はてなキーワード: ブルマとは
高校で男子校に入学して以来、女性と付き合うきっかけを完全に失ってしまった。
それは前述したように、学校での同級生が同性で遊ぶ方が楽しいという雰囲気に包まれていたため、あえて積極的に女子と仲良くなろうという気にさせなかったのだ。
なぜなら現実世界では絶対にかかわることのできない女子が夢の中に出てくるのだ。
寝るのが楽しみで、起きている間はとても苦痛だった。
その時はとても楽しい夢だった。
だが、30年間続くとさすがにうんざりする。
夢によく出てくる同じクラスだった田口さんや豊島さんは、自分と同じ44歳である。
夢の中では自分と恥ずかしそうに喋っているが、そんな恥じらいはもうないだろう。
もう田口でも豊島でもなく、別の苗字を名乗って、それぞれの人生を着実に歩んでいるだろう。
その時は全く楽しいともつまらないとも思っていなかったその時期が人生のピークだったのだ。
毎日が楽しいというわけでもなかったが、後から振り返れば、それが楽しい毎日だったのだ。
青春というのは残酷で過ごしている間は青春と感じさせず、あとから気づくものらしい。
でも、自分の人生のピークがあのときで終わりなんてとても悲しい。
普通の中学生なら当然に過ごせた1年間が自分にとってのピークだったのだ。
昨晩も体育館で馬跳びをしている女子を筋トレしながら見とれる夢だった。
時代錯誤も甚だしい。
そしてさっき昼寝をしたときに見た夢は、中学校の裏で同じクラスの女子と胸をドキドキさせながら喋っていた夢だった。
教室掃除のあと、同じクラスの女子と一緒に学校の裏のゴミ捨て場にゴミを捨てに行くのである。
現実ではこんなことは一度もなかったが、夢の中の自分は、半ばこれが夢であることがわかっていたのだろう。
夢から醒める前にせめて積極的に話しかけて幸せな気持ちを味わいたいのである。
話しかけた相手は、少し恥ずかしそうだけど、楽しそうに話を聞いてくれた。
ただ、起きて現実を知ると、その夢は幸せな夢ではなく、むしろ悪夢である。
悪夢を見た人が現実に戻って、「ああ、夢でよかった」と感じるらしいが、自分は違う。
李徴は役人という身分まで手に入れたのに、詩人としての名声を手に入れるため、官職を手放し、放浪し、遁世し、人食い虎に変身してしまう。
李徴の気持ちがわからなくもないが、それでも彼は役人になる過程で、嫁や子どもも手に入れ、最後に名声を貪欲に手に入れようとしたため、失敗した。
まぁ多分女の子が馬と同じノリで走ったら面白いんじゃね?だろうし
プロデューサーだったかの説明では「エルフ的なものだと思ってください」だったしな
それを応援する我々は人間で男女問わずに応援してるしつの丸なんか全裸で応援させてたじゃん
馬時代にあった雌雄は短パンとブルマへ 配合は継承へ委ねられる訳
時速60キロ以上出すとかそのまんま全速力で一キロ走るとか三キロ走るとか人間には無茶だし
だけどトレーナーはただ早いだけのウマ娘達の出来ることを見極めなくちゃならない
見極めて、指示して、時にはウマ娘と同じスピードの機械に乗って檄を飛ばさなきゃならない
馬じゃないから
その成長を見守られた訳でもないから
大きくなった時に更に高い金を出された訳ではないから
騎手達のように毎日自分の体重管理を厳重にやってる訳ではないから
青春の時間を馬に乗って走る為だけに使って、見事それを勝ち取った訳ではないから
そこは違う。
彼らみたいに命を賭けてる存在とは違う。
そこに「エルフみたいなもんだ」って理由付けがあったら尚更「そうだそうだ」と思ってしまう
そうやって男女一緒になって騎手とか、馬とか、ウマ娘とかを応援するんでしょ。
そこで逆に性別が一つの方がって思ってる方が性差別な感じするけどね。男だって馬を育ててぇよ。
景観がどうこうじゃなくて、愛馬を育てるアツさの片鱗を感じたいよ。
(今回はクソ度の高かった増田が次々と行方不明に。それでもヤバい増田は続々と出現しています。→【今回の幕内】)
再投稿ネタを指摘する増田。複数人おり、微妙に仕事ぶりが異なる。ただご存じの通りブクマカはトラバも本文も読まない上、過去の再放送ネタにも平気で釣られて伸ばすダボハゼなので、あまり意味はない。
昨年9月頃から「人生がクールポコ状態。」なるタイトルの増田を何度も投稿している増田。当初本文はほぼ全て空で、全く意図がわからなかったが、最近は申し訳程度の文章があることも多い。
なんでもかんでも「これは私たちフェミニストの総意。」で締めようとする増田。しかもフェミニズムと全く関係のない話題がかなり多い。
回文になっていない回文から始まる増田。水曜日以外もすいすいようび。超長文だが日に二度以上の連投は行わず、概ね無害で愉快な存在。しかしあの文体とテンションは別の意味でヤバい。
プレミアムフライデー以外の金曜日に「今日はプレミアムフライデーではありません」と周知する増田。散った散った。
「雑誌『映画秘宝』の記憶」というタイトルで、映画秘宝をナンバリングのついた記事で批判している増田。内容自体はそこまでヤバくない。
「増田のチンフェ」の異名を取り散々暴れ回った横綱だが、最近は活動が確認されていない。しかしあいつのことなので、今頃別の嫌がらせに走っている可能性も否定できない。
やたらと句点を連打してクソトラバを垂れ流す、↑の生き別れの弟のような存在。
末期には反出生主義芸に走り「生まれなければ以下略」といった内容の定型無差別トラバを乱発していたが、これが規約に引っかかったのか投稿が全部消えた。
前回の番付で見事優勝してしまったスパムだが、増田ではここ最近全く出現していない。ただブックマークの方には相変わらず変なのが多く、こちらの対処は未だ進んでいない様子。
ちょっと機会があったので、女の子の前でおちんちんをおっきくして、しこしこしながら雑談をしてみた。
女の子を目の前にして、性器を、それも勃起してしこしこしてるなんて、なんてエロ変態な行為なんだー!と思ってたけど、
漫画の話をしてたらスマホで調べたりメモしたり、おちんちんは小さくなって放置された。
女の子は座ったままジーンズを脱いでぱぱぱっと下半身下着姿になり、
「おかずですよー」とショーツを引っ張ったり寄せたり、
もう陰毛は見えてるんだけど割れ目は見せないよ、なポリシーかと思ったら、
「えいっ」とまる見えにさせたし、「私も見せる」と女の子もショーツを脱いだ。
床に「ぺたん」と横たわってたおちんちんはぐんぐんぐんと大きくなて、
女の子はその変化を見てて「反応が敏感だね。フィン・ファンネルかよw」。
茶番でゴメンね。
小学4年制の時、なんか女の子の家で遊ぶことになって、その子の家は共稼ぎで、
最初はこたつに入って漫画読んだりしてたんだけど、女の子が「私今から寝た振りするから、
こたつの中でエッチなことして」「エッチなことって?」「パンツ脱がしたりとか」「うん」。
女の子は目をつぶって寝た振り。僕はこたつに潜って、真っ赤な視界の中、
「脱がしたよ」「触ったりして」「どうやって?」「なんか、こんなふうに」って自分の手で仕草するけど、
僕にはよくわからないし。ただ女の子の、いわゆる真っ直ぐな「割れ目」があった。
だけど知識の全然足らなさ、なめることも知らないしくりとりすもしらないし、
おっぱいも知らないしキスも知らないし、もちろん挿入も知らないし、
お互いあんまり面白くならなかったので、20分ぐらいで終わった。
それから「これも内緒だけど、赤ちゃんは『生理』からできるんだって」とか教えてもらった。
その女の子とは、それきり。
結論から言うと、東軍が勝ったパンティーラインに住んでる人かわいそう。
パンティー川家康は関ケ原でパンティーを被り討ち死に。パンティー川秀忠は切腹。両者のフンドシは一条戻橋に晒される。徳川家は結城秀康が引き継ぐも程なくパンティー川家に改名され実質滅亡。
その後パン東ィーには何人か大名が移り住んだが誰も定着せず荒れ野のまま。
パン東ィーなんて今もほとんど人が住んでいないド田舎の話は誰も興味がないと思うので話を元に戻す。
パンティーケ原の戦い後、小早川秀秋が白パンティーを履くも5年で病死。その後は豊臣秀頼が白パンティーを履く。日本は上杉、宇喜多、毛利、島津などが各地域を100年ほど分割支配し、相互監督をはたらかせていたが、パンティーぬがしっこが起こらず、外国との下着交易も進みパンティー業が発展していったので時代遅れな武士は次第に消えていった。その代わりに交易で利益を上げた大名が豊臣を中心にパンティー体化していく。というわけでこちらの歴史の授業ではいちいち武将の名前なんて覚えない。そちらではやたらと武士がもてはやされているらしいが、こちらでは武士は鎌倉幕府まではともかく、室町幕府以降はフンドシしか履いていなかった印象で、野蛮で恥ずかしい存在でしかない。交易でパンティーが発展しているので、日本のせまーいフンドシでチンポなんてものを覆わせて税金を徴収するなんてバカなことはパンティーケ原の戦いの50年後にはなくなった。18世紀に入ると各地域の下着難民や縫製労働者が蜂起して自パンティー権が漸次的に認められるようになっていく。そちらとは違って武士の強権的な支配がないのでゆるやかにパンティー化していく素地があった。パンティー教も新旧両派が認められ、汎帝教と二大勢力になっている。その後、ヴァンディー教やパンツィル教を信じる人も増えていく。フンドシがいなくなっていくにつれてブリーフやトランクスは消えていった。後述のように、近隣のアジア諸国でもトランクスは消えていった。今でも下着の残骸のようなものは残っているが装着する人は誰もいない。
19世紀になると大名が支配していた地域で縫製労働者や下着難民の代表者からなるパンティー会と豊臣を首班とするパンティー人からなる下着会が設置されていく。いわゆる列強とも条約を締結したが、そちらの江戸幕府とかいうものが結んだような不平等条約ではない。もちろん条約は下着会が承認する。19世紀の半ばにはアメリカやヨーロッパの思想がパンティー語に翻訳され、誰でも読めるようになっているが、モンテスキューやロックの思想はパンティーと大して関係がないということで学校で議論する程度。そちらの学校では武士の強権的な支配によって作られたせいで自由に議論することは認められてないらしいけど、こちらは子どもたちが自由にパンティーを履いて走り回るのがメイン。この教育をきっかけにパンティー族の力は次第に失われていく。19世紀半ば以降は欧米列強に対抗するため、近隣諸国と連合巨大パンティーを形成する構想が何度も浮かぶ。アジア大陸では日本と同様、汎帝教とパンティー教がメイン。フンドシ教は非合理的なので衰退。ここでは一致できるのだが、しかし、ヨーロッパ発の裸体主義思想の影響もありうまくいかない。結局最初は2~3か国の同盟からパンティー連合が始まる。19世紀終盤にはアジア圏と欧米列強との間で大きなパンティー戦争が起きる。フンドシのような抑圧的で野蛮な下着が早い時期になくなり、無駄な戦争はしなくなっていったこともあり、1年ちょっとで早々に講和条約を締結。20世紀を迎える。
20世紀に入ると漸次的に汎アジア国家条約連合(PANTY)が形成されていく。PANTYはそれぞれの装着者で温度差はあるものの人体の曲線的な魅力を布地が補強するコンセプトからなる。パンティー列島地域は力を失ったパンティー族が政治的な実権を失い、国民代表からなる下着会と各地域の代表者からなる元パンティー院、PANTY議会に派遣される議員が存在している。ヨーロッパで発生したヌーディズムと戦う第二次世界大戦はこちらの世界でも勃発する。しかし、パンティー地域に没個性で野蛮なフンドシが存在しないこちらの世界では他国に侵略を行うようなことはない。PANTY含む連合国がイタリアのヌーディストとノーパンドイツを倒して戦争は2年半で終結。その後、PANTYとブルマ圏、欧米諸国との間でイタリアとドイツを再建。アジア大陸では中国全裸党とPANTYの戦いが続くが、1964年に休戦。中華全裸共和国はそちらの世界よりも規模がかなり小さく(朝鮮半島の付け根北部地域のみ)、影響力もあまりない。PANTYは中東諸国に対するブルマ圏やアメリカの侵略からの防衛にあたり、友好関係を現在に至るまで結び、勢力圏を拡大。意地でもヌーディズムを譲らないソ連と意地でもブリーフを手放さないアメリカは1980年代になると衰退していく。インドや中東諸国が加入したことでPANTYは汎アジア・インド・中東国家条約連合(PANTIES)へと改組される。PANTIESとブルマ連合がアメリカとソ連の再建の中心となる。
21世紀に入ると世界はPANTIES、ブルマ連合、全裸連合、ノーパン連合、紐パン連合の連邦国家で構成されていく。返す返すも、そっちの世界のように東パンティーの野蛮な武士が支配権を握らなくてよかったと思ってる。