はてなキーワード: イタリア語とは
土曜日になってようやくまともな食事をとったばかりです。
メールボックスは、たぶん読むことはないだろうメッセージでいっぱいになっています。
疲れましたが、私は幸せです。
読者の皆さんが自分の声を政治家に伝えられるようにすることであり、
どちらも成功裏に終わりました。
私たちが用意したツールを使って800万人もの人が自分の地域の議員の連絡先を確認し、
ソーシャルメディアではさらに何百万人もの人が自分の意見を発言しました。
何千人ものジャーナリストがウィキペディアの黒い画面をはりだして記事を書きました。
ここで一度、何が起こったのかをちゃんと理解しておくことが重要だと思います。
私たちの立つ足元が、大きく揺れ動いたのですから。
ジャーナリストは古いメディアと新しいメディアの衝突としてこの出来事を見ていますが、それは間違いです。
彼らがそういう見方をするのは、ふつうの出来事はそうやって動くからです。
元Sunlight財団のClay Johnson氏は、
「こんにち、自分の業界にとって有効な法案を通しワシントンから旅立たせるためには、適切なロビイストに金を払い、適切なキャンペーンをはり、適切な法案を適切なときに書かなければならない」
と言っています。
ちょうど同じように、アメリカ映画協会会長で元上院議員のChris Dodd氏は、ウィキペディアのブラックアウトを評して
「権力の濫用。IT業界の利益を守るため、ユーザを痛めつけ企業の駒として使う行為」と呼びました。
彼にとってこの問題は金と利益に関わる衝突にしか見えないようです。
NPR、 Associated Press、Fox Newsといった報道機関がすべて、この闘いを、
ハリウッド対シリコンバレーと銘打って伝えたのも、そのためです。
Bloomberg が、テレビ・映画・音楽業界がワシントンで使っているお金と、Google と Facebook の支出とを比べているのも、そのためです。
このブラックアウトはプレイヤーを増やしただけであって、また同じゲームが続くのだろうと想像しているのです。
そうではないのです。
インターネットで流れてきたClay Shirky 氏の講演をご紹介しましょう。発言を引用します。
SOPAとPIPAで危機に瀕するのは、ウェブサイトだけでもその所有者だけでもない。私たちが、一人の人間として、他の誰かとものごとを共有してよいという保証がおびやかされているのです。
私たちこそが、SOPAとPIPAに監視される対象になります。インターネット上で最大のコンテンツ生産者は Google でも Yahoo でもなく、私たちだからです。
私たちはそれが本当だと知っています。
ブラックアウトを主導したのは、 GoogleやYahooやFacebookやTwitterのCEOでもなく、ウィキメディア財団でもなかったからです。
ブラックアウトを主導したのは、普通のインターネットユーザでした。
その中心にいたのは、Osarius さん、 SiPlus さん、 FT2 さん、 Titoxd さん、 Fluffernutter さんといった人たちでした。
ウィキペディアがSOPAとの闘いに加わったのは、巨大な利益のためでも、資金のためでもはありません。
ウィキペディアは非営利組織によって(コントロールされているのではなく)運営されています。
そこには守るべき企業利益はなく、著作権侵害で資金を得ることはありません。
Reddit は、リンクを共有しコメントを付けあう人々の集まりです。
Metafilter も Tumblr も Craigslist も Cheesburger network も Oatmeal も 4chan も identi.ca も同じです。
どれも巨大企業ではありません。
15年以上にわたって、インターネットは普通の人々にコンテンツ製作の手段を提供してきました。
私たちがインターネットを使って作るのは、時にはかわいい猫の写真であったり、時には世界最大の百科事典であったりします。
時には腐敗した体制を倒すために使ったりもします。
昨日起こったのは、世界中のインターネットユーザが自分の声を見つけたということです。
自分たちの自由をおびやかす人たちに対して闘うための声を。
著作権侵害が問題であることは確かであり、被害を受ける人たちが自分の問題を解決したいと思うのは当然のことです。
しかし、彼らの問題は、普通の人々が自分を表現し、共有し、学ぶ力を守ることほどに重要ではありません。
聞くところでは、議会はIT企業とユーザに意見を尋ねに来るようです。
何が欲しいのか。
SOPAとPIPAをどう変えれば満足するのか。
OPENにすればいいのか。
新しい法案を作るべきか。
ウィキペディアがブラックアウトで伝えたかったこと、そして他の対SOPA・PIPAの行動が伝えたかったのは、
「ネット上の著作権侵害を撲滅する方法について話し合おう」ではありません。
「これだけ大事なインターネットを壊すな。私たちがこれまでどおり働けるようにしろ。学び、作り、共有できるようにしろ」です。
ここで、ブラックアウトに関わった皆様に感謝したいと思います。
下記に並べた人たちは、私が一緒に働いた、または働くのを見た人たちです。
関わっていたのにご自分の名前がなかったとしても、感謝をお届けしたものとお考えください :-)
無作為な順序で: Luke Faraone, Jan Ainali, Puki, André Savik, Dcoetzee, Vituzzu, Stacey Merrick, Dan Rosenthal, Michael Snow, Sumana Harihareswara, Wikitanvir, Jim Redmond, Kaganer, PeterSymonds, Mikołka, ZeaForUs, Spiritia, Iliev, Anubhab91, Ali, Haidar Khan, Joan manel, Davidpar, Cameta, Mormegil, Okino, Sir48, Giftpflanze, Rbmj, Tecsie, BreadMaker, Antonorsi, Mariadelcarmenpatricia, Huji, Tommikovala, Nikerabbit, Lamiot, Seb35, Zetud, Amire80, Rekp, איש המרק, Eranb, עידן ד, Trần Nguyễn Minh Huy, Itzike, Vibhijain, Ruy Pugliesi, Roberta F., Tgr, Kelly Kay, Pagony, Alensha, William Surya Permana, Gombang, Gregorovius, Civvì, Gnumarcoo, Austroungarika, Miya, Whym, Takot, Melberg, Omshivaprakash, Idh0854, Freebiekr, Diagramma Della Verita, RajeshPandey, Mathonius, Romaine, Mwpnl, Whaledad, Wpedzich, Sp5uhe, Przemub, Ency, Przykuta, Teles, Vitor Mazuco, Lvova, OC Ripper, Euriditi, Maduixa, Wikiwind, Јованвб, A1, Олег-літред, Violetbonmua, Prenn, Cheers!, Sameboat, Tbayer (WMF), OhanaUnited, Tom Morris, Wdchk, Sarah Stierch, Risker, Billinghurst, NuclearWarfare, Jimmy Wales, Orionist, Ryan Kaldari, John Du Hart, Aaron Schulz, Kat Walsh, Cherian Tinu, Mike Godwin, Jim Burger, David Gerard, Johnuniq, James Forrester, Prodego, Fluffernutter, Dana Isokawa, Fae, Andrew Lih, Brandon Harris, Jeremyb, Michelle Paulson, DeltaQuad, Pete Forsyth, Fetchcomms, Heather Walls, Rachel Farrand, CMBJ, Erik Moeller, Fifelfoo, James Alexander, Itzik Edri, Katie Horn, Iván Martínez, Matthias Schindler, Ben Hartshorne, Jon Davies, Anthere, Slobodan Jakoski, Victorgrigas, Dimce, Jerry-Yuyu, Patricia Morales, Stephen LaPorte, Varnent, Lennart Guldbrandsson, Neil Kandalgaonkar, Greg Maxwell, Ian Baker, Jeandré, Howie Fung, Ryan Faulkner, Beatriz Busaniche, Philippe Beaudette, Ziko van Dijk, Oliver Keyes, Dimce Grozdanoski, Keegan, André, Guillaume Paumier, Maggie Dennis, Mentifisto, Phoebe Ayers, Arne Klempert, Mike Peel, Gorilla Warfare, Geoff Brigham, Swarm, Peter Gehres, Megan Hernandez, Leslie Harms, Tomasz Finc, Pretzels, Jay Walsh, Whenaxis, Liberaler Humanist, Sam Klein, Andrew Gray, Fifelfoo, Zack Exley, Katie Filbert, Victor Vasiliev, Guy Chapman, Avi, Kenneth/MD, Stu West, Harry, Ryan Lane, Josh Lim, Matthew Roth, Richard Symons, Gayle Karen Young, Yuvaraj Pandian, Evangeline Han, Milos Rancic, James Hare, Adrienne Alix, Samat, Tomasz Ganicz, FT2, Alessio Guidetti, Galileo Vidoni, David Richfield, Alison Wheeler, Siska Doviana, Erlend Bjoertvedt, Анастасия Львова, Steven Walling, Casey Brown, Tim Starling, Patrick Reilly, Arthur Richards, Asaf Bartov, Alolita Sharma, CT Woo – そしてもちろん、ブラックアウトの決定をした、1800人の英語版ウィキペディアンの皆さん。
enWPのブラックアウトを支援するために抗議行動をしてくださった、次の姉妹プロジェクトにもお礼申し上げます:アルバニア語版ウィキペディア、アラビア語版ウィキペディア、ブルガリア語版ウィキペディア、カタルーニャ語版ウィキペディア、中国語版ウィキペディア、クロアチア語版ウィキペディア、オランダ語版ウィキペディア、グルジア語版ウィキペディア、ドイツ語版ウィキペディア、ギリシア語版ウィキペディア、日本語版ウィキペディア、韓国語版ウィキペディア、インドネシア語版ウィキペディア、イタリア語版ウィキペディア、ノルウェイ語版ウィキペディア、ポルトガル語版ウィキペディア、ロシア語版ウィキペディア、セルビア語版ウィキペディア、スペイン語版ウィキペディア、スウェーデン語版ウィキペディア、ウクライナ語版ウィキペディア、ベトナム語版ウィキペディア、ウィキメディアコモンズ。
今年のはじめの大ニュースはアラブの春。その流れに乗って、思いがけず拡散された記事です。今年はこれに味をしめて翻訳を続けたという感があります。
次は東日本大震災。エコノミストはこの時点でなかなかバランスのとれたことを言っていました。
そしてオサマ・ビン・ラディンが殺される。ちょっと珍しい感傷的なエコノミストの記事でした。
ジャーナル購読料高すぎというアレ。初版では注を省略して公開してしまったことを反省しております。
これを含め Omegle ネタは個人的には面白かったのがいくつもあるのですが、なかなかうまく紹介できてないです。
ウィキペディアが言論統制と戦う。いまは英語版が似たようなことになろうとしてるようです。
ジャーナル購読料高すぎというアレ・第2弾。こちらはちょっと煽りが濃い。
妹さんから見たスティーブ・ジョブズの人生。"We all — in the end — die in medias res."(私たちはみな、最後には、途中で死にます)にはハッとさせられました。申し訳ないことに初版では誤訳が多かった(当社比)ので、あとで色々直しました。
急にdsbdに流れてきたので。
来年はネタ探しに力を入れ、月1くらいでで何かご紹介できればと思っております。
また、今年はあちらこちらに誤訳が目立ったことを反省しております。来年は、辞書や用例にあたることと背景調査を心がけたいと思います。
今後ともよろしくお願いいたします。
イタリア語版Wikipediaのプロテストによって日本のネットでも話題になった「通信傍受法」の改正案問題について、誤解が大きいので、簡単にまとめておきたい。というのも、TechCrunch の次の記事「イタリアのWikipedia、『ネット傍受法案』に抗議して自主的に閉鎖」があまりにも極端で、また一般にイタリアが誤解されたままでいることにも耐えがたかったからだ。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
前もって断りを入れておくと、イタリアの法制度はもちろん、法律の専門家ではないので、間違いがあれば喜んで指摘を受けたい。また、訳のまずさについてはご寛容願いたい。
さて前段として、話題の法案DDL Intercettazioni(ちなみに、DDLとは”Disegno di legge”の略語で、英語に直訳すると”Design of law”、日本語では単に「法案」と訳すのが適当) で問題になったのは、ネットの規制に関する部分よりも、傍受された通信記録の公開に関する変更についてだった。これまでは裁判前であっても当局と弁護人の合意のもとで通信記録を公開できたものが、裁判中、また事件に関わる部分のみの公開とすることに限定されるというものである。当然、各メディアともこれには批判的な論調を取っているようだ。
最近では、ベルルスコーニが売春婦を政府専用機に乗せていたというニュースが日本の報道でもあり覚えておられる方もいると思うが、これらのことについて話された会話はすべて新聞紙上に掲載された。傍受された通信記録が公開されることの是非についてはひとまず置いておくとしても、こういう背景があることを指摘しておきたい。
そのうえでイタリア語版Wikipediaなどによって、日本でも話題になった部分は次の第29条(24ペ-ジ)であった。
同条の冒頭部分を見れば分かるように、この条文は次の法律の改正だということが分かる。すなわち、Legge 8 febbraio 1948, n. 47 Disposizioni sulla stampa の第8条の改正がこれである。
http://www.mcreporter.info/normativa/l48_47.htm#8
ここでいうstampaとは「出版を目的とするあらゆる様態の、機械的あるいは物理-化学的手段を用いて印刷され、あるいは獲得される複製物」と、ようするに平たく言えば、出版物や新聞等メディア・報道などなどのことを指すのでしょう。たとえば、第5条においては新聞・定期刊行物は裁判所の書記課に登録することなしに出版してはならないとあり、この法律がどういう法律かなんとなくでも分かると思う。
そこで問題の第8条は、一言で言ってしまうと、「訂正請求」”Richiesta di rettifica” を受けた場合、責任のある者は定められた期限内に定められたように訂正を発表すべし、というものだ。
そもそもこの条文の目的は、次のようなものだと理解している。つまり、考えを表現することの自由は、時に、憲法によって保障された他の権利と衝突し、あるいは侵害することもありうる。そのような場合に、速やかに権利を回復することができるようにするためのものである。したがって、客観的な真実性は問題ではなく、当事者にとっての主観的な真実性が問題になると。すなわち、趣旨としてはメディアによる暴力から権利を守ることを狙いにしていることがうかがえる。
http://www.giuffre.it/age_files/dir_tutti/archivio/santalucia_1004.html
これが出版物のみならず、テレビやラジオにも適用されるよう改正されて現在にいたっているのだけれども、ここで注意してもらいたいのは、こう書いてしまうとえらく危ない条文に見えるけれども、実際には1948年以来60年以上も運用されており、メディアがそれで委縮するとか、「メディアが死ぬ」ということは全くないということ。まして第8条の乱用悪用によるメディアの弾圧というものは見られない。
常識的に考えれば、そのようなことがもしあれば、それこそ「表現の自由」の侵害になるはずなので、つまり運用の問題になってくるのだと思うけれども、残念ながら具体的にどのような運用がされているのか僕には分からない(「訂正請求」がどのようなものかは検索すればすぐ出てくる)。ただ、第8条そのものにはたいした問題はないように見えるという点を指摘することしかできない。
そこで、今回騒ぎとなった改正部分は、次の部分であると思う。「訂正請求」の対象となるものとして、
"i siti informatici, ivi compresi i giornali quotidiani e periodici diffusi per via telematica,"
すなわち、データ通信を経由して流布される日刊または定期刊行紙を含む「情報サイト」”i siti informatici” となっているが、はたして「情報サイト」の範囲はどこまでなのだろうか、と。この法律の趣旨や文脈からすれば、例示されているように新聞やテレビニュースなどなどのプロフェッショナルのサイトのことにも読めるけれども、素人のブログはどうなるかはっきりしない。
事実、当初は素人のサイトやブログもこの適用範囲内にしようとしたらしい。たとえば訂正期限を訂正請求後10日以内に延長するとか、罰金を引き下げようといった案も出されていた。
http://www.rainews24.rai.it/it/news.php?newsid=156864
結局どうなったか結論だけ言うと、先述の第5条によって定められている、登録済みのプロフェッショナルによるサイトに対象を限定することで与野党合意となり、落着した。
以下、個人的な感想を書くと、まず仮に与野党合意がなくても、これまで同様の運用がなされるのであれば、それほど心配するような改正ではなかったのではないかという点で、「ブログ殺し」条項とイタリアのネットではあだ名されたようだけれども、そんなことにはまずならなかっただろうと思う。
また、TechCrunchの記事がいかに間違っているか、これでよく分かってもらえたはずだ。第8条を使ってなんでもかんでも訂正請求できるというのは非現実的な妄想ではあるまいか。特に追記部分の、
法案は「正式な報道機関の記事」のみを対象とするよう修正されたもようだ。これがなんらかの改善になっているかはきわめて疑わしい。
http://jp.techcrunch.com/archives/20111006italian-wikipedia-shuts-down-in-protest-of-proposed-law/
というところは、何の根拠があって「きわめて疑わしい」と言えるのだろうか。
なによりこの問題を見ていて思ったのは、これだけインターネットが普及してしまってもなお、「表現の自由」だけを金看板にできるのかという問題についてもっとよく慎重に考えられるべきではないかということ。確かにこの法改正はベルルスコーニ絡みなので微妙なところがあるとはいえ、しかしながらごくごく一般的に考えれば、いくら「本当」であっても「知られたくない流布されたくない事実」というものは誰にでもあるはずであって、よほど悪質であったり問題性の高い場合、第8条が規定するような処置があるいは何らかの助けになることもあるかもしれない。
もちろん、素人目にもこの第8条をインターネットに広く適用しようとするのは筋悪に見えるし、与野党合意で適用範囲をはっきりさせたことは結構なことだと思うわけだけれども、仮にもっとちゃんとした、インターネットを対象とする法律が出された場合、ネットの住民たちはどういう反応を示すだろうか。「表現の自由」の金看板だけではかばいきれない部分があるのではないかと、正直言って思う。
その意味で、イタリア語版Wikipediaの声明は難しい部分があるのではないだろうか。ごく一般的なサイトならまだしも、これだけ有名かつ頻繁に利用されるWikipediaのようなサイトになると、それなりに記述に責任が持たれるべきなのは当然だという意見もあってしかるべきであって、あの声明を肯定しているだけで本当にいいのかどうか。ネットで言われているほど、また信じられているほど簡単な問題ではないのではないか。
お祭り好きのイタリア人のネットにおける「ショーぺロ(ストライキ)」の言い分を鵜呑みにして、その流れに乗っかってしまう前に、色々考えることがありそうに思うのだが。
http://it.wikipedia.org/ (http://it.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:Comunicato_4_ottobre_2011) より
読者の皆様
ウィキペディア・イタリア語版は長年に渡って有用なサービスを提供してきました。
皆様もそれを期待してここに来られたことと思いますが、
このたびウィキペディア・イタリア語版は閉鎖を余儀なくされる可能性がでてきました。
現在のところは、お求めのページは隠蔽されているだけの状態にあります。
この10年間、ウィキペディアは中立的で自由で、そして独立した知識源として、
数百万人のインターネットユーザーの皆様の生活の一部となってきました。
本日、誠に残念ながら、ウィキペディアを支える柱である中立性・自由・検証可能性が大きく損なわれる懸念が強くなりました。
その原因はDDL intercettazioni、通称「通信傍受法」として知られる法案の第29段落にあります。
この法案に関して、イタリア議会は現在様々な観点から議論をしていますが、
なかでももっとも重要なのは、当事者が自らの名誉を傷つけると判断したコンテンツについて、
どんなウェブサイトも48時間以内に訂正を公表しなければならない、という事項です。
法案では、当事者の主張を第三者が検証することは残念ながら求められておらず、
名誉が傷つけられるという意見さえあれば、訂正が強要されることになっています。
したがって、ブログ、ネットニュース、ウィキペディアで公表されたコンテンツから不快感を感じた人は誰でも、
問題のコンテンツおよびその情報源の内容が真実であったとしても、
「訂正版」の公表を要求することができるようになります。
ウィキペディアの利用者(ご存知のとおり、ウィキペディアには編集責任者はいません)たちは、長年に渡って、
コンテンツへの異論があったとき、プロジェクトの中立性と独立性を尊重しながらも、必要に応じて調査と修正を続けてきました。
ごくまれに、意見を踏まえて項目として成立させられなくなった場合にページそのものを削除することもありました。
訂正要求を議論と検証なしにそのままサイト上に掲載しなければならないという第29段落の要請は、
ウィキペディアの自由と独立性にとって受け入れがたい制約となります。
自由な百科事典としての基本原則を曲げることになり、
私たちが知る「水平」な編集の仕組みを停止させることになります。
あらゆる当事者の名誉と名声を守ることは私たちにとって言うまでもなく重要なことです。
しかし、イタリア市民はすでに刑法595条によって名誉毀損から守られていることも事実です。
今回の声明で、私たちは読者の皆様に対して、あらゆる当事者が自らの名誉についての性急な保護をみだりに強要できるようになることから生まれる危険について、注意を喚起したいと思います。
そうした制約を受ければ、「面倒を回避する」ため、インターネットユーザーは特定の話題や人々に触れることを控えるようになるでしょう。
私たちは、自由で誰にでも開かれた百科事典を提供し続けたいと思います。
私たちの記事は皆さまの記事でもあり、だからこそウィキペディアは中立です。
なぜそれを止めなければならないのでしょうか?
ウィキペディア利用者一同
関連リンク:
http://www.horizont.net/kreation/tv/pages/protected/Crema-dOro_27514.html
Dallmayr Crema d'Oro
http://www.xad.de/xad.php?action=detailansicht&id=45063
Dallmayr Crema d´Oro - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=8uzvo6Asusw
Dallmayr Heimkehr - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=iYTxV9kgGjo
Dallmayr Prodomo - Oktober 2008 - Werbung
http://www.youtube.com/watch?v=qAmxT77meeQ
Crema d'Oro Application date Nov 18, 1961
http://register.dpma.de/DPMAregister/marke/register/757370/DE
Crema d'Oro
http://register.dpma.de/DPMAregister/marke/register/303262192/DE
Dallmayr Crema d'Oro
http://register.dpma.de/DPMAregister/marke/register/303262222/DE
http://www.ipo.gov.uk/ohim?ohimnum=E3497765
Dallmayr Crema d'Oro
http://www.ipo.gov.uk/ohim?ohimnum=E3495975
http://www.ipo.gov.uk/tm/t-find/t-find-text/
英国知的財産庁(UKIPO) http://www.ipo.gov.uk/
CREMA D'ORO Filing Date December 6, 2007
http://www.markify.com/trademarks/uspto/crema+d'oro/79048345
CREMA D'ORO
http://www.trademarkia.com/crema-doro-79048345.html
http://www.uspto.gov/ebc/tess/index.html
Home - Alois Dallmayr Kaffee OHG
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http://www.amazon.de/Dallmayr-Crema-doro-Bohne-Beutel/dp/B0022U7N60/
http://www.amazon.co.uk/Dallmayr-Crema-Coffee-Beans-8x1kg/dp/B004UQNK0M/
http://www.amazon.com/Dallmayr-Gourmet-Coffee-17-6-Ounce-Vacuum/dp/B001GVITAU/
http://www.dallmayr-cremadoro.com/coffee-beans.html
Alois Dallmayr München - Kaffee, Feinkost und Delikatessen
Dallmayr - Wikipedia, the free encyclopedia
クレマドール物語【CREMA D'OR :: クレマドール】
おこっぺヨーグルト - ノースプレインファーム オンラインショップ Milk Shop.me
http://www.sozlukonline.gen.tr/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A0.html
フランス語:or
イタリア語:oro
http://www.sozlukonline.gen.tr/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/%E3%82%B4%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89.html
http://anond.hatelabo.jp/keyword/%E5%95%86%E6%A8%99%E6%B3%95
今回、ベータ版ということで、日、独、西、仏語対応を開始しました。
中立的に訳したつもりですが、一部香ばしいのが沸いてますね。。。
【中国語】
well this is exciting...any chance of chinese? ;-)
【ポルトガル語】
Hi, I am currently the pt-BR translator for Xmarks, feel free to contact me anytime when translating to pt-BR, I love Dropbox and will be honored to help.
やあ。僕は今、Xmarkというソフトで、ポルトガル語翻訳を担当しているんだけれど、もし、ポルトガル語翻訳の必要があったら、いつでも声をかけてね。
DropBoxは大好きだし、サポートできるなら嬉しいと思っているよ。
【イタリア語】
I'm ready for Italian translation.
【ロシア語】
what about russian? ;)
ロシア語まだかよ!(^^)
【オランダ語】
If you want to be freaky and consider a Dutch version, I am here ;-)
もし、妙なものに手を出したくて、オランダ語バージョンを考えているなら、いつでも手伝うよ!
【韓国語】
How about Korean? Great market, go for it! I've already seen people using Dropbox here, sweeet!
唐突ですが、サッカー関係者・スポーツ報道関係者の皆様にお願いです。
サッカー日本代表監督にイタリア人が就任し、「カテナチオ」という言葉が新聞に頻繁に見られるようになりました。しかし、「カテナチオ」という表記に非常な違和感が拭いきれません。
イタリア語の-ccioは、カタカナ表記にする場合、「-ッチョ」とするのが一般的です。分かりやすい例として、牛肉の薄切りCarpaccio「カルパッチョ」があります。「哀れな奴」を意味するpoveraccioを表記するには「ポヴェラッチョ」。「デカメロン」を書いた中世の作家は「ボッカチオ」と一般には表記することが依然として多いですが、正式にはBoccacio「ボッカッチョ」と呼ばれます。
「チオ」表記になるのは-tioの場合であって、fellatio「フェラチオ」がその典型でしょう。イタリア近代の作家D'Annunzioは「ダヌンツィオ」「ダンヌンツィオ」と表記されるのが一般的ですが、「ダヌンチオ」「ダンヌンチオ」でも許容されると思います。
さて、したがってイタリア語のcatenaccioは、カタカナ表記では「カテナッチョ」とする以外にありえません。「鎖」を意味するcatenaに、より劣ったもの軽いものを意味する軽蔑辞-accioが付け加わることによってcatenaccio「カテナッチョ」(掛け金)という一単語になっています。また、イタリア語と日本語の発音の差は他の言語ほど大きくないので、「カテナッチョ」と表記してその通りに発音すれば、イタリア人にも通じます。しかし「カテナチオ」では分かりません。
そこでお願いというのは、「カテナチオ」表記をやめていただきたいのです。正しく「カテナッチョ」と書いてください。せっかくの日伊文化交流の大事な一歩です。つまらないことに見えても、異文化を理解するというのは、こういう小さなことから始まるのではないでしょうか。
海外のblogで初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。
http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/
=====以下翻訳=====
そこにはバルトロメオ・クリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロック・ミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語でピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。
イタリアはピアノを発明することによって、日本が初音ミクを発明するための扉を開いた。
***
俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケットが完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間の無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京のコンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイド・コンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。
***
クリストフォリがピアノを発明した頃、J・S・バッハは平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。
数十年後、ようやくピアノの価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元の作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタと女性の音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器をピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメのシリーズのようにモーツァルトのレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲の形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルトの協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」
モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。
***
ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドのコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサートは全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場用サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックのオーケストラと民族音楽の演奏くらいしかないし、それにシンフォニー・ホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器を楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女がモーツァルトの魔笛のアリアを歌っている動画を聞いてみよう。
http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA
***
19世紀欧州で、もしお前がピアノの演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストとビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。
少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。
かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会の中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツやゲームを発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアム・ペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノは文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。
19世紀末と20世紀は音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲と理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。
そして、とんでもないことが起きた。
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ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドのパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザー・プログラムのマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべとニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?
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それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。
ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールのチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノは専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。
さらに悪いことにロックがギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハやベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。
だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアがピアノを発明したことが日本の初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノは21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。
http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso
***
もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後の舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションのラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアとCGアーティストと音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧なアイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトのオペラを、ガーシュウィンのミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。
***
真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザー・キーボードとMIDIコントローラーとワークステーションの世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空のオーケストラに仕立てることもできる。ピアノはピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。
一つだけ欠けているものがあった。声だ。
そして、ご存知の通り、日本は日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナを創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀のスーパースターになるのは当然のことだった。
中にはボーカロイドというアイデアが音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事をソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家、編曲家あるいはプロデューサーになりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイドは音楽家の仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。
何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。
=====以上翻訳終了=====
誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。
「ヨーロッパ人は誰でも英語を話す、それに引き替え日本人は」云々という議論を耳にする。確かに英語が流暢なヨーロッパ人に「どうして英語がしゃべれるの?」と訊いたら、なんでそんなこと訊くのという顔で「学校で習ったから」と答えるのが常だという。これを見て、日本の学校英語教育がいかに腐っているかという結論に飛びつく人は少なくない。
確かに日本の英語教育は旧態依然であり、最近の研究成果が反映されていないということはあるかもしれない。しかし、問題はそれだけなのだろうか。ヨーロッパ人が英語を初中等教育の間にかなりのレベルにまで身につけられて、日本人ができないことには根本的な原因が他にあるように思えてならない。
以下は、米国の外交官が各地の言語をビジネスレベルにまで学ぶのにかかった時間の表である。孫引きご容赦。
| 分類 | 学習時間 | 言語 |
|---|---|---|
| 英語と類縁性の高い言語 | 575-600時限 | アフリカーンス語、デンマーク語、オランダ語、フランス語、イタリア語、ノルウェー語、ポルトガル語、ルーマニア語、スペイン語、スウェーデン語 |
| 750-900時限 | ドイツ語、インドネシア語、マレー語、スワヒリ語 | |
| 言語学的・文化的にはっきりとした違いのある言語 | 1100時限 | アルバニア語、アゼルバイジャン語、ベンガル語、ブルガリア語、チェコ語、フィンランド語、ギリシャ語、ヘブライ語、ヒンドゥー語、ハンガリー語、アイスランド語、カナダ語、ラトビア語、リトアニア語、マケドニア語、モンゴル語、ペルシャ語、ポーランド語、ロシア語、セルビア語、スロベニア語、タガログ語、タジク語、タミル語、テルグ語、タイ語、トルコ語、ウクライナ語、ウルドゥー語、ウズベク語、ベトナム語、ズールー語 |
| 英語母語話者にはかなり難しい言語 | 2200時限 | アラビア語、中国語、日本語、韓国語 |
出典:http://en.wikibooks.org/wiki/Language_Learning_Difficulty_for_English_Speakers
この表は外交官というかなり限定された人を対象にした調査だが、すくなくとも英語母語話者にとっての言語の難易度の序列としてはだいたい合っているといえるだろう。そして、だいたいこの関係は逆に読み取ることもできて、たとえばオランダ人が英語を学ぶのは日本人よりもずっと簡単だということも言えるであろう。こう言うと「英語話者にとって日本語が難しいのは漢字が難しいからだ」と言われるかもしれないが、文法的に近似していて漢字がほとんど使われない韓国語が日本語と同じ分類に属していることから、そこはあまり本質的ではないであろう。
一方、学校での授業時間数を考えてみよう。日本の学校では年間授業日数は約200日である。毎日1時間英語の授業があったとして、中高6年間での英語の授業時間数は、定期考査や学校行事のことを考えればたかだか1000時限程度である。そしてヨーロッパの学校は日本の学校に比べて授業時間数が多いことはないだろう。
となると、結局「ヨーロッパ人は学校で習えば英語ができる」云々は
「ヨーロッパ人は学校で1000時限ほど勉強すれば英語をビジネスレベルに使えるようになるが、日本人はできない」
ということを主張しているに過ぎないことになるが、これは上の表を見れば何も不思議でないことになる。おそらく、日本人が英語を身につけるためには、ヨーロッパ人に比べて2-4倍の時間がかかるのである。
となれば、いったい日本人はどうしたらよいのだろうか。中等教育の1000時限ではとても足りないことははっきりした。あと1000時限ほどの学習が必要である。
この1000時限分、中高6年分を社会に出てから確保するのが絶望的でありしかも遅すぎるのは間違いない。といって、大学で毎日1時限を英語に充てることも無理だ(レジャーランド化したような大学ならともかく、まともな大学生にそんな時間はない)し、もし「日本人も英米の大学に進学すべき」という要求を満たさねばならないとしたらやはりそれでは遅い。
となると小学校の6年間を充てるかということになるが、小学生の読み書き能力が極めて低いということは忘れてはならない。ひらがなやカタカナを学んでいる子供にラテン文字を教えるのは負荷が大きすぎるし、漢字や分数・小数、あるいは都道府県の名前といった「一般常識」レベルのことを学んでいる子供にさらに負荷をかける余地も少ない。そしてこのくらいの年頃の子供は興味がなければ全く学ばないし、学んだこともすぐ忘れてしまう。実際、小学校の後半ぐらいから2言語ぐらいを学んでいるヨーロッパ人でさえ、「中学から勉強しなくなったドイツ語やフランス語は全部忘れちゃって何も覚えていない」という人は珍しくないのだ。英語が特に流暢な語学好きな人だってそうなのだから後は推して知るべしだ。
つまり、日本でできることはほとんどないのだ。香港やシンガポールのように屈辱的な歴史的経緯から日常生活に英語が溶け込んでいればともかく(それでも香港人やシンガポール人全てが英語が流暢なわけでは全くない)、日韓中のように大英帝国の支配を逃れ続けた国民にはそのような機会は全くない。実際、世界的にこの三ヶ国は英語力ワースト3と言ってよい(英語が流暢な中国人は多いように見えるが、その多くは移民の2世以降やごく一握りのエリートである。中国人は母数がめちゃくちゃ多いことを忘れてはならない)。
以上見たように、英語が世界を支配することは結局起こりえない。あるとすれば旧大英帝国と米国をたきつけて世界征服戦争を起こしてもらうしかないということだ。
結局「国際英語」の考えの欠陥はここにある。母語話者が自分たちの文化から逃れられない限り、自然言語を異文化圏に平和裏に浸透させることは無理だということだ。英語圏の文化を普遍的で上位にあるものとして強要しない限り、十分な英語力を得られない異文化圏の人間を無視して英語支配を正当化することはできない。だからといって「英語帝国主義」に開き直ることはそれ自体恥知らずというものであろう。
やれ英語の時代だ、やれグローバル化だということが近年安易に言われるが、ヨーロッパのような文化的に近縁な地域や旧大英帝国、また米国の勢力圏化にある中南米を除いてそのような流れが一般化しうるのかという検討が全くなされていないのは実に不思議だ。「英語がしゃべれるようになれ」といわれてできるのであれば誰でもそうするであろう。問題は「なぜできないのか」を考えるべきことではないのだろうか。無理なものを無理強いしてもどうしようもないということに早く気づくべきである。
後進の者には、過去の学説は、提唱者の時代を無視して、全部が一つの袋に入って、一挙に与えられる。もちろん同時代に属する諸業績は、フローとして順次現われるが、それらもまたストックの袋に入れられると、出現の順序は重要でなくなる。———森嶋通夫
なんか2009年頃の邦楽カバー曲ブームも同じことのような気がしていた。なんかもう現代史を生きるという感覚もなく、煤払いに主張があるわけでもなく、いまがいつなのかもよくわからない。ただ、古い本の「自炊」は archive.org とかがやってくれてるから、思いもかけないところでばったりと学術的非実在高齢者に出会う。
英語学習の方が敷居が低いと思う。
本気で言ってる?特に、韓国語の方が中国語より難しいと思っているあたり、それだけはあり得ない。
そもそもハングルというのは表音文字であって、音韻記号の組み合わせで表音節文字を作るという極めて合理的な構造になっており、ラテン文字よりもずっと合理的だ。こんなに簡単に覚えられる文字はないぞ。実際、俺は一度大韓航空を使ってヨーロッパに行ったとき、関空から仁川までの機内でハングルを覚えてしまい、トランジット中に有効に活用した。ましてここでは「韓国語が世界共通語」と仮定しているから、その場合は現実世界でラテン文字がありふれているのと同じ水準でハングルは世界中にありふれているはずで、「文字が読めない」という敷居は問題にもならない。
中国語は確かに簡単ではない。しかし、中国人にとって日本語の方が、たとえばアラビア語よりずっと簡単なことは明らかであり、逆もまた真だ。そして、日本や中国から見て、英語よりもアラビア語の方が学習に有利である点は全くない。
君は何か勘違いしていると思うが、英語という言語は世界共通語としては非常に不利な特質を兼ね備えている。まず語彙体系が、ゲルマン祖語の他にギリシャ語・ラテン語(フランス語経由含む)・アラビア語など過去の先進文化圏の影響を強く受けており、最低限のことを言い表すのに必要な語彙が非常に多い(このことは日本語でも同じ)。次に、発音体系が極めて特殊である(スペイン語やイタリア語の発音体系が日本語と近いのは偶然ではない。日本語の五十音+αで近似できる発音体系は世界に広くみられるものである)。正直なところ俺は無敵艦隊が敗れたことをかなり恨んでいる。世界共通語がスペイン語であれば、英語よりも余程楽だったはずなのだ。文法こそ単純だが、ロマンス語と比べれば誤差の範囲である。日本人から見て、英語以上に難しい言語を探す方が難しいのではないか。ロマンス語を一つでも学んでみれば、英語より圧倒的に簡単なことに感激するはずだ。
いったい何を以て「英語学習の方が敷居が低いと思う」と言えるのか、さっぱりわからない。
どうかな。カルロスゴーンはブラジル生まれでフランスで教育を受けているが日産で経営手腕を発揮している。
フランス語やポルトガル語を使わず英語を使って従業員とコミュニケーションしているはずだ。
英語が重要なのは世界共通語で、英語ネイティブの人以外とコミュニケーションするにも大事だからだ。
まず、ポルトガル語圏・フランス語圏と英語圏の文化的・言語学的距離を日本語とのそれと比べてみることだな。どちらも、日本語と韓国語以上に近い殊はあっても逆はあり得ないよ。
俺はポルトガル語など全く学んだことないし、ロマンス語全体まで拡げてもフランス語を少しかじっただけだが、ポルトガル語の新聞記事をなんとか読めてしまうし、フランス語に至ってはほとんど抵抗ない。なぜかというと、英語からの類推でほとんどできてしまうし、新聞記事のような堅い調子のものに至っては語彙のほとんどが共有されているからだ。特にフランス語文と英文が並んでいたような場合、切り替わったことが気づかないことさえある。むしろ、言語学的によほど近いドイツ語の方が、ポルトガル語やイタリア語と同じぐらい手こずる。
立場を逆にしてみるといい。韓国語が世界共通語だったと想像してみればいい。色々な母語の人間が大勢集まって韓国語を本気で勉強すれば、集団としては絶対日本人が圧倒的優位。礼儀作法のような文化的コードも含めて、日本の言語・習慣からのマイナーチェンジで全部できてしまう。漢語経由で高級語彙まで共有してるから、敬語やら助詞やら礼儀作法やらの基本的考え方すら身につけられずに苦労する欧米人などから見れば日本人は半ネイティブのようなものだ。
要するに、カルロス・ゴーンが英語圏の標準にさしたる苦労なく適応できるのは当たり前なのだ。その辺のことを全く指摘せず、「オランダ人はほとんど誰でも英語がペラペラだ、オランダの英語教育に学べ」などと力説する馬鹿が後を絶たないのだから呆れかえる。オランダ語はおそらく地球上で英語に最も近い言語で、本土の人間が琉球語を覚えるのとほとんど同じ程度の労力しかかからずに奴らは英語を学べるのだ。たとえば本土の人間は「めんそーれ」とか「てーげー」と聞いて「見え候え」とか「大概」だと簡単に類推して直観的にこれらの語彙を取り込めるが、それ以外の人間はにはこんなことは無理だ。
はっきり言って、日本という場所は世界一英語学習に向いていないと言っても過言ではない。そもそも文化的に外国語を話すことが必要とされたことがほとんどなく、漢文という名の訳読と作文だけで済んでしまっていた土地柄で、「外国語を学ぶ」という文化自体が極めて薄い。そして日本とイギリスはユーラシアの東と西の外れの島国で、言語学的にも文化的にも接点を見出す方が難しい。
英国>米国>加・豪・NZ>(越えられない壁)>その他ゲルマン語圏>その他ロマンス語圏>>その他スラブ語圏>その他ヨーロッパ>(越えられない壁)>その他旧英米植民地>(越えられない壁)>セム語圏>(越えられない壁)>その他
日本人にこの値段差の話をすると、それは酷い!と憤るんじゃなくて、
何故か「ほら翻訳とかもかかるし、、、」とか現状を肯定する理由を捻り出そうとするのが笑える。
ちなみに、英国版で買えば英語フランス語ドイツ語イタリア語カタルニア語wとかの字幕も吹替もはいってる。
値段はスタートレックTNGのseason 1がDVD7枚で1000minが15.93pounds, 2000円くらいだったり。
今は為替的に有利だけど、それがなくても多分お買い得。
今のところ日本語がないと無理!って向きには、
amazon.co.jpで日本語版のフルハウスとかフレンズのシーズン1だけ1000円くらいになってるので、オススメ。
ちょっと前にハローワークに行こうとして自転車乗ってたら、ハンドルのバーテープが剥がれてきた。持ち手に近いところだったのでうざい。その日はちょうど火曜日で行きつけの自転車屋が閉まっている日だった。しかたないので道端に止まってiPhoneで検索して、近場の自転車屋を探したんだ。商店街のはずれにあって古くて雑然とした店だった。「バーテープを止めたいんだけど」と言ったら店主は「うちはビニールテープで止めているよ」と言っていた。ビニールテープは時間とともにべたべたになってしまうのだけど、そうなったら取り替えるとのことだった。
ふうむ。
落ち着いてよく見るとすごい店だった。パン屋と飲み屋と自転車屋が一緒になっている。この店が実在することが恐ろしい。狭い店内にパン屋のメニューと飲み屋のメニューが同じ空間に貼ってあり、その側には自転車が大量に置いてある。たぶん自転車屋だけではやっていけないのだろうけれども、カオティックな世界。
帰ろうとすると自転車のポジションが変であることを指摘された。確かにポジションとか適当なので、自分が都合のいいポジションで乗っている。じゃあついでなのでちょっと直してもらう。話をしていくとケーブルが短すぎるので、延長せねばならないらしい。その日はもう遅い時間だったので、数日後にまた来ることになった。
数日後、小雨が降っていた。自転車をみてもらっていると、なんとフレームに割れを発見される。普段あまり見えないヘッドチューブの割れだったので気がつかなかった。結局このフレームを使い続けることが危険ということで、ケーブル延長を含むポジションの本格的な調整は行わないという結論になった。かといって自分は金がないし、すぐに新しいフレームを買えるわけでもない。とりあえず調整のために剥がしたバーテーブだけを購入して巻いてもらうことに。
今は新しいフレームをなににしようかということばかりを考えている。新しいフレームを買えることがうれしい。金はないし、意味がわからないのだが、お金を使う理由が明確にできたことがうれしいのかも。なるべく安いフレームでカーボンのがよかったんだけど、いろいろなフレームをみたんだけどどうも納得のいくカーボンフレームがない。
捜索範囲を広げてみていくとカレラのフレームが目にとまった。MAMAYAMAというモデル。MAMAYAMAってなんだろう。意味がわからない変な名前だ。イタリアの会社だけどイタリア語ではない。でも、このデザインが気に入った。今乗っているのもカレラだし、どうもカレラのデザインにはフィーリング的にぴったりくるものがあるようだ。安いしアルミフレームだけど、ヘッドチューブは両端が膨らんでいて以前に比べると強化されているように見える。ヘッドチューブの割れがなければきっと長い間乗ることができるだろう。今のフレームも10年近く乗ってきたわけだし。フレーム交換くらいなら自分でもできるかもしれないな。ちょっとやり方を調べてみよう。
http://anond.hatelabo.jp/20100517230945
男性から、婚活の酷さを綴った日記ばかり目にするので、女性から経験をお話したいと思います。結論として、婚活する男女はろくでもない、ということになりますが、興味のある方だけお読みください。
前提:30-34歳の間まで2つの結婚相談所に登録していました。
理由:恋愛経験が極端に少なく、男性と親しくなるのが難しいため。しかし結婚は”普通に”するものだと思っていたのでこういう手段を取りました。
容姿:美人ではなく、顔をそむけられるほど不細工でもない程度です。あと背が高めなのでマイナス要素かもしれません。
趣味・特技:料理・手芸・自転車・外国語学習(英語イタリア語が少々話せます)・音楽鑑賞(アンビエントやエレクトロが好きです)
活動:頻繁に男性と会うほどではありませんでした。数カ月に一度くらい。一日で三回お見合いする方もいらっしゃるそうですが、私は気持ちの切り替えができないのでノロノロしたペースになりました。
プロフィールに職業や年収は書いてあるので、実際に聞くということはしませんでした。私がインドア人間なので、似たような趣味で大人しそうな見た目の方で且つ相手も私と会う気になった人とお会いしました。年収300万の方もいれば、1000万以上の方もいらっしゃいました。印象深かった人について何人か書きます。
私がお断りされた場合ももちろんあります。両方のケースに対して、私に問題があったところも承知しています。90%の確率で趣味は引かれるので、あまり触れないようにしていました。
私も含め、婚活をする男女はろくに異性関係を築くことが出来ず、コミュニケーションも取れない人間が多いと思います。
例外はいます。友人で婚活をへて結婚したカップルがいます。彼女は(美人で)たくさん恋愛を経験した後、とにかく結婚がしたくてがむしゃらにお見合いをしまくった結果成功しました。その成功例を参考にすると、とにかく割りきって感情やプライドなどを越えて結婚を考えられる男女がめぐり合うと良いような気がします。
婚活をする女性が浅はかで強欲とばかり思わないで欲しいのです。お互い様です。私はもう結婚を諦めました。女性が独身で生き続けるのが大変なことはわかっていますが、若いうちにたくさん恋愛をしなかったことが悪いのです。せめて、死ぬまでにあと一度くらい恋愛が出来たら良いなと思っています。
以前、id:michikaifu さんの
国家生き残り戦略としての日本語リストラ http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/20091031/1257023368
という記事が話題になり、それなりのブクマ数を集めたようである。今更ではあるが、言語学的視点からこの記事について言及してみたいと思う。
元記事では
> 人種が入り混じってしかもアジア人人口が多いカリフォルニアでも、中国系以外の人が中国語を習うのはなかなか大変。
> いきなり漢字しかない上、母音が多く発音も難しい。日本語は世界で一番難しいのだ!と息巻く人もいるだろうが、
> 日本語は母音が5つしかなくて発音がスペイン語やイタリア語と似ているし、表音文字があるので、入り口の敷居は必ずしも高くない。
と述べられている。
「日本語は母音が5つしかなく」「表音文字があるので」とあるが、実はこれは意外と厄介なのである。外国人が日本語を見たとき、驚く点の一つに、「ひらがなの種類が多い」という事項が挙げられる。確かに、日本語には「母音が5つしかなく」、「表音文字がある」が、その表音文字であるひらがなは、母音の少なさとは対照的に母音と子音の組み合わせで全て文字が違い、それが約50もある。
また、多くの日本人は「ひらがなは必ず母音と子音の組み合わせになっていて発音が簡単」だと思うかもしれないが、外国人の視点からするとこれは必ずしも正しくない。
これを読んでいる日本人のみなさん、次の単語をそれぞれ音読してみて欲しい。
それぞれひらがな4文字から構成される単語だが、2文字目の「ん」の発音は3語で全て違う。
「しんぶん」では、「ん」を発音する際、くちびるを閉じ、「むー」に近い発音をする必要がある。「しんがん」の場合は、口を開け、舌を上顎から少し離し、音が鼻に抜けるような感じで、次の「が」に続くように発音する(このときの「んが」という発音は鼻濁音と呼ばれる。国語の授業で習った記憶のある方もいるだろう)。「しんせん」の場合は、口を開け、舌を上顎にくっつけるような感じで、鼻に抜けない「ん」を発音する。
今ひとつ実感出来ない向きには、それぞれの「ん」の発音を無理やり入れ替えて音読してみるとよりわかりやすいだろう。例えば、「しんぶん」の2文字目の「ん」を発音する際、なるべく口を閉じないように「ん」を発音しながら、次の「ぶん」につなげてみて欲しい。相当、口の動かし方に無理があることがわかるだろう。
「しんぶん」の2文字目に対応するローマ字は "m"、「しんがん」の2文字目に対応するローマ字は "ng"、「しんせん」の2文字目に対応するローマ字は "n" である。
日本人はこれらを全て区別せずに「ん」というひらがな一文字で扱う。しかし、逆にこれらの発音を全て区別して扱う言語を母語とする人からすると、このような違いは習得時の障壁になる。音声で聞くと違う音に聞こえるのに、ひらがなにすると同じ文字になってしまい、混乱が生じるのである。(例として、英語では "n"/"ng", "m" は表記上区別されるし、中国語では "m", "n", "ng" 全て区別して扱われる)
日本語以外の語を母語とする人がよく戸惑うのが促音、すなはち「っ」という文字の存在である。
促音はとにかくわかりにくい(参考に wikipedia:促音 の項目を見てみても、何が書いてあるかさっぱりである)。例えば、英語には促音という概念に相当する音素がない。日本語話者の方々、英語話者に「っ」という発音を説明することを考えてみて欲しい。 「バック」"back", 「キック」"kick" の "a" "i" に続く音と説明すればいいと思う方もいるかもしれない。しかし、英語では "back" を「べぁく」と発音しようが「べぁーーっく」としようが構わない。"kick" も同様である。「きぃく」、「きっく」、「きぃーっく」、どう発音しようが "kick" は "kick" である。
続く。かもしれない。
世界的に売りたい商品でもプロモーション等は地域に合わせるというのが原則のこの世の中。
映画だって商品に変わりません。
mannaで広告視聴する今日この頃「理想の彼氏」のプロモーションが気になっていました。
理想通りの男性とめでたく結婚した筈が、夫の浮気を機に離婚したサンディ。
理想の結婚とか、オフィシャルサイトやトレイラーにも年収とかそういう字が飛び回っています。これが日本のトレンドだからでしょうか。
他方、英語版は・・オフィシャルサイトがないのでWikipediaから引いてくると
サンディは、suburbanな結婚生活を送っていた。
Sandy is leading a suburban married life with her husband
suburbanの解釈次第ですが、英辞朗には退屈なとあります。
そうすると
サンディは退屈な結婚生活を送っていた
だそうなのですよ。日本のプロモーションと全く逆じゃないですか!!
ということで映画の解釈次第でどうにもなるかも知れない問題ですが、
広告とかメディアの世界ってやっていけないのだなぁと改めて痛感する瞬間でした。
せいぜい
40歳の美しくて知的な女性のサンディが(中略)離婚してニューヨークに来ました。
Quando Sandy, una bella e intelligente donna di 40 anni, scopre che il marito la tradisce, parte da casa e si trasferisce a New York insieme ai suoi due bambini per ricominciare da capo.
って程度です。
異星人との接触をネタにしたSFライトノベル……と思いきや作者が書きたいのはどうやら政治っぽい。派閥闘争やブラフ合戦を描いているときにもっとも生き生きとしている。地名や組織名が具体的なのが楽しい(たとえば二巻では,東京人にとっては主人公達がどこでどう迷って日比谷から晴海に行き着いたのか容易に想像できる)。設定に突っ込むのは無粋かもしれない。が,あまりに気になる点を二つだけ挙げておきたい。
なおアポストリとは異星人の種族名。外見はヒトの女性に近いが,戦車と素手で渡り合えるような超人的身体能力を有する。なぜかイタリア語を話す。
一巻の最終バトルで利用される設定。アポストリは頑強な骨格と強靭な筋肉をもち,人間離れした怪力と敏捷性,耐久力を誇る。しかし体重はヒトと変わらない。このため,意識して踏ん張っていれば正面から自動車に衝突されても止められるが,不意打ちでヒトに体当たりされれば簡単に姿勢を崩してしまうとされる。
いやいやいや。
水平方向への抵抗は足裏の摩擦だけだろ。体重が同じなら地面からの垂直抗力は同じ,よって得られる摩擦も同じ。自動車に衝突されて吹っ飛ばされる距離も同じ。これは筋肉や骨格とはまったく関係ない話だろう。衝突された時の被ダメージは変わるだろうが,どれほど屈強であろうとヒト並みの体重の生物に自動車は止められない。同様に,怪力で戦車をなぐりつければ自分が吹っ飛ぶ。自分よりはるかに重いものに力をかけたら自分が動いてしまう。作用反作用,おかしくね?
アポストリには雌性体しかいない。異種族の血液を経口摂取して遺伝情報を得,それによって繁殖するとされる。異種族の雌雄は問わない。子は母アポストリと異種族から遺伝子を半分ずつ受け継ぐ。
解釈の可能性としてここには二つあると思う。「遺伝子」が一般的な表現と同じ,デオキシリボ核酸の配列を指している説。血から配偶子を生産してアポストリ自身の生殖細胞と融合させるイメージ。あるいは,アポストリはDNAによらずに形質を娘にコピーしており,異種族から獲得する遺伝情報も核酸なんて物質には依存ないという説。たとえば吸収した血液中の細胞を胎内で物理的にスキャンして形質を抽出するとか。
いずれにせよ,発生起源の異なる異星生物間での生殖を可能にするためには相当の仕組みが要求される。もっとも,こんな設定は作中で明かされることは決して無いだろうしそれで良いと思う。吸血対象がイエバエやサンショウウオでもいいのかについては興味を惹かれるけど。気になるのは,このような生活環であるにもかかわらず,アポストリがまるでヒトのように振舞うことだ。われわれヒトの行動様式や感情は,当然ながらわれわれの生殖形態に強く規定されている。この前提を欠くアポストリがヒトの雌そっくりに振舞うことは強烈な違和感をもたらす。異なる生活環には異なる思考がなければならない。アポストリがヒトの雄にヒト的な意味で恋愛感情をもつなんて不自然きわまるじゃないか。獣姦趣味どころの変態じゃない。
つまらないエラッタ。四巻,稲雀との戦闘シーンで星祭事件が「3ヶ月前」との記述がある。これは単純ミスと思われ。ラパーチェ事件が3ヶ月前(裁判に3ヶ月かかっている)だから星祭事件はそれよりも前。また葉桜以前を「一年前には~」と表現する記述があるが,葉桜が来てからまだ半年じゃなかったっけ。今ちょっと参照できないが一巻時点で
とされていたはず。そしてまだ周囲は共棲を開始していない。なんか季節単位で四巻出てるから一年間の気になってしまうが。(再追記:7月~3月の8ヶ月なので「1年」としても不自然ではない)