はてなキーワード: コンプラとは
歯磨き 睡眠 食生活 生理 酒 その他あれやこれやの常識がアップデートされ健康的に暮らせる。
就活もまともになり圧迫面接もされないし倍率も多分そんな悪くない。
プログラムを授業で習ってるからパソコンオンチのアホにEXCELを壊される心配もない。
セクハラやパワハラは無くなってるし、もしされても相談しやすい法律事務所が沢山ある。
羨ましいなあ。
昭和のゆるい規制の中で楽しんでたのなんてセクハラ上司とロリコンオタクぐらいだろうが。
何もかもがまともな方向になってる時代で令和産まれは暮らしやがる。
オラたち時代遅れの老人共を嘲笑いながら、産まれつき与えられた恵まれの中で育まれた力を自分の努力の結果だと言い張りながらか!
許せんな!
許せん!
ネットによくいるポリコレアンチみたいなのって実社会じゃ全然いないよね。
まともな人はフェミニズムについて肯定的な意見を持ってる。過去から続く女性差別社会をひどいと思う心を持ち合わせてるよ。女性の性的消費につい聞くと、だいたい、時代の流れだよね…、とか、センシティブなのはコンプラ的にちょっと…、のような答えが帰ってくる。
昔、早稲田の政経で川勝が担当する「日本経済史」の講義取ってたわ。
当時の川勝は、オクスフォードで博士号取ってきた気鋭の若手教授。“校舎二流、教授三流”などと揶揄されてた我が母校にあっては珍しく、学会でも注目されるスター教授だった。
当時「日本経済史」は2年生から履修できる専門の基礎科目で、わりと受講してた人も多いはずである。
橋下徹が“厳しいので生徒の評判は悪かった(笑)”などとテレビでネタにしてたらしいが、“厳しい”というのは、当時早稲田の中でも指折りに単位取るのが簡単だった政経学部の中では、という話であって、もちろん出席を取るでもなく、普通に講義聴いて試験受ければ、まあ“良”くらいなら簡単に取れるレベルだったと記憶する。
いや、講義にでなくても著書を読んで「世界が注目する川勝理論」の骨子を理解しておけば、試験も恐るに足らず。
しかも模範解答の“シケプリ”が大量に出回っていた当時の早稲田で、あの講義で単位を落とした人がいるなら、それはよほど要領の悪い奴に違いない。
経済学の一分野ではあるけれど、中身は歴史学に近く、面倒な数式とか経済理論を振り回すこともなく、自分のような数学が苦手なド文系の政治学科の学生にも優しい内容であった。
まあときに毒舌も挟まれるけれど、それも含めて話はうまいし、何を言ってるかすらよくわからんジジイ教授の講義に比べりゃ全然まともで、そのインテリ然とした爽やかな風貌(但、当時の早大教授にしては)と相まって、女子学生の人気も高かった。学部に女子一割くらいしかいなかったけど。
当時の早稲田の政経は超マスプロ教育で、一番の人気講義であったスター教授ニシジュンこと西川潤の「開発経済論」は、講義教室が大隈講堂というレベル。それでも抽選で外れて受講できない人が出る始末。
なお人気講義というのは、必ずしも学問的にレベルが高くて充実しているということを意味しない。
“単位が取りやすい”も大事な要素で、ニシジュンは有名教授で話もそこそこ面白くて単位も取りやすいという、実に人気講義の要素を兼ね備えたものであった。
「世界が注目する川勝理論」というのは、当時川勝が自身の経済史観を分かりやすく一般向けにまとめてNHKブックスから上梓した著書『日本文明と近代西洋 「鎖国」再考 』の帯に書かれていた文言で、その壮大なタイトルとともによく学内でネタにされていた。
ご本人もネタ化されているのを把握していて、講義では「あれば出版社が勝手につけたんで、俺が自分で言ってるわけじゃない」とかよく言ってたが。
でも、そう言われるのも万更ではないご様子ではあった。
ゼミの指導教授としての川勝はよく知らないけれど、ゼミ入るのはわりと難しく、指導もそれなりに厳しかったようだ。
そんな川勝だが、当時、図書館の副館長も務めていて、そこで資料購入をめぐって上層部と喧嘩して早大を辞めてしまう。
記憶が若干曖昧だが、たしか川勝の研究に直結する「英国議会資料」の購入をめぐって、予算的に折り合いがつかず、断固として購入を主張してた川勝が怒って辞めた、という話だったと思う。
購入をめぐって揉めてるという話は講義の中でも雑談として話していた記憶はある。「早稲田を知の殿堂にするためには絶対に必要なんですよ」とかなんとか力説してた。
なぜかこれは鮮明に覚えているのだが、ある日、講義でなぜか論語の話をしだし
「六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えずって言いますけど、ありゃ孔子の゙ような偉大な人にしてはじめて到達できる境地なんですよ。凡人にはなかなかできることじゃないけど、そこを目指しなさいと。
世の中年取っても耳順わないやつがたくさんいるけど、あれはなんとかならないのか」
などと妙にヒートアップしだし、川勝よほど上の方と揉めてるのかな?と噂になっていた。
程なく川勝は日文研に転出し、「日本は富国有徳の国を目指せ!」と言い出して小渕内閣のブレーンになったり、静岡の大学の学長になったりして、気づいたら静岡の知事になって、「暴言吐きながらリニアを妨害するとんでも知事」になっていた。
実際、著書も講義もおもしろかったし、ちょいちょいエリート主義と毒舌が顔をのぞかせるけど愛嬌のある人ではあった。当時は。
学者や言論人のままでいればまだよかったのだろうが、コンプラとSNSの正義が世の中を動かす時代にあって、政治家を全うできるキャラではなかったのだろうという、ざっくりとした感慨はある。
自分もにわかだからちゃんと全部把握できているわけじゃないけど
オモコロは「ふっくらスズメクラブ」というサブコンテンツがある(通称ふっクラ)
最近だと読書が苦手なみくのしんに友人のかまどが根気強く付き合ってやる感動の記事や
唯一の女性メンバーであるモンゴルナイフが男性メンバーをおふざけなしでステキに女装させてあげたり、
ちいかわの紹介動画では闇深部分ではなくちいかわとハチワレの友情や頑張りにフォーカスしたり
「ほっこり」 「感動」 「仲良し」 「弱者を取りこぼさない」 「差別、からかいをしないをしない」→だから正しくて素晴らしい、みたいな持ち上げられ方をするタイプの
コンプラをゴリゴリに守りいかにもポリコレ的に正しい記事がバズることが多かったのでそういったコンテンツを好むオタクが主要層になりつつあった
4月1日、その「ふっくらスズメクラブ」が「会社にしか友達がいない」という自虐的な意味を含む名前に変更されることが唐突に発表された
サイトのバナーもやたら低解像で黒と緑に加工されたかまどが顔を覗かせていたり
投稿された動画内のメンバーのやりとりもほっこり仲良しと言うよりウェイ系の弄り合いのホモソーシャルノリだったり
編集に雑な部分が多々見られたり今までの動画とは明らかに異なる要素があった
あまりにつまらない&雑&不穏なのでこれはエイプリルフールの冗談なのでは、
あるいはオモコロにはホラー作品に関わっている人気ライターが複数名所属しているためモキュメンタリーホラーをやっていくつもりなのでは、と憶測が飛び交った
直近で普通の恋愛ドラマに見せかけてホラーを仕込む「初恋ハラスメント」が話題になったこともありホラー説がやや優勢となったのだが、
この時に「ホラーが物凄く苦手でほっこり系のコンテンツでないと受け付けない」繊細な心を持つファン層(主に女性)が猛反発した
少しもストレスを感じたくない繊細さんにとってふっクラは安心して見られることが保証されている聖域である
その聖域で「びっくり系の要素を仕込まれて心臓がバクバクして動悸が止まらなくなる体験をするかもしれない」 「幽霊の話をされて夜に一睡もできなくなるかもしれない」可能性を忍ばされ
恐怖に震え緊張しながら動画をチェックしなければならなくなったのは絶対に許されないことだ
ホラーはゾーニングを徹底するべき、不意打ち系のホラーは加害行為だ、いずれ規制が入る、そもそもホラーは差別や偏見と切り離せないものであり……などの議論が交わされる一方
繊細すぎる、オモコロの視聴者層はいつからこんなに繊細な女性が多くなったんだ、理想を押し付け他人をコントロールしようとすることはオタクのよくない癖だ、と
そうこうしているうちにチャンネルの名称が「会社~」から「ふっクラ」に戻り、
あれは実はただただ滑ってしまっただけでモキュメンタリーの意図はありませんでしたと公式から謝罪が発表された
「オモコロって昔は冷笑系コンテンツでそれでファンを増やしたのに最近はコンプラ意識し始めて歪みが生じてるよね」 「オモコロで嘘松って言葉を使った時に女ファンがブチ切れたのウケたよなw(これは2021年の出来事)」
「「ふっクラ新規は本来のファンではない」 「お気持ち繊細女オタクは害悪すぎる」 「そんなに繊細な人はオモコロ見るの向いてない」 「昔の記事見たら卒倒するんじゃないの?w」と
というのが今の状況
昔の記事を見たら卒倒しそうと笑っていられるうちはまだよくて、そのうち本当に過去の記事が繊細さんに掘り起こされて糾弾されて取り下げになるといった事態が次々に発生すると思う
アーティストや作家、タレントなど他の界隈ではさんざんやられてきたことだ
雨穴も顔が怖すぎてうちの子が号泣して夜中に一睡もできないんです責任取れとか言われてファンシーなうさぎちゃんのお面を付けるようになるかもしれない
「繊細さん」はネットをやめて野原にレジャーシートを敷き雲の観察でもしていた方がよいのではないかと思うのだが
ああいった人たちは飛行機雲を見て発狂したりレジャーシートの下で潰されている小さな虫たちの存在を想像して発狂したりしそうなので
外に出ろと言うのも酷かもしれない
石黒正数は、女性叩きやリベラル叩きを盛んに行うゴン・トゥーンベリや宇佐美典也を以前から好いており、よくいいねしていた
暇空茜がcolaboにいちゃもんをつけるようになってからは、ゴンらのcolabo叩きのツイートにも多数いいね
彼の作風にも生意気な女をこらしめたい、慈善事業は金目当ての嘘っぱち、という思想が複数の作品で露骨に表れている
「天国大魔境」アニメ化の際に「この作者暇アノンだよな」と暇空アンチに叩かれるように
石黒は、「暇空を称賛し暇空のデマを信じる人たち」のツイート自体は多数いいねをしていたが、暇空自体には流石にヤバイと思ったのかいいねをつけずフォローもしていない
しかし、「石黒は暇アノン」と広まる中で「石黒は暇空にいいねしたりフォローしていた」というデマも広まっていった
赤松健や内藤泰弘などの暇空をフォローしている有名漫画家が他にいるため、混同されたのかもしれない
ディズニーはコンプラにうるさいので、石黒が女性支援団体へのデマを多数いいねして結果的に拡散に加担したことを通報したれと言い出す愉快犯が複数出た
あまり真剣味はなくネタっぽかったが、それに焦ったのか石黒は「暇空を支持しているというのはデマ、いいねはよくわからずつけただけでcolabo叩きの意図はなかった」と昨年に釈明
しかし、その時点ではcolaboの監査結果が出て公金不正受給はなかったと判明した後だったのに、疑われるcolaboが悪いと逆ギレして炎上
いいね欄のことなんか知らない人にまで「石黒はこういうひどい内容にいいねしていた」とスクショが出回り、colaboに関係ない別件の揶揄中傷いいねも発掘された
4月になってから石黒は、改めて自分は暇空支持者ではないし濡れ衣に苦しんでいると語る動画を投稿
「あの人って前は暇空フォローしてたんでしょ」という一般人たちのツイートを晒し、いいねをしただけなのに大勢に尾ひれをつけられたと語る
終始石黒の声は疲れ切って弱々しい
「石黒は暇空を支持している」「フォローをしていた」「いいねをしていた」とデマを流した者たちを訴えるとのこと
「暇空の支持をしている」「暇空のフォローをしていた」「暇空にいいねをしていた」は警察に捕まるレベルの誹謗中傷であり名誉毀損だという判例がこれから生まれる
震えて待て
表現の自由戦士を自称する人たちが嫌ってるのは「コンプラ」であり「規制」は嫌ってないのよな。規制の度合いうんぬんの話は昨日はてブで見かけた記事が参考になる。
ここには20世紀の規制で守られてきた日本と、小泉構造改革後の21世紀のコンプラ重視による自由化社会の違いが述べられている。
「昭和は自由、令和は窮屈、窮屈なのはコンプライアンスのせい」は本当か? 『不適切にもほどがある!』の社会学(伊藤 昌亮) | 現代ビジネス | 講談社(1/12)
それまでの日本では、行政が人々の活動にさまざまな規制をかけることで、企業が不祥事を起こしたり、市民がトラブルに巻き込まれたりすることをあらかじめ防いでいた。これが「事前規制」というやり方だ。
しかしそうしたやり方では、人々の活動が規制の網の目に阻まれ、自由な競争が起きにくくなってしまう。また、規制のためのコストがどんどん膨らみ、財政が圧迫されてしまう。新自由主義的な考え方に照らすと、そうしたやり方は望ましいものではない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和するという方針だった。
しかしそうすると、それまでは規制の網の目があることで防がれていた問題が顕在化してきかねない。たとえば規制が弱まったのをよいことに、企業がやりたい放題にやって不祥事を起こし、そのためのトラブルに市民が巻き込まれるような事態が頻発化してきかねない。そこで打ち出されたのが、「事前規制」を緩和する代わりに「事後監視」を強化するという方針だった。
しかしそうしたやり方では、どのような問題が事後に起きるのかの予想がつかないので、そのための対処のコストの予測もつかない。それを行政が一手に引き受けることは、やはり望ましいことではない。そこで打ち出されたのが、監視の機能を全面的に行政が担うのではなく、むしろその大部分を民間に任せるという方針だった。つまり人々が自分たちで自分たちを監視するようにする、という方針だ。
その結果、「何をしてもよいけれど、自分たちの行動は自分たちで監視し、自分たちで律してください、そのために自分たちで行動基準を作り、そこから逸脱しないよう心がけてください」という方針が打ち出された。そこで導入されることになったのが、コンプライアンスという考え方だった。
BPOが出来たのもこの頃よね。
それはいわば、上からの規制に守られてきたそれまでの日本人が、自己責任に基づく自由競争に乗り出していくために要請される、自律的な主体を作り出していくための手立てだった。
その後、2001年1月には内閣府に「コンプライアンス研究会」が設置され、9月にはその報告書が発表される。それを受け、経団連などの経済団体を中心にこの概念の普及が進められていき、2006年5月に施行されたいわゆる新会社法には、その扱いが明記されるに至った。こうしてこの概念は日本社会の中に急速に定着し、普及していった。
寝る以外は一日中働いて、オフィスだか何だかとにかく1箇所一定の人間関係の中で、20年も過ごしたら人として終わる。仕事仕事、仕事さえしてたら安心?ブッブー!
どんなに専門的でもそれも経年劣化するし、なんならAIのが賢いし、仕事だけしてたとしても全然ダメ。
例えば、定時後とか休日にくだらねえコンテンツみたり、友達と遊んだり、子供作って子育てを「自分で」してれば自然と身につけられる社会の変化に置いていかれる。致命的にズレる。コンプラ、ハラスメントで問題起こす、売れるもの作れない、海外に置いていかれる…。
そりゃ、正直仕事だけしてるのは「人間」じゃないんだもの。人として生きてる生物には勝てないよ。インドで子供5人いて今は月収五万だけど一族に囲まれて美味いもん食べて仲間とクリケットやって子供育てて祭りで踊って祈って始終家族友達と電話して親の介護までしてる奴に、お前は勝ててると思う?この先のインドの発展はすげえよ?海外旅行好きな女を腐して日経新聞の日本語の日本提灯記事だけ読んでっからわかんなくなるんだよ。
働くのは、人間という無駄の塊をやってる合間でいいんだよ。そちらが我々の本質なのだから。
効率がいいと思って人をずっと働かせたら、人間性を失って、最終的には効率が悪くなったなんて。
この20〜30年の停滞って、仕事や金以外の価値が「下」「無駄」という価値観から起きてるんだと思う。そして、無駄の最たるもの「子供」の生産を抑制したら、社会が終わってしまいました♪どっとはらい