はてなキーワード: 大戦とは
「あなた方は無知です。9年前に国王ウィレム2世は親身になって日本のことを心配し、親書を特別船で届けました。親書には世界の情勢が詳しく説明されていたはず。いずれこういう日がかならず来ることを懸命に日本に訴えてきました。それに対する貴国の返事はこんな手紙は二度とよこすな、というものでした。去年私が長崎にやってきた時も、特別船でペリーより依頼された親書と、私の詳しい説明を添えてお渡ししました。一体この1年・・・いや9年の間、あなたがたは何をしていたのですか?」
「今から蒸気軍船を購入しても、航海士はいるのですか?一隻につき訓練された水兵が100人近く必要ですよ。今蒸気船を買った所で港の飾りにしかなりません。戦うつもりならもう遅きに失しています!」
「最初は腸が煮えくり返ったが、今は奴らが可哀想で仕方ない。自業自得だがこれから辛酸を舐めることになるだろう。三百年の付き合いだ、少しは何とかしてやらねばなるまい。本国に手配して蒸気軍船4~5隻をプレゼントしてやるか。今は商売抜きで尽くしてやるさ。この美しい長崎を、列強の砲火から救ってやりたいからな」
#佐久間象山の開国論#
オランダからの密使が来る前から島国の海防の困難さを悟り、大船建造禁止令を撤廃し、オランダより軍艦を購入して海軍を育てる必要性を説いていた(海防八策)彼からみると、阿部正弘の改革はすでに手遅れで勝負にもならない。
その上で黒船の戦力を見抜き、負けても大きな被害にはならないという見込みを立てた。この前提をもとに、1年以内に江戸湾近くの住民を避難させた上で日本側から戦闘を仕掛け、脅しには屈しない姿勢を見せつつ、あっさり負けて戦力差を思い知ることが開国のもっとも望ましい形である、とした。
これは長州や薩摩が外国艦隊と戦争をして開国に目覚め、その後の日本のリーダーシップを握ったことを考えても妥当な判断ではあるが、この時に彼の考えを理解する人はイなかった
→彼の献策は検討されることもなくお蔵入り。
勝海舟、吉田松陰のほか、橋本左内、河井継之助などを門弟として育てる
水戸斉昭は全くの鎖国論者ではなく、貿易でとませることも技術の導入も必要だとは考えている。
他の藩よりはやく大船建築や、蘭学推奨をしていることからも松平定信ほど頭が硬いわけではない。
しかし、西洋船が自由に日本に来ることは反対で、片道貿易などを考えていた。
もちろん、そんな身勝手で一方的な開国案が受け入れられるはずもないのだが斉昭にはそれがわからない。
「自分の都合の良いところだけ取り入れたい」という姿勢は中華思想と変わらないのだ。
そうして意見をはねつけられた不満と怒りを藤田東湖などの側近にぶちまけ
かくして彼の怒りは全国的に攘夷志士として広まっていく。
過激な発言はするがバランス感覚も持つ水戸斉昭の思想のニュアンスは
実は水戸の上層部は保守派がしめており、水戸学が攘夷思想として暴走するのを抑えようとするのだが
これがかえって水戸藩内に深刻な対立分裂を引き起こすことになる。
クリミア戦争の影響で君の航海も何かと苦労が多いことだろうとお察しする
しかし戦に巻き込まれた力を奪われたりしてはならない
相手国を武力で倒すより相手国の信頼を勝ち取るほうが遙かに難しく重要なことだ
1812年、この時もロシアはナポレオンのフランス軍を迎え撃つ大戦争のさなかにあった
こういう時代の気分は必ず伝染する
モスクワと正反対の極東においても日本とロシアが小競り合いから開戦直前の緊張状態にあった
捕虜のみでありながら両国の間に立ち戦争を回避することを決意し
言葉もわからぬ相手とほとんど身振り手振りでこの難題をやり遂げたのだ
42年前のカヘエの奇跡を忘れてはならない このような優れた日本人もいるのd
目的は日本との平和なる国交樹立だ その一点を決して忘れないでもらいたい
ロシア政府も戦争よりも日本を開国させることが重要であると考えればこそ
ちのに事務戦費を削っても我々に送金してくれているのです
三国通覧図説には「日本橋より唐おらんだまで境なしの水路なり」とあります。
海国兵談の末尾にもこうあります「この書で述べた計画を今から幕府が五十年かけてやり遂げれば
鎖国だけが問題だったわけではない。鎖国していてもやりようはあったのだ
六十年前のことならまだ諦めもつくが
これまで幕府は逆コースを撮り続け最も大事な人物ばかりを迫害し殺し続けてしまいました
その人達のおかげでこの国が救われたというのに
二度とこの失敗を繰り返すわけにはイカぬいよいよ国際社会の荒海に乗り出したのだからな
何が絶望の国なんだ?
これがもし「自給自足サイコー」とか「この社会は駄目だ。新しい社会に移動しよう」とか税収の余地がまったく見られないことばかりしていたら恐ろしいが...
この子達はお金がないから消費しないだけで、あれば必ず消費をする素質が十分にある。
何を基準にしているかわからないけど、大戦後に急造、量産された日本の建物に「文化」はあるの?
街の景色だけをいうなら、少なくともヨーロッパの一部の町並みのように何百年も保存されてきた町並みこそ文化はあるかもしれないけど、6、70年間の間にできたコンクリートの塊にはさほど違いはないと思うけど。
電子出版だけれど、アメリカができてるからって日本でも簡単にできると思うなよ、と。
もうちょっと、ばかにするだけじゃなくて、日本の出版社の実情とかちゃんと理解してあげようよ。
まぁ今回の訴訟のような、言い訳とも言えないような見苦しい真似をされると、もうこいつらほうっておいて先に進みたい、と思う気もわかるけれどさ。
素晴らしい作品を作れる人のモチモチベーションは大事にしたいです。
津田さんあたりが「僕は裁断されても気にならないなぁ」って言ったってなぁ。
私は別に津田大介の本とか弘兼憲史の本がなくてもいっこうに困らないけど、東野圭吾が本気で本を書けなくなるのは困るんだわ。
彼らが納得して仕事できるように持っていくって目標を早々に切り捨てるのはもったいないでしょう?
あんまり拙速にやると、逆に出版社やメーカーが防衛意識で協力しちゃうかもしれない。
一昔前ののケータイ小説やら今のアニメみたいに「2話ごとに課金」とかが標準になって本より高いかねを払わされるみたいな方式になるのもいやだし、
「ユーザーが買わなくなるだけだろ」っていう意見もあるけれど、「価値のある作品」は少数なんだから、
そららを供給できる所が、出し渋り始めたり、値を釣り上げたらどうしようもない。
いくら他の本が安かろうが、電子書籍で出ていようが、読みたい本がどれもレベル低いとか興味から外れたコレジャナイのばっかりだと困るんです。
すでに本でも星海社新書とか双葉社の一部がひどい事になっていて、これは経営苦しいからその手の読者を掴みに行ってるんだろうなーと思う。
多分今急いで電子書籍はじめてもこういうところしか来ないと思う。
そもそも、今の電子書籍リーダーやらなんやらの普及率がアメリカと日本で違いすぎるでしょ。
スマートフォンの普及率を見て大言壮語してるんですかね? PCユーザーの普及率や利用時間とか見て「できる」と言ってるんですかね?
日本じゃまだ準備できてないよ。 ヘビーなネットユーザーは自分の体感で好き勝手にモノを語ってるけれど、全然無理ですよ?
何を根拠に電子書籍をやれと強弁できるのか、数字を根拠に説得していただきたいところですね。
作者型を情緒的で話しにならないとバカにするくせに、はてな民の大半が、データの一つも持たずに、情緒的に批判してるだけ。笑わせんなボケ。
あれ見てわかると思うけれど、バブル期ですら余程のことがないと成功しないよ?
出版社でもメーカーでもいいよ。今みたいなご時世に、しかも数値的には明らかに低い状況で、
リスクを取って成功する道筋をどうやって立てればいいのか言ってご覧?
今回の訴訟は馬鹿げている。それは間違いない。でもこの話はそこで終わりだ。調子に乗ってそれ以上ピーチクパーチク言ってんじゃねぇ。
そこから一足飛びにさっさと電子書籍にしろとか喚いてるバカを見ると頭痛がする。
確かな需要があるのにやりたくないとでも思ってんのか? 需要なんてないんだよ。
まだ無理なんだよ。バブル期ならともかく、先行投資すら出来る状況じゃないよ。
お前らがそうだからといって、大々的にそっちの流れに移行できると思ってたら大間違いだよ。自分がドマイナーだって認識を持てよ。
その前に「堂々と」こちらのテリトリー侵害をやられたら困るんだよ。おとなしく待ってろ。
「現代の韓国人は文句を言うべきではない」
ここについて。
戦争反対は誰でも言って良いし、当時のナチを嫌おうが、当時の日帝を嫌おうが、それは自由じゃね?
でも、戦争から三代以上経過した日本人と、戦争から三代以上経過した韓国人において、戦争責任で謝罪を要求されるのは、お門違いだろ。
それも、日韓併合の後遺症で韓国が経済発展を阻害されたならともかく、そんなデータどこにもない。
むしろあいつらが憎むべきは、米ソ(ロ)だろ・・・日本を憎むように良いように調整されちまって、惨めな国民だよな。
あぁそうだ、「日本の発展には朝鮮戦争が貢献してるから感謝しろ」なら、今の若者同士の会話であっても同意するにやぶさかでない。
他会社の株式を保有することによりその会社を独占的に支配する会社を持株会社と呼ぶ。支配するほうを親会社,されるほうを子会社という。自ら事業を行う方を事業持ち株会社、自ら事業を行わず,他社を支配することを目的とする会社を純粋持株会社という。資本主義の発展に伴って登場する独占体の一種で,証券代位とピラミッド型支配によって支配資本の節約が可能である。戦前の三井,三菱等の財閥本社はその典型。戦後は財閥解体、独占禁止法によってその設立は禁止され,これに反する純粋持ち株会社の設立は無効とされた。
しかし、戦後50年を経た1997年、独占禁止法改正により条件付きながら解禁。他会社の株を買占めることで他会社の支配を主たる事業とするこの純粋持ち株会社を活用することで、欧米では事業の組み替え、大型合併・吸収を企業集団という枠組みで積極的に推進してきた。これに対して日本では、純粋持ち株会社という司令塔を持たない企業集団であったため、戦略的な単位として行動することはできず、日本の企業集団の戦略性の欠如、国際競争力の衰退は明らかであった。こうしたことを背景に、純粋持ち株会社の解禁が図られた。しかし金融ビッグバンの影響もあり、日本では、銀行や証券会社によって再編のために設立された金融持ち株会社が先行している。
現在懲役刑執行中の堀江氏がテレビ局の株を買占め支配を試みた事件は、戦後50年ではありえなかったわけです。以前の反省から純粋持株会社の設立を廃止していたからですね。それが1997年に解禁されてしまい、丁度よくITバブルで現れた成金達が喜びの声を上げました。それ以後、なりふり構わず世界中でカネカネ大戦争を繰り広げているのが21世紀というわけです。簡単にまとめればこのようになります。20世紀は比較的そうでもなかったが、21世紀になってからどうも「カネカネ」五月蠅いなあと感じる人が多いようなので、その種明かしをしてみました。あなたの会社は「純粋持株会社」ですか?そうでない場合はこれから恐ろしい事に出くわすかもしれませんよ。一般に言われる「子会社に入ると苦労する」という話はこういう内事情があるわけです。あの人が何であんなことを言ったのか、じわじわ分かってきますね。
★財閥
本社を中核に,持株,融資,重役派遣などによって多数の子会社群を支配する独占企業集団で,コンツェルンの一形態。世界的には米国のモルガン財閥,中国の四大家族,インドのターター財閥その他多くの財閥がある。日本の戦前の財閥は同族支配,番頭経営,政府との密接な関係を著しい特徴とした。明治以降,産業の発達とともに,三井,三菱,住友,安田の四大財閥,古河,浅野,川崎などの財閥が形成され,昭和になると日産,日窒,日曹などの新興コンツェルンが登場した。第2次大戦までの日本経済は,財閥によって動かされていたといえる。戦後,財閥解体が行われたが,1950年代から旧財閥系企業の再結集が進められ新たな企業集団が形成されている。しかし,戦前の財閥とは性格を異にし,同族支配がなく,持株支配が弱く,金融機関の融資を中心とした金融コンツェルンの性格が強い。
★政商
明治前半期に政府の手厚い保護・育成を受け,政府との相互依存関係の中で伸張した特権的商人。三井・岩崎・住友・安田・大倉・浅野・渋沢等がそれで,政府事業を独占的に受注し,特に官業払下げを受けて産業資本家に転じ,同系列資本を集中し,その多くが財閥に発展した。
★金権政治
富者がその財力を駆使して権力をほしいままにする政治。日本では明治以降,政商の活動が時の政府に大きく影響したことがあり,多くの疑獄事件を生んだ。現代的には,第2次大戦後,一党による長期政権のもとで〈政界・官僚・財界〉の権力と利権の癒着構造が形成されて,構造的汚職を生みだす金権腐敗政治を指すことが多い。
何らかの権威に対する反対表明の手段としてデモをしろ、と左翼は就職問題にも、原発問題にも主張してきた。
デモは国民に認められている当然の権利であるとも、主張していた。
そして、デモが起きた。
彼らは支持しなかった。ときに数が足りないから影響力がないと、かえって大して影響がないことの証左だと主張し、ときに前大戦を引き合いに出してレイシズムには与しないと主張した。
彼らは何がしたいのだろう。よくわからない。
努力のやり方が間違っている、ということや、排除を含めた質の向上は、彼らの理念と合致しないはずではなかったか。
デモをする、それ自体は何もすなわち左翼と同じ勢力に含まれることを意味しない。それは保守からさえ嫌われる在特会を見れば明らかだ。
これまで、日の丸に限らず、デモには趣旨から離れた幟が掲げられることは珍しくなかった。それ自体がデモの嫌悪のひとつとなっていることは、度々指摘されてきた。
しかし、私がネット上の議論などを見続けてきた限り、どうやら彼らはそれに対する問題意識は持ち合わせていないようだ。「何が悪い」と言い切る人も見た。
まさに鏡像。
鏡像であるがゆえに一般大衆からかけ離れて市民社会を叫び、「活動家を排して欲しい」というこれまでの経緯からすれば自然ともいえる要求には唾棄する。
これが左翼だ。
彼らは大衆の要求を政治ごっこと蔑むだけで改善しようとしない。これらが政府や社会、企業や個人を批判しようというのだから説得力がないのも肯ける。
一部の人(左翼や右翼を含む)が指摘しているとおり、原発関連デモも、偏向報道デモも、いずれ下火になるだろう。
デモをしてもその相手を変えられなかったことに対する諦め、そこから立ち現れる、主催者側との意識乖離から導かれる呆れと市井の人々の無力感、終末期学生闘争のようなしらけなどが、渾然一体となり場を閉塞感で満たすだろう。
そこに残っているのは、いつもどおりの人々だろう。
特にアニメ部分に関してはほとんど同じ水準にある萌えオタニュース速報とどうしてこんなに差が空いてるか、は興味深い。
結論を先に書くと、私が思ったのはやらおんって階級意識が明確だよねってこと。そして、一番人数が多い層の人間が一番優越感を感じられる仕組みになってること。
そして、その仕組みの結果としてやらおんでは祭りが発生する。萌えおたニュース速報では発生しない。この差は大きい。
発端は、批評家たちに対しての反発だろう。
こいつらアニメにとって何もプラスの貢献をしなかったよね、むしろ存在自体がマイナスだよねってくらいの嫌悪感を感じる。
同時に、技術とか能力ないけどアニメについて語りたいって層を大歓迎してるというのも感じる。
えらいのは、作ってる人と声優さん。それから買ってる人。ちょっと下の階層に楽しもうとしてる人。アンチや批評家は最下層に位置づけ直してる。
私は声優に全く興味がないし、ローソンフェアとか全く興味ない。売上情報もそこまで気にすることないと考える。
なので、なんでこの人こんなに声優とか消費活動取り上げるんだろう、って思っていたのだけれど、
こういう序列になってるんだと考えれば納得する。そりゃこっちのほうが重要度高いんだからあたりまえだよな、と。
批評家の毒にも薬にもならない批評よりかはよっぽど役に立つよねー、ということなんだろう。
他にもイロイロと特徴がある。たとえば理解しようとしてる人間への寛容さや親切さ。パロディによる個々人の楽しみ方の紹介など。
今では他も真似してるけど禁書の解説記事を毎回載せてたのは印象的。
本来禁書みたいに「解説が必要なアニメ」は、キャラ魅力が低かったらボッコボコに叩かれてたんだろう。実際錦織監督は叩かれまくってるわけで。
AB!に対するの態度も全体を叩きつつキャラ萌えを押し出そうとしてたし、
女にコンプレックス抱いてるキモオタ男読者が多いのを意識してか君に届けとか放浪少年を取り上げないところとか心遣いがわりと細かい。
かなり明確な思想の持ち主であると思う。
一方やらおん空間においては今まで好き勝手に作品を叩いてそれなりにいい気分に浸っていられた批評家やアンチの扱いは悲惨なものだ。
やらおん空間においては彼らは「バッシングを受ける対象」としてしか存在を許されていない。
お前らの存在いらねーんだよ、と。もう口閉じて眼と鼻と皮膚呼吸もやめて死ねくらいに思ってそうだ。
せめて口を開くなら、ヤマカンやハルヒの中の人のようにアニメの話題の肥やしになれ、うんこ野郎。
あずまんみたいに言うだけじゃなく自分で作ってみろ。そして作った物に責任をとれ、敬意を払えと。
実際の事情はどうか知らないが、制作者の立場に立ちながら無責任、アンチな言動とったと受け取られたあずまんはまさにワーストオブワースト。
やらおん空間ではリサリサ先生のまなざしを向けるのがふさわしいレベルなんだろう。
そういうやつらを見せしめにして、名状しがたい祭りを楽しむのがやらおん。
割とたんたんとアニメの話題だけを載せ続ける萌えオタニュース速報。
どっちが正しいとは言えないけど、人気があるのは圧倒的にやらおんだなぁ、と思う今日この頃。
個人的には、やらおんの価値観の再配列ははわりと一時大戦後のドイツの全体主義を彷彿とさせるものがあってあまり好きではないのだが人気には納得する。
よく「やらおんに比肩するサイトがない」っていうのが話題になるけど、扇動力が全然違うのは確かだよ。ほんとうに良く出来てる。
最終的に、能力も知識もない人らが権力を握ったアニメ業界が、知識層を追いだしてどういうアニメファン層をつくるかと思うとげんなりするが、それが世界の選択というのならしょうがないわね。理想としては、既存の評論家どもはきっちり潰れて、個人サイトとか若い人らが評価され直すといいんだけどなー。
で、そもそもなんでこんなに批評家や知識人(笑)に対して風当たりが強くなってるんだろうか。
それは、多分みんな「このままだとアニメそのものがなくなっちゃう」ってぼんやりと危機感を覚えてるんじゃないだろうか。
あるいは、少なくとも批評家をトップに置く序列に対する現状に対する猛烈な反発があるんじゃないだか。
上から目線で批評を加えたり製作者の状況無視して割りに合わない要求ばかりしたり、
アニメにはいろんな要素があることを忘れてテーマとかストーリー語ってるやつらばっかりだと、
じゃあお前らは文学(笑)でも読んでろって製作者がブチギレて、
ほんまに純粋にビジネスとして萌え豚向けアニメしかつくられなくなるんじゃねーかと。
それぞれに人の集まりができて、市場ができてってなっていけば。
でも、どいつもこいつも批評家の口にするのって同じことなんだよね。内輪感半端ない。
あずまんとか宇野とかそういうもともとコミュニケーション苦手そうなやつらがメインとなって
自分たちの居心地の良い空間をつくろうとしてるから異物があまり育たなかったんだろう。
楽しみ方が恐ろしく窮屈で偏屈。喋ってる本人らはデブばっかのくせにどうしてこうなるんだろう。
あの界隈、多分2~3人いたらあと全部キャラかぶってるからいらない。
そういう批評家どもの多様性の無さのため、批評家が褒める作品って限られてくる。
そうすると、こいつらを中心とした序列だと、本当に一部の作品しか残らない。
それは、ものすごくアニメというものをつまらなくさせてしまう、と、そんな展開。
これも本当のところはどうかしらない。ただ、明らかに彼らが戦犯扱いなのは間違いない。
あまり気持よくないのだが、ドイツのブルジョワ階級と違って批評家が役立たずだという点には同意してるのでまぁ別にいいかな(爆
参考記事
はちま機構のことはしらんけど、こういうのと比べるとやらおんは比較的全うだと思う。
(格納容器ではなく)圧力容器の破損は確定したということだろうか。東電も原子力安全委員会もそのことに触れたようだ。
asahi.com(朝日新聞社):2号機建屋の外から1千ミリシーベルト 圧力容器損傷か - 社会http://www.asahi.com/national/update/0328/TKY201103280198.html
原子炉圧力容器、破損の可能性 「大変憂慮」原子力安全委 - 47NEWS(よんななニュース)http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032801001009.html
これまでの状況から十分疑われることだったが、いざこうやって突き付けられると、想像以上に動揺している自分がいる。圧力容器に
何を期待していたのだろうか。
http://togetter.com/li/116057 で言及された、今後数ヶ月以上に渡りダラダラと放射性物質を垂れ流していくシナリオはますます現実味を帯びてきたように思う。昨日の段階でも既にIAEAが数ヶ月かかる可能性について言及している。
IAEA事務局長:福島原発危機、「終結には程遠い状況」-NYT紙 - Bloomberg.co.jp
http://www.bloomberg.co.jp/apps/news?pid=90920008&sid=aSnKV7wxDcwg
今後も降雨や風向きにより放射線値が上がったり下がったりを繰り返し、不安に駆られた人々の起こす小パニックとそれを取り巻く人々の(やっかいな)善意が繰り返されていくのだろう。自身はこうした状況から距離をおいたつもりでも、長く続く非日常はすべての人を蝕んでいくに違いない。こんな文章を書いている時点で、どうやら私も蝕まれつつあるようだ。
先の大戦で戦時下の人々もこうした不安と戦いながら生活を送っていたのだろうか。この震災で我々も非日常を日常とし生きていくことを余儀なくされるだろう。
しかし東京および周辺ベットタウンにさし迫った命の危険はないし、実態のある生活の危機もない。
直接に地震やそれに続く津波の被害を受けた地域では、瓦礫を除ければ遺体が現れ、消えた肉親、娘や息子や父や母や妻や夫の居場所もわからないまま、住処を追われ、東京とは比べものにならない非日常を送らねばならない人たちがたくさんいる。
人はなくした肉親を求めさまよう他人より、少しだったとしても健康被害を受けるかもしれない我が身、我が子が大事になってしまう生き物である。それが生存本能に根ざしたものか何かわからないが、逆らえぬ性なのだろう。
http://www.tanteifile.com/newswatch/2011/01/01_01/index.html
海外に目を向ければ、「中国バブルの破たんに加え、中国の海軍増強も怖いですね」と勝間氏は述べた。すると森永氏は、以下のように持論を展開した。「私は日本丸腰戦略というのを提唱しています。軍事力をすべて破棄して、非暴力主義を貫くんです。仮に日本が中国に侵略されて国がなくなっても、後世の教科書に『昔、日本という心の美しい民族がいました』と書かれればそれはそれでいいんじゃないかと」。
http://ja.wikipedia.org/wiki/玉砕#.E6.9C.AC.E5.9C.9F.E6.B1.BA.E6.88.A6.E3.81.A8.E4.B8.80.E5.84.84.E7.8E.89.E7.A0.95
大戦後期、連合国軍が日本本土に迫ると、軍部は「本土決戦」の準備を開始するとともに、「一億国民[3]の全てが軍民一体となって玉砕する事で、連合国軍は恐怖を感じて撤退するだろうし、たとえ全滅したとしても、日本民族の美名は永遠に歴史に残るだろう」と主張し、国民の士気を鼓舞し、総力戦体制の維持を試みた
日本の非暴力主義と軍国主義の目指すところが、実は全く同じであったということか。
遊びながら考えていて思ったことがある。これ、もう一度ビジネスモデルを考えなおさないといけないんじゃないか。
ブラウザゲーが日本でそれなりの規模のビジネスになってきたのは、mixi アプリが始まってからだと思う。勿論、企業が運営するブラウザゲーなんてもっと前からあったけど、裾野が広がったのは、SNSとの連携が始まってからじゃないかな。
会社ごとにアカウント作る手間も、クライアントソフトを落とす必要もなく、物によってはPCでも携帯でも遊べるっていうのは、ライトユーザを増やすにはもってこいだと思う。それで、そこらじゅうに宣伝をしなくてもプレイヤーを増やして賑やかにできるようになった反面、プレイヤーのばらつきが大きくなりすぎて、楽しく遊べなくなった気がする。
忙しい人にとってはせいぜい朝と晩、休み時間とかに指示出すぐらいで、同時進行で遊べるゲームも1,2二本が限度ってところ。ブラウザ三国志みたいに序盤はともかく、出撃から帰還までに一時間単位でかかっていたりするようになると、凄いルーティンワーク気分が出てきて盛り上がらない。逆に常時インしてる暇人にとっては数本平行して同時進行しないと退屈なぐらいに時間がかかる。どっちにしろ、作業ゲーと感じた瞬間に面白みが減ってしまう。
んなわけで、常時インしてる人もできない人も楽しめるよう設計しないと、凄い勢いで過疎化するわけだ。そういうのを避けるために定期的にイベントを開催、というのがあるのだけど、戦国IXAみたいに全ワールドで一斉に合戦とかがあるシステムだと、暇人は突然忙しくなって手広く商うのが大変になるし、逆に忙しい人は、昼間留守の城を俺TUEEEされて空しくなる。
あと、同盟、グループの規模が大きくなると幹部の負担が大きくなるんだけど、管理職の忙しさがゲーム上で還元されないってのは、大いに問題があると思う。とはいえ、管理職の仕事ぶりを評価しろってのは、運営からすれば無茶な話なんだけどさ。役職は持ってなくても同盟仕切ってる人とかもいるし。
開発側も大変で、サービス開始時は宣伝を打たないといけないけど、新規開発だとバグは消えないから、どうしても見切り発車しないといけないじゃない。バグが致命的だとメンテナンス頻発→新規が来れないのループであっさり死んじゃう。Flash使うゲームはiPhone とかが対応してないから、機材の障壁が出てさらに大変だよね。クライアントソフトとかを開発するのはそれはそれで大変だろうし。ブラウザ銀河大戦とかさ。
で、開発の手間をケチったらブラウザ一騎当千とかになって、あからさまなシステム使いまわしにプレイヤーが泣くわけだ。ブラウザ三国志の画像差し替えただけじゃない、あれ。
そんなわけでさ、ヘビーユーザも忙しい人も平等に楽しめるブラウザゲーとはどんなシステムなのかを考えないと、ブラウザゲーの業界自体が飽きられちゃう気がするんだよね。開発側もユーザが気にならない程度でシステムを使い回しできるような、出来れば携帯でもPCでもスマホでも遊べる、安定して動くものだと、もっと商売になるんじゃないだろうか。
jdotsytem…馬鹿ジェネレータ twitter界最強の馬鹿召喚師
===== V S ======
O2Q…竹下に絡んだ馬鹿1号 日本最大ヤクザ山口組構成員とハッタリで竹下一味を脅し、おおごとになったら垢削除して逃げる31歳 早稲田卒
ewa4618…自身が社会的弱者「鬱」であるということを武器に竹下を責め立てる
この手の鬱を「武器」として使う奴は鬱に悩む人間からすると一番卑怯だと思う
趣味「変な人ウォッチング」 ← 逆にウォッチされる対象に昇華
hoge_systemz…1日23時間ぐらい竹下に関してつぶやく変質狂
kuratu…竹下を警視庁に通報せよと主張し続ける35歳無職
攻めても受けてもみんなキチガイという稀な構図
ゴメンメモ用紙がなかったから一時的にコピペさせてもらう。後で消す。
ttp://bipblog.com/archives/1006525.html
「navrasa(9つの情緒)」という文学的価値観に基づいてるんだよ。
だから登場人物の生い立ちや、人間関係の細やかな変化とか、
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カースト制度については
カーストは決して古いものではなく、ヴェーダの時代も、イスラームが侵入してきた時も、
英国統治時代でも、その時代時代で常に変容し新しくなってたし、現在でもなってる。
「カースト」が無くなれば、また新しい言葉や概念を引っ張り出して新種の差別を生むだけ。
今のインドでは留保制度という被差別層の逆差別問題が事をややこしくしてる。
あと日本の世界史の授業での「カースト」の扱い方にはかなり問題がある。
限られた授業時間で扱うには複雑過ぎることは理解できるけど、
そもそも教員自身の理解が浅くて、それがインドに対するステレオタイプを助長させてる。
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ガンジーさんに関する評価は、日本とインドでは正反対と言っていい。
独立後から主流な評価は、
「建国の父という功績は揺ぎ無いが、工業化を阻んだ時代錯誤の石頭で、
パキスタンの分離独立を許し国家の安全保障を半世紀以上脅かす契機を作った大馬鹿野郎」
という扱い。
ネルー:
五カ年計画の頓挫、農地改革後回し、
ヒンディー語なり英語なり統一共通語をゴリ押ししなかった言語政策での失敗、
駄目な点は色々あるけど独立後インドでは最も評価されてる政治家。
個人的に一番の功績はインドの文系トップ大学のJNU作ったことだと思う。
獄中で書いた「インドの発見」を読んで、ネルーさんの民主主義への情熱がひしひしと伝わってきた。
ーーーーーー
違和感のあるディテールが積み重なって、インド人的にはあまりにも不自然過ぎるし、
「いかにも外国人がインドに持ってそうなイメージに合わせました」臭がプンプン。
ーーーーーー
サリー巻き込みガードがついてるのを見たときは感動した。
インド人もみんなあれを褒めてる。
ーーーーーー
日本のインド料理屋で本当に美味しいと思ったのはこの一軒だけ。
ーーーーーー
遠藤周作 深い河について
インド人として脳味噌空にして読めば「いつものステレオタイプだなー」という感想しか出ないけど、
登場人物の心情を投影するためにたまたま題材として選ばれた一装置と割りって考えると、いい作品
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パキスタンからのバングラデシュ独立に絡んだ第三次印パ戦争(1971)になるんだけど、
でも近代史上インド人の意識の上で重要体験は、第二次印パ戦争(1965)と独立直後の印パ分離独立。
朝鮮半島は政治イデオロギーで国家が分断されたけど、印パは宗教。
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その際、魚介類エキスが原材料に入ってる事だけは絶対事前に説明していたけたら
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「ガタガタ抜かすパキスタンさえいなければ、バングラデシュはインドに再編入して
貧困の痛み分けして助けてやれるのに」と考えてる。
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それに対する悲観論と、その裏返しとしてエンジニアリングに対する過剰な地震と両極端。
自分は純粋に技術的な話題に言及する知識を持ちあわせてないけど、ナノに関しても同じ議論。
「走る棺桶」と声高に罵る人と、枯れた技術を応用し高コストパフォーマンスを生み出す能力は
世界随一と賞賛して反論を許さない人たちとの罵り合い。
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蛇のとぐろっぽい形のターバン巻いてる人は宗教とは無関係で、ラージャスターンの人。
1980年代にハリヤーナー州がパンジャーブ州から独立しようとして、
パンジャーブの治安が著しく悪化した時期に、米国に移住したパンジャービーがすごく多い。
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インドではゴロゴロ宝石採れるから、本物の石が日本円で数百円~という信じがたい値段。
で、家族の健康とか金運等の目的とその人の星座の位置との兼ね合いで切な石が決まる。
それを指輪やネックレスに加工して男女を問わず身につけてお守りにする。
宝石屋店内に星占いのソフトがインスコされたPCが置いてあったりする。
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インド人からみた日本の宗教は日本は土着のアニミズムと仏教の習合。
儒教は科挙制度が無かったから儒教と権力が結びつかずに、知識人の一教養の枠を出なかった。
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『「欝は誰でもなる」「虐待だめ」「イジメ駄目」そういった標語を
全部「家族仲良くする方法考えよう」に一本化すればウザイぐらいの効果を発揮する。
犯罪、虐待、すべてはパパとママが互いを尊敬する気持ちを忘れ、
罵り合ってる姿を見た子供が大人になり引き起こす』
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時代の分析で一番重要な前提は、インドにとっての独立=パキスタンの分離独立、
それと数千万人単位で発生した難民の扱いが最重要課題だったので、英国や大戦云々どころでは無かったこと。
日本人が韓国ほかアジア各国への賠償問題と印パ英国比較する際に、これを見落としてる人が恐らく相当いるんではないかと。
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一貫してオンリーワンさせてもらってます。
日本に対しては、プッっていうか「あ~……」という落胆
インドの望みは当時も今も一貫して、米国&西欧の側でもない、共産主義でもない、
それに一番近いのが日本だった。
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日本はリーダーを選ぶのが下手だし、選ばれたリーダーはシステムを劇的に改革するだけのパワがー無い。
しかし逆説的に言えば、ショボショボなリーダーでも驚くほど安定して機能するシステムの堅牢さは奇跡。
トップの采配如きでシステムが劇的に変わってしまうようでは、法治国家としてどうなのか?
と考えた時に、笑うどころか、日本のシステムからはまだまだ大いに学ぶ所はある。
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昨日まではシャンカルと名乗ってた人が今日からはトーマスといったように、
[外見]と[中身]を結ぶ思考経路の距離がべらぼうに短いので、
肌色、服装、靴といった外見で人をするのはごく自然な行為であると同時に、
例え身につけた外見が背伸びの結果の付け焼刃であっても、
一度身につけたからにはその外見にふさわしい中身を身につける為に途方も無いエネルギーを費やし、
その為の努力を惜しまない。
つまり、先に高い目標を設定→急ピッチで追いつき、というパターン
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宗教と生活の兼ね合い、食事習慣(料理そのものではなくて)、オタ文化への理解
この3つ。
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イギリスがインドに謝罪した事はありません。そして謝罪や賠償を求めるような教育も行ってません。
その理由は、法に照らした結果インド支配のプロセスに違法な点は無く、英国支配によってインドの資産が失われたことを
立証できず、賠償を請求できないというのがひとつ。
同様に、インド帝国として英国の戦争に付き合わされインドの資産が失われたプロセスにも、何ら違法な点がなく、
これもまた賠償を請求できないというのがひとつ。
つまり要求する権利が無いのに賠償よこせ!と促す教育をは、そもそも無意味
理由2つ目。インドは英国から独立するために、英国の保護が無くても民主主義と法の適正手続を守り抜くと
国際社会に約束する必要がありました。すなわち法的根拠をもたない賠償請求を行う=法の適正手続に反することは
悲願であった独立と、インド人の目指す民主主義国家としての理念と矛盾する行為であったのです。
勿論インドも道義的責任を追求したり、言いたいことは色々あったでしょうが、法をねじ曲げて頂戴する賠償と、
恥じることのない民主主義国家として、国際社会から敬意をもって受け入れられる事を天秤にかけた結果、
あくまでも個人的な独断と偏見で下した結論だけれども、先日のアイマス2にまつわる騒動は、詰まるところ「注目されているほど売れないから」という点に集約されるんじゃないかと思ってる。
ゲームを楽しんだり、(ニコニコ動画などの)二次創作作品を楽しんでいる限りにおいては意識され辛いけど、ゲームソフトとしての「アイドルマスター」ってそんなに売れてない。Xbox360で最初に発売された「アイドルマスター」は一年がかりで10万本をやっとこさ到達した。そういう規模のソフトだった。
http://gamez.itmedia.co.jp/games/articles/0801/18/news109.html
まず登壇したバンダイナムコゲームスの鵜之澤伸副社長によると、Xbox 360版「アイドルマスター」は、限定版(7650本)と11月1日に発売した廉価版を含めて10万本のセールスを記録したとのこと。
その次に出た「ライブフォーユー!」も大差ないだろう。さらに次に出たPSP版の「SP」は三種類出て合計約20万本、DS版は約5万本だ。意外と少ないと感じた人は多いと思う。
他のハードで10万本売れたソフトといえば、Wiiでは「縁日の達人」、PS3では「プロ野球スピリッツ5」、NDSでは「仮面ライダーバトル ガンバライド カードバトル大戦」、PSPでは「MAPLUS ポータブルナビ」あたりである。知名度ではダントツでも、ソフトの販売本数という観点から見れば「アイマス」はこのあたりと「同格」なのだ。
さらに、投入するハードウェアがXbox360であるという点も考慮しなければならない。
最近小型化された新型が発売されたこのゲーム機だが、それでも全くと言って良いほど売れてない。
ハードでは9月9日に新型Xbox360(4GB)が発売されたが、販売台数は約700台と静かな出足となっている。新型の販売台数の割合はXbox360全体の2割弱と貢献度は低く、販売水準を引き上げるまでには至っていない。
それでいて700台である。PS3と同価格の通常版もPS3の僅か1/9の2,000台強。はっきり言う。Xbox360はもう日本で浮かぶ目はない。
そんな状況下で、さて「アイマス2」である。どれくらい売れるだろうか。既存のファンの大多数はおそらく購入してくれるだろう。ではさらなるファンの開拓は出来るだろうか。答えは「NO」だと思う。だからおそらく、前作と大差ない販売本数に落ち着くと思う。
となれば、最大10万本を前提にした開発計画を立てなければならない。はっきり言って、出来る事は少ない。
しかしファンの期待は膨らむことはあっても萎むことはない。新要素は「あって当然」と考えているだろう。メーカー側の都合としても、ただ単に既存作品を拡張した程度のものは出したくない、もしくは出せない。だからプレイ要素の取捨選択を迫られる事となる。新しい試みの代償に、既存の要素を切り捨てなければならなくなる。
その結果が一連の「男性キャラ3人の投入」「既存キャラ4人のリストラ(NPC化)」「オンライン対戦廃止」なんだと思う。
今回の騒動、ソフトを投入するハードウェア選定を誤ると、メーカーは当然としてそのソフトのファンも不幸になるという教訓になったんじゃないかなと思う。
また、ハードウェアのシェアの話になると「シェアが低くても面白いソフトが一杯あるから別に構わない」という声が出てくるけれども、今回の騒動はそんな考えに対して一つの答えを提供してくれたんじゃないかな。「ある程度のシェアがなければ、ファンが求める続編を作る事もままならなくなる」と。
特に「アイドルマスター」は、実態の販売本数に対する知名度があまりにも高くなりすぎた(知名度を上げる事は企業努力としては正しい事なんだけれども)。そのアンバランスさが今回の事態を招いたような気もする。
おそらくバンダイナムコが描いた未来は、ニコニコ動画などでネット上の知名度を高め、それらを直接の収益源であるゲームソフトや関連商品(CDやグッズなど)の販売増加につなげていく、そんな感じだったと思う。
しかし、知名度は高まっても(様々な要因があって)ソフトの購入者の増加には繋がらなかった。だから次回作も前作と同程度の販売予測しか立てられなくなった。
今日の朝日の「声」欄の一本目に、田丸安正「あの大戦の名称 統一できないか」という投書がある。内容はこうだ。
俳句の例会であの戦争をどう呼ぶか聞いてみた。結構の数出た「大東亜戦争」は敗戦後あまり使われない。「第二次大戦」では日本が関わっていない欧州の戦争も含んでしまう。「日中戦争」では対米英戦争が、「太平洋戦争」では対中戦争が含まれない。「15年戦争」も「昭和戦争」も感覚にあわない。そろそろ呼称の統一をすべきでは…
まったくもってどうしようもない意見だ。"「大東亜戦争」という答えが結構あった"のはそれが本来の統一呼称だったからであり、実態にも即しているからに決まっている。
もちろん「大東亜戦争」をあげた者たちも、あの戦争が大東亜をどうしようという「美しい」目的で行われ、かつそれが何を招いたか、を知った上であげているはずである。そして「あの戦争はすべきではなかった」と思っているはずだ。
「声」欄を引用する。
これまでは、あの戦争の体験者が多く、それぞれが何らかの強いこだわりを持つがために、国民の大多数が賛同できる呼称を求める余地がなかったのではないか。
違うだろう。統一呼称の「大東亜戦争」を否定する「強い拘り」のある者が、大多数を押さえつけてしまったのだ。
終戦後の一時期GHQ(実質、米軍)は原爆被害の報道も禁圧。「大東亜戦争」はその言論弾圧の一環として使用が禁止された。言論の自由を叫び、反米の姿勢の強い左翼・革新人士が米軍のこの言論弾圧の共犯者であることに彼らの不誠実と無知が表れている。
大東亜戦争を「大東亜戦争」と呼ぶことは、その評価とは別だ。他でも書いたが、私は全共闘の学生だった頃、ベ平連の指導者小田実の著作で、大東亜戦争には欧米列強からのアジア解放戦争の一面があったことを教えられた。同時に、この戦争が理念とは裏腹に内外民衆に多大な惨禍をもたらしたとの認識も揺るがない。かかる矛盾した戦争の性格は「大東亜戦争」の名称であってこそ読み取れる。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/081004/acd0810040331001-n1.htm
東方風神録のエンディングにおいて、酒があまり飲めないキャラクターに対し、集団で酒を飲ませようという「空気」を作るシーンがある。
しかもこのシーンを批判的には描いていないので、これは日本の悪しき飲み会文化・アルハラを正しい事と思っているという事に相違無いと確信
白玉楼にて西行寺幽々子に仕える魂魄妖夢は、病気以外では休みが無く給金も無い(書籍文花帖話)。また紅魔館の十六夜咲夜は広大な館を
事実上一人で管理しなくてはならない状況である。部下の妖精メイドは役立たず。当主は労働条件を改善しようともしない
このような超ブラックな組織が東方人気の中心であるという事は、奴隷労働マインドが若者に刷り込まれているという事であり憂うべき事である。
東方というのはスペルカード、舞台背景、キャラ設定にいたるまで「何らかの元ネタ」というのを持っている。風神録は諏訪の神話をモチーフとしており、その為諏訪大社を東方ゆかりの聖地と勘違いする者共がキャラ絵馬を奉納するという事態が続いている。一橋大学のトークショーでは「やってはいけませんよ」と言っているが、諏訪大社をモチーフにしたのはこの酔っ払いののんべである。信仰を失った架空の神社にすればいいではないか。大体日本有数の信仰を誇る諏訪信仰を、幻想入りするほどに落ちぶれたものに貶めるとは全くの侮辱行為と言い切れるのである。あと東方星蓮船においては信貴山縁起絵巻の「尼公」を下敷きにしている。これもまた実在の信仰を東方に紐付ける愚行と言えよう。まあ、今年の夏コミの新作が完全に幻想郷で完結している「東方三月精」ネタである事は良き事である。漫画本編なんかは神話ネタでの結構紐付けが甚だしいが「妖精大戦争」は妖精の馬鹿騒ぎに過ぎないので何の害もモタラスマイ。
ZUNは世界観を重視していると言っているが、幻想郷という空間は果たしてしっかりとした生活空間なのであろうか。まず海が無いので塩が無い。塩は人間には欠かせないのにそれをのぞいてどうやって生きられるのだ。「岩塩」という解釈も成り立つが、作者自ら小説版東方儚月抄では岩塩は採れないと逃げ道を塞いでいる。まったく自滅とはこの事である。で、結局それら不都合を解消するには八雲紫の「スキマ」で調達するとか、妖怪の山で機械文明ごっこをしている河童や天狗がどうにかするとかしか考えられず、外の世界にベッタリ依存しとるやんけ。外の世界とは隔絶された幻想といっても。親の援助受けてる癖にイッパシの口を聞くクソガキでしかないのだ。あの色鮮やかな服もそうだ。布を色で染めるのには染料がいる。それもパソコンのカラーパレットをいじるようには簡単ではない。一つの色を作るのにもそれなりのコストがかかるのだ。どうやって作るというのか?香霖堂をドラえもんみたいに便利キャラにさせるか?魔力で服が生成させるか?それともスキマ(笑)なのか?
人間と妖怪が潰し合わないように戦うためのプロレスルールたる「スペルカード」。これを全作品の全シチュエーションで行っているのが実におぞましい。東方風神録は外の世界から幻想郷にやってきた新参者である。そいつがどうしてスペルカードルールを知っているって事だよ。あと東方地霊殿は地下に隔離された妖怪と戦うのにこいつらもまたスペルカードルールだよ。どこで知ったのやら。極めつけは星蓮船である。6面ボスは1000年の封印から解かれた直後に戦うわけだからスペルカードルールを知っている筈が無い。遊戯王とかのホビーアニメとかは「その世界ではそのホビーが大人気」って前提があるから問題は無いし、メダロット魂においては「デスメダロット」によるメダロットとは違うルール無用の戦いを通じて、「境界の外では中のルールは通じない」というホビーアニメを全否定しかねない命題を打ち出したりしている。そこいくと風・地・星でどうやってルールを徹底させたかといえば、同調するような圧力以外は考えにくい。「こうやって戦うのが常識でしょ」という感じで押し切ったのじゃあるまいか?大体ルールを懇切丁寧に教えるとすっごく間抜けになる。漫画版儚月抄で魔理沙が依姫にスペルカードルールを説明する会などは実にバカバカしい。依姫は主人公ズを圧倒していたんだから言う事を聞く必要なんて無いわけだ。
2000年代の世界経済史の著作の中でも、最も重要なものの1つで、バーンスタイン「豊かさの誕生」やJ.サックス「貧困の終焉」のネタ本としても知られる(アマゾン情報)。その最大の特徴は1000年以上に及ぶ人類の歴史を膨大な”統計データ”によって叙述していること。これだけの情報を集めるのに一体何十年かかるのか。著者の労力を想像するともはや”スゴ本”なんて生易しいレベルではない。「経済統計で見る世界経済2000年史」という名前で柏書房から出版されてもいるが、現在は絶版である。以下,ポイントを列挙する。
・世界経済(システム)が数字の上で本格的に動き出したのは「17世紀」。
東西貿易が量、品目ともに拡大し、ヨーロッパ諸国からアジアへ向かう船便数は、16~18世紀の間に4倍へ。
その数はさらに、18~19世紀の間も2倍へ膨れ上がった(p65)。
産業革命が浸透した19世紀をすぎるまで待たなければならなかった。
1000年から1800年までの西欧諸国の一人当たり
年平均GDP成長率はわずか0.1%台だった。
一方で1820年以降は1%を超えて急成長する(p265)。
かつて技術、文明で世界をリードしていた中国の一人当たりGDPは14世紀にはヨーロッパに抜きさられている(p44)。
しかしそんなアジア諸国の例外が日本だ。江戸時代の安定政治のもと、
都市の衛生にも気を配り、着実に豊かさを増していった。
明治維新が起こる前の19世紀の前半には、日本は1人当たり所得で中国を追い越していた(p264)。
(別の言い方をすれば中国は20世紀に入るまでの過去1000年、ほとんど経済成長がなかった)
また、日本に関して付言すれば、世界が歴史上もっとも高いGDP成長率を謳歌した1950~73年("Golden Age")
の期間中でも群を抜いて成長率が高かった(年間8% 世界平均は2.9% p126)。
・ただ人口については、西暦以来一貫してアジアが西欧を凌駕し続け、その差も拡大している。
本書によれば地理的にインドと中国が世界人口のツートップである構図は、西暦が始まった頃から変わっていない。西暦0年の時点で、すでに中国の人口は5000万人を超え、1500年を過ぎるころには1億人を突破していた。中国の人口はそのれからさらに、2度の人口爆発を経験した。1つは18~19世紀初頭の100年で、1.3億人から3.8億人へ3倍に爆発。2回目は20世紀後半、50年弱で5億人強から12億人へ爆発した。それぞれの時期について、西欧諸国の人口合算と比べると、1000年~1500年の間はだいたい2対1。19世紀~20世紀には3対1の比率だ。つまり、中国はほとんど所得成長がなくても、人口だけは西欧をこえるスピードで拡大してきた計算になる。同じ議論を、インドについても当てはめることができる。
【その他、気になったことなど】
・16世機~17世紀にかけて、欧州最大の都市はナポリ(281000人,AC1600)で、
18世紀~19世紀にロンドン(865000人,AC1800)へと移り変わる。意外と
・第二次大戦前と大戦後で、西欧諸国は移民の排出元から流入先へと転換した(p128)
1870-1949までのうちに1800万人がアメリカなどへ移住した。
しかし、1950年以降1998年に至るまで逆に2000万人移民を受け入れている。
・人類の歴史に負の人口ショックを与えてきた3大要素として、マクニールなどの研究も参照しつつ「飢饉、病原菌、戦争」とおいている。西洋とそれ以外の発展の違いについては、「いかに」の部分は定量的にかなり明快に記述しているが、「なぜ」に言及した部分はあまり目立たない。その意味で本書は、記述が西洋寄りという意味で西洋中心的ではあるものの、発展の原因を西洋的なものに限定していたかどうかは議論の余地がある。
・人口、所得、実物取引などのデータについては各国別の詳しい時系列がある一方で、金融関連や価格のデータが少なかった。それと、主要地域における経済発展の速度の違いがメインテーマに上げているのならば、それぞれの都市と農村との関係がどう変化したかにも踏み込む必要があると思った。欲張りすぎか