2024-07-05

仮想的な「場」を、実在するかのように感じてしまうことが諸悪の根源である

例えばはてなという「場」で「アベが殺されたのはよかった」というブコメ過半数なのを見たら“オイオイひでえことになってるよ、こいつらテロ称賛しながら「リベラル」づらしようってのか”とか思って鉛を飲んだ心持ちがしたものだが、客観的に見れば別に何もひでえことにはなってない。その仮想の場は世間の縮図などではなく、客観的事実はただ数百人のバカコメントがそこにあるというだけだ。そして日本語話者の中で100人に1人級のバカは百万人いる。何も不思議なことは起きてない。放っておいてもそれ以上何も起きない。

増田には普通に暮らしてたらよっぽど運が悪くない限り一生遭わないレベルゴミみたいな人間がいて年中わけのわからない独り言を書いたり下劣クソリプをつけてくる。

「なんてやつだ、けしからん」と思って反応してしまったり自分から一言陳べてやろうと思ってしまうのは人情だが、せっかく普通に暮らしてて遭遇することはまずないし実際に遭遇していない激レア気違いとわざわざ会話しようと努力するほどアホなことがあるだろうか?

そりゃどっかにはそんな度外れたゴミもいるだろう。でも自分生活圏にはいない。客観的事実はただそれだけだ。

仮想の場を実在するかのように捉えた結果、そこのバカ率だったり度を越したクズイカレっぷりが気になってしまう。

誹謗中傷を苦にして自殺してしまうようなケースも同工である。一生関係ないどっかのカス思い込み適当なこと言ってるのが死ぬほど気になるのも、そこに自分を取り巻く「世間」を幻視するからだ。

「くだらない中傷をいちいち真に受けるのはよくない」という話ではなく、仮想的な場を実体あるように捉えることで中傷者が実体化してしまうということだ。

ネット時代のためのアドラー2.0みたいなもの必要とされてるんだろうな。

そして匿名バーチャル井戸端会議みたいなサービス支配的な状況も変わりつつある。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん