はてなキーワード: 自殺願望とは
その友達とはネットで知り合った。リアルで会った事はないけど、付き合いは長い。
その子は年齢詐称でなければ私と同じ20代で、今は無職らしい。加えて承認欲求と自己愛が異常に強いメンヘラちゃんで、虚言、自己中心的、ヒステリー、嫉妬で他人を貶める…など数々の問題行動(?)を頻繁に起こすから色々なコミュニティで揉めては孤立って流れを過去に何度も繰り返してきた。twitterでも自傷や自殺願望をほのめかすとかの病みアピールがしつこいとかかまってちゃんすぎるとことかそういうので嫌われて孤立→垢削除→転生を繰り返しているような子。私はその子の性格が本当に、反吐がでるほど嫌いなんだけど、それでもずっと友達づきあいを続けてる。理由は単純。隣で見ていて気持ちがいいから。
実は私も昔からメンヘラ気質なところがあって、実際高校生の頃付き合っていた先輩に二股をかけられてた時は自傷行為がやめられなかったし、でも精神的に依存してたから別れるのは嫌でずっと粘着して嫉妬して、毎晩しつこくLINEしたり束縛したりとか本当に相手の気持ちを考えないような嫌なことばかりするゴミみたいな女だった。社会人になって二年しないうちに上司から毎日嫌味言われたりただただ不快なだけのいじりがしつこくて辛かったっていう他人から見たら本当につまんない事でメンタルやられて仕事一回辞めちゃったし、その時発症した精神疾患がまだ完治できてなくて今の職場でも薬のお世話になりながら働いている状況。人見知りが激しいのが大人になっても直せなくて友達も指で数えるくらいしか作れてない。高校の頃のことがあって男性が苦手になって以来彼氏がいない…って言い訳してるけど、本当は自分もメンヘラだし嫉妬深いし十分気持ち悪くて最低な女なのに人間不信になったとか言って一方的に男性側のせいにしてるだけなんだって分かってる。
私はそんなクズみたいな人間だから、どうしてもその子に自分を重ねると安心してしまう。もし私が仕事を辞めてひきこもったままだったり、人目を気にすることをやめて自堕落に肥え太ったり、人の気持ちを考えたり空気を読むことを放棄して自分のエゴばかり他人に押し付けるようになった結果の姿、最底辺まで落ちぶれた私の末路みたいなものが今の彼女の姿なんだと、最近はそう思っている。シュミレーションとかテストケースみたいな感覚になるのかな?だから、ちょうど実験体みたいな彼女がどんどんダメになって荒んでいく姿を見たら凄く気持ちいい。それかもしくは他人のはずなんだけどその子が苦しむことが一種の自傷みたいに思えて、なんだろう、見てて心がすっと晴れるような気持ちになる。
あの時再就職の為に努力をしなかった場合の私や、メンヘラをこじらせたままの私が今こんなネットでも嫌われ者リアル社会でもゴミ同然の扱いをされて親にすら見放されたヒキニートになってる、でも私はそうじゃないし、絶対絶対そうなっちゃいけないって思える。だからどんなに辛くても仕事頑張るし、あの子みたいに自分勝手に人を悲しませたり虚言を繰り返すような真似はしない。拒食症もカウンセリング通って治したし、人見知りでコミュ障でどれだけ苦痛でも絶対ひきこもって現実逃避するような真似はしない。毎日自堕落にゲーム三昧で体重70kgオーバーお風呂は数日入らない部屋は汚いほうが好き、なんて恥ずかしい女性には絶対ならない。
散々ヒドイこと書いちゃったけど、自分の嫌いな部分を全部ごった煮にしたような彼女の姿が、こんな自分から脱却したいっていう強い気持ちをいつも与えてくれたから今なんとか社会復帰して頑張れてる私がいる訳で、そう思うとあの子には感謝してもしきれない。あの子と知り合えたお陰で私はいっぱい変われた。私の代わりに失敗してくれてありがとう。変わる努力をしなかった場合の私の姿を人生ドブに捨ててまで私に見せ続けてくれてありがとう。貴女と出会えて本当によかった。これからもずっと友達でいようね。大好きだよ。
あらゆる物事がないほうがよいって考えは拡大された自殺願望みたいなものなんだけど、
その背景にあるのは永劫回帰っぽい考えと自然選択がアプリオリっぽいって考えなんだよな。
永劫回帰っぽい考えってのは、これから先も自分の同類が苦しみ続けるんだろうなあみたいな。
自然選択がアプリオリっぽいってのは、物理法則とかはむしろたまたまそうなってるって感じるけど、
自然選択みたいなのはどこでも当てはまりそうって感じるっての。
どんな願いでも叶うとしたら、あらゆる物事をなくすのほうが確実だろうが、
ベランダの片隅
日々の生活では、自殺をする人間を目の当たりにすることは基本的にない
自ら命を絶つ人間は、多くが人目につかず死んでいく
街ですれ違う人々の一体どれほどが自殺願望を持っているのだろうか
人の心は目に見えない
仲間意識的に、そう思うことで救われる部分もある
死が蔓延しすぎている
埃の積もった本棚の片隅にも、しばらく干していない布団にも、少し前に着なくなったコートのポケットにも、死が存在しているように思えてしまう
すぐに手に入れることができる距離に存在しているように錯覚してしまう
それを手に取るということを徐々に恐れなくなる
少しずつ手を伸ばして、あるときハッとして手を引っ込める
この行為を繰り返す
そのうちに、無意識のままにこの手で掴んでしまいたいと諦めに似た感情が沸き起こる
それに触れることを我慢して、生きてきた
それでも、もう限界だと思ったら、きっと拾ってしまう自分が確かに内在している
2〜3年前からずっと漠然とした希死念慮・自殺願望が頭の中から消えない。
でも家族や弟には心配かけるから死にたいとかは言わずに普通に振る舞ってる(つもり)。
昼あたりは仕事もしてるしあんまり出てこないんだけど、こういう深夜とかお風呂入ってるときとかに唐突に希死念慮がやってくる。
一度出てきた「死にたい」って言葉を呑み込んでなかったことにするのは時間がかかるしつらい。
治療するには心療内科や精神科とか行かないといけないんだろうけど、こういうとこって結構勇気出さないと行けないよね。
まぁタイトル通りなんだけど、寒い時期に辛いことが重なると死にたくなる。
でも毎回楽で確実な死に方を考えてはあれがダメこれがダメと迷っているうちに暖かくなったり気分が上向きになったりで生き延びてきた。
いま、また死にたい気持ちが強くなっている。SNSの過去の投稿でもこの時期は毎年のように死にたいと言っている。
今は仕事が辛い。転職して4ヶ月、仕事も少しずつ覚えてきたところへ教えてくれていた人と2人で回してた仕事をいきなり一人でやれになってしまった。
当然仕事が回らない。残業しても終わらないままタイムリミットで帰宅して、また翌日続きから。
今は閑散期で暇な内容なんだけど、それですら強制的に定時で帰らされる日以外は二時間残業しても追いつかない。
そんなこんなで仕事が遅れ続ける。
教えてくれてた人は別の部署に行きながら、機会を作ってこちらに見に来てわたしの仕事をチェックする。
言ってはなんだが、この人が仕事はかなり色々できるのだが、教えるのに向いてない。ボキャブラリーが貧困。伝わるように説明できない。
そんなこんなで仕事はずっと長いトンネルを走り続けているように感じる。そこから逃げたい。
いままでなんだかんだで働いてきたけど、正直に言うと仕事が嫌だ。
働くことそのものが嫌だ。働かなくてもやっていけるお金があるなら迷わず働くのをやめる。
こんなの多くの人が感じたり考えたりしていることだろう。
他にもいるかもしれないけど、わたしの場合は自殺願望がついて回る。
嫌なことから逃げる。嫌なことを否定する。そのために自殺を考えるまでがワンセット。
毎回、楽で確実な死に方をいろいろ考えては理由をつけてあれができないこれではだめだで、実行に至らない。
近日の予定を済ませてから死のうと考えては日延もしている。
こうしたことをしているうちは死ねないんだろうなと思うけど、毎年冬場にやってくる低迷した気分は年々重苦しくなってきている。何歳まで生き延びるのか、どういう死に方をするのかはまだ不明だが死に甘美な期待をいだきつつ生き延びそうなんだよね。
自殺願望があるなんて可哀相に
有川浩の人気シリーズ「図書館戦争」の別冊Ⅱに水島というキャラクターが登場する。
郁の後釜で柴崎の同室となった女子。容姿は地味。性格は卑屈でコミュ障でKY。友達は少ない。真面目なだけが取り柄だがそのKYなまでの真面目さで柴崎からひたすら疎ましがられる。そして卑劣な犯罪に手を染め、供述で痛い勘違い女ぶりを披露し、誰からも共感されない惨めな悪役として終わる。
その散々な描かれ方に、水島気持ち悪い嫌いという声に混じり、同じく地味でコミュ障を自称する女性読者から「水島同情論」が聞かれたりする。(私もその一人だ。彼女達の発信を読むまでは、作中の嫌われ者水島に同情し柴崎に対して僻む自分を認めたくなく、「じ、自分はここまでじゃないし!…多分」と思い込もうとしていた)
しかしその同情論は、あくまで卑屈で真面目なだけに大それたことはできないはずの水島に対してであり、卑劣な犯罪に手を染めた勘違い女の水島に対してではない。正直私も、卑屈な筈の水島が自分が手塚に愛されてると思い込み、柴崎に対してあれ程固辞していた呼び捨てをしながら嫌悪と侮蔑を容赦無く露わにする様は、これまでの水島のキャラとちぐはぐな印象を与えた。「有川は嫌いなタイプをとかく貶めたいがためにキャラに合わなくとも悪者にすりゃいいと思ってんじゃないか」とすら思った。
でも水島の供述を読んでいると気づいた事があった。柴崎の言動全てを悪く受け取り、「柴崎はズルい」「美人だからって」「チャラチャラしている。手塚さんに相応しくない」と僻む様が、「真面目で不器用で善良な俺達がモテず、悪いイケメンヤリチンチャラ男DQNばかりがモテる」と僻む、ネットの自称弱者男性に重なったからだ。
水島は弱者男性の女性版だったのだ。いやもう、こんな言い方しないで弱者女性と言おう。
そう考えれば納得できる。「ネット上のおまえらと現実のおまえら」のように、水島も影ではいくら柴崎を悪し様に言えても貶められても面と向かってはおどおどするしかない。真面目なだけが取り柄で、恋愛面でも真面目に努力してきたつもりの彼女にとって、美人で簡単に近づける柴崎の存在は「ズルい」と思えたのだろう。
「若い女性に多い自殺願望☆地味な女子は負け?『別冊図書館戦争2』と座間9遺体・殺害された女性被害者について」
柴崎や手塚のような、顔が良くて優秀で皆に好かれる強者女性や強者男性は正しくて幸せになれて、一方水島のような弱者女性(や弱者男性)は悪役で惨め。残酷な程の対比は、水島タイプの弱者女性を益々卑屈にさせる。有川浩はこれに限らず、男女共に対してマッチョ主義な所がある。主要登場人物大抵顔が良いし。
弱者女性や弱者男性はその境遇ゆえにコンプレックスを抱え、性格がひねくれているかもしれない。好かれないのも仕方ない。弱者男性のお友達になると言ったエマワトソンも手に追えないだろう。では、彼ら彼女らが救われる方法はないのか?
これはフィクションです.実在の人物,団体などとは関係ありません.
今,大学院で研究室にいるんだけどハブられてるっぽい.なんとなくそれに気づいたのは向かいの席の奴が急によそよそしくなったこと.以前に一度いじめを受けているので知っているが,これは黄色信号.だいたいいじめとかって中核にいる奴と傍観している奴の2通りいて,向かいの奴は性格的に傍観しているタイプ.中核にいる奴らが陰口叩いているところを見て自分に矛先が向かないように保身のために無視し始めたりハブり始めたりする.今回は多分,中核にいる奴らがある程度大人なので,本人の目の前であからさまにハブいたりしていない.なのであまり気づかなかったが,傍観している奴があまりにも不器用であからさまな態度とってきたのでわかった.そんでもって今日陰口叩かれているのを聞いて中核にいる奴が判った.
1つは研究室内の同期が1人が数ヶ月前に中退したこと.彼は元々態度に問題があったため研究室内での評判が悪かった.で,まあありがちな話ではあるが,結束を高めるためのターゲットとなり,めでたくハブられて病んでしまってやめてしまった.特に彼と親しかったわけでもないが,陰口叩かれているのを見ててなんとなく居心地の悪さを実感していた.訳あって研究室内でちょっと外れているのがのが俺なので,次ターゲットにされるのは自分だなとちょっと思っていた.多分これから激化するだろうなということでヤバい.
もう1つは俺が今,うつ病真っ盛りってこと.これとは別件で文字通り布団から出られなくなって病院行ってうつ病であることが分かってた.正直言ってこの件のせいでパフォーマンスがだだ下がりしてる.進捗がヤバい.自殺願望はないが,研究室行くのがちょっとつらくなってきている.幸い,別のコミュニティにも参加しているので,そっちに逃げることでなんとかなるかもしれない.
で,感想なんだけど.人間誰しも合う合わないあるし,人間集まれば一枚岩にはどうしたってなれない.そんなことは百も承知である.でも人の悪口を共有し始めると上記のようなことが起きるんだなあ,みんなそこまで他人に興味があるんだなあなどと思ってしまった.
こっからは妄想.この状況で思い出したのが若松孝二の「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」.ここで描かれているような分派は言ってみれば人間の本性なんじゃなかろうか.研究室は言ってみれば研究内容で分かれたセクトなのかもしれない.当然その中は一枚岩たり得ないし,その中で不満が生まれるのもある程度は仕方のない.でも勘違いした連中が不満のない仲良しクラブを作りたがって枠に当てはまらない人を暗黙のうちに「総括」して,だから彼は研究室内で「敗北死」したんじゃないかな.決して死人が出たわけじゃないけど,なんかそう思った.
ああ,ここまで書いてて思ったが,やっぱり病んでるな,自分.全部被害妄想で,本当は誰も自分のことハブたりしてないじゃなかろうか.たまたまタイミングが悪かったりしただけなんじゃないだろうか.そう思いたい.大体,赤軍と研究室を結びつけている時点でどうかしている.端的に言って頭おかしい.人間社会に向いてない気がしてきた.
訳が分からなくなってきた.
妻の連れ子の事なのであまり他人である私が介入できないのだが・・・
(自分の子供じゃないので激しいのも親子の絆とも思えてしまう。子供本人からSOSがなく二人の関係が良好なので)
短気な母親を持つ小学生の話だが、私の実体験と比較して以下の点が気になるが虐待なのか教育なのか分からない。
1. テストの点数が100点じゃないと怒られる(怒鳴られたり、叩かれたり)
2. 世間的にそこまで悪くない事でも母親が嫌だと怒られる、怒鳴られる、稀に叩かれる
(私と比較した場合なので世間的という表現が間違っているかもしれないが)
3. 母親の好き嫌いが激しく、嫌いな母親の子供と遊ばせない(子供の交友関係=親の関係)
4. 自分が悪くなくても(例えば兄弟の過失なのに)いきなり疑われ怒鳴られ、叩かれ、突き飛ばされる
5. 嫌い、ムカつくとかネガティブ発言を母親が毎日の如く言う(周辺や子供に対し)
物的証拠(流血事件にもならないし、あざも出来る程ではない)が精神的には影響しているのではないか?
と思い観察していると連れ子は神経質で常に周り(親)の目を疑いながら行動しているように思える。
部分ハゲになったり、自殺願望がたまにあるそうだが発症のタイミングが怒られた時ではないので
外部環境の影響かもしれないし、具体的日頃の生活がどこまでこういった症状に関与しているかは不明。
精神を病んで5年以上にもなるおれは希死念慮という言葉を最近になって知った。
「自殺願望があります」よりも「希死念慮があります」と、言った方がかっこいい。
「自殺願望は無いけど希死念慮はあるんです。」なんて言ったらもっとかっこいい。
ああ、そんな事はどうでもいいんだ。
去年から今年に掛けての話をしよう。
珍しい体験と言ったら、整形に失敗した事とひかりの輪に潜入した事くらいだ。
まず、整形について。
「板野友美さんみたいに不自然にならないように、ナチュラル重視で」と、頼んだ。
プロテーゼを抜去して貰ったが、伸びた皮は今でも戻らないし、おれは笑いものだよ。
整形を考えている人がいたら言いたい。
「やめとけ。どうしてもやるならプチ整形くらいにしとけ」と。
ひかりの輪についてだ。
簡単に言えば、ひかりの輪とはオウム真理教を抜けた上祐が設立した新しい宗教団体である。
整形も失敗し、音楽の夢に挫折し、自殺を決意していたおれに「人生最後に何か面白い事をやろう」という考えが浮かんだ。
それで思いついたのがひかりの輪だった。
「麻原は死刑宣告を受け、その時までを惨めに檻の中で過ごします。しかし、私は思うのです。
私は公安に常に監視される身です。檻の中にいるのとそれ程変わらないのではないでしょうか。
そして、皆さんもあらゆる不自由の中に閉じ込められており、やがて老い病み死ぬ。
麻原と私と皆さん。実は同じような境遇なのではないか。これがひかりの輪の縁起の思想です。」
賛否両論あると思うが、おれは衝撃を受けた。
釈迦の教えの通り「一切皆苦」であり、自殺願望や希死念慮を抱く事は狂気ではなく実は正気なのではないか。
今は色々あってひかりの輪と絶縁してしまったのだが、良い経験になったと思う。
今日はこんな所にしておくか。
自殺した人が死にたいってメッセージを発してたってのら由々しき問題、それが自己ブランディングの一貫とか自分の闇属性アピールとして死にたいってのを全面に押し出してるパターンもあるとしか思えないくらい死にたいが溢れてて、なんだかなぁって感じ。
お前の死にたいで、本当に死のうとしてる人を救えんぞみたいな。
おまけに2児の母ですとも書いてる
色々おかしいと思うのは俺だけ?
自殺願望があるけど、ちゃんと付き合って結婚して子供を2人作るって筋が通ってなくない?
そもそも、自殺願望があることは良いとして、なんでそれをプロフィールに書くの?
相談すべきは医者だったりカウンセラー、サポートしてくれる家族じゃないとダメじゃない?
本人の状況を把握できないネットでの繋がりだと、無闇に周りの人が動くことになる。つらいって意味での死にたいなのか、これから正に死んでしまおうなのか区別が付かないでしょ?