「満州」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 満州とは

2011-12-20

下書き 俺の定義する従軍慰安婦問題は存在しないんだ論

そーかー、可哀想な朝鮮人女の子はいなかったんだ、良かったね。

ということを、書いた人間すら肯定してなくて、軍隊によって性犯罪の被害にあった、そういう子はいたんだけども、それは俺が定義する従軍慰安婦問題ではない、だから従軍慰安婦問題は存在しない、という主張なわけで、それって、ああ、確かにお前の定義する従軍慰安婦はいなかったかもしれないけど、私は、或いは私の母は、日本軍によって性犯罪を受けたから、日本政府は謝罪して賠償するべきだ、といわれたときに、なんか意味があるのかな。

まー、あれだ。国内世論ガス抜きのためだっ、てのは分かるが、そんなこといったら、不景気になればなるほど国士様が生まれ出る我が国だって似たようなもんではないか。指摘者の意図と、その指摘内容の正誤は分けて判断するべきであろう。

例えば、たとえ話をするが、終戦直前に満州に押し入ってきた露助どもは、悪行の限りをつくしたが、それは、性犯罪に走った個人に責任があるのか、赤軍とその背後にあるソ連責任があるのか、お前さんはどっちだと思うんだ?

で、今から例えば声をあげて糾弾するべき相手はどっちなんだ?

2011-09-14

社会に甘えんな

就職浪人してから10年が経った

http://d.hatena.ne.jp/nagaimichiko/20110214/1297616210

未来なんて見えなくて、希望なんて持てなくて、

でも何とかしなくちゃいけなくて。

仕事なんて見つからなくて、

世界からあなたなんて要りません」って言われているような気がして、

じゃあここにいる自分は何なのって、

アホくせぇ。

自分は何も考えなかったのに、その何も考えなかった自分世界から必要とされるべきってなんだそれ。

中二ならともかく、大学生にもなってそれか。

から就職できねぇんだよ。

こういう事言うと「バブルの頃は誰でも就職できた、私たちは社会犠牲者」みたいなことを言い始めやがる。


俺の親父は満州帰りだ。

兄弟を3人、帰りの船で喪ってる。

生きて帰れたのが不思議なほどだったそうだ。

その後の人生質実剛健公務員を選び、赤貧に塗れて暮らしてた。

小学生の頃、おれは継ぎ接ぎのシャツズボンを着てたし、長屋に住んでた。

個室やゲームに憧れたし、ビフテキはよっぽどのお祝いがないと食べれなかった。

バブルの頃の浮かれっぷりと自分比較するのに、そういう事と自分比較しねぇんだろ?

時代が違うとか言い出しちゃうんだろ?

甘え丸出しじゃねぇかよ。

俺なんて貧乏経験してるから仕事は何でもいいと思ったけど、

・・・ほっとしたのもつかの間、自分が一生SEとしてパソコンの前でかりかりプログラミングする姿を想像したら、

なんだかそれだけで肩が凝って苦しいような感じがして、

絶対無理だ、と思って内定を辞退してしまった。

何様だよ。

必要とされてるじゃねぇかよ。

お前が世間に甘えてるだけだろがよ。


別にさ、ブラックだの社畜だのの言葉があるから、このご時世仕事を選ぶなとは言わんよ。

一生の物だからな、ちゃんと考えた方が良いだろう。

けど、「自分仕事を選んでる」のに、「世間が選んでくれない」とか、ガキみたいに恥ずかしい事を大学生が言うな。

その上、うつ症状って、メンタル弱すぎだろ。

2011-02-27

若者搾取とかの言葉を聞いて思う

私の親父は小さい頃に満州から逃げてきた。ちなみに私は40だ。

ほとんど記憶に無い年齢しいが、乳飲み子の弟が二人死に、家財の一切を失ったらしい

それから北海道へ移り住み、寒い中に苦楽を重ね、公務員の職を得て都内で暮らし、2児をもうけた。

近年退職し、退職金年金をもらっているが、「搾取だ」との声を良く聞く。

はて、搾取とは「誰」が「誰」からしてるのだろうか。

彼らは、今日日本を、まさに焼け野原から築いたわけだが、考えようによっては、当然の報酬はないのか。

昨今の就職不況で「世代格差」が問題になっている。


ぉぃぉぃ。

彼らは戦争か、それに近いどん底を味わったのに?

その後の世代だって、空調も無い満員電車で運ばれ毎日働き、TVやクーラーが贅沢品って時代を生きたのに?

このぬるい日本でぬくぬくと生きて、単に自分が望む就職が出来ないってだけの状況を「世代格差」?

そう思える「今」がどれだけ有難いか知ってるのかと。

むしろお前らは、この今の日本を用意してくれた先代に、何が返せるんだよ。

馬鹿じゃなかろうかと思うんだよな。

2011-02-07

通化事件

http://anond.hatelabo.jp/20110107100953

教えて!goo

No.6

* 回答者:neko358

* 回答日時:2002/07/23 02:13


通化事件戦後満州通化にとどまっていた旧関東軍兵士らが国民党にあおられ、八路軍司令部を襲った事件。千名以上の日本人が処刑されたが、この原因を作ったのは旧関東軍であり、中共軍の責任を問うはかなり無理。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/319972.html

http://anond.hatelabo.jp/20110207165007

国民を増やせばいいだろ。アメリカにとってのアラスカイギリスにとってのインド日本にとっての満州だよ。

2010-09-07

農法の進化

農法の進化の過程を見ていると、紀元前から続く農業肥料との戦いであったことに気づく。



ヨーロッパの原始的な農法として二圃制というのがある。

冬に小麦を育てるのだが、その後はなんと一年間放っておき、休耕地にする。

これは別に農家が怠慢だとかではなく、そうしないと小麦が育つ地力が回復しないからだ。

次に北ヨーロッパに農耕文明が伝わってしばらくすると、三圃制というのがでてくる。

二圃制に加えて夏に大麦を育て、大麦→小麦→休耕のローテーションにする。

これは当時としてはかなり便利だったらしく、長く続けられた。



ところで、別にそんな面倒なことをせんでも成り立つ非常に便利な農法が古代にもあった。

氾濫を利用する方法だ。

メソポタミア文明エジプト文明、その他いろいろの文明の発祥地ではこれが非常に便利に使われていた。

土が枯れたら雑草に癒して貰うのではなく、川に流してもらい、新しい土を持ってきてもらうのだ。

そうすれば毎年なんの憂いもなく農業に励める。

現在では大河の氾濫など、人間に害があるばかりでダムでも作って治水してしまうものだが、化学肥料がなかった時代は氾濫は農業にとって非常に重要であった。



ところで、農地の地力とは、主に窒素分のことである。

大気中に腐るほど存在している窒素も、窒素酸化物などの形で地面に入らなければ植物が利用できない。

日本では古来、カミナリのことを稲妻と呼んだ。雲中で大放電現象が起きることで空気が灼かれ、窒素酸化物ができそれが雨に乗って地上に落ちる。無論、稲妻最初に呼び始めた人たちはそんな現象は知らぬだろうが、その関係性は知っていたのだろう。



窒素を大量に固定してくれる植物は、マメ科植物だ。

大豆などが有名だが、大豆肥料として利用されていた。日本では満州大豆を大規模栽培し、油などを取った絞りカス日本に輸入して肥料にしたりしていた。

化学肥料がいくらでも手に入る現在では、行われていないが、日本田圃では収穫後の田圃レンゲソウマメ科)を植えた。

幻想的な風景だが、昔は田圃に一面のレンゲソウが咲いていることが日常風景であった。(その蓮華は枯れる前に花ごと地面に巻き込んで肥料にした)



ヨーロッパ農業革命と言われるノーフォーク農法(輪栽式農業)では、クローバーを栽培した。

クローバーマメ科であり、この時やっと人間が「肥料を作る」という現象が発生した。

これまではずっと「肥料はどこかから持ってくるもの」だったのだ。(たぶんこの辺の意識の違いが近代近世あたりの歴史認識重要になってくるんだろう)

ノーフォーク農法は大麦小麦クローバーの他に、あまり地力を必要としないカブを育て、そのカブ家畜に食わせることによって家畜を年中飼育することができた。

クローバー家畜の糞でようやく、紀元前から続いてきた慢性的肥料不足は改善されるようになったのだ。



その後の化学肥料農薬の現代農法が確立されるようになり、肥料の問題は(少なくとも量的な側面では)農業から消滅した。

今や肥料をえるために四苦八苦していたのは歴史の事柄である。

2010-07-20

http://anond.hatelabo.jp/20100719153148

ビックリするぐらい自分の父親の出自や色々と重なっていて、やっぱりビックリした。

満州で生まれて、日本に命からがら逃げてきた親世代って意外と多いのかな。

ちなみにウチの場合、祖母はほぼ語らなかったが、父はしょっちゅう

「弾丸をくぐり抜け、風邪を引いたら唐辛子背中に擦りつけて治療して生きてきた」

とか言ってる。辛かったとか苦しかったとかは言わないが、まあそれは辛かったんだろう

と察しつつ。



それはともかく、元増田。私も母親に捨てられたとかいうフザケタ生い立ちを

二十歳頃に聞かされて、当時はまあまあ動揺してた。

けどね、そんなことどうでも良くなるのだよ。

育ててくれた親や、今いる友達、人間関係。それらが今ここにあることが一番重要って

思えるようになったからね。

お父さんの死因は気の毒だと思う。けど、キミにとって大事なのは死因でなく、増田自身を

産んでくれた(?)事だとおもうんだ。

しばらく引きずるかもしれないが、前向きに生きてくれることを切に願うよ。

生きろ。

http://anond.hatelabo.jp/20100719153148

自分ルーツを探りたいという気持ちは自然なものだと思う。



俺の父親は満州で産まれた。

物心付く前に敗戦を迎え、祖母に連れられ命からがら日本に帰ってきた。

帰国後も数年は、栄養失調で生きるか死ぬかをさまよっていたという。



祖母は今まで、父親にも、俺にも、一切満州での体験を語らなかった。

そして今後も、もうろくして施設にいる祖母からは、それは語られないだろう。



そんな中。

語れる人がいなくなってから、父は突如、戸籍を頼りに自分ルーツを探しに中国に行った。



そして探し当てた。



父の産まれた病院・父の妹(俺の叔母)の産まれた病院、両方に行ってきたという。

そこで撮ってきた写真をうれしそうに俺に見せてくれた。

「ここで俺たちが産まれたんだ」と。



父は、そこで分かった俺の祖父のことも教えてくれた。

叔母が産まれる数日前に、祖父は満州で他界したのだという。

産まれてくるわが子を抱けずに逝った祖父の無念は、いかばかりだっただろう。

幼い父の記憶に残ることもなく、祖父は、そうやってこの世を去った。



しかし、なぜこんなことを祖母は俺達に伝えなかったのだろう?

今となっては分からない。しかし、「言わなかったこと」が理由を物語っているようにも思える。



だれもが過去を持っている。言いたい過去もあれば、言いたくない過去も。

でもそれが、俺の今につながる過去だと思えば、いかなる過去であっても、ただただ、「ありがとう」という気持ちになる。



俺も、自分の父親を失ったわけではないから、その悲しみや辛さは分からない。

だけど、あなたが「知ろうとしたこと」は自然なことだと思う。



それではだめかな?

2010-06-22

祖父との思い出

今からとても変なことを書くけど、増田だから気にしない。お目汚し御免。

シベリア特措法というのが成立した。戦後ソ連によってシベリアに抑留された人たちに対する保証金だとか。

【主張】シベリア特措法 忘れまいソ連不法行為

http://sankei.jp.msn.com/world/europe/100621/erp1006210248000-n1.htm#

だからソ連けしからんとか、その他諸々政治とかに関わる話もあるのだろうけど、以下すべて個人的な話。

ひとつ本件について感想を述べるならば、何を今更で、うちの祖父はシベリアに抑留されて、戦後15年目くらいに亡くなっている。それを戦後65年経ったところで給付されますといったところで遺族がもらえる訳でもないし、そもそも今更そんなものをもらったところで、祖父を亡くして一家の大黒柱を失った母の成人するまでの暮らしが楽になることもない。

それをけしからんというのもなんだかなあと思うし、もしうちの祖父が存命ならどう感じたかと思うとまた祖父のことを思い出す。

祖父のことを思い出すといっても、僕の生まれる遥か前に祖父は亡くなっていて、祖父の人となりはすべて写真からでしかわからない。だから、孫にとってどういう呼び方が相応しいのかわからない。おじいちゃんがいいのか、じいちゃんがいいのか、おじいさまがいいのかすら。

そして母はたまにしか祖父のことを語らず、しかし思い出話をするときの昔を懐かしむ眼差しは両親のそろった家庭に生まれ育った僕の伺い知ることのできない凄みと、祖父への親しみがあり、それはなんとなく覚えている。主に母にとって厳しい父親だったこと、小さいながらも家と仕事を持ってそれなりに幸せな家庭をもっていたこと、子供が生まれてから転勤の少ない職場転職したこと、猫が恐かったこと、数学がとてもできたこと、満州へわたった事情と、祖母とのなれそめとかとか。

そして祖父の人柄を自分の中で作るようになり、偶然かどうか、祖父と似たような仕事に就いた。もし生きていれば祖父は僕とどう接するのか、自分にとってどういう祖父なのか、きになれば尽きることはない。そういうことが年に数度。

だから祖父との思い出のあるやつはいいなあとか、後々思うようになった。子供の頃はそんなおっかないじいちゃんはいらないとおもってたものだけど。

そしてこのような戦争とか、シベリアについての話をニュースで聞くたびに思う。もし祖父が生きていたら今の世の中、戦争についてどういうか。それとも全て墓場まで持っていくか。人となりは母と祖母とその親戚の口からしか伝わらない。そして2人とも祖父は「海軍士官学校」にいたとかいう程度の認識しかない。ちょっと絶望的。

またこういうニュースを聞くたびにこう思う。軍人同士の付き合いで曾祖父が祖母と祖父を引き合わせて結婚した2人の間に母が生まれて、父とであって僕が生まれて、確かに戦争記憶なんて僕にはないし、話をする人もそうそう多くはないけど、確実に僕の人生に何らかの影響を与えているって。なによりシベリアから帰ってきて、その後同胞を置いて帰ってきてどうせ拾った命と、魂削るまでして祖父が働かなければ早死にすることもなく僕は祖父と孫として会話ができてたかもしれない(祖父が残した数少ない記録のうちの1つである手記にそうあった)。

母の話を聞くたび、祖父の人格を補完していって、きっとこういう人だったのだと仮定して、そこから自分との会話を想像したりする。あのときああいう人ならこう言っただろうなあって。

そうして僕は祖父との思い出を作ってたまに他人を羨んだりする。あいたかったなあ。俺もじいちゃんと仕事の話とか、したかった。母も、和久井映見が演じるOLが友達と飲み屋で飲んでて、たまたまその父親が後から飲み屋であって、父親のツケで飲みまくるっていうCMを見て、私もああしてお父さんに甘えたかったとつぶやいた。幼い妹は、悪い娘だねといったけど、母は寂しそうな顔をして、僕はまだ子供でよくわからなかった。

僕もじいちゃんと酒飲んでみたかった。だから酒を好きじゃないけど、酒を飲んでみんなと酔っぱらうのが好きだったという祖父のお墓に酒を持って今年も墓参りに行こうと思う。

2010-05-21

http://anond.hatelabo.jp/20100521213905

ノモンハン事変には満州軍も参加していたんだけど、日本軍の麾下に組み入れたのが組織としての失敗だった。

モンゴル人の将に率いらせなかったセンスが致命的。

2010-03-26

ttp://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/honbun/taiwan3.html

中国」が本来、自国領と考えている地域

1953年北京政府発行国定教科書『現代中国簡史』に基づく)

中国」(満州内モンゴルウイグルチベット・東カシミールアクサイチン地区)の占領地域を含む)

台湾現在、「中華民国」の施政権が及んでいる地域

朝鮮半島韓国北朝鮮

ロシア極東地域沿海州樺太

外モンゴルモンゴル国ロシアブリヤート

西トルキスタンカザフスタン領・キルギス領の一部)

東南アジアベトナムラオスカンボジアタイミャンマーマレーシアシンガポール

南シナ海島嶼群(南沙諸島・西沙諸島)

旧英印領地域インド領シッキム・バングラデシュブータンネパール領の一部)

これをご覧になられた方はどの様な感想をお持ちになるでしょうか? 現在支那東南アジア諸国が、領有権で係争中の南沙(スプラトリー)諸島や西沙(パラセル)諸島どころの話ではありません。支那の領土観に従えば、フィリピンインドネシア(旧蘭印領)・東ティモール(旧ポルトガル領)・東マレーシアカリマンタン島北西部のマレーシア領サバ州・サラワク州)・ブルネイ以外 ── つまり、支那と陸続きになっている東南アジア地域は全て「中国領」となってしまうのです。そして、現在の「中国」領以外の「潜在的中国領」は、現在の「中国」領に匹敵する程、広大なのです。と、ここ迄は、海を隔てた「他国の話」であって、自分達には直接関係無いと考えておられた方もおありでしょう。しかし、上記の表には「潜在的中国領」とされる地域の全てを記載した訳ではありません。実は、これにはまだ続きがあるのです。では、その続き ── 記載しなかった「潜在的中国領」とは具体的に何処(どこ)を指すのか?

支那が「潜在的中国領」と考えている地域に敢えて書かなかった地域、それは何と驚く事に、

沖縄



だったのです。いや、より正確には、日台支三国で領有権を係争中の尖閣諸島(詳しくは、コラム『94.「お宝」目当ての領有権主張 ── 尖閣諸島問題』を参照)を含む琉球諸島全域(沖縄県)・奄美諸島鹿児島県)・対馬長崎県)と言った地域なのです。これらの地域は、今更言う迄もありませんが、日本国の施政権が及んでいるれっきとした「日本の領土」です。その「日本の領土」迄も、本来あるべき「中国領」と支那は考えているのです。最早、到底笑って済ます事の出来る話ではありません。

支那が何故、沖縄を「潜在的中国領」と考えているのか? それは、かつて沖縄が「琉球国」と呼ばれていた頃 ── れっきとした「独立国」だった頃に迄遡ります。(コラム『42.琉球独立!! 「沖縄基地問題」に対する処方箋』を参照) 沖縄が「琉球国」だった時代、琉球支那(明国及び後継の清朝)に朝貢し、琉球国王支那皇帝によって冊封されていました。つまり、支那から見れば、琉球支那の「属国」あるいは「属領」であり、単に「自治権」を与えていたに過ぎないと言う訳です。しかし、琉球は1609年以降、薩摩藩によって王国体制を維持した形での支配を受ける様になり(島津支配)、これ以後、琉球は日清両国朝貢する ── つまり、日本清朝と言う二つの「宗主国」から支配を受ける事となったのです。その後、明治維新後の日本によって1871年に保護国化され、1879年、遂に王国解体日本に編入され「沖縄県」となったのです。しかし、支那はかつての「宗主国」として、琉球沖縄と名を変え、日本領となった現在も「自国領」との認識を捨ててはいないのです。

2010-03-10

昔     ‥ アメリカ

その少し後 ‥ 満州東南アジア

↑の暫く後 ‥ ブラジルボリビア

しばらく前 ‥ アメリカ

今の少し前 ‥ 中国ベトナム

今     ‥ インド

2010-02-12

閣下、それは、悪魔に魂を売ることではありませんか?

閣下、まさかこのタイで同じことを考えておられるのでは?」

 長谷は、同意を得るように滝の横顔を見た。滝も、「そうだ」と大きく頷いた。

 参謀はその二人を見て呵呵大笑した。

貴様たち、人の話は最後まで聞くものだ。我が盟友タイ国民を麻薬漬けにしようなんて考える馬鹿者が何処にいる。自分はかつて、満州南京に赴任したとき、阿片吸引の悪弊を無くさせようとその方策模索したことがある。しかしだ……。よいか、事を起こすに当たっては、まずはあらゆる可能性を探り、その中から最善の方法を選べばよい。さてと、貴様たちも、名前ぐらいは耳にしたことがあると思うが、山崎広助、そうバンコクで手広く貿易商を営んでいる山崎物産社長だ。その彼が、自分に進言したことがある。彼の話によれば、ここタイの北部山岳地帯には、メオ族やアカ族など何十万人もの山岳民族が住んでおり、そのほとんどが芥子の栽培を生業としている。これを山崎物産管理下に置き、生産の効率化と流通機構の整備統合を行えば相当の利潤を見込める。それをラオス独立運動の資金にされては、と言うのだが……。そこでだ、取り敢えず、長谷と滝には芥子から精製する成分の研究、分析を臨床学的かつ薬学的見地から早急に進めてもらいたいのだが」

閣下自分たちは軍人であると同時に、人の命を預かる医師でもあります。ラオス植民地から解放し、理想国家建設することにはなんの異論もありませんが、その手段に麻薬を使うことだけは到底許せるものではありません」

滝の言葉が終わるのを待ちかねたように長谷も続けた。

閣下、それは、悪魔に魂を売ることではありませんか?」

馬鹿者!」

 辻参謀が激しく机を叩いた。

「滝、長谷、くどいぞ。芥子は本来モルヒネの原料だ。医者がその研究をして何が悪い。芥子の樹液を麻薬として使うかどうか、それは個人の良識の問題だ。酒に溺れる人がいるからといって禁酒法を強行できないのと同じことだ。高邁な理想を実現するためには、小を捨てて大を取るぐらいの気概が必要だ。麻薬を何処にどう捌くか、それは山崎物産がやることであって、貴様たちが関与する問題ではない」

 

(ナンクワの微笑み 北山泰樹 著)

http://d.hatena.ne.jp/asin/4835584236

2010-02-06

 サンフランシスコ講和条約日本国籍を離脱しなければならなかった特別永住外国人

 日本敗戦国になったとき、それまで日本の一部とされ、居住地や職業選択の自由が与えられ、内地に移住しさえすれば被選挙権が与えられ、帝国議会議員になった者までいた朝鮮は、敗戦責任から逃れる為に、独立を宣言した。日本国内にいた朝鮮人も、日本人ではなく第三国人であると主張し、戦勝国と同等の権利を主張した。

 朝鮮人は、自らの意思で日本国籍を放棄したのである。

 敗戦国となった日本は、ポツダム宣言(1945年)で海外領土の放棄を義務付けられ、放棄された地域独立国として建国していく過程で、朝鮮人敗戦国民であるよりは、新興国家の国民である方が豊かな生活ができると判断し、移住していったのである。日本にいた朝鮮人は、敗戦日本帰化する事を選んだ極小数を除いて、すべて、満州からの引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰っていった。まさか、引き揚げ船が片道は空船で運行されていたと思っているのだろうか。引き揚げは日本人海外領土からの引き揚げであると同時に、日本国内にいたそれらの地域出身者の引き揚げでもあったのだ。

 そうやって成立した新興国の中で、唯一、自立できなかったのが朝鮮半島である。日帝統治以前は土人国家であったのだから、日帝が居なくなれば、ろくな統治が出来なくなるのは当然であった。朝鮮半島の北側には、ロシア傀儡である金日成中国共産党の協力を得て、北鮮を建国した。ロシア満州を侵略したついでであり、伝統的な南下政策の都合であるし、中国は、朝鮮半島橋頭堡を築かれると、北京が簡単に攻撃されてしまうという軍事上の理由から、陸上兵力の簡単な移動を不可能にする為に、ロシアでもアメリカでもない緩衝領域を作りたかった。アメリカとしても、朝鮮半島橋頭堡は築きたいが、連合国である中国ロシアにも相応の分け前を与えなければならず、朝鮮半島を南北に分割して、それぞれの衛星国を建国するという話に落ち着いたのである。

 それらの打算から、北鮮はロシア中国国家承認を得て独立し。南鮮はアメリカ保護を受けて独立した。そして、それらの後ろ盾と、アメリカの補給線の長さから、南鮮への侵略戦争に勝ち目があるとして、北鮮が南下を始め、朝鮮動乱(1950年)が発生した。

 この朝鮮動乱によって、一度は日本から出て行った朝鮮人が、日本密入国してきた。この時点では、難民条約(1954年ジュネーブ条約)はまだ存在しておらず、日本は、独自の人道的判断から、戦争難民の一時受け入れを決定し、日本国内での永住許可を与えた。

 いわゆる特別永住者とは、この永住許可を得た者とその子孫であり、サンフランシスコ講和条約(1951年)とは、一切関係が無い。

 サンフランシスコ講和条約は、放棄領土に関しては、日本台湾朝鮮独立国として承認したという条約であり、それらの地域出身者で日本国内に継続して存在していたいわゆる第三国人に、平和条約国籍離脱者という正式名称を与え、それらの国籍に移設しただけである。ポツダム宣言によって、それらの人々は第三国人として日本国籍から分離されたのであって、あえて日本国籍喪失させられたとするならば、ポツダム宣言の時点であると言える。サンフランシスコ講和条約によって、平和条約国籍離脱者は特別永住許可者になったのだが、この対象者は、敗戦国に居続けたという点で希少な存在であり、極少数であったし、帰化する意思が高く、ほとんどが帰化済みである。

 引き揚げ船の逆便で朝鮮半島に帰還した朝鮮人は、朝鮮半島上陸した時点で朝鮮国籍を取得しており、その時点で、第三国人ではなくなっている。本人の意思で、朝鮮国籍を取得したのである。朝鮮動乱によって日本密入国してきた朝鮮人に対しても、同じ特別永住許可が出された為に、混同が発生している。戦争難民に対する人道上の措置と、海外領土の放棄に伴う処理とが、混ざってしまっているのである。朝鮮動乱の避難民帰化する意思が無く、また、第三国人としての悪行も知れ渡っており、不良民族として区別の対象となっている。

 日本海外領土の放棄はポツダム宣言に拠ることを踏まえれば、根拠が無いばかりか、根本的な歴史認識において間違えている主張であることは明らかである。おそらく、ポツダム宣言サンフランシスコ講和条約も、本文を読んだ事が無いのであろう。

 これが、市井の個人であれば、距離をおいて関わらないようにすれば済むのだが、これだけあからさまな間違いを、国会議員、それも国務大臣が堂々と公言してしまうという点で、致命的である。誰か止めなかったのかとか、ブレインとなるべき政策秘書は何をやっていたのかとか、まともなブレインが居ないほど人望が無いのかといった感想が出てくるし、そもそも、ちゃんと日本学校卒業したのか、近現代史公民単位を取れたのか、学歴偽装じゃないのか、といった疑念がわいてくるのであった。

 外国人外国国籍があるから外国人なのであり、国籍国において市民権参政権を行使するのが筋である。日本参政権日本国民固有の権利であり、日本帰化し、日本の秩序に従い、日本の為に血肉を捧げる事でしか入手できない。それが出来ない特別永住者は、速やかに許可を取り消し、朝鮮半島に帰還させるべきである。

 間違った知識や判断が出てこないように、正しい歴史を広める必要がある。情報を捻じ曲げると、事実すら捻じ曲げられてしまうのだ。

 妄言は、個人の愚行である。妄言妄言であると誰も指摘できなくなるのは、社会の愚行である。戦争を愚行であると非難する人はいるが、戦争の原因は、歴史国境国民性認識がゆがめられて対立が発生する事にある。妄言妄言であると指摘できなくなる言論の統制こそが、間違った民意を発生させ、戦争根本原因となるのである。

 言論を慎むとは、その言論が間違っていない事や、人々を幸福に出来る事を心がけることであって、口を噤むことではない。ましてや統制でもない。地位にふさわしい見識を持たない者は、その地位を汚さない為に、進退を弁えるべきである。

2010-01-28

http://anond.hatelabo.jp/20100128063813

「侵略」の定義国際連合総会決議3314な。犠牲者が出た云々は武力行使のprima facieな証拠。

その定義に従って解釈したのだが。

自国が領有権を主張していれば「他国の主権が確立されていない」扱いして良いんだ? 西沙の半分についてはベトナムの実効支配があったわけだが。

これは、事実認識が不足していた。侵略には該当するな。

ただ、国益に合致してるかどうかの評価には疑問があるし、仮に一時的に合致しても、長期的に合致するとは必ずしもいえない。

まぁ、勉強にはなったので、事例提供には感謝する。

増田の上の基準によれば、清朝崩壊後の政治空白において、明瞭に中華民国の主権が確立されていなかった満州日本が介入して満州国を作らせたのは、侵略ではないな。

満州建国自体も、侵略該当性について議論できるとは思う。個人的にはどっちでもいい。あまり実益有る議論じゃないし。

でも、日中戦争満州建国以降じゃないのか?

http://anond.hatelabo.jp/20100127001337

「侵略」の定義国際連合総会決議3314な。犠牲者が出た云々は武力行使のprima facieな証拠。

少なくとも、明確に他国の主権が確立されていないのなら、「侵略」に該当しないのではないかと。

自国が領有権を主張していれば「他国の主権が確立されていない」扱いして良いんだ? 西沙の半分についてはベトナムの実効支配があったわけだが。

でも、日中戦争侵略戦争だな。

増田の上の基準によれば、清朝崩壊後の政治空白において、明瞭に中華民国の主権が確立されていなかった満州日本が介入して満州国を作らせたのは、侵略ではないな。

2010-01-26

http://anond.hatelabo.jp/20100126180912

そうそう。

そして、そういう人たちこそがモンペであり、他人に責任押し付けているんだけどね。

産婦人科小児科裁判問題も同じ。

普通の神経してたら、産婦人科小児科医師になんかならない。

責任だけを押し付けられてしまうから。

隣人や医者を信じる事が出来ない人が、それらを遠ざけてしまった。

挙句、自分が減らしておきながら、医師が少ない、子育て支援がないと怒り出す。

どちらかと言えば、信じていた人こそが怒りたいのではないか。


ところで

「他に代わりの子供が沢山いて、一人くらい死んでも別に良いから」謝れば済んだ時代

って何時頃ですか。

参考までに知りたいなぁ。

私の祖母は、終戦で満州から帰るときに4男を亡くしましたが、死ぬまで悔やんでましたよ。

その話をするたびに、ずっと詫びてました。

2010-01-25

http://anond.hatelabo.jp/20100125113212

ナチスドイツ大日本帝国利益を最大化できたの?

一時は、ヨーロッパを席巻ししたり、満州を支配してたりしてる。

あとアメリカとかはどうなるの?

オバマ大統領になって、国際協調路線に転換されてなかったか?

これは特殊な例を一般論として語る詭弁かと。

国際協調に反するということ自体が、それだけ少ないということだろ。

イスラエルなんかも、アメリカ路線転換でどうなるかってところだし。

2009-12-29

やっぱり「坂の上の雲」はドラマ化しないで欲しかったなーと思っています。司馬さん本人が誤解を招きやすいか映像化は止めて欲しいって言ってたのに無理矢理ドラマ化したものだから、案の定いろんな批判が沸いています。

私の狭い観測範囲のなかで一番代表的にみえる批判は、司馬さんは日露戦争祖国防衛戦争だと表現しているけれど、ロシア側に侵略の意図はなかった。避けられた戦争なのに防衛戦争とかありえないという意見です。

加藤陽子さんの「それでも日本人は『戦争』を選んだ」を読むと、日露戦争直前に権力を掌握した極東総督のなんちゃらさんが、韓国取っちゃった方が安上がりですよとか皇帝に言ってたらしいのでロシア側に侵略の意図なしとはいえないんじゃないかなーと思うし、当時のロシアトルコ満州にしていた仕打ちを考えたら、次は日本かもって当時の人達が恐怖するのも当然だと思うのだけど、まあそこらへんは歴史をきちんと学んでいるプロの方たちが論争しても中々決着がつかないわけだから素人には分からない事柄が色々があるんだろうから置いておきます。

私はたとえ司馬さんが間違ってたとしてもさほど問題ではないように思っているんです。

司馬さんは「坂の上の雲」をなるべくフィクションを抜きにして事実に即して書こうとしてますし、そう宣言もしていますが、それはあくまで司馬さんの中で事実だと思える内容を書くというだけのことで、読んでる方はそれを完全な史実だと思って読んでるわけじゃありません。


ただ司馬さんの歴史観を誤りだと批判している有識者さんたちは、その批判の理由を小説を史実だと勘違いされちゃ困る。国民歴史観に影響を

与えかねないと言っています。

私は読み手はそれほど馬鹿じゃないし、盲信もしていないと思うんです。司馬さんはこういう風に日露戦争や当時の日本を捉えてたんだなー、凄いなー、面白いなーって読んでいるだけです。司馬さんは小説家ですから、エンターテイメントとして最低限の盛り上がりも必要だと思っていたでしょうしね。読み手はそれほど馬鹿じゃない。小説だと分かって読んでいる。私や私の友人はそれほど優秀な人間でもないけれど、司馬さんは無謬だとか思っていないし、思っている人を見たこともないです。

逆に批判している有識者さんたちにちょっとした思い上がりを感じるんですよねー。私たちは優秀で知識も豊富だから騙されないけど、お馬鹿な読者はころりと騙されて変な方向に突っ走っちゃうかもしれないから、司馬さんの小説を批判して目を覚ましてあげましょう。啓蒙してあげましょうって。大きなお世話ですよね。ちょっと悪く書きすぎかもしれませんが。

子供達が影響受けちゃうから犯罪小説禁止とかと同じ流れな気がして嫌なんです。そういう批判をする人が現れるから、誤解を招きにくいように誤解を招きにくいようにとびくびくした無味乾燥物語ばかりになってもつまらないじゃないですか

同じ小説を読んでも、こういう犯罪の手法があるのか気をつけようって読む人もいれば、単純に物語として楽しむ人もいるし、この手法で犯罪を起こせるかもって思う人もまれにいるかもしれない。でもそれは書き手の罪ではないし、それを恐れてつまらない物語が増えていってもしょうがないと思うんですよね。

ただまあ、司馬さんの影響力っていうのは確かに大きいです。司馬さんの小説を読んでいる人数は、その関連の歴史書を読んでる人数の何倍もいるでしょうから、そのうちのいくらかは勘違いしちゃう人が出てくるかも知れません。だからその人たちの為に批判をするんだっていうのだとしても、やっぱり言い方ってものがあるんですよね。

もうちょっと司馬さんを立てた表現ってのを出来ないものでしょうかねえと。司馬さんの小説には何の罪もないはずなのに、司馬遼太郎歴史観をぶった切るみたいな批判の仕方をする人が少なくないでしょう?別にぶった切らなくても、司馬さんの小説は面白いけれど、現在研究ではこういう論もあるのです。こういう視点もありますよでいいじゃないですか。なぜ叩かずに別の価値観を提示出来ないのかなーと残念に思います。

なんかもやもやとしていた司馬さんファンの愚痴でした。

2009-12-01

http://anond.hatelabo.jp/20091201141115

曽野綾子理論では、ハル・ノートみたいな挑発的な交渉するから真珠湾攻撃されるんだ!って解釈になるのかな?

あるいは、蒋介石の不抵抗政策は満州占領という結果を期待してるようなもんだ、とか。

2009-10-16

http://anond.hatelabo.jp/20091016072747

それは「中国では」ってことかな?

で、日本餃子家庭料理として普及していった過程では、そうはならなかった、と。

どうしてなんですかね?

例えば1927年生まれの主婦wに訊いたところでは、戦後満州から引き揚げてきた親戚に教わった

そうです。そして満州では餃子といえば焼き餃子であったらしい、とも。

2009-09-19

中国分裂 七つの理由

< 宮崎正弘近刊 >

中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

本日 全国主書店一斉発売

中国近未来をいま一度考えてみると、これまでの固定概念的な地方軍閥地域対立、王朝の腐敗、衰退という文脈から分裂に至るというシナリオは遠のき、むしろ現代中国に拡がった新しい空間、すなわちネットにおける反政府言論というゲリラ戦争、イスラム思想連帯という見えない武装戦争利権争いの集大成としての個別経済ブロック化、他方ではグローバル化に波に乗った資産海外逃亡などが次の舞台の開幕を告げるであろう」(あとがきより)。


「つねに未来リスクに満ちていると仮定すれば、わたし達は日常的に危機に対応するシナリオを幾通りも用意しておく必要があるだろう。賢者は最悪に備えるという箴言もあるように、中国が分裂しないという保障は何処にも存在しないのである」。

米国英国も分裂気味なうえ、カナダも恒にフランス語圏の分離独立運動を抱えている。イラクにはクルド独立運動グルジアにはオセチアアブハジアという「国内国」との紛争、スペインにもバスク独立運動。。。。。。。。。」

フランス人口学者エマニエル・トッドは1976年にソ連の崩壊を予測した。当時、だれも彼の予測に耳を傾けなかった。あり得ないと踏んで、その仮説を嗤った。

ソ連を構成していた十五の共和国のうち、バルト三国ラトビアエストニアリトアニア)はすぐに西側に飛び込み、カフカスグルジアモルドバアゼルバイジャンモスクワ離れが激しく、そして”スラブ三兄弟”といわれたウクライナ、ベラルースモスクワと袂をわかった。この趨勢をみていたイスラム中央アジア五ヶ国も便乗して独立した。カザフスタントルクメニスタンウズベキスタンキルギスタジキスタンだ」。

この事態は中国未来の分裂を予測させる。

「そもそもチベット、新彊ウィグル自治区内蒙古自治区、旧満州はそれぞれが独自の歴史をもつ漢族とは異なる国家だ」。

「チトー大統領の強引な手腕で「国家」を形成したユーゴスラビア連邦は重圧な桎梏が消えると血なまぐさい殺戮を開始し、北からスロベニアクロアチアがさっさとセルビアに反旗を翻し、ボスニアヘルツェゴビナとの紛争に手間取る間にモンテネグロマケドニア独立セルビア孤立した。加えてコソボ事実上独立宣言をしており、ユーゴは六つの分裂から事実上は七つの分裂国家になる。

この伝でいけば中国が七つ前後に分裂するという議論はまったくおかしくない(本書の仮説は七分裂だか、必ずしも分裂後の中国が七つになるとこだわっているわけではない。五つかも知れないし、或いは十数に大分裂を引き起こすかも知れない)」。

本日発売

中国分裂 七つの理由』(阪急コミュニケーションズ、1680円)

http://www.amazon.co.jp/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E5%88%86%E8%A3%82-%E4%B8%83%E3%81%A4%E3%81%AE%E7%90%86%E7%94%B1-%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E6%AD%A3%E5%BC%98/dp/4484092344/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1253137807&sr=1-1

△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△△

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月18日(金曜日

2009-09-09

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

人民元建て「中国ソブレン債券」を発行

 オフショアで60億元を調達し、ハードカレンシー化への第一歩

****************************************

英紙フィナンシャルタイムズ9月9日)速報に拠れば、中国オフショア市場で初めての人民元建て国債を発行する。

香港オフショア市場を利用して総額60億元を世界投資家から調達、発行は9月28日。ただし利率、償還期間の詳細は不明。

これは中国通貨戦略の具体的発動で、自国通貨ハードカレンシー化への第一歩であり、注目される。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その3)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

****************************************

(承前)

ウラジオストックの中央広場にあるフェリー乗り場からおんぼろフェリールースキー島へ上陸して驚いた。

道路ぬかるみ、舗装は溶けて泥道、大雨のあとの水たまりの悪路を日本製ランドクルーザーが進むが、生い茂った森林の伐採作業場ばかりが続き、激しい凸凹道に車酔いを感じながら一時間後、ようやくイベント会場となる現場に到着した。

普請の騒音が高い。

現場日本製クレーンが林立している。ブルドーザ、シャベルカーも殆どが日本製だ。そうか、日本抜きにして開発は成り立たないんだ。

建設現場の横に長い看板、「2012年APECサミット会場」(ロシア語)がなければ何の工事かよく分からない。俄かづくりの観が否めない。アゼルバイジャンなどからの流れ者労働者が混在している理由も分かる。

建材や鉄骨が臨時の波止場に積み上げられ、労働者が居住するプレハブマンションが周囲に建っている。「でも冬は零下二十度になるというのに、あんな住宅大丈夫か」と問うと「真冬は工事が中断」という答えが返ってきた。会場になるコンベンションホール外国代表の宿泊予定のホテルも、まだ影も形もない。

ふたたび鋼鉄が錆びてぼろぼろのフェリーウラジオストックへ戻る。80歳を越えた老女がスターリン勲章を沢山つけて誇らしげに入ってきたので、意地悪な質問。大祖国戦争って何ですか。


ビルが林立して壮観だった

さて船から市内を眺めやるとウラジオストックは意外にも高層ビルが林立して壮観である。港には軍艦が三隻、写真を撮っても誰も咎めなかった。

瀟洒なレストラン豊饒なメニューの昼飯のあと、名物の「潜水艦C56博物館」を見学した。戦争博物館を兼ねる。

展示内容が「大祖国戦争」と「第二次世界大戦」ばかりでソ連軍満州侵略に触れていないのはロシア歴史観だから仕方がないにせよ、「日露戦争」の記述があまりにも少ない。ガイドに理由を問うと「あれ(日露戦争)は『小さな戦争』ですから」と答えたのには驚いた。

翌日、立派な高速道路を飛ばしてナホトカへ行く。

ナホトカは狭い町で展望台に登ると港湾全体が見下ろせる。

港は撮影禁止と聞いていたが、軍事施設もなく、石炭のバージ船が沖合待ちをしている程度、かつて日本のバック・パッカーの出発点だったシベリア鉄道の始発駅は閑散としていた。

ナホトカで一番大きなホテル中国資本の遠東大飯店(ユンドァン)という。わざわざ見学に行ってみたが、ほぼガランドウに近く、対岸側にあるチャイナ・タウンの長い長い商店街も人が殆どいない。門前の四階建てのホテル中華風のつくりだが、そもそも中国人客の姿がない。


チャイナタウンは火が消えていた

中華門の傍で焼き鳥を焼いている中年男に「中国人か?」と訊くと「そうだ」。

「商売はどう?」、「うぅん最悪に近いな」。「中国人を殆ど見かけないが?」、「そうさ、北朝鮮キルギスウズベキスタン、そしてアゼルバイジャンからの安い労働力に奪われ、殆どの中国人は帰ったよ」と言う。

われわれ四人組が泊まったのはナホトカで高級な、ガイドブックにも出ているピラミッドホテル。だが、これとて民宿に近い。地下のレストランは客も疎らで、ウラジオストックの繁栄ぶりに比べると天地の開きがある(ただし味は旨かった)。

ナホトカの町を歩いている女性のセンスも田舎風で流行遅れ所得格差が歴然としており市内唯一のデパート「グム」を見学して品数の貧弱さに唖然とする。書店絵本小説くらいしかない。村上春樹翻訳? ナホトカでは見かけなかった。

2006年に524人の遺骨が収容され、慰霊祭も行ったというナホトカの日本人墓地は台座が毀され荒れ果てていた。

慰霊祭から僅か三年後、お墓だった場所は草ぼうぼう、日本人墓地標識落書き、おそらく大理石だった台座がインテリアの飾りにでも使うのだろう、殆ど盗まれて、まるでハゲタカの被害にあったような荒廃ぶりである。

ウラジオストックにあったお墓のほうが立派で、墓園の入り口には花屋もあったのに。

ホテルの裏にこれ見よがしにあった日ロ友好の壁が虚しい気がした。

─────────────────────────────────

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月9日水曜日)貳

        通巻第2703号 

司馬遼太郎日本新聞

坂の上の雲」より抜粋。

 日本においては新聞は必ずしも叡智と良心を代表しない。むしろ流行を代表するものであり、新聞満州における戦勝を野放図に報道しつづけて国民を煽っているうちに、煽られた国民から逆に煽られるはめになり、日本が無敵であるという悲惨な錯覚をいだくようになった。日本をめぐる国際環境日本の国力などについて論ずることがまれにあっても、いちじるしく内省力を欠く論調になっていた。新聞がつくりあげたこのときのこの気分がのちには太平洋戦争にまで日本を持ちこんでゆくことになり、さらには持ちこんでゆくための原体質を、この戦勝報道のなかで、新聞自身がつくりあげ、しかも新聞は自体の体質変化にすこしも気づかなかった。

 戦後ルーズヴェルトが、

 「日本新聞右翼化」

という言葉をつかってそれを警戒し、すでに奉天会戦の以前の二月六日付の駐伊アメリカ大使マイヤーに対してそのことを書き送っている。「日本人戦争に勝てば得意になって威張り、米国ドイツその他の国に反抗するようになるだろう」というものであった。日本新聞はいつの時代にも外交問題には冷静を欠く刊行物であり、そのことは日本国民性の濃厚な反射でもあるが、つねに一方に片寄ることのすきな日本新聞とその国民性が、その後も日本をつねに危機に追い込んだ。

日本メディアは100年前からまったく進歩していないし、反省もしていない。

もちろん国民にもその責任の一端はあると思うが、マスゴミをなんとかしないといけないのは間違いないようだ。

ウラジオストック、ナホトカ紀行(その1)

ロシア北朝鮮中国国境では何が始まっているのか?

****************************************


新潟空港からウラジオストック航空に搭乗することになった。東京駅から新幹線車内で待ち合わせたのはコラムニスト高山正之氏ら合計四人。このミニ探検隊が急遽「結成」されたのはひょんな経緯からだ。

昨年、フライングタイガー基地跡を湖南省の西南部にある辺境、渋江までこの四人組にあと三人ほどでグループをつくり見に行った。ここは岡村寧次と何応鈞の終戦協定を結んだ場所でもあり、反日宣伝が濃厚な記念館がある。

例によって改竄史観反日展示だが、日本軍と戦ったのは「偽軍」とあるので、この「偽」は何処かとガイドに問うと、国民党軍を意味することだったのには笑った。そうだ、フライングタイガー蒋介石に協力したのだ。

さてウラジオストック戦前日本人浦塩斯徳と表記したが、ロシア語の原義は「東方を征服せよ」という物騒な意味がある。

ロシア不凍港を求めて清帝国の版図を結果的に強奪し、地政学的にみれば中国の海の出口を塞いだ。中国にとっては恨み骨髄の場所である。

それゆえ中国人ウラジオストックとは言わず歴史的な地名=ハイサンウェイ(中国語では「海参威」)と言う。ついでに言えばロシア人は中国人を「キタイ」を呼び、いまも陰湿に排斥するし、中国人は「オロシア」と言うから、ま、お互い様か。

というわけで筆者の一番の興味は三カ国の国境の現状である。

ロシア中国北朝鮮国境地帯はいまどうなっているのか? 不思議日本マスコミはこのことを追求しない。

筆者は中国側からは何回かロシア国境を見ている。スイフェンガ、黒河、満州里、そして延吉から図門へ行くと北朝鮮、軍春からはロシア国境が、また吉林省の集安、丹東からは北朝鮮国境も見た。つまり旧満州の七箇所から国境を見た。反対にロシア側から中国国境をみたのはハバロフスクからアムール川との国境くらいだった。

とりわけウラジオストックより西側のハザン地区は北朝鮮国境を接し、ちょっと北側へ回れば中国の軍春である。

二ヶ月準備期間があった。第一にロシアのヴィザをとらなければ行けないが、これに一ヶ月を要する。つぎに肝心のハザン地区へ行けるかどうか。ポシェット港、ザルビノ港を見学できるか、どうか。

直前にこの地区に入ったNHKが追い出されたと聞いていた。旅行社を経由してロシアに打診したが、「審査」に最低一ヶ月、そして土壇場で蹴られると旅行そのものが成立しなくなる。というわけでハサン地区はあきらめ替わりにナホトカを加えることにした。


ロシア軍北朝鮮からでていったあとに


事態の変化はつぎのようである。

東西冷戦が終了し、ロシア極東軍は削減され、しかも北朝鮮から露西亜軍事顧問団は引き揚げた。北は最大の保護者を失い、唐突に北京へ秋波を送る。

一方、中国経済力が著しく飛躍し、北朝鮮経済の飛躍が政治安定を招くのではと経済改革を模索しはじめた。日本財界が主導した「日本海経済圏」の思惑とも合致してロシア中国北朝鮮国境付近の大開発が決まり、かなりのインフラ建設が進んでいた。十年前までの話である。

中国側は「図門江開発」、北は「豆満江開発」。そしてロシア側は「ハサン地区開発」(ザルビノ、ポシェット両港を含む)とそれぞれ名称こそ違え、経済交流による相互発展目的は温度差があったが、基本的に共通目標だったのである。

数年前にも中国からポシェット鉄道が通じたというので軍春へ見学に行くと、工業団地造成されており、中国企業韓国企業にまざって日本企業が三社ほど進出していた。

延吉から高速道路工事が進み、あたり一面が普請中だった。開発ブームは各地にクレーンを林立さえ、ブルドーザが動き回り、輝かしい未来を予感させていた。

ところがその後、北朝鮮の苦境と核開発が状況を激変させた。

第一に日本企業拉致問題の露呈と核開発に嫌気して進出意欲がそがれ、積極性を失う。

第二に中国北朝鮮へ直通ルートをつくり、ロシア側の港湾へ鉄道をつなげたものの昨今は北朝鮮の羅津、先鋒開発に重点を移した。つまり中国北朝鮮経済植民地となし、ロシアを袖にする野心を露わにしたのである。

第三にロシア中国北朝鮮への鉄道接続ルート強化に乗り出し、ちぐはぐに対応をみせた。

第四に韓国が間隙を縫って各方面に浸透していた。

そこである日、モスクワからプーチン大統領(当時)がウラジオストックへやってきて、「シベリア極東大開発」の号令を出し、状況が一変する。2014年ソチで冬季五輪。ならば極東の目玉を2012年、ウラジオストックでのAPEC。そのために大開発が必要というわけだ。

怪しい旅行団の結成にはそうした経緯があった。

(続く)

 「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 

     平成21年(2009年)9月8日(火曜日)貳

        通巻第2701号 (2700突破記念増刊号)

- 転職ならen
- 派遣ならen
2ページ中1ページ目を表示(合計:48件)