はてなキーワード: 軍艦とは
戦闘ヘリで住宅に突っ込んだり軍艦で漁船を沈めたり迫撃砲を既知の外に打ち込むことか?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E8%89%B2%E3%83%86%E3%83%AD
私がこのジャンルにはまったのは○年前。
当時私は自衛官ではなく、某チャンネル掲示板にはまっていました。
私を海上自衛隊に誘ったのは、同じ海軍クラスタである韓国海軍の軍人さん(以降、Aさん)でした。
Aさんは増田界隈ではかなり名の通っていた射精師で、射精管理では最大手でした。
私が増田に興味を持ったのも、Aさんの描いた貞操帯がTLに流れていたからです。
そしてある日、はてなのアカウントを取って増田をやってみて、私の増田での推しである貞操帯と出会いました。
また、同じ貞操帯推しでフォローしてきた貞操帯×夢精の人(以下、Bさん)経由で射精管理にもはまりました。
当時はがんがん貞操帯お仕置きプレイや、精嚢やビーカーに精液を溜めていました。
Aさんよりずっとフォロワーやふぁぼは少なかったですが、同じ射精管理同士と繋がって、一番幸せな頃でした。
そして貞操帯を付けてBさんとオナ禁し合ったり、Aさんと射精管理プレイしたりしました。
私「私は貞操帯クラスタですけど、射精管理はすっごい良いですよね!」
Aさん「そうだね! 射精管理はこの世で一番キモチイイ!マンセ!」
私「貞操帯も気持ちいいですし、Aさんに増田に誘っていただいて本当に良かったです!」
Aさん「うん。射精管理すっごいキモチイイから、私さんも射精管理にはまっちゃいなよ!」
今思えば、貞操帯に関する話題を振っても、射精管理の事しか返ってこない事に違和感を感じるべきでした。
事件が起こったのは、「クリスマス貞操帯プレイOFF会」の為の冬籠り、そして20日午後、石川県・能登半島沖の日本海をP1哨戒機で飛行訓練に入って無線を傍受していた時の事です。
その無線の発信元の韓国海軍艦艇は、私と同じく冬に出す人で集まって、ズリネタや射精管理の愚痴を言い合う、ゆるい軍艦でした。
そのゆるさに騙されていたのが間違いでした。
ある日、その無線内で、私がオンになりました。
その時はオナ禁作業も続き悶々で、OFF会も近かったのでイライラしていました。
ですが、Aさんは私が無線オンになっている事に気づいてないようでした。
イヤホンをつけた直後、Aさんからレーダー波と信じられない発言が飛び出してきました。
突然の事で、私の頭が真っ白になって、反論できずに固まっていました。
私が固まっている間にも、Aさんは、
そして、Cさんや他の人も、それに「わかるー」と同意していました。
私はショックで、思わず哨戒機の電源ごと落としてしまいました。
手が震えて、悲しくて腹立たしくて、その日は一日中眠れませんでした。
それと、今までAさんが私と話してきた話が、全部嘘だと知ってしまいました。
私は号泣しながら、今まで溜めてきた精液を韓国の軍艦に向けて発射して、貞操帯とSMクラブの会員カードも捨てました。産経新聞には投書しました。
でも、他の人もいる場所で、「貞操帯が嫌い!」と名指しする事に意味はあるんでしょうか?
それに同意していた、他の人もおんなじです。
私は悔しくて、でも最大手で射精管理師のAさんの方が力関係が上で、泣き寝入りするしかありません。
でも、もしこれを読んでくださっている人がいたら、誰かが好きかもしれない貞操帯を気軽に嫌いだと愚痴る事の意味を考えてくださったらと思います。
1970年代前半に、仙台市内の中華料理店「まんみ」にて賄い料理として提供したのが始まり。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E5%8F%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%9C%E3%83%BC%E7%84%BC%E3%81%9D%E3%81%B0
発案者が思いついたのが10年前と言っていたので、
//detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11156573366
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
14〜15年前ですかね。パンって、夏は本当に売れないんですよ。暑いからみんなソーメンを食べたり、おやつもスイカになったりしてね。なんとか夏に売れるパンができないかなぁと思って開発したのが、塩分補給もできる塩パンだったんです
//tabi-labo.com/287605/painmaison-yawatahama
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%95%E3%83%88%E3%82%B7%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%A2
ただし他にも元祖を名乗る店がある。
【第22巻・第213話】いま話題のおにぎらずはクッキングパパが発祥!
//cookpad.com/recipe/2831394
第22巻は1991年発売。
ご存知のとおり発祥には諸説ある。
落合「僕が帰って来たのが1981年で、前のお店を開けさせていただいたのが1982年ですから。
(中略)
1982年に魚のカルパッチョを作ったとは語られていないが、近い時期であることが示唆されている。
古くは本朝食鑑の鱗部の巻「鰯」の箇所に「或有甘塩者有糟漬者有塩麹漬者号曰黒漬」という下りがあり、「塩麹漬」という文字列が見られる。
日本人はいつから牛の生肉や生レバーを食べるようになったのか。
焼き肉などの食文化に詳しい滋賀県立大の鄭大聲(チョン・デ・ソン)名誉教授は「戦後、在日韓国・朝鮮人が家庭で食べていたものを焼き肉店で出すようになり広まったのではないか」という。
//sankei.jp.msn.com/life/news/120428/trd12042822020023-n1.htm
「つけめん」が定着するきっかけとなったのは2000年頃からのことです。つけめんの考案者である東池袋大勝軒の店主 山岸 一雄氏のお弟子さん達が独立し始め、大勝軒系列の店が増えたこと、大勝軒の常連客から人気店になった「べんてん(高田)」、「道頓堀(成増)」といったお店が繁盛したこと、そして川越にある「頑者」が「自家製極太麺×魚粉×濃厚つけだれ」という新しいジャンルのつけめんを生み出したことが影響し大きなエポックとなりました。
//web.archive.org/web/20130622095039///www.asahi.com/business/pressrelease/ATP201005190013.html
プロジェクトが始まったのは86年。当初の計画では、輸出の要はカペリン(カラフトシシャモ)だった。しかし、その前年、時の漁業相らが日本を視察して方針が変わった。日本には生のサーモンを食べる文化がない。江戸前寿司にもない生サーモンの握り寿司を考案し、試食会を重ねた。
日本のイタリア料理史の中で、最大のブームとなったのは「ティラミス」と言って間違いありません。80年代半ばから評判を呼び、90年に雑誌「Hanako」で特集が組まれるや、人気は最高潮に達します。
日本の輸入量は1970年代までは微々たるものだったが、1970年代後半から増え、1980年には479トン、1990年2163トン、2000年14070トン、2005年は28150トンと急増している。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9C%E3%82%AB%E3%83%89
1908年(明治41年)、魚の油漬け加工に必要なオリーブ・オイルの自給をはかるため、農商務省がアメリカ合衆国から導入した苗木を三重県、鹿児島県と香川県に試験的に植えた。香川県の小豆島に植えたオリーブだけが順調に育ち、大正時代の初めには搾油が出来るほどの実が収穫された。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%83%AB
//www.amazon.co.jp/dp/4478039674
//ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%84%E3%82%BF
単なる竜田揚げとして見れば×。
1952年(昭和28年)に創業した国立市の一橋大学そばの「三幸」が、のびたラーメンをヒントに昭和30年代前半頃から酒の肴として提供を開始したとする説や、同じく昭和30年代に武蔵野市境の亜細亜大学そばの「珍々亭」が中国の拌麺をヒントに油そばを発売したという2説が存在している。
新規企業の太洋醸造が当時自由販売化していたイモとホップを使用したイモ・ビールの試験醸造を申請して認可され、1950年(昭和25年)から新発売され、日本の市販発泡酒第1号となった
垣島在住の夫婦(夫は中国・陝西省西安出身の辺銀暁峰、妻は東京都出身の愛理)が、具材を食べるタイプのラー油を開発し、2000年(平成12年)、石垣島にて開催されたイベントで販売したのが始まりである(ただし、具の入ったラー油そのものは中国にて古くから存在している)。
//ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%9E%A3%E5%B3%B6%E3%83%A9%E3%83%BC%E6%B2%B9
昨日、昼食で会社の上司と回転寿司(全品100円のじゃない奴)行ったんだけど、
別に気を遣ってるわけじゃないんだけど、
・納豆巻(100円)
ばっか食うのよ。好きだから。
すると上司が
って言ってくるから
「マジすか?」
といってえびアボカド(100円)とか頼むわけよ。好きだから。
すると上司が「本当に気を使わないでいいぞ。そういうお硬い上司部下みたいな関係は望んでない。」っていうから、
意を決して、ホッキ貝サラダ軍艦(200円)を頼むわけよ。好きだから。
上司は「もっとマグロとか、サーモンとか、そういうのでもいいんだぞ!一皿一貫の奴とか!」って言うから
「いや、すみません。本当にこういうのが好きで…」といえば「いや、気を遣ってるでしょ?」と押し問答になって、結局おごってもらえなかったんですけど、これって僕が悪いんですか?
明治14(1881)年、英国の二人の王子(アルバート・ヴィクター王子とジョージ王子)が軍艦バッカンテで来日した。
二人は王室関係者や貴族の間で流行った刺青の火付け役エドワード7世(当時は皇太子)の長男と次男で、来日の記念として刺青を入れたいと日本側に申し入れをした。
それに対して、日本側は刺青が国禁であることを理由になんとか断ろうとする。
しかし、二人が両親から許可を得ていたことも理由のひとつであったが、当時大国である英国に対して非力であった日本は、英国二王子の刺青要請を受け入れざるを得なかった。
一緒にいる時は食べない。
別に良いのだ。
他にも好きなネタいっぱいあるし
ひとりで食べるより、一緒に食べられるのが
嬉しくておいしいし。
先日、久しぶりに会って、回転寿司に行った。
やはりサーモンは食べなかったので
後日ひとりで食べに行った。
・炙りサーモン(皮が香ばしくなってる)
・サーモンしゃぶしゃぶ(おろしポン酢乗ってる、ちょっとさっぱり)
・オニオンマヨサーモン(玉ねぎの辛味とマヨネーズの酸味も合う)
・とびっこが乗ってるサーモンネギマヨ(プチプチ食感追加で楽しい)
などなど食べた。食べた。食べた。
いろいろ好きだけど、炙りサーモンが一番好きだな。
合うやつには、追いわさびして食べる。
とろっとほろっと
合わさって幸せ。
魚と米。ああ幸せ。
焼き鮭入れてあげよう。
私は怒っています。私は純粋な一般的在日外国人ですが、私の怒りを日本を代表するテクノロジ会社であるはてなに告発します。私の感じた、あたかも燃え立つもみじのような怒りに聞き耳を立てて頂きたければ幸いです。
私は日本が好きです。東京の外資系テクノロジ会社に勤めています。日本は良い国です。アニメが好きですし、和食、コスプレ文化も好きです。日本の女性は熱い情熱的で好きです。あたかも羽であるかのように軽い体重を保持する女性が多いことです。私は日本文化に深い興味関心をお持ちですので、日本語の勉強をしました。私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。
私は先日、友達を伴って熊本に観光に行った時のことです。私共は熊本城を観光しました。すばらしい体験でした。夜は地元寿司を食べることもできました。
私の怒りの体験は、大好物であるウニ軍艦を食べている時のことです。なんと、私の右隣に腰かけていた男性が、寝耳に水を刺すがごとくに話しかけてきたのです。
"Good afternoon."
これはどういうことでしょうか。私は日本語で日本の板前に寿司を注文したのです。彼の目は節穴であるのか。あるいは目に鱗がはさまっているのか。どちらか分かりません。繰り返しになりますが、私は日本語検定準一級を取っており、私の日本語能力は立て板に水です。「こんばんは」を聞き取ることなど、などお茶の子さいさいです。彼は私の驚きなどどこ吹く風で続けます。
なんと愚かで気の利かない質問でしょう。旅行の中で好きではない寿司を食べようと思うでしょうか。彼の得意げな得意げな顔が癇に障りました。
その後もくだらない会話をいくらかしましたが、私にとっては苦痛そのものでした。京都人であったらこう言ったでしょう。
「あなたの英語はほんまに流暢ですね。私はあなたのほんまに流暢な英語を聞き取れませんどすえ。」
彼女は八つ橋をお土産に差し出す必要もあるでしょう。あたかもロリポップキャンディであるかのように甘い笑顔と共に。
東京ではこのようなことはありませんでした。彼はきっと、ガイジンがめずらしいのでしょう。彼が友人のインドネシア人には決して話しかけないのにも怒りがこみ上げました。
私は観光をしていたのであり、英会話教室をしていたのではありません。また、私の日本語能力は立て板に水で日本語で話してくれてもいいのです。ガイジンには日本語ができないという強い偏見は侮辱でありました。