はてなキーワード: 分数とは
これが分数の割り算とかだったらみんな知ってるから盛り上がらないし
ε-δ論法とかだったら難しすぎるから知らなくていいだろ、となる
使うか使わないか、とかどうでもよくて「(受験のためにたまたま勉強しただけの)自分が優位に立てる!」って思える知識なのが盛り上がる話題の条件
ちなみに自分が高校までの数学で一番無駄、というか不必要だと思ってるのが初等幾何(メネラウスの定理とか、方べきの定理とか)
大学4年間全く使わなかったじゃねーか、ふざけんな
俺がそうなんだけど。以下に失敗のパターンや要因を考察して、少しでも失敗しないようにしたい。
袋が何個あるのか。
袋の中身をどのタイミングで入れるべきなのか。
フタの上で温めるのか。
パターンがありすぎる。また、例外が多すぎる。乾燥かやくの野菜はお湯を入れる前に入れるべきものが多いことは言えるのだが、後入れのかやくもある。
また、油系の袋はフタの上で温めるものが多いけれども、時たまフタの上で温めないタイプがある。
また粉系の袋も同断で、お湯を入れる前に入れるのか、お湯を入れた後に入れるのかわからないものがある。
これがわからない。暗くてラインがわからない。プラスチックの凹凸面が不確かな上(暗い)、ときに乾燥麺の付近にあり見分けがつかない。
わからない。世の中にカップ麺があまりに多すぎて、何分待てば良いのかわからない。
私の食べたことのあるカップ麺の中には、最短2分、最長5分の待ち時間が書かれている。
これを間違ってしまう。
また、分数を確認できたとしても、所定の時間を守ることができない。
例えば別の家事をしてしまい、そちらに夢中になって7分経過してしまう。
あるいはyoutubeやnetflixを見て、時間が経過してしまう。youtube等を見るのは理由があって、シークバーのところに時間が表示されるためだ。
動画を見ながらタイマーがわりに使っているのだが、動画に夢中になり時間を経過してしまう。
またあるいは、動画を見ながら時間を見るので、何分経過したかわからなくなる。
以上のように、カップ麺を作る工程には、適当なタイミングで袋の中身を麺に投入し、適当な分量のお湯を入れ、適当の時間待って食べ始める必要性があある。
ここまでお読みいただいた諸賢は、ちゃんと説明文を読め、と思うだろう。おっしゃる通りである。
ただ、そもそもカップ麺というものは、気軽に食べられるから良いのだ。
おいしいものを食べるのであれば外食もするしwoltを頼んだりする。
工程やお金を気にしないで食べられるのがカップ麺のいいところだ。
気軽に食べたいのだから、説明文を読むような堅苦しい思いをしたくない。
そんな気軽な気持ちのままでカップ麺を作ろうとしているところに私の悪いところがある。
何も考えずにチャチャっと作ってチャチャっと食べたい。
ところが、カップ麺の多様さはそれを阻むのである。すなわち、説明文をしっかりと読み込むことを前提として作られているのである。
これは本末転倒では無いか。またややこしいことに、ただお湯を入れるだけでいいカップ麺もある。
世の中の全てのカップ麺が何らかの能動的な袋の中身をいれるアクションを強いるのであれば、私ももう少しこれに心を配っていたと思う。
ところが、である。
お湯を入れるだけでいいやつもある。これがいけない。
いつも同じやつを食べればいいという指摘もあるだろう。本当にその通りで、焼きそば弁当ばかりたべている。
ところが、仕事の付き合いでよく私は売り出し中のカップ麺をもらう。だから難しいのだ。
多くの人が食べられるように設計されているのに、食べようとしたら油の小袋が容器の中に入ったままだったりするのだ。
多くの人が食べられるよう設計されているのに、お湯を入れすぎて味が薄くなってしまうのだ(お湯は粉に混じってしまうと捨てることができない)。
何故落ち込むのかというと、説明文と違う行程をとってしまうところがいけないと思う。
説明文は絶対的なものだ。そのようにできるか、説明と違うことをしてしまうかの2択になる。
説明文があると、何が正解か、何が不正解か明確になってしまい、不正確なことをしがちな私は落ち込むのだ。
こうしたことから、私はカップ麺を食べることをやめて普段は自炊をするようにしている。
例えば、私が野菜炒めやおいしい無水カレーを作るわけだが、ここには説明文がない。またもちろん説明文を作る予定もない。
説明文がないから、私の料理には不正解はない。もちろん生のまま食べてしまうのはダメだが、そういうことではない。
作る工程をあえて明確化しないから、料理の作り方の間違いが生まれないということだ。
就職したらドブラックの連続で2徹とか手取り13万とかだったりして
今30歳超えてるんだけど
なんとかかんとか結婚にこぎつけて
顔に合ったメイクを最近やっと認識したら途端にめちゃくちゃ楽しいし
抵抗なく好きな服装や髪型ができるようになったのもとても楽しい
未だに新鮮なこと多くてめちゃくちゃ楽しいんだけど
同じくらいの年収の同世代が子ども産んで育児に邁進してるの見ると
「このままでいいのかしら…」と思うことも多々
でも自分にお金かけられて時間にもそこそこ余裕ある今が一番楽しい
そのうえで結婚して子供産んでマイホーム持って親孝行してみたいなこと?
すごくない?ちゃんとしすぎてない?
私はまだ30歳越えという現実に向き合えない。
世間体を考えるならはよ子どもとか家とか考えないといけないんだろうなとはおもってる。
でもべつにこどもいなくても今楽しいしな…
なんか10年とは言わないけど世間一般に比べて6,7年くらい遅れてる気がする。
多分数年後「もっと早く妊活+節約するんだった!!!」って言ってるか
一生「まだまだ今が楽しい!」って言ってるかどっちか
ギャンブルだなこれは
こんばんは、でいいのかな初めてここに投稿する。
多分数日でアカウントも削除すると思う。どうしても苦しくて、消化できなかったことを吐き出したくて作っただけだから。
どこから書こうか。とりあえず自己紹介すると俺は一介の字書きだ。支部に細々と投稿して、一次創作をたまに書いてコンテストに応募したりもしてる。
本職は別にあってこれは理系なんだけど、本好きが高じて字書きになった。結構このパターンの人は多いんじゃないかな。
友達に「お前本好きだし、書いてみろよ」って勧められて支部に投稿したら結構人気のジャンルだったからか割と読まれたりもした。
で、そうしたら次に「感想が欲しいな」と思った。自分の限界に挑戦してみたいと思って一次創作を書き始めたのも同時期だったような気がする。
あの時の俺は馬鹿だったなと思う。ただ黙って感想箱を置いておけば良かったのに、知り合いの字書きと通話してた時にポロッと言ったんだ。
「感想箱置いてみたんです」って。
そしたらさ、その知り合いが急に怒り出したんだよ。
あんまり覚えてないけど、「俺の作品に感想くれないくせに、お前は自分の作品に感想が欲しいのか」みたいなこと言われた気がする。
俺の小説に感想を書いてもらうことと、知り合いに感想を俺が書くことには何の関連性もない。というかそれまで感想を求められたことすらなかった。
どうやら知り合いの中では
「俺からの感想が欲しいならまずお前が俺の小説の感想を書くのがマナー」
ということになってたらしい。しるかそんなマナー。
知り合いは俺よりいくつか年上だから反発するのも面倒くさくて、すみません、みたいに謝った気がする。
「一次創作も書いてるんです」って言った時には「他人に推敲させてみろよ。バキバキに心折れるぞ。俺はこれで他人の心あったことある」っても言われたな。
なんでど素人が推敲したことで他人の心を折ったことを得意げに話せるのか分からなかった。言っておくとその知り合いは文学に関する仕事では一切ない。
その心折れた人がどうなったのか聞きたかったけど怖くて聞けなかった。誇張で言ったと信じてはいるが。
「お前の作品を義理で読んでやろうか」と言われたこともあった。なんでそんなこと言われなければいけないのか分からなかった。読みたくないのに読んで、それで感想を捻り出して、俺が喜ぶと思ったか?
だから俺は感想が欲しいのかと思って「感想を送りますよ」って言ったら即刻拒否された。今思えば、俺に批評されるのが怖かったのかもな。
もう疲れてしまって、今は一切連絡は取っていない。
趣味でやってることに対してなんでそんなに上から目線でアドバイスが出来るんだ?
仕事でやってることに対してのアドバイス(理不尽でないもの限定だが)ならまだわかる。だけど、好きでやってることに対して求められてもないアドバイスをすることは理解できない。アドバイスをください、と言われた時は別だよ。でもそうじゃない時にわざわざ言ってくるのは承認欲求でも拗らせてるのかと思う。
読書量もブクマ数も書いている文字数も、あまり言いたくはないが俺の方が上だった。
そいつに見られてるかと思うと嫌で仕方がないが、支部では俺の作品を好きでいてくれる人がいる限り垢削除はしないようにしたいとは思う。
なあ、感想がほしいって思うのはそんなに悪いことだったのか?
前澤さんは、アプリインストールしてる人全員にお金を配るらしいから、宇宙行くだけの人とはちょっと違うかも。
自分で儲けた金だから使い方は自由だし、金貰えるなら貰いたい。どうせたかるなら、持ち上げといたほうがよいだろうし。
抽選で金額が変わるとか言ってるけど、アプリダウンロード者は多くても1000万人ぐらいじゃなかろうか。多分数百万人。
宇宙行きにかけた金額ぐらいは配ってくれると勝手に予想してる。
何十億かを数百万人で分けたら大体何円ずつぐらいになるのだろうか。
誰か計算して。
久しぶりに寄付アプリ開いてみたら、寄付に応募してる人が激減してて意外だった。
少額の案件が増えたのと、応募にフォローが必要なのが多いのがやっぱり面倒だったりするんだろな。
それでも数万円で一時的にとはいえフォロワー何千人獲得できるから、業種によっては広告宣伝費としては安いのかもしれない。社会貢献してる気にもなれるし
参考書を3周して問題を解いて…みたいな正統派の勉強法は毎回参考書の三ページ目くらいで挫折する
いつも、資格試験前1ヶ月くらいで、過去問数年分数回分をやって、こういう問題の時はこういう回答になりがちみたいな覚え方して受かってる
でも資格は持ってるけどその資格の知識があるかというと全然ないから果たしてこれで良いのか…?ってめっちゃ疑問
春に基本情報を取ったけど、OSI参照モデルに関する問題がでたら答えはコレになりがち、っていうのはわかるけど、じゃあOSI参照モデルってなんなの?って言われても、なんか言葉は聞いたことあるけどなんだっけ…?って感じ
別にIT系の仕事じゃ無いから基本情報も必要ないし、ITパスポート取ったし流れで取れるんじゃね?って感じで過去問五年分くらいやったら受かった感じ
簿記も、仕訳とか三表とかなんとなくこんな雰囲気だった気がするんだよな〜って感じで二級まで取れてしまったけど、帳簿の実物見ても全然ピンとこないし帳簿から何がわかるのかも分からない
参考書とか、マジで普通に目が滑って全然頭はいってこないんだけど?
簿記とか特に参考書が意味わからんくて、有名な犬の参考書も猫の参考書も持ってるけどどっちも「決算とは」みたいなページで飽きて読めてない
過去問やってて知らん単語あったときにチラッと見るくらいしか使ってないし、なんならネットで調べた方が早いまであるし、参考書マジでめっちゃ綺麗
2000年の東京、まだ学校出たてのガキだった私は、ギター弾くのが趣味でしたがバンドは未経験で、働きながらでも一度はバンドやってみたいなーって漫然と思ってました。
学校では軽音楽部に入っていたんでバンドみたいのはちょっとはやってたんですが、学祭向けのバンドとか、ほんとにちょっとだけでした。
それで、タワレコとかディスクユニオンにあったバンドメンバー募集の張り紙見て時々さがしてたんですが、自分が参加できそうだと思ったところが1つあったので応募してみました。
多分パソコンからメールを送ったんだと思います。その頃はまだ携帯は全部ガラケーで、しかもまだ携帯からメールを送るのはあまり一般的じゃなかったと記憶してます。
しばらくしたら、相手の方が私の自宅に郵便でデモ音源のMDと楽譜のコピーを送ってくれました。
同封されていた手紙には、デモ音源に入ってる曲のギターを自分なりにアレンジしてくださいと書いてありました。
音源を聞いてみたらバンドとしての完成度はかなり高く、自分が参加するには結構大変そうだなと思ったのですが、ひとまずギターが音源と同じように弾けるようになるのを目指して練習しました。
ある程度練習してそれなりに弾ける様になってきてはみたものの、もともとの要望は自分なりにアレンジしてほしいってことだったし、同じ曲でも一人で弾くよりもみんなで合わせる方が難しいということを軽音楽部の経験で知ってはいました。で、どうしよう、やっぱ参加するのやめよっかなーとかうだうだ考えてるうちに仕事が忙しくなったりバンドに興味がなくなったりで放置状態になってしまいました。
その後、東京を離れ、地元に戻り、かなりの月日がたったのですが、今日、部屋の片付けをしていたところに、そのデモ音源のMDが見つかりました。
幸い自宅にはMDを再生できるコンポがまだあるので早速再生してみました。
練習のために何度も聞いていた曲なので思い入れがあったし、気に入っていました。ギターのどこのフレットを抑えてどういうふうに弦移動するのか、どこをよく練習したのか、すぐに思い出せました。時間的なギャップは確実に15年以上(多分数年後ぐらいに一度聞き返しています)経っているのに、記憶的なギャップはほとんどなく、つい先週くらいにあった出来事のように思い出せました。
で、それよりも不思議なのが、このバンドです。過去にどこでどんなふうに活動していたのか、そもそも私にデモ音源を送ってくださったあと、新しいギタリストは見つかったのだろうか、なにもかもが不明で謎です。なのにいま私がこうやってMDを聴いて、この曲を気に入っていて、いいなあって思ってるわけです。
ネットで頑張って調査したことは伝わってくるが、分数の表記間違いがどうでもいいくらいに、根本的なことを間違っているので指摘をする。
結論から言うと藝大を含めて美術系大学の合否は努力の差で決まる。
でもなんで藝大合格者のほとんどが関東の都市部出身者で占められるのかっていうと、以下に理由を挙げる。
あと、藝大志望者のほとんどが変な人ばかりと書いてあるけど、極一部の人だけだから。
センター試験でも、英単語の書かれた服を着ていたり挙動がおかしかったりで試験官に注意される変人はいただろ?
でも、それ以外のほとんどの人はまともだっただろ。
美術系大学でも同じで、藝大は受験したことはないから詳しくは知らんが、変わりはないはずだ。
単に、変な奴はたった一人でも目立つだけ。
合格をする大多数のまともな人は目立たないけど、普通であることにコンプレックスを抱いていて変人であることを望むから、受験者は変人ばかりだという武勇伝じみた話が残るってことだ。
これを思ったきっかけは、この増田 https://anond.hatelabo.jp/20210913121840 で、アベノミクスの検証もいいんだけど、民主党が与党時代って結局総括したんかなぁー、って思った。
悪夢のような民主党政権って煽られた時に、その発言自体を非難している声はよくあったけど、これこれこうだから悪夢ではないって根拠を提示して否定している議論は全然されてない気がする。
自分は、その当時は生活が結構ギリギリ(最悪期は、来月の家賃が払う当てがない程度)で、おそらく政治方面を見る余裕が無かったので、ほとんど覚えてない。印象に残ってるのは、漁船が激突したビデオを隠ぺいして、それがyoutubeに流出したくらい?
一応先に表明しておくけど、自分はどちらかというと自民支持だけど、過去に自民以外の党に何度か投票したことがある程度の支持。
多分、工作員とか工作活動とか言われるかもしれんけど、文字を書いてお金貰えるんなら幾らでも工作するんで、是非その工作を募集してる所を教えてほしい。
・追記