はてなキーワード: サブプライムローンとは
アメリカと一言で言っても、企業の正社員(フルタイム)とそれ以外では雲泥の差だろ。
フルタイムにとってクレジットカードは電子マネーの代わりでも、プアー層にとってはなんでも買える魔法の借金カードだったことには変わりがない。
サブプライムみたいなもんが流行るということがどういうことなのか?ということを考えずに、フルタイムの話をされても実地にあってない。
リーマン・ショック、リーマンショック、いうてるけどサブプライムローン問題を忘れちゃいけない。
もう1つADHDがADHDじゃないのに製薬会社が薬を売りたいから過剰処方してきた。という歴史からみてもわかるように、マスコミの誤報は意図的だと思ったほうがいい。
書いた奴=依頼企業の思う壺だぞ。
前も旅行業界は華やかで楽しいなあんて書かれたら翌年の人気企業ランキングにJTBが堂々一位だったことがある。今は違うけど。
華やかなのは表向きで、というか華やかなのは添乗員だけで大方は販売営業職について客を騙してクソ物件を売り付けるアコギな商売の片棒を担ぐだけ。
さらに激務薄給の代名詞ですらある旅行業界に、以前「穴場業界」と紹介されてホイホイ就いて離職して行った新入社員は数知れず。
また、サブプライムローンやリーマンショックで実態がバレるまでは不動産や証券会社が花形だと言われていたが今はどうだ?野村証券なんて今ではブラック企業殿堂入りを果してる。
この間の震災で東京電力を含む電力会社の信用がガタ落ちしたが震災以前はこれまた超優良企業に挙げられ、大学生に大人気だっただろ。
こんなに「穴場」という言葉に騙されてもなお、甘い業界があると本気で信じてる諸君。現実は甘くない。
今、「穴場職業」というと学校事務をよく目にするが、全然楽じゃない。公務員もびっくりのサビ残&成果主義、パワハラが日常的に行われている。それに、悪い意味で染まる。
確かに福利厚生が良いのでそこだけ目を瞑れば優良物件かもしれない。
ただ、同じ条件ならIT業界の独立系SIer(非客先常駐型)の方がまだいい。知識と経験を積むことができるし、それを土台に転職や起業への道が開かれている。
だからとは言わないが、安易に「穴場」だからという理由で就職するのは危険だよ。
まず、何故「穴場」なのか疑え。業界の人は全員知っている。そこは「穴場」なんかじゃない事を。
・営業手当が出る。(交通費支給分に含まれない)
・基本給(大卒平均初任給19.5万円前後)+インセンティブ制(完全歩合制でない)
・基本給が普通。(営業手当+地域手当+調整手当が別途でつくが基本給が低く抑えられていない)
・生保営業。(震災後の需要に対して供給過多。不払い問題。大手のつぶし合いのため中小零細が死亡。大手は未だ女性向けに求人を出しているが求職者が殆ど来ない悪循環に陥ってる)
・不動産営業。(サブプライムローンやリーマンショック等でポスティング営業が死亡。不況の影響でBtoCが急増したため潰し合い。ノルマが多い。その割に営業ノルマへのインセンティブが異常に低い。完全実力主義)
・証券営業。(先物取引。現在もっとも不況の煽りを受けている営業種。肉体労働メインのため自殺者が最も多い(日経調べ)。粉飾決算が多く詐欺も多いため殆どが違法行為で何かしらの罰則を受けている)
・提案営業。(ブラックによくある「コンサルティング営業」のこと。飛び込み営業や新規開拓営業がとりわけ多い。企画営業よりも難しくノルマが厳しい上級者向け。新卒で勤まるのはOFFJT・OJT教育が万全の主要大手のみ。残業手当がないことが多く、当然営業手当もない。人脈作りにはもってこいなのでコミュニケーションの取れる体育会系向け。俗に社畜と呼ばれる人は大抵この営業種)
・金融営業。(気苦労の多い営業種。やや飽和気味。インセンティブはそれなりだが、BtoB(ルート含む)でさえ人格破綻者が多く鬱にかかりやすい。)
・ホスト(ホステス)。(完全歩合制。主に人間関係のトラブルが多く、指名が取れれば取れるほど負担の大きい内勤営業。一部カリスマを除き格差の多い構造。暴力団との繋がりが根強くたびたび警察やマスメディアに御厄介になる華やかな営業種。学歴は中卒以上であれば誰でも、犯罪者でも指名手配犯でもなれる楽な業界。実際に15歳程度から働いているところもある。実は風俗の方が管理体制が行き届いており、ホストクラブは非常に劣悪な環境にある事が多い。)
・飲料営業。 (ルート営業の一つで飲料の配送や配達などを行う。普免必須。ビール主要大手、特定健康~飲料系を除いてブラックと呼ばれる。冬場の過労死がきわめて多い。基本給が低く、インセンティブも全く出ない社畜のスペシャリストが集まる営業種。何故か文系が多い)
・移動販売。 (化粧品・布団など自社製品や売れ残りを高く売る詐欺商売。体育会系が多く、肉体労働メイン。ノルマは実はそれほどでもない。というのも自爆営業という画期的な商売によって成り立っている。誰にでもできる簡単なお仕事です)
・サービスエンジニア。(IT土方の草分け。残業手当が出る所もあるが出向会社次第。実はIT派遣が一番儲かる。土日は完全週休2日制の所が多いが1日の拘束時間が相当なので負担が大きい。3年以内の離職率が高いため入社難易度がきわめて低い)
・郵便局員。 (契約社員だけでなく正社員にも多い、自社の商品を社員に買わせてノルマを達成させる「自爆営業」で成り立っている。民営化以前までは羽振りが良くカラ残業も多かったが民営化後は自爆営業によって保ってきた。のちに公社化すると共に正社員のカラ残業も復活。但し契約社員以下長期パートなどは特に給与が都道府県最低賃金で待遇も変わらず奴隷のまま。正社員登用有の甘い罠に注意。)
・家電営業。(エコポイントの終了と共にバブルが弾けた。それ以前から問題視されていた自爆営業がますます酷くなった。メーカーと異なり社員割引がなくノルマですらない。給与が低くインセンティブ便りだが家電が全く売れず。詐欺まがいの営業でたびたび話題になっている。社長が神様で本社の玄関に肖像画が置いてる所もある(ワタミじゃないよw)
・芸能人。(大手事務所だったり軌道に乗ると問題ないが、中小事務所は供給過多気味で最近は着エロからAV転向にスライドさせている。枕営業が存在し、日本以外にも韓国やアメリカで社会問題にまで発展したケースもある。給与は固定給(5~10万)+印税(事務所90%)。超絶ブラック。学業優先の事務所が多いため拘束時間はそれほどないが肉体的負担が多い。常にマスメディアと世間の目を気にして生きて行かなくてはならない。バーニング系事務所は要注意)
私は少なくともお金持ちではないが、お金に対して恐らく真理であるだろうことの一端を掴んでいると思う。それは、お金に価値があるという誤解が経済を破滅へ導く、ということだ。
まず最初に自覚すべきことは、お金というものはそれ単体ではなんの価値もない、ということだ。本当に価値があるのは土地や食べ物といった現物であり、お金そのものではない。お金は単にそれらのものと交換が出来るだけで、もしお金を何かしら現物や権利と交換できないとしたら、それは単なる紙切れでしかないのだ。
ここで敏い方ならこう思うだろう、定義が違う、何かと交換できるものがお金と定義されているのだ、と。しかしそれはやっぱり違う。お米と着物を交換したとしても、お米も着物もお金とは違う。では、いったい何がお金をお金たらしめているのか?それは「信用」だ。
そもそも私たちは物を売るとき、買うとき、なぜお金を使うのか?それは、私達がお金は多くのものと交換することが出来ると信じているからである。ここで重要なのが、みんながお金を信じている、ということである。
ここでひとつ極端な例を出そう。あなたはコンビニでレジ係をやっている。やってきたお客が山ほどのお札を出してジュースを一本買おうとした。しかしそのお札は、ジンバブエ・ドルだった。あなたはジュースとジンバブエ・ドルの交換をするだろうか?しないだろう。お客は一生懸命あなたに説明する。このジンバブエ・ドルは偽札ではないこと。日本円で考えたらジュース一本分の値段に相当すること。しかしそれで納得するだろうか?しないだろう。なぜか考えてみた時、答えはジンバブエ・ドルは他の場所では使えないから、というものが出て来はしないか。それはジンバブエ・ドルが通貨として有効だと思われていない=「信用」がないからである。
この「信用」がなければ、お金はただの紙切れにすぎないのだ。
では、この「信用」を作り出しているのは何者なのか、現代のお金はいかにして発行されているのかを追求して考えると、巨大な詐欺と呼んで差し支えない構造に行き当たるが、それは本題ではないので置いておく。今私が話題にしたいのは、みんながお金を信じているという事だ。みんながお金に価値があると信じた時、お金は様々な手段で自己増殖をはじめる。
上手く説明できるかわからないが、例を紹介しようと思う。余談だが、この例を理解してくれる人に出会ったことがない。
AさんとBさんがいる。AさんはBさんに100円を借りた。利子は1割で、AさんはBさんに110円返せばいい。そしてBさんはAさんに100円を1割の利子で貸すという証文を書いた。この証文は約束を書いた紙切れである。しかし、お金を信じている人にとっては110円の価値がある証券である。けれども待って欲しい。今、AさんとBさんの間には100円しかない。だが、利子付きの借金のおかげで、二人の間では110円のお金がやり取りされることになっている。この10円はどこから生まれたのだろうか?それは二人の間の「信用」から生まれたのだ。Aさんは、後から110円にして返すから今100円を貸して欲しいとBさんに頼んだ。Bさんはその言葉を信じたから100円を貸したのだ。その「信用」を計ったところ、10円に相当した。言わば、この10円は「信用」に依って生み出された仮のお金なのだ。
さて、Aさんがどこかから10円余分に引っ張ってきてBさんに110円を返すことができたら、めでたしめでたしである。しかしそれが出来なかった時、どうなるのか?110円を用意できなかったAさんは、他の人から120円返す約束をして110円を借りるかもしれない。しかしそうしたらまた10円分仮のお金が増えてしまう。この利子分は仮のお金で現金ではないが、お金を信じている人は利子分を含めた証券を見て、120円のお金があると計算してしまう。こうして仮のお金は増えていく。このお金が増えるプロセスの中で、20円に相当する現物などの富が新たに生み出されたりしたわけではない。未来にそれが手に入ると信じて増えたお金なのだ。
この利子(と言うより信用取引全般)に依って増えるお金は「信用」さえあれば簡単に増える。実態のない仮のものという注意書きはつくが。そしてそれは条件を満たせば実際に現金に化けるのだ。お金そのものに価値があると信じている人は、額面のお金を増やすためにどんどん信用取引をはじめる。お金が自己増殖をはじめるのだ。
しかしこのお金は実態のない仮のものだということを忘れてはならない。それを忘れた顛末がバブル崩壊やサブプライムローン問題なのだと思う。これらの事件では膨らみすぎた架空マネーがポンとはじけて消えてしまった。増えすぎた仮のお金が実際の富と釣り合わなくなったのが原因だ。
だが、仮のお金が生み出される構造が残っている限り、同じ事件は何度でも起こるだろう。そして大きな問題は、現代の資本主義は信用取引なしでは回らなくなっている。
ここでもう一度声を大にして言いたい。本当に価値があるのはお金の額面ではなくて現物なのだ。それを忘れた取引を続ける限り、資本主義経済は自滅への道を歩み続けることになるのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20120619092231
http://anond.hatelabo.jp/20120620163842
ラガルドIMF専務理事がギリシャ人は脱税ばかりしていると批判した時、日本のウェブでの反応は、ほとんど「その通りじゃないか、ギリシャ人はいい加減だ」というものばかりでした。英語圏のニュースサイトでは、もちろんギリシャを罵倒するコメントもあったのですが、それよりもずっと多かったのはギリシャを国際金融の犠牲者と見なし、短絡的なラガルドを批判する、いわゆる反ウォール街・反グローバリズムの視点からのIMF批判でした。返し刀で、IMF専務理事の特権を活用してラガルドが税金をほとんど収めていないことがスクープとして明らかになり、海外のニュースサイトでは大きく取り上げられたのですが、これなども、反ウォール街の文脈があればこそ、そういうネタを発掘する力学が働いたものと思われます。
こういうのを見ていると、日本は良くも悪くも「国民国家」なのだなあと感じます。海外では「国境」が流動化し、その分だけ、「階級」がより鮮明な存在感を持ちつつあるようです。日本も本当はそうなのかもしれません。多くの人が気づいていないだけで。
ギリシャ危機も始まってから結構長く時間がたっています。私も最初は、ギリシャ政府の行為、ギリシャの国民性が問題だと考えていました。そこに問題があるのではないと思うようになったのは、この危機の様相が次第次第に変化していったからです。
ギリシャ政府の負債比率の虚偽報告があり、それが明るみになって、信用不安から流動性の不足が生じました。この時点では因果関係は単線的で、ギリシャに原因があるのは明らかでした。
しかし、事態は波及していきました。イタリアのようにプライマリーバランスが黒字で、なおかつ流動性が不足するのは異常な事態です。債務比率も決して高くはない国々も流動性の危機に直面し、対症療法として緊縮財政をとっていますが、それだけではどうにもならず産業競争力、つまり貿易収支を改善しなければならないという話になっています。
この危機が、単に一時的な事件を契機とした信用不安、流動性の不足が原因でないことはもはや明らかです。
それは通貨ユーロと、財政の不統一というEUの構造的な問題に由来していることはだれの目にもはっきりとしてきました。
ギリシャには多々、問題があるのは確かです。確かですが、それが危機の原因ではないのです。もちろん、ギリシャがドイツのような、尋常ならざる財政均衡への執念を持ち合わせていれば、この危機でギリシャがターゲットにされることはなかったかも知れません。しかし仮に、プライマリーバランスの黒字を維持していたとしてもイタリアやスペインのように、危機に陥ったかも知れません。
構造的な原因としては、バブル化した資本のサプライサイドの問題があり、こうした事態が発生した時に機能的に動けないユーロゾーンの問題があります。
ギリシャが悪い、ドイツが悪いと他人事のように言っていますが、忘れてはならないのは日本は世界最大の債権国だということです。米国債ばかりを買っているわけではありません。80年代バブルを引き起こしたのとまったく同じ資本が、円キャリートレードでゼロ年代に世界的なバブルを引き起こした可能性が強いと私は見ています。
日本の機関投資家や金融機関がサブプライムローンのような質の悪い債権や、ギリシャ債のような信用力の劣る債権を保有している度合いはごく小さいのですが、そう言われて、リーマンショックの時に、比較的被害が少ないだろうと予想されていながらもっとも手ひどく日本が損失を被ったことを忘れてはなりません。
金融セクターは投資をしないと生きていけないのです。この簡単な事実を思い起こす必要があり、そして日本は世界最大の債権国なのです。さまざまなルートを通して、日本資本は世界市場に供給されています。ドイツの銀行が、フランスの銀行が、ギリシャをそそのかした、アメリカの証券会社がギリシャに不正を行わせた、けしからんと言いながら、その資本の出どころは元をたどれば日本である可能性が高いのですよ。
ギリシャ人は先の選挙で、より穏健な路線を選択してくれました。危機はこれで終わりではありませんが、とりあえず、私たち日本人は彼らに感謝すべきだと思います。
今回の選択がギリシャ人にとってどれほど苦渋に満ちたものだったか、想像してみるべきでしょう。
国家会計の不正を行ったのはNDです。PASOKはそれを暴いたのですが、やり方が拙すぎて危機を発生させてしまいました。ギリシャ人が「政治家が悪い」と言う時、具体的に念頭にあるのはNDとPASOKの旧二大政党です。不正を行ったと目される政治家がのうのうと今なお議席を維持しています。怒り、憎悪が満ち満ちて当然ですが、それでも穏健路線のために、ぐっとこらえてギリシャ国民の多数は敢えて、NDを再び政権党につけました。彼らなりの正義の感覚を曲げてでも、国際協調路線を選択したのです。
これは大きな譲歩であると言うべきです。
オーストラリアは医療関係者をオーストラリアに移住させるべく大規模な勧誘を行っています。もう半年以上も給与が支払われていない状況では、さらに半年、ふみとどまれる医療関係者は少ないでしょう。ご存知のとおり、医者ひとり、看護士ひとり、薬剤師ひとりを養成するためには莫大な投資が必要になります。ギリシャがこれまで行ってきた投資の成果を、労せずしてオーストラリアは手に入れるでしょう。個人の移動の自由といえば聞こえはいいですがこれは形を変えた収奪です。社会資本のごく基本である医療の崩壊は目前に迫っています。
ギリシャがプライマリーバランスの黒字を達成するまで、どこまでの収縮がこの先必要になるのでしょうか。
この先、ギリシャのみならず、南欧、ひょっとしたらフランスでも、社会資本の劇的な崩壊に至るかも知れません。メルケルが態度を変えない限りいずれはそうなるでしょうし、そうなれば、EU市民権を持つ彼らはドイツに流入するでしょう。その時になってやっと、ドイツ国民も譲歩を真剣に考慮するのかも知れません。
年寄りの戯言には大まかに分けて二種類あります。「昔は良かった」ってのと、「最近の若者は」ってのです。大体こんな言説を振り撒く人に対して最近は「懐古厨」とかレッテルを貼り附けるのが流行りなのか。まあ其の辺はどうでもいいとして、此処では此の「昔は良かった」言説を、金利の面から検証してみる事にします。
日本の経済は戦後のどん底から途中オイルショック等を経験し乍も、平成3年のバブル崩壊までは右肩上がりの景気だったのですが、其れ以降は、一気に低迷して行きます。日銀のゼロ金利政策とか、最近では米国のサブプライムローンの破綻等も相俟って景気上昇の糸口が掴めない状況です。はあ~。 で、日本のバブル崩壊以降の金利の推移を郵便局の定額貯金の利率の変動を参考に編年体で書き記してみます。一往、3年据置での年利率です。全て手元の印字で確認済みです。
最初に平成8年。9月には1.20%で辛うじて1%の大台を超えてたのですが、年末の12月には既に0.80%になり、以降現在に至るまで1%の大台に達する事は叶って居りません。
次に平成9年。2月、3月、5月と0.80%をキープ、6月に0.95%と少し持直すも、8月には0.70%に落込み、9月で0.65%、10月で0.50%、約1年で半分以下の利率に落ち込んでしまったのです。そして更に落込み、11月には0.45%になってしまったのです。
次に平成10年。3月の変動が激しく、0.45%、0.40%、0.35%と段階的に落込み、4月には0.35%をキープするも、6月には0.30%に落ちた。更に10月には0.20%と落込み、11月も同様です。転落が止まりません。
次は平成11年。最初は少し持直します。1月は0.25%から0.35%に上昇し、2月は0.35%をキープ、だが併し、3月には0.20%に戻って以降当方の確認する限り暫く利率変動はありません。
平成12年は0.20%をキープです。此の時点で丁度10年前になりますから、今年満期になる定額貯金は殆ど0.20%の利率の筈です。平成22年1月末現在の利率が0.11%ですから、現在から見れば10年前の利率はまだ増しな方です。
次に平成13年。1月は0.20%をキープしてたのですが、7月には到頭0.1%を割込んで0.07%にまで低迷します。9月も0.07%をキープです。
平成14年は、3月の記録一件のみで0.07%、もうやる気も失せます。
平成15年は、4月、8月、10月、12月と0.06%をキープします。記録的な史上最低金利です。もう既に物価の上昇率にすら追付いて居りませんな。此の当時の通常貯金の利率は確か0.02%だったかと記憶します。
最後に平成17年。5月で0.06%、此処で手持ちの記録はストップ。此の時代の定額貯金を持ってる人はサッサと積み直した方が吉です。
まあ、此処まで定額貯金の利率を参考に金利の下降状況を見て来たのですが、何とも惨憺たる結果です。序でなんで、旧第一勧業銀行の三年もの定期預金の利率推移も記録しときます。H8(0.900%)、H11(0.150%)、H14(0.070%)、H17(0.070%)、H20(0.500%)、最近少し持直して来たって処の様です。
其処で最初の話に戻ります。実はバブル絶頂期の平成3年7月に積んであった定額貯金の印字が手元に在るんです。当時の利率驚く勿れ「6.33%」仮に百万円積んでたら満期で69万円の利子が附いたんですよ。今のご時世では絶対に有り得ません。年寄りの「昔は良かった」言説は殊金利に限っては全く正しいんです。
中学:日本はバブル最絶頂期。テレビに映る大学生や社会人の世界はそれはそれは華やか。俺もいつかあんな風に遊ぶんだ、と思いつつ田舎の市立中学に通う。高校受験に必要(内申書云々)という理由で、やりたくもない運動部で日々を無為に過ごす。
高校:地元の県立高校に進学。どうやら絶好調だった日本経済に陰りが見えてきたらしい。一応進学校だが田舎なのでのんびりしている奴が多い。適当に勉強しつつ、適当に部活に精を出す。部活が義務でなくなる(大学受験には内申書は関係ないらしい)と不思議と部活で汗を流すのが楽しくなる。そういえば、中学高校と女に縁がない。童貞。
大学:親がブルーカラーで家計に余裕もないので、浪人せずに入学できるところを選んだ。一度、東京に出てみたくて、地元の国立ではなくて東京の私立にした。その選択を許してくれた両親に感謝。世間では、阪神大震災、オウム事件と暗い雰囲気が漂い始めた。Windows95が発売されたが一度も触ることがなかった。大学に入学するとすぐに彼女ができた。非コミュの俺になんという奇跡。大学ではなんかめちゃくちゃ勉強をした。
就活:日本経済どん底。山一証券、拓銀が破綻した。金融恐慌の一歩手前。MARCHの就職先なんてロクなもんじゃなかった。同級生たちも皆が微妙な企業に就職していった。俺たちは後にロスジェネ世代と呼ばれるようになる。俺はといえばイマイチ無名な外資に滑り込む。大学で勉強に励んでいたのが役に立ったらしい。
社会人1年目:最初の配属先の上司はリア充全快のコミュ力抜群の人だった。が、人を育てたり指導するのが下手な人だった。おかげで、なかなか仕事を覚えられずに苦労した。このころの人事評価は同期の中でも最下位を争っていたのではないかと思う。現実逃避のために、先輩たちに連れられて毎日飲んでばかりいたような記憶がある。この最初の上司のことは、後に反面教師として意識するようになった。
ネットで現実逃避:仕事でイマイチ不完全燃焼だったころ、PCを買った。Pen2、64MBメモリ、6GBHDD。テレホタイムにアナログモデムで接続し朝までLoopitでチャット。翌日は寝不足で仕事に力が入らない。東芝事件が起こり、2ちゃんねるを発見する。ますますネットにはまった。
部署異動:異動先のボスは体育会系で面倒見がよかった。細かいところまで指導はしてくれないけど、仕事を丸投げして任せ切ること、部下のモチベーションを高めること、組織を動かすことがうまい人だった。ここでの数年間は貴重だった。次々とふってくる重い仕事をこなすうちに仕事が楽しくなり自信もついてきた。気が付いたら人事評価も同期の中でトップの方までのぼっていた。世間ではネットベンチャーブーム。IPOブームが盛り上がっている。そして、日韓W杯が開催されるよりもずいぶん前にネットバブルがはじけた。失われた10年という言葉が流行っていた。このころ付き合っていた彼女と結婚。
転職:より広い裁量と成長機会を求めてベンチャーに転職。ストックオプションで一攫千金という下心も。社長とは微妙にウマが合わなかったが、毎年2ケタ成長する売上、どんどん大きくなる組織、ビジネスのダイナミズムを間近で感じられる環境に満足していた。とにかくひたすらに働いた。毎晩タクシー帰り、休日も出勤した。会社はいつの間にかIPOを果たしたがストックオプションは大した財産にはならなかった。ライブドアの堀江さんが時の人となり第二次ネットバブルが盛り上がっていた。小泉竹中路線で景況感は良かったような気がする。このころ部下の女の子(といっても同い年)に手を出してお互いにラリラリ状態。今考えると社内でもバレていたかもしれない。不倫が妻にばれてプライベートはプチ修羅場。部下の子は会社を辞めた。何をしてもこの罪を償うことはできないと思う。この後、真人間になり部下達の育成に力を注いだ。最初の上司が反面教師だった。このころの部下たちは今でも俺を慕ってくれている(と信じたい。)
退職:社長と意見が合わないことが我慢できなくなり退職することにした。全てのリスクを背負って世間と向き合っているのは彼なのだから、あの会社は彼のやりたいように運営すればいい。意見が合わない以上、引くのは俺だ。ていうか、俺の存在なんか社外では全く無名、社内でも歯車の一つに過ぎない。この後、今に至るまでこの社長は俺にとって反面教師として心の中で大きなウェイトを占めている。株は最後まで大した財産にはならなかったがコツコツためてきた貯金があるので節約すれば夫婦2人で2年くらいは暮らせそうだった。次の仕事のあてもないままに会社を辞めてしまった。なんかアメリカでサブプライムローンというのが問題になっているらしい。評論家がサブプライムローンの残高は少ないので世界経済に与える影響は限定的とか言ってる。
フリーランス:もともと非コミュで友人知人が少なく、人脈と言えるようなものもなかったが、何人か仕事を回してくれる人がいた。1案件いくら、という感じで個人事業主として仕事をこなしながらお金を稼いだ。報酬は、仕事を回してくれる人がピンハネ済みだが、こんな俺に声をかけてくれることにとても感謝していた。そして毎回、全力で仕事をこなしていき、仕事をくれる人の期待に応えようとがんばった。リーマンブラザーズが破綻したらしい。年越派遣村のニュースには共感も反感も感じなかった。年が明けて所得税を計算すると、サラリーマン時代に比べ収入(額面)は倍近く、税金は倍どころじゃない。事業税って何?住民税が2つあるの?国民健康保険高すぎ。上場企業の正社員という安定的な地位を捨てたのだから、将来への備えは自分で何とかしなければならない。麻生総理を攻撃するマスゴミとピントのずれた正義を振りまく鳩山邦夫に、日本はもう駄目かもねとかオヤジくさいことを考えるようになっていた。ていうか俺もう33か、立派なオジサンだし将来への希望も見いだせなくなってきた。
再就職:昔、一度誘ってくれた中小企業の社長がまた誘ってくれた。商売上手なところ、コンプラ意識が強いところ、人の感情に配慮しながら上手に組織を動かせるところが、前のベンチャーの社長とは正反対な人なので、ほとんど迷わなかった。ほぼ即断で、その人のお世話になることにした。その会社は個人事業主的なメンタリティの人が多く、商売に対して貪欲な人が多い。世間の常識を疑い果敢にビジネスチャンスを切り開こうとする。一方で吹けば飛ぶような存在なので自分たちを一瞬で破滅させかねないコンプラリスクには皆敏感でグレーなことには手を出さない。こんなに前向きに清々しい気分で働ける職場は初めてだ。こんな環境をもたらしてくれた社長に感謝。ここに居続けるためには俺も商売人にならなくては。民主党が政権を取った。来年の納税額は3百万円を超えそうだが、子供がいない我が家には何の恩恵も無さそうだ。自民党政権のままで緩慢な衰退を迎えるよりは、民主党が急激に破滅させた方が日本の立ち直りは早いかもしれないと思う今日この頃。
年の瀬にこの20年余を思い出しながら書いてみた。
http://b.hatena.ne.jp/entry/news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2009&d=1120&f=business_1120_091.shtml
これに釣られて民主たたきする奴多いが、日本の株下落率がトップクラスなのはいつもの事で為替王定番のネタ。何で自民を叩かないんだろうかね。
http://blog.livedoor.jp/kawase_oh/archives/51596625.html
2009年、世界の主要国のなかで、株価がマイナスなのは、経済破綻危機がささやかれる日本と、もうひとつは、本当に経済が破綻してしまったアイスランド。この2ヶ国だけです。
サブプライムローン問題以降、米国金融危機・世界恐慌で最も株式市場が暴落した国は?
どうして日本だけが、こんなひどい目に・・・?
http://blog.livedoor.jp/kawase_oh/archives/51111010.html
主要先進国、主要新興国の株価指数の、今年8月の急落時の安値と、今月(14日まで)の安値を比較したグラフです。ひとつだけ、マイナスに落ち込んでいる国があります。残念ながら、我が日本です。
世界から取り残されている最悪の国ってどこ?
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はほとんど教えられない。これは、小学生の理科と似ている。小学生までの理科では、観察される事実や実験結果を覚えることが中心で、「なぜそのような事が起きたのか?」「どのような法則性があるか?」などの解釈はあまり教えられないからである。歴史だけを学ぶのは、非効率であり、簡単な歴史を学んだ後は、経済学・政治学などを中心に教えるべきだ。
歴史の授業では、過去に起こった出来事を教える。しかし、その出来事に対する解釈はあまり教えられない。そのため、戦争があった事を学んでも「残酷ですね」くらいの感想しかもてない。下手をすると感想文を書かされる。
社会科の教育として、そんなことをしているので、下記のリーマンショックの解釈のように、中二・大二病的解釈をする”歴史好き”な教員・生徒を発生させる。
不況の機構などは、歴史を研究することで発展した経済学である程度理解することができる。しかし、歴史好きほどそのような学問を学ぶことなく、自分勝手な中二・大二病的解釈をする。
歴史は、理系科目でたとえると、小学生の理科と似ている。小学生までの理科は、観察される事実や実験結果を覚えることが中心だからだ。理系科目では、それらを覚えた後、中高と進むにつれて観察される事実や実験結果の解釈方法を学ぶ。観察される事実や実験結果は無数にあり、それを覚えていくのは非効率だからだ。
同様に、過去に起きた出来事を覚えることを中心とする歴史を学ぶのは非効率である。歴史は小中学生までに薄く広く教え、以降は、経済学・政治学等の過去に起きた出来事の解釈を中心として教えるべきだ。理科が、物理学・化学と名前を変えて、事実の解釈方法を学ぶようになるように。
アメリカの不動産バブルで作られたプール付きの豪邸が並ぶgated townが、差し押さえを食らう人が増えてghost town化していると聞く。管理する人のいなくなったプールや雨どいに溜まった水から蚊が発生し、とんでもない状態になっているという話なのである。
ベトナムで枯葉剤を撒いたように殺虫剤を撒いてしまえというのは、幾らなんでもやりすぎであるし、かといって、一軒一軒、蚊の発生源を探して水を廃棄したり殺虫剤を投げ込むという作業をやるには、効率が悪すぎるし、殺虫剤をばらばらに撒いていたのでは、耐性をつけさせてしまうだけとなりかねない。
事業用物件であれば、立地と家賃次第で幾らでも借り手が出てくるが、居住用不動産の場合、基本的に需要は人口や世帯の増加分だけである。破産した人から住居を取り上げるというのは、契約を履行できなくなった以上、必然ではあるが、そうやって取り上げた物件を、有期賃貸として、それまでそこに住んでいた人に貸し付けるというやり方ができないという点が、問題をややこしくしてしまっている。
それらの不動産の所有者は、HELOC(Home Equity Line of Credit)をつかって、評価額が上昇した分だけ担保価値が上昇したとみなして、借り入れを増やしていた為である。この借り入れは、住宅ローンを出している金融機関から、追加融資として、いわゆるサブプライムローン枠が適用され、高金利の借金になっている。もちろん、保有資産価値が上昇した事から、クレジットカードの利用限度額も引き上げられ、より旺盛な消費生活を行えるようになっていた。
それらの水脹れした借金が、不動産バブルの崩壊により、景気の悪化から解雇されて無職になった人々に襲い掛かった。不動産の価値が下落したので担保割れになったので追加担保を入れるか、一括返済するか、破産して債務を整理するかという選択を強いられる事になったのである。追加担保を差し入れる事ができるわけが無いし、解雇されて無職になっているのだから一括返済も無理、となれば、自己破産して債務を整理するしかなくなる。
解雇されて無職になっている事から、住宅を貸与する契約が、結べないのである。
かくして、住人の居ない家が増え、そういった家があちこちにある住宅街の資産価値は暴落し、持ちこたえていた人まで、家を手放さなければならなくなる。Ghost townが出来上がるのである。
と、キーボードの上に、蚊が落ちてきた。蚊さえ落としてしまえば、mosquito coilを燃やし続ける必要は無いのであった。
差し押さえた物件が荒れ果てないように、管理人を雇って住まわせるという、間抜けな話も流れてきている。二度と同じようなバブルが発生しないように、ある程度の規制は必要であるのだが、借金漬けの暮らしを改めるという方向に人民を導くには、どんな規制が有効なのであろうか。
全ての金融機関の信用情報を統合して、年収の一定割合までしか借金できないようにするというプランは、家屋の購入ローンのような高額のローンをどうするのかという問題が発生するし、年収の減少が発生した時に、その情報をいち早く掴んだ所が債権の回収に動くと、それ以外の所が一方的に損失を被る事になる。サラリーマン相手にローンを貸し付ける商売は、給与振込みを請け負った所以外は、一銭も出せないという話になりかねない。
いまから十年くらい前、本屋で働いていた。本屋のメインバンクが○銀行だった。
売上金は翌朝窓口に持っていって、順番関係なく整理券と一緒に「はいよ」と渡し、
二、三時間たってから取りに行き、順番関係なく「はいよ」と受け取っていた。
ところがある朝突然
「整理券の番号を呼ばれてから窓口に来てください」
と言われるようになり、ポカーン状態になった。
二十年くらい取引があり、双方顔知ってるのに言われたんだよ。
まぁしかたない、俺は朝の開店と同時に入金処理してもらうようにした。他の従業員は知らない。
○
毎年フリーマーケットに出るとき、銀行で一万円札崩してもらうんだが、
「窓口では貨幣の金種指定が出来ません」
って言われた。
「去年までやってくれていたんですが?」と言っても、
「いえ、窓口では貨幣の金種指定は承っておりません」
「でも去年まで…」
「しばらくお待ちください」
と、他の行員に確認に行く。
「やはり去年も、どこの支店でも承っておりません」
「毎年ここに来てやってもらってるんだよ」
「承っておりません」
しょうがない、みずほ銀行に行って五十円玉●枚、五百円玉△枚の端数、両替してもらいましたよ。
(自動両替機だと五十円玉は一本五十枚でないと両替してくれない。五十枚もいらない)
○
そして今日。
今までは「普通預金の支払いではなく税金の支払いですから、振込依頼書に判を押さなくても承りますよ」
だったのに、いきなり
「ご登録印が押されていないと、通帳からの振り込みはできません」
「いや、去年まで…」
「できません」
「去年まで…あなた、去年この支店で業務してました?」
「いえ、今年からです、ちょっとお待ちください」
と先輩行員に確認に行く。
「やはり判がないと…」
「あなた、去年この支店で業務してました?」
「いえ、今年からです、ちょっとお待ちください」
「やはり判がないと…」
「あなた、去年この支店で業務してました?」
「いえ、今年からです。判がないと振り込みができません」
○
まぁ、銀行業務ってののほとんどは判子がないとダメなんでって、今までが特例措置だったんでしょうよ。
んでさ、優秀な銀行員ってのは、その地域に溶け込むような、きめ細かいサービスをする行員じゃ、ないのな。
銀行の商品って金利と査定の基準で、金利は自由化されたといっても無店舗営業の利率には敵わないし、
資金を貸すのもこのご時世、貸し剥がしが社会問題になっていて業務が苦しいのは解るけど、
マニュアルに優秀さを発揮して、地元の顧客へのサービスは受け継げないし、やっちゃいけないんだとしたら、
銀行の将来って、どうなんだろう?
本当の意味で全行均一サービス、その土地土地によって異なるサービスは禁止、なんて、
本当に(まぁ)一億円以上の預金のある客と、ATM手数料を文句も言わず払う客だけが求められているのか?
利潤追求のためにCDSだとかサブプライムローンとか開発した連中は工場でネジしめてる連中よりも仕事楽しかったし給料もよかったし、税金で救って貰えるし、工員ザマァ
ってのがみんなが理不尽に思ってるところじゃないかなぁ?
というか、それは本当にミクロなのか?
なにより、自身がそもそもミクロな存在なので、ミクロな意味で十分ではないか。
私が火星に降り立つ事はないだろう。月ですら、成層圏を越えることすらないだろう。
それどころか、地球上で行った事のある範囲など、極々わずかだ。
ガガーリンですらどれほどの土地を見たのだろうか。そして、陸地より海中の方が広大だ。
得た知識も乏しい。物理の最新理論など知らない。増田の全記事すら把握していない。
しかし、ニュートンは相対性理論を知らずして死んだ。コペルニクスはビッグバンを知らずして死んだ。
彼らは無意味であったろうか。
シェイクスピアは君にとって無意味だろうか。鳥山明は君にとって無意味だろうか。
君の意味は君だけで決まるのだろうか。
君にとって意味ある人々は、宇宙や人類全体とどれほど関係あるだろうか。
君は君の手の届く範囲で意味を見つければよいのではないか。
君は君の手の届く範囲のことをどれほど知っている?
君の周りには君の知らない仕事や君の知らない人生や君の知らない事に意味を見出している人々がいるのではないのか?
十年前、Webの何を知っていたか?
手の届く範囲が狭すぎるから無意味と感じる前に、手の内をよく見てみよう。
君の手の内がすべて無意味かどうか。君の知らないところに意味がないか。
近くにこそ意味が隠れていないか。
少なくともあなたの文章を何千人もの人が読み、何百人もの人が考え、何十人の人が言葉を残した。
彼らにとってあなたは全くの無意味だろうか。あなたにとって全くの無意味だろうか。
有意と無意の境は何処だろうか。
ただ単に、それに比べてより意味のある、より意味のない事があったかもしれないだけではないだろうか。
しかし、それは結局誰にも分からないだろう。
なぜなら、昨日まんがを読まなかった自分も、今これを書いていない自分もいないのだから。
結局、目的や結果が欲しいのだろう。物事を関連付けなければいられない、人の性なのだろう。
人生の目的と意味と結果が知りたいだけなのだろう。知っている事象同士の関係性を、知らぬ事象との関係性を、とにかく何かを知りたいのだろう。
それに意味があろうとなかろうと。
と言う私に、
「だから君って人は云々」
と机を叩きながら言ってくれる可愛い子がいないかな。