はてなキーワード: 燃えとは
2011年1月1日、アニメ制作会社の「シャフト」の公式サイト中に、大手まとめブログの「やらおん」と同じAmazonアフィリエイトが埋め込まれている、という情報が2ちゃんねるのニュース速報(嫌儲)板に書き込まれました。
この情報は瞬く間にネット中に広まり、特に2ちゃんねるのニュース速報板において新年早々の大型祭りに発展する騒ぎになりました。
「やらおん」という主にアニメのスレをまとめている個人ブログがあります。
絶大なアクセス数を誇る一方、特定のアニメを叩くために偏向的な記事を作ることが多々あり、2ちゃんねらーを中心とする一部の人々からは「アニメ業界の癌」として非常に嫌われていました。
「やらおんに叩かれたアニメは内容の出来に関わらず日の目を見ない」という意見もあり、癌であるかどうかは別にしてアニメ業界に大きな影響力を持っていたのは事実です。
そして今回「やらおん」と「アニメ会社」を結びつける証拠が出てしまいました。
概要に書いた通り、アニメ制作会社のシャフト公式サイト中にやらおんのAmazonアフィリエイトが埋め込まれていたのです。
具体的に説明しますと、シャフトの公式サイトに貼っていあるリンクを経由して買い物をした場合、やらおんにアフィリエイト報酬が発生するようになっていました。
これらの証拠が原因で「やらおんが一部のアニメを叩き一部のアニメを過剰に持ち上げていたのは、シャフト等のアニメ制作会社から金銭を受け取ってそうするように指示されていたからだ」という推測が2ちゃんねるに広まりました。
そしてこの「個人ブログを利用して自社製品を宣伝する行為」が「ステルスマーケティング」略して「ステマ」ということで今回の騒動の中核を成す行為というわけです。
まとめますと、
以前からやらおんによる「アニメの評判操作」が非常に嫌われていた
↓
↓
アニメの評判操作を指示していた犯人がシャフトであるという推測が広まった
↓
個人ブログを利用してステルスマーケティングをする企業も、その片棒を担いで小遣い稼ぎをするアフィブログも、どっちも許さないぞ、とニュース速報板住民がキレて大暴れ
という流れがステマ騒動の発端です。
キレたニュー速民は、ニュース速報板において少しでも企業の宣伝臭が感じられるスレッドに対し「ステマ乙」という内容の書き込みを連投するようになりました。
この頃にはまだ板全体が完全に機能停止していたわけではなく、一部の宣伝っぽいスレのみにステマ連呼荒らしが発生している程度でした。
しかしこの状況を更に加速させるような燃料が相次いで投入されたことにより、一気にステマ騒動は爆発的な広がりを見せることになります。
燃料(1)
ニュース速報板にはほぼ専属の削除人がいて、ニュース速報板に立ててはいけないと決められているスレを不定期に削除しています。
この削除人が、前述したシャフト騒動の祭スレを削除してしまいます。
これに対し住民は強く抗議し、さらに同じ削除人仲間も「これは削除対象ではないだろう」とはっきり対立意見を表明する事態になりました。
結局この件が原因でシャフト騒動のスレは削除されないというお墨付きを得てしまい、祭がさらに加速する原因になってしまいました。
燃料(2)
神がかったタイミングで「食べログ」においてステルスマーケティング業者が存在するということが大々的に報道され、
このことで「ステマは陰謀論ではなく実在する」「ステマは違法」という重要な二つの情報に公的ソースが与えられた形になり、
燃料(3)
ニュース速報板には運用家族と呼ばれる、ニュース速報板の自治に積極的に関わる集団が存在します。
この運用家族が実はアフィブロガーと繋がっていてニュース速報板をアフィブロガーが利用しやすいようにしている、とのデマが流れました。
なぜこのデマが流れたについて説明すると話が複雑になるので割愛しますが、とにかくそのような内容のデマが流れ、これにより
「ニュース速報板の自治を支配している運用家族がアフィブロガーと繋がっているのであればもうニュース速報板にいてはダメだ」ということで、
アフィブロガーが手を出すことはできない「アフィブログ転載禁止」がルールとして定められているニュース速報(嫌儲)板に移住しようという話になりました。
その他燃料
「よほど都合が悪いようだな」「効いてる効いてるw」などの非常に効果的な煽り文句の登場も「ステマ連呼」を後押ししました。
これらの燃料(1)~(3)が燃え尽きる過程において、徐々にニュース速報板における「ステマ連呼」の勢いも増していき、
最終的にはニュース速報板に立つ全てのスレに対し見境なくステマ連呼の爆撃が発生するようになってしまいました。
そしてニュース速報板が板として完全に機能しなくなったのとほぼ同時にニュース速報(嫌儲)板への移住が始まり、わずか一夜にして移住は成功しました。
そして現在ニュース速報板はスレマ連呼荒らしにより機能が停止しており、以前のニュース速報板の住民はニュース速報(嫌儲)板で活動しています。
http://anond.hatelabo.jp/20120107213543
子供が行けるところに行けば良かったんで、別に高学歴にこだわったわけじゃないんだ。結果的に、けっこう学歴高くなったけどね。
で、東大とか京大の友人がいるけど、ああいうところは「精一杯努力して、ようやく東大届いて、燃え尽きた」奴と「特に勉強とかしてなくて理解力が高いから遊んでても楽勝で入った」奴と、二極分化するんだってさ。勉強も才能がある奴は、たいして苦労なんかしないでモノにするんだ。
たくさんの金かけて、ようやく入ったような子は、そこまでの人生で遊んだことがないから、東大入ってからが大変らしい。無理していかせるもんじゃない。
The burnout cycle (Jono Bacon, Nov 2010) (PDF) の一部より。
燃え尽きの最初の段階としてよく見られるのは、自分の価値を証明したいという欲求です。
その根幹には、自分の仕事が軽んじられているという不安感があります。
燃え尽き症候群の患者は、自分の価値を証明するため、より多く働こうとします。
長時間働くことは燃え尽き症候群の初期段階に見られる兆候です。
自分がいかにたくさんの結果を出しているかを証明しようとして、
頑張って長く働くこうとします。
夜遅くまで働きつづけることも珍しくなく、
オープンソースソフトウェアの活動の場合はさらにそれが顕著です。
たくさん働けば自分の価値をもっと分かってもらえるという信念のもと、
午前2時や3時まで働いたりもします。
この段階になると、眠ること、食べること、友達と遊ぶことなどは単なる「娯楽」であり、
自分の価値を証明しようという欲求があまりにも強い状況であり、
より多く働くことが最優先事項になります。
誰かに誘われても、断ることに抵抗を感じません。
また、働きつづけることに抵抗を感じなくなります。
深夜や早朝に働くことは珍しくなく、
この段階では、異変に気づいた身近な友人や家族から、大丈夫かと尋ねられるようになります。
ただやることが溜まっているだけだと言って、彼らの気遣いを聞き入れません。
この段階では、仕事へのこだわりが強くなることにより、
それまでの価値観において大切にしていた、友人や趣味といったものを脇にのけるようになります。
仕事でよい結果を出すことが、成功をはかる唯一の指標になります。
人付き合いや家族と時間を過ごすことが、もはややりがいのある大切なことではなくなります。
むしろそうしたものは、やりがいある仕事へのさまたげになる、と考えるようになります。
もっと働かなければならないから、と言い訳するのに抵抗を感じなくなります。
いつ尋ねてもダメだと言うので、友人から誘われることもなくなっていきます。
この段階では、不信感、狭量さ、攻撃性が顔を出してきます。
同僚がバカでとるに足りないことばかり言うように見え、
どんどん生じてくる問題の原因として、
時間が足りない、同僚が無能だ、仕事の分配が不公平だ、と文句をつけるようになります。
睡眠不足により疲れがたまり、ジャンクフードとカフェインのせいでかなり不健康な状態になっています。
自分を情けなく思うと同時に、まわりは自分のつらい状況を理解してくれない、と感じます。
他人に向かってわめいたり手をあげたりするようになり、
口喧嘩をしかけることが増え、謝罪することに抵抗を感じるようになります。
生きることがつらいと感じるようになります。
他人との接触や人付き合いを最低限に抑え、
燃え尽きが進行していくという感覚をやわらげることが重要になってきます。
酒を飲むこと、あるいは薬に頼ってストレスを解消しようとします。
何に頼るかはそれぞれですが、通常よりも深くそれにのめり込みはじめ、危険な兆候が出はじめます。
友人、家族、同僚からみて明らかにおかしな奇行をするようになります。
本来のその人でなくなったということが、近しい人の目にはっきりと分かります。
身体的に疲れ果て、頭痛、肌荒れ、意欲の低下など健康上の問題が生じます。
対人関係にプレッシャーを感じ、とくに深夜、鬱が強くなります。
自分の人生が、機械的で感情のない歯車の連続のように感じられます。
自分の価値を誇示したいという願いも弱くなり、諦めてもいいかと思うようになります。
より頻繁に酒、薬、過食、異常性欲、その他の奇行、破壊衝動などに逃げ込むようになります。
鬱がさらに進行します。
この段階では、失望感、喪失感、消耗感を感じ、将来を楽観視する理由をほとんど見出せなくなります。
いまになって思い出すのは、高校合格が決まった日の夜の車中での出来事だ。私は自分が高校に合格したことで脱力して、いわゆる燃え尽きた状態になっていたのだと思う。だから私は、できることなら誰とも話さずに、自分の自分への勝利を味わっていたかったのだと思う。当然、父は私を褒めちぎった。父は私に「お前は俺を越えたな」と言った(父は近所の高校の普通科出身で、私は同じ高校の理数科に合格したのだ)。しかし、そういうわけなので、私は満足な反応を返すことができなかったのである。きっと父の目には、私が全然喜んでいないと映ったに違いない。それとも、私が父を無視しているようにも映ったに違いない。いや、じっさい、私は父を無視していたのかもしれない。非は私にあった。父は車中で激高し、その日はそれきり、たがいに口をきかなかった。
父は私と二人きりでいる時間があまりにも長かったために、きっと私を自分の一部にしてしまったのだと思う。だから私が父の意のままに動かなかったとき、父はどうすればよいのか分からず困惑し、怒るのではないだろうか。私は手足ではないのだと憤ったこともあったが、今ではそれもしかたのないことだったのだと納得している。けっきょく、父には私しかいなかったのだ。私だけは、つねに父の味方になっていなければならなかったのだ。それも受動的にではなく、能動的に。父と私との関係を損なってしまった非の多くは私にある。
私は父を理解しようと努めてこなかった。そのことが、父と私との関係を決定的に損なってしまった。しかし私と父とのあいだには、いかんともできない照れ臭さが漂っていて、それが私を素直にさせなかった。いまでもそうだ。父は素直ではない私に対して、自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑と、そして自分が無視されているのではないか、尊敬されていないのではないかという疑心によって、私とのあいだに良好な関係が結べなくなってしまったのだろう。
私は私で、父と二人きりで過ごした時間があまりにも長かったために、この照れ臭さを越えて父とのコミュニケーションを図ることが、あまりにも重荷となってしまっている。ようするに、私たちは親子は、あまりに近すぎたのだ。そのためにうまくいかなくなってしまったのだ。
聞く話によると、父と祖父との間にも、少なからぬ軋轢があったという。私たちとは逆で、父と祖父との関係は、あまりに遠すぎた親子であったらしい。ふたりの間には、物心ついたときから、一切の会話がなかったという。
両方の家庭に共通しているのは、夫婦の不在である。思うに、人間どうしが関係をつくるとき、自分と相手、たったふたりだけではうまく行かないのだ。なぜなら、ふたりきりの世界には距離感がないからだ。だから他者がどうしても必要なのだ。親子の場合は母、夫婦の場合は子が、それぞれ必要となるのである。
ふたりだけの世界というのは危険で、あまりに長くそれがつづくと、一方が一方を自分の一部にしてしまう。親子でもそう、恋人でもそうだ。他者なくして距離感は生まれない。人間関係の神髄は、もしかすると距離感なのかもしれない。
自分の肉体の一部が言うことをきかないことに対する困惑。父はきっと、私がまさしく父の一部であった時代、私の少年時代に縋っているのだろう。なにしろ、私が自立して家を離れれば、父は正真正銘の独りぼっちだ。父が友達と話しているところを、私は見たことがない。父はこの先、途方もない孤独のなかに取り残されてしまう。私は父を救うことができるのだろうか。
私が父について考えるとき、思い出さずにはいられない人物がひとりいる。岡崎智也だ。そうだ、岡崎智也は、はたして彼の父を救えたのだろうか。彼の父、岡崎直幸は、はたしてあれで救われたのだろうか。私には、岡崎智也が他人のようにはどうしても思えないのだ。そう、こんな子供じみた共感・幻想に、私は23歳になった今でも、いいように振り回されているのだ。なんて滑稽なんだろう。
私は実家ですごすことに疲れてしまった。私は私でいることに疲れてしまった。できることなら、私は私という人間が初めから生まれてこなかったことにしてしまいたい。でも死にたいとは思わない。私は絶対に死にたくはないのだ。たとえ藁に縋ってでも、私は一日でも長く生きていたいと願っている。しかし、でも、やっぱり、私はすっかり消えてしまいたい。私がいたという痕跡を残さず、綺麗さっぱりなかったことにできたら、どんなによかっただろう。
まだ誰もいない会場に一番乗り。
適当に座って待つ。
しばらくして一人二人と席が埋まっていった。
俺の前に来たのは、
手足が長くスラっとしている。
これで歯並びが良ければとてもチャーミングな人だと思う。
緊張しているのかこちらに目もくれず、
うつむいていて、
しゃべるチャンスがつかめない。
せめて席に付くときに軽く笑顔で挨拶ぐらいしても良いのになぁと思ったのだが、
きっと人見知りなのかもしれない。
まさか全く興味なしで声かけるなオーラ出してる?
悶々としていたら、
いつの間にか会場は埋まっていて、
各馬スタートラインに着きましたってな具合で、
さらに緊張が襲ってきた。
各馬一斉にスタート!
早速自己紹介。
出だしはやはり緊張しているせいか上手く話せない。
しどろもどろになりながらも、
リアクションはあるけど、暖簾に腕押し的な感じで
向こうから会話を広げていこうという感じが全くない訳で。
うーん、こりゃダメか。
だんだんまるで象に挑むアリの気分なんて、
卑屈になってくる。><
さらにそんな最悪なタイミングで遅刻してきた友人から電話が来ちゃって…。
出ない方が良かった…俺バカ!
難攻不落の城攻めもあっさり撤退、
いや、かなり消化不良な感じ。
よし、気を取り直して、
さ、さぁ張り切って次行こうかぁ!
次!
アウチ!
はい、次!
アベシ!
数をこなす事に慣れて流れ作業化して行って…
なんの手応えも得ないまま一周して自己紹介は終わった…
その後のフリータイムになった。
ここで先ほどの失敗をなんとか取り戻したい俺は、
止せばいいのにもう一度、
でもそこがまた(・∀・)イイ!!
またしても話せども話せども心ここにあらず的な、
そっけない返事。
話してるうちにループに陥って、
しどろもどろになって、
なんて自虐な質問してた。泣
…
なんか余計に傷に塩塗ったな。
HP:0
今回の反省点。
イマイチパットしない服装だったりしてさっぱり自身が持てなかった。
それよりも最近は会話がさっぱりできない。
もとより苦手だったものがここに来て本格化している気がする。
高望み過ぎた?
笑いの神よいつ降りてくる?
天使よいつ微笑むのだ?
彼はなにかの不正を正そうとしたというよりは、そういう因果から抜けることを目指したんじゃなかったっけ?w
「行くまで」の話の何をどう転がせば「正義」の話になるというんだ。
というか、彼岸まで行くとしても、行けるのは仏陀のほうではなく妄想の産物のほうなので、これは最後まで正義の話でいられるんだよ。
「釈迦の妄想の産物」なる怪物まで出してくるんなら、もう正義だなんて完全にお前のモンスターになっちまうんじゃないのかね。
どこまでもまどろっこしいやつだな。では正義ではなく憎悪と呼びたまえな。
引用しないけど、辞書的には言うまでもなく正義と憎悪は別のページに書いてあるかんね。
俺は空気が読めない。
人が怒ってるのか喜んでるのか悲しんでるのか顔色で判断できないくらいに。
怒られてしゅんとしないせいで、怒られたりした。
「どうしてお母さんが怒ってるかわからないの!」
と言われ
「ううん、わかってるよ」
と言って
「ぜんっぜんわかってない!」
と怒られた記憶がある。
しまいには、
「わからない」
と言い泣いた。
母も途方にくれた。
ところが、これは遺伝だ。
一番酷いのはうちのじいちゃんだ。
どんなに叱られても、笑われても、罵声を浴びせられても、ニコニコしてる。
反対に、怒るのをみたことがない。
たぶん、殴っても刺しても怒らないと思う。
痛がるとは思うけど。
こんな書き方をすると生き仏だが、家族としては非常に迷惑である。
加害者になってもやっぱり同じなのだ。
車をぶつけても、
「あーすいません。」
くらいなのだ。
しまいには
「(スーパーで買った)刺身温まっちゃうから帰っていいですか?」
と言い出したそうなのだ。
怒るという概念すらないのかもしれない。
金を騙し取られても、他人の不手際で数百万を失っても、恨み言などは一切なかったらしい。
怒るほうが言い尽くすまで言わせ、
「もういいかい?」
と言う。
まだなら、それも延々と聞く。
本当に聞くだけだ。
「どうして話をきかないの!」
「聞いてるよ(本当に聞いてるだけ)」
という不毛なやり取りが続く。
感情の種類が少ない気がする。
平常、興奮、興味があるの三種類しかないと思う。
行動規範が興味だけだ。
自分ちが燃えそうになっても、それを楽しいと思えてしまうくらいどこかネジが飛んでる。
祖父の今のブームは、堆肥をつくるために自分の小便をペットボトルに貯めることだ。
祖母と母は毎日それを捨てる。
捨てられたもわからないほどボケてるかと思いきや、それはちゃんとわかってる。
実は父親もちょっと変だ。
その行動をやめさせるために、どんな説得をするかと思いきや
繰り返すが、大ポカをやっても、被害者になってもニコニコしたままだ。
世間ではボケ老人と思われてるが、俺の記憶の限りではずっとそうだ。
世の中のボケ老人は怒ったりするらしい。
http://anond.hatelabo.jp/20111109215236の前日譚。
アラサーのこの年になるまでナンパなんてしたことがなかった。非モテの独身。
偶然目にしたナンパ師のブログを見て、名状しがたい情動が急激に燃え上がったのを感じた。
女を食い物にするナンパ師への怒り。「男の本能」で全てが説明できると考える知性のなさへの侮蔑。会ったその日に強引な押し出しで女性と性交するデートレイプと呼んでも差し支えない行為への嫌悪感。しかも場所がネカフェやカラオケという不潔さへの嘔吐感。
そして、否定しようもない嫉妬と羨望!!
そしてよくよく考えれば、俺もナンパ師を批判できるほどきれいな体でもなかった。非モテとはいえ、セックス経験はあり、その中には愛を偽ってセックスに持ち込んだ例もある。また、ナンパ以上に性質の悪い行為もしているのだ。その俺が聖人面して他人を批判できるか?ヨハネによる福音書第8章1~11節を見よ。
あれこれ悩んだ末にフェミニズムと両立するナンパはできないかと考え始めた。
そして11/6に初決行。10人には声かけようと決意していた。何故か最初からテンションだだ上がりで、ほとんどの初心者が陥るという「地蔵」状態はほとんどなく、ストライクゾーンの広い俺は少しでも好みの子に声をかけた。誰も立ち止まってくれず、紙ブーメランの準備もしてきてなかったため、結果的には坊主であったが、10人以上に声をかける結果となった。達成感とテンション、多幸感は最高潮に達していた。
脳科学や心理学の見地から説明すれば、非日常的な行為をしたことによる動悸の高まりやアドレナリンの分泌量の変化によるものだろう。そして、この興奮が多くのナンパ師をして行為過程依存、俗にいうセックス依存症に陥れせしめるものだろう。例えばこの大学生、ナンパのために将来の進路まで変わってしまった。http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10929146122.html http://ameblo.jp/shitorasu/entry-10988420975.html 他にも家庭が崩壊してもナンパが辞められない男たちが大勢いる。しかし、果たしてこの多幸感には抗いきれないものがある。
ここから仕事すらガッツリやろうという、いままでの俺では考えられないモチベーションも湧いてきたのである。俺は才能にあふれ、何をやっても上手くいくという躁状態に入っている。高校くらいでは女性縁遠く、かなり遅い時点からナンパを始めた非モテ・非コミュがナンパを始めると一様に全ての男性にナンパを勧めまくる理由はここにあると思われる。
俺もナンパはこれまでしなかったもののセックス依存症じゃね?と疑うほど、性欲に支配されやすいことがある。もう俺の人生は崩壊しかかっているのだろうか?
affected そういうシステム
● 動いているネットワークには触るな。
● 配線図を信用するな。
● 特権権限のパスワードが「password」の機器は誰もログインしていない。
● 冗長構成は動かない。
● 機器触っている時に「あっ。」って言う人は信用するな。
● しばらくアラームが来ない場合、何らかの問題が起きている。
● ググれ。
● 再起動は命がけでやれ。
● バックアップは戻らない。
● 素人は素直に申し出ろ。
● 手順書も読めない
● 手順書は読めるが作れない
● 手順書がないと作業できない
● だいたい手順書が間違っている
● 早業で障害対応したのに怒られる
● 飲み会の日は夕方障害発生
● コンフィグを保存し忘れる
● デフォルトオリジネートは消える
● 堅い名前をつけても誰も呼ばない
● MUAにこだわる
● キーボードにこだわる
● OSにこだわる
● そのスイッチのせいでSTP走って混乱
● 攻撃だそれフィルタと安易に言う奴が多い
● それはだいたい管理職
● 攻撃されている顧客には連絡が取れない
● DNSのことは知らない
● 経路交換は政治だ
● 落雷に敏感だ
● 生き字引みたいな人が居る
● その人のデスクはだいたい汚い
● 椅子の座り方をしらない
● 椅子を並べて寝るのが上手い
● ラックの間で昼寝する
● 光ケーブルの受光は目で確認しちゃう
● DC電源が怖い という話が怖い
● 低レイヤの事は以外としらない
● ケーブルは埋め殺す
● 埋め殺されたケーブルが多くてケーブル撤去できないのでそのケーブルも埋め殺す
全部、超大事。「いい先生であること」以上に、「いい先生であり続けること」はとても大事。だって、生徒は卒業してもずっと生きて覚えてるからね。何年も、何十年も、ずっと。
増田に書き慣れない公立高校教員だ。若いつもりだったがもうすぐ退職だ。
高校時代の友人で同じく教員になったやつがいる。たしか教員4年目で自殺した。いわゆる「困難校」に赴任してがんばっていたが最後は出勤できなくなって死んでしまった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E3%81%88%E5%B0%BD%E3%81%8D%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
一定の生き方や関心に対して献身的に努力した人が期待した報酬が得られなかった結果感じる徒労感または欲求不満。慢性的で絶え間ないストレスが持続すると、意欲を無くし、社会的に機能しなくなってしまう症状。一種の心因性(反応性)うつ病とも説明される。
極度のストレスがかかる職種や、一定の期間に過度の緊張とストレスの下に置かれた場合に発生する。会社の倒産と残務整理、リストラ、家族の不慮の死と過労などに多いと言われている。
説教くさく聞こえるかもしれないが、これには気をつけろ。
公私の区別がつきにくい仕事だが意識して区別をつけるようにしろ。なるべく休暇中は学校のことや生徒のことは忘れろ。(完全には無理だろうがなるべくだ)
それから生徒はアホで世間知らずに見えるが、俺たち教員がいなくても生きていける。むしろ教員よりも世の中のことをわかっているかも。自分が指導しなければ、なんてあまり思わないことだ。
とにかく生徒からはある程度距離を置け。(歳をとると生徒の方から距離をとるようになるんだけどね。この増田氏は最近は距離を置いているようだ。)
公立高校に長くいると一生懸命やってもやらなくても給料に差が出ないことを強く意識するようになるのではないかな。バカらしくなって段々と手の抜き方を覚えるのかもしれない。俺はそうだった。
とにかく適当に力を抜け。それから自分の専門教科の研修に関してはどんな学校にいても怠らないほうが良い。教科指導は教員のレゾンデートルだから。自分のことを棚にあげて言うのはおこがましいが。
幸運を祈る。
6 Reasons We're In Another 'Book-Burning' Period in History | Cracked.com
By: S Peter Davis
これを聞いた人の8割は私の顔を殴りたくなるだろうが、端的に言おう。
稀覯本を含む本を数万冊以上捨ててきた。
焚書と聞いて、一般にはおそらくナチスドイツを連想する人が多いんじゃないだろうか。
それは不寛容と反知性の象徴だ。
だが今回の焚書は違う理由で起こっている。
本を捨てているのは、利用者が誰もいないような辺鄙な田舎の図書館だけじゃない。
おそらく世界最高の権威がある図書館、大英図書館でも、本の廃棄が産業的な規模で行われている。
オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ大学やそのほかいくつかの大学では最近、本の処分に関するスキャンダルが起きた。
今年ボーダーズという書店がつぶれたときには、在庫は寄付されるのではなく廃棄された。
捨てられているのは、『TVガイド』とか重複所蔵の本だけじゃない。
17世紀に美麗に印刷されたシェイクスピアの作品集を想像してみてほしい。
奥付のページには、遠い昔に亡くなった所有者からの達筆なメッセージが付いている。
それをゴミ箱に捨てるのだ。
私は何度もその場にいた。
持ち帰ってeBayに出して売って、何百ドルかにはなったんじゃないだろうか。
これはオバマの共産ナチ新世界秩序に操られたソビエトの秘密作戦か何かではない。
血も涙もない官僚主義によって起こっているのだ。
というのも……
誰しも思うのは、恵まれない人たちに寄付すればいいんじゃないの、ということだ。
囚人でも、病気の子供でも、独立系の新興書店でもいい。寄付すればタダじゃないの、と。
蔵書であることが分かるようになっている。
その本を寄付したり売ったりするときには、印を消さなければならない。
盗品でないと分かるようにするためだ。
そればかりか、所蔵印が残っている本は、親切な人が見つけて図書館に返しに来てくれちゃったりもする。
そして、処理すべき本はとても多い。
図書館はやっきになって蔵書を減らそうとしている。
図書館館長になったつもりで、10万冊を処分しなればならないという報告を受けたと考えてみてほしい。
選択肢は二つ。
学者を何十人か雇って蔵書目録をもとに重要度や価値を評価させて、
また何十人かを雇って重要度の低い10万冊に一冊一冊処分の印を押させる、
というのがひとつ。
第二の選択肢は、コンピュータで貸出回数の少ない10万冊を列挙して、
数人に館内を回って集めさせて、シュレッダーにかけさせること。
第二の選択肢のほうがずっと速くて安いことはお分かりだろう。
そうなれば儲けがでることもある。
ことに司書にとっては、それはまるで、
ゾンビに噛まれた親友を前にして、自分だけが銃を持っているようなものだ。
それに、捨てられた本のなかに救われるべき本が埋もれてしまうことも忘れてはならない。
このやり方では明らかに、ものすごく貴重な本が引っかかってしまうことがある。
2011年版が書架にあるのに、『白鯨』の初版本を書庫から借りようとする人がいるだろうか。
コンピュータで出した貸出数ランキングではそうした区別ができない。
また、このやり方をする場合は、本は完全に破壊しなければならない。
ただゴミ箱に放り込むだけでは不十分だ。
盗られるかもしれないからだ。
誰も読もうとしないように本を引き裂くか、ゴミ箱に漂白剤を入れておく必要がある。
とにかく、ゴミ箱が「ご自由にお取りください」状態になってはまずい。
そして作業をする図書館員が16世紀の貴重書を見つけたとしても、
館長はそれを救えとは言えない。
捨てる代わりに調べるように命じていることになりかねないからだ。
どんな本か分からなければ捨てるのも楽になる。
みなさんがこの事実をご存じなかったとすれば、
ほとんどの場合、一般人が気づくのはゴミ箱に大量の本が入っているのを誰かが目撃してからのことだ。
とはいえ司書がこっそり話し合っている掲示板はいくらか見受けられるが。
2004年ごろ、ニュージーランドのビクトリア大学は13万冊の本を廃棄することを決めた。
計画では、廃棄対象の本に赤いテープを貼り、
それを救いたい人がペンでチェックマークを付けることになっていた。
ご想像のとおり、誰もが怒りをあらわにした。
ある教授は図書館を「野蛮人」と呼んで学内に電子メールを回し、
図書館をめぐりすべてのテープ付きの本にチェックを入れるよう、
職員と学生に呼びかけた。
私の場合は、本の廃棄に気づいたのはそれを盗んで逮捕された人だけだ。
一般人が気づくころには、すべて終わっていて、反乱の機会はなかった。
それに図書館は気づかせることのないよう巧妙な言い回しを使う。
たくさんの書架を空にして、本を書庫に送ったというとき、彼らは嘘をついているわけではない。
ただ、書庫はすでにいっぱいで、新しい書庫行きの本の分だけ廃棄をしているということを言わないだけだ。
本の廃棄を推進する人たちは、図書館の機能を「本の博物館」だとする見方に反対する。
みなさんは愛すべき古典文学の書架に代表されるたくさんの書架の集合こそが図書館だとお思いかもしれない。
通貨が少し下がったり上がったりすれば、外国雑誌の価格も少し変わるだろう。
さてここで、購読するのは数冊ではなく10万冊だと考えてみてほしい。
そして、いま降りかかっているのは小さな変動ではなく、大恐慌時代以来の最悪の不況だ、と。
これは一夜にして旅客機一台分が財布から飛んでいくことを意味する。
その旅客機の代金が払えないと、まずいことになる。
そうなったらとりうる手段は、燃え盛る蜂の巣を手放すように、
購読を打ちきることしかない……とお思いだろうか?
ところがそれは図書館のパワーユーザー、学者と学生が毎日必要とするものなのだ。
必要のないもの、それはたとえば、手書き挿絵の入ったネクロノミコンだ。
どれほどかけがえのない所蔵物であろうと、とにかく場所がないのだ。
というのも……
図書館が蔵書を引き裂く必要がある理由のひとつは、この不況だ。
悲しいことだが、それはそれで仕方ない。
コーヒーショップと引きかえに土塊にされているとしたらどうだろうか?
オーストラリアのニューサウスウェールズ大学でまさにそれが起こっている。
その図書館では、社交的空間を作るため、1850年代からの蔵書と新聞雑誌が廃棄された。
ピーター・スレツァク教授はそれを、図書館を「スターバックスのようなもの」に変えるものだと評している。
しかし、図書館の立場にたってみれば、それを要求しているのは、
彼らは本を保管することだけではなく、本を使う場所を図書館に求めているのである。
そして出版社は無数の本を出してくる。
ということで、図書館は、一方では新刊書を所蔵するために拡張を迫られ、
一方ではカプチーノを飲んで腰を下ろす場所を作れと言われているのだ。
問題は、その費用を誰も出してくれないということだ。
この報告書でも分かるように、図書館へお金を出している組織は予算増額をものすごくいやがる。
図書館が「拡張の資金が必要」と言えば、大学当局は「他を当たってくれ」と言うだろう。
ほとんどの図書館に他の当てはない(建物に放火して保険金をせしめるという手を勘定にいれなければ)。
本はもはや流行らない。このことは認めざるをえないだろう。
2010年最後の三カ月のAmazonの売上データで、電子書籍は紙の書籍を上回りはじめた。
最近のハードディスクであれば、場所をとらずに事実上無限の数の本を入れることができる。
小さめの図書館ならUSBメモリ一つでで置き換えられるとしたら、
巨大な防火設備で本を守り続けさせる原動力は、人々の愛しかない。
現在の経済状況下では、その愛はなかなか発揮されることがない。
この動きは三十年前に遡る。
1980年代、図書館のスペース問題を解決したのは電子化ではなくマイクロフィルムと呼ばれる新技術だった。
本や新聞雑誌をスキャンしてマイクロフィルムとして保存すれば、
図書館ひとつがキャビネットひとつに収まるというのが謳い文句だった。
ニコルソン・ベイカーは、マイクロフィルムブームの悲痛な記録を本にした。
それによると、大英図書館、アメリカ議会図書館といった世界の名だたる図書館が、
数千冊の古い貴重書を引き裂いてスキャンし廃棄したそうだ。
世界中の本好きたちがこれに抗議したところ、司書がマイクロフィルムを掲げて
今日では、インターネットの普及によって、本の圧縮はますます推進されるばかりだ。
ある組織では廃棄する本の選定にあたって、グーグルブックスに載っているかどうかというシンプルな基準を用いているそうだ。
もちろん、本好きの心はそれだけでは慰められない。
彼らは本の内容だけではなく、本それ自体に価値があると信じている。
彼らにとっては、同じ版の本がほかの場所にあるからといって、
貴重な書物を捨てることは正当化できない。
道は事務書類で敷き詰められていて、
これが現実だ。
Steve Jobsのスタンフォード大でのスピーチの翻訳ありがとうございます。
ドロップアウトというほどでもないかもしれないけど、人生万事塞翁が馬、というお話。NHK でのインタビューで SJ 本人も言ってますが、10 年先なんて未来のことはわからないです。
江島健太郎さんみたいな自分語りの話になってしまうんですが、私もベーマガで育った世代で、高校の時は N88-BASIC という今は懐かしい言語を叩いていました。
そのままパソコンどっぷりな路線を走っていれば、いちプログラマとして今頃どこかの会社でデスマに参加していたのかもしれませんが、大学で海外旅行に目覚めた私は、リアルな世界のほうがおもしろい、これ、リアルドラクエじゃん!とパソコンのことは忘れ、バイトと旅行を繰り返す大学生になっていました。1 年くらいぶらぶらしたりもしました。
海外のいろんな国のいろんな人たちの生活を見ていると、日本で既定路線に乗ってあくせく働くのがなんだかおかしく思えてくるんですね。だって、米ドル換算のお金では日本人ははるかに金持ちでしょうが、そんなお金はなくてもみんな楽しそうに暮らしてる。何してるんだかわからない人たちがたくさんいて、だからって暮らせないわけじゃない。もちろん、通りすがりの旅人に過ぎない私には見えてないものはたくさんあっただろうし、逆に日本にいたって皆が皆、杓子定規な生活を送っているわけでもないっていうのは、後になってまた悟るわけですが。
とはいえ、これと言ってやりたいこともなかったし、大学の勉強ももうやめてもいいかなと思いつつ、一応理系の学生だった私はそのうち研究室を選ばなければいけない時期に差し掛かりました。当時は AI と称して人工知能とか流行ってたんですが、ここで昔の血が少し騒ぎ出し、ちょっとまじめにプログラミングをやってみるかと思い、情報工学系の研究室に応募したんです。面接では僕は燃えてます!みたいな受け答えをし、それなりに手応えはあったかなと思っていたんですが、蓋を開けてみたら、不合格でした。燃えてますといいつつ、勢いだけで中身の伴わない若造だったから落とされたかなと、振り返ってみれば思います。真面目に勉強したいという人は他にもいくらでもいたわけで。
二次の応募とかもあったんですが、似たような結果で、最終的には一番人気のない情報工学とはまったく関係ない研究室への配属が決まりました。ちょっとやさぐれましたね。ところがこの若気の至りかプチ挫折のようなものがなければ、私は Apple で働くことにならなかっただろうし、間違いなく今の会社でも働いてなかったと思います。
すっかやる気をなくした私は、その研究室でもメインストリームではなく、傍流のテーマをやることになりました。その傍流の研究をリードしていた院生が Mac を使っている人で、そこで私も研究室の隅にあった Mac を使うことになりました。Macintosh Classic でした。メインストリームは NEC のパソコンとか使っていたので、そっちに行っていたら、やはりデスマ参加者になっていたかもしれません。
そして研究に夢中になる代わりに Mac に夢中になりました。Mac 雑誌を読み漁ったり、片っ端からフリーウェアをインストールしたりとかしてました。自分の Mac も手に入れました。トラックパッド搭載の PowerBook で、以来、私はトラックパッド派です。ThinkPad のトラックポイント派の人とは永遠にわかりあえないでしょう。Apple が Magic Trackpad をリリースしたときは、俺の時代がきたと思いましたね。
Mac に夢中になる一方で、大学を出たら何をしたいというのもなかったんですが、就職活動はしてみて、大きくはないがそれなりにおもしろそうな仕事を取って来てる会社に、システムエンジニアとして内定をいただきました。ですが、詳細はまた別の長い話になってしまうので割愛しますが、結局内定は辞退してしまました。大学は出たもののいわゆるプータローになったのです。海外ぶらぶらしすぎると、良くも悪くも開き直ってしまうんですよね。
また海外に行ったりして、帰ってきたところで、たまたま声をかけられ、小さな事務所の立ち上げから手伝うことになりました。ここで偶然か必然か、社長は Mac の好きな人で、事務所で使うパソコンは全部 Mac を使うことになります。私はそのセットアップやメンテナンスをやることになりました。メインの仕事は海外とのやりとりで、必要に迫られてそこでなんとか英語の読み書きも覚えました。
それからまたいろいろあって、その事務所をやめ、再びプータローになったのですが、Mac 好きは大学の時からずっと継続していました。Mac 系情報サイトを巡回するのが日課だったのですが、失業保険も切れそうだというある日、MACお宝鑑定団で Apple Japan の求人の話を見かけました。受かるとは思っていなかったのですが、失業中だしダメ元で応募してみることにしてみました。
面接はもちろんスーツで行ったのですが、Apple の面接を担当された方々は全員 T シャツ、しかも Apple T シャツを着て現れたのが、かなり印象に残っています。別に毎日 Apple T シャツを来てるわけではなく、この日はたまたまみんな Apple T シャツになってしまった、と後から聞きましたが。面接自体はそんなにうまく受け答えができなかったと思いました。でも、なぜか採用通知が来ました。
振り返ってみれば、真面目に大学で勉強してたら一般企業に行ってただろうし、第一希望の研究室に全然行けなくて、一番人気のない研究室のさらにマイナーなテーマをやることになったおかげで Mac と出会えたし、内定を辞退してプータローしたり、小さな事務所で Mac の面倒は何でも見なければいけなかったお陰で、その後の Apple での仕事につながる知識や経験を手に入れることができたし、そうしたことが折り重なって Apple で働くことができたのだと思います。
私みたいな人間を雇ってくれた Apple、そしてその Apple を作ってくれた SJ には本当に感謝しています。Good bye, Steve.
じゃぁ東北では、今後一切、津市で起きたニュースは流さないとか、津川雅彦の出演してるドラマ・映画は放送しないとかにすればいいですかー(棒)
ただの私憤なのに、義憤の皮を被った途端、一気に怒りが燃え上がるよねー。なんなのかねこれは。
実際に、今回の津波で被災した人が、宮城のコンサート会場で公開されたものを見て、怒るってのならまだわかる。
でも、まだ行われてもいないコンサートの、まだ公開されてもいない映像について、これから参加する予定の赤の他人の心情を心配してるってわけだろ。で、「その人が気分を害するかもしれない」から、代わりに俺様が憤ってやっているんだ!これは正論だ!2chにも増田にも書き込んで拡散希望!とかやってるわけだろ。すげーな義賊だな。かっこよすぎてチョー感動するわ。
結局のところ、自分が気に入らないだけのに、それを赤の他人の心情を勝手に代弁してるわけじゃん。自分の憤りを直接発言することはできないくせに、それを他人の代弁とすることで、急に声を大きくできる人達だよな。ファンサイトの書き込みも、2chの書き込みも「これを見たら被災地の人がかわいそうに違いない!」って息巻いてるけど、結局「自分がそう思ったから」ってだけなのに、あくまで、他人の心情を勝手に創り上げて文句を言ってる。ツリーにある「コアなファン」ののんきな書き込みをみれば、宮城会場に参加するファンだってそんなもんだろ。
ネット界隈では、カルピスのマークや、ちびくろ・さんぼやダッコちゃんは黒人差別だ!とかを、馬鹿げてると括ることが多いみたいだが、やってることは同じ。ほんと馬鹿げてる。
「相手がどう思うか考えて行動する」とか「自分がそう思ったから、相手もそう思うに違いない」ってのは、素晴らしい心持ちだけどさ、「相手が怒るだろうから、俺が代わりに怒ってやる」ってのは行き過ぎっていうか、勘違いっていうか、増長しすぎじゃね?
追記
元増田が消えちゃったので、サルベージ。(元増田)ミスチルのコンサートでウェーブは津波を連想させて不謹慎→(俺)じゃあ津川雅彦も謹慎だね→(元増田)以下の文章→(俺)この増田
■http://anond.hatelabo.jp/20110911233439
いやいやいや
全然たとえになってないよ