2019-11-04

守りたかったものは『公共の場所が公共の場であること』です

公共の場所という存在可能な限り多くの人に開かれているべきだ。

これが『不特定多数の人が出入りする私有地(店の中、鉄道駅の中など)』ならばある程度は所有者に決定権がある。

だがそうではない、路上公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェミニストのためでもなく、それらを含む全ての人のための場所であるべきだ。

そしてそのような『公共の場所で許されない物事とはなにか』とは端的に言えば法律条例違反する行為であり、それ以上ではない。

から、『○○のような存在を見たら私は不快になるので公共の場所で使わないでください』は少なくとも『見て不快になるから』だけが理由であるならば通るべきではない。

それを許容し始めると、「同性愛表現を見ると不快になるので公共の場所で使わないでください」「チマチョゴリを見ると不快になるので」「ムスリム(ry」までは紙一重しかない。

公共の場所で不快になる表現は、見なければいい。それだけだ。五感の中でも『見ない』ことは比較的容易な部類に入るだろう。

『大きな声や音を聞きたくない権利』『悪臭を嗅ぎたくない権利』と比べれば遥かに容易な棲み分けであることは自明だ。

(※『どうしても奇声を上げてしま自閉症の人』や『生活習慣や体質的問題悪臭を発してしまホームレスワキガの人』をどこまで公共の場所は排除できるか、となるともっとデリケート問題になる)

まり貴方意図していないだろうが

擁護派たちが擁護したいものがあるその世界を守りたいだけなのであろう。

これはある意味正しい。なぜならば俺たちも公共の一員であり、『見たくない人を不快にする』というよりも重大な他者への迷惑をかけていない限り、公共の場は俺たち“にも”利用できるものでなければならない。

そのような空間を守るために宇崎ちゃんポスター擁護しました。

anond:20191104183140

  • 、路上や公園といった公共の場所は男性のためでも、女性のためでも、異性愛者のためでも、同性愛者のためでも、日本人のためでも、在日外国人のためでも、オタクのためでも、フェ...

  • でもキモくて金のないおっさんが公園に滞在しているだけで不審者として通報し排除するような差別は肯定してしまうんですよねわかります

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