はてなキーワード: はいとは
バカは手もとにテクストを与えられただけで理解したつもりになるし、
任意の単語を拾ってつなぎ合わせて文章を作ることで何やら反論できたような気分になる。どこかで見た「鮮やかな反論」を雰囲気だけ真似ているのだ。
相手の使った単語をわけもわからずコピペで多用する。自分の論があって言葉を選んでいるのではなく、言葉を並べることで自分の論があるつもりになる。
口頭のやり取りや演説や動画コンテンツに対してはコピペ手法が使えない。複数の単語を覚えておくことが難しいからだ。それでYouTubeのコメントは絶賛か罵倒かのシンプルなものになる(でなければまったく関係ない持論垂れ流し)。
バカがつくったワードサラダにはツッコミどころしかないのでついつっこみたくなる。あとは時間と労力を無駄にして後悔する以外に何もない。
そこでスルー力こそがネットやる上で重要でしてよという一種のあたらしい徳目みたいなものが生まれたわけだが、バカでも匿名で誰とでも平場のやりとりができる2ちゃんねる的なネットのあり方は普遍的でも恒久的でもない。
個々の声の大きさに格差をつけるSNSに適応しそこねた「名無しさん」がヤフコメやはてな界隈に沈殿している。
フェイスブックやツイッターは社会インフラとなって安定相に達するかと思ったら全然そうはならなかった。いずれにせよ新たな変化のたびに「リアル」とネットの差は小さくなっていく。リアルで完全ボッチのバカでもネットなら自由に嫌がらせができる、リアルでそうそう遭遇しないレベルのキチガイがネットではいつでもそこにいるのが当たり前、そういう環境は解消されていくだろう。バカのボーナスステージには終わりがある。リアルでボッチの奴はネットでもボッチが当たり前になっていきつつある。
運営が人口を増やす事を考えてないからのと低能が多くプレイしているから
ゲームやコンテンツはだんだんと人口が減っていくものだが増やす方法の一つとしてやる層を増やすことである
これはいろんな層を増やし方はあるがボンバーガールの場合家でやる層を増やすのが最善であると言えよう
現在コナステ版があるがsteamやPSストア等既存のプラットフォームで提供されない事がいまだに増えない理由の一つであろう
界隈の発言に減った理由としてプレイヤーが原因として出されるがそれははっきり言ってデマである
煽りが問題視されるがこれは味方が存在するゲーム全般に言える事であり問題ではあるがこのゲームに限った事では無い
ボンバーガールは味方全体にしか発せないチャットボイスでしか味方と意思疎通が出来ない為煽りでは「そういう意図がある」があるチャットボイスを悪意があると感じているだけである
他のゲーム、同じジャンルのMOBAのLOLでは直接的に暴言や差別を個人に向けて発することが出来、それがしばしば問題視されBANも行われるがいまだ煽り等はなくならない
ボンバーガールより侮辱度合いは強いがLOLは今だ人気のゲームだ、この差を無視する人がとても多い
ゲームのボリューム層であるBC帯がまともな試合出来ているのはBC帯の人間が優秀だからではなく先駆者や上位層の人間が素晴らしい人間で合った為と言える
政治的な組織に属さない自分には選挙というのはお祭りだと思っていて、会場に混じってワッショイしたいだけであって
自分の一票で世の中を変えられるとは思っていないし、変えたいとも思っていない。
あのあたりに投票してるのはいったいどんな奴なのか、疑問に思ったことはないだろうか?
そう、その答えが俺である。
だって有名な勝ち筋に乗ってる奴らって、応援してる奴がいっぱいいるじゃん。
俺が応援しなくたって、あいつらは支援者に囲まれた明るい人気者の人生なんだよ。
だが政見放送を見て考えを改めた。
確かに言ってることはアホだが、
台本を見ずに暗記であの長丁場を演じ切る知能、
決して頭は悪くないように思う。
マック赤坂タイプの、敢えて奇行に走って注目を集める泡沫戦術にも見える。
最初はどうせ風俗嬢か何かの宣伝でしょ、くらいに思っていたけど、
あちこちで起業を志すシリアルアントレプレナーで、今回のこれはキャラを演じてる感じで楽しんでいるらしい。
そうなると印象が全然違う。
人生を楽しみ、常に新しい刺激を受け入れ、チャレンジに生きているタイプ。
この生きざまを応援してあげたい。
中野坂上あたりでバーをやってるらしいという話もあり、話のネタに一度行ってみたいところ。
へずまりゅうが撤退した今、小学生知名度No.1はやはりこの人(?)ではないだろうか?
今話題のAIネタを取り込みつつ、今までの候補者とは違う角度で攻めてきてるあたりの芸術点を評価したい。
供託金を都に納付しようという熱い思い、
人間に投票しちゃうとえこひいきになったりしない?という気持ち
今回は人間が無駄に多すぎるということもあり、たまには人間以外を応援してもいい気がする。
掲示板が足りなくなってクリアファイルで頑張った人も応援したかった。
だが二人ほどいると知って、あきらめた。
両方の名前を書いて按分させるとか、入れられた方も困るっしょ。
「誰も見てなくても俺はおまえを応援するよ!」というメッセージが「おまえも応援するよ!」になってしまう。
https://x.com/misamisaxxxxxx/status/1808799859199332796
幸せそうな昼の女、まじむかつくわ。
回答例
「代わりや残弾はいくらでもあるからヘーキヘーキ、そもそもお前ら底辺の言う事、誰が信じるの?」ってスタンスのとこは何もしてこないけど
「君がバラしたせいで商売上がったり、このままじゃ我々逮捕されちゃうなぁ、だから今度は君を『バラす』ね♪」ってスタンスのとこは危険
出馬当初は結構盛り上がってて今もアレな記事とかnoteとか出てはいるんだけどよく考えると候補者本人が盛り上げてるんじゃなくてその周りや関連した人や団体が(色んな情報提供してくれたり味方のつもりが足の引っ張り合いしたり)盛り上がってるなーって印象
いやそれは単なる欺瞞で啓蒙主義的、あるいはパターナリズムだと思う。
本当のリベラルなら相手の意見も尊重すべきで、その相手の意見は、ある断面から見た世界であり事実なんだと考えると思う。
「わかってない」あるいは「わかってないから教えてあげる」という立場をとるのはいかにも植民地支配的であると言えるのではないだろうか。
相手の生きている「世界」を理解し、あるいは理解できなくても干渉することなくそのままに共存を試みることこそがリベラリズムなんじゃないだろうか。
民主主義陣営にあいさつ回りしてこび売って中国包囲網を築くことで、予め戦意をくじこうって岸田の姿勢や行動自体は評価している。
してはいるんだけど、中国が本気で戦争に乗り出すとしたら国内での中共での不満が高まってもうこれ以上は抑えきれんって時に外部に敵を作って不満のガス抜きをする為な気もするので、そこまで切羽詰まった中共が中国包囲網を前に怯んだりためらったりするだろうかと言う疑問もある。
どうせ中共党員は前線に出ないんだろうから、出撃した先には日欧米の連合軍がいてボコボコにされても自分の身が傷つく訳でもないしな。
ここ最近、周囲の人間を始めとしてお酒離れする人が凄く増えている
全く飲まないわけじゃないんだけど、週3ぐらい飲んでた人が週1になったり
週1だった人は月1か年4ぐらいまで減ってきてる
例えばタバコに対しては「副流煙」という大義名分を掲げて他人に対して喫煙を抑制するようなことが多かったが
お酒についてはそんなことせずとも自然とみんな減らしているように思う
ここからは想像だけど恐らく要因としては「SNSの拡がり」「健康管理」の二つがあると思っている
飲酒運転による悲惨な事故などがあって法的に規制が厳格化されたこともあるが
飲酒運転などではなくても酔った状態での暴言やセクハラなんかも完全にアウトになった
お酒に酔って気分がハイになるのは精神衛生上良い側面もあるだろうが
昔は「酔った上での失敗」は笑い話になっていたが、今はSNSで拡散されてしまうと致命的な事態になりかねない
こうしたリスクヘッジとして「お酒は控える」という人はかなり増えたと思う
若い人は少しぐらい健康に悪くても大して影響はないが、現在の日本人口の大半を占める中高年になるとそうはいかない
特に70代に突入した世代は死への恐怖から「もうお酒は止めよう」となってきている
40代、50代ぐらいの人もお酒で体調を崩す人が多く、酒量を減らしている人は少なくない
昔はそれでも社会におけるコミュニケーション手段として飲酒する人は多かったが
特にコロナ以降で「必ずしも必要ではない」ということが分かり、積極的に飲酒する必要が無くなってしまっている
自分も以前は週3ぐらいだったが、今では月1ぐらいに減り、しかも酒量も350mm缶ビール1本ぐらいだ
そのせいで昔よく飲んでたウイスキーとかワインとかがキッチンで埃を被っている
ウイスキーは少しずつハイボールにして飲むこともあるが、ワインは飲みきれないのでたぶん飲まないし、そもそも店なんかでも2年ほど飲んでないと思う
社会的に底辺の存在(決して罵倒するつもりではなく客観的事実)を対象にしてるからこそ、悪質な業者は本当にやりたい放題なんだろうね。
「労働基準法?知らねぇよ、コイツラは奴隷だから、ロボットだから!」
「底辺はいじめてもやり返す力がない、痛めつけて心を折ってしまえばあとは勝手に死ぬか黙って働くようになる!」
ってスタンスの連中が多いこと多いこと。
反社の息がかかってれば、少しでもタレ込んだり逃げ出したりすれば数日後には怖いお兄さんが逃亡先にお邪魔しま〜す、さあ海で魚の餌になろっ!なんてのもザラ。
窓開けたら涼しくなる、と言って窓開けたら33°になってるのホラー
熱中症の危険度を示すカードを持ち歩いているのに室内で危険表示になってるのにエアコン付けないのホラー
そう思う人が支援すればいいじゃん。
なんで氷河期世代にパワハラされて苦しめられてた人にまでそれいうの?氷河期世代のために氷河期世代からの被害は黙ってろって?セカンドレイプじゃん。
よくそんなひどいこといえるよなあ。
口だけはいい感じのこといってるけど、そんな奴なんだ。残念だよ。
ちがうよー世代全体で見たときにほんとはそんなに性格に元々大きな違いはなくて、状況がそうさせるんだと思うよ。
フランス革命を起こした民衆が、そこまで革命を起こさなかった時代の人と比べて特別獰猛だったのか?っていうと多分違うじゃん?
ロスジェネはまるごと社会から見捨てられてるっていうおもいはあながち間違ってなくて、今できることはそんな彼らを批判することじゃなくて、生きる自信とか世間に見捨てられてはいないっていうような希望を持たせて自立させることだと思うよ…
家族仲は良かったんだなとなんとなく思った。
思春期以降の父と娘は口も利かない仲になるのかと思ったけれど、たぶんそれは昭和のドラマなどが作り出したイメージで、現実はそんなに仲が悪い親子はいないんだろうなとも思った。
「発達障害30歳成人説」というものがあるらしい。なんでも、精神の発達の遅い発達障害者は定型発達者より精神年齢が10歳低いから成人を迎えるのも30歳頃になるということらしい。自分はアラサーの発達障害者(ASD)だが確かに30歳成人説は分かる気がする。最近になってようやく身だしなみに気を遣うようになったし、自分の将来について不安を感じるようにもなってきた。普通は身だしなみなら中高生、遅くとも大学生になったら気にしだすものだと思うが、少なくとも20代前半の頃は無頓着だったし、将来だって大学卒業する22、3歳までには就活の中で多くの人間が考えているはずだが自分はのほほんと生きてきた。また、人間関係の機微やコミュニケーションの作法について分かってきたのも最近のことだ。それまでは他人の気持ちを考えるということをロクにしなかったし、他人に気を遣わず自分勝手にばかり振る舞っていた。
この発達の遅さの原因はなんだろうか。脳の器質か、定型と比べた経験値の低さか。どちらも関係しているが、後者の方が強いような気がする。発達障害者は発達障害であるがゆえに社会で揉まれる経験に乏しい。自分の経験から言うと、大学に入ってからも高校時代までとさほど変わらない生活を持続し、サークルやバイト、その他いろいろな社会経験をあまりしてこなかった。友人も多くないし、定型発達者や女性との関わりも薄いから人間関係や恋愛を学ぶ機会も乏しかった。こういう「経験値の低さ」が精神年齢の低さと強く関係しているような気がする。
さて、30歳頃になってようやく定型発達者の20歳と同レベルになってきたのはいいとして、問題になってくるのはこの社会にはびこる「エイジズム」だ。人生のレールから外れることの不利が、諸外国ではどの程度のものなのかは知らないが、少なくとも日本では大きいとされている。留年することなく22歳で大学を卒業し、就職し、遅くとも30代までに結婚して子供を作る。これが正しい生き方なのだとされている。結婚や出産の規範はかつてと比べるとだいぶ変わってきているが、少なくとも22歳で大学卒業して就職するというところまでは未だに強く規範づけられている。
自分の周囲の発達障害と思しき人間は、大体就職までの段階でレールから外れている。25歳くらいまでずっとニートをやっていた奴もいたし(その後スーパーのバイト)、修論と就活が手につかず大学院を2年留年した奴もいた。他ならぬ自分自身も中退、浪人、留年を経て現在学生をやっている。発達障害を持っていて、22歳までに何らかの逸脱をしていない人間は滅多にいないのではないだろうか。定型発達者と比べて明らかなハンディを負っている発達障害者には22歳までのイベントを滞りなくクリアするのは難しいし、その後の結婚、出産もやはり厳しいだろう。自分や周囲を見ていると思う。
そんな発達障害者に対する社会の見方や扱いがこれからの時代どのように変化していくのか、そして30歳で「成人」した自分達の今後の人生はどうなるのか、当事者として不安を隠せない。
仮想的な「場」を、実在するかのように感じてしまうことが諸悪の根源である。
例えばはてなという「場」で「アベが殺されたのはよかった」というブコメが過半数なのを見たら“オイオイひでえことになってるよ、こいつらテロ称賛しながら「リベラル」づらしようってのか”とか思って鉛を飲んだ心持ちがしたものだが、客観的に見れば別に何もひでえことにはなってない。その仮想の場は世間の縮図などではなく、客観的事実はただ数百人のバカのコメントがそこにあるというだけだ。そして日本語話者の中で100人に1人級のバカは百万人いる。何も不思議なことは起きてない。放っておいてもそれ以上何も起きない。
増田には普通に暮らしてたらよっぽど運が悪くない限り一生遭わないレベルのゴミみたいな人間がいて年中わけのわからない独り言を書いたり下劣なクソリプをつけてくる。
「なんてやつだ、けしからん」と思って反応してしまったり自分から一言陳べてやろうと思ってしまうのは人情だが、せっかく普通に暮らしてて遭遇することはまずないし実際に遭遇していない激レア気違いとわざわざ会話しようと努力するほどアホなことがあるだろうか?
そりゃどっかにはそんな度外れたゴミもいるだろう。でも自分の生活圏にはいない。客観的事実はただそれだけだ。
仮想の場を実在するかのように捉えた結果、そこのバカ率だったり度を越したクズのイカレっぷりが気になってしまう。
誹謗中傷を苦にして自殺してしまうようなケースも同工である。一生関係ないどっかのカスが思い込みで適当なこと言ってるのが死ぬほど気になるのも、そこに自分を取り巻く「世間」を幻視するからだ。
「くだらない中傷をいちいち真に受けるのはよくない」という話ではなく、仮想的な場を実体あるように捉えることで中傷者が実体化してしまうということだ。