はてなキーワード: パチンコとは
ただの愚痴
「もっと子供のころ勉強しとけばよかった」自分はこの言葉に疑問を感じる。
そして親に「だからあれほど勉強しとけと言ったのに、いう事を聞かなかったお前が悪い」と言われると大人げながらカチンとくる。←親元にまだいるんかいという突込みはなしでお願いしたい
自分は確かに、学生の頃勉強を全くせず親から「勉強しろ!!」と言われ続けたが全くしなかった。
とにかく「勉強はつまらん」という感情が強すぎて大人になったら勉強なんて絶対しないだろうなと思っていた。
しかし、予想とは裏腹に大人になった今は勉強がそこそこ楽しい。
専門学生時にプログラミングに触れ、もっとできるようになりたいという要求が膨らみ
必死になってプログラミング言語を学んだ(本当に基礎的な部分)。
プログラム言語をある程度自由に使えるようになると次は何かを作ってみたいと思うものだ。
そこで初めて、英語(APIやらライブラリの使い方やら)と数学の壁にぶち当たる。
ここで学生時代にしっかりと親の言うことを聞き、英語やら数学やらを勉強していれば、
もしかしたら超絶ホワイトで高収入な会社に就職できるほどのプログラマーになれていたのかもしれない。
しかしだ、自分は今でも「もっと勉強しとけばよかったー!!」なんて思ったことはない。
教師が「社会で役に立つ」と言う割には具体的な例を出す先生はいなかった。
なぜやりたい人だけにやらせないのかと疑問に思うばかりだ。
自分が学生の頃に、英語と数学ができればプログラミングがもっと上達できることを知っていたら。
日本とは違い、外国人のノリがめちゃくちゃ良い(人間性は別として)なんて知っていたら、
もう少し変わった人生を送っていたのかもしれない。
だけど!
そんなこと言う親自体が、未だに英語や数学ができないのであれば人に言う資格はない!
仮にでも人のために思って言っているのであれば、なぜ自分が今勉強をしない!!
勉強しないという事は「勉強する必要がない」という事を証明していることに気づいてくれ!
なにか違う愚痴になっている気がするが...
話を戻そう。
と思っていても、こればかりは環境によるとしか言いようがない。
我が家にはPCなかったから、プログラミングしようなんて全く思わなかっただろうし。
しかし、必要性や楽しさがわかればどんな人間でも勉強は楽しくなると思う。
「勉強しとけばよかった」
それを思ったんなら今からやろうぜ!
自分の勉強したいこと以外のテスト勉強もしなきゃいけないんだぜ?嫌だろw?
パチンコとかはできんじゃん? 新台がでてもルール覚えるやろ(我が家のおやじ)
興味があることがない?
何も考えずに大声で言いたいこと叫ぶ感じで、匿名日記も悪くないw
ちなみに親との仲は悪くはないぞ!
お金欲しい。
ネットにはわざわざ自分からムカつくものを見に行っては罵倒や批判をまき散らす人がいる
一見ストレスマッハで早死にするんじゃないかとも思うがその実彼らは楽しんでいるのだ
1 ムカつくものを見に行く
2 ストレス、怒りをためる
溜めた怒りが大きいほどスッキリする
しかし気持ちよく叩ければいいが反論されたりすると消化不良になって余計ストレスがたまる
でもやめられないとめられない。あの気持ちよさが忘れられないからだ
ネットで簡単手軽そして馬鹿げた方法で気持ちよくなろうとした、あわれでみじめな連中の成れの果てが
アルコール中毒パチンコ中毒オナニー中毒膀胱中毒にならぶ社会問題だ
あるネトウヨは裁判で訴えられても後日また同じことを繰り返していたという、、
とても寒くて晴れた元旦だった。ぼくは正月ということもあり、叔母の家に遊びにきていた。
叔母がぼくに言った。
「僕くんおいで!今年もお年玉あげるね」
ぼくは中学生になって「敬語」なるものを教わったので大人ぶってこう言った。
「ありがとうございます!大切に使わせていただきますね」
叔母はにっこりと微笑んだ。
一方、僕の心の中では、しめしめ今年も遊戯王カードとゲームを買いまくってやろうと思っていたが。
すると、後ろで談笑していたウチの母が、
「いいのに!もう!こんなガキンチョにお金なんてあげなくて〜。どうせロクなもんな使わないんだから。」
と社交辞令を返す。
毎年正月になるとやり取りをするのだ。この会話を見るたびに正月という感じがして、僕は好きだ。
このやり取りを繰り返して、祖父、叔父、叔母からお年玉を回収していくのが毎年の流れになっていた。
(あとから知ったのだが、母親はしっかりこのお年玉の分のお返しをしていたらしい。)
ところで、この叔父叔母には、3人の娘息子がいて、1番年上の長女、2番目の長男、末っ子の次男という感じで構成されている。
僕とは3人とも、とても年が離れていて僕が中学生だった当時、末っ子の次男氏は大学生だった。
とはいえ僕は1番年が近かった末っ子の次男氏とよく一緒にゲームしてもらったり、野球のキャッチボールなんかをしてもらっていた。
「僕、今年もパチンコ行くべ!」
そう、僕の親戚一家には変な風習があった。それは、毎年正月になると祖父、叔父、僕の父親含む男連中全員で運試しといって、パチンコに行くのだ。
もちろん僕は、中学生だったのでパチンコを打てるわけなく外から眺めてるだけだった。
大抵の場合、全員が大負けして帰ってくるのだが、その年だけは違った。
僕と仲の良かった次男氏がなんと、大勝ちを決めたのだ。
次男氏はこう言った。
また、次男氏は言った。
僕「あ、いいっすよ。」
そうして、彼に着いていくこと、15分が過ぎた頃。ワクワクも過ぎ去り、正直寒くて早く帰りたくなっていた。
次男氏が口を開いた。
「着いた!」
最初僕はそれがなにか、よく認識できなかった。僕たちが来た場所は、銀行でもATMでもなく、アダルトショップだったのだ。
のれんをくぐり、中に入るととてもあったかくて、つけていたメガネが曇ってしまった。
しかもあの、ビデオ屋特有のまったりしたような甘い匂いが鼻について離れない。
しかし、そんなことはどうでも良かった。
目の前には女性の裸の写真が大量に並べてあるのである。新世界だった。ホールニューワールドである。
僕の愚息はすでにパンパンだった。
〜続く〜
>大阪に何度か行ったことあるけど、大きな公園は少ないし、ひたすらコンクリートやモルタルの街並みが続く。街路樹のある通りも東京に比べて少ない。
>グーグルマップの上空写真で確認しても、東京に比べて緑の部分が少なすぎる。
果たしてそうかな? 東京の目抜き通りである銀座中央通りと、大阪の目抜き通りである御堂筋とを比較してみれば、イチョウ並木が2キロ以上に渡って綺麗に整備されている御堂筋の方が緑豊かなストリートだと思うよ。
街路樹のある通りと言ったけど、大阪の街路樹のある通りは、堺筋、御堂筋、四ツ橋筋、なにわ筋、天神橋筋、天満橋筋、上町筋・・・。普通に街路樹が整備されている通りばかりだけど?
東京も大阪も緑地帯の密度は同じくらいだと思うよ。東京の都心である銀座~京橋~日本橋や東京駅の一帯の中では、緑地帯らしい緑地帯なんてないよ。
>難波駅前のアール・デコな精華小学校を、そのまま緑豊かな文化施設に転用すればよかったものを、文化のぶの字も知らない行政が取り壊した挙句、地権で揉めて何年も>更地のまま、やっと出来たのは家電量販店。パチンコよりはマシだけど、それにしても大阪の凋落を見てるようで辛い。
>アルマーニの制服を採用して話題になった銀座の泰明小学校(同じく戦前アール・デコ建築)とは対照的というか、なんか悲しくなるね。
>大阪で言えば、中之島の大阪市役所。あれがもし建て直さずに残っていれば、その後の文化財行政も変わったかもしれない。過去の栄光をどんどん馬鹿みたいに目先の金>と利便性で塗り替えていって、京都や神戸に下に見られる都市に堕ちていく大阪。いつまで東京を追いかけてるつもりなのか。
東京だって、有楽町にあった旧東京都庁を取り壊して、今は無印良品の店になっちゃったじゃん。
流石に大阪が京都や神戸から下に見られるというのは笑い話でしょ。
鉄道網や高速道路、国道網は全部大阪から放射状に伸びる仕組みになっているし、京都や神戸は大阪のベッドタウンの一つでしかない。
son_toku ってのが正しいね。
少し調べると本場中国では小学生から賭け麻雀をするらしい。だから成立するか否かであれば、(既に在るか否かとは別に)成立するだろう。
日本の雀荘はパチンコの三店方式のようなもので、度が過ぎない範囲で黙認されている庶民の賭場に過ぎない。
ゲームとして見れば実はガチャソシャゲより善い面もあるのだが、"それで稼げて食えてしまう"可能性のある物を、就業前の子供に教えるのは悪だと考える。
学業は生活の糧としての側面があり、修める前に糧を得られれば学ぶ意欲は削がれ、集団としての最も大切な資本である勤労意欲は失われる。
当然、技術も落ち知識の継承も行われない。大袈裟に言えば国力が落ちると言っていいだろう。
繰り返すが、これは悪だ。
どれだけ雀士が高潔で優れていようともそれらだけで国が成り立つことは絶対にない。
従って射幸心を煽る漫画が世間的に広く認められる事はなく、あってはならない。
eスポーツブームが姦しい昨今だが、そもそもギャンブルがなぜ規制されているかを忘れてはならない。
ゲームがどれほど素晴らしくとも、プレイヤーだけで社会は成り立たない。
賭博はゲームに付随する一要素であり、人として大切なのはそこから何を学ぶかだ。
父親が嫌いで縁を切りたいと言うと、咎められるのは何故だろう。
私は父親が嫌いだ。
家事もせず、学校などの行事にも来たことがない。
休みの日は寝てばかりで、家族サービスはほぼ無し。
(仕事付き合いでの飲みは極たまにだったし、帰宅はほぼ定時だった)
手をあげることはしなかったが、すぐに怒鳴るし、いつも反省文を書かされていた。
気分が悪いと言って、多いときは会社を週に2,3回は平気で休む。
その休む旨を伝える会社への電話も、母に押し付ける。
発言に責任を持たずに、言ってることがころころ変わる。
競馬やパチンコなどのギャンブルが好きで、株で失敗して借金を作ったこともある。
はたから見れば小さなことかもしれないけど、嫌悪感は塵も積もれば山となっていた。
小学生の頃、母と一緒に風呂に入っていると、湯船に浸かっていた母がこみあげたように泣き出した。
「辛い」「もう耐えられない」
私は泣いている母をただぼーっと見ていた。
離婚したいならすればいいのに、と内心思っていたが漂う空気が重たくて言えなかった。
きっと、私の為に耐えていたんだろうけど。
私が大学生になったとき、両親は離婚することになった。
父親にどちらについていくのか聞かれて、母がいいと言ったら、考え直せと言われた。
何をどう考え直すんだよ、と思ったが、結局父親と暮らすことになった。
父親についていきます、と半ば無理やり言わされたようなものだった。
大嫌いなのに、離れるチャンスなのに、逆らう勇気が私にはなかった。
金銭的なことを考えると、父親を選ぶしかなかったという理由もある。
母はパートを掛け持ちしていたが、それでも父親に稼ぎは敵わなかった。
今思えばバイトを増やして、母に生活費を渡せばよかったなぁ。
父親と2人で暮らしている時、掃除洗濯は全て私が担当していた。
晩御飯は週5で私が作り、実家暮らしをしている同年代の社会人の中では生活費もそこそこ納めていた方だと思う。
(最初は10万入れろと言われたが、なんとか7万に減らしてもらった)
私がかつての母の代わりの役目になっていた。
最近私は一人暮らしを始めた。
父親がいない、一人の空間がこんなに快適だとは思わなかった。
父親からは週に1回位の頻度でLINEがくるようになった。
無視をすると面倒なことになりそうで、スタンプだけを返している。
父が老いて、腰も曲がって思い通りに動けなくなった時、私は一切の連絡を絶つと思う。
介護もしたくないし、喪主にもなりたくない。仮に遺産があったとしてもいらない。
私に関わることなく、知らないところでひっそりと死んでほしい。
これくらいの父親は普通だろ、とか、甘えたことを抜かすな、とか言われるんだろうなー。
育ててもらった恩が~とか、きっと言われるんだろうなー。
二十数年の積み重ねで父親に対する評価は、地にめり込むほどに下がっているんだからしょうがない。だって本当に人として大嫌いだし。
金銭的な意味では感謝しているが、ただそれだけだ。
稼いでいた額は違うだろうが、母の方が仕事も家事も私の面倒も手を抜かずにしてくれていた。
母の面倒を見るのは全然構わないが、あの人の面倒を見るのだけは御免だ。
母は今、婚活サイトで知り合った人と同棲をしているらしい。
写真を見せてもらったが、温厚そうな人だった。
再婚するかは分からないが、幸せになってほしいなぁと思う。
こんなにも嫌いなのに、自ら縁を切る勇気がない。
人様に迷惑をかけない方法で、あの人が早く死んでくれないかなぁ。
縁切り神社って効果はあるんだろうか。