はてなキーワード: 市井とは
アメリカ大統領の自認の男がいたとしよう
そりゃもう自認だろうが同一性だろうが関係ないくらい完全にアメリカ大統領だと感じて信じている男だ
もちろん信仰の自由も思想の自由も内心の自由もあるのだし、自分で認じるのは自由だ
自分の範囲で認じるのは誰も否定しないし、もちろん存在を否定なんてしない
ただ、彼にアメリカ大統領の立場や権限を与えるべきかといえば、無論それは違う
社会の中での立場はそれなりの手続きや資格が必要で、それは自認の範囲を超えているからだ
自分に関する範囲内において、男性が女性文化(そんなものがあれば)を纏おうが、その逆だろうが自由である
しかし社会制度に関わる部分については、それなりの手続きや資格が必要となる
トイレや浴場、またスポーツにおける男女区分は、単に文化によるものではない
男女には体格、筋力といった埋められない身体差があるため分けられている
トランスジェンダリズムでは身体差を外性器にのみフォーカスしようとするが、この点は明らかにトンデモである
さて、こんな当たり前のことをなぜトランスジェンダーや支持者は理解できないのだろうか
その原因はトランスジェンダーの教祖、ジュディスバトラーにある
攪乱を目指すバトラー信奉者の言動が支離滅裂になるのは当然のことなのだ
象牙の塔の中で攪乱を起こしても、学者が騒いであわよくば有名になれるだけだ
https://www.gamer.ne.jp/news/202305120002/
すげぇクソだなぁって思うんだよね
(1)男女いずれかに偏っていませんか
チェックしてみましょう✅
□複数の登場人物の中で女性または男性がひとりもいないか、極端に少ない
□パンフレット等の全編を通じて、女性または男性の登場回数に偏りがある
チェックしてみましょう✅
□海外旅行、文学、福祉は女性、激しいスポーツや科学技術は男性
チェックしてみましょう ✅
□男性がリーダーとして先頭に立つなど強調して描かれ、女性がその後についていくというような男性優位の表現
□いつも指示をしたり命令をしたりする側は男性、指示や命令を受ける側は女性
□男性が大きく頼られる存在に、女性が控えめに寄りかかる存在とする表現
チェックしてみましょう✅
□職場において、男性は中心的業務、女性は補助的業務といった仕事における男女の固定的な性別役割分担に基づく表現
□医師、弁護士、議員、消防士、運転手、警備員はいつも男性、看護師、受付、保育士、栄養士、客室乗務員はいつも女性
チェックしてみましょう✅
いくつか引っかかってるけど、特に(5)な
まぁ、宝塚を考えたら、女が消費するのはヨシみたいなクソな価値観だよな
みたいな判断基準を持ち込むなら
相撲の土俵に女を、野球に女をとはいうが、宝塚に男をとは言わないじゃん
間違いなく認知が広がるわけさ
良い取り組みだよね
ぶっちゃけ、美男美女を客寄せパンダに使おうってのも全然悪くないと思うんだよね
けどさ
明らかにビジュアルでの客寄せとして採用されたこれを叩かないで
控えめに言って頭オカシイよね
萌フォビアとか、ミサンドリーじゃねぇの?
フェミの理屈が薄っぺらく聞こえるのこういう所だと思うんだよね
事実が確定してないとしても、女が被害者だったらこんなもんじゃないはずなんだよ
やってるのは「私の気に入らないことは許しません」でしかないんだよな
そのくせプライドだけはあって、自分たちは市井とは違い高潔なことをしてると思ってる
本当糞だよな
トランスジェンダリズムの戦略は、フェミニスト全般を敵視して攻撃する右派と違って、左派の仮面をかぶってフェミニズムを内部から乗っ取ることです。
ですから、トランスジェンダリズムべったりのふかソファ学者は、フェミニストを階級差別化して、市井のフェミニストを蔑視しています。
また、フェミニスト鑑定士のミソジニストは、トランスジェンダリズムを受け入れないフェミニストをクソフェミと呼んで差別しています。
トランスジェンダリズムの呪文である「かわいそうな弱者」「抑圧されたマイノリティ」という擬態に騙されず、性差別的な男権拡大にすぎないという彼らの本質を見抜いて侵入に反対するのは、
ラディカル・フェミニスト、ジェンダークリティカル(GC)・フェミニスト、
反性売買フェミニスト、
ゆえに、トランス活動家のミソジニストたち(おじさんやお爺さんなど)は、自分たちに従わない女性たちに「TERF」「トランスヘイター」「トランスフォーブ」というレッテルをつけ、ミソジニーに過剰適応した自分たちに都合の良い「善良なフェミニスト」と区別するのです。トランス活動家の大部分は、「セックスワーク・イズ・ワーク」を唱えているので、反性売買フェミニストを踏みしだくという反社的宣言をしています。
俺も40歳半ばになって、20代のころに密かに自慢だった集中力や3日くらいなら徹夜続けられた体力がなくなり衰えを実感したり、
頭頂部が薄くなってきたり、白髪が増えてきたり、あちこち脂肪が増えてきたりと外見的な劣化も目立ってきた。
が、俺が俺である本質は、絵を描くのが好きでその成果品はそれなりに人から評価されてたり、前はなかったが今だと子供を育て大きくなっていくのを手助けし見守ることだったりするので、
あまり肉体的・外見的な劣化をふだん気にすることはないし、悲観もしていない。
世の中には、何かを創ったりすることではなく、自分の外見を磨くのが楽しく化粧や服や美容に金をかけて、若く美しい外見で人から褒められて自分の拠り所になってるであろう人達が一定数いる。
それがテレビに出る女優レベルまで行けば年とっても名声が続き拠り所になるのだろうが、
市井にもいる知名度はないものの、SNSに自撮を毎日アップして数万・数十万のフォロワーから褒め称えられ自己顕示欲を満たしてる女の子たちは、
今は若さでチヤホヤされていいが、いずれ年を取って努力にかかわらず容姿が衰えたとき、どこに自分の拠り所を見つけるのだろう。
BBCワールドで放送されてブクマでも話題になった「J-POPの捕食者 秘められたスキャンダル」が、アマプラのBBCニュースチャンネルで4/18まで配信される。
アマプラでBBCワールド契約している人、またアマプラだけ契約しててBBCは契約してない人でも14日間の無料トライアル中なので無料で見られる。
https://twitter.com/BBCNewsPRJapan/status/1640017376837275650
このジャニー喜多川とジャニーズ事務所への告発ともいえる1時間弱の番組で、私にとって想像していた内容と違ったのは、ジャニー喜多川からの性加害を受けてきた人のインタビューが「かわいそうな被害者としての証言」ではないということだった。被害者の告発は多くの場合おぞましいものであることが多いので見る前にはネガティブに感じていたのだが、それを見るストレスはなかった。
番組でインタビューに答えた数人の彼ら(元ジャニーズJr.で性被害を受けた経験がある人)は、全員が、自分たちはジャニーさんに性的いたずらをされた、だがジャニー喜多川を憎んではいないしむしろ尊敬しているし好きだったと答える。そして彼らは「最後まで」はされていないと言う。自分は触られはしたが嫌がったら止めて謝られ、ジャニーさんは別の人を物色しに行ったというのが彼らのインタビューの共通点。
「最後まで」がどこまでのことかは答えがなく、記者が更に質問を重ねても笑顔と共にあいまいにされる。”手口”は誰もおおむね同じで、『合宿所』で、風呂に入っておいでと(ジャニー喜多川に)言われその後で(ジャニー喜多川に)体を触られる、寝ていたらジャニーさんが潜り込んで触りに来る、といったもの。インタビュー中に下の方に手が伸びるジェスチャーがあるので下半身(性器)への何かしらはあるのだろうとも推察はできる(番組内で明らかにはされない)。
被害の告発ではない被害体験を語られて、見ている私は告発とは異なる気持ち悪さを感じた。自分の身に置き換えると吐き気がするのにインタビューに答えている人たちは平気そうなのだ。中には(ジャニー喜多川から性被害を受けても)「それで売れるなら受け入れる」という人も出てくる。まるで「未成年への性加害の犠牲者」=被害者は存在しないみたいだ。
番組には「被害を訴える被害者」のインタビューは一つも出てこない。ジャニー喜多川の性加害についての記事を出してきた文春の記者へのインタビューはあり、彼らは何人もの被害者への取材を行ってきたことを明らかにしているし、そもそも、何せ文春がジャニーズ事務所に訴えられた裁判でジャニー喜多川本人が加害をうっかり認めてしまっている。
被害者は居るのだ。
この番組中にも触れられているが、そもそも日本では2017年(たった5年前だ)に法改正されるまでは男性への性加害を起訴することすらできなかったわけで、ジャニー喜多川から性被害を受けた人たちに被害自認がないのもしょうがないのだろう、ということもできるかもしれない。男→女の性加害、または女→男の性加害であれば「最後まで」が比較的明確で「セックス≒性器への挿入」だろうと思うのだが、男→男だと「最後」があいまいだ。
スキンシップやふざけあいの線上の少し逸脱した何かだと思えばいい。うまくやり過ごせればデビュー後にちょっとトークのネタになる武勇伝であり、ジャニーズ事務所的な世界観の中ではむしろ「ジャニーさんのお手付きのジュニアは売れる」という伝説ですらある。だが、「ジャニーさんのお手付きは売れる」は、少し見方を変えれば、「ジャニーさんのお手付きにならないと売れない」だし、もっと言えば「ジャニーさんのお手付きにならないとデビューさせない」でもありうる。
番組では記者が、「ジャニーさんに性的いたずらをされたけど僕は元気です」といった様子の彼らに、被害自認がないことに驚いている様子が映し出される。また、『被害自認のない被害者』の一人から、母親が、息子が生まれたら絶対ジャニーズに入れたいと思っていたと言うのでジャニーズに入った、母親も「そういうところ(ジャニーさんの性加害があるところ)」だと知っていたと思う、というインタビューも流れる。
更に渋谷のハチ公前で撮られた街頭インタビューの様子。「そういう話は知ってはいるが、だから何なんだ」というトーンのものが、選ばれ取り上げられている。街頭インタビューに答えた一人は自分はゲイであると前置きし、日本ではLGBTQへの理解がないから(ゲイのジャニー喜多川にとってアイドル事務所をやることは)大変だったんだろう、と言う。記者が、加害者の性的指向(ゲイかどうか)と、未成年に性加害を行うかは関係がないだろうと更に質問を重ねると「表立って追求するべきではない」という答えが返ってくる。また(ジャニー喜多川は)もう死んでしまったので(彼の未成年への性加害について)話したくない、という人も出てくる。街頭インタビューに答えた善良な市民にとっては、被害者も、そして加害者すら存在しないように見える。
そして記者の、ジャニーズ事務所への取材が断られる様子が映し出されていく。最後はジャニーズの本社ビルの「建物に入るな」「建物を映すな」と広報担当者や警備スタッフの要望がエスカレートしていく。
未成年への性加害の加害者はジャニー喜多川である。だが、加害者はもう死んでこの世にいない。でもまるで、加害者がまだ存在しているような気がしてくる。もちろん直接的な性加害はなくなっているだろうと思う、何しろ本人死んでいるので。でも番組の終盤には「加害の気配」が強く印象付けられていく。
「やられたけど、大したことない」という元Jr.たちの、市井の街行く人たちの、そしてジャニーズ事務所の、「だから何?」という態度という形をとった、加害の気配。
このドキュメンタリ番組で映し出されていく被害者と加害者は複層的で複雑に絡み合っている。
(A)被害者については、
(A1)わかりやすい被害者は存在しているがこの番組には出てこない。
(文春裁判同様被害者保護の観点か?本件で一部のジャニオタはインターネットの各所で酷い二次加害を行っている)
(A')被害自認がない人々(法的に言えば被害者だが、自らを被害者とは認識していない)。
(B)加害者については、
(B1)明快にわかりやすい加害者は「ジャニー喜多川」である。
(B2)ジャニーズ事務所という法人も、代表(というか弟や叔父だ)の性加害を何十年も放置していた協力的加害者である。
(B’)性加害ありきで成り立つスターシステムを「伝説」のように扱い、またはタブー視する人々は、間接的にせよ「加害的空間」を醸成する加害者ともいえる。
(B'')=(A')、被害自認のない被害者は、間接的に、そして不可抗力にせよ加害的な存在にもなっている。
ややこしいのはこの(B'')=被害自認のない被害者の存在である。「被害自認のない被害者」は、不可抗力ではあるが更なる被害者の拡大(自分はうまく躱せたが別のジュニアに被害が向かったなど)や、「加害的空間の醸成」に図らずも貢献してしまっている。被害者だが加害者。
このように被害、加害の関係が複雑なため、そしてジャニー喜多川本人がもう死んでるので、そして何よりも、大手メディアの大半がこの件を、逆らうとタレントを使わせない、そして独立しようとすると干すことでおなじみのジャニーズ事務所に忖度してか全く報道しないことで、また下火になってしまうのだろうなと残念に思う。
とても残念に思うので、やりようによっては無料で見られる今の時期に、興味がある人もない人も、番組を一度見てほしいと願う。
私の知り合いに、インビューライターがいる。彼女は色んな仕事をしているのだが、その中の一つとしてジャニーズ事務所のあるタレントのインタビューというのがあった。そのタレントは彼女以外からのインタビューを嫌い、できるだけ彼女をブッキングしてほしいと言われていたのだそうだ。
彼女と私は、そういう華やかな場所ではなく、極めて地味なところで一緒に10年以上仕事をしていたのだが、彼女は自分から「私はジャニーズの〇〇君の専属なのよ」などと言うことはなく、彼女を私に紹介してくれた人からそういう風に聞いていたのだ。
一方で、私はジャニーズタレントに全く自信がなく(顔と名前が一致しない)、私は彼女の仕事に満足していて、また彼女がポートフォリオにも入れていないので、最初に紹介された時の売り文句?を忘れていた。だが長く仕事をお願いしている中でだんだん個人的にも仲良くなり、そしてそのタレントが小さいある事件を起こしたときに、そういえば!と思いだしたので、野次馬根性がもたげてつい聞いてみたのだ。専属って本当?
専属ではないと彼女は言った。専属ではない、いろんな人がインタビューしていると思うわよ、と。
ある話題についての質問に上手に答えられない時があるのだという。そしてその話題をNGにもできない。彼らの歌や彼らが出演するドラマや映画の多くはそのテーマが主題になるので、プロモーション時には避けて通れない。それが彼女がインタビューする場合には何とかなるのだという。彼女自身は、何を気に入られたのかは分からないけど長い付き合いだし気楽に話してくれるのかも、と笑っていたが、(間接的に加害空間を醸成してしまっていたであろう)私は、ジャニー喜多川にまつわる「噂」に関係があるのかな…と思ったのだ。だが「あの噂と関係あるのかな」とは尋ねられなかった。
私が、自分は間接的に加害空間を醸成している人間である、と思ったのはその時で、それまで以上に、TV番組にたまに出てくる彼らの「ジャニーさんの話」を聞くたびにとても不安な、困った気持ちになる。
こういう気持ちはファンの人や、それ以外の一般の人は思ったりしないのだろうか…。
踊りと作法を覚えられてちやほやされることにあこがれて舞妓(誤字りました。←舞子)になって、15で酒席で酌をしたり性行為をさせられるという話や、ミスコンに出たらスポンサーの偉い人にセクハラされるとか、そういう話と通底する何かが、この社会にはずっとある。少しでも、出来るだけ世の中から減っていくといいな…。
精神科医療について適当なことを書くのをやめろ…と思ったけど冒頭に出てくるそこは全く本題ではないっぽいので事実関係の注記だけしておく
* 多分書いてあるのは医療保護入院のこと 資格持った医師の診察 + 家族等の同意、家族が全く居ない場合(や今後法改正で家族はいるけどどちらとも意思表示しないばあい)は市町村長の同意
- 人権を侵害する処置であることには変わりないので、原則論的にはごく慎重に判断されるべき この辺なかなか市井での議論が進まんよなあ
*医療保護入院からの退院には家族の同意は不要 逆に入院のときの同意者が途中で同意を撤回しても(法律上は)退院させる必要はない
*措置入院は全然別で行政処分に近い 精神疾患があって行動面で一定の基準が満たされるときに、資格を持った医師の診察結果をもとに都道府県知事が入院させる(家族は関係ない)
あと細々したところでは
*認知症の診断は精神科でやるところもあるし脳神経内科寄りの分業になっているところもある
*認知症で入院受けるかどうかはかなり病院ごとの運用による 2-8週くらいの入院で診断+処方の方向決定までしてあとは介護とか環境調整というところも多いと思う 長い入院を積極的にうけるところもある
ちなみに
* もともとの方の診断はあの文面からだけではなんとも言えないので変な先入観を持たずに今の症状(お酒が多い,怒りっぽさがまして困っている,{生活上のことができなくなってきてるならそれ})をベースに広く相談するといいと思う
*受診を嫌がる場合には「最近寝づらいなら相談してみたら」とか本人の困りごとに寄せるパターンとか、かかりつけの体の医者からとりあえず紹介されたので…という体ならなんだか渋々来ることもある…が難しいよね
こういうの見ると、世の中の大半は実態よりもイメージを重視するんだよなって思うんだ
ちなみに、国内の飲用乳は、ほぼ100%の自給率が達成されていて
ここに海外乳が介在することはまずない
で、国内乳を加工乳に回すと生産コストを下回ってしまい赤字になる
安い海外乳に頼りきりになるわけにもいかないし、生産調整が出来なくなるのも困る
そもそも、乳製品が不足してるから国内乳を増やそうってのはイミフなんだよね
その分、国が補給金を出し続けないと成立しない
でも、あの時は市井の声がそれを後押ししたんだ
そう、オマエラの声がだよ
で、安定したらみんな知らん顔
飲用乳として消費されないと意味ないんだが、自給率100%の牛乳に海外乳なんて関係ないんだよ
だけど
とか言いだしちゃう
オマエラさぁ
良く恥ずかしげもなくそんなこと言えるよな
幾らでも情報出てくるだろうにさ
それこそ桁が違う
もっと考えて喋れよって思うんだよ
公正世界仮説というか、手間暇をかければそれだけ良いものになる、的な発想ってたまにオカルトじみてないかって思う。
明確な指標があって、それに沿って労力をかければ良いモノに近づける事はできるだろうけど。
あんまり良い例えが浮かばんけど、漫画ならヘロヘロの線しか描けないようじゃお話にならんだろうし、しっかりした線を引けるようになる練習を積めば、それはまあ手間暇かけた分良い作品になるでしょうねって思う。
そうでないような事も少なくないような気がする。
料理なら、市販のルーをポンと入れるよりも、スパイスを沢山使って時間をかけて煮込めば煮込むほど美味しくなるはずだ、とか。
アルコールの熟成だって、時間をかければかけるほど希少さは発生するけど、果たしてそれが美味しさに繋がっているのかと言ったら疑問だし。
履き込んだグッドイヤーの靴の歩きやすさは別格だと言うけれど、それはウルトラブーストやNB1000番台に適うんか?とかも思う。あくまで革靴という土俵での評価であって、スニーカーと比べるのはナンセンスかもしれんけど。
こだわりを注ぎ込んで、その成果物を味わいながら過程の労に思いを馳せるのは趣味の要だと思うけれど、「いや本当に違うからコレ!」ってマジなトーンで言われるとホンマかいなって思う。自分の経験を以て考えた上でも。
機械でラクするより手作業の方が〜みたいな話は近代以降ずっとされてるだろうけど、大半の素人は機械で済ました作業の出来栄えを超えられないと思う。それは芸術分野とかでさえも。
一握りの熟達したプロは機械を超えるだろうけど、それはもう僅差というか、何なら最低限の技術的ラインを超えてあとはもう好みの違いという領域になる気もするし。
アルチザンのたっけえ服買って、オッ、やっぱり手縫いは違うな!と思っても、それは少なからず手間暇を掛けられた分だけ(それ故に高い分)良いモノなはずだという認知が働いてないかって思う。でも実生活で縫製の良し悪しについてそんな実感を伴って気に掛ける事ってあるか?って。
今や自動生成ツールが市井に出回るくらい身近になってきて、人の強みやアイデンティティ、人の手で物事を為す意義が色々と語られてると思う。そこで趣味性やヌクモリティで張り合うのは良いと思うけど、「いや人の手でしか出来ない事が〜」って実用的な面で真っ向から戦おうとするのは危うくないかなあって思う。まあそれもかっこいい生き方だけど。
園子温監督の“性加害”告発女優が自殺していた | 週刊文春 電子版
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/denshiban/articles/b5000
いやいやいやいやw
こうなるぞってはっきり予言されてましたよね?
それに対してはてなブックマークは嘲笑と黙殺荷担を繰り返してたよな?
歴史修正させないように軽くまとめとくわ。
(ここに挙げた以外にも園問題継続糾弾は増田には結構いたのも指摘しとく)
「たわわ」がNGで園子温が"無罪"になる、フェミニストの不都合な真実
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220506182417
何故か早期話題収拾を図り話題にするのをやめたそうにするリベラル勢力に対し
鋭く問題提起するこういう増田もあった。ホッテントリだから覚えてる奴もいるよな?
「園子温問題を継続的に話題にする必要がない理由」を熱弁するブコメばっか上位に押し上げてたのがはてなブックマークだったわけだ。
それがずらっと人気上位に来るのがはてなブックマークだったやん。
ならおめーらに見捨てられた告発者が自死したくらいでショック受けたようなツラすんなよ。
なんとも思ってもねーくせによ。
ほんとこの問題については
ブクマカたちが「嫌だ!話題性はない!終わった話!」って反発する構造だったよな。
こっちの増田は今みたいな展開まで読みきって予言してたから引用するわ。
5.「フェミニズム」「アップデート」が見捨てるもの
発する言葉を最小限にし、威嚇と居直りで世間に出る情報を抑えて息を殺してる。
非常に賢いやりかただ。
これがうまく行くのは
「語るべきものがない」などと言いながら話題にすることを否定し牽制までしてくれる市井のリベラルの方々、完全ダンマリ追加報道なしを決め込む報道機関の方々(普段なら女性差別に感度の強いリベラルメディア含む)、皆さまのご理解協力があってこそだ。
こうして「語らない自由」「報道しない自由」によってまんまと疑惑の鎮火・風化が進めばどうなるか?
告発は無になり、白黒つかないまま全てが落ち着き、権力持ってる側の勝ちで確定するわけだ。
いやーこれでもし告発が本当で園が悪質な性行為強要常習犯だったら大変だな!
多重レイプ犯やその共犯者たちを逃げ切らせて、やっぱりあれぐらいやっても大丈夫なんだと思わせて、
勇気出して声をあげたレイプ被害者達を「お前等の声なんか無なんだよ?」って言いながら殺すわけだ。
『語るべきものがない』と抜かして口を拭ったお前ら一人一人がな!
どうこれ?
くち【口】 を 拭(ぬぐ)う
(盗み食いをした後で、口をふいてそしらぬ顔をする意から) 何か悪いことやまずいことをしていながら、していないふりをする。 また、知っていながら知らないふりをする。
で、まとめというかアドバイスなんだけどさー
告発女優の痛ましい自死について世間の誰が衝撃受けても自由なんだけど
はてなブックマーク民だけはショック受けたフリすらするのやめなよ。
君たちは告発者を見捨てよう見捨てようって方向でだけ頑張った人たちで、そのログもちゃんと残ってるし、増田に窘められてもますます「もういいの!話題にしないの!」って頑張った人たちなんだから。ね。
もちろん園子温が告発通りのことをしたとは決めつけられないけど、告発者がすげー弱い立場にあるのはわかってたことだよなー。
最低でも白黒つくまで見守って話題に上げ続けないとどんなことが起きる可能性があるか。
わからない人やとぼけたい人のために丸々予言してくれる増田までいたよなー。
なのにはてブではこの問題を語り続けようとする声が結局全然伸びなかったよなー?
権力構造に人生まるごと圧殺されようとしてる女を平然と見捨てて「話題にする理由がないの!」って吠え猛ってたはてブ民の勇姿は忘れねーからさ。
それでなんだっけ?
駅に貼られるアキバ系ポスターは大問題だから永続的に話題にしていくんだっけ?
ロードローラーでグチャッてつぶされる寸前みたいな立場の女の人のことはへーぜんと見捨てるけど
オタクにキモくてキモくてキモい!って言い続けるのは重要なアクションてわけだ
お前ら誰かを助けたいんじゃなくてヘイトしていい被差別民をヘイトしたいだけだろ?
見捨てて死なせたあとで衝撃受けるフリでさらにシコるネタとして消費しやがってよwww
俺もこの問題を話題にし続けないとやばいぞって増田に書いたけど上の二人と違ってホッテントリにもならなかったわ
誰も聞いてくれなくてやっぱりこうなった
無念だ
はてななんてクソだ
WinterMute いやいやいや、なんでネットリンチで勝負つけようぜ! ってレギュレーションにしてんの。決着の場は裁判だろ。そんで個々の誹謗中傷はダメ。女優を中傷した連中も監督死刑! とか吹いた連中も同レベルだわ
2023/01/27
は?
俺も増田2人もそんなこと書いてないよな。
真実がなにかは確定してないってこと俺も増田たちもちゃんと書いてるよな。
逆にたとえば園が有罪として落着してるなら告発者は安全だけどそうではないから言ってたんだ。
判決とか出てないし園は認めてないし潜航してるだけだった。
そういう不確定な状態だからこそ注視し続けないと関心持ち続けないと話題にし続けないと告発者だけ潰れて終わりになりますよ
ってことを増田たちは予言しててその通りになったって話じゃん。
園が有罪だと決めつけろとか誹謗中傷しろとかネットリンチでやっつけろとか俺がどこに書いた?こうやって言われたこと大幅にねじ曲げないと反論できないのはなんでだろうな?今度はこんなんが人気一位になるはてブ民ほんとクソだな。
そんで上に挙げた増田への反論ブコメでは「園は有罪と確定してるから話題にする必要がないんだ!」とか言う不思議な理屈が一位になってて、今度は「決めつけて誹謗中傷するな!」が一位になってて、
100パー同じ奴らではないとは言え短い時間で完全に正反対な言い分を一位にするのが凄いよな。一貫してるのは何故か話題を収束させてえ、ロードローラーの下の告発者の女の運命に全く興味ねえ、という実質的スタンスだけ。
書き忘れてたけどハフィントンポストも凄かったよな。ああいう論調のメディアでいわゆる女性差別にはいっとううるさいようなポーズとってきて、園のことは何度も取り上げてたのに、この件は徹底だんまり。
まあお前らがどうしてそうなるのかは興味ないしどうでもいいや。園に共感があるのか、告発するような人間が嫌いなのか、より関心を払うべきずっと重要な問題があって(例えばアキバ系ポスターの女の子の胸が大きいとか?)手が回らなかったんか、まあどうでもいいや。もはやお前らに興味ない。
ただはてブ民どもも興味もない女の自死に関心あるようなふりすんのだけはやめてくれよ。な。ほんとそれだけ。死んだとたん寄ってきて死体でシコんな。
最近、と言ってもここ半年の間、暇空茜が快刀乱麻を断つように活躍するのを見ていたが、年始以来少々度が過ぎるようなツイートが多くなってきたように見受けられる。私個人としての立ち位置は、仁藤無能を筆頭に自分の好悪と社会的な善悪を取り違えたような社会経験もまるでないまるで自分が世界一悲惨な目に遭ったとでも妄想するような小娘(勿論それに味方する社会に揉まれたことのない議員、言論者も含む)が喚くのを苦々しく思っていたのもあり、暇空茜に喝采を送る側にいる。その前提に立った上での杞憂だ。
”底辺”だの”クズ”だの、そう言う品格を落とす単語を言うのは、控えていただきたい。これは私の好悪もあるが、余計なところでボロを出しては困るからだ。実際暇空茜の対峙する相手は屁理屈を捏ねるにかけては日本一のこじ付け屋だ。それこそ今までの温泉むすめやらに影響してしまえるくらいに余計な弁の立つ連中だ。そんな彼らに付け入る隙を与えかねない状況を作るのは、要らない裁判を起こされる可能性を残すのは宜しくない。
確かにTwitterの中では、あくまでも中立を選ぶ私から見ても(バイアスは考えられるが)暇空茜に軍配が上がる。が、それ以外ではまだまだ暇空茜の知名度は低いだろう。それこそ、本気でナニカグループに相対するのなら、殺されないようにある種の監視装置として市井を用いるのならば、渋谷でどんちゃん騒ぎをする連中の耳目でさえも集める必要があろうと思う。今のままだと、暇空茜に対して侮蔑の意は全然ないが青識胡乱と同じ穴の貉と言わざるを得ない。けだしTwitterと言うクローズドのメディア内で人気を獲得する意味に於いて。何故なら、真実性ではなく確実性を求める連中は必ず一定層いるからだ。裁判がいい例で、判決内容に目を通す人間はいても詳細を知ろうとするものは前者より確実に少ない。オールドメディアの影響が減じた今と言っても、それはニューメディア、言い換えればネット内でのコミュニティでの報道が増大したとは言えないからだ。単に社会情勢への関心を持つ層が薄くなった、それだけの話で勿論仁藤に対しても同じことが言える。残念なことに声のデカいだけの連中が騒ぎ立てて、興味のないものは口を噤むわけだから余計目立つ。
その延長線で、マジョリティ(便宜上、社会情勢に興味のない層)が本件に触れた際に、村木厚子と言うなんだかよく解らないが偉そうな人間に対してアニメアイコンで余り宜しくない言葉遣いをするが誤謬を指摘する人間、どちらを信用するかに尽きる。正味マジョリティは子細に調べることはしないだろう。ただメディアの文言に踊らされてしまうだけだ。それで何となく村木とか言う偉そうな人間を信用してしまうことさえあり得る。
とは言え、性格はさておき能力にかけては暇空茜は一定以上のものを持っているように見受けられるので、もしかしたら上の心配はそれこそ杞憂であるかも知れない。対抗策は既に用意されているのであればまさに杞憂そのものだ。
三角関数絶対必要マンの理系だけど、古典というか古文というのは言わば「言語史」だから、絶対必要だよ。
国語数学理科社会がなぜ必要かと言うと、それは単に「生活を豊かにしているから」とか「お金を稼ぐためのキャリアとして必要だから」というだけじゃなく、「私たちが生活しているこの社会が、一体どんな土台の元に成り立っているのか」の一端を知るということだからね。
狂人が「明日は槍が降る」と言うことと、天気予報士が「明日は雨が降る」と言うのは、明日の天気を自力で計算できない市井の民にとって、論理的には同等なんだよね。それでもなぜ私たちは狂人よりも天気予報士の言うことを信じられるかと言うと、それは地の教養が身についているから。「科学的に、槍が降るよりも雨が降る方が、概ねあり得そう」と判断できるには、それなりの教養が必要。かつて杞の国の人々が天が落ちるのではないかと憂いた「杞憂」のような集団ヒステリーは、現代社会では比較的起こりにくい。(たまに起こるけどね。)それを抑えているのが民の教養。
失礼クリエイターによる「マナー」の捏造を人々が批判できるのも同じ話。教養がなければ、言われたことを言われた通りに信じるしかない。
「言語は生き物である」という考え方も最近はかなり浸透して、誤用警察も随分大人しくなってきたよね。自然言語の変容という現象を理解する上で、「言語史」あるいは「古文」の知識は間違いなく必要になる。