はてなキーワード: 中国大陸とは
どこ行っても中国語(広東語、北京語)で話しかけられたので多分現地民かもしくは中国大陸からの移住者または旅行者と思われていたのだろう。
こちらの反応がないのを見て外国人だと悟り英語で話しかけられる。
世界中から人が集まる上海の空港でも香港マカオの一流ホテルでもそうだった。
外国人と分かったら「日本人?」「韓国人?」「日本人?韓国人?」と聞かれることが多かった。
空港や著名な観光地では白人などもたくさんおり、彼らには最初から英語で話しかけていたようだった。
「これはマカオパタカで表示されているのか?香港ドルか?」と聞かれたので、
わざと現地民のふりをして英語で答えた。
最後に
「Are you Japanese? You spoke Japanese,I heard.」と言ったら
「Yes,you understand Japanese?」と返されたので
「Yes,of course,because I am Japanese!」と言ってやったので相手もびっくりしていた。
ローカルなコンビニでのことだったので、地元民しかいないと思っていたらしい。
日本でもほかに情報がない限りはモンゴロイドの人間がいたらまず自国民だと信じて日本語で話しかけるだろうし、
西洋人だったら日本語を理解する可能性を想定せず英語で話しかけると思う。
日本語に堪能な非英語圏の白人が日本に帰化して日本人になっても、
白人というだけで英語でしか会話させてもらえないということで、
「自分はいつまでたってもガイジン扱いだ」と嘆いていたのを思い出した。
中国とか韓国とかでもモンゴロイドなら自国民と信じ、白人だったら最初から自国語など理解することのできない英語話者とみなすのだろうか?
中国本土内でも上海の都市部やローカルな田舎とでもだいぶ差があった。
ローカルなお店を除いては大抵英語併記。マカオに至ってはポルトガル語も加えて三言語併記。
少なくとも通じる人をどうにかして捕まえられる環境は常にあったと思う。
ところがマカオから海をフェリーでものの10分渡って中国の片田舎に入ると、
えーと日本は中国(現在の中国ではなく、中国大陸のあのへんって意味)に強い影響を受けている国で、
文化レベルでいえば歴史の9割くらいは中国の下にあったのはそのとおりで、実際中国の文化はすばらしいよ。
でも、それを踏まえても「嫌中」ってのはごく普通のことだよね。(だって、現在の中華人民共和国が嫌いなんだから)
天皇って文化にも確かに影響はあると思うよ、うん。でも天皇自体はもう完全に日本文化だよね。
よーするに、俺はラーメンは好きだけど刀削麺はあんま好きじゃない。それだけの話じゃないのか。
別に、嫌中の人間だって二郎でニンニクマシくらいするだろう。中国が嫌いなくせにおまえラーメン食うの?みたいなこと言われても。
まー、あと「中国」が一つの継続的国家みたいなこと言うのはさすがにおかしいよね。
人種も勢力も替わりまくりだし。現在の中華人民共和国は歴史のほとんど無いに等しい新参国家だよなぁ。
マルクス主義以降、新しいイデオロギーを取り込みまくったせいで「伝統」とか「文化」なんて消えたい放題でしょ。
中国の研究者が日本の大学に「中国史」の研究に来るんだよ最近、自国よりよく資料が残ってるから。
台湾併合を宣言してから平定までに数年かかっている。
一方でいろんな「明治の偉人」達が高い理想で善政を布いてみようとしたり、インフラ整備をやり遂げたりする。
そんな人たちも現地人に暗殺されてみたり、反動暴動で「殉職」してみたりする。
でも、心打たれた台湾人の人が記念碑や祠をつくって奉ったりもしている。
日本はサトウキビも欲しかったし、台湾を日本の一部として近代化して、重工業化したかった。
「台湾の土人がぁ!」といいつつも結果的に台湾を近代化する方向へ導いている。
で、日本の敗戦後は中国大陸から国民党の敗残兵がなだれ込んで前近代的な蛮行を行って一時はどん底におちるが
植民地化や蛮行自体は褒められたことではないかもしれないが、道徳的正しさと歴史的正しさは必ずしも一致しないという見本かもしれない。
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欧米メディアも日本のマスコミも、このニュース、きわめて静か。アメリカ人のスミス博士とリチャード・カオ博士ほかひとりの併せて三人がCCD技術と光ファイバーでノーベル物理学賞の受賞となった。
俄然、大騒ぎを演じているのは中国メディアばかりか、海外華僑の華字紙、台湾と香港のマスコミも大々的報道をしているのも、受賞者のなかのカオ博士が英国籍の中国人だからだ。本名は高昆。
高博士は1933年上海生まれ、76歳。49年に香港へのがれ、1954年にロンドン大学電気工学部へ留学し、光ファイバーの研究に没頭した。世界的に有名な物理学者として知れわたり、香港返還直前、中文大学に招かれて香港で教鞭を執った。その後、中国社会科学院の外国籍メンバーにも加えられた。
やはりフランス籍中国人の高健行がノーベル文学賞を貰ったときも大騒ぎをしたし、アメリカ籍だった台湾人の李遠哲がノーベル化学賞を貰ったときも大騒ぎをしたが、それぞれが共産党を批判したため、その後、中国大陸では彼らの礼賛は止んだ。
日本のマスコミ諸兄! ロンドンのカオ博士に直撃インタビューに出かけて中国批判をやらせては如何?
(注 高昆の「昆」は金偏)
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通巻第2733号
終わってた……
http://blog.arukikata.co.jp/tokuhain/hongkong/2009/08/post_125.html
発売直後は今までのドラクエと世界観が違ったり、難易度が子供向けに低くなっていたり、変なギャル妖精が登場したりと、かなり不評だったDQ9ですが、プレイしてみると意外と面白くてはまっています。
今回のDS版の最大の特徴は何といってもDSならではの「すれ違い通信」機能や「マルチプレイ」機能です。同じくドラクエを持っている人と一緒に冒険を楽しめたり、お互いの宿屋に呼び込んで滞在してもらったりして、宿屋を拡張したりできます。
日本では「すれ違い通信」を求める勇者たちのため秋葉原に「ルイーダの酒場」が設置された、とニュースで知って、1プレーヤーとしてとてもうらやましかったです。
というのも、ここ香港では「日本語版」であるゆえDQ9のプレイヤー数が日本に比べて当然ながら圧倒的に少ない!もちろん香港人の中には日本語の読める人もたくさんいますし、読めなくてもネットには中国語の攻略サイトが山のようにあり、専門用語の中国語解説や攻略法を事細かに解説しています。
中国大陸にも、台湾にも、そしてここ香港にも熱狂的なファンは多数存在します。
が、そうはいっても「すれ違い通信」ですれ違う確率は日本に比べて限りなく0。
現在のところ、わが宿屋の来客数は2名のみ。周囲の数少ないプレーヤー同士で細々とっやっています。
さて、前置きが長くなりましたが、ここで香港の数少ないDQ9勇者(この記事を読んでるからには日本人)に朗報です。
Facebook上の「香港 勇者鬥惡龍 同好會 dragon Quest Fans HK」で「DQ9すれ違い通信オフ」第2回を開催するとの告知がありました。
8月15日に開催された第1回集会は急な告知だったにもかかわらず40名以上が集結し、大盛況だったようです。そして開催を知らなかった人たちから「ぜひ2回目を!」との熱烈なリクエストがあったとのことで、今週土曜日に第2回オフを開催します。
詳細は以下。
日時:8月29日(土)19:30〜
場所:モンコック(旺角)の歩行者天国(西洋菜南街)にあるマクドナルド前
イベントは第1部すれ違い通信(19:30〜)、第2部マルチプレイ(20:00〜)。
事前申し込み等、一切必要ありません。
また、ファンクラブメンバーが日本に行ってあの伝説の「まさゆきの地図」をゲットしてきたので、当日参加者に配信するそうです!
香港のDQ9勇者たちと交流する絶好の機会です。ぜひお見逃しなく。
あなたの宿屋を拡大して、リッカを喜ばせてあげましょう。
中国からの刺客に無防備、米国はなぜ安全方面を考慮しなかったか
政治は風向きが変わると、その渦中にいた人間は、その運命が右から左へ、上から下へと突如翻弄されることになる。
台湾が国民党独裁の時代、中国大陸から逃げてきた亡命者を「投奔自由」と比喩し、国民党系のメディアは英雄扱いした。
私は中国からの亡命者のなかでもミグ・パイロット、京劇俳優、作家、医者(周恩来の主治医もいた)、物理学者(中国の核物理学者もいた)、通訳など八十数人にインタビューし、『中国の悲劇』という本にまとめたことがある。
ただし国民党の宣伝となってはいけないので米国へ逃げた人々も追いかけ、拙著の最後の場面は、台湾人作家で北京へ逆に亡命し、はては米国へ再亡命した奇異の存在、陳若儀をサンフランシスコに訪ねて「それでも中国に希望ありき」という談話で掉尾を飾った。
80年代前半まで、台湾には「同胞救済協会」のような支援組織もあり、亡命者が台湾にあらわれる度に、大きな記者会見を開催し、ミグ・パイロットには黄金数キロという懸賞もつけて賛美した。
第一に中国からの亡命者は台湾ではなく、欧米を目指し始めたこと。
第二に台湾は自由化を驀進しはじめ、とくに亡命者を賛美する風潮が掻き消えたこと。
どこかの国の状況と似ている。ベトナム戦争の英雄は、米国に帰ると邪魔者扱いされたように。
既報のようにグアンタナモ基地に八年間、「タリバン」の容疑者として拘束されていたウィグル人兵士13名は、パラオ諸島に移送される。
最初は17名と言われたが、すでにそのうち四名はバミューダで暮らし始めたことが分かった。
ウォールストリートジャーナル(09年6月23日)は、「はたしてこれらのウィグル人らはパラオ諸島で身の安全が保障されているのか」とする疑問を報道した。
まともな軍隊も警察もないパラオは人口わずか二万。二百数十の島嶼国家。台湾と外交関係があるため社会のインフラ建設と整備には台湾がおおきく貢献してきた。
その台湾が中国と接近している政治境遇の大変化も手伝い、中国の代理人や刺客の侵入はわけもないこととなる。
「南洋ののんびりした島で休養がとれることは彼らのメンタル回復に役に立つはず。なにがしか働き、貯金し、かれらの人生の夢は最後にメッカ巡礼なのだから」と。
パラオ諸島が、かれらタリバン兵士被疑者を受け入れたのは、米軍の二億ドルの援助であり、人道的理由は二の次だろう。
もしヒューマニズムが最大の動機というのなら三年前の米国の打診開始の時点で受け入れる筈だから。
▲両天秤外交も挫折の時代へ
さて中央アジアのイスラム国家、キルギス政府は「米軍の継続駐留を認める」と百八十度逆転の決定を『平然と』行った。
驚き桃の木山椒の木。
簡単に経過を振り返ると、アフガニスタン空爆の拠点としてキルギスのマナス空港を米軍の集荷流通センターのごとき兵站拠点としてきた。
昨年からキルギスでは「米軍は出て行け」という運動が(ロシアに支援されて)組織化され、ことし二月、キルギス議会は米軍の撤退を正式に決議した。
米軍は2010年8月をメドに撤兵する予定となった。背後にはプーチン政権の援助(水力発電プロジェクトなど20億ドル)があった。
この直後、或る米軍高官に聞いたことがある。すると、かれはにやりと嗤って「いずれ逆転がある」と意味深長に言った。『米軍の出費拡大がキィですよ』と。
両天秤外交は嘗てマレーシアなど新興アジア諸国でも顕著だった。当時は米国とソ連に援助合戦を競わせた。
▲政治とは不条理で成り立つ
キルギスは米ロに援助を競わせ、まんまと両国から援助拡大の約束を取り付け、米軍には空港使用料の値上げを認めさせた。
そこには倫理が介在する余地がない。私は嘗て高坂正堯氏が言ったことを鮮明に思いだした。
「宮崎くん、そうはいうてもやな。外交に道徳をいれたらややこしくなるで」。昭和四十三年春、セミナーが終わって大阪中之島から北新地の二次会場へ向かう電車のなかだった。私は外交と道徳について質問したのだった。
冒頭パラオのことに戻る。
南太平洋に存在する島嶼国家十二のうち、六カ国が中国に寝返り、六カ国が台湾との外交関係を続けている。
いずれも激しく両天秤外交で成果を味わい、とくにキルバスなどは、二転三転。援助の多寡で自由自在に外交関係を切ったり繋いだり。同様のことは中南米諸国とアフリカで顕著である。
変化の予兆は中台の「雪解け」「一中市場」「国共合作」からである。
政治的潮流の大変化とともに、中国も台湾も、援助合戦の無意味さを認識し始めた。
もとより札束により外交関係を維持するという外交戦術を選んだのは台湾国民党時代であり、その台湾が国民党の政権復活により、みずから始めた援助外交を終息させる。
不条理!
いや、政治とは不条理そのものではないか。
つい昨年までビジネス情報界で流行した新造語は「CHAINDIA、チャインディア」だった。
印度と中国の興隆が世界経済をダイナミックに変えるという楽観的見通しから来ていて、実際に同題名の本がベストセラー入りしていた。
CHAIWANも、チャイナと台湾を足して二で割って造語。しかし、台湾では誰も国にしないので、これはひょっとして日本のジャーナリズムだけに通用する造語かも。
さて不況入りした台湾経済は未曾有の失業者をだして、日々、馬英九政権を困惑させているが、打開を図る一環として大陸からの観光客歓迎、人民元通用という画期的政策に加え、大陸からの資本投資を許可する方向にある。
てんで話は逆さまである。台湾企業が六万社、大陸に投資した金額は公式統計でも2000億ドルを突破している。現実には5000億ドルとも言われる。
今度は中国大陸からも、台湾へ投資して貰いましょう、と路線変更。馬政権は『大陸地区人民来台湾投資許可辨法』をすでに制定している。
最大野党の民進党は、このなかにある第六条『防衛条項』を問題化し、「もし中国の軍系列企業138社が、国策を秘めて台湾へ投資した場合、どういう対応がとれるのか」として、下記の軍企業の投資は完全に禁止せよと要求している(自由時報、6月12日号)。
中国兵器装備集団公司
水資源の森林地域が中国資本の買い占めの対象となっている。不動産のまとめ買い、とくにベイエリアではマンションの五十、六十戸を中国系資本が「まとめ買い」している。現実に池袋北口など、全国各地にはニュー・チャイナタウンの出現。
日本のなかで、とくに先端技術をもっている中小零細企業がつぎつぎと狙われるわけだが、スパイ防止法もない日本に抜本的対策はあるのか?
ラスベガスの高級感と優雅さに欠け、カネだけの博打場は限界があった
マカオは旧ポルトガル植民地。1999年に中国に返還されたが、爾後、なにが一番変わったか?
唯一の産業=博打ビジネスが以前より繁盛し、本場ラスベガスから大手三社が殴り込み、そして、大不況の到来とともに米系一社が倒産し、それでも二十四時間不夜城のマカオの博打場は盛業を極めていることだ。
旧植民地時代からのマカオ・パカタである。香港ドルとほぼ等価。ところが、マカオで、この独自通貨にお目にかかるのは稀、殆どが人民元か、香港ドルで決済されている。ホテルは米ドル建てか、香港ドル建てだ。
2004年頃までは香港ドルが圧倒的に優位だった。人民元優位に転倒がおこったのは05年以後で、いまではマカオ中のホテルでもレストランでも人民元の天下となった。香港もそうである。香港とマカオは「人民元合衆国」の一員と名付けても良いだろう。
香港とマカオは「特別行政区」で、「一国両制度」のもと、五十年間は自治が保障されている。だから独自通貨を維持している。
独自の行政法(憲法らしきもの)があり、一応、言論の自由があり、独自のパスポート(或いは居住証明)が発行され、世界中旅行できる。
しかしEUの通貨が「ユーロ」で統一されたように、人民元という通貨が共通となって、香港とマカオは中国の「出島」のごとき存在となり、“人民元合衆国”の一員となったのである。
最初にマカオへ行ったのは三十五年前だった。
香港からフェリーで行った。三時間以上かかった。船酔い客が続出した。マカオの公式の博打場はフェリー乗り場に近いリスボア・ホテルしかなかった。
このホテルはマカオ経済を牛耳るスタンレー・ホーの経営である。
筆者は麻雀もパチンコもやったことがないので、トランプ博打の遣り方を知らないが、このとき同行した弟が二十ドルほどかけて、五十ドルほど勝った。
十五年ほど前にも行った。やはりまともなホテルと博打の施設はリスボア・ホテルしかなかった。
マカオは事実上、この最大財閥=スタンレー・ホー一族の天下だった。マフィアが入り乱れ、麻薬、武器密輸、売春が盛んで、治安が悪く、筆者はもっぱら香港から日帰りだった。
返還後、行政法が改正され、外国の博打ビジネスの進出を緩和した。
一斉に博打ホテルが開業した。とくにラスベガスの大手三社、サンズ、MGM、ウィン・グループがやってきて、つぎつぎに豪華ホテルを開業し、そこに中国大陸からどっと、年間1200万の博打打ちが、あたかも中山競馬場へいくような気軽さで押しかけるようになる。
フェリー乗り場と中国との国境ゲートからは各ホテルがそれぞれ無料バスを運行している。まるで昔の面影はない。
2年前にもマカオへ行って驚嘆したことが幾つかある。
第一はマカオの通貨が殆ど使えないこと。第二は二十四時間不夜城のホテルではロシア美女のダンス、フィリピンからの楽団がショーをやっているが、本場ラスベガスのような娯楽性がない。ショッピング街が貧弱極まりない。家族で遊べない。第三に付帯設備が貧弱。エンタテインメントの風情に乏しい。そのうえ、レストランはまるで町の食堂である。
優雅に時間を過ごし、贅沢な食事をワインを飲みながら楽しみ、或いは瀟洒なショッピング・アケードを冷やかし歩くという贅沢な空間のなかに味あうリクレーションの発想がないのだ。
中国人はひたすらマネーゲームに熱中し、カネカネカネと念仏を唱え、ほかの楽しみがない。博打に勝てば美女を買うぐらい。
▲これからマカオの迷走が始まりそう
マカオには決定的に“遊び心”が欠落している。
そして2009年6月1日、マカオの「夢の市街区」(ドリームタウン)が開業した。目玉はスタンレー・一族(娘のパンシーが経営参加)とラスベガスの大手が合弁の新築ホテル「ハード・ロック・ホテル」。
認可料金も莫大で、「夢の市街区」の建設費用21億ドルのうちの、じつに40%が『ライセンス料金』としてマカオ行政府の懐に入った。
04年にラスベガスのサンズ・ホテルが開業し、06年にラスベガスのウィン・グループがリゾートホテルを建て、MGMミラージュも店開きし、07年にベネチア・ホテルも開業した。ラスベガスの御三家が揃っていた。繁栄はピークに達した。年々顧客がふえ、売り上げはラスベガスを凌いだ。
ところがラスベガスの経営者らが首を傾げた。ラスでは博打の胴元の稼ぎは、全体の売り上げの26%でしかなく、付帯設備からの売り上げが凄いのだが、マカオでは計算が狂った。
共産党幹部の出入りが激しくなったのも、ここで合法的な賄賂が受け取れるからである。業者の招待でマカオへ「出張」し、博打をする。業者が天文学的金額をかけて、故意に負ける。
共産党幹部は合法的にべらぼうな賭け金を受け取る。領収書が発行される。合法の賄賂である。
中国アフリカ開発基金はすでに初動の10億ドルを使い切り、20億ドルを追加
強気が戻ってきた。
中国は海外投資を見直すと発表したばかりだが、中味を見ると一億ドルを超える投資は許可制にするだけで、率直に言ってざる法。
李登輝政権から陳水扁政権初期にかけて、台湾から中国大陸への投資は5000万ドル以下と決められていた。海外子会社を経由したり、香港子会社が海外の銀行から融資を受けたりのあの手この手で台湾企業は、数十億ドルを一社で投資していた。
さて、中国の公的なアフリカ投資は「中国アフリカ開発基金」を基軸に行われているが、軍事援助とのバーターなどで行われる石油ガス取引は、詳細が透明ではない。
アルジェリアがこんどは注目を集めた。
コンゴへの90億ドル投資に関して、小誌でも伝えたが、国際社会に負う110億ドルの借金を踏み倒すコンゴに、中国がかくも強気の投資を続行する理由は、コバルト鉱山である。
アルジェリアはフランスからの独立以後、ナショナリズムが強く、西側は投資を嫌がった。リビアよりナショナリズムの熱狂があった。
ところがアルジェリアは外貨準備高が、じつに1400億ドルに増えていて、たとえ石油代金がこれから一バーレル=20ドル割れをおこしても、十分にやっていける計画であるという。
現地の大手銀行のひとつ「スタンダード銀行」は南アが本店、最大株主は中国だが、「最近、アフリカ諸国への中国企業のリターンが顕著だ」という(英紙『フィナンシャル・タイムズ』、2009年3月17日)。
アルジェリアは、しかしながらスキル不足を理由とされ、せっかくのプロジェクトがあっても技術労働者はごっそりと中国から連れてくる。建設は機械、建材、労働者ごと請負い、徹底的に中国企業に還元される。
ただし一年に一回か二回しか休日もなく、中国人は働きづめの由。
アルジェリアに525キロに及ぶ新ハイウエィ建設も中国が行うが、これはCRCC(中国鉄道建設)とCITIC(中国国際信託投資公司)との合弁。
通信事業アルジェ・テレコムとエジプト系「オラスコム」が合弁ですすめている電話通信プロジェクトも、中国の「華為技術」(携帯電話大手)の参入が予定され、北アフリカだけでも、中国人は三万人以上が駐在している。
中台の文化交流というが、パンダ外交と寸毫も変わらないのでは?
中国五千年の歴史と文化の粋がまとまって展示されている(昨師走、玄関の看板をみたら「中華八千年」と誇示されていて、その隣は法輪功の座り込みデモがあったが)。
言うまでもなく、蒋介石は中華民国の正統な権力継承を象徴する「三種の神器」として、中華伝統の宝物を夥しく軍艦に載せて、兵隊よりも大切に台湾へ運んだ。
台北に鎮座まします数万点の宝物は、換言すれば中国大陸のもの、独立主権国家台湾としてはありがた迷惑でもある。台湾には独自の文化と伝統と習俗がある。
そして故宮博物院の宝物の一部が北京で展示されることになりそうである。
14日に故宮博物院の周館長を団長に三日間の日程で北京へ赴き「交換展示」の詳細を協議するという(『台北タイムズ』、2月13日付け)。
北京がつけてきそうな条件は「以後、台湾の故宮博物院を『台湾故宮』と改称せよ、と言われるかも」。
http://anond.hatelabo.jp/20090103230639
両親とも九州の出で鎖国中も外国と交流のあった長崎に近いから、私の髪の毛の色が「染めてるの?」とツッコまれるほど薄く、ときどき金髪が生えてくるのは、祖先のどなたかが白人だったからじゃないかなあと子どもの頃から思っている。中国大陸のほうからはたくさん人が来ているから、先祖をすべて調べてみれば外国人の1人や2人誰でも居るもんだと思ってる。
友だちの顔だちは白人風で「どこかの血が混じってるの?」と訊かれるそうなんだけど「ええ、クォーターなんですよ。母が子どものころロシアに住んでたんです」と言うと100パーセント信じるそうだ。クォーターはウソだが、母親がロシア育ちなのはホント。でも、わからないだけで先祖のどこかに白人が居るんじゃないかなーと思う。そのくらい洋風。
ハーフだと自分の血がどこから来ているのかはっきりしてていいなあと思ってた。同じ国に生まれた男女よりドラマチックな出会い方しそうな感じがするし。はっきり言って日本人同士だと惰性で結婚することもありそうだけど、外国人同士だと「一緒にいたい」という強い意志がないと結婚できない気がするんだよね。そこらへんはどう? 「へえ〓、ご両親、熱烈恋愛したんだ?」とか訊かれるのは嫌?
実は日本軍のこれらの国に対する駐留も、
相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。
○わが国は中国で和平を追求したが、その都度、蒋介石に裏切られた。
○1928年の張作霖列車爆破事件も少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。
(文献によれば)コミンテルンの仕業という説が強まっている。
それは満州が豊かで治安が良かったからだ。
侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけはない。
○日本が中国大陸などに侵略したため、日米戦争に突入し敗戦を迎えたといわれるが、
米国によって慎重に仕掛けられたわなであったことが判明している。
○東京裁判は戦争の責任をすべて日本に押し付けようとしたものだ。
そのマインドコントロールはなおも日本人を惑わせている。
このマインドコントロールから解放されない限り、
わが国は自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。
前回↓が途中で切れたため、その段落から改めてつづきを貼ります。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し3 百万人もの犠牲者を出して敗戦を迎えることになった、日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた。ヴェノナファイルというアメリカの公式文書がある。米国国家安全保障局(NSA)のホームページに載っている。膨大な文書であるが、月刊正論平成18年5月号に青山学院大学の福井助教授(当時)が内容をかいつまんで紹介してくれている。ヴェノナファイルとは、コミンテルンとアメリカにいたエージェントとの交信記録をまとめたものである。アメリカは1940年から1948年までの8年間これをモニターしていた。当時ソ連は1回限りの暗号書を使用していたためアメリカはこれを解読できなかった。そこでアメリカは、日米戦争の最中である1943 年から解読作業を開始した。そしてなんと37年もかかって、レーガン政権が出来る直前の1980年に至って解読作業を終えたというから驚きである。しかし当時は冷戦の真っ只中であったためにアメリカはこれを機密文書とした。その後冷戦が終了し1995年に機密が解除され一般に公開されることになった。これによれば1933年に生まれたアメリカのフランクリン・ルーズベルト政権の中には3百人のコミンテルンのスパイがいたという。その中で昇りつめたのは財務省ナンバー2の財務次官ハリー・ホワイトであった。ハリー・ホワイトは日本に対する最後通牒ハル・ノートを書いた張本人であると言われている。彼はルーズベルト大統領の親友であるモーゲンソー財務長官を通じてルーズベルト大統領を動かし、我が国を日米戦争に追い込んでいく。当時ルーズベルトは共産主義の恐ろしさを認識していなかった。彼はハリー・ホワイトらを通じてコミンテルンの工作を受け、戦闘機100機からなるフライイングタイガースを派遣するなど、日本と戦う蒋介石を、陰で強力に支援していた。真珠湾攻撃に先立つ1ヶ月半も前から中国大陸においてアメリカは日本に対し、隠密に航空攻撃を開始していたのである。
「ホームページに載っている」と、また典拠をあいまいになさっていますね。アクセス日時を明記して、該当のURLを示すことも論文のルールとして確立しています。典拠となる論文の題名も該当ページも省略されていますが明記するのが普通です。先行研究の要約と著者の意見の区別がつかないのも問題です。先行研究の要約にオリジナリティはありません。先行研究について論じたいのであれば別でしょうが、先行研究を手がかりに、何かを主張したいのであれば、引用でも注でも根拠となる史料(この場合は「機密資料」)の該当部分を明記するのが論文のルールです。ちなみに孫引きは基本的にしてはいけません。原典にあたらずに引用元の編集が正確であるとは言えないからです。つまり、読む側からすると、根拠が示されていないがために、その主張を認めることはできません(学問のルールにおいては、主張する側に立証責任があります)。
ルーズベルトは戦争をしないという公約で大統領になったため、日米戦争を開始するにはどうしても見かけ上日本に第1撃を引かせる必要があった。日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行することになる。さて日米戦争は避けることが出来たのだろうか。日本がアメリカの要求するハル・ノートを受け入れれば一時的にせよ日米戦争を避けることは出来たかもしれない。しかし一時的に戦争を避けることが出来たとしても、当時の弱肉強食の国際情勢を考えれば、アメリカから第2,第3の要求が出てきたであろうことは容易に想像がつく。結果として現在に生きる私たちは白人国家の植民地である日本で生活していた可能性が大である。文明の利器である自動車や洗濯機やパソコンなどは放っておけばいつかは誰かが造る。しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
繰り返しますが、根拠のない推測は論文の中では無価値です。さて、戦った結果、無条件降伏して占領(=支配)されました。その後、戦争をせずとも、サンフランシスコ講和条約を結んで独立できましたし、奄美諸島も小笠原諸島も沖縄も返還されました。
さて大東亜戦争の後、多くのアジア、アフリカ諸国が白人国家の支配から解放されることになった。人種平等の世界が到来し国家間の問題も話し合いによって解決されるようになった。それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。そういう意味で私たちは日本の国のために戦った先人、そして国のために尊い命を捧げた英霊に対し感謝しなければならない。そのお陰で今日私たちは平和で豊かな生活を営むことが出来るのだ。
しつこく繰り返しますが、風が吹けば桶屋が儲かる式の主張に説得力はありません。「国家間の問題も話し合いによって解決」とのことですが、イラク戦争やグルジア戦争は話し合いではありません。「百年、2百年」の根拠も示されていません。「人種平等」を推進した国際連合を結成したのは、勝った「強者」の国々でした。
一方で大東亜戦争を「あの愚劣な戦争」などという人がいる。戦争などしなくても今日の平和で豊かな社会が実現できたと思っているのであろう。当時の我が国の指導者はみんな馬鹿だったと言わんばかりである。やらなくてもいい戦争をやって多くの日本国民の命を奪った。亡くなった人はみんな犬死にだったと言っているようなものである。しかし人類の歴史を振り返ればことはそう簡単ではないことが解る。現在においてさえ一度決定された国際関係を覆すことは極めて困難である。日米安保条約に基づきアメリカは日本の首都圏にも立派な基地を保有している。これを日本が返してくれと言ってもそう簡単には返
また、「・・・・・・という人」、さらに「・・・・・・と思っているのであろう」ですが、藁人形を叩いても論文に説得力は生まれません。論文で心情の吐露をしても説得力は増しません。私の立場を表明しておきますが、人の生を無益だとする考え方には賛同しないことと、批判的検討を行うことは両立すると考えています。
東京裁判はあの戦争の責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインドコントロールは戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこうというものである。自衛隊は領域の警備も出来ない、集団的自衛権も行使出来ない、武器の使用も極めて制約が多い、また攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦めで身動きできないようになっている。このマインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない。アメリカに守ってもらうしかない。アメリカに守ってもらえば日本のアメリカ化が加速する。日本の経済も、金融も、商慣行も、雇用も、司法もアメリカのシステムに近づいていく。改革のオンパレードで我が国の伝統文化が壊されていく。日本ではいま文化大革命が進行中なのではないか。日本国民は20年前と今とではどちらが心安らかに暮らしているのだろうか。日本は良い国に向かっているのだろうか。私は日米同盟を否定しているわけではない。アジア地域の安定のためには良好な日米関係が必須である。但し日米関係は必要なときに助け合う良好な親子関係のようなものであることが望ましい。子供がいつまでも親に頼りきっているような関係は改善の必要があると思っている。
自分の国を自分で守る体制を整えることは、我が国に対する侵略を未然に抑止するとともに外交交渉の後ろ盾になる。諸外国では、ごく普通に理解されているこのことが我が国においては国民に理解が行き届かない。今なお大東亜戦争で我が国の侵略がアジア諸国に耐えがたい苦しみを与えたと思っている人が多い。しかし私たちは多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。タイで、ビルマで、インドで、シンガポールで、インドネシアで、大東亜戦争を戦った日本の評価は高いのだ。そして日本軍に直接接していた人たちの多くは日本軍に高い評価を与え、日本軍を直接見ていない人たちが日本軍の残虐行為を吹聴している場合が多いことも知っておかなければならない。日本軍の軍紀が他国に比較して如何に厳正であったか多くの外国人の証言もある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である。
国を主語にしたのですから、そのように表明している公式見解くらい示してください。個々の語りについても、他者が参照できる形で提示されないものは論拠になりません。最後まで「侵略」の定義がなされないままでしたね。
戦時中のアジア諸国と日本との関わりについては以下の諸論文を参照。
吉川利治「タイ国ピブーン政権と太平洋戦争」『東南アジア研究』19(4)、1982年、363-387ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/56071/1/KJ00000133800.pdf
大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、347-377ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf
中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、149-217ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf
黒田展之・小林裕一郎「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(1)」『法と政治(関西学院大学)』49(2/3)、1998年、327-337ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001061933
同「シンガポール華僑粛清事件裁判記録(2・完)」『法と政治(関西学院大学)』49(4)、1998年、575-614ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0000592111
谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、361-398ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870
日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国なのだ。私たちは日本人として我が国の歴史について誇りを持たなければならない。人は特別な思想を注入されない限りは自分の生まれた故郷や自分の生まれた国を自然に愛するものである。日本の場合は歴史的事実を丹念に見ていくだけでこの国が実施してきたことが素晴らしいことであることがわかる。嘘やねつ造は全く必要がない。個別事象に目を向ければ悪行と言われるものもあるだろう。それは現在の先進国の中でも暴行や殺人が起こるのと同じことである。私たちは輝かしい日本の歴史を取り戻さなければならない。歴史を抹殺された国家は衰退の一途を辿るのみである。
「事実を丹念に」見せるのが実証的研究です。この「論文」はそうではありません。
「嘘やねつ造は全く必要がない」心の底から同意します。
以上、お目汚し失礼しました。もっと勉強しなければ……
(追記)日本の新聞記事へのリンクを貼り忘れていたので追加します。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
田母神俊雄氏の「論文」が問題になっています。原文は↓からDLできます。
http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
親切に英訳までしたようです↓。そのおかげか、さっそく海外でも反響を読んでいます↓↓。
http://www.apa.co.jp/book_report/02.html
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/7702374.stm
http://www.guardian.co.uk/world/2008/oct/31/japan-secondworldwar
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103101475.html
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2008/10/31/AR2008103100989.html
http://www.nytimes.com/2008/11/01/world/asia/01tokyo.html?_r=1&ref=world&oref=slogin
http://www.thestandard.com.hk/breaking_news_detail.asp?id=8886&icid=4&d_str=20081031
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297008.html
http://www.straitstimes.com/Breaking%2BNews/Asia/Story/STIStory_297257.html
ローズベルト陰謀論が結構とりあげられています。どれだけ「国益」を損ねているのだろう。やれやれと、日本の報道に対するブコメや日記を見てみたら、田母神氏の「論文」の内容に肯定的な人もそれなりにいらっしゃるようです。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081031-00000123-jij-soci
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.asahi.com/politics/update/1031/TKY200810310298.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2008110102000087.html
私も別に現代史に詳しいわけではないです(気の向いたときに、中身が増えてきたCiNiiとGoogle Scholar、各研究機関の学術リポジトリを漁ってみる程度)。しかし、その限られた知識から見ても、問題の「論文」はその形を為してすらいないと思いました。そこで、現在パラパラと集めている関連文献の整理をかねて、「論文」原文に逐一つっこみをいれてみようと思い、エントリを書いてみることにしました。はてな記法で引用した部分は、断りのない限り田母神氏の「論文」からです。原文の全角数字は全て半角に直したことをおことわりしておきます。
アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない。
駐留を認めることと、「(被害をこうむる方にとっては)侵略(といわれているが田母神氏はそうではないとされる行為)」を認めることは違うでしょう。軍隊に攻めこまれることに了承を与えていたというのは、どのような根拠に基づいているのでしょうか?
「知られていない」ことを明らかにするのが行論の目的ならば、「新事実」(この場合は具体的な条約の内容や運用)を具体的に提示し、典拠となる史料を明らかにするのが論文の作法です。主張の根拠を示すのは、論文のイロハのイです。しかし、残念なことに、この「論文」では全体的に守られていません。関連して、「・・・・・・という人」とありますが、論文で先行研究に言及するときは、注をつけて批判対象を明らかにするルールも守られていません。
この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。
スターリンと毛沢東がそれほど仲が良かったとは知りませんでした。コミンテルンにそれほどの影響力があることも知りませんでした。繰り返しますが、オリジナルな主張には、その土台となる史料の裏づけが必要です(「実は??」と書いているのですから、普通は知らない新しいことなのですよね?)。大事なことなので強調します。「新しいことを主張するためには、根拠を示さなければならない」、これは学問の基本です。
1928 年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ(誰も知らなかった毛沢東)(ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け(櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争(岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない。
ようやく文献をあげられましたが、刊行年と該当ページも明示するのが一般的な論文のルールですよね。それは百歩譲るとしても、示された著者のなかに査読つき学術雑誌に報告された方が一人もいらっしゃらない。これは信憑性をさらに落とすものではないでしょうか。また、人の発言を引くのであれば、それが掲載された媒体を明示するのもきほんのきですよね。
張作霖爆殺をコミンテルンの仕業とする説に対しては、特に『マオ』について、中国現代史研究者から根拠に疑義が出されています。
「関東軍高級参謀河本大作らがこの事件を企画し実行した固い事実を、この程度の「スパイ情報」で覆せるものか」(矢吹晋「書評『マオ―誰も知らなかった毛沢東』」『中国情報源』21世紀中国総研編、蒼蒼社、2006年、225ページ。http://www25.big.jp/~yabuki/2006/mao-rev.pdf)。
盧溝橋事件についても、「計画」説に対する批判的研究が出ているようです。
「日本の一部の論者が唱える「中国共産党計画」説と,中国側の唱える「日本軍計画」説がともに誤りであり,盧溝橋事件が日中双方にとって「偶発」的なものであったとする」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、65ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
最後に、既にたくさんのつっこみがブコメで入っていますが、みんながやっていることだからといって、行為に対する責任がなくなることはないでしょう。
我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932 年1 月には3 千万人の人口であったが、毎年100 万人以上も人口が増え続け、1945 年の終戦時には5 千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮
半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。
「同じように開発」と主張するには、開発の指標を定め、比較する必要があります。共通の比較の基準が示されていません。データもです。内地、満洲、朝鮮、台湾、他の植民地宗主国本国、その国の植民地それぞれについて、共通の尺度ではからないと比較にならないのではないでしょうか。それをせずに外形が拡大したと言うだけでは、中国の「共産党政権はチベットを・・・・・・」に反論できなくなってしまいます。
「内地化」も定義を明確にして使うべき用語ですね。
また、現実にも、「帝国日本の植民地支配の歴史には,「外地」を法制的・政治的には明白に異域に置きながら、イデオロギー的には「内地化」を標榜するという,理念と現実の「二重性」がその当初からつきまとっていた」(山本有造「植民地統治における「同化主義」の構造」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』83、2000年、70ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48550/1/83_57.pdf)、「「満洲国」の掲げた「五族協和」にしろ「王道楽土」にしろ,関東軍による露骨な軍事支配を隠蔽するイデオロギーという以上の意味を持ちえなくなる」(山室信一「「満洲国」の法と政治―序説」『人文学報(京都大学人文科学研究所)』68、1991年、150ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/48355/1/68_129.pdf)といわれる植民地統治を、「極めて穏健」と評価するにもまた、基準とデータの比較が必要です。
また、人口の増加は支配の善さを担保しません(チベット・・・・・・)。
我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた。道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939 年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽もいる。
前の段落と同様に、「多く」の中身が不明確に過ぎ、検証のしようがありません。また、植民地が宗主国の支配の下で「植民地近代」化したのはその通りだと思います(松本武祝「’’朝鮮における「植民地近代」’’に関する近年の研究動向」『アジア経済』43(9)、2002年、31-45ページ。http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Ajia/pdf/2002_09/note.pdf)。私はこの辺り特に勉強不足です。各国の軍制についても同じくよく知らないので飛ばします。
孫文をはじめ、アジア各地の革命家が日本に集まったことは特に新しい論点ではないでしょう。ファン・ボイ・チャウの失望も有名な話ですね(白石昌也「ファン・ボイ・チャウと日本」『東南アジア史学会会報』25、1975年、1-3ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004923536)。
李王朝の最後の殿下である李垠殿下も陸軍士官学校の29期の卒業生である。李垠殿下は日本に対する人質のような形で10歳の時に日本に来られることになった。しかし日本政府は殿下を王族として丁重に遇し、殿下は学習院で学んだあと陸軍士官学校をご卒業になった。陸軍では陸軍中将に栄進されご活躍された。この李垠殿下のお妃となられたのが日本の梨本宮方子妃殿下である。この方は昭和天皇のお妃候補であった高貴なお方である。もし日本政府が李王朝を潰すつもりならこのような高貴な方を李垠殿下のもとに嫁がせることはなかったであろう。因みに宮内省はお二人のために1930年に新居を建設した。現在の赤坂プリンスホテル別館である。また清朝最後の皇帝また満州帝国皇帝であった溥儀殿下の弟君である溥傑殿下のもとに嫁がれたのは、日本の華族嵯峨家の嵯峨浩妃殿下である。
旧領主の家系の存続という意味であれば、インドの藩王たちも手厚く身分を保証されていましたね。ベトナムのバオ・ダイもフランスのグランゼコールで教育を受けていましたね(英国人とインド人の婚姻には宗教問題がありますし、バオ・ダイ渡仏時のフランスは共和制だから王室はないですし、この段落については適切な比較が可能な問題設定なのか疑問です。個人的にはそもそも宗主国の王室を嫁がせることが恩恵という考え方がどうなんだろうと思います)。
これを当時の列強といわれる国々との比較で考えてみると日本の満州や朝鮮や台湾に対する思い入れは、列強の植民地統治とは全く違っていることに気がつくであろう。イギリスがインドを占領したがインド人のために教育を与えることはなかった。インド人をイギリスの士官学校に入れることもなかった。もちろんイギリスの王室からインドに嫁がせることなど考えられない。これはオランダ、フランス、アメリカなどの国々でも同じことである。一方日本は第2次大戦前から5族協和を唱え、大和、朝鮮、漢、満州、蒙古の各民族が入り交じって仲良く暮らすことを夢に描いていた。人種差別が当然と考えられていた当時にあって画期的なことである。第1次大戦後のパリ講和会議において、日本が人種差別撤廃を条約に書き込むことを主張した際、イギリスやアメリカから一笑に付されたのである。現在の世界を見れば当時日本が主張していたとおりの世界になっている。
ロイヤルファミリーの婚姻の件で共和制のアメリカを並べているのは不適切でしょう。既に述べましたがフランスも時代によって共和制です。
エルフィンストーン・カレッジ(1856年設立、現在はムンバイ大に)、カルカッタ大学、マドラス大学(1857年設立)というように、大英帝国は植民地支配の拠点に大学その他の教育機関を設立していますね。
http://en.wikipedia.org/wiki/Elphinstone_College
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Calcutta
http://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Madras
「五族協和」が実態をともなわなかったことについては、前掲山本論文および山室論文を参照。
人種差別撤廃についてはよい提案をしたということに同意いたします。ただし、繰り返しますが、現実の施策がともなわなかったことについては残念です。
時間は遡るが、清国は1900 年の義和団事件の事後処理を迫られ1901 年に我が国を含む11ヵ国との間で義和団最終議定書を締結した。その結果として我が国は清国に駐兵権を獲得し当初2600名の兵を置いた「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。また1915 年には袁世凱政府との4ヶ月にわたる交渉の末、中国の言い分も入れて、いわゆる対華21箇条の要求について合意した。これを日本の中国侵略の始まりとか言う人がいるが、この要求が、列強の植民地支配が一般的な当時の国際常識に照らして、それほどおかしなものとは思わない。中国も一度は完全に承諾し批准した。しかし4 年後の1919年、パリ講和会議に列席を許された中国が、アメリカの後押しで対華21箇条の要求に対する不満を述べることになる。それでもイギリスやフランスなどは日本の言い分を支持してくれたのである「日本史から見た日本人・昭和編( 渡部昇一、祥伝社)」。また我が国は蒋介石国民党
との間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。常に中国側の承認の下に軍を進めている。1901年から置かれることになった北京の日本軍は、36 年後の廬溝橋事件の時でさえ5600 名にしかなっていない「廬溝橋事件の研究(秦郁彦、東京大学出版会) 」。このとき北京周辺には数十万の国民党軍が展開しており、形の上でも侵略にはほど遠い。幣原喜重郎外務大臣に象徴される対中融和外交こそが我が国の基本方針であり、それは今も昔も変わらない。
今回は表現からつっこんでみます。「完全に承諾」というように形容詞修飾をするときには、それが表す具体的な内容を補足して、互いの印象の差を埋める努力をすべきというのが、私の受けた指導です。どうしたら「完全に承諾」したことになるのでしょうか。一番肝心な相手に過大な要求をつきつけ、排日運動を燃えあがらせて宥和に失敗したのは外交の失敗であり、恨み言をつぶやいてもごまかすことはできません。
日中戦争については、派兵前の人員の少なさを根拠に「形の上でも侵略にはほど遠い」と主張するのは無理筋にみえます。
(再々追記)また字数超過?で切れたので、つづきへ (さらに追記)補足エントリをTBしました。 (また追記)補遺エントリをTBしました(11/5)。
「中国4000年の歴史」というのは、なんかのCMのキャッチフレーズだったものに過ぎないです。
中国の歴史は60年ぐらいしかありません。1949年に建国されました。それ以前は「別の国家」があの大陸を支配してました。
日本の歴史は、それぞれの解釈によって異なると思いますが、自分は「2000年」と認識してます。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1418869259
269 :日本@名無史さん:2007/10/18(木) 20:10:10
印鑑になんて文字が書いてあるの?
あと当時の中国大陸にはいくつの国があってどの国と交流があったの?
「中国」なんて国は1949年に出来た国だから中国から貰ったなんてのは有り得ないよ
70.「中国4000年の歴史」は虚構だ!! 中華帝国の幻想(2000.5.7)
(本文略)
http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/chinese_empire.html
百歩譲って中国の歴史は1912年(中華民国建国)からの85年です。
では、黄河文明などはどうかって?それは「支那」の歴史であって「中国」ではありません
中華人民共和国って1949年に建国したので60年弱の歴史しかないのに、なんで...kstkikaさん
中華人民共和国って1949年に建国したので
の歴史とかいう風説があるのですか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q149374229
http://shadow-city.blogzine.jp/net/2008/06/post_12c4.html
より
601 :名無しさん@3周年:2008/06/25(水) 21:58:15 ID:YO/WIANK
花子さん、まだかなぁ。
605 :いわぬが花子:2008/06/25(水) 22:21:31 ID:tPDw07G2
>>601 待ってて!!途中まででもよければカキコしますよ。私がこなくなったら
東京湾の底をさらってください。
617 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 00:17:41 ID:DDi1qvVk
花子さん・・・・・途中でもいいから・・・
620 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:30:47 ID:qersQhrJ
>>617 承知いたしました。書く書くサギみたいなことばっかしやってますね、私は。
でその前に、少し解説をさせてくださいませ。
もう2年前になるんですね。私の親戚筋の方で、某上場企業の役員氏がいました。
その人の家でパーティというか飲み会というか、親戚一同が集まる催しがありました。
そのとき、今は亡き橋本龍太郎氏の知られざるエピソードを聞いた・・・というのがことの発端です。そのほか植草氏の事件が完全にでっちあげられたものだったことをしり、参加者一同そろって驚愕した次第です。それは6月11日で、私にとって6:11ショックともいうべき事件だったのです。パーティが終わり、私はどうしてもガマンできず、いつもROMしていたここのスレにカキコした、というわけです。
621 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:32:14 ID:qersQhrJ
花子が2ちゃんデビューしたその時の書き込みを、阿修羅で見つけました。
ちなみに、投稿したのは私ではありません。
http://www.asyura2.com/0601/senkyo23/msg/289.html
ここには、植草氏のことだけまとめてありますが、実際は前半の方に、役員氏が見てきた千葉の補選での小沢氏の様子を書き、そして橋龍さんのとある秘密が告げられ、そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。さらに畳み掛けるように植草氏の事件がまったくの捏造だったことを知り、日本という国が一体誰に支配されているのかワケワカメ状態になったのです。あとはもう、必死になってカキコし連続投稿規制にひっかかり、しばらく脱力したままだったんです。このときのメンバーには、学習院で皇太子殿下と同じ教室で学んだ人あり、元創価学会員で、学会が寄進した建物を本山側がショベルカーでぶっこわした場面に立ち会った人ありで、本物の社会科学習を体験した一日でした。その中に、ノモンハン事件の経験者がおられました。
役員氏のことをY氏、そしてMr.ノモンハンをN氏とこれから書くことにします。
どちらも親戚筋の人です。Y氏は会社を移り、N氏は高齢で先は永くないでしょう。
解説はここまで。
622 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:34:28 ID:qersQhrJ
さてYN両氏から聞いたことを、ザックリまとめます。時系列が前後しますが、まずは戦前のはなしから。
●日本が中国大陸に「進出」し、満州国を建てる。勢力を拡大していく過程で、欧米列強特にアメリカのトラの尾を踏んでしまう。国際金融機関の怒りを買い、日本は300万人の死者をだし敗北する。
??日本統治の裏の顔は >>5さんの通りです。N氏は児玉と辻政信のことを何度も話していました。
だから森内閣成立の際、「辻政信がよみがえった」とうめいたのです。そのときすでに、日本破滅の予兆を感じていたのでしょう。あの戦争を単なる事件と表記していることに、日本の進路を歪めた真因が潜んでいると指摘してました。
623 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:35:36 ID:qersQhrJ
??さらに、それまで日本社会の最下層を構成していたヤクザを、もう一つの裏からの統治に使った。
(この辺はB・古歩道さんの証言と一致しますね。)
戦後の混乱期、ヤクザ社会に朝鮮人と被差別部落出身者が混ざり、 Y(ヤクザ)=N(日本人)+B(同和)+K(半島人)の図式ができあがった。
いやな表記ですが、覚えてください。あとでまた使います。
さらに、日本の植民地支配に対する最大の抵抗勢力だった半島の宗教団体を組織した。
これが当逸凶会にあたります。ここはほぼR・コシミズさんの書いてることと一致します。
文選名とかいうハゲ親父に、なぜ日本のアッパークラスが恭しくぬかずいていたのか、どうしても理解できなかったけどようやく得心がいきました。まさに「分割統治」を受けてたんですよね、戦後ず??ッと今まで。まさに悪魔の統治法だわ。
624 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:36:38 ID:qersQhrJ
日本が奇跡的な経済成長をとげると、米国の関心はただ一点、日本の金融資産に向けられるようになった。
「日本の金融資産横取り計画」は、おそらくかつての満州国成立から崩壊を下敷きに設計された。
まず、「教育改革」で日本人の知的耐震偽装を準備した。愚民化つまりバカ作りに励みましたとさ。
経済上のテストは2つ。1つ目はプラザ合意で、急激な為替変動による富の流出を演出。
2つ目は「グリコ・森永事件」で株価の上下によるインサイダー取引。儲けたでしょうね。
ここですでに、りそなの初期実験を試してたんじゃないの?だとしたら宮崎学は捕まらなくて当たり前。
命を絶った警察官の方、お気の毒。
バブルの発生と崩壊は飛ばします。ただし、ここにも澄田総裁という満州人脈が関わっていたことはわすれてはならないですね。で、ここからは植草氏のインタビュー記事を参考にしながら書きます。
95年に一旦バブル処理が終わる。96年からの日本経済は軌道に乗っていた。
この成長を3年間続けることができれば、株価が2万円を割ることはなかった。
ところが橋本政権が財政立て直しの名目で13兆円も増税し、景気悪化。
それを修復したのが、尾ブチさん。その後、森内閣成立と同時に緊縮財政が始まり、01年に確信犯が登場した。
とまあこんなところです。
625 :いわぬが花子:2008/06/26(木) 01:38:14 ID:qersQhrJ
「構造改革」とい名の日本破壊政策を請け負ったのは、橋本内閣と小泉内閣でした。
つまり小渕内閣は、チャート的にはこの破壊指令に抗ったことがわかります。
尾ブチ氏が亡くなったのは準店道大学病院ではなく、大痛県佐田牟市布施院病院だったと私はY氏から聞きました。話半分で聞いてください。
また伝え聞く橋龍さんの死は、あまりにも・・・
つまり、彼の所有するパソコンの、無線<内臓>LANが、ごっそり抜かれていたとかいないとかワケワカメなので、詳しく知りたい方はB・古歩道氏を訪ねてはいかがでしょうか?
626 :>>620の続き:2008/06/26(木) 01:43:43 ID:qersQhrJ
ブッシュ政権と小泉政権が成立し、人知れずある政策が遂行されました。それは、植草事件とも多いに関係することでした。 キーワードは「日本の韓国化」
そう、植草氏は語ってはならぬことを口にしたのです。決して触れてはならぬこと。
かれの逮捕の陰で、在日朝鮮人ネットワークが動きました。それは役員氏が、日債銀の騒動と本間氏の自殺で垣間見た団体だったそうです。全てのマスコミが事実を隠し、私たち日本人は韓国化されました。中国・朝鮮を挑発し、拍手喝采を受けた小泉内閣がやったことは、日本人を朝鮮化することだったと、どれだけの人が気づいていたでしょうか?
日本の保守・右翼がエセものであったことが判明した瞬間でした。
今宵はここまでにいたします。
628 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 01:59:34 ID:2YBngPzu
花子さん、乙でした。
アメリカの機密文書で、A級戦犯で不起訴になった人たちが命の見返りにアメリカのエージェントになった証拠が出てきているので、おそらくYN両氏が語った話は真実に近いでしょうね。
630 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:13:29 ID:/E3Ks3KV
>>625
乙
橋流の死は今でもワケワカメのままですね
日本破壊のA級戦犯でもあり、逆に絶対タブーの米国債売却を発言したほとんど唯一の首相でもある。
そして最後は厚生利権を剥がされての死
さんざん踊らせれて、目覚めた時には小泉フィーバーで抵抗勢力の頭目w 平成日本政治の最大の謎政治家ですね
逆にこのシナリオがもしユダ公の思い通りに進んだものだったなら、今後も日本の勝ち目は一切無いというくらいの謀略だと思う。
631 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:+/oZdW+e
>>621
そこに居た全員が「ウォー!」とぶったまげたんですね。
ヒントでも良いので知りたいです、
632 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 02:27:19 ID:Wh3p/hBQ
おそらく彼の「眼」にも、来るべき「静かな変革」が見えているのではなかろうか。
このところ、メディアが好んで使ってた「カイカク」ていう言葉や「抵抗勢力」って言葉を聞かなくなった。
おそらく、後期高齢者医療制度でコイズミカイカクの「正体」に国民が気付きはじめたからだろう。
(遅きに逸した感は否めないが、気づかぬよりはマシだ)
その証拠に、不治でやってる「チャンゲ」なる改革プロパガンダドラマも視聴率獲得で苦戦してるようだ。
634 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 03:54:32 ID:1dtjgVjn
635 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 04:29:43 ID:oj4osfJ/
闇さんが出てこなくなったのは、アメリカによる日本支配と「日本の韓国化」 に逆らえない立場にいた人(たち)だったから
でも、もうすぐ傷痍軍人として復活して、アメポチペクチョン中川の秘密などを洗いざらい暴露してくれることでしょう
636 :名無しさん@3周年:2008/06/26(木) 07:02:04 ID:+YZ0JN7d
ダメユダのおっちゃんは何度も「闇の声の正体を知ってる」と
あたかも彼を敵のようにみなしてたよね。
でもおっちゃんは俺のことを何度もぐっちーだと決めつけたりしてたし
まるでピント外れなんじゃないかと俺は思ってる。
皇室に関する発言以来、闇の声は保守系人脈の人ではないと俺は思った。
640 :CiA討伐隊:2008/06/26(木) 08:38:48 ID:oj4osfJ/
>>636
そういうあんたも、朝っぱらからキムチ臭すごいのよw
いまは花子さんが提起された「日本の韓国化」がメインのトピックなのに、なに焦点ぼやかそうとしてるの?
闇さんについては前にもちょっと書いたけど中心人物はMさんと言って年は還暦くらい。あとKさんとか似た文体で書ける先輩が2人いる。若い衆wを三代目か四代目でデビューさせようとしてたけど知性が足りなくて無理だったw(金属バットで殺された朝鮮人の仲間とか質の悪いのしかいない)Mさんは顔つきが朝鮮じゃなさそうだけど、これまでペクチョン擁護発言が多かったのは上司があちら系の方々だからwww
まあいまさら正体暴いても仕方が無いことだし、ここ見てる公安とか二階堂やネットゲリラの中の人たちは皆知ってることです
「日本の韓国化」を阻止し、巨悪を殲滅するためには、それを進めてきた奴らの正体や悪行を晒していくのが最優先であるはずなのに、ぐっちーとか闇の声とか小物ペクチョンの話で焦点をそらすなよな、この低能の豚キムチ。お前が一度でもフェルドマンえ竹中や白丁中川、創価や統一協会を話題にしてことがあったか?もう見え見えなんだよ、おまえの正体が中年の豚キムチっていうのが(笑)
http://d.hatena.ne.jp/akio71/20080422/p1
わからない。今、チベット人が、ウイグル人が漢民族が、弾圧され死んでゆくと知った後で「もう30年、殺されていく人々を黙って見ていれば、うまくいく」と言われ、待つことが正しいのか。
どちらが、より正しいのか、よくわからない。
30年間の虐殺なんて、中国大陸の歴史を見ればそんなに長くないんじゃないかな、と思う。
大陸の歴史に関しては三国志なんかで適当に読んだだけの知識しかないけど、あれだけ長い間地域間紛争をやってきた中には、おそらく今みたいに強者が弱者を迫害するなんて構図はいくらでもあったんじゃないかなと思う。
おそらく政権交代が起こったところで、大陸の本質はそう簡単に変わらないんじゃないだろうか。一党主義が崩壊したところで、次に現れるのは、今までと同じような、覇者が誰になるかを争う構図じゃないかと思う。
20歳大学生男。中国の女性留学生(日本語ペラペラ)との会話。
「最近すごく腹立ったことあった。聞いて。」
「なに?」
「昨日テレビ見てたの。そしたら中国の女子大学生の20%は愛人志望だって。
すごく嫌な気分になった。司会もまるで中国人全員がそうであるかのように言ってた。」
「あー」
「それでもっと腹立ったのが、司会が『いますぐビザとって中国行かなきゃ』と言ってた事。
こんなことより、もっと報道すべきことあると思う。」
「まあ、そりゃあね。でもマスコミは話題性が大事だから・・・」
「視聴率がすべて?私はそうは思わない。社会に対する正義とか義理が大事でしょ!」
「うーん、でも資本主義だし」
「どうして中国と日本、お互い悪い面しか見えないのかしら。すごくつらいわ。戦争の事とか。
でも、戦争で傷ついたのは庶民だもんね。それはどっちの国も一緒。もう戦争は絶対にしたくないわ。
私、子どもが生まれたら、絶対に戦争には行っちゃダメって教えるつもりです。」
「うん、それはいいことだとおもうよ。僕の祖父の兄弟も中国大陸に行って戦死しました。戦争は嫌なモンです。」
「本当にそうです。実は、日本も戦争後数年はすごく貧しかったって聞きました。最近知りました。でもそのあとすごく発展しましたよね。
中国は文化大革命のせいで全然発展できなかった・・・。私の母親とか小学校すら出られなかったのです。」
「そういや、文化大革命ってなんなんですか?名前はよさげだけど。」
「名前はね(笑)学者とか知識人とか若い人をどんどん田舎に送り込んで労働させたのです。それで学問も経済も
すべて停滞しちゃった。中国の人は『あの10年間がなければ、今頃はもっと発展していた』と口をそろえて言います。」
「えー、そうなんだ。そんなんだとは知らなかった。その間に日本はアメリカと組んでアメリカに守ってもらいながら経済発展しまくってましたよ(笑)」
「私も、それはすごい賢いと思う。(笑)」
とりとめがつかなくなったのでここまで。