はてなキーワード: 熱力学とは
まあ正しい反論を提示するだけならあなたのおっしゃるとおりですが
熱力学と統計力学まわりって「教える」「説得する」「納得させる」「次に興味を持たせる」の結構難しいんですよね
反論を一瞬で準備するのも僕には結構難しい
TA練習の一環でした
まあ冗長になってきたんで終わります
熱力学が強力なのは、あくまで「語りうることしか語らない」からです。
経済やら生物やらで本当に知りたい重要なことはダイナミクスだから
経済を語ろうとすれば、非平衡統計力学を完成するしかありませんが
これはかなり難しいでしょうね
もし完成でもしてしまったら、今の「経済学」「生物学」は単なる古典になって
個人的には
そもそも経済よりずっと単純な非平衡系についても統計力学は不十分なのに
一足飛びに経済をやろうとしても、それは学術的に自然な動機と言うより「経済」が重要だと思ってるからであって
あんまり成果が上がる感じはしないですね
もっとも非平衡系については別もんですし、先述したとおり「エントロピー増大」は平衡系の話なので経済に適用しても何の意味もないです。
「非平衡状態」で「エントロピー増大」が適用されないのは理解しましたが、
確かに、経済活動を一般的に単純な平衡状態に近似することは難しいでしょうけど、地域や時期を限ってみればそうみなせることは出来ないかな?と想ったわけですが。
まあ、実体経済自体をそうみなすことは難しいでしょうけども。
エントロピーの概念自体は、熱力学に限った話でなく、万物がそうである、といった話でもあると思うんですが、違うでしょうか?
(それがどこまで正しいかどうかでなく、そういった話もある。と)
まず、「概念」には定義が必要ですね。元々の「エントロピー」は純粋に熱力学、平衡系において定義されました。
そのあと、統計力学を創ろうとする動きのなか、情報理論において似た概念が定義できそうだと分かり、「情報エントロピー」といういくつかの定義がうまれた訳ですが
もっとも非平衡系については別もんですし、先述したとおり「エントロピー増大」は平衡系の話なので経済に適用しても何の意味もないです。
http://anond.hatelabo.jp/20130826045031
http://anond.hatelabo.jp/20130826044745
えーっと、私自身は素人だし、詳しく知ってると、主張するつもりはありませんが。
かたっぽの人は
いやいや、そのあたりの試みはもちろん知ってますよ。
ということで、その試みはあると認めてますが、それはいいんですよね?
もう片方の方は、多分、少し大学でかじった程度の決め付け人間なんでしょうけども。
エントロピーの概念自体は、熱力学に限った話でなく、万物がそうである、といった話でもあると思うんですが、違うでしょうか?
(それがどこまで正しいかどうかでなく、そういった話もある。と)
ちょっと検索しただけでも、経済をエントロピーの増大で説明しようとしてるものがいくつもありましたが。
勿論、経済の論文とかでないので、ただ勝手に言ってるだけのものも多いのでしょうが、そこまで否定したり、太陽どうこうという意味は分かりません。
勿論、自分はエントロピーを完全に理解してないですが、貴方方の言ってることと矛盾することもすぐ見当たりますので、よくわかりません。
横だけど、いかにも素人丸出しで見てて恥ずかしいのでそろそろやめとけ。
で、エントロピーは元々熱力学の概念だけど、それは色々な方面に発展して考えられてるものもあるし。
生物学にも取り入れようとした試みもあるし。
多分、経済にも取り入れようとした試みはあるんじゃない?
この辺とかが素人丸出し。「色々な方面に発展して考えられてるもの」とかいうのが意味不明過ぎるし、だから何だと言いたいのかも不明。
生物学は当然物理法則に従っているのでエントロピーは増大するシステムしかない。
「多分、経済にも取り入れようとした試みはあるんじゃない?」とかは単なる意味不明な思い込みからの無意味な推測に過ぎない。
シャノンのエントロピーとかを聞きかじって言ってるのかもしれないけど、情報エントロピーは別に増大則とか無い。ダイナミクスがねーからな。
いやいや、そのあたりの試みはもちろん知ってますよ。
ただ、情報エントロピーと熱力学エントロピーが一致するのは熱力学極限だけの話なのよ
うん、だからそういう話で良いと思うのね。
だから「経済」自体がその様に記述に値しない、というのであればね。
でもまあ、そこにいきなり太陽だとか出してくる話ではないじゃない?と。
あと、日本経済、とか見た場合にはとてもじゃないけどむずかしいかもしれないけど、
一部を見たり、ある期間で見たり、そういったので見える物もないかな?と。
で、エントロピーは元々熱力学の概念だけど、それは色々な方面に発展して考えられてるものもあるし。
生物学にも取り入れようとした試みもあるし。
多分、経済にも取り入れようとした試みはあるんじゃない?
連レスというか、理解のための補足説明ね。
そもそも熱力学的な意味での「エントロピー」ってのは平衡系でしか定義できない訳
平衡系⇒(途中の非平衡状態)⇒平衡系
っていうサイクルの最初と最後を比べると、絶対にエントロピーは減少しないっていう法則ね
だから非平衡系である現在駆動しているところの「経済」という系ではそもそも成立しない訳
今現在動いてる経済をマクロ系としてみたとき、それは平衡系ではない。
経済を成り立たしている価値の源泉であるところの「労働」が太陽エネルギーの流入に依存してるから。
http://d.hatena.ne.jp/m0612/20100414/p1
うん、まぁ言いたいことは分かる。
ただねぇ、その魚研究の教授さんを擁護したいあまりファビョって工学、農学、医学、薬学あたりにまで矛先が向いちゃってるのよ。
具体的には
「文明というものは人間の純粋な好奇心による知的探求から結果的に生じたおまけ、なんだったら排泄物でしかない。」
「真理を追究していたら、偶然にも文明がいっしょにぽろっと現れて、それの恩恵を人が受けている、それだけである。」
「はっきり言って人の役に立つなんて事は、真理を明らかにするという事に比べたらあまりにも矮小」
この辺ね。
ここまであからさまな実学ディスも珍しいからどこの理学部出かと思ったんだけど、ド文系の詩人さんだっていうからビックリよ。
基礎科学の例として化学が挙げられてるけど、あれは"金儲け"を念頭に置いた錬金術を始祖とする学問だからね。
どうもステレオタイプなイメージだけで語られてる気がするなぁ。果たしてどこまで理系の研究事情に精通してるのやら。
"人の役には立たないが、張本人らが楽しいからやってるんだ"という共通項を持った基礎科学研究者に詩人であるご自身を投影して自己擁護しているようにしか見えないのですよ(ただし、一口に"役に立たない"とは言っても前者は長期的に見れば人類に多大な恩恵をもたらす可能性もありますわな、ご指摘通り)。
まぁそれはそれで結構ですが、その過程で自分らとは相容れない人々、つまりは実学をやっている人間をも蔑むのはどう考えても勇み足。
まともに実学やってる人間は基礎科学(研究者のうちのほんの一部が残した偉大な業績)から多大な恩恵を授かっていることを日々痛感していますから、わざわざ基礎科学マンセーの実学sageされたところでねぇ。
んで引用した文言にツッコミ入れていくと、まず一個目ね。「文明は糞でしかない」と。言いますなぁ。あなたがその文章を綴るにあたってカチャカチャやったキーボードとそれに繋がってるパソコンね、そいつらを開発するのに一体どれだけの人間が汗水流したのかと。そもそもだよ、文明が芽生えるにあたって必ずしも"知的好奇心による真理の発見→実生活への応用"というプロセスが成り立っているわけではないんだけど。例えば熱力学ね。どこぞの文系さんがよ~く飛びつく"エントロピー"っつー概念、これは熱機関(エンジンみたいなもの)の研究から生まれたものなんですわ(カルノーサイクルでggってね)。機関車やらなにやらを動かすための動力、つまり実学無しでは基礎科学の一端を担う熱力学は発展しなかったわけ。
んで二つ目、「偶然にもぽろっと」… 力学の基本法則を押さえたからといってテキトーに金属片ガチャガチャやってるだけでロボットが作れるかっての。
そして最後の「矮小」 これねぇ、本気で人の役に立とうと頑張ってる人間に対してフェイストゥーフェイスで同じこと言えるの?
あなたが何をしたいと思おうか、何に力点を置こうが、自分は一向に気に留めませんが、その趣向を一般化しちゃいけんわなぁ。
ヒスを起こして無害な、というよりも有益極まりない人間に対してまで攻撃性を見せてしまう人間の方がよっぽど「暴力」的だと思う。
なんか、誰の役に立つのか分からんけど、私が高校生の頃にこういう説明があったら良かったなぁ……とふと思ったので書いてみた。
さて、大学の工学部機械工学科に入学するとしよう。基本的に機械工学科に含まれる研究分野は多い。もちろんそれには理由があるのだが、それでもほぼすべての学生が学ぶ共通の内容があり、機械工学科を卒業した学生に企業が期待するのはそれらの基礎知識である。そういう意味で機械工学は非常に実学に近いと言っても良い。
機械工学科の教員は本当に口を酸っぱくして「四力を身につけろ」と何度も何度も授業の度に言ってくる。古いタイプの教員ほどその傾向は強い。いわく、「専門分野の基礎がわかっている人間が社会では強い」、「四力が身についていなければ学科長が許しても俺が卒業させない」、云々。で、その四力というのは以下の4つの「力学」のことを指す。
機械力学というのはいわゆるニュートンの力学でいう「剛体の力学」で、弾性・塑性変形しない対象がどのように運動するかを扱う。振動工学とか解析力学とかはだいたいこの延長線上で学ぶ。高校の力学に微分積分を足した感じだと思えばいい。
熱力学はマクロで見た気体や液体の持つエネルギーを対象にする。これも微分積分やエンタルピー・エントロピーの概念を除けば高校で学べる物理とそう大差はない。次の流体力学と合わせて熱流体力学というジャンルを構成していることもある。統計力学は熱力学の延長線上で学ぶことが多いが、量子力学とともに挫折する学生が非常に多い。
流体力学はその名の通り気体と液体を合わせた流体の運動について学ぶ。航空関係の仕事がやりたいなら必須。多くの近似法を学ぶが現実にはコンピュータ・シミュレーションが用いられるのであまり細かく勉強しても役に立つ場面は少ないかもしれない。下の材料力学とは連続体力学という共通の基礎理論を持つ遠い親戚。
最後の材料力学は、弾性をもつ(=フックの法則に従う)固体の変形が対象。建築学科とか土木工学科だと構造力学という名前で開講されているが、内容はだいたい一緒。これも多くの近似が含まれる体系で、実際にはコンピュータを使った有限要素法でシミュレーションする場面が多い。とはいえ基本を大学学部時代に学んでおくことは非常に重要。
で、これら4つの科目がどう生きてくるかというと、たとえば20世紀における機械工学の結晶であるところのエンジンの設計なんかにはこれら全部が関わってくる。機械にかかる荷重や振動を解析し(機械力学)、エネルギー効率の高いサイクルを実現し(熱力学)、吸気と排気がスムーズに行える仕組みを作り(流体力学)、これらの条件に耐えうる材料を選ぶ(材料力学)。もちろん就職したあとにこれらすべてに関わることはないし、実際に使える高度な知識を教員が授けるわけではないが、機械の設計に際しては必須の基礎知識ばかり。とはいえ後のように四力から直接発展した研究をしているところはまれで、院試のために勉強したのに後はもう使わなくなった、なんてこともままあるわけだが……。
なお高専からの編入生が入ってくるのは2~3回生なのだが、彼らはすでに四力を身につけていることが多く、運が良ければ通常の学部生からは羨望と尊敬のまなざしを勝ち得ることができる(しかし英語ができないので研究室に入ってから苦労することが多いようだ)。
高度な数学や電磁気学であったり、機械加工や金属材料や設計に関する専門的な知識もカリキュラムに含まれることが多い。みんな大好きロボットは制御工学の範疇で、これは四力とは別に学ぶことになる。ロボット=メカトロのもう一つの必須分野である電気電子系の講義はほとんどないので独学で学ぶ羽目になるが、微分方程式が解ければ理解にはさして問題はない。プログラミングや数値計算などの授業は開講されていることもあるしされていないこともある。とはいえ機械工学科を出てガチガチのプログラマになることはほとんどないし、教えてくれてもFORTRANか、せいぜいCが限界である。さすがにBasicを教えているところはない。……ないと信じたい。
実習や実験がドカドカと入ってくるのは理系の宿命なのだが、特徴的なのはCADの実習。おそらく就職したら即使う(可能性がある)ので、研究室に入る前に一度経験しておくといい。もちろん実際にCADで製図するのは専門や工業高校卒だったりするのだが、そいつらをチェックしてダメ出しするのは大卒なり院卒なりの仕事になる。
四力を身につけたらいよいよ研究室に配属されることになるのだが、基本的に四力を応用した分野ならなんでも含まれるので本当に各研究室でやっていることがバラバラ。隣の研究室が何をやっているのかは全くわからない(もちろんこれは機械工学科だけではないとは思うが……)。そのため学科のイメージを統一することが難しく、どうしてもわかりやすいロボットなんかをアピールすることが多くなってしまう。とはいえそういう「わかりやすい」ことをやっている研究室は少数派で、実際は地味なシミュレーションや材料のサンプルをいじくりまわしているところが多数派である。最近は医療工学系の研究をしているところが増えたらしいが、光計測だったり材料物性だったり航空工学だったり、あるいは全然関係ないシステム工学だとか原子力工学の教員が居座っていることもあるようだ。こういう教員を食わすために機械工学第二学科(夜間向けの第二部ではない)が設立されたり、環境とかエネルギーとかが名前につく専攻が設立されたりすることがままある(昔は学科内に新しく講座を作るにはいろいろと制限があったらしい)。そういうところは(上位大学なら)ロンダ先として利用されるのが常で、そうした研究室を選んでしまった学部生はマスターの外部生の多さに面食らうことになる。
とはいえいろいろ選べるならまだマシな方で、大学によっては計測か材料かしか選べなかったり、工業高校ばりの金属加工実験を延々とやらされたりすることもある(ようだ)。やりたいことがあるならそれをやっている大学に行け、とは機械工学科志望の高校生のためにある言葉かもしれない。
そう、就職は非常にいいのだ。「学内推薦が余る」という噂を聞いたことがある人がいるかもしれないが、まぎれもない事実である(とはいえ最近は上位校の推薦でもガンガン落としまくる企業が増えたようで就職担当も頭を抱えているようだが)。機電系なる言葉が広まったのはネットが登場して以降らしいが、機電系=機械工学系と電気電子工学系、というぜんぜん関係ない2つの学科をまとめてこう呼ぶのは、それだけこの国の製造業でこの2学科出身者が必要とされているということだろう。我らが機械工学科の後輩たちのために、これからも経済産業省には「モノづくり立国」なるわかったようでよくわからないスローガンを推進していただきたい。
inspierd by http://anond.hatelabo.jp/20110929232831
追記:あえて上位と下位の大学の事情をごっちゃにして書いているので、受験生諸君はあまり鵜呑みにせず自分でリサーチするようにお勧めする
・1990年刊。直訳すれば「豊かさのてこ」だが、内容を勘案して邦訳するなら「技術革新の文明史」かな。日本にはあまり紹介されていないが、著者は経済史分野では世界的に著名な研究者。「THE LEVER OF RICHES」はその代表作で、世界経済史に対する独自の解釈と、包括的なサーベイとしてのまとまりのよさを両立させている名著だ。
・「なぜ近代の技術革新が西洋(特にイギリス)で起こって、他の国々ではなかったのか」がテーマ。この問題を解明するためにまずは過去2500年分の人類の文明史を振り返って検討する。次に、このテーマについて検討する。
・西洋世界の勃興に関しては、様々な人が様々な観点から評論しているが、本書では技術革新というファクターを重視する。なぜならば経済学の研究がしめすように、技術革新こそが経済成長の主たる要因であったからだ。イノベーションは、労働や資本などの具体的な資源制約とは無関係に人々の富を拡大させる「フリーランチ」なのである。
・古代(B.C.500~A.D.500)。ローマ、ギリシャ、ヘレニズム文化の時には革新的な発明はあった。たとえば紀元前に活躍したアレクサンドリアのヘロンは今でいう蒸気機関や自動ドア、自動販売機に近い装置を発明して、オーパーツとすら言われている。しかし、そうした発明の多くは未発達のままにとどまったか、破壊されたか、忘れられた。ローマ人は高度な文明をもっていたと言われるが、その技術はかなり未発達で、革新速度も遅かった。
・中世(A.D.500~1150)。農業面での革新は、農業効率を向上させる重すきと三圃制。エネルギー利用も多様化し、水車や風車も工具の研磨やビール醸造や皮のなめし用などいろんな分野で使われた。11世紀の南イギリスには、50世帯にだいたい1つは水車があったというから驚きだ。馬や船はそれまで戦争の道具としてつかわれていたが、商業目的にも利用されるようになった。そのため蹄などの馬具の改良や積載能力の向上が図られた。
・紙は西暦100年頃に中国で生み出され、イスラム社会には8世紀頃に到来し、西洋にはそのあとに伝わった。時計や冶金などの金属加工技術も、東洋→西洋への技術移転の流れだった。この頃は自らがあみ出した技術というよりも、ローマ期の技術の遺産か、東洋の技術を拝借したもも多かった。ヨーロッパ世界はそうして先進技術を異文明から柔軟に吸収し、それを自己流に応用していた。ヨーロッパの中世は停滞といわれるが、実はその後の技術発展に向けた種まきがされていた時代でもあった。
・近世(1500~1750)。ヨーロッパの技術レベルはだいたい1500年頃に中国など東洋文明圏に追いついた。その後、中国などとの差を徐々に広げていった。この時期のヨーロッパは、若干の航海術の発展と、トマトやポテトなど新たな作物の導入などぐらいで大きな技術革新はなかったが、人々の間で技術進歩の可能性を信じ始めた時代でもあった。(※言っておくとグーテンベルクの活版印刷(1450年)なんかは世界史的にみると革新的ではないから。紙への印刷(木版)は7世紀には中国で始まっていた)
・近世期は技術的ブレークスルーというよりも国民国家の発達が、その後の近代技術革新を準備したことの方が大きかったかもしれない。たとえば今でも有名なリヨンにおけるシルク産業の発展はもともと、ルイ11世がイタリアの専門職をそこに住まわせたことに端を発する。このように各国のトップは次々と、産業振興策を打ち出した。他国から有能な専門職人材を呼び寄せるだけでなく、新しい技術を奨励するため補助金を与えて開発を促し、寡占を奨励した。また特許権の制定もこのころなされた。たとえばイタリアのベニスでは16世紀には特許権がある程度は普及していたと言われる。もちろん、こんな”民間活力”をいかした技術進歩の奨励なんかは、イスラム社会や中国社会では到底考えられないことだった。
・近代(1750~1830)。そんな下敷きをすでにひいていたから、この頃、次々と新たな技術が実用化されたのは自然な流れだった。むしろ、この頃には、まったくのゼロから生まれた技術なんて何一つなかったと言っても言い過ぎではないかもしれない。たとえば、ワットが蒸気機関の発明にはたした役割はせいぜいコスト低減や耐久性向上などの実用的な貢献であって、蒸気機関の元アイデア自体は17世紀ヨーロッパにすでに存在していた。ただ、そうした数々の新技術の卵が社会全体に広まったことに大きな違いがあった。繊維産業で言えば、教科書でも取り上げられているような数々の綿加工技術の機械化による生産性向上はめざましく、イギリスにおける綿布の値段は1780~1850年の間になんと85%もダウンしたという。
・蒸気機関の発展・普及によってその後から熱力学が生まれたようにその頃の技術とは、科学的知見を基礎としたものではなくて、もっぱら経験的にもとづいて進められたものであった。1850年より前は、科学と技術は別の存在だったと言ってよい。1850年以降、科学や数学、物理学が技術分野に本格的に応用され始めた。
・技術革新自体はランダムとも言える現象で、特定の新技術がなぜ他でもない西欧でおこったかを具体的に説明するのは難しいが、どんな条件が西洋近代の飛躍的革新を可能にしたかを検討するのは意味のあることだろう。もちろん「必要は発明の母」なんて諺を持ち出す気はない。当然、革新的技術のニーズはいつでもどこでもあるのであって、要はそのニーズを発明によって掬い上げ、実用技術として広めるのに、何が効いていたのか、である。
・「化石燃料資源の豊富さや、地理的要因」に西欧世界の勃興を求める「環境決定論」はナンセンスだ。たとえば北ヨーロッパはよく雨がふるから水車の技術が発達したという意見がある。しかし、これではなぜ水車がイギリスでよく普及したのにアイルランドではまったく普及しなかったかを説明することはできない。同じようにイギリス国内にあった豊富な石炭資源が産業革命を可能にしたという意見がある。しかし、そもそも石炭資源を上手に利用出来るようになったこと自体が技術革新の果実ではなかったか。この説明は物事の原因と結果を取り違えている。木炭資源の枯渇による価格上昇がイギリスでの石炭利用の革新をもたらしたという議論もある。しかし、木炭から石炭への代替自体は16世紀からすでに模索されており、部分的に成功をおさめていた事実を無視している。第一、その頃の中国だって森林資源は枯渇していたのに石炭利用は19世紀になっても進まなかったではないか。
・「産業革命前の科学技術の発展」を求める意見もある。しかし、前もいった通り(真理や総合的把握を求める)サイエンスと(実用を求める)技術は1850年以前にはほとんど別々のものだった。たとえば製鉄法や食料保存法などの技術は人々がその仕組みを把握するずっと前から使用されていた。発明家に科学の知識はなく、科学者は実用の世界に降りてこなかった。両者の融合が始まったのは1850年ごろからだ。たとえばトマスエジソンは科学的知識がなかったため、自己のインスピレーションを補強するために数学者を雇った。
・むしろ重要なのは、新技術にたいする政治や社会の寛容さ。人々が技術進歩に向けて継続的に取り組めることを社会が担保できているかどうかにある。この意味において、専政的政治制度よりも多元主義的なものの方が好ましい。ダグラスノースの言う所有権の制定も、この意味では一面の真理がある。
・中国と西欧を比較した場合、その差は際立つ。それは、中世まで技術リーダーだった中国が近世になって急速に停滞した理由を説明する。中国はもともと”one-party state”で、技術進歩は漢の時代からほとんど”お上”主導で行われていた。宗の頃は農民の創意工夫活動を促すための金融インセンティブも行われていた。しかしこうした活動は近世頃から弱まっていき、清の時代になってからは中国政府は技術の進歩につながるような政策(度量衡の基準化、商業法、警察、道路)をとりやめてしまった。一方で社会的にも明(14c~17c)代からとくに中央集権的要素を強めていき、多様な民の活力はますます脇に追いやられた。このために中国の歴史には、新たな技術が十分に伝播しなかった例で溢れている。たとえば複数の車輪を搭載した紡ぎ車はカラムシ繊維産業では見られても、それが綿産業に伝播することはなかった。社会構造の上部に官僚があり続けたこともまずかった。成功して裕福になった実業家はだいたい子供を官僚機構に入れたがり、天才やエリートが(一般的にコンサバな立場を好む)官僚機構に吸い込まれていった。
・これに対して欧州はちがった。前述のとおりヨーロッパの技術開発は民間が主であって、政府は従であった。第一、(言語や宗教、生活様式や歴史などいろんな意味で共通点があるにも関わらず)複数の国家が乱立し中国のような中央集権ではなかった。それぞれの国が富を張り合っていたから、結果的に技術の世界でも競争が促された。人の移動も頻繁だった。だから技術の才ある人は、彼の国で抑圧的な政策が取られたら、別の国に移るだけでよく、西欧全体で見たら一つの技術は断絶せずに繋がりを維持することができた。こうした好条件にある社会は西欧を除いて他はなかった。まさしく、世界の技術リーダーになるべくしてなったと言えよう。
http://twitter.com/#!/zaway/status/66580272551968769