はてなキーワード: イントロダクションとは
2016年の秋季放映のアニメの一つに、『バーナード嬢曰く。』(施川ユウキ著、一迅社、2013年~)があります。
アニメ化の報には心躍り、楽しみに待っていての放映です。毎週楽しく拝見しています。
その流れに乗って、ここでは、原作コミックスの主な魅力について、特に焦点を当てて述べます。
『バーナード嬢曰く。』(以下、『ド嬢』と略します)の一巻(発行当初は1巻完結の無印)の裏表紙には、
本を読まずに読んだフリをしたいグータラ読書家”バーナード嬢”と
『聖書』『平家物語』『銃・病原菌・鉄』『夏への扉』『船を編む』『フェルマーの最終定理』……、
と、紹介されています。本好きの方々も、本好きのフリをしたい方々(なにせこちらが主人公の高校生)も楽しめる二層構造になっています。
まずは表紙をご覧になって、「ええーっ!」とか「えっ……?」とか「せ、正解って!? 何??」(2巻参照)とか「おおっとぉーーー!」(3巻での私の率直な感想)と、何らかのリアクション、心の想起が起こることを期待しています。そこから本書を楽しんでほしいです。
マンガのジャンルとしては、本著はショートギャグであるので、比較的手軽に読み進めることができます。
作者の施川ユウキ先生が何を考えて本編に至ったのか、垣間見ることができるようで面白いです。コミックスでまとまった活字も読めて、おトクな感じがします。
自身を「バーナード嬢」と自称している主人公の高校生、町田さわ子の態度は天真爛漫そのもので、肩の力が抜けるような思いがします。
一般書では、そもそも「参考文献」リストの存在すら無かったり、あったとしても発行年や出版社名が書かれていないケースが多い中、『ド嬢』では、本編に登場する書籍の基礎データが、『タイトル』(著者名、訳者名、/出版社名/発行年)の順に並び、話数ごとに分かれ、登場順にリスト化されています。これは、「次に未読のこの本を読んでみよう」とする読者にとって、非常に親切なつくりとなっています。整然としたリストを見ると嬉しくなります。
公立図書館に所蔵しても、読書促進の助けとなるのではないでしょうか。
ただ、1巻では、おまけページ(44ページ)の『百年の孤独』について、「参考文献」リストの中に見つけることができなかったのが残念です。私が所有しているのは、初版無印なので、現行とは変わっているかもしれません。
願わくば、『ド嬢』と同様に、『がんばれ酢めし疑獄!!』、『サナギさん』、『もずく、ウォーキング!』、『オンノジ』、『鬱ごはん』そして『少年Y』(原作「ハジメ」名義)もアニメ化されることを願っています。
実は私の頭の中ではもう放映しているのですけれど、やはりそこは、プロの方々に、自分の想像を超える作品を作っていただきたいのです。
施川作品の最大の魅力のうちの2つは、「自力で考えられ得るところまで考え出し、そしてその考えた筋道を明瞭に示しながらもギャグに昇華しているストーリーテリング能力」と「一見簡略化されているようにみえて、実はシンプルで可愛らしい絵柄」にあると、私は評価しています。
『ド嬢』の登場人物、登場書籍、そして本編での個別ストーリーとギャグの感想は、別のエントリを立ててこちら、つまり、ここの匿名日記のスペースをお借りして、少しずつ、その魅力に詳述していきたいです。
ネタバレはないと思いますがなんかエロすぎたので殴りで書きます
公開2ヶ月後ぐらいですか、君の名は。見てきました。
増田に書くのは7年ぶりのようです。はははははは
や、僕ももうおっさんなんで、おっぱいをどうするとかちんこどうするとかアレ飲むことのエロさとかその罵られとか、ま、そういうのはさらっと「当たり前にエロいです」ということだけでさっさとスルーして行きますが
たぶんセックスすごいですよ。
あのね、中に入ってるって話よ。
公式サイトのイントロダクションに書いてある程度の話ぐらいだけは流石に知ってたけど、それ以上ほぼネタバレ無しで見た僕でも初見リアルタイムで見てましたが「えろい、えろい、えろえろい」(ちょっと酒飲んでるので酔ってます)って思いましたよ。
で、多分セックスすると思うんですよ、で中に入ってる、っていう感覚が、なんかシンクロして、「あっこれ初めてなのに、初めてじゃない……!」とか思うと思うんですよ、どっちが、とかしらねーけど。
いやー、自分の観測範囲でこういう話してる人いないというか見えないというか思ってても言ってないだけなのか思ってないのか知りませんけどね、絶対興奮しますよこれ!!!!
俺は今興奮してる!見てから3時間ぐらい?経ってても今めっちゃ思いますよ!あー、えろい。
たまんねえですわ、葉^これ、エロい。
軽くネタバレ避けてたんですが同じ事言ってる人多分いっぱいいると思うんですけど!でも僕はすっごくエロくてエロ妄想が止まりません。ごめんなさい。
でも多分、そういう妄想されて作ってる人「嫌だ」なんて思わないと思うんですよね?ですよね???しらんけど。君の名は。最高にエロかったです。しばらくネタにします。
それ以外の感想ね~のって話?あるよ、いっぱいあるよ、もっかい見るよ。エロい話ばかりするかばーか!信じて!お願いします!!そういう(だけの)作品じゃないってわかってるから怒らないで!!!ね!!!
日本テレビで2016年4月期 から「ゆとりですがなにか」という連続ドラマが放送されるという。まあ50代後半にもなる私には今イチ興味ひかれるタイトルではないが、宮藤官九朗さんの関わるドラマは好きな方なので日テレHPのドラマ情報をチェックしてみた。すると、イントロダクションで非常にマズイ情報が提示されていたのである。
「2002年に行われた教育改正。完全週5日制、授業内容、時間数削減、絶対評価導入 ゆとり第一世代と呼ばれる 1987年生まれの彼らは今年29歳。 人生の岐路を迎える」
これを読むと、あたかも授業内容や時間が2002年から減っているように読めてしまうが、実際は違うのである。
実は、実際に学習量や授業数の削減は1980年から始まっているのである。http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318313.htm
2002年よりも20年も前である。しかも文科省の情報を見ると、この1980年の教育改訂は「大幅な学習量削減と思い切って授業時間を減らしたこと」が特色とされており、さらに「ゆとりと充実」というキャッチフレーズまで登場しているのだ。
なぜ、この時の教育を受けた世代を「ゆとり世代」としないのか?
いや、実は本来はこの世代が「ゆとり世代」だった。若い人は昔の記憶が無いだろうが、1980年の教育を受けた世代を「ゆとり世代」だとするのは私のようなオヤジには非常に納得感があるのだ。私は50代後半だから実感としても「ゆとり世代」という言葉が少なくとも十数年前から出ていたことを知っている。
そして、十数年前に10~20代を意味していた「ゆとり世代」が、数十年経過した現在には20~30代にならずに未だに10~20代であり「1987年生まれの彼らは今年29歳になっている」という定義に変わってしまった事も知っている。
定義が途中から変わった表向きの理由として、2002年の学習量削減の方が規模が大きかったという事がある。減った学習量が多いわけだ。
でも、私のような詰め込み世代から見れば、多かれ少なかれ学習量が減っているのだから同じようなモノである。「俺の方が学習量の減りが少ないぞ。だから俺は若い奴らより偉いんだぞ」と言うのは幼稚すぎやしないか?
こういった事を「マズイ」と内心気づいた最初のゆとり世代、つまり1980年の教育を受けた人達は、おそらくネット上などで何らかの工作をしたと思われる。
その結果、何と学習量が最初に減った時期に関する情報自体が長い間ウィキペディアなどで消され続けていたのである。復活したのはつい最近の事だ。
復活したきっかけというのは、池上彰氏の発言が大きいように思う。池上氏はちゃんと文部科学省から情報を得ていたため、ゆとり世代が実は40代も含まれることを知っていたので、それを発言してしまったのである。
また、長い間学習量が最初に減った世代に関する情報が隠され続けていた別の要因として「若者バカにする系」を好んで視聴したり支持したりする特定層の人間の存在がある。これはヘイト・スピーチの対象をそのまま若者に移したような若者嫌いもいれば「おバカブーム」の支持者のような若者好きもいる。どちらも共通しているのは「若者の中でもバカな奴をピックアップして注目する事で優越感に浸れる中高年の娯楽」を重視している事である。
マスコミが若者をバカにする事を目的とする記事を書いたり、番組を制作する事で、一定の視聴率なり支持が得られたのだとすれば、そういう社会心理が透けて見える。
人間には嫉妬という感情があり、老いていく自分を日々感じるなかで、身近の若い人が、自分よりも肉体的に優れていたり、容姿がキレイだったりすると、無意識にそういった感情が誘発されてしまう。しかも、若い人の多くは自分よりも社会的地位が低い場合が多いため「俺の方がエラいはずなのに、なんでアイツが・・」という気になる。その結果「若者バカにする系」信者となる。
集団というのは、時にそういった感情を生み出すので注意が必要である。そうしないと今回のように事実が隠蔽され、多くの人に間違った認識を広めてしまう結果となってしまう。この恐ろしさに気づいている人が、まだ少ないように思う。
なんだろ、この増田は
論文での「引用」(というか参考)という意味を分かっていて、件の「コピペパクリ」の意味を理解してないのか、
それとも修論の時に同じような「コピペパクリ」をしまくっていたのか、
その辺が良くわからない。
4割もあればすごい、ってか、逆に4割もあったらその修士論文の内容疑う。
イントロダクションなんてのは99%過去の論文の引用で終わる。
最後に自分の考えをちょっと書いて、だからこの研究は重要なんです、って書くけど、そこまでは全部過去の物の引用。
で、何か、論拠とか式とか結果とか全部引用。当たり前。
ただ、引用って「文章のコピペ」ではないよ?単に、書いた内容の根拠はここにあります、と言うことを示す「参考文献」を示すこと。
何か、文学とか歴史学とかなら、過去の人の「文章」その物が重要でその言葉を引っ張ってくることがあるかも知れないけど、
実験系の論文でまるまる同じ「文章」を載せたらそれは通常単なる「パクリ」とみなす。参考文献として載せてても。自分の言葉で書けよボケ、って、って指導教官に大目玉食らう案件。
参考文献載せてなくて後からばれれば、例え学生レポートだとしても退学にされてもおかしくない案件だけど。
その辺、「引用」の意味を履き違えてる。「引用」はいいんだよ、というか、むしろ論文なんてほとんど引用から成り立つし、いかにそれを組み立てるか、みたいなところもある。
ただ、「パクリ」は駄目ですよ、って話。
どういうこっちゃ?学部生が論文投稿してたんかい???なんの分野だ???
自分の言葉でパラフレーズされてる限りそれはパクリとは言わないと思うんだが。レビューするために先行事例をかき集めるのだって大変だし、
一体何の分野だ?というより論文ってもの事態を全く知らないのか?
んなこと当たり前で、「引用」ってのは馬鹿ブログみたいにそのまま文章を引っ張ってくることではなくて、
内容を引っ張ってくること。
論文のイントロダクションなんて、全て以前の何かの結果や考えなんだから全てに参考文献が付く
逆に参考文献が無い方がおかしい。おまえそれ、最初に自分で考えたのかよ?って突っ込まれる。
だから、文書をそのまま乗せたらコピペ、勿論自分の文章で書きなおして参考文献を載せたら全く問題ない。
あと自分の大学では学部と修士以上は明らかに指導のレベルが違った。学部のゼミは超適当な先生も、修士はがんがん留年させていた。
これも一体どこだよ。
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」の一話をネット見ました
中止要請については以下
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20140116/k10014543211000.html
ドラマで描かれる“ポスト”というあだ名を持ち、ドラマで差別的発言を受ける子供という表現が、
フィクションと断りを入れていたとしても、“赤ちゃんポスト”という言葉で現実に照らし合わせることが容易にでき、
そして照らし合わせると、著しく少数の子供に限定されるということだ。
「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に預けらた幼児は現在75人の10歳にも満たない児童も存在する。
そのうち芦田真菜演じる“ポスト”に近い年齢の子供も少なくとも数人実在することは想像に難くない。
そして、彼ら全員が芦田真菜演じる“ポスト”のように「親に捨てられるのではなく親を捨てるんだ」という発言を
できるほど強靭な(不自然に大人びた)精神を持っているわけではない。
(「こうのとりのゆりかご」を運用している病院から中止要請があったということは、子供たち(と病院)に前もって
何らかの断りも入れていないということだろう。僕個人としては上記の理由でドラマを中止すべきだと思う。あまりにも杜撰な制作だ。)
女性に対するフェミニスト団体などがあるわけでもないので、声を上げて抗議をするのは困難である。
一部の大人、子供もが無批判に見ている可能性も十分あるので、偏見につながる可能性も十分あるだろう。
何より、放送が話題になって実在する“ポスト”への(杜撰な)取材をしたいというマスコミも現れるかもしれない。
また、ドラマの大まかなストーリー、芦田真菜さんが演じる主役の名前(あだ名)ぐらいは
スポンサーの広報も知っているはずなので、よくこのドラマを“提供”しようと思ったなと思う。
テレビは本、映画、ブログといった能動的に選択する他の表現とは違い、
電波を国に借りて放送しており、チャンネルも10程度という選択肢のとても少ないものである。
視聴者が段違いに多く影響がほかの手段に比べて大きいのだ。
病院が中止の申し入れをしたということは、
この申し入れが「こうのとりのゆりかご」(とおそらくそれに預けられた子供)がマスコミの好奇の目にさらされる、
という危険性を冒しても、ドラマは中止されるべきだという決断を下したのだろうと思う。
だがテレビ局の対応はあまりにも稚拙だ。放送中止を申し入れている病院側との話が成り立っていない。
「ドラマでは子どもたちの心根の純粋さや強さ、たくましさを全面に表し、子どもたちの視点から『愛情とは何か』という
趣旨のもと、子どもたちを愛する方々の思いも真摯(しんし)に描いていきたいと思っています。
日本テレビは実際に存在する児童養護施設にいる“子どもたち”をどう思っているのだろうか。
おそらく彼らは視聴率さえ取れればいいのだろう。
この発言は番組さえ見てもらえれば後は「こうのとりのゆりかご」等に偏見を持たれようがどうでもいいと思っている、と捉えられても文句は言えないだろう。
また仮に、このドラマがこのまま放送され終了した後、病院側に差別的だと捉えられ抗議されたとしても、
関係者は同じ「そういう受け止め方をされたのは残念」という言葉を繰り返すだけだろう。
http://daily.co.jp/gossip/2014/01/17/0006642533.shtml
日本テレビは、少なくともドラマのチーフプロデューサー(制作責任者)に実際に病院の代表者に合ってもらい、ドラマでの意図を説明、話し合いをさせるべきだ。
そもそも僕はこのドラマが養護施設と子供ではなくDVシェルターと女性を舞台としており、
ドラマでの施設長の子供に対する大声での差別的発言が、支援者の女性に対する二次被害的を発生させる暴力的な発言に
置き換えられていたとするなら、それだけで批判がそこら中から起こっていると思う。
(養護施設での虐待などのの問題があるが、DVシェルターでの二次被害などの問題がある。リンクは古いが以下。)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
以下一話を見た感想
―21世紀で一番泣けるドラマ
日本テレビのドラマ、「明日、ママがいない」での公式サイトにあるイントロダクションの最後の一文である。
おそらくこの一文がドラマを表しているのだろう。
ドラマでの“ポスト”というあだ名や、差別的な発言をするのもすべてあなたを最終回で泣かせるための装置に過ぎないのだ。
陳腐な不幸系の脚本、それをごまかすための差別的な台詞、過剰な演出、子役の一発芸的な“演技”しか見せ場のない映像、
時間の過ぎるのが中学生の頃の授業のように遅く僕は見ていて退屈で苦痛でさえあった。
ただ単純に制作者にドラマを作る能力が無いのだろう、醜悪なドラマだと思う。
(主題歌のコトリンゴさんの曲と芦田真菜さんの演技をする能力はこのドラマにはもったいない。)
ただ、テレビ局の思惑通りこのドラマを最後まで見る視聴者は泣くだろう。
だが、そのうち何人が、ドラマだと割り切って見ているのか、
あー、なんだい?論文を書きたいって?でも初めて書くから書き方が分からないって?ああ、そりゃ大変だね。自慢じゃないけどおじさんは自分で論文を書けるようになるまで10年かかった。まあ簡単には書けないさ。すぐに出来なくても焦らなくていいよ。ペーパーテストじゃないんだからね。何回書き直したっていいし、どれだけ時間が掛かってもいい。もちろん辞書は使いたい放題だし、ググルスカラで気の利いた表現はすぐ出てくる。間違った表現かどうかも分かる。エキサイト翻訳の精度も随分上がったしね。ちょっとお金出したら業者が校閲してくれるしね。英語なんて高校生レベルで十分さ。問題は研究結果だよ。当たり前の事だけど新奇性が十分無いといけない。でも君は普段から先行研究を十分サーベイしてたよね。そこは大丈夫な筈だ。もし君の研究に今までに無い知見があって、君がそれを永遠の形に残したいと思うのなら、じゃあ論文を書いていいんだよ。論文の書き方には色んな流儀がある、どんな風に書いたっていいんだよ、多分ね。重要なのは読んだ人にメッセージが伝わること、そして標準的なサイエンティストの批判に十分耐えられること、この二点だけだ。後者は色々難しいかな。人によって「標準的」は随分違うしね。物理学会の領域8みたいなdisり合戦に十分耐え、どんなクレーマーにもびくともしないデータの質、精密な議論。そりゃあ、望ましいけど、多くの場合はオーバースペックだよ。年を取ってこだわりたくなったらトライすればいい。最初はデビューすることだ。君の論文の伝えたいこと、メッセージ、が標準的な科学者が納得できるエビデンスが揃ったらどんどん進めばいい。周りの人が「もう論文書けるね」とか言い始めたらそれがシグナルだ。論文を一度書くと、人の論文の読み方も変わってくる。場合によっては査読が回って来たりする。それが論文を書く時に役に立つ。この感覚はやってみないと分からない事が多いと思う。最初から完璧に書こうとせずに、何本も書きながら成長する方が遥かに効率的だよ。ある先生は論文を書けない私を「3本書きましょう、3本書いたらみんな書けるようになりますよ」と励ましてくれたんだけどね、これは金言だと思うよ。じゃあ具体的な話に移るよ。まずタイトルだ。これは出来るだけ短く、しかし君のメッセージを出来るだけ伝わるように選ぶ。この二つを両立させるのは難しい?まずは後者で作って、その後、少しずつ削ればいいんだよ。そして意味が不明になる直前で止める。これで終わりさ。次はアブストラクト。アブストラクトは論文に書いた後に書くって流儀もあるそうだけど、私はアブストラクトが書けないうちは論文を書かない方が良いと思う。だってアブストラクト~君の伝えたいこと、メッセージ、だからね。これが固まっていないと迷子になると思うよ。アブストラクトは全体の設計図、骨格なんだよ。そして次にイントロダクション。イントロダクションと結論は対応していないとダメだからね。結論を意識して、読者に結論を理解出来る必要十分な情報を提供するのがイントロの役割だ。もちろんこの際、先行研究を正当にリファーする必要がある。自分の結果の新奇性を十分に主張するためには自然とそうなると思うけどね。次にエクスペリメンタル。ここはそんなに難しくないかな?そして肝心のリザルツアンドディスカッション。ここは先ずグラフを先に作るほうが良いと思う。君のメッセージを一目で伝えてくれるような分かりやすくて美しい図、それを作るんだ。図の作製は重要だよ。論文を読む時は図だけ先に読めとか良く言うでしょ?ログ-ログ,リニア-ログ,リニア-リニア,色んなプロットを試してもっとも良いのを選ぶんだ。そして図を、君のメッセーが伝えやすいような順番で並べる。レターだったら3つぐらいフルペーパーだったら10を超える事もあるかもね。とにかく色んな順序で並べてみて、君のメッセージを伝えるストーリーを考えるだ。もっとも分かりやすい順番を選べば良い。数学の証明のように順を追って謎を解き明かず方法もあるだろう。最も重要なメッセージを伝える図を最初に示して、それを補強していくやり方もあるだろう。どちらにせよ基本的に英語は一本道だ。日本語みたいに、「なお」「話は変わるが」みたいな唐突に話を変えるような事は殆ど出来ない。そう考えると自ずと解は多くない。ここまで出来たら後は文章化するだけだ。On the other hand, moreover, in contrast みたいな単語で文章をつなげれば良い。これは色んなサイトで表現を紹介しているよね。便利な時代だ。最後に結論。Summaryだとほんとに本文を拾ってくるだけでもいい。最初はこれで十分だと思う。慣れてきたらSummaryとConclusionの違いを意識してみる、とか色々考えればいい。投げやりだって?ごめん、勢いで書き始めたけどもう眠いんだよ。最後に君に是非伝えたいメッセージがある。論文を書くという作業は楽しい物なんだよ。君の研究結果を永遠に、多くの人に伝わる形に結晶化させる作業だからね。早くその楽しさを知って欲しかったのさ。
俺も端的に書くけど、お前どこまでも一般論なんだよな。
とかお前、元増田が
実験の流れがわかりやすくなるように、そして、ディスカッションのところで主張したい考察を展開する布石として『何がどこまでわかっていて』
『何がわかっていなくて』『何が課題となっているか』を、イントロに書く必要がありますよね。
それをきちんと勉強して書いてくれたんだけど、それが消されたってことです。
って書いたの読んでる?
イントロダクションは一番手間のかかる、モチベーションの上がらない、めんどくさくてつまらない地味な部分じゃねえか。そこをがんばってしっかり書いた学生ほめないでどうすんだよ。そっちの方がバカ認定よりよっぽど学者の態度じゃないわ。
だいたいからして相手がバカと言ったら終わりって、ポスドクなんてバカ認定しながらじゃなきゃやってられねえよ。「こいつはバカだから仕方ない、次いこ次」ってなもんだ。
元増田です、書き方が悪くてすいません。
というのは、
「論文の内容にとってとても重要な内容(←頑張って勉強して書いた)」
という意味でした。
『勉強した内容』が書かれているわけで『頑張った日記』が書かれているわけじゃないんです、すいません。
実験の流れがわかりやすくなるように、そして、ディスカッションのところで主張したい考察を展開する布石として『何がどこまでわかっていて』
『何がわかっていなくて』『何が課題となっているか』を、イントロに書く必要がありますよね。
それをきちんと勉強して書いてくれたんだけど、それが消されたってことです。
具体的に言えば、
「その系に注目した動機」だけ書いたらいいから「その系の自分がやった個所の現状と課題」は全削除、と言われたのです。
ま、削除と主張されるのは構わないのですが、
・ディスカッションも読まずにイントロを削除するやっつけな態度
・ななめ読みして的外れな指摘をするやる気のなさ
・イントロを削るくせに、マテメソに難癖をつけて引き延ばす統一感のなさ
・ようするに、ひとつの論文として俯瞰して理解していないくせに部分に思い付きを押し付ける理不尽さ
[追記]なんか凄いことになっている!すいません!ちょっとお礼も兼ねて文末に追記しました。
こんなことは直接いえないし、かといって黙ってるのも癪なので、ここに書く。
年度は内緒だけど、学振特別研究員に採用された。それは、ま、努力と、大部分は幸運によるもので、それは良かった。
で、うちの院は極端に学振持ちが少ないので、この時期になると、「書類作成のコツを教えてください」とかいう名目で、講習会に呼ばれたりするわけだ。あるいは、「後輩を指導しろ」とかね。
それはいい、というか、俺自身も、いろんな人に「書類作成のコツ」を教えてもらったわけだから、それを還元しなくちゃな、とは思う。
思うし、それなりに、教わったことと、俺自身が体験したことを、きちんと伝えているつもりだ。
ただ、俺は、あいつらはゆとりだから、なんて言って思考停止するヤツはアホだと思っているけど、つい思考停止してしまったね。
あのプライドはなんなんだと。ちなみに、多分関係あるんだろうなーと思うので書いておくと、文系の話な。
たとえば、俺はこんなことを言う。一応先に言っておくけど、俺が言っていることが全部正しいんだ、とか、そういうつもりはさらさらない。ので、いねーとは思うけど、参考にするのは勝手だが、文句は言うなよ。
などなど。個別具体的にはもっと言う。それに対する返答は、こうだ。
あのねえ、いや、いいんですよ。俺のアドバイスを聞かないのはそれは自由だよ。こっちがいいと思う理由があるなら、それはぜんぜんいい。ただね、形だけでもね、俺は「教えてください」といわれて来ているわけで、ちょっとは、「この人の言うことを自分なりに咀嚼・理解・吸収して、いいところは使おう」とかね、思ってくれ、というか、思っているふりとか、そぶりくらい見せてくれと思うんですね。
(失笑)ってさあ、ほんとに俺のやる気を奪うんだぜ。
俺は別に、あなたたちの文章がくだらないとか、あなたたちには論文を読む以外の長所はないとか、あなたたちの論文作成能力を疑っているとか、そういうことを思っているわけじゃないんだけど、どうしてそう、防衛的な話し方をするのか。
俺の言うことはくだらないのかもしれない。意味がないのかもしれない。
でもさあ、じゃあ、「なるほど、参考にします」くらい言って、あとはほっときゃいーじゃん。
で、考えてみたら、それは、なんとなくだけど、「プライド」が傷つけられた、という気持ちからきているように思う。
わからなくはない。ずっと自分があっためてきた研究テーマで、がんばって取り組んできて、これからやっていこうと思っていることを、
まるで否定されたかのように思う、というその気持ちは。
わからなくはない、けど、特別研究員に申請する、ということは、少なくとも博士課程に進学するか、博士課程で何年かがんばってるか、でしょう。今まで、俺が言っているより、もっと辛らつな言葉で、もっとフェイタルなところを、指摘・批判・酷評されたことが、絶対にあるはずだ。ないわけがない。
でもそれって、いわばそのテーマに関心を持ってるから出てくることでしょう。いや、場合によっては、ホントにその分野のことが限りなく嫌いだから、そういうことする人、というのもいるんだけどさ。そういう人/言葉に対して、拒絶じゃなくて、真っ向勝負というか、殴り合いというか、とにかく議論をする、というのが、大事なことでしょう。
そんで、そのときに、あなたたちは、プライドが傷つけられた、と思って、その指摘・批判・評価に防衛的になってしまって、
いわゆる「議論」を一切してこなかったというのか。俺、正直言うけど、それはしんじらんねーよ。
書いたらすっきりしてきて、これは、本当は、直接言わなきゃいけないことなのかもな、という気がしてきたので、このへんにしておく。
(いや、さすがにいい大人に直接こんなことはいわねーけど。指導教員でもないし。)
しかし、これが特定個人だったら、俺は笑い話にできる。でも、こんなの(失礼な表現だけど)が、わんさかいるんだぜ。
もう、博士課程に進学してたりするんだぜ。自分を棚に上げて言うけど、俺は、少しだけ、怖い。
[以下追記]
皆様のコメントやトラックバック、ありがたく確認いたしました!
徒労感に襲われて飲んで帰ってきて、ぶちまけるかのように書いた記事なので、かなりアレな内容だったかと思いますが、
以下、お返事代わりに。
それと、次の二点から考えたことが、今回の件に対してすげー勉強になったので、もう少し書きます。長くてすみません。
これはたぶん表裏一体で(一般論ではなく、今回の件に関して)、俺もプライドが高いんです。我慢しなければいけないところでは「なんとかし」ようと思っている、つもり、ですけれども。そして、傷つくことが怖いので、びびると、防衛的な発言を繰り返したりします。
で、今回のケースは、たぶん、
という状況がもともとあったんだと思うんですね。
で、自然、相手は防衛的な態度/発言を取るので、俺は、「それじゃあまずいだろ」と思って、一生懸命しゃべるわけですが、そうすると、なおさらディフェンスを固められてしまう、という悪循環があったのではないかと思っています。
だから本当は、「アドバイスを適切に伝え、ついでに感謝されていい気分で俺が家に帰ってくる」という目的(コメントやトラックバックを読む限り、役に立つ社会人育成、という目的だと、ダメっぽいですね。でも、俺自身も役に立つ社会人なのか、といわれると、無言にならざるを得ない)にたてば、最初にやるべきことは、批判というか指摘をすることではなくて、相手を認める/褒めることだったのかな、と思うんですよね。
今回は、
俺が学振について思っていることとか、やったらいいと思う一般則をまずしゃべる→それを聞いて、ちょっとびびっている→個別の申請書を読んで、気になった点を指摘する→余計びびる、防衛的になる→俺徒労感
という流れだったわけですが、
ちょっとびびっている→いや、凄いよ!いいよ!良く頑張ってるよ!→安心する、話を聞こうと思う、「何か直したほうがいいところありますか?」→最初の話をする
という流れだったらどうだったか。あるいは、そもそも俺が人当たりの良いタイプだったら、どうだったか、と思うんですね。俺のターンに俺は攻撃的過ぎだったのかもしれない。
でも、根っこのところでは、そんくらい自分で解決せえよ、と思わなくもないんですけどね。相手が中学生とか、高校生だったら、俺だって気も使うけどね。プライドへしおったろか、とか思わなくはないんですよ。というような話を、ボスにかなり遠まわしにしてみたところ、「君がM1のとき、僕に『先生、○○(マイナー雑誌)なんて雑誌に投稿するの恥ずかしくないんですか(冷笑)』とか言っておきながら、△△(メジャー雑誌)からリジェクトされて、顔真っ赤にしながら□□(○○ではないけど、まあ同じくらいのマイナー雑誌)に出したことを僕はまだ忘れてないよ。今は、『こいつはヘンなとこでプライド高いな、なんとかしなきゃ』と思うかもしれないけど、みんな、いつかはそれが無意味なことに気づくはずだよ。だから、ちゃんとアドバイスしてあげなさい」と諭され、思わぬ黒歴史が掘り返されて、また別の意味で落ち込んだわけですが、いや、結局、ここで「ダメな」態度とっても、いつかは挫折したり、また立ち直ったりして、成長していくもんなのかなあ、とも思います。ずーっとダメなやつもいるかもしんないけど、いつのまにか「お主やるな」みたいになるやつは出てくる可能性はあるわけで、そういう意味では、こいつはゆとりだからっつって思考停止はやっぱよくないなと思いましたね。
で、何がいいたいかというと、思考停止せずにすんだのは、ここで書き込んで、みなさんからいろいろなご意見を頂いたおかげであるので、一言お礼を申し上げたかったと、そういうことです。ありがとうございました。
いやあ、しかし、俺そんなこと言ってたかなあ、恥ずかしいなあ。
ライトノベル作家になりたいワナビ (元)
ここまでのラノベ設定まとめ (←ここから)
http://anond.hatelabo.jp/20071130165609 (←ここまで)
・昨今のラノベの三大潮流は、ロリ・獣耳・百合 http://anond.hatelabo.jp/20071129202523
・ヒロインは10歳以下に http://anond.hatelabo.jp/20071129201005
・特徴的な名前、会話文だけでキャラを識別できる特徴的な口癖 http://anond.hatelabo.jp/20071129195731
◎シリアス路線?
・11の人格を持ち、妖怪を倒すと人格が消えていく主人公(最後は?)
・妖怪の力を吸収する特殊能力をもつ主人公。実は主人公自身がラスボス http://anond.hatelabo.jp/20071130072711
・ヒロコが妖怪の子供に助けられ、味方を裏切って主人公率いる部隊と戦闘に http://anond.hatelabo.jp/20071130101121
・敵のボスが以前一緒に戦った仲間で・・・ http://anond.hatelabo.jp/20071130163533
・魔法使いの間で妖怪擁護派と根絶派の大バトル http://anond.hatelabo.jp/20071130165609
・強力な能力を持つ主人公(38歳童貞)が、40歳過ぎて妖怪化するのを恐れ狙われる http://anond.hatelabo.jp/20071130153546
◎コメディ路線?
・世界の存亡が痴話ゲンカの結果 http://anond.hatelabo.jp/20071130103743
・周囲では大事になっていってるのに、当事者は些事と思ってる http://anond.hatelabo.jp/20071130105852
・敵の美形妖怪に一目惚れして裏切るヒロイン http://anond.hatelabo.jp/20071130104018
・敵のボスが前彼で、宇宙ステーションでその敵を倒そうとしたらヒロコ裏切る http://anond.hatelabo.jp/20071130135626
◎新キャラ
・益田さとる。友人。軽度ヲタ。口癖は「なんてのは、どう。」 http://anond.hatelabo.jp/20071130110924
・人語を解する猫。25歳。(増田猫?) http://anond.hatelabo.jp/20071130153546
(物語はすでに始まっているといっても過言ではないのだ!?!しかし、よくまあ、あの短時間でここまで。)
そろそろゲームオーバーかな。。。。
ようやくでてきた
ヒートアイランド現象の定量評価は、IPCCのSPM(Summary for Policymakers: 科学を専門的に学んでいない政策決定者にも分かるようにとりまとめられた文書)にすら出てる初歩の初歩だぞ。10年あたりの昇温量で、観測された気温上昇は0.13℃(最近50年)、ヒートアイランド現象の寄与は陸上で0.006℃未満、海上ではゼロだ。その他の主張もIPCCのFAQとReferenceをまず見ろ。
もっとはやくに出してもよかったのに。
お前は、基礎文献を読めと何度言ったら分かるんだ。
こんな突き放しでだれも基礎文献なんて読むわけないじゃんか。
どこに基礎文献があるんだって話しだよ。
科学を専門的にやっているんだったら疑問をもった普通の人にもイントロダクションしたほうがいいのではないか。
http://anond.hatelabo.jp/20071017212407
否定派は他にも何人かいたみたいだけど、多分性質の悪い否定派は自分のことかな。
ごめんなさい。
時々肯定派にもいたんだけどね。
でもね、過去の気象データの件とか、その不確実さについては今後もずっと指摘され続けるよ。
証明や実証が困難なところに同じような疑問を持つひとは一定数必ずいるはずだし、
実際日本での官製主体の温暖化議論は相当おかしいところに進んでいる。
それに現在採用され根拠としているデータは相当恣意的なものがある。
これだけは流れとしてかえたい。
温暖化を否定する言説はもっと人目に触れたほうがいい。
まじめなものもいくつもでてるし、そこにも一理ある。
思いて学ばざれば則ちあやうしは、いい言葉だね。
勉強ぶそくですんまそーん。
あまりも当たり前過ぎて21世紀に入ってから言葉にだしたことはあまりないのですが、当然のことながら、プログラムというのは、マシン語を理解したからって「書ける」ものではないのです。
プログラムが書ける、という状態は「物事の仕組みを抽象化する」という状態の延長線上にあるべきで、それを理解していないということは仕組みを理解していない、つまりプログラムを理解していないのとほぼ同じだと思います。
最近はLLと呼ばれる、いわゆる軽量スクリプト言語がメインになってきていますし、僕も普段はRubyでプログラムを書くことが増えてきましたが、このおかげでますます、コンピュータというのはマシン語で動くものではあるが、プログラムはマシン語というバッドノウハウの塊から脱却して、やりたいことそのものを表現できるようになったと思いを強くしています。
その意識がないと、たとえRubyやJavaScriptのコードを書いていても、不可解な動きをしたり、あとから自分や他人がコードを見直したときに「なぜこんな風に書いたんだろう?」ということがピンとこないことになります。
まだ大学に入って無くて、趣味のプログラミングを楽しんでいる若い人たちには、ぜひアルゴリズムとデータ構造を勉強してみることを勧めます。
最近は素晴らしい時代になったもので、ごく初歩的なアルゴリズムとデータ構造は言語の標準ライブラリでも使うことができます。
しかし本格的にこれらで遊びたくなったら、内部実装を読んだりポインタだけで書いてみるのがお勧めです。
(中略)
さらにいえば、これらのさらに下のレイヤーである数学を理解しているとさらに理想的です。
最後に参考文献をまとめておきます。
ただ読むだけでもとても面白い本ばかりです。
・SICP
・解析概論