はてなキーワード: ひとりっ子とは
結婚してから2年以上経って出来た子で、年齢的にも経済的にもひとりっ子になるかもなーって思ってる。つわりもしんどいし。
ワクチン接種の予約がやっとできたところで、初回は9月頃、抗体を得られるのは10月後半くらい。
1ヶ月くらい前に市長に宛てたメールで、打てる期限が限られる妊婦も優先接種枠に入らないかと意見してたんだけど、何も変わらなかった。
妊婦が優先に入らないのは去年の政府のガイドライン制定の時点での話みたいだけど、もっと柔軟にアップデートしてほしいなあ。
友人が7ヶ月で生まれたけど30代まで元気で生きてるよー!へー調べたら生存率意外と高いんだーって話してたところだから、赤ちゃんが亡くなったニュースでべしょべしょに泣いてしまった。つらい。榎並アナもリアルタイムで見て、MAXべしょべしょに。
コロナかかったら他に問題が無くても帝王切開になるのが心底嫌だ。コロナで早産になった場合の受け入れの可不可とか話し合いしてるかとか発表してほしいな。
大型店を避けて、人気のない方のスーパーに買い物行ったりはするんだけど、それでも家族四人連れで子供が大声出してはしゃぎ回ってたりしてて、三人留守番はできなかったのかな…とか残念な気持ちになったりする。以前はもっとみんな気をつけてた気がするんだけど。もうスーパーも行かない方がいいんだろうなあ……。
あと地元のノーマスクの人たちをTwitterでリストに入れて生活圏内被らないようにしてるけど、読むとなんちゃら菌とか宇宙とか出てきて覚醒者って自称してるの、見てる世界が違いすぎて面白いな。それでもこの人の祖先はスペイン風邪とかのとき、対策してたのかもなって……。
家でできること、ゲームは元々の趣味でやってるけど、手芸とか編み物とか手を使う作業やってみたいなって思うんだけど、どれをやるか決めあぐねて止まってる。
今日、二人目の不妊治療のために子どもをファミサポに預ける。預けるのは3回目だ。
前回までとは違う人。いい人だと思うけど、不安。
コロナで保育園の一時保育はやってない。そもそも不妊治療なんて前日に予定が決まったりして一時保育にはとても預けにくい。
ファミサポの方はご好意である程度融通を効かせてくれる。こちらもなるべく予測しながら予定する。
二人目を望むなんて贅沢なんだろう。不妊治療専門クリニックは基本的に子連れで行くことは許されない。一人目不妊の方の感情に配慮してだ。その気持ちはわかる。
結婚してるだけ贅沢で
仕事をやめられても生きていけるだけ贅沢で
すでに子どもがいるだけ贅沢で
二人目を望むなんて贅沢なんだろう。
故郷を捨てて都会で暮らす罰なんだろう。
それでも二人目を望むことにした。
それでも二人目を望みたい。なぜなら、一人目がかわいくてかわいくてかわいいから。理屈は自分でも意味不明だと思う。現実的に無理だと合理的に諦められれば楽かもしれない。
できるかもわからない二人目より目の前のこの子のことだけ大切にすればいいのに。
追記。
帰宅したら思った以上に子どもはサポーターさんに懐いていて非常に楽しかったようです。良かった。
自分の中でも整理できてない色んな感情がごちゃまぜのまま書いてしまった。
クリニックに子連れで行けないことは仕方ない、と思っている。でも正直困ってもいる。
ファミサポに預けるのが不安なのは個人に半日預けることになって誘拐とかが心配だから。不妊治療は待ち時間も長い。
うちの自治体では親が在宅勤務だったりで育児できなくてもその場にいるだけでファミサポ対応外になっている。事前面談はあるものの横でその人の働きぶりを見ることなんてできないし、親は即外出しないといけないので正直不安なのだ。
書いてないことだけど仕事についても思うことがあって、不妊治療で仕事を辞めて数年経つし仕事をいつ始めるかとか、就職したら年齢的にもう産めないな、産むなら今だけどまた仕事を始められるようになるまで数年かかる…そんなにブランクが長くて就職できるのだろうか?不安に思うことは多い。
また、不妊治療で無職のまま二人目を授かったら上の子を見ながら新生児を育てないといけない。育休だと大抵上の子は引き続き保育園で預かってくれるそう。かわいいけど、一人だけの新生児でも大変だったのに走り回る上の子と新生児の3時間毎のお世話なんて私にできるのだろうか。皆やってきたなら私もできるんだろうか?
何だか、あらゆる事柄で二人目が歓迎されていないように感じる。
一人っ子ならこんな色々は考えなくてもいい。でも欲しい。無限ループで自分に疲れた。
こんなこと夫にも言えない。私ほど二人目を望んでないから、やめようと言うだろう。
従兄は20歳専門学生男。父親はおらず、母親、祖父母とともに暮らしている。
従兄とその彼女の間に子供ができたらしい。彼女のことはよく知らないが働いているらしい。
従兄は専門学校で資格を取る勉強をしつつ、私の父の会社で修行を兼ねてたまに手伝いをしている。
私の母のもとに連絡があったようで、母も父もはじめは戸惑っていたが、なんだかんだ「良かったね」と言っていた。
私はというとドン引きした。ええ?学生で学費も何もかも祖父母に出してもらってて学生デキ婚することの何がめでたいの?と。
従兄は昔から勉強は苦手ではあったが、将来やりたいことのために努力していたし、資格のために深夜まで勉強を続けたりしていて、私も素直に応援していた。いっちゃ悪いが、こんな馬鹿なことをするとは思わなかった。
とは言ってももう20歳、学校やめて働いて奥さんになる人と生まれてくる子供養います。というわけでもなく、学校には通い続けるらしい。
まったく祝福する気持ちになれない。だいたい、20歳にもなれば何をしたらどうなるかっていうのが分かるじゃないか。
私も学生の身分であるが青春や色恋とは無縁の人生を送ってきたので、誰が好きだから結婚したいとか、誰の子供が欲しいといった気持ちがまったく分からないが、それを差し置いても何かおかしな感じがするのは気のせいか。
私の母は「まだ学生の従兄と右も左も分からない彼女さんのためにできることをしなくちゃね」とやる気満々で、下手したら子供を家で預かって見るなんてことが起きそうで憂鬱である。
従兄の結婚に対する気持ちとか関係なく、私は子供が大嫌いである。
結婚式にも出たくない。祝福するつもりのない人間が式に出ても失礼だし、イトコなんて出席しなくても大して問題ないだろうから、向こうには課外授業があるとか言って欠席したい。
まあ、私は子供産む気も結婚する気もないし、私も従兄もひとりっ子なので、元気なうちにひ孫の顔を見られる祖父母に対しては「良かったね」と思う。
うちの幼稚園は高齢出産のひとりっ子がとにかく多い。一方我が家は三十路前に子どもがふたり産まれたのでどちらかというと少数派になる。
日に日に周りのひとりっ子の親に対するドス黒い感情が膨らんでいく。もちろんこれが妬み僻みの類であるのは自分でもわかっているのだけど、実生活でうっかり爆発してえらいことになりたくないのでここで吐き出させて欲しい。
〇取り合いになることを考えず、めんどくさいおもちゃを公園に持ってくるので嫌い
ラジコンカーとか電動のしゃぼん玉マシンとか、貸し借りや取り合いになるとめんどくさいものを公園に持ってくる。我が家はそもそも兄弟間ですでに取り合いになるのが見えてるのであまり買わない(個人の感想です)が、ひとりっ子だと何でもひとりで占有できるからおもちゃのチョイスもなんでもありなんだろうなと思う。
〇親が自分の人生を満足してから子どもを産んだんだろうなと思ってしまうので嫌い
30代後半以降が初産だと「ああ、自分の趣味も仕事もひととおり満足して『さあそろそろ子どもを作ろうか』みたいな感じで産むんだろうな、そりゃ子どもが可愛いわけだわ」と邪推してしまう。妬みでしかない。私ももっと遊んでおきゃよかったし、仕事に専念しておけばよかった。
うちは2人目も2歳差でいるので自宅保育になる期間が5年、ほぼ身動きが取れない。ひとりっ子の家はその子どもが3年で幼稚園に入ってしまえば「あがり」だ。私が下の子を追いかけ回している傍らで世間話に興じているひとりっ子の親が憎い。これは高齢出産じゃなくても憎いけど、高齢出産だと一個うえの「自分の人生を満足してから産んだんだろうな」というのがあるのでなおのこと憎い。独り身の旨味を吸い付くした後に子どものいる幸せをつまみ食いして憎い。
自分で書いてて頭おかしいなと思う。でも高齢出産でひとりっ子の親が嫌いだ。憎い。できればみんな介護が必要になったときに一人しかいない子どもに逃げられてどうにもならなくなって欲しい。
こんなこと書いてると己に返ってくるんだよなあ。じゃあ産まなきゃよかったじゃん。
日本人同士で結婚した夫婦のうち、妻の姓を名乗る割合はたったの4%だそうだ。やはり珍しいのか、入籍を報告した先々で「何か理由があるの?」「婿養子なの?」と聞かれている。これがめちゃくちゃめんどくさいし、正直うざい。ふたりで選んで妻の姓を名乗るってだけのことに理由いる?って毎度毎度思っている。まあでも、4%しかいないんだから何かあるんだろうと思うのが「普通」なんだろうな。
正直たいそうな理由があるわけではない。つけようと思えばそれらしい理由をつけることはできるが。私の父はひとりっ子でその上子ども(私たち姉妹)は女ばかり。父方の祖父母は姉妹の誰かが名字を継ぐことを熱望していたため長女である私がその意向をくんだ、みたいな感じ。
でも、私のほうが自分の名字への愛着がより強く、彼は人と違うことをするのが割と好きというのがかみ合っただけというのが本当のところだ。彼も私も友人からは元の名字をベースにしたニックネームで呼ばれている。だから、お互いそれなりに自分の名字には愛着があったはずだ。それでも彼は好奇心のほうが勝ったようで、割とすんなり名字を変えることにしてくれた。
ただ、こんな理由を正直に言うのもなんだから、人には先に書いた理由を簡単に伝えている。
人に理由を聞かれ事情を説明し「理解ある人でよかったね(意訳)」と言われるたびに、「彼に名字を変えてもらった私はものすごくわがままな人間なのか、彼に我慢を強いているのか」という錯覚に陥る。名字を変えなかった96%の男性はきっとこんな思いはしないだろうに、同じように名字を変えなかっただけの私がこんな思いをしなければいけないのはなぜなんだ???受け答えのめんどくささより正直これがいちばんきつい。きっと考えすぎなんだろうけど。
夫の姓を選ぶのも妻の姓を選ぶのもどっちも普通のことだよねって皆が当たり前に考える社会に早くなってほしい。
最後に、私はこんなだが彼は本当に素敵な考え方をする人だということを伝えさせてほしい。「僕自身は名字を変えることに抵抗はないし、僕が名字を変えることで喜んでくれる人がいるってだけで名字を変える十分な理由になるよ」と言ってくれた人なのだ。そして、そういう彼を育て、彼が名字を変えることに反対しなかったご両親も本当に素敵な人だ。私は幸せ者だ。
とりとめもない話を読んでくれてありがとう。
まともに。というのは
なぜか。
実際は違うかもしれないけど。自分ではそうとしか思えないのだ。
そもそも。
世の中の社会人、経済をまわしていて、税金を納めている人々はいつぐらいから「はたらく」という意識が芽生えてるのだろう?
家は、お祖父さんて人がやり手の実業家?だったかなにかで、バブル期いわゆる勝ち組だったらしい。
バブル崩壊後もその遺産と趣味を元に小銭を稼いで10数年生計をたてていた。
全盛期は知らないものの、私は10代前半頃まで親が汗水働いてる姿を見たことがない。
趣味の延長で始めた自営業で、幼少期からほとんど家にはいなかったものの、苦悩して働いてる様子ではなく、むしろ逆で週末には友達とどんちゃん騒ぎ、2,3ヶ月いないなー。と思いきや大量のお土産やなんやをもって楽しそうに帰ってきてたし、ひとりっ子の私をひとりにさせてる多い目からか、欲しいとねだったものを買ってもらえなかったこともなかった。
だから、正直、私は生きる事を舐め腐っていたと思う。
そんな私も分別がつく多感な年頃になり、「家… なんか変なんじゃないか?」と思い、機能不全家族でかつもろもろの感覚がおかしい事がわかった。
でも、わかったところでどうしようもない。
15,6の娘が親に「あなた達は頭がおかしいですよ。」と言ったところで聞く耳を持つわけもなく。
私だけでもしっかりしよう思いつつ、高校進学の頃になった。が、自分の希望した進学先を親は納得してくれず、説得できないまま嫌々親の決めた学校に入った。
そんな気持ちで、順調に通学できるはずもなく、大人になり始めてる同級生たちの中では、私をとりまく環境は異質でしかなく、自分の言動や思考もやはりそれなりに侵されていて、うまく高校に馴染めなかった。
今まで「家が全て」と思っていた私はそこそこな良い子認定だったため、親の奨めた学校を3ヶ月で辞めたことに親は憤慨し落胆。
そこからもともと機能不全気味だった家族はあってないものになり。私は引きこもりの道へ。
いやー。なりたくてなったわけじゃないけど、15,6歳でそこそこ治安の悪い海外に住んでるのに日本語しかできなくて、外に世界を求められず。
でも、家ではもう腫れ物のようにされるし、行き場がなかった。
でも、引きこもってるって事は親のスネかじってるって事だよなー。あのわけわからん親に養ってもらってるのは屈辱だ。って思いはあって、18歳の時には家を出る決意をする。高校中退のやつが正規ルート?で就職できると思ってなかったから、手当り次第にバイトで食いつなぐ日々。
でも、どこもかしこも続かない。
最初の頃は人の下で働くことに慣れなさすぎて、人に指図されることにイラついて上司にたてついて行けなくなり、何ヶ所か続けざまに常識が身についてないというとろから最終的には罵倒され、傷ついて、どこにいっても人間関係の悩みに心が蝕まれて挫折しちゃって、やっと長く務められそうだと思った職場は派遣切り、契約社員で入った職場では自分の長引く体調不良と祖母の帰省が重なってやむを得ず退職。
あちこち転々としてるうちに、どーでも良くなって廃人してて、最近、自分は社会復帰する気があるのか?いや、そもそも、出だしからまともな社会参加してないのに復帰もクソもないわけで、で?これからどうするんだ?集団の就活の荒波にもまれたこともないし。そもそも、大中小企業の正式な入社方法?エントリー方法?もよくわかってない。1番長く続いた仕事も1年かそこら、もう数年したら、応募できる求人も減ってくる年になる。そろそろまずいよな。
そう思っても懸命に職探しせねば!働かねば!と思えないの頭おかしいな。って思う。
オーストラリアのSF作家グレッグ・イーガンの信者です。この状況が嬉しくてしかたがないです。
私たちは日常で多くの決断をします。それはリアルの人間でもフィクションの登場人物でも同じです。あのとき別の決断をしていたらどうなっていただろうと,夢想することはよくありますが,それは益体もないことです。現実は一つしかありません。私たちは決断をする権利とその結果を享受する義務があるだけです。
ですがもし,あらゆる決断について別の決断をした世界が同等のものとして存在したとしたら。私たちの決断に意味なんてあるんでしょうか。これは決して空論としての問いではありません。現在の物理学で主流の考え方の一つとなっている多世界解釈が正しいのであれば,私たちの生き方に関わる完全にリアルな問題です。
それを提示したのが2002年のイーガンの短編「ひとりっ子(Singleton)」です。彼はその中で一つの答え(意味なんかない)を提示し,その答えにしたがったギミック(意味を回復するための発明)をも提案します。
もちろんイーガンは自らの結論を読者に強要しません。読者は自ら考え,答えを見つけなければいけません。
今回,これと同じ様な状況が一般コミック,しかもラブコメの世界で展開されます。主人公がヒロインの誰を選択するのか。その選択の結果が5通り,同等のものとして実在するとしたならば,その選択に意味なんてあるんでしょうか? 多くの場合,恋愛という概念は唯一性をその価値の根本として要求します。すんなり受け入れられるはずがありません。
【登場人物】
・自分(男31才、3人兄弟長男、両親共働き、祖父祖母遠方、仕事有り)
・相手(女31才、ひとりっ子、母のみ&祖母同居、祖母は病気持ち&足が悪い、求職中)
【状況】
・交際期間2年
・お互いの親とは会ってるが、家族交えての顔合わせは未開催。
【起きたこと】
・八月中旬に相手の祖母の介助が大変なので、相手に実家に戻ってきてほしいとの要請がくる
・頭では理解しつつも、同居にあたっての金銭的な出費や、手続きに費やしたコストにモヤモヤが貯まる私。
・結婚するって決めたんだから、ちゃんとサポートしてやれよ、という自分
・いやいや同居してすぐに帰ってこい、って意味わからんだろ、という自分
どれもごちゃまぜなのだけど、俺が変なのかな、、、、?
年齢は言えないですがひとりっ子でしたね。
4年前に、システム管理の仕事と育児でキャパオーバーしてうつになり、休職した。
仕事は楽しくて、部下もついてチームワークよくがんばってたんだけど、セキュリティ関連の対応や、サーバー導入に関するトラブルなど、判断ができない問題が山ほどある上にシステムトラブルが起きるとそちらの対応。さらには保育園のお迎えリミットもあり、やり切れない仕事を部下に投げることも申し訳なくてできず、気づいたら些細なことでパニックになったり、会社に行くのが辛くなったりして、自分がおかしいと思った。
半年ほどで復職したものの、小学校入学で家庭環境が変わったり、仕事は相変わらず抱え込んでしまったりで再度休職。
この頃から、夫が怒り出した。
わたしは会社や、職場の環境に愛着があったので、自分が仕事をしながら生きていくことを前提として考えていた。
と責められた。
ここから3年、日常生活はある程度できているものの、隔月程度の間隔で夫と口論になり、思い切り落ち込んでまた這い上がるというのを繰り返している。
・お母さんなのにタバコを吸うのが気に入らない。
・休日まで一人になりたいと言って寝室にこもっているのが気に入らない。
・パニックになったときに、家を飛び出そうとするのが気に入らない。
夫のことが怖くなってしまい、そうしたら、
「怖いと思われることで自分もダメージを受けて、なおかつ上記のことに対して我慢をするようにしているのに、あなたは自分のことしか考えていない。」
と言われた。
そして、
「そんなに俺が嫌なら、出て行く。」
と言う。
夫に出て行かせるくらいならこんなにダメな自分がいなくなった方がマシではないか、という思いに取り憑かれる。
先月、パニックを起こして夜に家を出ようとした。
玄関先で止められた後に、
と言われた。
わたしは、交通事故で死ぬか入院でもした方がいいと思ったと話すと、
「それはずいぶん周りに迷惑な話だね」
と返されて、とにかく恐ろしくていったん一人にさせてくれと頼み込み、安定剤を飲んで無理矢理眠った。
パニック状態で追い討ちをかけられるのはつらい。これでは治らないと思い、遠方の実家に住む両親に相談した。
今週、両親がこちらに来て、近所にアパートを借りてシェルターがわりにして、しばらく療養してはどうかと提案された。
家の寝室で引きこもっていても家族の気配はするし、一人になれる場所があるのはありがたい。
そこで、子どものためにということも含めずに自分がどうしたいかを考えてみなさい、と父に言われた。
そんなときに、ブクマでこちらのブログと付いているコメントを見て、もしかして、わたしはモラハラを受けているのか?と初めて思った。
https://ico-iiwake.hatenablog.com/entry/2018/10/10/051953
自分が悪い部分もあることは理解しているし、文句のない人間なんていないので、ある程度の諍いはあって当然だと思う。