はてなキーワード: 神曲とは
『自由主義だから人を殺す自由も認めろよ』ということは当然にない。そこで重要なのは他者危害の概念だ。
殺人は生きる権利を奪うから罰せられ、窃盗は財産を奪うから罰せられる。今の犯罪はそのように考えられている。
そう考えた時、たとえ自分の土地であっても人目につくようにヒトラーの銅像をあちこちに設置する行為は「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであるから法律で禁止されるべきだし、
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら
「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだし、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という事実上のメッセージになるから規制されるべきだとリベラルは主張しているの。
像や彫刻を飾るのも当然に表現の自由だ。ましてや私有地ならばなおさらだ。
たとえば人口の2%のみを占める『マイノリティA民族記念館』があり、その記念館の入口にA民族を代表する彫刻の『A民族の子孫繁栄を願う彫刻』があることについて、
「露出が多いわけでもないし性器や乳房が強調されているわけでもないが、子孫繁栄という時点で性的な要素を感じて不快になるから撤去せよ」とマジョリティの大半が言い出しても撤去されるべきではないのは明らかだ。
だが一方で、ネオナチの金持ちが町の至るところに土地を買い、その土地に誇示するようにヒトラーの銅像をあちこちに設置して、そのことへの不快感をユダヤ人たちが訴えても、市長や市議会議員もネオナチではないにせようっすらと反ユダヤ的な考えを持っていて「そうは言っても私有地に設置されている私有財産ではどうにも」とのらりくらりと躱し続けたら。それは事実上の「我々はホロコーストを肯定します。だからユダヤ人はこの町に来るな」というメッセージであり、不当である。条例で撤去させない町は差別主義の町である。
同様に、市の至るところにネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)やベルギー王レオポルド2世やセシル・ローズの銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにウルバヌス2世の銅像が飾られていたら
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市の至るところににコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにダンテ像が飾られていたら
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
市の至るところにオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人はここに来るな」という事実上のメッセージになり、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」というメッセージになる。撤去させない方が不当である。
神は天にいまし すべて世はこともなし
もとは「ピッパの歌」という詩で、ピッパという少女が「朝露がきれいで雲雀が飛んでいて蝸牛が這っていて天には神様がいる、なんて平和なんでしょう」と歌いながら街を歩くと、その純真さに感化された悪人たちが改心していく、という内容らしい。
巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る
かくも心に滲み入る この悲しみは何やらん
天才美少年詩人アルチュール・ランボーと同性愛関係にあったヴェルレーヌが、痴話喧嘩からランボーの手をピストルで撃ってしまい、収監されたときに獄中からランボーに捧げた詩、ということだそうで、ひたすら悲しみをうたっている。
ナンシー・ウッド
「めっちゃ穏やかで幸せだからいま死ぬのが最高だね」という内容の詩。ネイティブ・アメリカンと交流していたウッドが、彼らの言葉を詩のかたちにしたものという。どこまでウッドの意図が混じっているのかわからないが。
于武陵
直訳すれば「人生に別離は多い」だが、この井伏鱒二の訳が広まっている。元の詩は、友人との別れの席で酒を勧めながら、花が風雨に耐えて咲くように、人も多くの別れに耐えて生きるものだ、と慰めている内容のようだ。
汝ら強き者どもよ 我が業を見よ そして絶望せよ
砂漠に崩れ落ちた石像があり、その台座にこの言葉が刻まれている。冷酷な王が自らの業績を誇る内容だが、その石像の周りにはもはや何もなく、遥か彼方まで砂漠が続いているだけだ。というような内容の詩だとか。諸行無常ですね。
この門をくぐる者は一切の望みを棄てよ
叙事詩『神曲』で描かれる、地獄の入り口にある門に掲げられた銘文。「この門をくぐれば悲しみと痛みと亡びがある。この門を造りしは神の力と智慧と愛である。この門は最初に造られ永遠に立っている。この門をくぐる者は一切の望みを棄てよ」といったようなことが書かれているらしい。
なんか他にある?
そりゃネットが発達したこの時代、世界のどこにだって「愛好家」にカテゴライズされる物好きとかマニアのたぐいはいるだろうよ。
だから「必ずしも無名ではない」かもしれないが、それだけで有名というには流石に無理がある。
まあフェスが開催できて、メーカーに依る開発が続く程度にシェアを持つ規模まで行く楽器は限られるけど、それだってオーケストラや軍楽隊含む吹奏楽で世界的に広く普及している楽器とは比較にもならないだろう。
アマチュアという裾野の広さが大きく違う時点で、プロ奏者の数・楽器の生産数といった規模も全然違うし、そうした違いもあって、知名度も比較にならないくらい違うんじゃねーの?
そうなるとギネスにおける楽器の難易度という議論の俎上に乗る可能性は限りなく低いし、それはディスでもなんでもないというか、勝手にディスったことにされても困る。
文字通り「問題にする人が限られる」知名度なんで、多くの人にとって「そんなの知らん」で終わって当然。
虚無僧が世界中の街角で尺八を吹くという冗談を理解できないのであれば、世界中の学校のマーチングのクラブ活動でホルンが登場するのと同じか、町のピアノ教室と同じくらい、尺八の教室が世界的に珍しくなくなってからまたおいで、と言っておこうか。
琵琶と尺八がオケをBGMにチャンバラする曲という、色々と前代未聞の発想で、世界の武満の名を不動にした傑作だし。
尺八の首振り三年は有名だけど、それって西洋の木管楽器のベンド奏法の延長という時点で、取り立てて言うことか?
だからフルート吹いてた流れで尺八に手を出す人もいるし、実際兼任可能なくらいの違いってことでしょ。
少なくとも弦楽器と管楽器ほどは違わないだろうし、要は程度問題。
もちろん、首を振らなきゃ音を変えられない楽器はなかなかないと思うので、フルートや日本の横笛系(龍笛とか篠笛とか)から乗り換えて、すぐに尺八らしい音になるかといったらならないだろうけど。
加えて、下に書いたように西洋楽器と和楽器で求めるものが違う部分も無視できないが、上に書いたフルートからの乗り換え・兼任が不可能じゃないこともまた無視できない。
指穴が5個しかない?そんなこと言ったらフラウト・トラヴェルソも7つくらいしか音孔ないんですが。
あと一番引っかかるのは、西洋楽器と和楽器に求められる音の違いを無視しているかのような
私が言いたいのは、どちらの楽器も構造上不完全な特徴があるからこそ、唯一無二の音色が出せる、という側面もあるということです。
例外は色々あれど、和楽器はノイズも音の美学としていて、むしろ故意にノイジーな音を増やすために改良した楽器もあるときく(楽琵琶から薩摩琵琶への変化とか?)。
一方で西洋楽器は倍音以外を排除し、またそれを実現させるためというのも理由の一つとして、操作性の向上にも力を入れてきた。
要は求められる音が違うので、言ってしまえば「不完全」が示す意味も違ってくるんじゃねーの?
だからその意味で、本来はホルンでもなんでも西洋の旋律楽器で音が外れやすいなんて普通にダメだし、そんなミストーンが頻発する楽器はもっと改良されるか淘汰されて当たり前。
というか西洋音楽の伝統と作法が大きく変わらない限り、ホルンはもっと改良されるべき。
尺八は今の状態で不完全だとは思わないどころか、むしろフルートや龍笛から出せないノイジーさは凄いと思うけどね。
あとは、まともに旋律が吹けない(そういうふうに意図的に作られた)能管の、割れまくった高音もやユラユラした中低音も、和楽器ならではの魅力だろう。
それとブクマカが謝っているけど、こういう話題でトラバに尺八を楽器以外の意味で使うやつとそれに便乗するやつは、マジで寒すぎるので勘弁。てかキモい。
冗談なのか煽りなのか知らないが、非表示にできる機能がほしいところ。
なんか物凄い否定的な反応ばっかりで草。
本当に、冗談抜きでこのトラバはディスじゃなくリスペクトを主題に書いたつもりだけど、今読み返してみたら随分嫌味ったらしいと思ったわ。
書き方が悪ければというか、文章は書き手の意図に関係なく書いた通りにしか伝わらないもんなので、誤解とか言うつもりはないし、むしろ多くの読者に不快感を与えたのは申し訳ない。降参する。
知人へ向けた個人の感想まとめであり、私が個人的にこの譜面でこの格付けは適正ではない、と感じたとしてもWikiに対する批判ではない。
また、私はポテ12.20前後の、決して超上級者ではないがLV9譜面のTC基準を考えるに最適なプレイヤーでもない。
全曲持ってる私が、「LV7~8をある程度FR出来て、これからLV9のクリアに挑む”君”に対して何かの参考になれば」と書くだけだ。
なお、私はiPad Air4でプレーしており、人差し指・中指は言わずもがな、配置によっては五指いずれも使用に躊躇が無い。
親指縛りの異常者共のことは最初から知ったことではないが、スマートフォン環境とは譜面の捉え方が異なる場合もあると思われるので、悪しからず。
これから記事を読もうとする奇特なアノニマスの皆様におかれましては、かような前提があることを念頭に置いて頂きたい。
1曲ごとの雑感の下に、「楽曲パックの購入まで含めた」お勧め度を★☆☆(星1)から★★★(星3)で付けようと思う。
ちなみに、PRS譜面については触れない。日記時点(2022/1/21)で未反映の曲(Final Step!のことだ)も特に書かない。あれは-1辺りだとは思うが。
また、上記の通り楽曲パック購入の是非を含めて評価する関係上、無料曲も飛ばす。ご了承願いたい。
・Empire of Winter
低空スカイノーツが非常に多い。BPM175で8分主体のため焦らなくて良いので、フロアノーツとスカイノーツの高度に対する感覚を養わせる譜面だろう。挑戦段階では取りこぼしが結構出そうだ。
中盤に長めの両手アーク地帯あり、絡まるような難解さは無いがやや忙しない。〆は完全に手がクロスするので注意。
片手アーク中にフロアノーツがアークの下に潜り込む配置も序盤から多用されるので、良い練習譜面になるだろう。曲も非常に良い。
Memory Archiveなので気軽に単曲買いが出来るのも良い。
お勧め度……★★★
終始ハネリズム。私的にはお排泄物譜面ですわね、といったところだ。ハネリズムは人を焦らせる効果がある。
ハネリズムの忙しなさでメンタルを削りながら捻りアークでコンボを切らせる形だ。普段より譜面速度の設定を0.2とか落としても良いかも知れない。
全体的な配置だけ見ればかなり易しい部類なものの……あまりお勧めはしない。
挑むのであればハネリズムを無視して雑に8分・16分で捌くと楽だろう。曲が好きで超ノリノリでぶっ叩けるのであればその限りではないが。
World Extendのため未解禁時の初期費用が高いかとも思ったが、-1と-2のWorld Extend曲は5曲……他の曲と合わせて好きなものが多いならば選択肢。
お勧め度……★☆☆
アークが絡んだ時のフロア・ロングノート処理に難易度が一極集中した譜面。アークが無い場面は全体的にLV8の中で見ても易しいような配置だろう。
弧を描くアークの内側にフロアが降って来る配置も多く、指交差の練習用譜面として適性が高い。
Crimson SolaceパックにはFlashbackという神曲もあるので購入をお勧めできる。
まあ、もう1曲のLV9とLV10の2曲は挑戦段階の君が太刀打ち出来る譜面ではないが。
お勧め度……★★☆
・Give Me a Nightmare
またアリスシャッハ曲。前曲と違いこちらは比較的フロア・スカイが忙しめ。あくまで比較の話であり、全体的にはなかなかバランスの良い配置と言えるのではないだろうか。
開幕からの配置を処理すると100コンボ辺りで逆手(赤アークを左手で取る)になりそのまま進行するので焦るが、ロングノートが来たタイミングで解決出来る。
サビ入りと同時に来るジグザグしたスカイは4分間隔(フロアを叩くタイミング)で指を左右に振るだけなのであまり慌てなくて良い。
収録パックはWorld Extend。
お勧め度……★☆☆
・Iconoclast
アーク主体。なんなら開幕から両手でカクカクしたアークが降って来る。とりあえず開幕のアークが完璧になるまで練習しても良いまである。
全体を通して概ね練習向きなのだが、いかんせん曲の全体像を掴めないうちはリズムがやや難しく感じてしまうところだろう。
終盤は12分縦連からの16分乱打などがある。その辺りも含め曲の流れを覚える前と後で体感難易度が大きく変わりそう。
Vicious LabyrinthパックはArcaeaの根幹に関わる楽曲パックでありお勧めしたいのだが、平均難易度の高さがネックである。最低難易度がこの曲の9であり、他の曲は全て9+以上だ。
・Jump
曲名通り、サビで跳ね回るのが非常に楽しい譜面。両手アークで交差有り、片手アーク押さえながら空いた手の左右振り有りで、アークの絡む色々な動作に対する入門譜面の1つだろう。
ただし、アーク主体譜面の常だが個人差が大きい……そうだな、君は無料曲LV7のSuomiを愛せただろうか。愛せなかったならちょっとお勧め出来ないかも知れない。
Ephemeral Pageパックは平均難易度が低く、LV8が2曲、LV9が3曲もある。私的に大好きなボーカル曲2つ(Beside You、Alice's Suitcase)があるのでお勧めしたい。
お勧め度……★★☆
完全な私事だが、この曲をプレーしているとジミーサムPのNo Music, No Lifeが聴きたくなるんだよな……。
ゴリ押す分には密度も低くて楽な譜面。ノーツを交互で綺麗に捌こうとすると指の置き換えが必要になり急にややこしくなる譜面。
アークの配置にあまり難しい箇所は無いので、脳死プレーする分には9最弱なのではないだろうか。
収録パックはWorld Extend。ううん、やはり挑戦段階ではあまり購入する価値のある楽曲パックでは無いような気がする。けど上達した後だと今度は平均難易度が低めで物足りない。微妙なパックだなぁ。
お勧め度……★☆☆
以上、全曲それぞれほぼ1発プレーのみで思った事を雑に書いた次第だ。
気が向けば-1枠にも言及したいところではあるが、まあ本当に気が向けばの話。
わりあい辛めの評価(特にWorld Extendについて)をしている部分もあるが、ひとえにこのArcaeaというゲームを愛しているが故なので平にご容赦願いたい。
では、私はPRAGMATISM[BYD]のEX狙いに戻る。皆様、どうか良いArcaeaライフを。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になるから差別そのものになる。
VTuberというのはVirtual YouTuberという意味からすると、基本YouTubeを活動にするものと普通は考える。
しかしながら、今やその活動の場はつべに限らず、色んなサービスやイベントで見かけるようになってきた。
具体的に言えば、基本無料視聴可能な動画配信サイトでも、つべだけでなくTwitch、ニコ動などがあり、
他に課金限定の有料配信も複数あり、リアルにハコを借りてのライブ(+配信)ももちろんある。
そうなると、あるVTuberがつべの他に色んな所で活動するようになると、もっと具体的にはカバー曲を歌うようになると、
権利上、サービスによっては歌えない曲があったり、場合によっては会場に客を集めてのライブ以外では披露できない歌が出てくる。
まあVtuberが存在しないどころか、配信主流の時代が来る前であっても、CDに収録されない曲があったことを思えば、
当然の流れなのかもしれないが。
その中で、特にYouTubeの無料配信で行われる歌枠や3Dライブで絶対に歌われず、個人的にとても残念なのが、アイドルマスター関係の楽曲だ。
特に、先日発売の1stアルバムが、各種ウィークリー国内DLランキングで首位を獲得したことで話題の星街すいせいが、某VRライブで歌ったTrancing Pulseや、
すいちゃんの所属事務所の後輩である桃鈴ねねがやはり同じVRライブで歌ったOTAHEN アンセムとか、どちらも非常にマッチしていただけに、また聴きたいことこの上ない。
どちらも期間限定の有料配信で、今の所ソフト化の予定は出てきていない。
他にもアイマス関係は、気がつけば21世紀の代表的タイトルに数えられるくらい歴史を重ねているだけあって、本当に神曲が多い。
キャラデザがいい(個性的。アクセサリーが実施のうまに関連している)
作画がいい(アニメ1期がPA制作、2期は違う制作会社だがほとんど作画が変わらない)
個性豊かなキャラ(実際の競走馬なのでドラマや背景があり深い)
ほんへに散りばめられた競馬ネタ(気になるところを調べると実際の競走馬のエピソードからとっていることが多い)
史実に忠実(マックイーンとゴルシ、ルドルフとトウカイテイオーなど実際の家系が反映されている。調べると面白い)
熱い(挫折があってそれを乗り越える展開が熱すぎる)
実際の馬がかわいい(気になったキャラを調べるとYoutubeに馬の動画があるので、見てみると可愛い。馬ってこんな可愛かったっけ?、となる)
全くですよね。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になりますよね。
たとえフェミニストや性嫌悪者が少数であっても公共の場所では配慮されるべきだろう。
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はコンゴでの黒人弾圧を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になるのと同様に、
「我々は性的客体化を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミや性嫌悪はここに来るな」という無言の主張になる。
それを我慢させていたら却って多様性の実現からは遠ざかるのであり、そうならないためにも性的なポスターはむしろ積極的に排除していくべき。
表現の自由戦士は「自由権とは不快を我慢させる権利である」と言うけれど、
「我々はナチズムを肯定しています。だからユダヤ人はここに来るな」という無言の主張になるし、
市役所の前にネイサン・ベッドフォード・フォレスト(KKK創設者)の銅像が飾られていたら
「我々は黒人差別を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は十字軍を肯定します。だからムスリムはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にコロンブス像が飾られていたら「我々はネイティブ・アメリカン弾圧を肯定します。
だからネイティブ・アメリカンはここに来るな」という無言の主張になり、
市役所の前にダンテ像が飾られていたら「我々は神曲におけるムハンマドの扱い(聖書を歪めて解釈したとして地獄に落とされている)を肯定します。
「我々は白人至上主義を肯定します。だから黒人はここに来るな」という無言の主張になり、
「我々は脱亜論を肯定します。だから中国人や韓国人はここに来るな」という無言の主張になり、
国会議事堂前にオリバー・クロムウェルの銅像が飾られていたら「我々はアイルランド虐殺を肯定します。だからアイルランド人は議員になるな」という無言の主張になり、
市が萌え絵で町起こしをしていたら
「我々は萌え絵を肯定し、牟田和恵氏や小宮友根氏の主張を否認します。だからツイフェミはここに来るな」という無言の主張になる。
私たちがファンフィクションについて話すとき、私たちはめったに「ジョンミルトン」とは思いません。 それでも、サタン(聖書ではほとんど言及されていない)を連れて、この倒れたアーチフィーンドをアンビバレントで壮大なヒーローにする彼のパラダイスロスト(1667)にどのように近づくのが良いでしょうか? ウェルギリウスのアエネーイス、オウィディウスの変身物語、ダンテの神曲、スペンサーの妖精の女王、その他の無数のテキストやジャンルから借りた技術とテーマに基づいて構築されたミルトンは、古典とルネッサンスの形式を再混合して、英文学の(おそらく)最高の設定に聖書の宇宙を作り上げました フィリップ・プルマンが信じている詩は、[「決して超えられない」」。
DeepL翻訳
ファン・フィクションというと、「ジョン・ミルトン」を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。聖書にはほとんど登場しないサタンを、堕落した弓矢のような存在であるサタンを、アンビバレントな叙事詩的ヒーローに仕立て上げた『失楽園』(1667年)に、どのようにアプローチすればよいのだろうか。ヴァージルの『エニード』、オヴィッドの『変身』、ダンテの『神曲』、スペンサーの『フェアリー・クイーン』など、数え切れないほどのテキストやジャンルから借りた手法やテーマで構成されたミルトンは、古典とルネッサンスの形式を再構築し、聖書の世界を英文学の(おそらく)最高の詩の舞台に仕立て上げました。
みらい翻訳
ファン・フィクションのことを話すとき、 「ジョン・ミルトン」 とはめったに思いません。しかし、悪魔 (聖書ではほとんど言及されていない) をとり、この倒れた大魔王を両義的で叙事詩的な英雄にする失楽園 (1667) に近づくには、どうしたらよいのだろうか。Virgil's Aeneid、Ovid's Metamorphoses、Dante's Divine Comedy、Spenser's The Faerie Queene、その他無数のテキストやジャンルからテクニックやテーマを取り入れて構成されたMiltonは、古典とルネッサンスの形式をリミックスして、聖書の世界を英国文学 (おそらく) の最高の詩の舞台にし、Philip Pullman [n] が 「超越される」 と信じているようなものにした。
[“n]ever be surpassed”.とか訳しにくそうだな。
もう少し仔細な話をすると、2chというか、オタクな界隈で「擬人化=モノや概念の美少女化」というふうに通じる時期があった。今はもっと多様と言っていいだろう。
当時流行っていたのは、覚えている限りだと、下妻市のシモンちゃん、びんちょうたん、当時ネコミミ新幹線として話題を呼んだファステックたんなど…
書いてて思い出したが、当時はやたら「たん」付けが流行っていた。
そうした後、擬人化たん白書なる書籍が販売されたりと、擬人化界隈は小さな広がりを見せていた。
商業化という面では、エロゲの題材のほかに、鉄道むすめなどある程度成功しているものもあるが、明確に大規模なマーチャンダイズが行われたのはおそらく、ヘタリアが契機のように思う。
AKB48やアイドルマスターがおよそ2005年、ヘタリアはおよそ2006年。この辺りで、通信デバイスの進化と趣味の個立化によって「キャラがいればいるほど、一人以上の推しがつく」時代に入る。
擬人化においてヘタリアがもたらしたもう一つの意義は「語らざる背景」にある。
これはこの後の擬人化のビッグマーケットである「艦これ」、「とうらぶ」などに通ずるが、単なるモノの擬人化に対して、「国」「艦艇」「刀剣」には、その名の由来となる歴史(背景)が付随することとなった。
これにより「最初のキャラ造形とその後の保守さえ矛盾なく頑張れば、残りのキャラの(膨大な)コンテクストは各自で拾ってくる」という、実に効率的かつ大胆大規模な商品が生まれることとなった。
上手いやり方なのだ。例えばネットで流行ったMeたんのキャラなどは、どこまで行ってもスーパーフリーズ現象ぐらいなものだ。他は同人で膨らませるしかない。
だが、のちに「ナマモノ」とも言われるこれらは、取扱注意がある反面、物語は湧いて出てくる。
しかも種類が多い。莫大な数だ。四十七士や48人どころではない。
かくして大量消費社会にあって物語を湯水のように消費するマーケットができた。
かつてあった擬人化たん白書を今作るなら、野球名鑑やタレント名鑑の厚さを超えてしまうだろう。そんな歴史をひたすら消費してきた。
そこにまた新たなナマモノ消費がやってきた。
ウマ娘だ。
やっとウマ娘の話だ。
それを、おそらくは初っ端から、しくじっていた。
もちろん実際にどういうやりとりがあったかは想像するしか無いが、企画先行で、根回しが足りていなかった(ないし認識が甘かった)可能性はある。
それはそれとして、プロジェクトとしては続行となり、擬人化が好きな筆者としては、新たな商品にワクワクした。
ギリギリオグリキャップはしらず、マキバオーを読んでこなかった筆者は、それでもディープインパクトとハルウララ、そして何故かテイエムプリキュアは知っていた(確かエリ女で二着だった年で、知人が名前買いしていた)
せっかくの競馬擬人化ながら、当世最強の名高いディープインパクトが、噂ではトラブルで出せなさそうという話は、ちょっと残念ではあったが、
その後jraの2011-2013の激アツcmを見てからは全く気にならないどころか、その辺りはドンピシャで出てくる娘が多く、期待は高まった。
その後この期待は乱高下することになる。延期の発表、アイマスの有名Pの参加、その脱退、コンテンツ広報であるぱかチューブの勃興と黄昏、カンリニンチャンの失踪…
それでもウマ娘を待ったのは、擬人化コンテンツが好きで、一期のアニメが良かったからに他ならない。
この頃には、ウマ娘を契機として今の競馬を追うようになっていた。
まさか2018JCを目の前で見る日が来ようとは思わなかったが。
この時点では、擬人化コンテンツとしてのウマ娘を待ち続けていた。
だから、ゲーム内容はそんなに気にしてなかったのだ。多少面白ければよい。第一「クオリティアップのための延期」はあまり良い予兆では無い。まず安全にリリースをして欲しい。擬人化コンテンツの消費がしたい。
そういう思いだった。
2020年度。
コロナ禍吹き荒れる競馬界でいくつかの奇跡が起きた。キセキはあまりいい成績ではなかったが。
ディープインパクト以来の無敗の三冠馬・英雄の子コントレイル、史上初の傷なきトリプルティアラ・神威の子デアリングタクト、そして全ての記録を過去にせん勢いで疾る灼熱の少女・平成最後のアイドルホース、アーモンドアイ。
この三帝が一堂に会するJCは、今後100年は見ないだろう。
障害戦線では、老いて尚壮健な黄金の血統・オジュウチョウサンが記録を打ち立てていた。
カンリニンチャンが帰ってきたのだ。
この時点でも、ウマ娘は、擬人化コンテンツとアイドル要素の融合ぐらいに思っていた。
それは、最初の開発からは感じられなかった点でもあり、しかし競馬そのものを擬人化の範としたときに不可欠な要素だった。
そしてそれは、二期のアニメを経て、GIRLS'LEGEND Uで高らかに掲示された。
顔のいい女の子たちが、頑張るぞーってなしかめつらで、とっとこターフを走る光景は、ついに裏切られた。
相手を食い殺さんばかりの気迫、道々宿敵をねめあげる眼差し、食いしばられる歯、揺れる大地、高速で過ぎゆく背景。
それでも、レースを通して、シナリオを通して、曲を通して、「勝つことの意義」に魂を宿そうという意図が受け取れる。
そして、それを説得させるだけのゲーム映像技術を持ってきたのには舌を巻いた。
そうして、競馬そのものを追体験するようなゲームの熱が、今日このように広がって行くようなことは、全く予想しなかった。
ウマ娘で言えば、前評判のいいサイゲ屋のパンケーキを注文したら、ちょっと作り直すと言われたのだ。
焦がしたのかな?トラブったような音も聞こえた。まぁ食えるのが出ればいいや。変なものは出るまい。
そうして出てきたものが、行列ができるレベルの至高のパンケーキだったのだ。
魂消る。そりゃ魂消るさ。
ウマ娘がリリースされてまだ一ヶ月も過ぎていないが、自分の中では、このような擬人化史が去来していった。
ウマ娘を通しての競走馬の育成シミュレーションとしては、おおよそパワプロのようなシステムなので、こういうシステムが苦にならない人には向いている。あれもアスリート育成だしな。
その上で、シナリオ内で、史実の競走馬についてくる物語がなかなかどうして、熱い。
歴史を超えるリベンジなどというのは艦これに引けを取らない熱さである。
艦これとの比較として、お祈りゲーであることは同じであるが、大艦隊のうち6艦艇を率いるため育成が平らであるのに対して、ウマ娘は一アスリートを根から育てることとなり、まさに密である。一頭との濃密な関係が、レース本線を熱くする。
かつ、この娘たちが今「生きて」いて夢を「夢のまま終わ」らせないチャンスがある。
パクリ元→ https://anond.hatelabo.jp/20210212080317
だって楽しそうだったから...(自分は文学的な教育は受けてないし、誰かと読んだ本の感想を共有することなんてないので、元増田に文学サークルとか友人とか出てくるのがうらやましい)
ネタバレありだけど、ちゃんと確認せず書いてるので記憶違いがあるかも。あと、後半になると全然読んでなかったわ。
オデュッセウスがトロイ戦争から帰る途中で船が難破して右往左往頑張るのを眺めるお話なのだけど、勇敢で直情的な普通のおっさんなので苦労するところは苦労してて良い。あと、イリアスと比べても昔の神話らしく出てくる人物とか神様の類がガチで理不尽なので良い。話がズレるけど、イリアスにはディオメデスというやつが主人公然として出ずっぱりなのだけど、オデュッセイアの回想には全く出てこないし、アガメムノンとかアイアスとかと違って他の作者の物語にも出てこないのだけど、あいつなんなん?
途中で読むのをやめた記憶がある。
エディプスコンプレックス(父親に対向心を燃やし、母親に恋慕する、的なやつ)の語源だと聞いて読んだら、全然そういうノリの話じゃなくて「へぇ」ってなったやつ。オイディプス自身は預かり知らぬところで運命に弄ばれて、最後にはすべてを理解してしまって絶望する可哀想な話なのだけど、どうでもよいことで人を殺したことがトリガーでもある(それも運命ではあるのだけど)ので、自業自得感もある。気楽に人を殺してはだめ、絶対。シェイクスピアの悲劇とかもだけど、「100%落ち度がない悲劇の被害者」ってあんまり昔の物語には出てこないね。
タイトルすら知らないやつ、その1
いまいち印象に残ってないけど、なんかずっと酒を楽しんでて幸せそうだなって思ったような気がする。
地獄編の半分くらいまで読んだ。作者(ダンテ)が古代の詩人だか哲学者だかに褒められて地獄めぐりを導いてもらうところから始まって、自分の嫌いなやつ(政敵とか批判者)が地獄で苦しんでるのを巡ってはひたすら口汚く罵って回るという、その性格の悪さというか根暗さに嫌気がさして読むのをやめた。原文だと詩的というか言語的な美しさとかあるらしいけど、こちとら娯楽としてしか本は読まないので日本語で読むからそんなん知らん、こいつは陰湿。
確か冒頭に「酒でも飲みつつゲラゲラ笑いながら聞くためのもんだから」みたいな説明が入るのだけど、そんな感じ。すごいでかい巨人の話だけど、家を椅子にしたと思ったら小便で洪水を起こして家を押し流したりするので、巨人としてのサイズも大概統一性がないんだったはず。なんか「人間の絆」だったかで、大真面目なキャラがラブレーを手放さなかった、みたいな描写があった気がするのだけど、ニュアンスがわかるようなわからんような...と思った記憶がある。
シェイクスピア作品は、意図はどうあれよく「様々な作品の元祖とも言えるものなので、読むと後続の作品がより楽しめる」的に紹介されるのだけど、普通に単体で楽しめると思う。そもそも、別作品を読んでて「あ、これシェイクスピアで見たやつだ!」ってなったからって楽しいか?という感覚が個人的にはある。ひとつ上にラブレー云々も別に良い要素だと思わなかったし。で、ハムレットはシェイクスピアの戯曲の中でも登場人物の精神性の完成度が一番高いと思っていて、劇的さでは「オセロー」とか、キャラクターの鮮烈さでは「リチャード三世」とかには劣るかもしれないけど、舞台装置としてのキャラクターではなく、"異なる価値観、教育etc...の元に自分で考えて行動する登場人物たちがつくる物語"としての面白さが本当に高いと思う。歴史的価値とかは忘れろ、楽しめ。
パルケエスパーニャにいた。
巻末の解説すら読まないことが多いので、アイルランド云々の話をパクリ元で見て「そうだったんだー」ってなった。それぞれの国には短編小説くらいの分量しか滞在しないので、それぞれ短編SFとか的なノリで読んで面白かった記憶がある。自分は自然科学系の研究者なので、科学なき探求(無為)をひたすらやってる国の印象が強い。なんかおまじない的なやつで作物の収穫量が増えるのでは?ってそれを試してるんだけど、当たり前に効果はまったくないし、それを評価するというプロセスが存在しないので無限に無為を繰り返してた。
タイトルすら知らないやつ、その2。
「目玉の話」は読んだけど、その結果として「悪徳の栄え」は読まなくて良いかな。ってなったやつ。
最強天才のファウスト博士が悪魔と契約して、「悪魔の力で楽しませてやる代わりに、人生楽しみきって満足したら魂もらうからな」って契約をする話なのだけど、すべての学問を修めた最強天才のはずのファウスト博士は普通に精神的に未熟なおっさんなので、酒飲んで暴れたり恋愛ごとやったり神話的な体験したりと色々していくなかでの言動がいちいち子供じみてるのが面白い。最後の理想国家のために働く的なパートでいきなり聖人的になってたり、全体の流れが説教臭いのが多少鼻につくのだけど、ラストシーンの迫力は自分の読書歴の中でトップクラスだと思う。ちなみにこの作品は「時よ止まれ、お前は美しい」って言葉の元祖なのだけど、これってファウスト博士からの「この世界を楽しみ尽くして満足した。これ以上の瞬間などこれ以降はありえない(だからもう魂を持っていって良いよ)」という悪魔への宣言で、なんかラブロマンス的なシーンで使われてるの見ると、「ん?」てなるんよね。
「面白かったな」という感想を持った記憶はあるのに内容はまったく思い出せない。なんか年上美人と若者が恋愛する話だったと思う。多分登場人物が本気で生きてる感があって各シーンは面白いって読めたけど、全体の流れにはさほどの興味が持てなかったタイプの話だと思う。
うだつの上がらない貧乏役人のおじさんが一念発起して外套を新しく買うのだけど、可哀想な目にあう。っていう胸糞の悪い類の話。どこかユーモラスなので面白がりつつも、「可哀想じゃんヒドイよ!」って思いながら読んだ。みじめな人間をみじめな人間の視点で描ききるって案外すごいことだと思う。でもゴーゴリのナンセンス小説ならもっとポップな「鼻」のほうが好きだし、大真面目な雰囲気でナンセンスをやっている感のある「死せる魂」も良い。死せる魂は未完だけど、なんだかんだ一つのエピソードがちゃんと完結してるので、未完だからって敬遠しないで良いと思うよ。
タイトルとあらすじを知ってて、なので読んでいない。
主人公の女性の半生記的なところがある物語なのだけど、主要登場人物であるキャサリン(主人公)やヒースクリフの主観的感情があまり描写されない(まったくされない?)ので、なんかヒステリックで意味不明な言動のキャサリンと内心が読み取れないヒースクリフが読者を置いてけぼりにしながらすごく力強くて迫力があって得体のしれない物語を作っていく話だったと思う。主観的情報がないからこそ感じられるキャラクターたちの感情の力強さってなんかあるよね。
クジラに関する雑学(どう考えてもガセのものがある)がしょっちゅうはいってくるクジラ漁船の物語(体感で全体の3割)。エイハブ船長とクイークエグのキャラクターの良さを傍観者主人公の視点で楽しむ感じだった気がする。ラストシーンの映像的な迫力は「ファウスト」のラストシーンの迫力にも匹敵するものがあると思う。文章の映像的迫力ってなんよ?って自分も思うけど、なんかそういうのはあるんだ。多分。
間違えなく読んでるし、面白かったと思った記憶もあるけど内容が思い出せないやつその2。多分、貴族の恋愛ものってジャンルはいろんな作品があるので、自分の中でごっちゃになってるところがあるんだと思う。あらすじを読むとなんとなく思い出すのだけど...
ディズニーの映画って、ノートルダムの鐘とかを筆頭にとんでもなく改変されてるもんだけど、不思議の国のアリスについては、その「不思議の国」感は素敵に映像化されてると思う。一方で、原作の「ひねくれイギリス人が伝わるかどうかは無視してそのアイロニーを子供にぶつけてる感」はなくなってるので、そういうひねくれたおっさんのノリのために読んでみても良いと思う。
ドストエフスキーはノイローゼ(死語)患者の独白を描かせると人類史最強だと思っているのだけど、この作品でも割とそういうところがある。ノイローゼ感のヤバさだけなら地下室の手記とか白夜でも良い。でも個人的には「罪と罰」の主人公の単純なノイローゼ患者ではないせめぎあい感が一番好き。
由緒ある一家が没落していくんだけど、正常化バイアスなのかなんなのかどこか他人事で、お母さんなんて特に事が進む毎に悲しんではいるんだけど、一切その精神性が変わらなくて(成長しなくて)、「多分この人死ぬまでこうなんだろうな...」感があってすごい。ラストにお年寄りの使用人に対する家族全員に関するシーンがあるのだけど、それがすごい印象的で、チェーホフの他の作品や戯曲を抑えてこれが良く代表作として出てくるのはこのシーンのせいだな、って個人的には思ってる。自分はチェーホフは戯曲より小説のほうが好き。
5冊だか6冊だかにのうちの一冊目だけ読んで続きを読んでなかった。忘れてたわ。
読んだけどあんまり好きになれなかった記憶がある。カフカは基本的にキャラクターに人間味がないのが面白いところなのだと思っているんだけど、「変身」とかの短編ならともかく、「城」とかこれくらいの分量になると、人間味のないお話は自分には楽しめないのだな、と思った。
読んでないけど、なぜかあらすじは知ってる。
読んでない。「ダブリン市民」があまり楽しめなかったという記憶があって手を出していない。ダブリン市民はどんな話だったか覚えてない。
結核患者の療養施設であるところのサナトリウムで生活するおっさんの話。ワナビー小説家だか学者だか(主人公ではない)のエピソードや、立派な紳士とその子供の印象的な挿話があったかと思うと主人公と別の患者の哲学かなにかの論争がてんやわんやあったり、女性患者との恋愛未満関係の話があったりと色々な要素がある。ただ、どの部分でも人物の精神性についてバリエーション豊かで不思議なリアリティのあるキャラクターが独特な言動をするので楽しめた。でも、突然こっくりさんをはじめたときは「作者どうした?」って思ったよ。なんなら今でも思ってるよ。
タイトルすら知らないやつその4にして作者名も知らないやつその2。
タイトルすら知らないやつその5にして作者名も知らないやつその3。自分は1900年あたりを境に新しい作品に苦手意識があってあんまり読んでないんだなって実感する。
このへんはすごい現代的なんだけど結構好き。現代的というのは勝手な自分の定義なのだけど、この辺の世代になるとやっぱり文章が少なからず技巧的になって、観念的な表現とか比喩とかが増えてくるので、「うるせぇ、自分の感情はもっとわかりやすく説明しろ!」って要求をしたくなるのだった。でもこの話は割とそれでもなんだかんだ心理がわかるので楽しめた。
このお話はすごい好き。南北戦争前の南部(黒人がバリバリ奴隷として使われてる時代・地域)のある町にトマス・サトペンというヤバげなおっさんがやってきて領地を開拓し、南北戦争を挟みつつ色々する話なのだけど、時系列で出来事を追っかけずに何人かの周囲の人達の回想などでだんだんとそのおっさんの人生の全体像を見せてくる構造になっていて、ただのヤバげなチンピラおっさんだったサトペンが、相応の過去と野望をもったクソチンピラになっていく(自分の中で)のがすごい迫力満点で面白かった。この作者の有名どころの読みにくさは、「響きと怒り」>「アブロサム、アブロサム!」>「八月の光」なので、この逆順に読むのがおすすめ、短編集から読むのも良いけど、「ウォッシュ」だけは「アブロサム、アブロサム!」のネタバレだから後に回すのがおすすめ。
タイトルすら知らないやつその6にして作者名も知らないやつその4
そこまで好きにはなれなかった。説教臭さとも違うなんか面倒臭い思想みたいなものが全体に漂ってる感じで、個人的にはそれが鼻に付いたんだろうなぁって思う。
読もうと思ってたけど読んでなかったのを思い出した。読もう。
なんか意味がありそうで(少なくとも自分が考える限りは)何も意味がないという、意味ありげさで成り立っている戯曲。ただ、それぞれのシーンが映像としてかなり印象的なので、その力でのめり込みながら読んた。で、読んだあと思い返すんだけど、結局何がなんだったのかイマイチわからないのだった。偉そうなご主人様とその奴隷のシーンとかあったけど、結局なんだったんだあいつら。
タイトルすら知らないやつその7にして作者名も知らないやつその5
読んだはずだけどちょっと印象が薄い。同じ作者の「愛人」がそうだったと思うのだけど、登場人物の心情描写が変に淡々としていて、でも行動はどこか直情的で不思議だなぁと思いながら読んだ気がする。その不思議さを楽しむのかな。なんか村上春樹の小説の登場人物の行動を感情的にしたような感じ。
タイトルすら知らないやつその8にして作者名も知らないやつその6。自然科学の研究者なのにSFは全然読まないのだった。でも、SFに興味のない研究者って外部の人が思うよりは多いと思うよ。そもそも本を読まない人をおいておいたとしても。
ラテンアメリカの文学って魔術的リアリズムとかなんとかって、「なんかありそうにない魔術的なシーンだけど、不思議とリアリティがある」みたいな評価がされてるらしいのだけど、それってヨーロッパ人の感性で日本人はヨーロッパ文学も大概魔術的なものとして受容してるところあるよなって思う。ただ、それはともかくとして、この作者の作品ではその言葉がしっくりくるとは思う。同じ作者の「族長の秋」とか短編の「エレンディラ」とかは割とお話全体のストーリーが意味と(場合によっては)ある種の寓意を持っているのだけど、この作品だけは全体の流れとかはあまり意味ないんじゃないかと個人的に思う(何度も読めばなにか見えるのかもだけど...)。それぞれのシーンをただただ楽しんでいたら、読む前に覚悟した長さの4分の1くらいの体感長さで読みきっていた。
タイトルすら知らないやつその9にして作者名も知らないやつその7。なんかすごそうなあらすじだね。
詩はたしなまないから知らない。ツエランはなんか親が読んでて好きだと言ってた気がする。ブレイクって多分宗教画を描く人でもあると思うんだけど、この人の絵はどっかで見てすごいなぁって思った気がする。
ちなみに、「哲学・思想」のパートと「日本文学」のパートは両方合わせても5~6作品しか読んでなかった。多分後30年経ってもさほど増えないだろうなと思う。