はてなキーワード: 文化圏とは
http://anond.hatelabo.jp/20110815225307
ということで先日はじめて台湾に行ってきた。
なんやかんや言って香港などよりも、下手すれば中国本土よりもずっと中国的なところだと思った。
中正紀念堂に書かれた儒教思想および日本で翻訳され中国にも輸出された近代西洋思想に基づく孫文の訓示。
美しい繁体字を皆達者に書く。
南京路とか重慶路とか中国の都市を基にした地名が非常に多くニューヨークなどと同じく植民地の地名そのものだった。
中国ではすべて横書きに統一しているが、台湾は日本と同じく新聞など模範的な文章は縦書きで書かれる。
香港では北京語は通じない。少なくとも、香港人は北京語を聞き取りはできても話せず英語のほうがよほど通じる。
名前も英名が公式に使われる。
台湾や中国でも最近は英名を名乗る人が増えたけど香港ほど公式ではない。
日本人ならダニエルとかマイケルとかメアリーとかキャサリンとかとても名乗れないだろう。
英国植民地の面影が色濃く残る香港やポルトガルのそれであるマカオはアジアの国とは思えなかった。
英語を母語としもはや漢字を読むことすらできない中国人とムスリムとインド系の街であるシンガポールは、
すでにアジアなのかどこなのかわからない無国籍国家という印象だった。
ベトナムも中国とフランスとが混交していてカオスな雰囲気を醸し出していたし。
日本語が通じる人もこれまで行ったどこの国よりも多かった。
片言の中国語で、英語と筆談の助けを借りながら住民と会話した。
我喜歓台湾と書いたら嬉しそうに笑った。
少なくとも西洋言語のみが全人類に受け入れられる世界共通言語になり得る。
何かを否定するにもそれを手段として使わなければいけないという時点で、それを否定できないことが証明されてしまう。
何が入用で何がそうでないかの判断はこのように割合容易につく。
言語はアイデンティティ(帰属意識、同胞意識)の確立の手段、という重要な機能を持つが
それがコミュニケーションの手段という機能を上回ることはない。
文化は発祥した地よりもむしろ影響を受けた衛星で保管されることも多いのではないかと思った。
どこの文化圏でも土着の文化よりも舶来の文物を珍重し上位に置く一定の傾向がある。
土着の文化は卑近で生々しいのに比べ舶来のものは「よく理解できない」ために神秘的だからだ。
日本語では大層難しく聞こえる漢語や外来語が、中国や西洋では子供でも使う日常語であることは多い。
儒教思想や陰陽五行思想はむしろ朝鮮で本家中国よりも忠実に継承されている。
お箸単独で食事をするのもやたらお辞儀をするのも深々と頭を下げるのも日本人特有の風習であるし、元号も今や東アジアで日本しか使っていない。
唐服に影響を受けあるいは呉服に起源を持つ?和服も今や日本の象徴である。
国家元首の名前と元号の名前を漢籍から採るということも中国ですらしてない。
こっちも普通の口調にしよう。そして自分がなぜこの辺りの話に疑問を抱いたか議論で説明が付いたからこの辺で終わりにするかも。
自分の考えでは二次創作を含む文化簒奪は、それ自体が悪なわけじゃない。文化簒奪は「オリジナルの価値を損ねる」時に初めて悪になる。
二次創作が許容されるのも還元ではなくそのポイントで、オリジナルをなぞった作品は拒絶される。ぷよぷよの配信は許諾されて、ノベルゲームの配信で激怒するのもオリジナルの価値を奪うからだ。ドラえもんの最終回が訴えられたのも、あまりにオリジナルに近づきすぎたからだ。ポケモンが訴えられたのは、子供向けの健全なゲームというオリジナルのブランディングイメージを汚したからだ。ときメモビデオはコナミの過剰反応もあるが、仮想の彼女と付き合うというオリジナルのコンセプトとバッティングするものだから、という説明が付く。グロやレイプの同人誌が許されるのもそれがオリジナルを離れたもので、還元することはなくてもオリジナルの利益を奪うものではないから。
翻ってカオスのコラージュ作品はオリジナル文化へのリスペクトこそないものの、オリジナルからは到底かけ離れたもので「オリジナルの利益を損ねる」ものではない。ゆえに許容されても実害はないとしか思わない。(水かけアートは許さん)
ただ憎む気持ちは理解は出来る。
文化圏同士の戦争は、論理ではなく感情のレイヤのもので、結局「俺の文化のものを奪うな」の一言で片付き、理屈を後付けすることにはほとんど意味がないように思う。
はーーい、じゃあ
統計も根拠もねえのに
「意志薄弱理性薄弱のクズはボクチンだけじゃないもん!みんなそうだもん!」
いや、クズはお前だけだよw
百歩譲ってお前の生活圏やお前と知り合うレベルの人間は同レベルのクズなんだろう。
チャンスがあれば女レイプして「男だもん仕方ないよね、テヘッ」で通る文化圏なのかもしれない。
でもそれを男全体に広げられたら迷惑だわ。
何言われてるかぐらいわかるよな?
また発狂してどっから出たのか不明な関係ない話長々始めないでくれよ?
「ボクチンがこの漢字読めないからこんな字難しすぎるんだもん!みんなも読めないもん!」とか
「ボクチンはパチスロしか人生の楽しみがないから、パチスロ無くなったら日本国民全員人生の楽しみなくなるんだもん!」とか
そういうレベルの発言だよね。
まあこういう破綻したこと言い出す奴って
言いにくいけど、頭悪い、視野の狭い、学歴のアレな人…に多いんだけどさ。
いや、君の学歴とかは決め付けるつもりないし
周囲のカップル及び自分はほとんどがネットで知り合って付き合ってるという文化圏の人間だけど、趣味があまり一般的じゃない、もしくは一般的であっても熱中度が高い者同士であるという共通点がある。
わざわざネットで出会いを探そうとしてるわけではないけど、職場や学校には共通の趣味を持ってる人がそんなにいないのでネットで同好の士を探す→共通の趣味で一緒に盛り上がることができると親しみを感じやすいので交際に発展しやすいだけだよ。
地縁・環境に縛られないと年齢差があっても知り合う可能性が高くなるから、地縁ベースに比べて年齢差カップルの比率が高くなるというのは確かだろうけど、年齢差がある相手を探したいからネットで知り合ってる訳ではない。
全て因果関係が逆。
なんでわざわざ「交際相手を探すために……」みたいな発想になるのか分かんないけど、身近に趣味の合う人が見つかりやすい人にとっては、趣味について語り合う相手を探すのに一手間かけるっていうこと自体が想像できないんだろうな。
そこまで手間をかける気になるのは交際相手を探すためぐらいだよねって思ってるんだろうけど、それ以前に共通の話題で盛り上がれる友人を作りたいだけでも、ネットを使わないとなかなか見つからないという人種もいるのです。
http://anond.hatelabo.jp/20110606225523
すごくよくわかる、気がする。勘違いかもしれないけど。そして周りの人がこれを理解出来ないこともわかる。
僕ははじめて女の子と付き合うのは遅かったけど、それまで何度か告白されたことはあって、そのどれも振ったけど、「僕とは釣り合わないよね」と言うのが最大の理由だった。釣り合わないってバカにしてるように見えるかもしれないけどそんなかっこいいもんじゃない。その人とお付き合いして二人で歩いてる時に、周りの人から見て釣り合ってるカップルだなあと思われるかどうか、が重要。バカにしてたっていうよりむしろビクビクしてた感じ。ほんとに、好きか嫌いかじゃなく釣り合っているかどうかが第一で絶対重要なことだった。それで、この人の言うことはすごくよくわかる。そしてそのような女の子たちに僕が思った感情は、「ごめんなさい」だった。本当に。嘲笑とかまったくない。バカにしてもいない。キモイとも思わなかったのはこの人とは違うのかもしんない。でも、周りの人はこれを読むと、それは本質的には嘲笑しているんだとか言うんじゃないかと思う。それは理解できる。でも本当にそういう気持ちじゃなかったと言うしかない。
他の人が釣り合わない恋愛をしようというとき、この人はすごい憎しみを感じるのに対して、ぼくはそういうふうに動くことができるのはうらやましいと思うので、そこはちょっと違うけど、本質的な違いじゃないと思う。本質的に違う人は、そもそも釣り合わないとかなに?って人。これが気になる人はみんなそれなりに似たところあるでしょ。
今僕は結果的にすごい美人さん(と我思う)と付き合っているけど、いまだに釣り合いの悪い自分が横にいることが時に耐えられなくなる。多分この人みたいな人は「釣り合わねー」と思うんじゃないかな。・・・というふうに思う。そんなふうにして自分が自信を失っているとき、彼女は不機嫌になっていることもわかる。女性はやっぱ自分に自信を持った男性が好きだと思うので。という僕も、彼氏彼女関係ではなく仕事をしているときには自信満々であるっぽく、そういうところを好きになってくれたのだろうと理解しようと努力する。そうするともやもやは少し解消する。釣り合いが取れてない?いや、そんなに釣り合いが取れてないと向こうが思ってるなら向こうも付きあおうとしないだろうし。もしかすると僕のことをものすごく勘違いしているのかもしれない。そして、本当に釣り合いが取れてないことが向こうに判明したなら、向こうから別れを切りだしてくるはず。気楽にいこう。というのが今の気持ち。と言ってもこの段の冒頭にいつも逆戻りしてる。そのたびに彼女は不機嫌になる。
これまでの彼女は自分的には自分と釣り合い取れた彼女で、精神的ストレスもほとんどなかった。今の彼女に釣り合いストレスを感じるけど、同時に、釣り合い思考からだんだん脱して行ってるようにも思う。それをさせたのは努力。それしかないや。
こんなような僕の感情の動きの中に、彼女を愛してるって気持ちはどれだけあるんだろう。自分でもときに自問する。いや愛してると思うんだけど。結局、相変わらず釣り合ってるかどうかが一番優先されているのかも?そうなのかも。みんな簡単にブコメつけてるけどね、釣り合い重視の人が人を愛して周囲を一切気にしないで誰かを愛せるようになるって言うのは、高校時代ひきこもりのキモオタが大学デビューして合コン三昧のリア充になっちゃうくらいの確率でしかないのじゃないかと思う。適当だけど、つまりすごく難しいってこと。
結局こういう気持ちがどうして起こるかというのは、日本社会の同調圧力のもとで、自分で自分にプレッシャーをかける日本人の体質的なものだろうし、それはいくつかある冷静なブコメが指摘してること。過剰な労働も、自殺も、無能なトップも、みーんなこれが原因だ(そして現代の日本社会を生み出した、世界一優秀な中産階級も)。日本社会同調圧力のもとで、いろんな環境が作用して、それぞれの方向に行くんだと思う。それは日本社会の根本的な問題なので、それに対する解決策があるんなら苦労しない。日本は今みたいに停滞してないと思う。
それでも彼女は救いを求めてるようなので、自分がもしあなたと似たような人間だとして、経験上いちばん有効なのは海外に行くことだ!マジこれしかない。だって原因は日本社会なんだもん。特に西欧文化圏は本当にオープンで、ていうか、オープンであろうと努力してる人間社会なんだ。だいたい白人とアジア人のカップルなんて釣り合うと思うかね。誰も思わねーよ。でもね、そもそも、「釣り合い」なんていう概念がない、なくそうとしてる社会だったら・・・もちろんゼロではない。でも超金持ちさんザッカーバーグの彼女が中国人だったりとかそういうこともある。語学はまずつけてから行ってね。あと人種差別にはめげないように。しょうがねっす。強く生きてる華僑とか見ると少し勇気づけられる。日本みたいに、そもそも生活レベルが欧米より上(これはマジです)っていうことすらないのにね。
そしてまた、海外に行くと、日本社会のそれはそれは素晴らしい特質もすごくよくみえてくると思う。それで、海外で釣り合い意識から脱したら日本に帰ってもいいんじゃね。それか、超気に入ったんならそのまま海外に住んでもいいんじゃね。自由に行こうよ。もちろん苦労も多いだろうけど、こんなふうに自由にできる時代なんて、人間の長い歴史の中でそんなにないんだぜ。太平洋戦争前にアメリカに移住してた僕らのご先祖さまは、強制収容所にぶちこまれたんだぜ。それに比べたらどんだけ楽なことか。
あと病院行けって言ってる人はなーんもわかってね。社会や人生をあまり知らない人っぽいや。こんな人山ほどいるべよ。統失と躁鬱と小児精神病以外は、精神科なんて本人が行きたきゃ行けばいいし行きたくなきゃ行かなきゃいいさ、病院なんて(ボケはまず神経内科行け)。行きたくてたまらない人はもちろん効果ある。でも行きたくてたまらない様になっている時点で精神的にはかなり参ってる。この増田はそんなんじゃないよ、多分。
極めて予想通りの反応だったけど、お陰で君の人となりが良くわかったのでこれ以上はやめておきたい。
http://umiurimasu.exblog.jp/12210453
この記事のブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/umiurimasu.exblog.jp/12210453/)が300を超えたので、逆張りというか、疑問に思った2点、『アメリカ人は本当にタコが嫌いなのか?』『「怖い」という感情に「一神教」と「多神教」は関係あるのか?』ということについて、考えてみる。
ブログ主のumiurimasuさんに対する反論というよりかは、ブックマークコメントの傾向に対する反論である。
1
>>ちなみに、魚介類を食べるのがあたりまえな島国文化圏の人からすると、アメリカ人のタコ嫌いというのは、それこそ冒涜的なまでに理解を絶する感覚ですね。
イタリア、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、韓国……などの国々は島国ではなく半島国だが、タコを食べる。中国でも食べる。
また、アメリカには昔からイタリア系、スペイン系、ギリシャ系、中国系の移民は多かったし、ポルトガル系や韓国系も少なからずいた。彼らはアメリカでも昔からタコを食べる。
しかも、いまでは寿司や日本料理、イタリア料理やスペイン料理、ギリシャ料理や中国料理はすっかりアメリカ全土に定着した。だから、イギリス系やアフリカ系のアメリカ人でもタコを食べる人は多い。
なので、これは「アメリカ人のタコ嫌い」ではなく「ラヴクラフトのタコ嫌い」にするべきではないか。
「昔のWASP(白人、アングロサクソン、プロテスタント)のタコ嫌い」にしてもいいような気もするが、やはり、「食べない」からって「嫌い」には直結しない。
タコが全面的に禁忌(「食べてはいけない」)とされているのはユダヤ教であり、キリスト教では一部の宗派のみ。
そもそも、「アメリカ人(あるいは、欧米人)はタコを悪魔の使いとして忌み嫌っている(忌み嫌ってきた)」という説は日本に広く流布されているが、本当なのだろうか。
この説の傍証は、タコは英語で「devil fish」と言われること、および、「クトゥルフ神話」や「宇宙戦争」などでタコが人間に敵対する悪役として描かれているから、ということである。
まず、「devil fish」であるが、現代のアメリカでタコを示す言葉のうち、一般的に使用されるものは「octopus」である。
「devil fish」でgoogleの画像検索をすると、真っ先に表示されるのはエイの画像で、タコが出てくるのは10番目以降である。
さらに、「devil fish」だからといって「タコ=悪魔」だと思っているとは限らない。
すくなくとも、エンゼルフィッシュを天使だと思っている人はいないだろう。
クトゥルーにタコが出てくるのはラヴクラフトが(個人的に)タコが嫌いだったから。
「宇宙戦争」の火星人がタコなのは、原作者のウェルズがタコを怖がっているからではなく、「火星は重力が少ないから頭が大きくなって手足が退化して、タコになる!」という疑似科学的な理論のため。
「インデペンデンス・デイ」などの宇宙人映画でも宇宙人はタコとして描かれていることがあるが、それは「宇宙戦争」(と、もしかしたら「クトゥルー神話」)へのオマージュのためではないか。
というわけで、「アメリカ人のタコ嫌い」という言葉は、「伝統的なアメリカ人」と「最近のアメリカ人」、「主流派(WASP)のアメリカ人」と「少数派のアメリカ人」のタコに対する態度の違いなどを考えたうえで使うべきであると思う。
アメリカ人が日本人に対して間違ったイメージ(「忍者、ゲイシャ」「エコノミックアニマル」「イエローモンキー」)を抱いていることが多いが、それと同様に、日本人がアメリカ人に対して抱いているイメージも、その多くは間違っている可能性がある。
さらに、「アメリカ人」という言葉が文化論において使われるときは、WASPを指すことが多く、黒人や黄色人種、アフリカ系アメリカ人や先住アメリカ人、カソリックのヨーロッパ系アメリカ人などを無視する場合が多い。
たしかに、一面では、アメリカの主流文化はWASPの文化であるが、マイノリティの文化の一部が主流になることも多いし、WASPの文化とマイノリティの文化が影響しあってできた新しい文化が主流になることもある。
だから、「アメリカ人」という言葉をつかうときは、その言葉はいったい何を指し示しているのか、自覚的になるべきである。
このような問題(主流文化とは何なのか?「〜人」は何なのか?)は、移民国家である「アメリカ」を論ずるときには特に注意されるべきだと思うが、日本やイタリア、中国やブラジルや南アフリカ共和国など、どこの国を論ずるときでも、注意したほうがいいことである。
2
ブログの記事内では、『ともあれ、そうした文化的理由でクトゥルー神話を本来あるべきように怖く感じられないのだとしたら、やはりちょっと残念です。アメリカ人はほんとうに、日本人よりも怖さを感じているのだろうか。それとも「いや別に、全然怖くねーよ」という感覚なのか。アメリカ人に直接聞いてみないことにはどうにも。』や『こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。』と書かれていて、慎重な姿勢が保たれている。
しかし、ブックマークコメントでは、「キリスト教文化圏では、何を考えるにも常にキリスト教の神を超越者・絶対的存在としていちばん上に置くというものの見方が根底にある」や「日本人の場合、神も仏も混ぜこぜに、かつあいまいに信じていて、絶対的な何かを世界観のよりどころにしていないからでしょうか」という文章ばかり注目されている。
そもそも、欧米の文化や芸術作品・物語が紹介されるときには、「キリスト教的」「一神教世界観」などのマジックワードを持ち出し、日本の「多神教的世界観」と対比させて論ずることが多い(そして、往々にして、「多神教的世界観」の方が寛容で複雑で高度なもの、と優劣をつける場合が多い)。
しかし、例えば日本の文化や芸術作品・物語についても、「神道的」「仏教的」「多神教的世界観」だけでは論ずることはできないだろう。
文化や芸術作品の成立には、もちろん宗教や世界観も大きく関わるが、それだけではなく、自然環境・経済的環境・歴史・政治・偶然など、様々な要素が関わっているはずである。
また、フィクションに対して「怖がる」という反応は、宗教よりも時代と個人的な経験に左右されるものである。
ホラー小説の「人を怖がらせる」技術は年月を重ねるにつれて蓄積されるものであり、現代のホラー小説は過去のホラー小説より「怖い」、ということは一般論として言える。
スティーヴン・キングの作品は、ラヴクラフトの作品と同じくアメリカ人の作家によって書かれた、キリスト教的世界観の影響の強い作品であるが、日本の読者でもスティーヴン・キングの作品を「怖い」と思う人は多い。
「雨月物語」は過去の日本人作家によって書かれた作品であるが、そこに収録されている「吉備津の釜」は江戸時代の日本人が読んでも「怖い」と感じたであろうし、現代の日本人が読んでも「怖い」と感じる人は多い。
しかし、現代の日本人である鈴木光司によって書かれた「リング」は、おそらく「雨月物語」よりも多くの日本人読者を怖がらせると思う。
だが、スティーヴン・キングの「シャイニング」や「クジョー」と鈴木光司の「リング」のどれが一番「怖い」か、ということは、現代の日本人でも読者によってそれぞれ違う。
さらに、「リング」はアメリカ人が読んでも「怖い」という評価を得ている。
ここにラヴクラフトを代入すれば、ラヴクラフトが「雨月物語」よりも怖いと思う日本人もいれば、「リング」がラヴクラフトよりも怖いと思うアメリカ人もいるだろう。
彼らの「怖い」という感情には、多少は「一神教的世界観」「多神教的世界観」が関与しているかもしれないが、それよりも個人的な趣味や感性(「ホラーに慣れているかどうか、じわじわとくる恐怖に弱いかびっくりさせるような恐怖に弱いか」「日常的な恐怖に弱いか、非日常的な恐怖に弱いか」などなど)の方が強く関与しているだろう。
つまり、ホラー小説の話題で、「キリスト教の世界観」「多神教の世界観」にばかり注目するのは、適切ではない。
また、ホラー小説の話題に限らず、欧米の文化や芸術作品・物語について考えるときに、「キリスト教」「一神教的世界観」に還元させるのは適切ではない。キリスト教の影響はあるかもしれないないかもしれない。あったとしても、強いかもしれないし、弱いかもしれない。
「一神教的世界観」というマジックワードで説明されることで、安易に「理解した」と思いこむのではなく、宗教や世界観以外の、他の側面からも考えることが必要である。
プロフに食いついてきたらしいキモい絡み方をするオッサンがいてどうしようもなくなったからTwitterやめたというエントリーがあったが、書き方はともかく、あれに感情的な反応を返しているいい年をしているであろう人間がやけに目に付いた。
正直言って嘆息ものだと思う。
「空気嫁」というのは最初はネタとして使われていた言葉だったかもしれないが、今では実際に空気を読むという行為がネット上でも当たり前のように求められる場面が多いことを理解していない。
ネットユーザーの実際の比率がどういったものかは生憎手元に資料が無いが、「一般人」とされるユーザーの率が高まり、SNSやTwitterといった同一システム上で多数同居していることは想像に難くない。
ネットは「彼ら」だけのものではなくなっていることに対し、彼らも理解はしているもののその認識はまだ浅いのではないだろうか。
特定の思想・理念をもって当初構築されたネットという文化圏は一番大きな枠としてあるが、その思想・理念は法やプログラムされたシステム上の制約ではなく、現実世界における「平和」だとか「環境保全」といったスローガンに近しいものであり、実際のネットというのは多様性を許容した世界でしかない。
それぞれの文化圏の中に更に細かい文化圏があるが、それらが利用しているシステム上で同居するため分かりにくい。
そして、その分かりにくさのために、あっさりとその枠を踏み越える事ができる。
ボーダーレスと言えば聞こえはいいし、確かに大きなメリットなのだが、踏み越えてほしくない人間たちもいるのだということを彼らは往々にして忘れている。
多様化し、様々な文化圏があることを理解はしていても、それを認識した上での行動ができない。
趣味、嗜好、年齢、性別、色々と要素はあるが、その文化圏が何の集まりなのか。
現実世界における領域の住み分けで考えればすぐに分かるであろうはずなのに。
多少なりとも共通するものがあれば、年齢や性別、下手をすると国家や言語の枠すら越える事ができるが、彼らはその共通事項すら確認しない。
そのため相手の文化圏と自分の文化圏が重なる部分がないにもかかわらず、その「住み分け」ている領域を「踏み越えてしまう」
そして「踏み越えてしまった」彼らはそれを指摘されると、決まって「ネットの理念(ネットという文化圏)」を持ち出してくるのだ。
彼らが守りたいものはネットの理念などではなく、文化圏の違いに気付けない、空気を読めない自分に対する免罪符でしかないことに彼らは気付いていない。
「空気を読む」という行為はネット上でも必要とされていることであり、それができない人間はネット上であっても疎まれ、排斥されるようになってきている傾向が現実世界により近くなっている。
ネット上に居場所を見つけ、ある種の自由を得ていた彼らが、既に現実世界同様に疎まれる場面をこのところ特に目にする場面が増えてきた。
各地でこっそり寄付するのが流行してますね!でも怪しい人が急に来て箱置いて行ったら物騒だよね
要らない物貰っても困るだろうな、でも現金だとプレゼント感が薄いし・・・。
こっそり寄付するのも結構骨が折れそうですよね。ネットで買い物する位簡単ならいいのに
そんな問題を解決してみんなに喜んで寄付して貰えるような仕組みがもう外国にあったよ!
重い病気や事故なんかで闘病中の子供の居る病院にAmazonのウィッシュリストを作ってもらって
ゲームとか玩具を寄付するChild's Playって慈善活動なんだけど、他と違うのは
Child's Playにお金を寄付するだけじゃなくて、病院の作ったリストから商品を選んで買って直接プレゼントも出来るって所
http://www.childsplaycharity.org/
人気個人サイトの寄付活動から始まって2010年は185万ドル分寄付したらしい
http://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2758
解説 http://www.radiumsoftware.com/0401.html#040115 http://blog.goo.ne.jp/dekubar/e/6fcb686d03861a567f72b904f953c060
日本でもこういう活動有ったら盛り上がる気がする
自分の好きなゲームとかアニメや特撮のDVD、漫画や絵本なんかが寄付募集リストに有ったら寄付する人もけっこう居る筈
感動したらその勢いで同じ物を買って寄付とかね。子供の喜ぶ顔も思い浮かびやすいし売り上げにも貢献する
要するに、「かつて日本はゲーム関連で世界一だった」みたいな話があった。多分それはまあ事実なんだろうけれど、そこで疑問に思った事。日本が世界一だった当時と言えば、FF7とかが出てたあたりだったはず。じゃあその頃のアメリカで「何故我が国のゲームメーカーはファイナルファンタジーを作れないのか?」みたいな議論ってされてたんだろうか。
今アメリカでFPSが流行ってる(ぶっちゃけそればっかり売れてるように見える)現状を見てると全然議論してなさそうに見えるのは俺だけ?
国内のネット上でも「何故洋ゲーは日本で売れないのか?」みたいな議論は掃いて捨てるほど出てくるけど、あれって言い換えれば「何故洋ゲーメーカーは日本で売る気がないのか?」に置き換えられる話だよな。日本だけで売れてるソフトといえば、たとえばドラクエとかモンハンとか色々あるわけだけれど、じゃあそれらタイトルを海外メーカーが研究してる(してた)かというと全然そんな話を聞かない。その時点で「日本でのヒットを諦めてる」と言っていいんじゃないか。「諦めてる」時点で売れないのは当たり前だろ、と。
最近の洋ゲーを見ても、相も変わらず女性キャラクターは釣り目で頬骨が出っ張ってて不細工だし、出てくる男はムキムキマッチョで坊主頭が異常に多いし、あれで日本で売れると本気で考えてるとはとても思えん。「売れたら御の字。売れなければ売れなかったで別にいいや」位の認識しかしてないだろ。そんなに日本で売りたいならキャラクターデザインに日本の人気イラストレーターとか漫画家とか採用するくらいの事すりゃいいのに、そんな簡単な事すらやろうとしないしさ。
今のアメリカのゲーム産業が世界一なのはまあ確かだろうけれど、単にアメリカの市場だけがやたらでかいだけって話にしか見えないんだよね。違う文化圏では全然売れてないって点は日本のゲームメーカーと大差無いじゃん、と。
横から失礼します。
異国で外人ムラを作ると、ムラの中で安息を得られる代わりに
ムラ自体が土着のコミュニティと乖離してしまい、軋轢や衝突を産みます。
これは日本だけの話じゃないでしょう。
その国に同化しないで小ユダヤやチャイナタウンを作りたがるからだし
外国で日本人だけ固まってれば、日本人だって外人から嫌われます。
要するに、「同じ国に住む」って前提が間違ってるんですよ。
国籍を捨てず、別の言語で教育して、そいつ等だけで寄り集まってる状態は、
文化的には別の国に住んでるのと同じです。
文化圏が違う以上、衝突は常にあるでしょう。
そして、少数派と多数派が衝突すれば、概ね少数派が負けます。
負ければ不利益が生まれます。その不利益は受け入れてください。
他所者のアイデンティティを守ってあげる為に、受け入れ先の方が不利益を被る道理は無いのです。
いわんや、中国・韓国・朝鮮なんて、あからさまに日本を敵視してるじゃないですか。
そこの文化をひきずっておいて、差別だ何だと言うのは、甘いにもほどがある。
特に日中関係の緊張が高まっている昨今、あからさまな廃絶運動が始まってもおかしくないですよ。
そんな中での暮らしを強いられて無いだけでも随分優遇されてると思いますがね。