はてなキーワード: 大英帝国とは
織田信長がウィッチ(森蘭丸、少女でウィッチ)によって暗殺を免れ、海洋大国として栄えた国。西はインド洋や東南アジアでブリタニア(大英帝国)とドンパチ、東は北リベリオン大陸(北米大陸)に入植するなどのチート国家。
ウィッチが脚に履くストライカーユニットは、1・2期主人公の父親が開発した。
1話にもチラッと出てくる「南洋島」は、太平洋に進出した武士団が発見した無人かつ資源豊富な島で、本土よりも広大。ぶっちゃけ満州。
中国大陸・朝鮮半島は荒涼とした大地が広がっているが、浦塩(ウラジオストク)周辺も勢力圏。
あの世界の少女は「使い魔」と呼ばれる動物と契約することでウィッチとなる。
もともとはユニットを穿かせるにああいうデザインとなったが、作中では若い女の子ならアレが一般的らしく、ナースや村の少女ですらパン……ズボン丸出しである。
スカートのようなものを「ベルト」と呼ぶことがある。タイツのようなものは「ズボンの重ね穿き」。
海軍付属学校の制服故、着水してもいいようにらしい。が、軍属でない女学生も着ている。紺・白の他に臙脂色?も確認されている。
海軍は軍服の下にスク水だが、陸軍は丈の短い巫女装束っぽいもの+ズボン。
公式ではまず有り得ない。
メタな話、キリスト教が(おそらくイスラム教も)存在しない。詳細は省くが、ストライクウィッチーズの世界はカエサルが暗殺を免れたあたりから歴史に手が加えられており、民族紛争や宗教対立のない、または現実よりも悲惨ではないものとなっている。
戦後70年という節目を迎え、思うところがあったので。
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周知の通り、先日安倍首相が戦後70周年に合わせて談話を発表した。
私も今回の談話の内容、確かに素晴らしいと思う。
謝るべきところには謝っているし、譲れないところは譲らないと明記されている。
しかしどうにも腑に落ちない。
読んでいて違和感を感じる。なんだかムズムズしてくる。
その正体がやっと分かった。
よくよく考えてみればなにも談話に限った話でもなく、安倍政権そのものに対してずっと抱いてきたモヤモヤした不満でもあった。
それは政治家たちがまだ「日本はこれからも決して衰退せず、きっと栄光の内にある」という幻想に捕らわれていることだ。
というのもこれから日本がどんどん衰退していくことは、正直誰の目にも明らかである。
衰退に抵抗し成長を遂げるには、西欧諸国のような移民の受け入れ政策の実行など、日本の長い歴史の中で培われた価値観やアイデンティティーを捨て、新しい日本へ生まれ変わらなければならない。
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いきなり昔話を挟むが、
ビザンツ帝国のユスティニアヌス帝は、かつて栄華を誇ったローマ帝国時代の版図に執着し、対外諸国に向け頻繁に遠征を行った。
当然それが財政を圧迫してしまい、"超"長期的には帝国の没落を招いたのである。
第二次世界大戦中においてウィンストン・チャーチルは優れた指導者であったが、
戦後は世界各地の民族自立の潮流に逆らい、大英帝国を維持しようと躍起になった。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人は逮捕された。しかし「王妃と伯爵夫人は同性愛関係にあった」「本当は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
日本は強くなった
それは間違いない
今回は、ある程度研究されていたから、日本のいいプレーが出せなかった、ということ
これからは、研究されても勝ち残れるところまで強くなるのが目標だな
そのレベルまでいってようやく、フランスとかオランダとかのレベルに並べたってことになるんだろうね
いまはまだまだ、ノーマーク(奇襲)なら勝てても対策されたら手も足もでないレベルなんだよな
ここまでは、がんばれば来れる
まあ、これからも5回に4回くらいはWWに参戦して、3回に1回くらいは局地戦も突破するんだろう
それから、5回くらい局地戦突破したら、めぐりあわせのよかったどこかで戦勝国の端くれくらいまではいくこともあるんだろう
だけど、せいぜいそこまでだ
さて、こっからどうやってあげていくのかねえ
ま、最終的には勝ったとは言え、イングランドもベルギーもフランスもポーランドも対独戦で敗退したわけだし、
ま、70年後がんばりましょ
まずはじめに断っておくがこれは何も虚構新聞みたいなくだらないネタではない。
俺はあの手の誰も徳をしない、内輪ネタのマスターベーションが大嫌いな人間だという事をご理解願う。
そしてあなたが今日、ここを見ているという事は少なからず大日本帝国が掲げた戦略から見ても無視は出来ないはずだ。
大日本帝国は同じ島国の大英帝国が全世界の三分の一を植民地化したケーススタディをお手本に海南の支配という戦略を企てた。
しかし、その戦略はシーレーンに対する見識の甘さ、ロジスティクスをおろそかにした見識の甘さによって失敗した。
海戦当時、兵器ではドイツのジェット機、Uボート、日本の大鑑、零戦、空母などどれをとっても、兵器の近代化という点では枢軸国が有利だった。
ロンメル、三川 軍一など優れた作戦を遂行する指揮官も枢軸国には存在した。
マッカーサー、パットンなど連合国側の指揮官は決して優秀ではなかった。
これ以上、大東亜戦争の話しをすると長くなるし軍オタから色々と細かい意見を述べられるので割愛させて戴く。
今日、俺がいいたい事はたった1つ!
どこの誰がいったのかよく分からんが小見出しの言葉は俺の祖父の事をよく表している。
祖父はきっとインパール作戦の最中、今が最悪の状態だ。と心の中で思っただろう。
弾薬は底をつき、食料はなくなり、体力の弱った兵士を伝染病が襲う。
機関銃と火炎放射器で攻めてくるイギリス軍に雨で錆びた銃剣ひとつで勇敢に向かっていく兵隊。
この頃、日本はインド、シンガポールにおける制空権を完全に失っているので容赦ない空爆もうける。
平和ボケしている今のあなたがたには想像すら出来ない地獄絵図を、生前に祖父が語っていた。
その地獄絵図の話しを祖父は何故か、私にしかしなかった。父も兄もそんな話し聞いた事が無いという。
おそらく日の丸を背負って戦った兵隊の誇りがあるから祖父は他言しなかったのだろう。
大本営から退却命令が出てインパールから帰ってきたという事実は、けっして誇れるものではなかったのだと思う。
ではなぜ、祖父は私にインパール作戦の話しをしたのか?それは私が3才の時に戦争の話しを根掘り葉掘り聞いたからだ。
「かわいそうなぞう」という絵本を読んだ3才の私は戦争に対する好奇心が止められなかったのだ。
当時の私の好奇心といったら夜9時からはじまるドラマ「毎度おさわがせします」と「戦争」この2つしかなった。
兄が寝てる横の部屋で母と一緒にテレビの音量を下げて「毎度おさわがせします」を楽しく見ていたもんだ。
祖父は祖父で俺がまだ3才だからと油断してインパール作戦の事をぺらぺら喋ったのだと思う。
インパール作戦の地獄から生きて帰ってきた祖父の命を奪ったのは餅だった。サ●ウの切り餅
祖父はきっとインパール作戦当時、今が最悪の状態だと思ったに違いない。
しかし本当に最悪の状態というのは餅を喉に詰まらせて脳に酸素が供給されなくなり意識が朦朧としてきた時だった。
毎年、この時期になると祖父の事を思い出す。
この前「大学受験でTOEFL義務化!」とか言ってたのが立ち消えたかと思ったら、またなんかホッテントリにニュースが入ってたよ。
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20130404-00000471-fnn-pol
このへんと合わせて読むとたいへん興味深いよねーー
http://d.hatena.ne.jp/gorotaku/20130404/1365066300
TOEFLを「義務化」から「活用」までトーンダウンしたけど、ここまでほぼ脈絡もなく、根拠もなく(2つ目のリンク参照)、唐突にTOEFLゴリ押されるとなんかこう、裏を考えたくなっちゃうよね。 自分だけかなーー
これってさ、大学の受験、卒業要件にTOEFLを導入するとかいってるけど、単純に受験料だけ見ても、日本の大学生が2011年で257万人(もーめんどくさいから240万人にするね)、受験料がだいたい2万円とすると、全員が受験、卒業と2回の受験でパスする(そんなことはありえないけれども)としたら、
240万人÷4×2万円×2=約240億円
って計算合ってる? 桁、これで合ってる?って、ど文系の自分がパニックに陥るレベルのお金がアメリカのNPOに入るわけだ。なんてこったい。実際には何度もうける人がいるから、これの数倍にはなる。
センター試験の予算が100億円くらいだそうなので、まあ軽くその規模を上回るわけですね。
これだけでもアメリカの外圧を邪推するのに十分だとは思うんだけど、この自民党のTOEFLゴリ押しはやっぱりTPPとの関連で考えるべきだと思う。スピーキングスピーキング言ってるけど、コミュニケーション能力をはかる試験は他にもあるでしょう、と。IELTSとかさー ていうか英検だってスピーキングあるじゃん? そもそも100億円以上もかけるんなら、自前で英語の試験つくれるでしょーよ、と。
じゃあなんでTOEFLなのか。それは、これがアメリカの試験だからだよね。つまり、アメリカの基準で英語能力をはかります、と。
歴史的に考えてみても、新しい共同体(国民国家とか、国家間の共同体とか)作るときには、まず「言語」を統一するっていうのが基本なんだよね。近代だけで考えても、まずフランス革命後に「近代フランス語」をつくる努力が行われているし(ドイツもグリム兄弟ががんばったよねー)、あるいは最近で言えばEUが創設されるときもこれが大きな問題だったわけだ。何語を共通語にする?と。で、結局、全部を共通語にすることにしたんだけど、そうすると、それぞれの言語の習得っぷりにも共通の基準が必要になる。A国でB国人が働くとき、A国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準と、B国でA国人が働くとき、B国語がこれくらいできなきゃいけませんよーっていう基準が違ったら困るわけね。これが許されたら、ある種の障壁をそれぞれの国が作ることが可能になっちゃって、地域共同体つくった意味がないからね。で、それぞれの国でバラバラだった、その国の言葉を外国語として学ぶ時の基準とかシステムとかが共通化されていったんですね。たとえば「ヨーロッパ言語共通参照枠」とかでググると出てくるよ(わかりにくい訳語ですよねーー)
さて、まあそんなことを思い出してみると、アメリカが日本政府に「TOEFL導入しろ」って圧力かけているっていう仮説も、まあ、アメリカを中心とした地域あるいは経済共同体を作りたいからだと考えれば、ありそうな話だと思うのです。EUは一応他言語主義をベースにしているから、マイノリティの言語にも生き残る道はあるけれど、TPPって要するにアメリカ中心の経済圏をつくる構想だよね?(建前は違うかもしれないけど) そしたら「アメリカの英語」を共通語にっていう圧力かけられてもおかしくない。アメリカの英語の試験の影響力が強まるということは、アメリカの英語の影響力が強まるということでもあり、その影響力の強さはまたアメリカの地政学的な影響力の強さと裏表の関係にある。(そもそも英語が世界共通語になったのは、大英帝国の覇権→アメリカの経済/軍事大国化の影響だよね。まあ、それだけではないにしても)
ちょっと強い言い方をすれば、これはある種の「侵略」だ。この言い方が強すぎるとしたら、言い換えよう、「これからやってくる侵略の地ならしだ」と。
英語って「アメリカの英語」だけじゃないんだよねー イギリスも、カナダも、オーストラリアも、インドも、フィリピンも、公用語としている国だけでもいろいろあるしさ、そもそも、もはや「世界共通語」になっていて、非ネイティブが英語を話すことのほうが多い勢いだ。「ネットの共通語」でもあるしね。グロービッシュという造語もできたくらい。ほら、あれだ、古代アジアにおける「漢語」みたいな?
そんななかで「アメリカの英語試験」であるTOEFLを自民党が(たいした根拠もなく)ゴリ押すとしたら、やっぱりそれはアメリカに対する「外交的配慮」だと思うんだよね。
それでいいんすかね。
日本人が使うんだから、日本の基準で英語の試験作ればいいんですよ。その試験の有用性が低いんなら、それを改良していけばいい。「日本人が話して伝わる英語」は必ずしも「アメリカの英語」とは限らない。
これって、本来の保守層からしたら、立派な「売国」だと思うんですけど。てか、日本語守れや。むしろTPPの共通語に日本語入れるくらいの強気の交渉姿勢でお願い致します。(弱小言語は放っておくと死滅するのもまた歴史が証明しているわけで)
元増田です。
まあ確かに希望的観測が混じっているのは確かだし、英語マンセー派みたいな奴らはそもそも主張以前に心性が嫌いなのでバイアスがかかっているのは否定しない。あの連中の、何でも「欧米だから正しい、日本だからダメ」という態度は日本で頑張っている人間を馬鹿にしているし、何よりも「欧米」の中でも自分たちにとって都合のいい部分だけつまみ食いして「日本から出れば全て解決する」みたいなデマを煽る奴も信じる奴もとことん腐ってると思うからね。そんなにあんた達が言うほどみんな「グローバルエリート」になりたいなんて思ってないし、起業して金持ちになりたいなんて奴は最初から一握りだろうとか(ああいう連中の「起業」には町工場や飲食店を開くことは絶対含まれてないよね)。ああいう連中って団塊世代に生まれてたらよど号に乗って北朝鮮に亡命したり、そういう連中のシンパになってたりしてたんじゃないかって思うよ。
英語の国際共通語化に伴って、日本はハンデが大きくなっていく一方だけど、それを覆す方法はそもそも無いから、英語マンセーとか夢見ないでちゃんとハンデを織り込んで負け戦の損害を減らす方向で頑張りましょうね、論ですね。
まあ、負け戦を認めるならあなたの言うように撤退戦の戦略を考えることになるだろうね。いずれにしても、あなたの言うとおり「一旦崩壊したはずの大英帝国が再び世界を征服する」ということになるとしたら本当に憂鬱だね。そうなるくらいなら鎖国した方がよっぽどいいと思うしね(最近一般レベルでも知られるようになってきていているけれど、鎖国は日本人の「ガラパゴス」性を決定づけた誤りというようなものなく、西欧帝国主義から身を護るためのやむを得ない戦略だったんだよね。実際、日本のみならず中韓なんかも同時期に鎖国しているわけで)。
やれ英語の時代だ、やれグローバル化だということが近年安易に言われるが、ヨーロッパのような文化的に近縁な地域や旧大英帝国、また米国の勢力圏化にある中南米を除いてそのような流れが一般化しうるのかという検討が全くなされていないのは実に不思議だ。
そこまで判っているなら、結論は逆だろ。
「ヨーロッパのような文化的に近縁な地域や旧大英帝国、また米国の勢力圏化にある中南米、それに英語、仏語なんかが公用語になっちゃてる旧植民地国」を合わせると人口でも国家数でも半分超えちゃうんだよ。日中韓なんかでは確かに「そのような流れは一般化しえない」かもしれないけど、そんな地域は少数派なんだよ。地図帳と統計資料見ようぜ。インドとアフリカの人口なめんなよw
英語圏の文化を普遍的で上位にあるものとして強要しない限り、十分な英語力を得られない異文化圏の人間を無視して英語支配を正当化することはできない。
ってのが成り立つけど、真の多数派は、英米のような純粋な英語圏でも、英語が完全な異文化な日本のような地域でもなく、スペイン語、フランス語、ロシア語、ウルドゥー語etc.の「そこそこの努力で英語力を得られるインド・ヨーロッパ語族の言語を(少なくともエリート層は)日常的に使ってる地域」なんだよ。だから実態は「英語vsその他の言語」じゃなくて
になっちゃてる。だから英語の国際共通語化は止まらないよ。中国、インドネシア、日本あたりが頑張った所で止まるようなもんじゃない。
「ヨーロッパ人は誰でも英語を話す、それに引き替え日本人は」云々という議論を耳にする。確かに英語が流暢なヨーロッパ人に「どうして英語がしゃべれるの?」と訊いたら、なんでそんなこと訊くのという顔で「学校で習ったから」と答えるのが常だという。これを見て、日本の学校英語教育がいかに腐っているかという結論に飛びつく人は少なくない。
確かに日本の英語教育は旧態依然であり、最近の研究成果が反映されていないということはあるかもしれない。しかし、問題はそれだけなのだろうか。ヨーロッパ人が英語を初中等教育の間にかなりのレベルにまで身につけられて、日本人ができないことには根本的な原因が他にあるように思えてならない。
以下は、米国の外交官が各地の言語をビジネスレベルにまで学ぶのにかかった時間の表である。孫引きご容赦。
分類 | 学習時間 | 言語 |
---|---|---|
英語と類縁性の高い言語 | 575-600時限 | アフリカーンス語、デンマーク語、オランダ語、フランス語、イタリア語、ノルウェー語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、スウェーデン語 |
750-900時限 | ドイツ語、インドネシア語、マレー語、スワヒリ語 | |
言語学的・文化的にはっきりとした違いのある言語 | 1100時限 | アルバニア語、アゼルバイジャン語、ベンガル語、ブルガリア語、チェコ語、フィンランド語、ギリシャ語、ヘブライ語、ヒンドゥー語、ハンガリー語、アイスランド語、カナダ語、ラトビア語、リトアニア語、マケドニア語、モンゴル語、ペルシャ語、ポーランド語、ロシア語、セルビア語、スロベニア語、タガログ語、タジク語、タミル語、テルグ語、タイ語、トルコ語、ウクライナ語、ウルドゥー語、ウズベク語、ベトナム語、ズールー語 |
英語母語話者にはかなり難しい言語 | 2200時限 | アラビア語、中国語、日本語、韓国語 |
出典:http://en.wikibooks.org/wiki/Language_Learning_Difficulty_for_English_Speakers
この表は外交官というかなり限定された人を対象にした調査だが、すくなくとも英語母語話者にとっての言語の難易度の序列としてはだいたい合っているといえるだろう。そして、だいたいこの関係は逆に読み取ることもできて、たとえばオランダ人が英語を学ぶのは日本人よりもずっと簡単だということも言えるであろう。こう言うと「英語話者にとって日本語が難しいのは漢字が難しいからだ」と言われるかもしれないが、文法的に近似していて漢字がほとんど使われない韓国語が日本語と同じ分類に属していることから、そこはあまり本質的ではないであろう。
一方、学校での授業時間数を考えてみよう。日本の学校では年間授業日数は約200日である。毎日1時間英語の授業があったとして、中高6年間での英語の授業時間数は、定期考査や学校行事のことを考えればたかだか1000時限程度である。そしてヨーロッパの学校は日本の学校に比べて授業時間数が多いことはないだろう。
となると、結局「ヨーロッパ人は学校で習えば英語ができる」云々は
「ヨーロッパ人は学校で1000時限ほど勉強すれば英語をビジネスレベルに使えるようになるが、日本人はできない」
ということを主張しているに過ぎないことになるが、これは上の表を見れば何も不思議でないことになる。おそらく、日本人が英語を身につけるためには、ヨーロッパ人に比べて2-4倍の時間がかかるのである。
となれば、いったい日本人はどうしたらよいのだろうか。中等教育の1000時限ではとても足りないことははっきりした。あと1000時限ほどの学習が必要である。
この1000時限分、中高6年分を社会に出てから確保するのが絶望的でありしかも遅すぎるのは間違いない。といって、大学で毎日1時限を英語に充てることも無理だ(レジャーランド化したような大学ならともかく、まともな大学生にそんな時間はない)し、もし「日本人も英米の大学に進学すべき」という要求を満たさねばならないとしたらやはりそれでは遅い。
となると小学校の6年間を充てるかということになるが、小学生の読み書き能力が極めて低いということは忘れてはならない。ひらがなやカタカナを学んでいる子供にラテン文字を教えるのは負荷が大きすぎるし、漢字や分数・小数、あるいは都道府県の名前といった「一般常識」レベルのことを学んでいる子供にさらに負荷をかける余地も少ない。そしてこのくらいの年頃の子供は興味がなければ全く学ばないし、学んだこともすぐ忘れてしまう。実際、小学校の後半ぐらいから2言語ぐらいを学んでいるヨーロッパ人でさえ、「中学から勉強しなくなったドイツ語やフランス語は全部忘れちゃって何も覚えていない」という人は珍しくないのだ。英語が特に流暢な語学好きな人だってそうなのだから後は推して知るべしだ。
つまり、日本でできることはほとんどないのだ。香港やシンガポールのように屈辱的な歴史的経緯から日常生活に英語が溶け込んでいればともかく(それでも香港人やシンガポール人全てが英語が流暢なわけでは全くない)、日韓中のように大英帝国の支配を逃れ続けた国民にはそのような機会は全くない。実際、世界的にこの三ヶ国は英語力ワースト3と言ってよい(英語が流暢な中国人は多いように見えるが、その多くは移民の2世以降やごく一握りのエリートである。中国人は母数がめちゃくちゃ多いことを忘れてはならない)。
以上見たように、英語が世界を支配することは結局起こりえない。あるとすれば旧大英帝国と米国をたきつけて世界征服戦争を起こしてもらうしかないということだ。
結局「国際英語」の考えの欠陥はここにある。母語話者が自分たちの文化から逃れられない限り、自然言語を異文化圏に平和裏に浸透させることは無理だということだ。英語圏の文化を普遍的で上位にあるものとして強要しない限り、十分な英語力を得られない異文化圏の人間を無視して英語支配を正当化することはできない。だからといって「英語帝国主義」に開き直ることはそれ自体恥知らずというものであろう。
やれ英語の時代だ、やれグローバル化だということが近年安易に言われるが、ヨーロッパのような文化的に近縁な地域や旧大英帝国、また米国の勢力圏化にある中南米を除いてそのような流れが一般化しうるのかという検討が全くなされていないのは実に不思議だ。「英語がしゃべれるようになれ」といわれてできるのであれば誰でもそうするであろう。問題は「なぜできないのか」を考えるべきことではないのだろうか。無理なものを無理強いしてもどうしようもないということに早く気づくべきである。
お前、「大学で研究したり論文発表したこと」ある癖に「必要であるかないか」と「好きか嫌いか」が別の問題であることがわからんのか?
「英語が必要とされていることはわかっているがその現状が嫌いだ」という立場はお前の中では存在しないものなのか?
逆に英語やグローバルが大好きな連中はそれがわかってないのが謎すぎるわ。「英語は必要」と言って反論した気になってるんだから。
そして逆にお前に問うが、「大学で研究したり論文発表したこと」があれば、理系であってさえ日本人が英語で大損しているのがわからないのか?
確実に、ネイティブ>>欧州・米大陸>>その他の旧大英帝国>>>>>その他という圧倒的な地域差による有利不利の構造ができてしまっている。
しかもその構造ができあがった原因は、ナチスも真っ青な原住民大虐殺の上に成り立った「日の沈まない世界帝国」だ。
これは「一票の格差」よりももっとひどい話なのに、「英語嫌い」という感覚自体が理解できないなんて、お前らの政治的鈍感さこそ恐れ入るわ。
12月限や2月限での先物では75ドル以上を瞬間的とはいえつけているので、アブドラ国王の面子は保たれたと考えても良いのかもしれない。75ドルで必要な分だけ売り捌けさえすれば、そこから多少暴落しても先物を買った人が損をするだけで、売り手の利益は確保できる。これは、先物の本来の効用である。
というわけで、市場で値段を吊り上げていた所に、規制が入ったり、資金繰りに圧力が加わったりという展開が予想されるのであった。
先物を高値掴みしたところは、消費者に転嫁する為に価格が維持されないと損をしてしまうことになるが、その手段が難しくなるのである。
原油を輸出しなければ食べていけない国家にとって、価格を吊り上げるには供給量を減らせばよいのだが、供給しなければお金は手に入らない。供給を調整して価格を吊り上げるという手段は、抜け駆けする所がぼろ儲けをするだけとなり、あまり効果が無い。WTIの相場に資金を流し込んで買い上がるという、力ずくで値段を吊り上げるという手段は効果的であるが、目に余ると規制が入り、潰されるのである。
相場は基本的には自由であるべきだが、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人が出てくると、規制が必要となってしまう。本来、資金力にモノを言わせて暴れまわるような人を規制するべきなのだが、名指しでの規制は犯罪者扱いになってしまうので、市場のルールを変更して規制をかけることになる。
規制やルールは、進歩を促す方向で運用し、変更していくべきなのだが、それに逆行するような変更をしなければならなくなる時に、その弊害をどのようにすれば少なく出来るのかという事を考えなければならない。
知らしむべからず依らしむべしだと、猫の目のようにくるくると変わる規制に、市場の参加者は愛想をつかして、より自由な市場へと逃げ出してしまう。規制をする時に、その背景や事情を、市場の参加者に伝える事が出来ていれば、規制の変更を納得し、規制が一時的なモノであると認識し、一休みするだけという対応を取るようになる。規制当局が、直接情報をリリースする事は出来ないが、市場で起きている事を、規制当局に代わって情報をリリースしてくれる媒体があれば良いという事になる。
つまり、大英帝国時代の情報網とインテリジェンスを使って、まともなメディアが阿吽の呼吸で適切な情報をリリースしたり、あるいは、規制当局と金融機関やファンドといった職場の間で人材の流動性が高く、情報がプライベートなルートで流れ、インナーサークルに居る限り情報に不自由しないという背景がある事が、金融センターとなる為には必要なのである。
日本の場合、取引高の大きさだけで金融センターとなってきたが、取引高の大きさだけで比べるならば、上海やボンベイ(ムンバイ)にその地位を奪われかねない状態になっているのである。
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
いや、そういうことじゃない。
あなたはキリスト教だなんだと言っているが、誰かが言ったみたいなコプトとか正教会のことは考えてないし、あるいはハンガリー語とかフィンランド語とかそういう事情も勘案してない。さらには「キリスト教文化圏の覇権国家」の言語であったはずのスペイン語やポルトガル語ですら考慮に入っていないようだ。
だとすると、あなたが言っている「キリスト教文化圏の言語」というのは要するに英語のことだろう。そして、覇権というのは大英帝国のことだ。
そこで問う。大英帝国は「キリスト教文化圏の覇権」の一環に過ぎないし、大英帝国の覇権の本質がキリスト教文化にあったわけでもない。つまり、あなたが「キリスト教」という言葉を持ち出したのは不正確であるだけでなく、何の本質も捉えていないわけだ。だとすると、「キリスト教」という言葉を使うのはなぜなのか、それを問うている。あなたがどの言語のどういう性質をもって「学習が容易である」としているのか、あなたの言葉づかいが不正確すぎて俺にはさっぱりあなたの主張が把握できんのだ。
とりあえずあなた、頭の中のノイズが多すぎるしセグメントエラー起こしすぎ。
俺が「AについてはBだ。また別の話だがCについてはDだ」というと君は「AについてはDだと、ばかじゃねーの。そんなことを言ってるお前はEとかFなんだろ。Eなんて奴は馬鹿だしFに至っては最低だよお前は」とかそういう反応されてもまともに応答できないんだが。
とうとうAとかBとか言い出した。問いに対する直接な返答のない、君のプライドを取り繕うだけの形式議論には付き合いたくないんだけど。
もう、単に何とかの一つ覚えに根負けしただけであって
いや、相手が出した問いには答えようよ。クリティカルな問いを全部無視して、見た目新しい論点を次々展開し続ければそれで勝利ですか?
それ以上君は何を望んでるんだ?
簡単な話なんだけど。日本の古典が何か有用だというのなら、具体的にどう有用なのか示してみろ、と。で、その挙げた例が不適切だと思えば反論するし、それがただの一例で他にもあるんだというのなら他を挙げてみろというだけだ。
例えば、近代以前の知識人の書いたものを元々の形で読もうと思ったら古語の知識がいるだろう。その中には、例えば宗教的に価値のあるものもあるから、一般人レベルでも有用になることもあるだろう。そんな感じで攻めることは出来るんじゃない?
ラテン語とかエスペラントって知ってる?誰にとっても平等ってわけではないが、どう考えても英語より公平だよね?君にわかりやすい例で言うと、英語を強要ってのは全員にCOBOLを強要するようなもんだ。
別に何語でもいいけど、今はデファクトスタンダードで英語ってだけだろ? エスペラントにはエスペラントで批判があるわけだが、それはおいといて。
全プログラマが共通語としてCを話せれば便利だなと俺は思うよ。別に他の言語を使うなというわけじゃないし。あと、あちこちのプログラマがそれぞれの母語でしかドキュメントを書かなかったら結構困るよなあとか。
君こそ読んでない。「それに対して持ち出してきたのが、自分はドイツ語や中国語よりも英語の方が理解できるなんてチンプンカンプンな理屈だし。大英帝国やアメリカの経済支配がなければあんたは英語を教え込まれる機会もなかったということをもう少し想像した方がいい」。
いや、ちんぷんかんぷんなのはお前だって。そんな経緯なんぞ関係ないの。「ひとつの共通語があるということの価値」を俺は指摘してるんだから。
とうとう文体にケチ付け出した。投げやりな口調になってるのはお互い様だと思うがな。もちろん俺の意見だが?
植民地支配と侵略戦争をたかだか五十年でやめた日本人は、五百年続けてきた西欧人の十倍賢いのかね。それとも、西欧に学ぶためにあと四百五十年虐殺しろっていうのかね。
うひゃひゃ、バカだバカだ。ごめん、その方面は相手し切れんわw
俺の学歴なんか関係ない。単に、東大のレベルを君は理解してないといってるんだよ。知らないものをなんでそんなにエラそうに切り捨てられるのだ、と俺はさっきから聞いている。
俺の専門分野で、(ダメな)東大生に勝る仕事をしてるからなあ。優秀な東大生には負けるかもしれんが、優秀な高卒にも負けるからあんまり関係ないし。
これはひどいセグメントエラーですね。東大の話と古典の話をいつ俺が繋げたんだよ。あんたが、「東大をはじめ日本の大学でレベルの高い教育を行うのは金の無駄だからやめて欧米先進国様の本物のエリート(笑)大学に丸投げしろ」と言ったことについて俺は言っているのだ。
ぶれぶれなのはお前の頭だw自分がどれだけ分裂した論じ方をしてきたのか自覚してないのか。
あのさ、別になんの工夫もしなくても、日本に一杯ある大学のどこかは日本トップなんだよ? だから、東大レベルの教育ってのは、いつでも東大レベルなんだよ。
日本に世界最高峰の教育機関を作る必要はないといってるだけで、日本最高峰の大学があるのは別に構わないんじゃない?w
これも頭の中がひどすぎる混線ですね。どこをどう読めばそう読めるんだか。一番自然な解釈は、あなたはFortranを語ることこそが情報工学を語ることであると考えている、というものだがw
はあ。FORTRANを知らないっつーから、ちょっとくらいやっとけとアドバイスしてやっただけでなんで逆ギレしてんの。
で、どうあっても答えたくないんだろうけど、CとC++に具体的にどんだけのパフォーマンス差があると思ってんのお前? 都合の悪い質問を無視しすぎ。お前が最初に想定していた「低水準な処理も出来る数値計算に適した言語」って具体的になんなんだよ?