はてなキーワード: ひとりっ子とは
毎回「わたしはあなたのママじゃないんだよ」って言葉を飲み込みそっと距離を置くけれど、空気読まないから連絡しつこいし辟易する。
・言ってることがとりあえず意味不明で話が独りよがり、論理破綻著しい
(兄弟いないから壁と対話して育ってきたのかな?って言うような話し方。実際そうなのかもな)
・とにかく人の注目を集めてないと不満
(正直これに一番怒ってる。頭おかしい)
(嫌がってるのとか空気読まない・読めないのは一人っ子特有のものを感じる。欲しいものは手に入って当たり前だと無意識に思ってそうなところが本当無理)
「欲しいものは毎回手に入るわけでもない」「他人にも感情があるし、嫌だと言うこともあるしその権利を有している」
こんな当たり前のことが、兄弟がいないというだけで理解できないものなのだろうか。
全く理解していないわけではもちろんないと思うけれど、表面的な知識としてかこれらを理解していない気がする。
当然だけど一人っ子の中にもまともな人はいると思う。自分勝手な人間の割合が一人っ子に多いと言うだけで。
けどこれを目にして逆ギレしてる一人っ子は自分の胸に手を当てて考えて欲しい。
ちなみにこんなところでぐちぐち言ってる暗いわたしは中間子です……。
オタク歴も同人誌読者歴も20年くらいだし、ツイッター歴も長い私は、最近ようやく自分でも小説同人誌を出した。
といっても、これまでもweb日記を書いていたり、前ジャンルでは1年くらいだけど偽名でpixivに小説をポツポツあげてた。
でも今回は、イベントに出る時にちょっとくらい知り合いとか欲しかったので、小説書き用の名前でツイッターのアカウントを取った。
同ジャンルの人と交流したり、好きな書き手さん・描き手さんに感想を伝えて(これは読み専時代からやってるけど)認識されたり、読み専さんの突然の連投妄想に激しく同意したり、オフ会に出たり…と楽しくやっている。
作家さんに感想を伝えるのは緊張するけど、萌えの創造神達が迷いや不安に惑う時、少しでも負担を排除する要因になれればと思うから送る。もちろん、仕事のメールよりも100倍は気を使って、けれど興奮した気持ちだけは伝わるよう、最新の注意を払ってる。(結果、好きです…とかで終わる事もあるけど)
オフ会だって楽しい。好きなカプの話やプレイの話を、同じようにソレが好きな人とできるのだ。最高に楽しい。
…と思ってるんだけど。
pixivさえチェックしていれば、作品や同人誌情報は入ってきたから、ツイッターはリアル友達としか使ってなかったのだ。いや、中にはサークルしてる子もいるけど、二次創作界隈の話は流れて来なかったのだ。
だから今、すごくびっくりしている。
…あまりにも「二次創作小説が無価値なんて言うヤツは理解できない!小説はエロくていいぞ!あたしは大好き!」みたいなバズったツイートが複数流れてきすぎる。
もちろん私のTLに小説を否定する人はいない。とはいえ、同カプの絵描きさんで、字書きをひとりもフォローしていない人は何人もいる。でもまぁ、一般書籍を含め「小説を読まない人」なんて珍しくもないから、その方の神作品に心を込めてふぁぼを送る程度だ。神との距離は、本来これが適切だと思っているので特に気にしてない。ブロックさえされなければいい、見れればいい。
字書きdisったRTを見た字書きさん達が落ち込んで、過去の闇を吐き出したり、そんな事言う人ムカつく!と怒ったり。それを慰めて怒る絵描きや読み専の、一連のわちゃわちゃが、なんかすごく嫌だ。
大前提として、本人に聞こえる悪口はアウトだ。それは社会で生きる人間として当たり前のマナーだ。
それを踏まえた上で、
②擁護ツイートのいくつかは、小説の価値はエロだけだと暗に断言している事
③字書きのすり寄りが嫌い説が雑い事
コレが気になりすぎてヤバい。思わず語彙力も消し飛ぶくらいやばい。
①
街の人々が直近1年で、娯楽のために読んだ小説が平均何冊かご存知だろうか。
プロ作家ですら読まれない「小説」というものの、それも素人が書いたものを読まない事に、何故腹をたてるのだろうか?
世の中には様々な人が存在する。クラシックを聴かない人、運動しない人、オリンピックを見ない人、声優に興味がない人、オタクじゃない人。二次創作小説を読まない人も、普通にいるだろう。私だって、男女カプの同人誌や少女漫画は読まない。…なんだか気恥ずかしいんだ…もちろんdisったりはしないよ!
そういう娯楽についての嗜好は、誰かにただされる必要はないのでは?
漫画だって、下手なら読まれないし、変態レベルの高いエロだと嫌いな人もいるし、片想い止まりは読まない人はいる。読む人が何を読みたいかは、読む人の自由なのだ。
②
小説同人のエロ最高説で反論されても、エロの無い小説は??と思ってしまう。
感動する話やカップリング要素のない話に価値はないのだろうか。
私自身、二次創作小説はエロとギャグと、渾身のガチ考察ifルート感動系など、何でもかんでも読むし買う。エロのある本だとニッコリ笑顔になるので、エロはあるほうが嬉しい。けれど、小説にはその価値しかないと暗に言われてしまうのは、とても残念だ。
バズった擁護ツイートへの感想なので、前後にはなんらかのフォローがあったのかもしれないけど。重要なのは、バズってる(=皆が同意・注目した)のはソコだけ、という物理的な事実なのだ。
まぁこのあたりも、「世の中にはエロ必須な人もいる」という前述の現実で解決するんだけど。小説擁護の旗としては、あまりにも悲しい物だったなと思った。
③
字書きが他人と交流すると、それはすり寄りになるのか?このあたりの同人界隈作法は、初心者の私にはよくわからないので、誰か解説してほしい。
絵描きさん同士ですり寄りは存在しないのだろうか?というより、すり寄りって何?仲良くなったらダメなの??
コスプレ界隈のすり寄りなら、その人と並ぶと注目されるとかROMがどうとかあるのは想像できる。けれど、個人で作品を作る二次創作界隈において、他人と仲良くなる事に「楽しい」以外のメリットがあるのだろうか…?
合同誌や表紙挿絵など??嫌なら断ればいいのでは…?依頼もウザいってこと??
私にはよくわからない。少なくとも今、字書きさんとも絵描きさんとも読み専さんとも交流してるけど、仲良くなりたいのは性癖かノリが同じ人だけだ。共に推しカプをチュッチュペロペロして男ふたりの未来に乾杯したい人だけだ。皆それが目的で交流してるんじゃないの??
これについては、自分が何らかのタブーを犯してしまう前に、界隈のマナーみたいな物は学びたいと思っている。
バズった罵倒を参考にしようとしたけど、ゼロ距離タメ語がどうとかリクエストがどうとか、字書きに限らずオタクとして犯してはならない常識ばかりだったので参考にならない。『字書き=すり寄り』って何なの??
交流なんか、個人同士のやりとりなんだ。外野がとやかく言うべきではない。
そして、小説書きにそういう奴しかいない!と嘆くなら、絵描きにそういう奴はいないのか、そもそも小説書き何人と絵描き何人の割合で判断したのか、その年齢分布数などもあわせて出してほしい。それも無く「字書きに多いすり寄り系、嫌いだわ」だけ言われても、そこに自分が含まれているのか、含まれる含まれないの明確な境界は何かわからず、ただただ落ち込むだけである。
他人に牙を剥くなら、それ相応の準備をすべきだ。殺すならしっかり殺してくれ。貴様が気楽に握ったその曖昧なナイフは、すでに他人に向けられているのだ。それ相応の覚悟で突き立ててほしい。
けれど、これと似た台詞は、たくさん投げつけられてきた。
最近の若者はなっとらん。
私の人生でいくつも見かけてきた、なんだか乱暴なdisの数々だ。
狭い世界で生きている人間が、1人や2人から与えられた数少ない体験を、さも世の理かのように語る。井の中の蛙じゃないか。愚か者め、恥を知れ。
一連のRTでモヤモヤした事を書き出してみたので、だから何とかは無い。けれど、140文字で呟くには、あまりにとモヤモヤが大きすぎたので、この場を借りた。
「長い」
それは…まぁ、…すいません。
長いよね…うん。
でも短いと伝えきれない事がある、だから今回は、長い事は必要な事だったんだ…。
でもまぁ、とにかく。
二次創作界隈の「字書きdisと、それに対する怒りと擁護」には、なんだかちょっぴりうんざりしている、この気持ちだけは無かった事に出来なかった。
それに触れてツイートする事で、それを知らない人がどんどん嫌な気持ちをおすそ分けされているんだ。今の私のように。どうせ腹の立つ思想と戦うなら、もっと本気で戦おうよ。
悪い感情を否定するのに、悪い感情を返すだけだと意味がないんだよ。
もしそうやって戦うのが難しいのなら、せめて落ち込んだTLの空気を一新すべく、何か楽しい話題を連投しよう。無理ならちんちんの話でもしよう。
腹の立つ思想のやつもいるだろう。けど、そいつに引き摺られて、怒りを撒き散らしても何のメリットもないんだわ。
私はTLでは、絶対にこの話題には触れない。匂わせもしたくない。何度もやりかけたけど、あれ以上空気を濁したくないからやめた。
そういう話題が流れて空気が重くなった時こそ、楽しい話をするのだ。腹立つ奴をぶん殴るには、それが一番手っ取り早い。相手にしない事だ。
私は、嫌な思想を引き摺って撒き散らすだけの人間には体験できない愉快なTLで、同じ性癖の人たちと、おもしろおかしく暮らしていくつもりだ。
今まで生きてきて、1度も結婚式に呼ばれた事がない。ひとりっ子かつ親戚付き合いも殆どないので、身内の結婚式にも出たことがなく、本当に祝いの席に参加した経験は皆無である。流石にこの歳になると、結婚式に出た事がないとは恥ずかしくて誰にも言えない。友達がいないと公言しているようなものだ。
友達がいなかった訳ではない、と思っている。いや、今となってはよく分からないが。
小学校はイジメられっ子だったが、学区の違う中学、高校では一緒に遊ぶグループもできた。しかし卒業と同時に縁が切れ、今ではフェイスブックでふわふわ繋がっているだけの関係。なまじ繋がっているから、彼等が素敵なパートナーと結ばれて華やかな式を挙げたことだけは知っている。早い人には子どもも出来た。大学生活はリア充とは程遠かったものの、サークル、語学のクラス、バイト先、学生寮にそれぞれ親しい人達がいた。しかし、サークルは活動がガチ過ぎてついて行けなくなって辞めてしまった。無理にでもついていくべきだったのだろう。語学クラスとバイト先の仲間は、進学•就職を機に付き合いがなくなった。こちらも高校時代同様、フェイスブックだけで未だふわふわ繋がっていて、最初の数年は同窓会もやったりしたが、そのうち開催しなくなった。SNSでの私の見かけの友達数はやたら多い。学生寮の人間とは、引越した後も比較的長く付き合っていたが、2-3年もすると徐々に疎遠になってしまった。学生寮は同窓会ネットワークもないので、今後会うことはないような気がする。大学院の研究室の関係者とは、今も関わりがない訳ではないが、非常に表面的な付き合いである。
考えてみたら、友達だと思っていたのは私の一方通行な勘違いで、どこにも友達は居なかったのかもしれない。だから、誰からも祝いの席に呼んでもらえないのだ。お前が積極的に繋がりを残そうとしなかったのが悪いんだろう、自己責任だ、と指摘されるかもしれない。確かに、私は同窓会の幹事をやった事もないし、そんなネットワークも行動力も持っていなかった。でもその程度の受け身人間、いっぱい居るじゃないか。それに、親しい(と思っていた)数人に連絡して遊びや飲みに誘うくらいのことなら、自分でもやってきた。けれど、私がやると何故か上手くいかないんだ。誰も乗り気でないような、酷い場合には全員不参加で流れるような。
今の職場にも、プライベートで飲みに行ったりする仲間はいるが、彼等を友人と呼んで良いのか分からない。職場が変われば簡単に付き合いは無くなる気がする。ついでに言うと既婚者ばかりなので、仮に付き合いが続けられても結婚式未経験なのは変わらなかったりする。
そういえば職場の後輩が、学生時代の友人の結婚式が今週末あると言っていた。新しい服やらご祝儀やら、出費がキツいと嘆いていた。「増田さんくらいの年齢だと結婚式多いですよね?どうやってやりくりしてるんですか?」と聞かれたけど、さすがに行った事がないとは言えず、金欠だよね等々言って適当に誤魔化しておいた。今頃披露宴なのだろうか。誰かの華やかな人生の門出に立ち会って祝福するというのは、どんな感じなのだろう。私には、誰かを祝福する資格は無いのかもしれない。
28歳独身女性。一度大学を出てから医療職につくため大学入り直して、まだ学生。一人暮らし。
父親は糖尿病と精神病で廃人となって、透析しつつ合併症で入退院を繰り返してる。
母親は父親と父親の母(祖母)を介護して疲弊しきっている。キッチンドランカーで、最近では占い師に貢いでいるらしい。
父親の妹(叔母)は、祖母よりも自分の孫の面倒見ている。そりゃそうだ。
祖母の家は何故か叔母に既に譲られているらしく、父親にどれだけの遺産が残されているのか不明。
叔母の夫はやり手だし、父親には何も残されていないんじゃないかと勘ぐっている。
私にとっての母親は毒親の部分もあるから距離を置きたいけれど、このままだと私が面倒みるんだろうなあ。
両親の介護が必至の私なんて誰とも結婚できないだろう。何が少子化対策だよ。
医療職につくものとしては最低なんだろうけど、いつも父親と祖母が早く死なないかと考えている。
母親とも距離置きたい。
でも私はひとりっ子だから、このまま母親も死んだらひとりぼっちになって、家借りるのもできないし入院もできないんじゃないかと思うと不安で仕方がない。
仕事にも難なくつけるだろうし住む家もあるのにこんなこと書いてる私が最低です。本当にごめんなさい。
たぶんこれが現代の日本社会で最も周囲にアレコレ無神経なおせっかいを言われず、こじらせ系にならずに済むルート。
しかし一見平凡な女の幸せに見せて、ものすごく難しいルート。1回目の人生では入り口すら見つけられない人多数。
とにかくハードモード。人生3周目じゃないとクリアできそうもない。
高校生くらいの年齢の時からこのルートを目指して計画的に行動しているか、ものすごい強運が要る。実際はここに書ききれないほど多くの条件、つまり人格や個人的理由、感情やタイミングなどが加わってくる。そういう個々人の事情をすべてをまるっと無視して「これが女の幸せでしょ」とひとくくりに言われてしまうのは、さらっと受けながすにはなかなかに重たいのだ。心が弱っている時には特に堪える。
補足:
上記は私が直接言われたこと、私の女友達から聞いた愚痴、結婚出産育児系の掲示板で散見された情報を元に独断と偏見を持って書いた内容です。
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ブコメを受けての追記です:
夜中に書きなぐった文章が起きたらホッテントリ入りしていたのでギャー!となりました。色々な角度から多くのコメントを頂き、ありがとうございます。
ちなみにお察しの通り、ほぼ何一つ、私自身はこのルートを攻略できていません。
「世間体ばかり気にして大丈夫か?」「幸せとは」というコメントも頂きましたが、あくまでこれは「世間の言う通りにしたらこうなる」というシミュレーションです。理想通りに結婚しても、離婚分岐ルートも往々にしてあるので、ライフプラン、本当に難しいですよね。
「恋愛至上主義♪ワタシの結婚」「バリキャリ!高学歴女性のための結婚」「人生1回きりだもン!好きなことやって楽しむぞ結婚★」「困難を乗り越え運命の国際結婚」などひとりひとりの人生と価値観で、数えきれないルートがありますし、幸せとは自分の尺度でしか測れないと思っています。が、世間の言葉を受け流すにしても、さらっとかわせるコミュ力とメンタルの強さは一朝一夕には身につかないものです。傷つきながら僕らは大人になるのです。
それにしても、ブコメ欄でいろいろな方のご意見や人生を垣間見れました。ありがとうございました。
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ちなみに、あまりに無理ゲーなので、こじらせまくって1年ほど前にひとり結婚式をやったのでした。
ごめんなさい。
クリスマス時期になると思い出すこと。
子供の頃、欲しい物といえば「誕生日orクリスマス」しか買ってもらえなかった。
クリスマスは兄弟姉妹、誰に対しても平等に12月にやってくる。
クリスマスに(そこそこ)欲しい物を手に入れて、直後の誕生日に欲しい物ってあんまりない。
結果、微妙な欲しいわけでも無いおもちゃを買ってもらったりする。
当然その時に妹は伝家の宝刀、「お姉ちゃんだけズルい」を発動する。
で、ちょっとした物をゲット(シルバニアのお人形1つとか、リカちゃんのお洋服1枚とか)。
いい感じにその時欲しい物を買ってもらう訳ですよ。
そして「お姉ちゃんは誕生日に買ってあげたでしょ!お姉ちゃんなのにワガママ言わないの!」
はぁ?ナニソレ???
半年前に妹、ごねてたじゃん。
なんかゲットしてたじゃん。
こんな時ばっかり「お姉ちゃん」かよ!
まだいい、まだいいと引き延ばすうちにずいぶんと育っちゃったよ。
本当は帰りたくなかったのだが仕方がない。
くだらない理由で親の顔を見ないなんてと思う方もいるだろう。
タイトルにも書いたが現在29歳年収350万円の微々たる収入の都内に住む会社員だ。
彼氏は7年もいない。
にもかかわらず
「誰かいないの」
むこうも何を話していいか判らないのだろう
母親から聞いただろう私が嵐ファンだというきっかけだけを頼りに話しかけてきて
くれる。
「嵐のコンサート私もいってみたーいチケット余ってたらちょうだーい」
しかし今はとにかく嵐が見たい、何者にもジャマされず見たい。
今のような勤務ペースで働くことは出来ないだろうから自由になるお金は減る。
29歳で小デブで顔は10人並、なんの努力もせずに玉の輿にのって
やりたい放題の結婚ができるとはいくらなんでも思ってはいない。
だが嵐ももう30代だ、一番好きなメンバーはずっと付き合っている女優が
いると眉つばではあるが噂がある。
していない現在の状態のままだと応援できない気がする。
それが私のジャニーズ卒業の好機になるだろうが、何年先か判らない。
その頃には私も30なかばか40過ぎだろう出産リスクはおろか結婚相手も
まず見つからない。
そうこうしているうちにこの危惧通りの結果になるだろう。
私の人生にどこに分岐点があったのかわからないまま思考を停止し、寒い部屋で
旧友からの赤ちゃんがうまれました写真つきの年賀葉書に寒中見舞いの返事を
書こうと思う。
恐るべき朝日新聞の洗脳力 - Apes! Not Monkeys! はてな別館
http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20130721/p2
忍び寄る自衛隊(上)/「空飛ぶ広報室」と「ひとりっ子」/“よく似た話”を隔てた憲法への視点
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-05-14/2013051414_02_0.html
左翼って、自分が気に入らない自衛隊とかの広報活動は「洗脳」とか喚くのに、自分達が正しいと思う広報活動は「洗脳ではない。正当な活動だ」と、恥も外聞もなく主張するんだよな。まったく、在特会並みに面の皮が厚い連中だわ。
私(仮にA子)は職場の仲良し三人組でルームシェアをしている。
ある日、ルームメイトの一人(仮にB子)が、夜中に急にけいれんを起こした。
私ともう一人(仮にC子)で119番し、救急病院へ運び込んだ。
診察もそこそこにB子は処置室へと連れて行かれた。
私達はしばらく待合室みたいな所に連れて行かれ、そこでB子の回復を祈っていた。
B子は去年の秋に大病を患い、大手術の末かろうじて危機を脱した。
ずいぶん回復してきたと油断していたのがいけなかったのだろうか。
夕食に食べさせてはまずい物でも入っていたのだろうか。
それとも手術の時にミスでもあったのだろうか。
頭の中でいろんな思いが渦巻いてた。
そうこうしてる間にも、ひっきりなしに患者が運び込まれてくる。
風邪で高熱を出した子供とか、交通事故とか、ケンカらしい血まみれの人とか。
悲鳴や鳴き声、怒号が渦巻くそこは、まるで戦場の野戦病院みたいだった。
こんな時と場所ではさすがにバカ話をするのもはばかられる感じで、
どれほどの時間がたったのか。不意に「すいません」と声をかけられた。
いつの間にか待ちくたびれて眠り込んでいたらしい。
「あの、おねえちゃんと…B子さんといっしょに住んでいらっしゃる方ですよね」
「…そうですけど?」
「おねえちゃんがこちらに入院したと聞いて駆けつけてきたんです。
でも病棟のナースの人に聞いても、そんな人はいないって言われて…」
そのまま彼女は俯いてしまった。少し泣いていたようにも思えた。
「B子なら今はこっちの処置室で治療中なんです。だからまだ入院扱いじゃないのかも」
「それじゃあ、その処置室というのは?」
「あの辺り、だと思います」
彼女は私が指を指した方に顔を向け、それからもう一度私に向き直ると
「わかりました。どうもありがとうございました」と深々とお辞儀をした。
そしてそのままそちらへと歩きはじめる。
そこでようやく私はおかしな事に気づいた。
あれほど満員状態だった待合室に、まったく人の姿がない。
回りを見渡しても、ルームメイトのC子の姿さえ見当たらないのだ。
「あの、ちょっと……!」
あまりの異様な感じにとっさに彼女に声をかけたが、次の言葉が出てこない。
今来たばかりらしい彼女に事情を問いただしたところで、答えが返ってくるとも思えないし。
だけど彼女は私の声に反応して、くるりと振り返り、こう言ったのだ。
とても悲しそうな笑顔だった。
そう叫んで立ち上がろうとした瞬間、世界が暗転した。
「大丈夫ですか、A子さん」
怪訝そうな表情を浮かべて私の事をのぞき込んでいたのはC子だった。
盛大にぶつけたらしい痛む身体をさすりながら、そんなバカな、
と思い辺りをもう一度見まわした。
最初に来た頃よりは多少人数は減っていたが、相変わらずの込み具合だった。
少なくとも人っ子ひとりいない、という感じではない。
ふと時計を見ると、午前5時45分を少し回った頃だった。
それから少しして、B子が自分の足で処置室から姿をあらわした。
多分寝ぼけてたんだろう。それに確かB子はひとりっ子だと聞いてたし。
その時の私はそう思っていた。
タクシーで自宅に戻り、B子を休ませてから、C子と交代で仮眠を取った。
幸いB子の顔色も夜にはすっかり元通りになり、
昨夜の騒ぎも何かの冗談のように感じられた。
軽めの夕食を取り始めた頃、B子の携帯が鳴った。彼女の田舎のお母さんからだった。
しばらく話してるうちにみるみるB子の顔色が変わり、
とっさにB子をC子に預けて携帯を代わり、お母さんに
「差し支えなければ、今どんな話をしたのか聞かせてほしい」とお願いした。
それはとても信じられないような内容だった。
実はお母さんも昨夜から胸騒ぎがして、なかなか寝付けなかったそうだ。
そして明け方近くに目をさますと、若い女性が枕元に立っていて、
「おねえちゃんはもう大丈夫ですよ」
と告げて姿を消したのだという。
最初は夢だと思っていたのだが、どうしても気になるので電話したのだそうだ。
「見当違いかもしれないのですが…」とお母さんは前置きしたうえで、
以前、彼女とそのご家族が、神戸に住んでいたことは聞いていた。
その頃近所にB子の事を「おねえちゃん」と呼んで懐いていた少女がいたのだと。
だが18年前の今日以来、音信不通になってしまったのだという。
あの、阪神大震災で。
ただの偶然だったのかもしれない。
たまたま似たような夢を観させただけなのかもしれない。
だけど真実がどうかなんて、実はどうでもいい気がするのだ。
ここ何日か不安定だったB子は、以来人が変わったように明るくなった。
実は3人のうち一番のスタイルで、人一倍身体のケアやダイエットに余念がなかった彼女は、
大手術の傷痕を鏡で見るたびに、いっそ死ねばよかったと思い始めていたらしい。
だが今回の一件で、辛い事も、苦しい事も、生きていればこそだと考え直したそうだ。
たとえ夢でも幻覚でも、彼女がもう一度生きたいと思ってくれた。
それだけで充分だと、私は思ってる。
・他の人がいる所で自分の事をするのが苦手
・怒れない
・影響されやすい
・依存心が強い(いつも親が手を出し口を出しやってあげるので)
・人と話すときオドオドする(人と話す時の態度が親に対する話し方と似てくる)
・孤独好き(家にいる時ひとりっ子は自分一人で遊ぶしかないため孤独に慣れてしまう)
・反論能力が低い(家には親しか居ず同年齢の人に反論する機会が少ない為、自己主張が下手になる)
・甘えん坊(周りが親など年上ばかりだと、ワガママが通りやすいため、甘えん坊となる)
・一度決めたことはやめない。
・約束は必ず守る
・すぐ病む。ストレスに弱い
・思い切った行動をとる。行動力が高い
・冗談が通じない
・先のことまで現実的に考える
・人を試す
・信頼しきってる人に依存する
・基本自己嫌悪
・思い込みが激しい
・負けず嫌い
・とろい。要領が悪い
・努力家
・目立つのは嫌いじゃない
・正義感がある
・責任感がある
・重い
・自分という殻が厚い
夫(私)37歳、妻35歳、長女5歳。
排卵誘発剤の投与と基礎体温の測定を基にしたタイミング療法を続けてきたが全く効果が出ず、先日ついに体外受精専門の産科を紹介されることになった。
タイミング療法を続け、生理が来るたびに落胆を繰り返した2年間は、妻にとって実に辛い期間だったそうだ。
不妊の原因について妻が自虐的な言葉を吐くことも多かったが、私はむしろ自分に原因があるのではないかとも考えていて、自分の検査(精液検査など)もやらせて欲しいとたびたび伝えていたが、今までにそれがかなうことはなかった。だから今回の体外受精への挑戦は、不妊の原因を夫婦双方の視点から探るいい機会でもあった。
―まずご主人ですが、精子の量は正常です。精子の運動性も十分ですから、通常の体外受精法で問題ないと思います。
明るい光が差した気がした。何とかなりそうじゃないか。
―続いて奥様ですが。
―あくまで数値上の話ですが、卵巣の機能がかなり弱っています。これは、ちょっと苦労するかもしれません。
―奥様は35歳ですが、これは40歳くらいの数値です。(事前に見せられた資料では、たとえ体外受精でも40歳を過ぎた時点で妊娠率は35歳時の3分の1以下に下がるとのことだった)
そもそも、5年前にはちゃんと産めてるではないか。なぜそんなことに。
妻がおずおずと尋ねた。卵巣の機能は、直したりできないんでしょうか…。
やはりはっきりとした答えが返ってきた。現代の医学では、それはどうしようもありません―。
とはいえ可能性はゼロではないという補足説明を得て、ともかく体外受精に挑戦することにした私たちは今後の予定を確認し、産院をあとにした。
帰りの車の中で、妻は泣いたり取り乱したりはしなかった。
―結局私の卵巣がダメなんだよね。
乾いた笑いとともにこぼれた言葉のあと、車内にはただただ重い空気が流れていた。
ダメとは言ってないじゃないか。とにかくやるだけやってみようよ…
私にはそう言うのが精一杯だった。それ以上の言葉を継ぐことができない自分が、どうしようもなく無能な人間に思えて仕方がない。
不妊という問題について、私たち夫婦よりも遥かに辛い状況にある人はたくさんいる。なんといっても、私たちにはすでに1人の子がいるのだ。
しかしそうだとしても「今後あなたは子供を産めない可能性が極めて高い」と宣告された妻の気持ちは、男の私には察するに余りある。
体外受精には、1回あたり総額で最低でも50万円程度の費用がかかる。「だめもと」で気前よく支払えるような額ではない。どうせダメなんだ、という気持ちで取り組むべきではないだろうと思う。しかし、少ない可能性を一途に信じて挑戦し、その結果が失敗に終わったとき、妻と私の気持ちはどうなってしまうのか。残念だったね、で終われるのだろうか。
妻は今も、言葉少なに夜なべ仕事をしている。彼女にどう向き合っていけばいいのか。そして、不妊治療に挑戦する意味。
自分の中では結論がまだ出そうにない。苦しくて仕方がない。
俺は大和民族の日本国をなんとしても維持したい派。だから、極端な産めよ増やせよ的な政策もやむなしかと思う。たとえば
なお、不妊治療費は、医療費控除とは別枠で全額税額控除とし、治療中は上記の子無し税を免除する。この理由で10年以上子無し税免除が続いた場合、その後も子無し税免除とするのが妥当だろう。
グレッグ・イーガンは好きだけどリチャード・モーガンは読んだことないなぁ。
最近のSFはイーガン筆頭に量子力学と認識の世界に旅立ってしまった感があるけど、自分はどちらかと言うともっとマクロなレベルの話に留まっていたい。J.P.ホーガンの巨人3部作とか。
イーガン好きなら(国内ものだけど)飛浩隆はどうだろう。量子力学は絡んでこないけど、組み立てる世界はどことなく近いものがある。ただしこっちはかなり暗いけど。
「エンダーのゲーム」は読んでる最中ずっと「面白いけど、なんでそんなに高い評価を得たんだろう?」と思ってた。単なる少年の成長もので、SFとしてはちっともハードじゃない。でもラストで唐突に吹っ飛ばされた。
結構翻訳ものを読んでるつもりだったんだけど、今記録を確認したらほとんど国内ものだった。最近で読んだのはイーガンの「ひとりっ子」、その前は1年ぐらい前のニール・スティーヴンスン「ダイヤモンド・エイジ」、その前のスティーヴン・バクスターはもう2年近く前か。どうも最近、情報チャネルが狭くなってるもんだから偏っちゃうんだよな。
まあでも、国内作家もかなり力を付けてきてるから。野尻抱介とか小川一水とか、ハードSFとして相当な力量だ。あれを英訳して輸出すべきなんじゃないか。