はてなキーワード: アルチュール・ランボーとは
あれー?おっかしーなー?
80年代当時、詩人のアルチュール・ランボーからとった、自分は敬意を表して「らも」と訛ったのだ、って当時の酒のCMで軽々しくランボーの名を出してるのに怒った、てきいたけどなー
神は天にいまし すべて世はこともなし
もとは「ピッパの歌」という詩で、ピッパという少女が「朝露がきれいで雲雀が飛んでいて蝸牛が這っていて天には神様がいる、なんて平和なんでしょう」と歌いながら街を歩くと、その純真さに感化された悪人たちが改心していく、という内容らしい。
巷に雨の降るごとく わが心にも涙降る
かくも心に滲み入る この悲しみは何やらん
天才美少年詩人アルチュール・ランボーと同性愛関係にあったヴェルレーヌが、痴話喧嘩からランボーの手をピストルで撃ってしまい、収監されたときに獄中からランボーに捧げた詩、ということだそうで、ひたすら悲しみをうたっている。
ナンシー・ウッド
「めっちゃ穏やかで幸せだからいま死ぬのが最高だね」という内容の詩。ネイティブ・アメリカンと交流していたウッドが、彼らの言葉を詩のかたちにしたものという。どこまでウッドの意図が混じっているのかわからないが。
于武陵
直訳すれば「人生に別離は多い」だが、この井伏鱒二の訳が広まっている。元の詩は、友人との別れの席で酒を勧めながら、花が風雨に耐えて咲くように、人も多くの別れに耐えて生きるものだ、と慰めている内容のようだ。
汝ら強き者どもよ 我が業を見よ そして絶望せよ
砂漠に崩れ落ちた石像があり、その台座にこの言葉が刻まれている。冷酷な王が自らの業績を誇る内容だが、その石像の周りにはもはや何もなく、遥か彼方まで砂漠が続いているだけだ。というような内容の詩だとか。諸行無常ですね。
この門をくぐる者は一切の望みを棄てよ
叙事詩『神曲』で描かれる、地獄の入り口にある門に掲げられた銘文。「この門をくぐれば悲しみと痛みと亡びがある。この門を造りしは神の力と智慧と愛である。この門は最初に造られ永遠に立っている。この門をくぐる者は一切の望みを棄てよ」といったようなことが書かれているらしい。
なんか他にある?
両大戦間のヨーロッパで広く展開された総合芸術運動。この名称は1917年詩人ギヨーム・アポリネールが、自作の戯曲の装置を担当したパブロ・ピカソの舞台美術を指して言ったことに由来するが、24年アンドレ・ブルトンが『シュルレアリスム第一宣言』において、精神分析的な考察を加えた「夢の全能性への信頼に基づく」芸術の総称へと採用し、以後も指導的役割を演じた。
マニフェスト的にはロートレアモン(イジドール・デュカス)やアルチュール・ランボーの強い影響下にあった「シュルレアリスム」は、当初は文学運動としての側面が強かったが、「オートマティスム(自動記述)」の理念は造形芸術にも強い影響を及ぼし、20世紀美術の一大潮流を形成した。
代表的な人物にルイ・アラゴン、ポール・エリュアール、アントナン・アルトー、ルネ・シャール、ルネ・マグリット
サルバドール・ダリ、マックス・エルンスト(ともに後に除名)、アンドレ・マッソン?、ジョアン・ミロなど。
パリを拠点に活動していた多くの作家は、30年代末にはナチスの台頭によってアメリカに逃れ、アーシル・ゴーキーという最後の後継者を見出した後に終焉を迎えた。
シュールは終わったのだ。