はてなキーワード: 五感とは
小学校入る前から、度々、目の前に写ってる景色とは別に、記憶を思い出す時のように、いきなり映像が出てくる事があった。後々同じ光景が目前に現れるので、仮称デジャヴとする。
目の前の事よりも、デジャヴの方が面白いので、デジャヴばかりに気を取られるようになっていったら、親が自閉症検査を何度も受けさせるようになり、デジャヴは異常なんだと知る。
それ以降、ほぼデジャヴを見るのが少なくなったが、後々の試験問題予想や馬券を当てるのに使えて、数回は得した。
大人になってから、この話を親しい人に言ってみるのだが、だいたいが、なんとなく通った事のある道とか、なんとなく会った事のある人とか、ぼんやりした記憶らしい。自分のは、もっとクリアな、過去を見るような鮮明な未来の記憶。同じ体験を持つ人に会った事が無い。
そうこうしてるうちに、霊が見えるという人と知り合いになった。
その人でも、やっぱり不鮮明な未来記憶らしいのだが、あれこれ話しているうちに、徐々に能力が感染したのか、居ない筈のものの気配を感じたり、聞こえる筈の無い声が聞こえてきたり、何も匂わない筈の臭いがしたり、妙なものに五感が反応するようになった。
五感の中でも視覚がいまいちなのだが、親の死期には黒い影が見えるようになり、とある人物に黒い霧のようなものが渦を巻いていたのを見かけ(もやしもんの大学教授が黒い霧をまとっていたあんな映像)、その数ヵ月後、全身転移の癌で死んだのを知った。
黒い霧とは別に、神社の奉られてる神や古墳の埋葬者や土偶の持ち主ともコミュニケーション取れるようになってきた。博物館の展示品は、五分五分で、たまにイライラしてるのも居る。
でも、いずれにしても、結局、これらで得する事が無い。使い道のない能力。こういう能力あっても使い道が分からない。おみくじで大吉出しても、それだけじゃ幸せにはならないのと同じ。未来記憶なら使い道あったかもしれないけれど、出し方わからなくなったから、今ほとんど使えない。
同じような人いないでしょうか?
または、これって脳がどうなってる状態なのでしょうか?
公共の場所で嫌なコンテンツを見たら目を背ければいい。それだけです。
もちろん、私もポルノやグロ映像を新宿アルタや渋谷109の大画面で流していいとは考えません。ですがそれはあくまで『判断力の未成熟な未成年が見てしまうから』です。
なぜリベラルであることを強調するか。それは、五感の中でも『嫌いなものを見ない』は目を背けるだけで実現できる比較的容易なことであると考えるからです。
聴覚や嗅覚はそうはいきません。なので、『見て不快になるコンテンツは見る側に目を背けるという努力をさせるのではなく、不快になる人が見なくて済むように見せる側を規制するべきだ』が受け入れられるならば、『自閉症の人が突然上げる不快な奇声を聞かなくて済むように自閉症の人が公共の場所に出てくるのを規制しろ』『ホームレスの悪臭を嗅がなくて済むようにホームレスを公共の場所から追い出せ』はもっと通ってしまいます。
何もあなたがホームレス排除論者だと言うつもりはありません。単に『不快にならない権利』の危険さについて無自覚なだけでしょう。
これを機会に、『公共の場所で不快にならない権利』について熟慮されることをおすすめします。
id:hate_flag さん。なぜ不適切なのでしょうか? 私が見る限りあのポスターを批判している人は元々アニメ絵を嫌っている人だけであり、その点で言うなら『西武ライオンズの選手が献血広告に起用されてソフトバンク(orロッテorオリックスor日本ハムor楽天)ファンの私は不快になりました』と同レベルに見えますが。
id:skrnf さん。『悪臭で不快感を与えるホームレスは強制収容して正しい身だしなみや生活習慣を身に付けさせるべき。何もホームレスは皆殺しにせよと言っているのではない、公共の場所には相応しくないと言っているだけだ。』『自閉症患者は奇声を上げて不快感を与えるから強制的に入院させて治療するべき。何も自閉症患者を殺せと言っているのではない、公共の場所には相応しくないと言っているだけだ。』 は明らかに人権侵害です。では『このような性的に見られる可能性がありその結果として人に不快感を与える可能性のある絵は公共の場所から排除されるべき。何も禁書にせよと言っているのではない、公共の場所に相応しくないと言っているだけだ』は表現の自由という人権の侵害ではないのでしょうか?
id:Ayrtonism さん。極端な光量、音量などを用いるものは別として『一度見たら半日気分が悪くなる』そんなコンテンツがあるというのは少し想像できません。『テレビの近くで熱心に見ていたら少なくない確率で光過敏性てんかんを起こすコンテンツ』ならば確かに実在しましたが(ご存知ですよね?)、これだってよほど条件が揃って初めて効果を発揮するものです。『一定数が、見ただけで、生活に影響が出るほど気分が悪くなる』ような絵や映像があるならばまず兵器利用されているのではないでしょうか?(ポケモンショックの際、風刺でこのネタを見たことがあります)
簡単にいうと五感の接続が人とは少しズレていて、私は共感覚を恐らくもっている(恐らく、としたのはちゃんとした検査をしていないため)。
私は音や人の声が味で感じる時がある。
何を言っているのか分からないだろうが、クラシック(オーケストラ?)を聞くとココアやビターチョコレートのような味がする。そして、私は女優の天海祐希さんの声が苦手である(渋酸っぱい感じがする)。
そのため、人混み等のたくさんの物音が聞こえる場所では味がコロコロと変化するため混乱してしまったり、苦手な味を感じるとすこし落ち込むというか、滅入ってしまうのでそのような場ではイヤホンで音楽を流して過ごしている。
しかしながら、取引先など目上の方と外食をする時はイヤホンをつけっぱなしにするわけにもいかず、料理や酒の味よりも私の場合は音の味を強く感じてしまうため困っているのだが、何か良い方法はないだろうか?
家族は半信半疑ながらも理解してくれていて、家で食事をするときは皆で集まって食べていても1人だけ別室で食べることを許してくれていた。
また、田舎の出身のため友達の数も限られていて、昼飯の時はイヤホンをつけていても話せばなんとなくは理解してくれたので気楽だったのだが社会人になり、そのようなわがままを通すのも幅かられる気がしている。
公共の場所という存在は可能な限り多くの人に開かれているべきだ。
これが『不特定多数の人が出入りする私有地(店の中、鉄道駅の中など)』ならばある程度は所有者に決定権がある。
だがそうではない、路上や公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェミニストのためでもなく、それらを含む全ての人のための場所であるべきだ。
そしてそのような『公共の場所で許されない物事とはなにか』とは端的に言えば法律・条例に違反する行為であり、それ以上ではない。
だから、『○○のような存在を見たら私は不快になるので公共の場所で使わないでください』は少なくとも『見て不快になるから』だけが理由であるならば通るべきではない。
それを許容し始めると、「同性愛表現を見ると不快になるので公共の場所で使わないでください」「チマチョゴリを見ると不快になるので」「ムスリムを(ry」までは紙一重でしかない。
公共の場所で不快になる表現は、見なければいい。それだけだ。五感の中でも『見ない』ことは比較的容易な部類に入るだろう。
『大きな声や音を聞きたくない権利』『悪臭を嗅ぎたくない権利』と比べれば遥かに容易な棲み分けであることは自明だ。
(※『どうしても奇声を上げてしまう自閉症の人』や『生活習慣や体質的な問題で悪臭を発してしまうホームレスやワキガの人』をどこまで公共の場所は排除できるか、となるともっとデリケートな問題になる)
これはある意味正しい。なぜならば俺たちも公共の一員であり、『見たくない人を不快にする』というよりも重大な他者への迷惑をかけていない限り、公共の場は俺たち“にも”利用できるものでなければならない。
丁寧かつ具体的に教えてくれてありがとう。
今まで5つくらいバイトしてきたけど、客が少なく働いている人数も少ない田舎のコンビニでのバイトが一番長く続いたからとても的を射てると思う。こうやって書いてくれたおかげでなんで長続きしたのかよくわかった。
数字がわりと苦手なのでプログラミングは難しいかもしれないけど、やってみないことにはわからないし手を出すだけ出してみようかなと思うよ。
>それからもしかすると五感や注意力、集中力で人と認識が異なる事があるかも知れない。それは欠点でなく生かせるかもしれない。今の疲れた心だと多少難しいけど凝り固まって考えないで欲しい。
ここ読んでめちゃくちゃ泣いた、本当にありがとう。
それからもしかすると五感や注意力、集中力で人と認識が異なる事があるかも知れない。それは欠点でなく生かせるかもしれない。
今の疲れた心だと多少難しいけど凝り固まって考えないで欲しい。
なぜならば、公共の場所という存在は可能な限り多くの人に開かれているべきだからだ。
これが『不特定多数の人が出入りする私有地(店の中、鉄道の中など)』ならばある程度は所有者に決定権がある。
だが、そうではない、路上や公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェミニストのためでもなく、それらを含む全ての人のための場所であるべきであり、そのような『公共の場所で許されない物事とはなにか』とは端的に言えば法律・条例に違反する行為であり、それ以上ではない。
だから、『○○のような存在を見たら私は不快になるので公共の場所で使わないでください』は少なくとも『見て不快になるから』だけが理由であるならば通るべきではない。
それを許容し始めると、「同性愛表現を見ると不快になるので公共の場所で使わないでください」「チマチョゴリを見ると不快になるので」「ムスリムを(ry」までは紙一重でしかない。
だから、公共の場所で不快になる表現は、見なければいい。それだけだ。五感の中でも『見ない』ことは比較的容易な部類に入るだろう。
『大きな声や音を聞きたくない権利』『悪臭を嗅ぎたくない権利』と比べれば遥かに容易な棲み分けであることは自明だ。
(※『どうしても奇声を上げてしまう自閉症の人』や『生活習慣や体質的な問題で悪臭を発してしまうホームレスやワキガの人』をどこまで公共の場所は排除できるか、となるともっとデリケートな問題になる)
東京の大学ストレートで入学して、ストレートの4年で卒業して、就活では新卒で大手の金融機関入って。
こんなスペック持っている人がtwitterとかにはごろごろいるけれど、きっと日本の同年代人口の上位1割くらいの生活水準であったり、社会的名声を得ていると思う。
もちろん、客観的に見てだし、嫌みのつもりではない。
『FACTFULLNESS』って本をちらっと読んでなんとなく自分ってまぁまぁ上の方なんじゃないか?って思ってこう書いている。
本題から逸れた。
思うに、生き急ぐ必要なんてなかった。
旅系YouTuberの動画見たら、この世界はまだまだ広いんだなって思い始めたし、まだまだチャレンジしたことがないことだらけだった。
ろくに料理も知らないし、楽器もできないし、これといってスポーツも極められていない。もちろん、勉強も。
大学では無難に、無難に、面倒くさくなく、なるべく楽な方に、楽な方に生きてきた。
本気で取り組んだことなんてなかった。でも無駄に器用だから適当に頑張ったことを500000倍くらいに膨らまして話して、企業から内定何個かもらったりして。
その器用さが嫌になる。
俺、空っぽじゃん。気づいた。
そう気づいてさっき久々に一人暮らしの1Kで泣いた。わんわん泣いた。
24年間生きてきたけど、何をした?何を本気で取り組んだ?
そりゃ言われたことや頼まれたことはいいクオリティで仕上げてきた。ベストは尽くした。バイトでは褒められもしたし、ゼミだって先生に認められた。
でも本当に自分のやりたいことってなんだったんだ?
ただ、目の前の事を無難にこなすことに必死で、やりたいことがわからないまま今日を過ごしている。
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日本は福祉が充実しているし、生活保護というセーフティーネットもある。
就職だってあと数年は問題ないはず。wantedlyとか見てみろ、ずっとベンチャーが年中募集している。食い扶持に困ることはない。英語やITスキルさえあれば。
というか、ベンチャーは大学にめっちゃいて、変な体験してきたような学生が大好物だ。もはやスキルなんてなくてもやる気さえあれば大丈夫。
もし●●商事とか▽▽物産とか××銀行みたいなカンバンにこだわらなくてもいいプライドを持つ人間になれたならば、就活なんてしないでいろんな世界を見に行くべき。生の目で。
五感で感じる物事や頭でしっかり考えることを大事にしてほしい。
そして、自分が譲れないことや熱中できるものを見つけてほしい。働くのがすべてじゃない。
生き急ぐ必要なんてない。
アファンタジア(Aphantasia)とは心的イメージを思い浮かべることができず、頭の中でイメージを視覚化することのできない状態を指す言葉である。
アファンタジアの特徴として性的な妄想することができなかったり、一度会ったことのある人の顔を想起できない、などがある。
ときどき絵を描いているがオリジナルの絵は10年前より少しだけ上手くなっただけである。
ちなみに模写に関しては10年前より下手になっている。
重度のアファンタジアの人は言葉でしか思考できず、記憶を映像で思い出すことはできない。色や形や五感で感じるあらゆることを想像することもできない。
話は変わるが、記憶と想像は脳の中で処理が分かれているらしい。
頭の中で何回も想像していると自身の記憶と誤認するとかはないようだ。
思春期の頃から性的な妄想をした気になっていたが、実は性的な映像の記憶を思い出していただけのような……。