はてなキーワード: マウンティングとは
正直、嫌いなものを批判している時のほうが明らかに楽しいしアドレナリンが溢れてくるよね。他人が何が好きかなんてどうでもいいじゃん。そんなことより、マウンティングして「◯◯が嫌い」「◯◯死ね」って言ってるほうがずっと楽しい。
ところで。若い頃は人の陰口を言うような人間と思われたくないという理由で誰に何をされてもネガティブなことは全部黙ってたんだけど、歳を重ねてくると、人を利用するタイプの人は、まさにそういう私みたいな人間を狙うことがわかったので、最近は酷いことされたら積極的に陰口たたくようにしてる。
世間体を気にする中流階級DV男ものし上がろうという野心の高いマウンティング女も、みんなそういう「酷いことされてもぐっとこらえて口を閉じてる偉い人」を狙うので、弱者なくせに変に美意識だけがサムライなみなさん、お気をつけください。
普段の会話でも、やたら賞めちぎったり甘言を呈するかと思いきや、いきなり馴れ馴れしい口調で冗談のふりしてこちらを貶めるような失礼なことを言ってくるひとはそのパターンが多い。カモの自尊心のレベルを把握し、どこまでアビューズできる人物か探りを入れてるのだから、その時点で、切ったほうが。
ああ、そうか、恋愛工学とかナンパ術である「女をdisる」って女性の自尊心レベルをチェックするのに便利だからか。単純にマウントのためと考えていたけど、自尊心が低いとわかれば、主導権が握りやすくなる。
はてブ界隈を近頃騒がせているキーワードが「新卒フリーランス」。
【新卒フリーランス】早稲田を卒業したのでキャンピングカー生活始めます - やぎろぐ http://www.jimpei.net/entry/waseda
【新卒フリーランス】今が楽しすぎるので就職を辞めました。 - くっくす! http://www.yuiki1994.com/entry/syusyoku-shinai
「新卒フリーランス」22歳大好きなことで生きていく私の決断。|鳥巣愛佳@エアロビのお姉さん|note https://note.mu/aikaearo/n/nae56631aef73
彼らに"社会人"としてマウンティングしていく社畜根性丸出しの皆さんが大量発生している。ブコメやブログ記事で。
まず個人的に、そもそも内定をもらっておきながら直前で辞退するような彼ら「新卒フリーランス」たちには全く信頼が置けない。ただ、それはそれ。内定を出した会社は可哀想だが、新卒で就職しないという道を選ぶこと自体は否定されるべきではない。何も考えずに周りと同じように就活をしていた自分の違和感に気づくのが大学卒業間近だったというだっただけで、彼らは今より幼く未熟な哲学しか持ちあわせていなかったのだ。内定先に与えた損害以上の利益を社会に還元できるようになってほしいと望むばかりだ(やぎろぐの人の稼ぎ方には与沢センセー的な危うさを感じるけど、馬鹿が騙されるのは世のことわりなのでどうしようもない)。
人生はただ一度きり。各人が好きなように生きればいい。
ところが、内定辞退と稼ぎ方の危うさ以外の部分で、彼らをたしなめようとする"社会人"たちが現れるのが面白い。ここでいう"社会人"とは、一度は就職することのメリットと「新卒フリーランス」のデメリットを説きつつ、会社人にしかなれなかった己の自意識を守ろうとするタイプを指す(だいたい社会に生きているんだから、人間はすべからく社会人なわけで、彼らの言う"社会人"とは労働時間を売ることでサラリーを得る"会社人"を意味しているのだが、本論から外れるので議論を割愛する)。
"社会人"たちは
の不等式を前提に彼らを腐し、上から目線で「彼らには頑張ってほしい」と説諭する。傍からみていると、この状況はまるでコントだ。江戸時代の士農工商制度下で、労働時間を対価に稼ぐしかない農民が資本家である商人を見下すかのような。心に余裕がない会社人がわざわざ「新卒フリーランス」の生き方に反論したくなってくるんだろうな。でも、それは自分の境遇に対する不満の裏返しでしかない。
「新卒フリーランス」が会社人という普通の生き方をちょっと否定してきても、それを軽くいなして生暖かく見守ってあげればいい(彼らがどうなろうが知ったことではないし)。それが成熟した大人の特権。坊やたちが好きに生きて成功なり破滅なりしていくのを眺めるのが、それなりに自分のサラリーが安泰だと思っている会社人としての醍醐味でしょう。
でも、実際は会社にしがみつくしかなく、いつも組織と同僚と家庭について愚痴っているだけ。本音では新卒フリーランスを決断できる彼らを羨ましいと思いつつ、それを認めたら自分の人生を否定された気になるから、彼らを貶めるのかな。だから、イケハヤに馬鹿にされるんだよ。まだ東京で消耗してるの?社畜で消耗してるの?ってね。
ちなみに僕は、月間1000万PV超えのブログ群を運営していて、月の合計売上が数百万円くらいのしがないプロブロガーってやつですよ。リスク背負ってます。ブロガー向けのサロン(塾?)をやらないのかって尋ねられることもありますけど、やるわけないですよね。わざわざ自分で培ったちょっとしたノウハウを素人に提供する利点がないし、そもそも他人に講釈たれるようなレベルの知識も意欲もないですからね。たかだか数十万PV程度の規模で「ブロガーカレッジ」ですか?せめて「ブロガーネットワーク」的な体裁で信仰……じゃなくて親交を深めるくらいにしておけば、良心も痛まないんじゃないでしょうか。良心があれば、の話ですけども。
例1)
A:この店のラーメン美味しいよね!
B:逆にマズイでしょ。
例2)
B:いや、逆に明後日じゃない?
と、このように「逆に」は世の中に氾濫している。ときに何も逆ではないときにも「逆に」は使われる。
今やこの言葉は「なんか」とか「あの」とか「well…」の地位を奪おうとしている。「あの、このバスは〇〇に行きますか?」と言っていた人が「逆に、このバスは〇〇に行きますか?」と言いだすということだ。
以下は、「逆に」についての持論。あくまでも持論。
「逆に」は主にマウンティングの手段として用いられていた。つまり、自分が優位に立つためや相手の主張を否定する目的で使用されていたのだ。
例3)
B:えっ!逆に、今時テレビ見るんですね。
例4)
A:10代の頃は食べても太らなかったけど、今はほんとに太りやすくなったわ。
B:逆に、私はずっと太らないよ。
と、このように一部の人間たちがあまりにも逆に逆に言っていた。
というわけで逆に逆に言われた側が、「逆に」を使う人をちょっとバカにしようと思い始めたのだ。どうバカにするかというと、何も逆ではないところで「逆に」という言葉を使うのである。つまり相手の言葉を真似ておちょくるということだ。
例5)
A:昨日の夜はあまり眠れなかったなぁ。
B:逆に普段が寝すぎなんじゃないの?
もはやカオス。
しかし私が思うに、
現在「逆に」はかなり多くの人に受け入れられ、何も逆ではないところで敢えて「逆に」と言うのは面白いという地位まで確立しつつある。
そして、
普段イエスマンになっていてなかなか相手に自分の意見を言えない人が「逆に」と冗談めかして言うことで、波風立てずに反対意見を言うことができるという、超有効利用もされている。
このように「逆に」は人々の間に浸透していった。私たちの無意識下に入り込み、もはや意図せずして「逆に」と言ってしまうようになった人もいる。
攻撃として使われたり人を笑わせるために使われたり、忌み嫌われたり受け入れられたり、空気のように当たり前の存在になったり。
「逆に」は私の想像を上回る。
「逆に」の今後の躍進に、逆に期待している。
http://anond.hatelabo.jp/20160331141519
最近巷で東京カレンダーはやってますけど、あれって全部作り話だというのは良くてもちょいと下品というか下賎すぎませんかね。
友達経由で知ったけど、これとか地方出身者としてどこが「錦」なのかわからねえって話なわけですよ。
https://tokyo-calendar.jp/article/5976
どこがパワフルなのかというよりは、見た目以外なんもねーんだなこいつという感。
フリーランスって結局モデルじゃねえかよ、という素敵なオチ芸まで披露頂き涙を禁じえません。
http://ameblo.jp/aricherababy/
東カレがらみだと、下記の通りしょぼい嘘っぱちを並べていると。
http://blogos.com/article/170047/
そんなわけで、友人に言わせるところ「上京カレンダー」というの概して同意するし、
何かに寄りかからなければ自分を証明できない迷える子羊ちゃんにとって光り輝くメディアなのでしょうね。
個人的な所感としてましては、登場人物(書き手の自己投影だろうけど)の特徴は・・・
・潔いほどセックス以外興味ない
・バカ舌
なんというか、作り話としては面白いんだけど、その裏にある作り手の下衆顔とその人の自覚のない心の虚無に少しばかり想いを馳せた4月1日。
苗字よりも戦国武将とかの反応よりも、はてなーのメイン層が40代なんだなってことに驚愕。
突っ込まれてるけど、良い歳してたまたま少しだけ知ってることを傘に来てバカにするようなおじさん達のコメントをいつも見てるんだって思ったらなんか切ない。
重要だからブックマークするんじゃなくて、マウンティングしたいからブックマークする人多いんだなって。
それでもまだ良識ある方だと思うし情報源としては大切なんだけど、やっぱりなぁ。
僕は歴史好きですけどね、今になって通説がひっくり返ったり名前の読み方判明したりする資料発見されるようなこと結構頻繁にあるんですよ。
http://www.mudainodocument.com/articles/36348.html
東大病院で勤務してるこの女医さんの可愛いさと苗字凄すぎワロタwwwww - 無題のドキュメント
http://b.hatena.ne.jp/entry.touch/www.mudainodocument.com/articles/36348.html
はてなブックマーク - おもしろ - 東大病院で勤務してるこの女医さんの可愛いさと苗字凄すぎワロタwwwww : 無題のドキュメント
今日スマホでまなめはうすみたら、スマホ対応のデザインじゃなかったことにすげーびっくりした。あのクラスの人なら当然やってるかできないならできないでできるサービスに移籍してるもんだと思ってただけに意外だった。— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2016年3月14日
まぁ、エロゲとかAVの人よりも僕のジャンルであるブログの方からいいたいね。
「スマホ対応のデザインにしろ」「対応しないならスマホとPCのデザイン別々にしろ」「お前らがネットとかはてブであぐらかいたり、新参者を互助会と揶揄してるが古参こそ狭いPCユーザー間で駄サイクルだろ」と
デザイン対応したと行ってもユーザーから見たら何がそんなに変わったのかもちっともわからない自己満足レベル。
さらに「あのクラスの人なら当然やってるかできないならできないでできるサービスに移籍してるもんだと思ってた」
意味不明である。この人物がはてなキチなのはわかっているが全てが自分基準で動いているとでも思っているのだろうか。
むしろ青二才の価値は、他の人がやろうとしない馬鹿げたことを本気でやってることにあるはずなのだが。
青二才がまじめにやってることに普通の人は興味が無いということが未だにわからないのだろうか。
できるようになったらすぐにマウンティングの材料にする節操の無さ。
その瞬間瞬間に生きてるライブ感。
そこにしびれないし憧れないけどほんとすこ。
青二才前日まで非モテであっても彼女が出来た瞬間に非モテをバカにするトークをしそう。
あれあれ、そもそも青二才さんはなんで彼女いないんでしょうか。
「青二才さんクラスの人なら当然彼女の一人くらいいるか、いないなら彼女が作れるサービスに移る」もんだと思ってただけに意外だった。
90年代ごろ、メールやネットニュースは半角80文字くらいで改行を入れるのがマナーとされていて、それを半端に理解したマナー警察がwebの掲示版でもそうするのがマナーだってマウンティングしまくっていて、それは違うと言ってもまったく理解されなかったのを思い出した。
頭わりークソガキだな
産まれたときが同じなら大人もその同じから分岐した同じ結果にすぎない
あっという間に吸収し獲得し定着するわけだがどこで線引きをするわけ?
考えてないだろ、馬鹿が
何が純真無垢かそうでないかを決めつけてるのが既にマウンティングなんだよ
その判断を下す者が自分の方が上の立場だと思ってないとできない相対的評価
その裏付けが要するに知能の差だが例えばここに人間をはるかに上回る知能を持つ超知能がいたとしよう
お前が一生かけても理解できないレベルの問題をわずか数秒で理解し解決できるほどの知能を持つと仮定しよう
宇宙人でもいいし異世界人でもいいし、もっと現実的に言えば完成したAIでもいい
そいつらからしたらお前も病気かと思うくらいに赤子レベルで頭わりーんだよ
そうすると超知能から見た大人も赤子もどっちも同じくらい純真無垢扱いされる
言ってる意味分かるか?
知能レベル1000000000000000にとって大人の100も赤子の1も同レベルで相手にならないってこと
うちは教授が方針たくさん学外から取ってた。俺は学部は東大の工で修士は新領域に行ったんだけど、新領域ってまあ名前の通り新領域なことをやるのが本義なのね。本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所じゃいけないんだよ。それ○○学部でできるじゃん、って研究ばっかりな中で尖った研究してたのは外部から入ってきた人たちだった。研究室内でも議論するときにはとてもいい刺激になった。修士くらいってまだまだディシプリン身につけなきゃいけないレベルなことが多くって、やっぱその意味で粗削りすぎるだろって感じになったことは自分の研究についても反省するところだけど、まあその分学んだことも多かったよ。
まさに君が問題を指摘している「研究テーマだけは壮大ですが、その実質は…」というやつだね。要はバランスだと思ってる。分散が大きい中で、良いバランスや相互作用を出すように配分したら、そういう例が出てきて当然だし、その担い手が「ロンダ」っぽい人に偏るのは必然だね。構造的欠陥ってやつだ。
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ある夜、喫煙所で ―君が言うロンダ組は喫煙率もやったら高いんだよね― ひと悶着あったんだ。あんたみたいな人が、そのままそういう内容を本人たちに向かって口にしたわけよ。結局、みんな適当にスルーしたけど。場を離れた後、学部東大出身の先輩がブチ切れてて。「あんなクソみたいなやつらの言葉に耳貸す必要ないわよ!」ってね。他大出身の後輩の中には、萎縮しちゃった人もいたので、迷惑ーって思ったね。
「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」という理想の実現はそう簡単じゃない。せっかく賢いなら、その「ロンダ」に対する視線の代わりにもう少し建設的なことをお願いしたい。もし、入ってきた人間が、その研究室に関わりのあることで君が学ぶべきところが全くないとしたら、そもそも十分に研究の議論をするような雰囲気を作れていないとかそういうことを疑って改善すべきで、その研究科の入試が極端に杜撰だとか、君が perfect human だとか仮説立てるのはセンスが悪いと思うよ。もちろん雰囲気とか機会とかの問題は教員の問題も大きいのだろうけれど。
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ロンダがしやすいと言われている場所ってのは、教員たちが既存のディシプリンで一次元的に測れる能力以外の部分をなるべく推し量って、政府流行用語つかえば「イノベーティブ」な研究教育を志向して体制組んでるんだよ。それがロンダと揶揄されるのは、その試みが十分に成功していないという問題でもあるんだろうけれど、少なくとも既存のディシプリンに浸かった上にそれに反省がなさそうな君(「学部の継続で修士に進み」というあたりを自信たっぷりに言ってるあたり)が批判しているのを見ると、君みたいな学生を取ったことの方が間違いだと思う。それは君が無能だという意味ではなく、相性の問題で。別にディシプリンしっかり身に着けているに越したことはないけれど、「多様なバックグラウンドを持った学生による、革新的で斬新な分野の研究」を目指すのに一緒にやっていける学生を取るべきだから。もちろん、冒頭で少し漏らしたように「本郷の○○学部でやっていけなかった先生が流れてくる場所」という側面もあるし、現実はそう単純じゃないけどね。境界めいたことをしてきた大物の先生たちに飲み会でどういう道筋をたどってきたか聞いてみるのも面白いよ、いろんな転換をモノにしてきている先生が多い。
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元増田に批判的な書き方になったけど、学際領域が抱えるあるある問題で、ちょっとその点に関する研究教育の在り方が進歩しなさすぎだよね。もう少し研究室間とかで良い相互作用を起こすための知見とかが共有されるべきだとか、研究科としての改善は必要だと思う。元増田も関係しそうな読者もロンダと言われている人たちへのマウンティングではなく、学際領域での研究教育の問題として捉えなおして考えて欲しい。