弱者への配慮って、余裕のある社会にだけ許される、儚い儚いお神輿の上のお題目だよね
それをわかっているからこそ、今の時代の我々は全力で弱者救済祭りを楽しんでいる
キャリアを握られて声を上げられない性被害者のために、性犯罪者に鉄槌を下す祭りができるのは、恵まれた社会に生きる人間の特権だ
この時代はすぐに失われるだろう
どの生物、どの国、どの時代を見ても、本当の意味で弱者が救われた社会なんて存在しないから
だからこそ、本当の意味で正しいことを言っている山下達郎を、正論をもってぶっ叩ける余裕のある今の社会こそ、我々が弱者以上に守らなければならないものだよな、と思っている
Permalink | 記事への反応(1) | 11:46
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安定した社会というのはその社会のルールの中では負け組の立場が決して覆されることがないことを意味する。 逆転の目はルール無用の暴力にしか残されないことになる。 そんな社会は...
それは政治的な仕組みの話でしょ 性犯罪に断固対処を、という空気は政治主導ではないんだけどな