はてなキーワード: 儚いとは
切なくて儚い作品なんて他にもいくらでもあるはずなのだが、どうしても何か急に夜寝るために横になっているとあの作品群の世界観がばっと頭に広がりなんとも言えない気持ちで胸が締め付けられる感じになる。
漫画やアニメなんて知れば知るほど蓄積されていくというよりは単に最近見ている作品が一番印象に残るようになっていて前に見ていた作品は古い方から順次忘れ去っていくものだと思っていた。
だがあの作品群のきらめきは今なお私の中で色あせておらずふとしたときにフラッシュバックとして鮮やかにその世界に浸っているときの感情が蘇ってくる。
恋愛というのが一生のパートナーを見つけるための品定め的な側面がある一方で、漫画アニメというのは死ぬまで手当り次第いろんなものに口をつけていくのが当たり前だと思っていたが、もうこの作品群と「結婚」してもいいんじゃないかと思った。
今までいろんな作品を漁ってきたのは恋愛がそうであるのと同様この人生のパートナーを見つけるためのものでしかなかったんじゃないかなと思わされるぐらいにこの作品群は自分の心の中で特別な位置づけを保っているように思われる。
そういう人は他にも一定数いるのだと思うが、私含めそのような人はなぜ他にも一見すると多数の類似作品があるなかで藤原ここあの作品群に惹かれるのかうまく言語化できずもやもやする。
彼女の描くストーリーは切なくて儚くて、幻想的できらきらしている。人間模様の描き方が特殊である気もする。
しかしこうやって書いてみても私が言葉で表す限りは通り一遍で、明らかに他の類似作品との唯一性が抽出出来ていない。特殊であるとはどう特殊であるのか具体的には言えない。
犬僕は時間の重層性がキーだろうがそんなことよりも自分はdearの小桃と男との掛け合いがなんとも愛おしく思う。それはなぜなのか。
dorawiiより
YouTuberとか配信者が所属する事務所で働いてた時に、見た目の伴わない「かわいい」には賞味期限があって、しかも男のそれはとても短いことに気づいた。
この場合の男は、元々の整ったビジュアルと、それを維持するサポートを周囲がしてくれる環境を持つアイドルとか俳優は含まれない。
ゲームとか一芸に秀でているものの、見た目が並から並以下くらいの男のことで、YouTuber事務所はそういう人間も価値があるように見せて売るのだ。
「かわいい」を男に使うかどうかはよく議題に上がるし、嫌がる人間に無理に使わない方がいいのはそうだろうというのは前提にしたいが、あまり華やかじゃない方の人気商売を内側から見た時に、「かわいい」は見た目に秀でてない男が手にできるボーナスポイントみたいなものだと思った。
ビジュアルではまったく売れないが、ゲームと喋りが上手い実況者がいたとして、常に面白い動画を作れるなら「かわいい」の評価は不要だ。
ただ、うちの事務所にそういうタイプは存在していなかった。そもそも登録者数300万人とかのYouTuberもそうだろうが、その人の1番面白い動画が100点で、視聴者の合格ラインが80点だとすると、出始めは80点をガンガン出すが、ネタ切れになってくると良くて60点や50点の動画が続く人がほとんどだった。
そうなると登録者数も再生数も伸び悩むが、ここで視聴者の合格点、面白さのハードルに届くように評価を底上げし、ビジュアルに関係なく並の男が手にできるのが「かわいい」の評価だ。
これはコメントの「かわいい」を指すわけではなく、視聴者からの「面白い」とか「参考になる」に並ぶ評価の1つが「かわいい」という認識だ。愛嬌であり、許容範囲の広がる評価と言い換えるとわかりやすいかもしれない。
例えばゲームでのちょっとしたミスで焦る姿も、視聴者に「おっ、かわいいじゃん」と思ってもらえれば、それは編集でカットすべきミスではなく、1つの見どころになる。そうした瞬間以外にも、実は配信中に牛乳ばかり飲んでいるとか、実家暮らしでお母さんに頭が上がらないとか、仲間同士のダラ配信での楽しそうな笑い声とか、こういうのも「かわいい」に含まれるのだ。
視聴者の好感度がある程度上がった状態なら「かわいい」は他の評価よりはるかに簡単にもらうことができる。
逆に言えば、狙わなくても得てしまう評価ゆえに嫌う人もいるのかもしれない。
女の方は事務所に入った時点である程度ビジュアル面が保証されてるせいか、あまり「かわいい」で評価ハードルの高さが変わるイメージはなかった。
どちらかと言うと+α(声、経歴の個性、SNSの面白さ)のキャラクター性が評価の底上げに繋がっていた気がする。
最初に書いた通り、この男への「かわいい」の評価は劣化も速い。ビジュアルでの評価の底上げがコンクリブロックなら、「かわいい」は盛り土みたいなもので、ファンの定着度が全く違うのだ。
ビジュアルで惹かれたファンはとにかく離れにくい。顔や見た目の造形が好ましいだけで、全ての動画に価値が生まれるからだ。
でもそうしたビジュアルの伴わない「かわいい」はとにかく儚い。実力で掴んだ評価ではないので継続して刺激を提供することが難しく、飽きられるのも速いのだ。見た目がそもそも良くはないので、残念ながらファンが夢から覚めるのも早い。
事務所で数年に渡って関わってきたが、得意ジャンルを問わずに「かわいい」を綺麗に踏み固めて自分のものにし、面白さや個性の土台にできる人だけが生き残っていったなと思う。
弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目だよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの時代を見ても、本当の意味で弱者が救われた社会なんて存在しないから
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある今の社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている
音楽の良し悪し、才能を見出し育て世に送り出す能力、そういった価値は、たとえその人が犯罪者だろうと大悪人だろうと価値が損なわれるものではない
そういう考え方は分かるし、芸能の価値で言えばひとつの正義だと思う
そのおかげで多くの多くの、犯罪や虐待とは無縁だった人は楽しませてもらえていたんだ
その功績を批判するだけではひとつの真実を見落としそうなので、ここはしっかり認めなきゃいけない
でも、幸いにして国が豊かになり、何をおいても国を栄えさせるんだって強いモチベーションは国民から消え、道徳教育が行き届き、インターネットで弱者の声が響くようになり、人々は弱者に配慮して生きる余裕が出てきたんだ
これはとても喜ばしいこと
国を豊かに強くするために、99%の人が全力を出せるよう、1%の弱者を切り捨てる社会より、100%の人が身の回りの幸せを目指す余裕がついにできたんだ
これは今の世の中が恵まれているが故の一時的な余裕なのはわかっている
油断するとすぐまた弱者は虐げられていまう
だからせめて今の時期だけは、犯罪者を断固許さないという態度を社会がとらなくてはならない、という新しい価値基準が浸透してきたんだ
そういう時代がついに来ているんだ
だから、暴力行為、パワハラ行為があれば、どれだけホームラン打つ野球選手でも球団から追放される
同じく、いくら音楽的才能を発揮しようと、俳優として優れていようと、弱者に配慮しない人間は表舞台に出られない、出してはいけないとする空気が今醸成されている
とても素晴らしいこと
でもこれは、99%の、罪に無関心だった人には少しの息苦しさをもたらす
でもそれは1%の人が絶望するほどの抑圧を受ける代わりに得られていた快活さだった
であれば、みんなが少しずつの息苦しさを分け合うことで、100%の人が幸せを感じられる社会、それを目指すことが可能なのだからそれを目指しませんか?というのが今の時代の新しい価値基準になってきているんだ
これは現代に生きる我々全員が胸を張れることだと思う
それだけ余裕があり、配慮が行き届く、洗練された世界が実現しつつあるんだ
では、30年前の、世を発展させ時代を進めていくことへの価値は喪失したのか?と言えばそんなことはないだろう
日本がこのまま順調に貧しくなり、貧困が増え始めれば社会は弱者救済への余裕をなくす
そうなれば、今の世の新しい価値観は儚い夢だったな、となるだろう
今の時代の人が山下達郎を批判できるだけの、余裕のある社会が失われれば、30年後の日本人は、山下達郎の言ってることは真理で、なぜ当時批判されたかわからない、というだろう
話がまとまらなくなってきた
要は弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目なんだよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの社会を見ても、本当の意味で弱者が救われる社会なんて実現しない
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている
・ベビーベッドはまじで一瞬でサイズアウトする。買うならデカいやつがいい。なんならレンタルか、ジモティで安くで譲ってもらうのがおすすめ。
・チャイルドシートもサイズアウトする。最初は新生児が乗れるやつならなんでもいいが、次に買うのは個人的にはスイングムーンがおすすめ。子供を乗せたあとにリクライニングできるから、子が寝ちゃってから倒すことができる。長距離移動の味方のチャイルドシート。
・バウンサーやハイローチェアは赤ちゃんによって好き嫌いがあったりする。
大人しくバウンサーにおさまってくれるのか、ハイローチェアのゆらゆらで落ち着いてくれるかは運。生まれてからどんな性格か分かってから買っても遅くはない。うちはなんだかんだ母親の膝の上で落ち着いてることが多く、あまり出番はなかったのですぐに譲った。
・だっこひも、スリング、ベビーラップといろいろあるが、とりあえず縦抱きのだっこひも買っときゃOK。横抱きしかできない間はそんな重くないし、もう自力でいいと思う。だっこひもの付け方だけはしっかり確認したほうがいい。付け方ミスると危ないし、腰や肩にくる。
・首がすわってきて、だっこひもから降りたがったり、またすぐだっこして欲しがったりが多くなって抱っこ紐の付け外しが面倒になってきてたらヒップシートおすすめ。ただ、手が塞がるのでママパパどっちかだけ+赤ちゃん の組み合わせの外出が多いならベビーカーかバギーを買うといい。とにかく折り畳みが楽で、軽いやつがおすすめ。重いやつは持っていくのが億劫になる。
・おむつの処理は食パン袋がおすすめ。臭わない。おむつポッドとか買わなくていい。おむつポッドは処理するのがだるくなる。使用済みのおむつはパン袋にいれて普通に捨てるのを毎回したほうが精神衛生上よい。
ここまで書いてみたけど、ある程度都会に住んでるならだいたいのものはジモティで譲ってもらえる。
気になるけど高くて手が出ないな…ていうものがあったらジモティで探して、ドライブがてらパートナーと一緒に取りに行くのがおすすめ。
気分も紛れるし、私は産むまでつわりがあったからずっとマックのポテト食べながらドライブするのが楽しかった。
中古があんまり気にならないなら、ジモティをフル活用すれば総額20万ぐらいのものが2万くらいで揃ったりする。
今3歳だけど、ベビー時代に譲ってもらったものやお祝いでもらったものはもうほぼ家にない。そのぐらいベビー用品は儚い。どの程度お金かけるかは自己満足で決めたらいいと思う。おすすめを聞いてたのに、ちょっと話ずれちゃってごめんね。
ある程度の年齢(4、5歳)になったら卒業してしまうのなんでだろう
クレヨンしんちゃん、ミッフィー、ディズニーあたりのコンテンツなんか大人になってからでもグッズ使えるわ
プリキュアは強いコンテンツのようで一年しかブームがもたないし
アンパンマンって赤ちゃん、乳幼児の心に寄り添える分、使用期限(卒業)もはやいのかなー
就活が厳しい時期に辛うじて入れた大量採用系のIT企業がだいぶグレーなところで、1年少しで辞めたあと破れかぶれで転職したのが今の業界だった。
扱っている商材が好きだったので企画補助のような仕事に未経験からしがみついて、途中で後にパワハラで更迭されるタイプの上司がついても何とか辞めずに続け、2年ほどが経つ頃にはなんとか企画担当として独り立ちできるまでになった。
そこから専門系の部署に移って少しずつ仕事を覚え、5年ほど経つと社内の同じ専門職の中ではおそらく一番給料をもらえるようになった。
とはいえそれより上のグレードを目指すことは企業規模的に難しそうだったので、そこからひと回り規模の大きい会社の専門系部署に転職して、今でちょうど3年数ヶ月になる。
そこでも管理職に就いたり、年単位のプロジェクトのメインを担当するようになったため、給料は順当に前の会社より高くなった。さらに、副業として個人名義でも声がかかるようになってきたので仕事はとても順調だった。
けれど、あと1ヶ月で休職しなければならない。
なんとなく異変はあったけれど仕事もまた佳境だったため病院に行く暇が取れず、気付けばだいぶ進行した状態だった。
命に別状のないものがほとんどらしいが、夏には入院しなければならないと言われた。
そのあと会社に戻ってからは諸々の調整に追われた。その時携わっていた大きなプロジェクトは幸い4月にひと段落する予定だったから、そこまでに溜まった有給のことも鑑みて6月末から長く休みを取ることになった。
退院して、そのあと職場に復帰できるのはどれほど早くても来年の春頃になる。ただ、その時も体が元通りになっているとは限らないし、そもそも働ける状況かどうかは分からない。
専門職とはいえ商材の中身によっては需要がないこともある仕事だ。会社が自分たちを必要としない商材ばかり出すようになれば仕事が減ってしまう、儚い職種でもある。この10年でここまで期間のブランクを作ったことはなかったので、戻った時に今どおりのポジションがあるかは分からない。つまり、この一ヶ月がこの職種でいられる最後の期間になるということも充分あり得る。
次の大きなプロジェクトにはおそらく後輩がメインで携わる。優秀だから何も心配はしていないし、休みを取ったあとも相談があれば受けられる体制にはなっている。また、この数年でチームの若手が何人も育って、スケジュールもかなり安定するようになった。転職したての頃に比べると、チームとしてはだいぶ盤石になっている方だと思う。
だから、会社や組織の心配はほとんどしていない。ただただ個人的に、好きだった仕事を離れ、その後も戻れるかどうか分からないのが辛い。
それから、通院や体調の関係で仕事のペースを落とさなければいけないのも悔しかった。
月1ほどで血圧や採血などをひと通り受ける検査があり、それが途中から2週間に1度になったので、行き帰りを考えてほぼ1日潰れる日がなかなかの頻度で発生した。日々の会議だけでなく、だいたい1〜2週間おきに納期がある仕事だったので、それも前日や翌日に調整する必要があった。
さらには、体調のままならない日も多かったため、その日の仕事の進捗が見積もりに届かないようなケースもしばしば発生した。そういう時は別の日に巻き返したり、そもそものスケジュールにバッファを取るなどして対応するしかなかった。必然、担当できる業務の量は以前よりずっと減った。せっかく裁量が大きくなっても実作業量の天井が見えてしまっている状況が、なんとも言えず歯痒かった。
ここまで書けばある程度察する人もいるかもしれないが、6月から取るのは産休だ。珍しい病気でもなんでもなく、子持ちで働いている女性のほとんどが経験していることだ。働く女性の多くに、こうした仕事との断絶が訪れている。
子どもができるのは有り難いことだと思う。それに、会社が業務量を調整してくれたり、制約がある状態でも4月までのプロジェクトを完走させてくれたことにはとても感謝している。技術をつけて、裁量の大きな仕事をどんどん巻き取ってくれたチームの後輩たちにも頭が上がらない。
客観的に見て、自分は環境に恵まれた方だ。けれどそんな状態でも、10年続けた好きな仕事を一度打ち切らなければいけない悔しさは変わらなかった。
子どもを恨む気持ちは一切ない。そもそも望んでいたことだし、責任をもって幸せな人生を用意するつもりでいる。だから、このまま子どもが生まれることを望む気持ちと、仕事を続けたかったという気持ちはそれぞれ独立して存在している。
両方を感じてみて分かったことだが、この2つの感情は、必ずしもお互いに打ち消し合う関係にはならないようだ。「子どもさえいなければ仕事を続けられたのに」とも、「子どもさえ可愛ければ仕事のことを諦められる」とも思わない。けれど、自分に子供ができる前、産休を取る人間はいずれもこのどちらかの答えを持っているものだと無意識に思っていた。
同様に、「子どもが欲しくてもできない人もいる」「子どもができてからそんなことを言うのは贅沢だ」という声も理解はできるけれど、実際に子どもをどれほど有り難いものだと思っていても、その得難いもののために他の全てを捨てられるような人間ばかりではない。そんなことすら、自分が当事者になって初めて分かったことだった。
この記事は、かつての不理解な自分に読ませるつもりで書き始めた。冒頭から産休のことを書かなかったのは、その情報が入った時点で、昔の自分なら「ああ、産休を取る側の人ね」と自分の人生から切り離し、ともすればその人の仕事への意欲すらも軽く見積もった状態で読み進めてしまいそうだったからだ。
自分と同じようにまっとうに働いていて、そこにブランクを作りたくないという思いの人間が産休を取る場合もあるということを、かつての自分は無自覚に想像の外へ置いていたと思う。
だからこそ、もしかするとそうした当事者に対して不用意な発言をすることもあったかもしれない。
人は自分から遠い立場の人間にほど想像力が働かなくなるもので、その浅慮に気づくのは自分が当事者になってからであることが多い。私もきっと、その一人だった。
世間的に、産休や育休からの復帰をとりまく環境は依然として厳しい。けれど、せめて周りにいる人間がほんの少し想像力を持って接するだけで心の休まる当事者がいるかもしれない。
彼女たちは、あるいは幸せだ。ただ同時に、困ってもいる。そして、「幸せだから困らない」「困るから幸せでない」とは限らない。
そう知っている人間が一人でも増えるだけでいい。具体的な助けになるのは難しいことかもしれないが、分かっていてくれるだけで充分救われる。
儚い願望と言うべきかもしれんかった