら踏ん切りがいい時がある。
多分躁の時...だと思う。詳しく知らなくてごめん。
この踏ん切りの良さで何かいい決断が出来ればいいのだが、「人と縁を切る」ということにこの潔さを使ってくる。
これをセッションをする際やられて何が嫌って、その縁切りで自分を含めた仲間内に亀裂が入ることだ。
私は先述した通りある程度信頼してる人としか遊ばない。そのためコミュニティも固まりやすい。
Aさん、Bさん、Cさん、自分で仲良くしていた
→AさんとBさんが喧嘩して絶交した
→Cさんと自分はA・Bそれぞれと仲が悪いわけではないからどうしたものか
という状況。
これが「遊びとしてやっているはず」の「ゲーム」を「一緒に遊んでいる仲間」でやられるのである。
生活の中、それこそ学生生活の中でやられたら今後のためにも話し合いなどが必要だろう。否が応でも顔を合わせるのだろうし。
遊びの範疇にある関係では話し合いは必須ではない。当の本人たちがもう連絡しない、とXなりdiscordなりをブロックすれば全て終わる。
つまり縁を切ったら最後、余程のことがない限りその関係の修復はほぼ無理だ。
そのためただただ周りの人間が困るだけなのでガチで迷惑行為である。
そしてこれに対して、悪いとは思ってるけどこれ以上耐えてたら自分が苦しくなる...どうしようもなかったから...と言ってくる。
縁を切りたくなる気持ちはぶっちゃけ分かるが、縁を切った原因などを聞いていると、そこまでしなくていいのではないかと思う。
遊びのスタンスとか性格が合わなかったからこれからは遊ばないかも、でも今までのは楽しかったから今までのことを話したりはするかもしれないね、とか言ってぼんやり自然消滅を待てばいい。
(今までのゲーム体験がまるで少しも楽しくなかったのであれば対処のしようがないが、そうでは無い様子のため今回は省く。)
そうすれば周りの人間は、過去のシナリオの思い出話について口を噤まずに済む。多少気は使うが、このあと自分たちどうする?と巻き込まれた人間たちで困惑するよりよっぽどマシだ。
地雷を踏まないように話すのも、自分の聞きたい話が聞けないのも、話したい話ができないのも、なんで遊びにこんなに労力を使っているのかと馬鹿らしくなってきてしまった。
そして他にもでてくるTRPG遊び方の話として、よくXなどでも話を見るが、遊ぶ日の話である。
ゲームの特性として話し合いなどで時間が変動する上、そもそもの話が長い(ものが多い、最近は...)せいで、予定を先に数日確保しないといけない。
まして自分は社会人なのだが、仕事の繁忙期で予定を入れられなかったり、帰省する予定を入れていたり、会社の付き合いがあったり...などの『外しづらい用事』がある。
それは数ヶ月前に言われるものではなく、良くて数週間、悪くて数日前に聞かされる。
セッションに関わる人が多いほどこの『外しづらい用事』がパズルのようになって予定が入れづらくなる。そのため先の日付を話し合って何日分も押える事になる。一朝一夕でこの日が偶然みんな空いているからそこで、と決められるのはまぁまぁ稀である。
今これを書いているのは3月だが、既に同年10月からしか予定が入れられないとのたまう人がいる界隈において、この『外しづらい用事』は何故か足枷になる。当たり前だと言うのに。
自身は『外しづらい用事』を除けばそれなりに日に空きがあるのに、他の人間がセッションの予定を詰めすぎているため、全員が合うところを探した結果セッション予定が何ヶ月も先になったりする。
話は戻り、その友人は気が乗っている時にすぐ先を先を、新しい予定を入れたがる。そして渡された情報(昨今は秘匿シナリオが多いため秘匿情報など)で、躁鬱で波打つ気を紛らわす。
ひとりで勝手に色々予定を入れるのは構わないが、ここでおおごとになるのが先程の『外しづらい用事』である。
この用事が入って先に決めていた日を少しずらして欲しい、という話を出した瞬間「前から決めてたよね」と言われ不機嫌になるのである。
そっちは実家に暮らしながら融通の効く仕事をして躁鬱をコントロールしているのだろうが、こっちは日々を生きるために仕事をしないといけないし、仕事でうまくやるために付き合いもしないといけない。
「急用なら仕方ないけど」と言われるが、そもそもの話そっちが自分の気を紛らわすために各所から予定を入れているせいで、自分の空きがこんなにあるにもかかわらず、先に予定を入れないといけなくなっているのである。
出来ることなら1・2ヶ月先に約束をするだけでありたいのに、4ヶ月ほど先を見据えないといけない。
(自分の場合数ヶ月他のプレイヤー同士の予定が合わなくて何も無かった月がある。)
配信だって見たいし、グッズの通販はサーバーが落ちる前に時間速攻で入って買いたい。
ただこういった版権の用事はセッションをするに都合がいい『土日祝日』『夜20時以降』などに入りやすい。
先述した『外しづらい用事』にさえ苛立ちを見せてくる人間にこの版権の用事で日をずらして欲しいなんて言ったらどうなるか、想像に難くない。
「自分が行きたいライブで、ほかの人たちと合わせた予定を潰すのか」「たかが配信、通販ごときで時間を遅らせるのか」と行ってくる。
だが、自分が仕事をしているのは日々の生活を送るためでもあるが、版権の趣味があるからこそでもある。
どちらかに重きを置くかは自分が決めるもので、他人にこっちを優先しろなんて指図されるいわれはない。
しかし他の人も巻き込むわけだから当然失礼だ申し訳ないなとは思う。だから代わりにたくさんある空いている日を出せるとも言っているし、全員の空いている日がわかっていれば代わりにこの日はどうかと提案もしている。
それで受け入れはするものの納得はせず、その挙句「自分の趣味で日をずらしてくる人の気が分からない」と言ってくるのが本当に嫌なところである。
おそらくこの友人の性格でもあるのだろうが、特定の人に依存しやすい。
この特定の人に依存しやすい人がいる複数人セッションは絶妙に楽しくない。
依存対象の人物がメンバー内にいる可能性が多いし、その人が作ったキャラクターに対して執着することが多いから。
この人が作ったキャラが好き、と無意識に関わりに行っているのをよく見る。
元からAとB、CとDで仲がいいと指定されているのであれば構わないが、そうではなく全員で仲がいいと言われてるものに何故か関係性を持ち込んでくる。そしてその2キャラが可愛いと猫可愛がりするわけだ。
そしてゲームシナリオ内で依存対象の人物以外のキャラと仲がいいと指定されると、その2キャラの組み合わせに対して特に何も言及しなくなる。
言わば学校などでペアを組む際に自分が組みたかった人と組めなくてペア行動にやる気がない、といった様子だ。
こっちは円滑に話を回すために仲がいい体で話をし、動いてくれるように機嫌をとらないといけない。そうしないと周囲に迷惑がかかるためだ。
何故そうまでしないといけないのか。
自分の作ったキャラがちやほやされないとやる気をなくすその友人の性質も相まって一つ一つの場面にいらない気を使わざるを得ないのがストレスで仕方ない。
病名がついている人に気を使わないとこちら側が悪い人になるのか?自分は何もしてないのに?ただ巻き込まれているだけだというのに?
この友人が他人と縁を切って巻き込まれるのも複数回経験している。なんでこんなに毎回私が嫌な思いをしないといけない?
その人が自分で自分の機嫌を取れなくて周りに迷惑をかけるのを、リードを引っ張る役目なんてない。
なんで遊びにおいてきょうだい児みたいなことをしないといけないのか。
ここまで読んだ人は恐らく「そんなに嫌なら縁切れば良くない?」「距離置けば良くない?」と思うかもしれない。
しかし先述したが縁を切るとほかの周囲に迷惑がかかる。自分が経験してるからこそ、そんな事はしたくない。それなら我慢してこうやって時々毒抜きをするだけの方が余程いい。
距離を置こうにも、その人に対して適切に対応が出来ていたのか「複数人で遊ぶならセッションに呼びたい」と判断されているせいで距離が置けない。
お誘いも断ればいいと言われそうだが、既に誘われているメンバーが自分と仲がいい友人だったりすると断れなくなる。自身の性格のせいかもしれないが、そこに好きな友人たちがいるなら1つの嫌な事情に目を瞑れば円滑に進む。
TRPGをしていて、今まで書いたきたことに少しでも心当たりがあるなら周囲のためにも少し自分の様子を見直して欲しい。
辞めろとは言わない。そんなことを言う権利はない。
だから、予定を見返してみたり、人様が言ったことに過剰に反撃してないかとか、そういうのを見てほしいなと思う。
躁鬱は盾にはならない。
画面の向こうにいるのは人で、自分のためにゲームをしてくれるCPUじゃない。
理不尽な事を言われれば腹が立つし、軽んじられれば情をなくす。それを忘れた時が縁の切れ目だと今一度自覚して欲しい。
毒抜きのためのものであり、もしこの長い文を読んでくれた人が居て、なにか反応があって、自分の中の認識が改められたらと思って書いたから。
気が済んだら元より消すつもりである。
ありがとうございました。