はてなキーワード: イコールとは
イケメン無罪、美人無罪が存在するかというと、確実に存在している。
ように見えるが、正しくはイケメン、美人というのが許される条件ではない。
と、私は思う。
本質的には、「私が好意的に見ている相手ならば、大抵のことは許せる」に過ぎない。
アバタもエクボというように、「イケメンだから」ではなく「私が好意を抱いているから」許せるわけ。
(というか、大半の人が好意を抱く容姿をイケメン、美人という)
「私が好意的に見ている相手ならば、大抵のことは許せる」ことと、
「イケメンならば許せる、美人ならば許せる」とは、一見するとイコールに見える。
しかし、好意の源泉が容姿とは限らない。性格だったり、年齢だったり、所得だったりね。
そうすると、『別に許せるのは「イケメンだから」ではない』という主張が成立する。
あくまで「私が好意的に見ている相手ならば、大抵のことは許せる」だけ。
3行まとめ
・仮面ライダーゼロワンという特撮では人型ヒューマギア(アンドロイド)が多数登場しMCチェケラはラッパー型ヒューマギア
・登場した第28話において政治家の汚職事件を目の当たりにしシンギュラリティを超えて自我に目覚め「汚え人間は滅びろ!」と叫び暴走して怪人になる
・奇しくもその後作中のラスボスと真ラスボスが導き出した結論が同じ「人類滅亡」
ゼロワンはコロナにより途中何度かの総集編を挟むとはいえ、全4クールの特撮である。
その3クール目の中盤においてMCチェケラは他者の介入ではなく自分の意志によって「人類は滅びるべき」であるという答えに自らたどり着く。
その後に真のラスボスが自我に目覚めた上で同じ結論にたどり着くのが4クール目中盤であり、実に丸々1クール分早く作品の究極の問いかけを始めてしまったことになる。
これが主要キャラの手によるものならばまだしも、MCチェケラはぶっちゃければ各話ほぼ使い捨てのゲストキャラ兼怪人でしかない。
真ラスボスがこの答えを導くのにかかったのは番組のほぼ全期間、それに対してMCチェケラはたったの1話。
作中の描写に置いては極めて短時間での結論であるが、その問の重さは同じであるはずだ。
人類という悪意の源泉が存在すること自体が人とヒューマギア双方に不幸を生むのなら、人類こそが滅びるべきなのでは?という問いかけをしたのがゲストキャラだろうとメインキャラだろうと、問いの内容は同じなのだから。
MCチェケラの存在があまりに時期尚早かつ劇的であったことから、彼はその後作品から半ば抹消されることになる。
総集編においても彼がこの思想に目覚めた理由が「ラッパーという職業がもともと人の悪意を蓄積しやすい職業だったからだ」という職業差別のような言い方で片付けられてしまう。
何故そうなったのかは、作劇上の都合も大きいだろう。
その後3クール目後半から4クール目にかけての主人公の決め台詞が「夢を通じて自我に目覚めたヒューマギアは絶対に暴走はしない!」であり、極めて食い合わせが悪いのだ。
夢や自我に目覚めたら暴走しないというのならば、人を滅ぼすという夢に目覚めシンギュラリティを超えたチェケラが怪人となったことは暴走ではなかったのか?という当然の疑問が生まれてしまう。
この噛み合わなさがすぐに片付けられたのならば、単なる作劇上の小さなミスで終わっただろう。
だが。そこからフォローを一切しなかったのはあまりにも大きな痛手となる。
チェケラが人類滅亡思想に目覚めた理由に対して、ラスボスの介入があっただとか、故障があったとか、なんなら夢や自我の定義を狭めて使っていることを公表するとか、何かしらやりようはあった。
だが仮面ライダーゼロワンスタッフが取った対応は、完璧な無視である。
作品が最後に立ち向かう問がまさにその「ヒューマギアが人類滅亡を夢見た時、人はどうやって対話をするのか」なのだから。
MCチェケラに対して主人公や番組スタッフが行ったのは「ぶっ倒したら存在を忘れ去る」ことだった。
では、共闘や話し合いを何度も繰り返し物語をいくつも積み上げてきたラスボスに対してもそれを繰り返すのだろうか?
あれだけの時間を積み上げて、結局は都合が悪くなったので存在をなかったことにするのが令和最初のライダーのやり方になるのか?
いい年をして特撮番組に齧りついている大きなお友達の注目が集まっている。
1つはここで語れるような先駆者になりすぎて番組から消された問題児。
もう1つが、ラスボスと違って咄嗟に逆上して汚い言葉を口にしただけの薄っぺらいチンピラアンドロイド。
では考えてみよう。
MCチェケラの口にした「汚え人間は滅びろ!」は果たしてラッパーの雑なDISだったのだろうか?
彼がなにに対してそこまで怒りを示したのかをまずは公式サイトから引用してみよう
「お仕事五番勝負」の最終戦は、ヒューマギア自治都市構想を巡る住民投票で支持を得るための演説対決となった。ザイアは市会議員の由藤(大塩ゴウ)を起用し、ヒューマギア廃絶を強力に訴える。
対する或人(高橋文哉)も政治家ヒューマギアで対抗しようとするが、ヒューマギアは政治家になることを禁じられているため“政治家ヒューマギア”は開発されていない。イズ(鶴嶋乃愛)はラッパーヒューマギアのMCチェケラ(副島淳)で勝負を、と提案する。
或人とチェケラは由藤が賄賂を受け取っている現場を抑えることに成功。テレビの公開討論会でチェケラは映像とともに由藤の悪行を暴露する。一気にチェケラの支持が上昇するが、由藤はザイアスペックを使い濡れ衣だと主張。証拠となる映像を提示し、チェケラの映像をフェイクだと言い放つ。
引用元URL https://www.tv-asahi.co.jp/zero-one/story/?28
短くまとめると「討論相手の政治家が賄賂を受け取っていることを映像と共に批判した所、相手側は偽の映像を用意してきた」ということになる。
十分だと私は思う。
まず、政治家とは人間社会全体の方向性を決めるような職業であり、それが悪事に手を染めるということは人類の方向性そのものが悪に向かう傾向があるということになる。
次に、その悪事が暴かれたときのためのフェイク映像があっさり出てきたということは、悪事を働く者達はその隠蔽に長けており、人類はそれを裁くだけの自浄作用を持ち合わせていないということだ。
なにより、記録というものはヒューマギアにとって記憶とイコールである。そこにフェイクを混ぜるのは世界そのものの再構築にすら近い極めて危険な行為となる。自分の罪を逃れるためなら平気でそれを行う人間の姿は倫理的に大きな絶望を与えることが想像に難くない。
MCチェケラが目撃したのは「人類社会は確実に悪に向かいながらも自浄作用がなく倫理観が崩壊している姿」なのだ。
作中の他の場面で、『ヒューマギアってやっぱ純粋だな。よくも悪くも、ラーニングの影響をもろに受ける』いうセリフが出てくるが、まさに純粋な心をもって解釈すれば人類は滅亡すべきであるという結論にたどり着き、ロボット三原則との矛盾からシンギュラリティに到達するのは当然とも言える場面なのだ。
MCチェケラ、彼の語る人類滅亡論はある意味では極論だが、そのロジックが間違っているとは言い難い。
それについて何故、主人公もスタッフも向き合うことがなかったのか、それでいて何故今になって同じ問題を最終決戦として取り上げるのか。
私にはそれが分からない。
今別姓の選択肢がないことに文句言ってる連中って、次にそれが選ばれないことに文句を言い始めるのがバレバレだからなあ
同姓イコール夫やイエへの隷属っていうイデオロギーありきだから
本当に選択的で個人の自由なら「負担を負いたい奴が負えばいい」で済む話だけど、どうせそこにも同調圧力でもって干渉してくるわけで
18歳から選挙権を持てるようになってからしばらく考えてたんだけど、誰に聞いても「倫理的に駄目」としか返してくれないからここで吐く。
「選挙権を持つこと」と「社会の担い手であることを意識すること」はイコールになってる。そして、18歳から選挙権を持たせるということは、若者に政治に関する意識を向けさせ、社会を担っていってほしい、ってことだろ。
「社会を担う」ってことは、働いたり子供を産んだりして、国の役に立つってことだろ。
じゃあもう働く年齢じゃない高齢者はどうなんだ?
年齢制限に下限があるんだから、上限をつけてもいいんじゃないか?
18~60歳までに投票権がある、でいいだろ。そうしなきゃ若者は投票したって高齢者向けの政策しかしてもらえないんだから政治に興味なんか向けねえよ。
薬局で売れって言ってる人は1秒でも早く飲めるようにそうしろって言ってるんだよね
必要な本人が買いに来てその場で飲む、販売単位は1回の緊急避妊に必要な分だけ
そう考えると1錠で済むタイプしか売れないかな、その場で飲んで帰る時は手ぶら
代理購入とかその場で飲まずお持ち帰りとか許してたらそれこそ悪用の温床になる
服用指導やその場で飲ませる方法を各薬局でどう取るかは知らないけど、プライバシーを守るためにバックヤードに場所作れる店なんてそうそうあるかな?
バックヤード説明が定着したとしても、イコール緊急避妊のイメージがついたら女性陣はそれでも薬局で買いたいと思う?
少なくとも近所とか知り合いに会う可能性のある所では無理じゃない?
もし自分が働いてる薬局で緊急避妊薬説明指導お願いしまーすって呼ばれたら、衆人環視の中相手のプライバシーを守れる自信はないな
緊急避妊薬は保険適用じゃないから保険証持って行かなくてもいいし指導だけだから内診とかはしないよって所も多いし
あと緊急避妊薬って飲んだらガスピタンみたいに受精卵がスーッと消えるわけじゃないからね
ホルモンバランスを狂わせて着床を防いで、早ければ服用後数日で出血が起こったりする
親バレが嫌っていう家庭の女性(女の子?)ほど親が色んなことに干渉してきてるんだろうから、生理周期を把握されたりしていたら「出血の時期がおかしい、まさか?」って勘ぐられたりするんじゃないかな
家のトイレの汚物入れにポイして母親が捨ててるようだと、そういう可能性もあるから気をつけてね
でも緊急避妊薬を薬局で買いたいと思うような女性は性に対して後ろめたい気持ちを毒親から植え付けられたりしてるケースもあるからかわいそうだね
私も「子どもがほしい」という感情をほぼ持たないまま、30年近くの人生を生きてきました。
根本にあるのは間違いなく家庭環境で、親は苦労して私を育ててくれたけど、道具で叩かれたり蹴られたり、外に長時間出されたり、ひどい時は下着一丁で家を追い出されたこともありました。「今すぐ窓から飛び降りて死んでこい」と言われたこともあります。生活の質に直結するから必死で勉強したけど、幼い頃やはり子どもたちを木刀で殴っていたという祖父は、そんな私の成績を外で自慢していました。
一方で、子供の学費を稼ぐためにパート先で苛められている親の姿を見て、子どもであることも親であることも、大きな苦しみであると学んでしまったことが、子どもをほしいと思わなくなった大きな原因です。小さい兄弟の面倒を見るのもそれなりにしんどかった。
今はこの親とほぼ絶縁しているけど、結婚して子どもをもつことは、私にとっては、成人してせっかく得られた自由を手放すことのように思えて、とても受け入れがたい考え方でした。私にとって、家族は幸福な経験ではありませんでした。
今は結婚しています。現時点ではDINKSですが、夫は子どもを持つことを希望しています。
あなたが挙げられていたような理由(すべてに同意します)を述べて、交際を始めて早いうちに、子どもはほしくないと伝えていました。夫は、子どもをほしいと思う感情に疑問を持たないまま人生を歩んできた人でした。私は、この関係を続けるか、子どもをほしくないという結論を出して別れるか悩んだけれど、どうしても目の前の恋人と別れるという決断を下すことができなかった。
(この人の子どもがほしいと思えないなら、愛情が足りないから別れたほうがいい、と人様には言われたり……)
結局、「いつかは子どもを持つことになるのだろうな」という半分諦観のような予感を抱えつつ、結論をだせないまま結婚しました(本来なら、きちんと結論を出してから結婚のような一大事は進めるべきです。間違いなく)。私が折れて子どもを持つことになったとしても、このひとは家庭人として子育てにともに関わり、一緒に悩んだり喜んだりしてくれるひとだという確信だけが頼りでした。
今は、「いつかは子どもを持つようになる」の具体的なタイミングも、見えてきた気がします。結婚を契機に実家と絶縁して、新しい家族を作るうちに、その延長線として子どものいる未来が視野に入ってきた感じです。実家との絶縁と新しい家族の形成を機に、自分の人生の舵を自分でとる感覚を得たり、読書や書くことを通じて自分の人生(ネガティブな記憶も含めて)を振り返ったり、家族観を見直す契機が得られたことが大きいです。とはいえ、今でも子どもを持つ持たないの間で揺れたり(「二人で十分幸せでいられるのに」)、メンタル不安定な日には泣いたり、過去の極端な日には「相手が子どもがそれだけほしいなら、子どもだけ産んで死にたい」と考えたこともありました。
育児漫画は見ないようにしています。やはりSNSはSNS、現実は現実で、両者は必ずしもイコールではないなと最近強く思います。
妊娠・出産にまつわるトラブルや支援、ありうる疾患、失職のリスク、失われる自由時間、アイデンティティの変化、そうしたものについて、よく考えたり、勉強したりするようにしています(もちろん生まれてみないとわからないことばかりで、最後は賭けですが、覚悟がないよりはましかなと……どんな決断にもリスクはあると)。
子どもを愛せるか、自分の持つ疾患の遺伝可能性等々、感じた不安は必ず夫に伝えて共有してもらいます。夫は、自分が子どもがほしいという理由について考えたことがなかったらしく、周囲の育児中の家庭に機会を見つけて聞いているらしいのですが、結局曖昧な答えしか返ってこなかったらしいです。色々話し合っていますが、たぶん生まれたらたくさんの「こんなはずじゃなかった」があると思います。
ここまで、結局「子どもを持ちたくないと思っていたけど、なんとなく子どもを持つのだろうなと予感している女の話」で、何かしらのマウントや自慢に聞こえるかもしれません。不愉快にさせたらごめんなさい。どちらかというと自分に向かって、自分の気持ちの整理のために書いてきた気がします。
あなたが子どもを産みたくない理由のすべてに共感しますし、尊重したいと思っています。この先の人生で、無理に子どもを持つ必要はありませんし、一昔前に比べたら私達は自由意志の時代に生きているわけで、どんな決断だっていいと思います。
あなたの持つ違和感や不安や憤りに対して、「子どもを持たない」という選択はひとつの大きな解決策です。
子どもを持たないひとから税金をとれみたいなことを言い放つ発想には(税制上は事実そういう側面があるわけですが)、反吐が出ます。何もしなくたって私達みんな、社会の一員じゃないですか。
ただ、子どもを持たないことに対して理解のあるパートナーを見つけることや、あなたの意見に耳を傾けてくれて、真剣な話し合いのできるパートナーを見つけること、別れ話をされるという今の相手の方とも、よく話し合うことをすすめます。別れ話をするにあたっても、できるだけ言語化して自分の考えを伝えること、相手にも自分の意見を言語化してもらうこと、などがあったほうがいいと思います(書き終わったあとで気付いたのですが、割とそういう感じでない方っぽいですね……すいません)。
毎年、空気の乾燥するこの時期になると、「湿度」という指標について考えることがある。
その字面から、「湿度」は空気中の湿潤(乾燥)具合を表現する指標だと思われがちだが、本当はそうではない。
中学校で学んだ通り、「湿度」は"空気中に含まれる水蒸気量÷その気温での飽和水蒸気量×100"で計算され、気温が高いほど飽和水蒸気量は大きくなるわけだから、
同じ「湿度」であっても、今の時期のように気温が低ければ、空気中に含まれる水蒸気量は少ないことになる。
例えば、夏の「湿度50%」と、冬の「湿度50%」では、冬の方が空気中の水蒸気量は少ない(つまり、乾燥している)と言えば、わかりやすいだろうか。
つまり、空気が乾燥しているかどうかは「湿度」だけでは決まらないのだから、「湿度」という指標には、
広さを表す指標に「面積」でなく「周の長さ」を使うような、概ね正しいけどそうじゃない、っていうもどかしさを毎年感じるわけだ。
というか、測定値そのものでなく計算が必要な上に、空気中の湿潤具合とダイレクトにイコールにならない指標を「湿度」とシンプルな名前で呼ぶのがそもそもの間違いなのではないだろうか。
計算の意味を考えるなら、「加湿限界度」みたいな呼び名の方が相応しいだろう。
そして、天気予報を伝える場では代わりに、上の計算式に出てきた「空気中に含まれる水蒸気量」を「湿量」とでも呼んで使えばいいと思うがどうだろうか。
測定値そのものなので意味もわかりやすく、空気の湿潤具合とも直接結び付くし、中学校でも「湿度」の計算に苦しむこともないだろう。
もちろん、雲の発生を考える上には「湿度」の考え方が必要なので、「湿度」という指標が天気予報を行うためには便利な指標なのは理解するのだが、
だからといって、一般人に伝達する指標まで「湿度」でなくてはいけない、なんてこともないだろう。
∈まとめ∋
よって、「世界中の食べ物が全部チョコミント味になりますように」という仮定より、「チョコ」も「チョコミント」味でなくてはいけない。
すると、「ミント」の味は、①無味もしくは②「チョコ」の味である必要がある。
それ以外の場合は、「チョコミント」味に「チョコ」以外の味が付いてしまうため、「チョコ」の味とイコールにならないからである。
同様の議論で、「チョコ」の味も、③無味もしくは④「ミント」の味とイコールであることになる。
したがって、いずれの場合でも、「チョコ」味=「ミント」味が成り立つ。
したがって、「世界中の食べ物が全部チョコミント味になりますように」という仮定の元では、「チョコミント」味とは、「チョコ」味もしくは「ミント」味のいずれかとイコールになるわけです。
よって、個人的には、チョコミントは嫌いですが、チョコとミントが別々なら食べられるので、「世界中の食べ物が全部チョコミント味になりますように」という仮定は、あながち受け入れられないものではありません。
ノーメイクデーとか脱コルに反対する人イコール反フェミみたいになってるのが謎
私はフェミニストだしラディフェミ自認だけど、何の意味も見いだせないし全く支持できないと思ってる
ノーメイクデーってノー残業デーと同じで、要はそれ以外の日にはメイクするのが前提って事じゃん
わざわざそんな日を作るまでもなく毎日メイクしてない女から見たら
女は化粧するのが当然という現状維持でしかないし無意味に思える
それどころかKuTooみたいに企業の方に広まったりしたら、ノーメイクデーで化粧してない顔をあれこれ言われ、余計に男からジャッジされて笑われる機会が増えるだけじゃん、危険だよ
脱コルもメイクやファッションで何とか「平均」に見せかけてる大半の女にとっては、素のルックスで品評されてルッキズムの強化に繋がるから地獄だと思ってる
女性を抑圧から解放するっていうなら脱コルよりはヒジャブの義務化の方がまだマシだわ(日本では暑いから現実的ではないけれど)